2017.11.01 厳島神社

道の駅「上島海峡」の朝。これから宮島に向かいます

 

宮島口に到着、船で厳島神社に向かいます             厳島神社に到着

 

厳島神社                                                        

   

国宝の建築物群

 

 

 

有名な大鳥居

 

 

宝物館も見学しました                                                     お昼ご飯はお好み焼き

      

但し、常設展示されている国宝類はなく、平家納経のオリジナルや国宝の甲冑・刀剣類は別に国宝専用の保管施設があり、そこに保管されているとのこと。以下は、その内容の紹介です。

厳島神社

 

平家納経(法華経等33巻、金銀荘雲龍文銅製経箱、蔦蒔絵唐櫃)(厳島神社) 平安時代後期の長寛2年(1164)9月,平清盛をはじめ,子息重盛,弟経盛・教盛・頼盛など平家一門の人々が一巻ずつ結縁(けちえん)書写して厳島神社に奉納した経典群。各巻とも金銀の優美な金具で飾られた表紙に,経の大意を描いた美しい見返し絵をつけ,料紙は表裏とも金銀の切りはくをまき,野毛あるいは,あし手を散らすなど意匠をこらしてある。また,水晶の軸に金銀の装飾金具をつけ,螺鈿(らでん)をするなど当時の工芸技法の粋をつくしている。平安時代(794〜1191)に流行した装飾経の最高峰をなすものであり,大和絵(やまとえ)の史料としても貴重である。
厳島神社 金銅密教法具 一具(5点)(厳島神社) 三種の杵と五鈷鈴、金剛版の皆具。当初の一具と見られ、その形姿は温雅優麗の中にも鋭く、繊細ながらも技巧に流れず、鎌倉時代の製作にかかる和様密教法具の最高峰をなす貴重な遺品
厳島神社 小桜韋黄返威鎧(兜、大袖付)(厳島神社) 本鎧は、古来源為朝奉納と伝える著名な一領である。小札の幅が著しく広く、威毛もまた太く、一枚張筋伏せの厳しい星兜の形状と併せて、総体に豪壮の趣がある鎧である。脇楯、鳩尾板などを欠失するものの、総体の形状はよく原形を留める
厳島神社 浅黄綾威鎧(兜、大袖付)(厳島神社) 本鎧を鎌倉前期のものと比較すると、小札は細く精緻になり、胴の裾開きの形状が上下同幅ないし裾絞りの傾向を示している。また、金具廻りが大きく、栴檀、鳩尾板が狭小となって障子板の前後が長い。兜においても頂辺の孔が縮小して間数が多く、星が小さく繁くなるなど、豪壮さに代わって端正な形姿となり、鎌倉時代後期の特色が著しい
厳島神社 紺絲威鎧(兜、大袖付)(厳島神社) 同社の小桜黄返威鎧や、御嶽神社の赤糸威鎧などとは趣を異にし、総じて手法が精緻であるが、金具廻りの狭小な点、染韋の文様、兜の形状や胴の仕立などには相通じる趣致があり、上掲二領と時代の隔たりはほぼないと見られる。原形をほぼ存しており、稀有の一領である。平重盛奉納の社伝がある
厳島神社 黒韋威胴丸(兜、大袖付)(厳島神社) 鎌倉時代末頃から軽快な胴丸が次第に合理性を備え、武将もこれを着用することにより、鎧の装飾性が加えられ変化発展した。本胴丸は、一部補修があるが、ほぼ原形をとどめ、仕立が精緻で雄大な趣のある形姿の典型的な優品である
厳島神社 厳島神社古神宝類 一括(厳島神社) 従来安徳天皇の所用とされてきたものであるが、宮司野坂家に伝わる文書によると、承安、安元、治承の約十年間に後白河法皇、高倉上皇が参詣されるにあたり、その都度神宝が奉進されたことが知られる。なかでも、承安四年には公家装束一式が奉納されることが見える。
厳島神社 彩絵桧扇(厳島神社) 檜扇は本来は公卿が儀式次第を覚え書きするため素木のまま用いられたが、平安時代以降、婦女の盛装時に彩絵を施し飾り糸をつけた檜扇を持つようになった。檜扇の古例は当社伝来の古神宝に含まれるものや佐太神社に伝わるものがあるが、本檜扇の特徴として歌絵が描かれていることが挙げられる
厳島神社 太刀 銘友成作(厳島神社) 古備前友成の作。友成は永延の頃から鎌倉時代にかけて同名数工あったと思われる。本太刀は刃文が古備前の特徴である小乱れではなく、直刃を主調として匂口がやや締まった出来であり、友成の中ではやや時代が下がるものと考えられる
厳島神社 梨子地桐文螺鈿腰刀(中身に友成作と銘がある)(厳島神社) 金梨子地(きんなしじ)に五七桐を青貝螺鈿(あおがいらでん)にし付描をしたもので,小品ながら製作がすぐれ,完存する南北朝時代(1333〜1392)の合口拵腰刀(あいくちこしらえこしがたな)としての資料的価値は高い。中身は,平造,内反りの小振りの短刀で,庵棟,鍛えは小板目(こいため),刃文は細直刃でほとんど欠け出し,匂口(においくち)うるむ,彫り物は表に巧みな素剣がある。目釘孔の下に「友成作」の三字銘がある。中身が傷んで完全でないのは惜しまれるが,平安時代(794〜1191)の銘がある短刀はほとんど他に例がない。足利尊氏の所用という。
厳島神社 紺紙金字法華経(平清盛・頼盛合筆)8巻(厳島神社) 嘉応2年(1170)9月から承安2年(1172)4月,平頼盛が兄の清盛と結縁合志のもとに書写供養した経典。各巻のはじめ何行かを清盛が書き,後を弟頼盛が書きついだいわゆる両筆経である。もと10巻あったが巻四と無量寿経は古く社外に出,後者の断簡は「厳島切(いつくしまぎれ)」と称せられ流布している。各巻宝相華文(ほうそうげもん)の紺表紙で,見返しに金泥(きんでい)で釈迦説法図などを描いた当代金泥経の一典型である。
厳島神社 観普賢経(平清盛・頼盛合筆)8巻(厳島神社) 嘉応2年(1170)9月から承安2年(1172)4月,平頼盛が兄の清盛と結縁合志のもとに書写供養した経典。各巻のはじめ何行かを清盛が書き,後を弟頼盛が書きついだいわゆる両筆経である。もと10巻あったが巻四と無量寿経は古く社外に出,後者の断簡は「厳島切(いつくしまぎれ)」と称せられ流布している。各巻宝相華文(ほうそうげもん)の紺表紙で,見返しに金泥(きんでい)で釈迦説法図などを描いた当代金泥経の一典型である。

