2017.11.15 国宝展W

4回目の国宝展行ってきました。今回は40分待ちでした。

出てくると空いていました。

旧館は重要文化財、今は閉館中です

 

今回拝見した国宝の数々

008孔雀明王像_東博

孔雀明王は、毒蛇や害虫を食うという孔雀を神格化したものであるが、明王にはめずらしく慈悲の相に描かれる。翼を広げた孔雀の上に坐る明王は、右第一手に蓮華、右第二手に西瓜に似た果物、左第一手にざくろ、左第二手に5枚の羽根がついた孔雀の尾をもつ。画面いっぱいの明王と孔雀は、ともに正面向きで動きに乏しく、四隅に置かれた宝瓶とともに一種の曼荼羅風に描かれ、空海が中国からもたらした伝統的な構成を示している。

015山水屏風_京博

中国的風俗を描いたいわゆる唐絵(からえ)の山水屏風で、かつて東寺に伝来したもの。もともとは宮中や貴族の邸宅の室内調度として作られたと思われる。平安時代の屏風絵としては唯一の遺品である。

018一字一仏法華経序品_香川・善通寺

全長21.2mの巻物に、法華経序品の1字ずつを弘法大師が書き、その行間に菩薩を1体ずつ弘法大師の母・玉依御前(たまよりごぜん)が描いたといわれています。

019法華経(久能寺経)_静岡・鉄舟寺

現存最古の一品経(法華経二十八品を一巻毎に書写したもの)。現在は東京国立博物館に寄託。永治2年(1142年)待賢門院の出家に際して、鳥羽法皇や美福門院をはじめ、近臣や女房らが加わった、逆修供養のために結縁書写された。

020法華経(久能寺経)

本経は鳥羽上皇(1103〜1156)らが結縁して書写した法華経で,久能寺経と通称され,平家納経と並び平安時代後期を代表する装飾経として貴重なも のである。結縁者には女性が多い。料紙には美麗な染紙を用い,金銀箔・砂子などを散らした上に蝶,鳥,蓮華などを彩絵している。 装飾経の中でも出色の出来栄えであり,また現存する久能寺経の中で作成当初 の表紙・見返など原装を伝える唯一のものである。 (平安時代)

025一字蓮台法華経_大和文華館

金銀の切箔や砂子を散らした美しい料紙に、『法華経』二十八品の最後の部分「普賢菩薩勧発品」を書写したものです。巻頭、見返しの部分には法会の様子を描いた大和絵が添えられます。

038無準師範像_東福寺

無準師範(ぶしゅんしばん)は開山円爾の師にあたる宋の高僧。禅宗では、弟子に師匠の肖像画を与えることは、修行が完了したことの印であり、この肖像画も円爾が師から与えられたものである。嘉熙二年の自賛があり、南宋時代1238年の作

039蘭渓道隆像_建長寺

禅僧の肖像画を「頂相」(ちんぞう)と呼ぶ。建長寺の「絹本淡彩蘭渓道隆像」は、蘭渓道隆58歳のときの頂相の像で文永8年(1271年)の自賛がある。当時は、師が弟子の僧侶に「お墨付きを与える」という意味で、自賛の肖像画を与えるという習慣があった。多くの頂相が描かれた中でも、この「蘭渓道隆像」は代表的な作例で、国宝に指定されている。

041北条実時像・金沢貞顕像_神奈川・称名寺

本図は″四将像″の名で金沢北条氏の菩提寺、称名寺【しようみようじ】に伝わったもので、歴史上著名な武人の一門四代にわたる肖像画として、文化史的にもきわめて価値の高いものである。画像の製作時期はいずれも像主の生存年代に近く、描写もすぐれ、鎌倉時代の代表的作品である。

054瀟湘八景図襖_京都・聚光院

方丈障壁画 38面(附8面) - 狩野永徳とその父狩野松栄の作。聚光院創建時の永禄9年(1566年)の作とされる。同年の作とすれば永徳24歳の作である。障壁画のオリジナルは保存のため京都国立博物館に寄託され、方丈にはデジタル技術による高精度の複製が設置されている

062燕子花図屏風_根津美術館

 

総金地の六曲一双屏風に、濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花の群生。その背後には『伊勢物語』第9段の東下り、燕子花の名所・八つ橋で詠じられた和歌がある。左右隻の対照も計算しつつ、リズミカルに配置された燕子花は、一部に型紙が反復して利用されるなど、一見、意匠性が際立つが、顔料の特性をいかした花弁のふっくらとした表現もみごとである。筆者の尾形光琳(1658〜1716)は京都の高級呉服商に生まれ、俵屋宗達に私淑した。本作品は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品といって過言ではない。

064夜色楼台図

本図は最晩年の作とみられ、大胆な墨の技法による暗い夜空と雪に白く浮かぶ連山や家並との対照などは新鮮な感覚にあふれ、「夜色楼〓雪萬家」の詩意が見事に表現されている

065孔雀明王像_仁和寺

重層的な彩雲を背景に、明王が孔雀に坐した姿をあらわすこの像は、日本の例に多い一面四臂ではなく、三面六臂で描かれています。また寒色系や白色主体の色調は、平安仏画とは異なり清新で知的な印象を与えます。
さらに顔容描写などに見られる写実性のある表現や、細部に至るまでの緻密な描写は、日本絵画の追随を許さない宋仏画の名品といえます

066-1十六羅漢像_清凉寺

066-2十六羅漢像_清凉寺

 

「羅漢」とは「阿羅漢」の略称で、古代インドで「尊敬に値する人」を意味するサンスクリット語を音写したことばです。仏教では、修行を終えて悟りを開いたにもかかわらず、現世の人びとに寄り添って幸福をもたらす超人とされ、とくに中国で厚い信仰を集めました

