ヒマラヤトレッキング THE ANNAPURNA WAYS

| 何故 今頃? こんな大きな出来事なので帰国直後に書くはずだったのだけど帰国前日のカトマンズから風邪のような症状になり
帰国後もその状態が長引きとてもHP作成の気分には成れなかった。 二週間後位にようやく何時もの状態に戻ってみると あの大きかった感動がどこかへ飛んでしまった かの様に 作成の意欲が無くなってしまった。 二年半過ぎた今日この頃あの感動が湧き出しで来てヒマラヤトレッキングの感動を"山幸の山行記"の一ページに残していないことが悔やまれる様になって来た。 そこで遅まきながら思い出せる範囲で荒筋でも作成するべきだと思い出した。 全体計画はフーさん K2さん 現地ガイド ヒマラヤン・アクティビティーズ社 メインガイド プラベィシュ サブガイド ディネィシュ 他ポーター3名 | ||||||||||
| 行き先 | ヒマラヤ アンナプルナ・ベース・キャンプ・トレッキング |
| 登山方法 | 現地ガイド付き小屋泊 |
| 日 時 | 2014/10/15〜10/31 |
| コースタイム | 下記 |
| メンバー | フー K2 カエル ミズナラ コマクサ |
| 10/15 9:00 MKタクシーにて自宅発 12:00 関空集合 14:00 中国南方航空 CZ0390便 広州乗り継ぎ 22:15 カトマンズ空港 ホテル (泊) 10/16 9:00 カトマンズ空港〜10:50 ポカラ空港 YT677便 予定時刻になっても搭乗案内無く発時刻の電光掲示板のみ変更になっている。 12:00 ようやくフライト 搭乗機は双発のプロペラ機 便は予約だが座席は指定に為っていないようで ガイドのプラベィシュさんのアドバイスで右側の席を確保する。 雪を戴くヒマラヤの山並が見渡せる。 窓越しとは言え"世界の屋根"は圧巻だ。 ポカラ市内のホテルに直行 トレッキングに不要な荷物はホテル(850H)に預ける。 自分で持つ分とポーターに預ける分を分ける。 14:00 ホテルを後にいよいよトレッキングスタート。 ガイド プラさん手配の車で出発。 握りこぶし大の岩がゴロゴロする荒造りの道路を高度を 稼ぐ 17時過ぎようやく登山口(1490H)に到着。 いきなりの急登。 17時半 TIKHE DHUNGA 今夜のロッジ(1550H)に到着。 集落周辺のルートは石畳のよく手入れされている道だ。 歩行標高差 登り60m ![]() カエルさん提供 ポカラ行国内便 窓越から見るヒマラヤ山脈 10/17 7:30 TIKHE DHUNGA(1551H) のロッジ出発 途中集落のロッジ(2015H)で休憩ジンジャーティー 16時 GHOREPANI のロッジ到着(2835H) 歩行標高差 1285m ![]() 軒下にトウモロコシが備蓄されている いい雰囲気のルートを歩く 10/18 4:00 起床 4:30 ロッジ出発(2835H)御来光を観にPOON HILL(3200H)へ向かう。 昨日昼過ぎ頃から元気がなかったカエルさん朝もあまり元気 がないのでここで待機を進める。 マチャプチャレ ヒウンチュリ アンナプルナ アンナプルナ南峰 等7000メートル級の山並の大展望だ。 但しダウラギリは最初から最後まで雲を巻いており頂を拝む事は出来なかった。 9:00 ロッジ出発 11:20 コントデュラリ(3065H) ミルクティー 13:10 BANTHANTI(2645H) 14:40 吊橋(2505H) 15:30 ダダパニ ロッジ到着(2695H) 歩行標高差 登り累計785m 下り累計925m 吊橋を見て驚いた。 立派な造りだ。 日本の経済援助で作られているのだが余りにも頑丈に出来ている。 日本の国内なら細いワイヤーで出来ており 定員○○名と言う標識が出ている。 税金の無駄遣いか?と思ったがよく考えてみればここは"登山道"ではなく"生活道路"なのだ。 当然ながらあの"ラバの集団"も通る道だ。 集団で来たら止めようがないもんね。 それに耐えられるように出来ているんだ。 ![]() アンナプルナ南峰 ヒウンチュリ― マチャプチャレ 雲の巻いたダウラギリ 10/19 7:40 ロッジ(2695H)出発 10:30 吊橋(1900H) 11:20 KIMRONG KHOLA(1830H) 昼食 ロッジ到着 15:00 CHHOMRONG(2180H) ロッジ到着 途中北海道からのトレッカーに出会う。 今日のアップダウンは強烈だった。 急坂なので階段の段差が半端でない。 30〜40センチはあるだろう。延々と続く。気圧式高度計での計測だが 歩行標高差 登り350m 下り865m。 ![]() k2さん提供 遥か彼方の吊橋 ラバの行列と行き交うトレッカー 10/20 8:00 ロッジ出発(2180H) 8:30 吊橋(1865H) 昼食 ロッジ到着 直後にスコール 15:30 DOBANG ロッジ到着(2480H) カエルさん 頑張って午前中はリュック自身で担いでいる。 昨日まではPOON HILL(3200H)へ立ち寄る為の迂回ルートだった。 穏やかなメインルートから外れ山岳部に入っていた為あのような強烈なアップダウンが 有ったのだ。 