2017.11.01 不動院金堂

広島市郊外にあるお寺、原爆投下の際にも大きな被害は受けず、被爆者の避難所として使われたとのこと

 

国宝「仏殿」

 

鐘楼と楼門

 

2017.11.01 ふくやま美術館

小松コレクションといわれる刀剣のコレクションがあります。東京の小松安弘興産所蔵となっているもので、創業者小松安弘氏が蒐集したものなのですが、この刀剣コレクションが「ふくやま美術館」に委託されています。国宝指定されているものも八振りあり、いくつかは拝見できるかも知れないと思い立ち寄ってみました。

小松コレクションのうち、徳川家ゆかりの三振りが展示されていました。 

国宝「短刀 銘国光(名物会津新藤五)」

 

本短刀は『享保名物帳』に所載されるもので、国光の代表作といえる。会津領主蒲生氏郷の愛刀であったことから「会津新藤五」の号がある。

国宝「太刀 銘吉房」 

 

福岡一文字吉房の作である。身幅が広く猪首鋒の堂々とした太刀で、鍛は福岡一文字によく見られるやや肌立つ小板目に映りがよく現れ、刃文も大房丁子や袋丁子などを交えた吉房の典型的なものである。鎌倉時代中期の一文字派最盛期における作風で、地刃健全である。

国宝「太刀 銘則房」 

 

片山一文字則房の作。磨り上げてはいるが、一文字派最盛期の華麗で豪壮な作風をよく示した大作。現存する在銘の作の中でも白眉で地刃健全である。徳川将軍家伝来。

その他の国宝刀剣

ふくやま美術館 太刀 銘吉房(ふくやま美術館) 一文字派最盛期における代表的刀工の一人である吉房の作。出来が優れ、生ぶ茎で、総じて健全である。長大な太刀であるが、磨り上げられずに生ぶの姿をした堂々たるものである。寛文七年に島津綱貴が将軍家綱から拝領したもので、島津家伝来である。
ふくやま美術館 太刀 銘筑州住左(江雪左文字)(東京・法人蔵)    

本太刀は、初代左文字の傑作。同工は、短刀を得意としており、有銘の太刀は稀有であるが、短刀に比べても遜色がない。もと北条氏家臣岡部江雪斎嗣成秘蔵の愛刀であったことから、江雪左文字と号す。後に徳川家康の料となり、紀州頼宣へ与えられた。
ふくやま美術館 短刀 銘左 筑州住(東京・法人蔵)    初代左文字の最も代表的な出来で、地刃が健全である。相州伝の作風を示し、鍛に地景が細かに現れ、刃文は沸匂が深く、特に明るく冴えたのたれを焼き、帽子の刃文は鋭く突き上げて特色がある。地刃共に極めて明るく晴れ晴れとした名作である。
ふくやま美術館 太刀 銘国宗(東京・法人蔵)     備前三郎国宗の作で、僅かに磨り上げてはいるが、同作中の傑作であり、健全無類のものである。
ふくやま美術館 太刀 銘正恒(東京・法人蔵)    古備前正恒の作。腰反りの高い優雅な姿の太刀で、正恒作刀中で作風・銘など最も古調で最高の出来と評される。蜂須賀家伝来。

宇野港です  

港の近くにある「たまの湯」という温泉施設、ここでほほっと一息

 

今日の泊りはここ、道の駅「みやま公園」
 
              

20171031 臼杵磨崖仏    20171101 厳島神社    20171102 宇野港