最初に欧州を訪れた日本人は?

1]本来ならば、ベルナルドが本命だが

最初に、欧州を訪れた日本人は、フランシスコ ザビエルが派遣した青年、ベルナルドと言われている。
日本名は不明で、ヤジロ−(池端弥次郎)の親戚であったとされている。

ヤジロ−(アンジロ−とも言われている)とは、鹿児島出身の武士であったが、人を斬ってしまった事から
良心に苛まれて、心の助けを求めていた。 そこで、以前から親交のあった、ポルトガル商人に相談
したところ、マラッカに良い神父さんがいるのでそこを訪ねる様にアドバイスを受けたことから、マラッカに
渡った。 その神父とは、フランシスコ ザビエルである。 
(ヤジロ−、ザビエルについては、フランシスコ ザビエルのペ−ジを参照。)

ザビエルは、ヤジロ−の賢さに驚き、日本へ行くことを決心する。(つまり、ヤジロ−に会わなかったら、
日本へ来ていなかったかも知れない。) 
だが、日本での教えは、中々浸透していかない。 言葉もできず、戦乱状態の日本では一向に
布教活動は進展しなかった。 その後、元琵琶法師であったロレンソの力により、かなりの成果を
上げるように迄なっていた。

そんな中で、ザビエルは日本人を2度にわたり海外へ派遣することを決める。
ベルナルドが派遣されたのは、第2陣の1551年の事であり(一陣は二人の仏教僧でありインドのゴア迄
行ったが、詳細は良くわからない)、一人だけがポルトガル迄たどり着いた。 彼はロ−マに迄赴き、
イエズス会の創始者のロヨラにも会っている。 しかし、病弱であったようで、間もなくポルトガルの
コインブラで亡くなってしまう。 彼は優れた人柄で、誰からにも愛され、大いに人々の賞賛を博した。
ベルナルドの墓は以前より不明であったが、最近、コインブラの大聖堂に眠っていることが判明した。



2]伝説の女性、”若狭”

この”若狭”という女性が、本当にヨ−ロッパへ渡ったかどうかは判らない。 あくまでも伝説の中での
女性であり、言い伝えの中で存在する。 

ポルトガル人は、1543年に種子島へ鉄砲を伝えた。(この鉄砲は、実はポルトガルで作られたもの
ではなく、マラッカで作られたようだ。) 当時の島主であった、種子島時堯は、鉄砲を譲り受け、
鍛冶職人であった、矢板金兵衛に同じものを作るように指示をした。

矢板金兵衛は、使命を受けて、コピ−品の製作に取り掛かるが、どうしても出来ない事が一つあった。
それは、”ねじ”であった。 筒の一つは塞ぎ、必要な時には開ける事が要求された。 と、いうのも、
火薬が、爆発のあとにそのカスが筒の内部にこびり付き、これをきれいに取り除かないと、不発、
暴発の原因になるからであった。 

どうしても、ねじ切ができない。。。
悩んだ末に、そのノウハウを教えてもらうために、金兵衛が取った手段は、なんと自分の娘を
ポルトガル人に差し出した。というのである。

これを伝えているのは、しかし、ポルトガル人が来てから60年余りも後のことであり、その記録は
種子島家の功績を讃える色合いが強いとされている為に、真実かどうかは怪しいとされている。 
また、他の資料には、これを伝えているものはなく、史実の裏づけが十分でない。 それ故に、若狭は
言い伝えの中での女性であるとの感が強い。ただ、金兵衛には、娘がいた事は確かであるようだ。

もし、若狭の言い伝えが本当であり、ポルトガル人が若さをポルトガルへ連れ帰ったとするならば、
鉄砲伝来がザビエルよりも時期的に早いのであるから、当然、ベルナルドよりも早く欧州へ
渡ったことになる。



3]で、どっち?

先に述べたように、どうも、若狭については、裏づけ資料が無い事から、単なる伝説の女かもしれない。
鉄砲を作るためのノウハウを得るために娘を差し出す。という、いわゆる、”人身御供”をしたという設定で
美談を意図的に作った。 と、考えるのが一般的のようだ。

しかしながら、遠く地球の裏からやってきた男は、総じて荒くれ者が多かったのではないか。と考え
られる。 従って、性欲を満たすために、行き着いた所で荒くれ男たちが女性を奪い去った事は十分に
考えられる事である。 第二、第三の若狭がいてもおかしくない。

歴史は、事実を下として語られるのであるが、「資料がないから。」とか、 「資料にはそんな事実は
書かれていない。」と言って、推測の出来事も本当にそれで全てを否定できるものではない。 

資料至上主義で考えるのであれば、ベルナルドになるが、若狭のような女性がいても、全く不思議
ではない。


完 

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