067阿弥陀三尊像_京都・清浄華院

 

数少ない現存する中国南宋仏画の中でも白眉とされる作品。身にまとう衣の筆線や、おぼろげな光背の表現など、独特の魅力に満ちています。絵そのものの魅力もさることながら、東アジア圏の仏教文化に大きな影響を与えた中国寧波(にんぽー)から輸入されたもので、仏教を通した東アジアの文化交流を考える上でも貴重な作品です。

106白糸威鎧_日御碕神社

 

本鎧は極めて精緻な製作で、ほぼ完存しており、形状や意匠からは鎌倉時代末のものと考えられる優品である。文化二年に松江城主松平不昧公が甲冑師寺本喜市に命じて修補させたが、陶磁の残片および修補仕様明細書を存し、新補部分を明瞭にするなど、その修理もまた巧妙で後世の範とすべきものがある

151三体白氏詩巻_大阪・正木美術館

 

唐の詩人「白居易(白楽天)」の詩21種を藤原行成が書き上げたものです

152詩懐紙 藤原佐理筆_香川県立ミュージアム

 

太政大臣であった祖父の実頼(さねより)が催した詩会の席で漢詩を詠んだのだ。二つに折りたたんで懐(ふところ)に納まるほどの大きさの紙に書かれたので「詩懐紙(しかいし)」と呼ばれる。詩会は安和2年(969)旧暦の3月14日、お題は水辺に咲く花と春の陽光のコラボレーションを詠う、というものだった

153白氏詩巻_東博

 

155書巻 藤原行成筆_京都・本能寺

 

平安時代後期、11世紀の古筆の遺品で、「本能寺切」(ほんのうじぎれ)と称して珍重される。料紙4枚を継いだ巻紙に小野篁、菅原道真、紀長谷雄(きのはせお)の3名の文章(漢文)を和様書法で書いた調度手本である

156伝藤原行成筆仮名消息_京都・鳩居堂

 

能書家として三蹟の一人にあげられ、書道・世尊寺流の祖。当代きっての能書家で、この書は「カナ文字」の手本とされている。

168栄花物語_九博

 

藤原道長の栄華を中心に描いた歴史物語『栄花物語』最古の写本。もと三条西家に伝来したもので、大型本10帖、枡型本7帖の2種を取り合わせて1部としている。両方とも奥書はないが、前者は鎌倉中期、後者は鎌倉初期の書写とみられる。

169法華経巻第六(色紙)金剛峯寺

 

色変わりの華麗な用紙に書かれた写経。12世紀の作

171藤原忠通書状案_京博

 

藤原忠通(1097〜1164)は、藤原忠実の子。摂政・関白を務め、太政大臣にまで昇った。和漢の学に通じ、詩集に『法性寺殿御集』、歌集に『多田民治集』がある。

172後鳥羽天皇宸翰御手印置文_水無瀬神宮

 

「宸翰」は天皇直筆の意。「置文」は遺言とほぼ同意。暦仁2年(1239年)、隠岐に流されていた後鳥羽上皇が崩御の13日前に書いた自筆の遺言状。文面には上皇の手印(手形)が鮮明に付されている。歴史上著名な天皇の宸翰としてきわめて貴重な史料である。

※ マンホールに博物館の刻印がありました

 

今回は日程があわず拝見できなかった国宝。図録からコピーだけさせてもらいました

140千手千眼陀羅尼経残巻(玄ム願経)京博

 

僧正玄ム(?〜746)が天平13年(741)7月15日の盂蘭盆会(うらぼんえ)の日に聖武天皇・元正太上天皇・光明皇后の聖寿無窮と皇太子ならびに諸親王、文武百官、天下兆民の忠孝と三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に沈淪する衆生の救済を願って『千手千眼陀羅尼経』1000巻を書写せしめたうちの1巻であり、現存するのはこの1巻のみである。

154白氏詩巻_大阪・正木美術館

 

唐の詩人「白居易(白楽天)」の詩21種を藤原行成が書き上げたもの

157古今和歌集巻第十九残巻(高野切本)東京・前田育徳会

 

高野切(こうやぎれ)は、平安時代後期、11世紀に書写された『古今和歌集』の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史、日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である

162万葉集 巻第九残巻(藍紙本)京博

 

藍で漉染めした料紙に書かれていることから「藍紙本」の名で呼ばれる『万葉集』の古写本。全紙にわたり銀の揉み箔を撒(ま)く。筆者は藤原行成の孫、藤原伊房(1030〜1096)とする説が有力

166源氏物語奥入 藤原定家筆

 

これは藤原定家による源氏物語の注釈本。「大橋本奥入」とよばれる

175搨王羲之書(孔侍中帖)東京・前田育徳会

 

王羲之(三〇三〜三六一)の尺蹟を内府において搨摸した摸本で、もとは巻子本であったが、現在は軸装に改められている。奈良時代に日本に将来され、東大寺に施入された王羲之帖の一つで、桓武天皇(七三七−八〇六)が借覧し、返却時に「延暦勅定」の朱文方印が押された。原本の渇筆や虫損部まで、きわめて精緻に写しとったもので、王羲之の書風を類推する上で最も信憑性の高い資料である

183墨蹟(易元吉画巻跋)東京・常盤山文庫

 

南省出身の文人で、海粟道人と号した。俗人でありながらその書が古来「墨蹟」として扱われているのは、中峰明本(1263-1323)や古林清茂(1262-1329)ら禅僧との交友が深かったことや、その堂々たる書体によるものと考えられる。

20171107 二条城    20171115 国宝展4     20171115 西本願寺