今日はあまりアップダウンの無いルート歩行標高差 登り615m 下り315m 10/21 7:00 DOBANG ロッジ出発 (2480H) 11:40 DEURARI ロッジ到着(3100H) MBCの予定を変更 ここで宿泊 カエルさん 朝から空荷 この集落が最高度の生活圏 歩行標高差 登り750m ![]() いよいよ登山道らしく成って来た 荒々しいルートです 10/22 8:10 DEURARI ロッジ出発 カエルさん停滞 10:10 MBC到着(3700H) 12:30 ABC到着(4130H)。 マチャプチャレベースキャンプ3700m アンナプルナベースキャンプ4130m その間歩いて2時間半 その間は大平原だ。 その大平原にそびえる マチャプチャレ ヒウンチュリ アンナプルナ南峰 その麓を上り詰めていくとアンナプルナベースキャンプにたどり着く。 実に雄大だ。 遂に日本の最高峰富士山の標高を超える。 今まさに富士山頂より高い所にいるのだが 周りを見るとこの位置からさらに上へ 槍ヶ岳 穂高岳 北岳 富士山以上の高さの山が聳えている。 不思議な感覚だ!! 高さにマヒして仕舞って居るような! マチャプチャレもアンナプルナもすぐ登れてしまいそうに感じてしまう。 歩行標高差 登り900m 標高差2640mを登りきる 累積歩行標高差4745m マチャプチャレベースキャンプ k2さん提供 ABC到着"感動の瞬間" ![]() 観光飛行のウルトラライトプレーン k2さん提供 アンナプルナT峰のモルゲンロート 10/23 10:40 ロッジ出発 11:40 MBC 13:25 DEURARI 14:40 ヒマラヤホテル(2785H) 17:50 BAMBOO ロッジ到着(2335H) カエルさんいまだ元気が回復しないので話し合いの結果ヘリ要請することになった。 歩行標高差 下り1365m 10/24 10:30 ヘリ飛来 ヘリ空港でヒマラヤン・アクティビティーズ社の人が対応してくれるそうだ。 カエルさんを見送って我々も出発する 19:15 JHINU ロッジ到着(1760H) 歩行標高差 下り575m 10/25 朝から温泉入浴 18:40 TOLKA ロッジ到着(1785H) ガイド ポーター一緒に晩餐会を開く。粟の酒ロクシーを味わう。サブガイド ポーター とはここでお別れ 歩行標高差 登り25m 10/26 8:30 ロッジ出発 13:00 DHAMPUS(1650H) 歩行標高差 下り135m ![]() 山間部最終の集落DHAMPUS ダウラギリも最終で雲のベールを脱ぐ 10/27 DHAMPUS(1650H)発 専用車 観光 17:30 ポカラ 荷物を預けたホテルに到着 朝焼けのヒマラヤの山に別れを告げる。 10/28 10:30 ホテル発 13:10 ポカラ空港 U4-608便 11:30 カトマンズ空港 専用車 ナガルコット市内観光 雹に合う 一週間ぶりに元気な顔のカエルさんと会う。 ドクターの診察では"高山病"だったそうだ。 日本語の流暢な観光ガイド"パサン"の案内で全員で出掛ける。 空港からほど近い世界遺産パシュパティナート寺院 ネパール最大のヒンドゥー教寺院の様で火葬場があり 目の前で火葬される様子が見て取れる。 焼かれた後の遺灰はガンジス川の支流である横を流れるハグマティ川へ流される。 そして位の高い人ほど上流で火葬されるそうだ。 ![]() パシュパティナート寺院 聖なる川に流される遺灰 10/29 8:30 ホテル発 9:00 ハイキング 観光 カトマンズ ホテル 今日は2時間程のミニハイキングが組まれている。 総延長80km 累積歩行標高差4745m歩行後のクールダウンの為なのか。 丘陵地帯に広がるBhaktapur Cityを見渡せる丘の上のコースだ。 続いて寺院観光 観光ガイド"パサン"とはここでお別れ 10/30 日中は自由行動 20:00 空港向け出発 メインガイド プラベィシュ空港までの案内をしてくれる。 23:15 CZ3066便 中国南方航空 我々だけの自由行動の時間。 街中を歩いて見る。 街並みと言い 道路の状況と言い 走っている車と言いまるで昭和初期の我々の体験した光景其のままだ。 ![]() 乗合三輪バス 走るトラックと工事中の道路 町の店 三枚共カエルさん提供 10/31 13:00 関空到着 15:00 MKタクシー 16:00 城陽着 無事帰国したものの カトマンズ市内の空気(道路に散乱しているラバの糞の乾燥した埃なのかそれとも自動車の排ガスなのか)に遣られてしまった のか二週間にも及ぶ体調不良に陥ってしまった。 改めて書き留めてみるとヒマラヤ アンナプルナ・ベース・キャンプ・トレッキングがとてつもないコースだった事を思い知る。 特にPOON HILLへの 山岳コースを選んでなお一層凄いものになったようだ。 しかし 頑張った分それなりのご褒美があった。 朝日に輝く7000m級の山並 そしてそれを 観賞している3200mの朝の張り詰めた冷気 そう3200m 北岳の高度なんだ。 カエルさん 高山病で最後まで行けず残念な結果に終わってしまいましたが 最後に高度を上げず停滞したことは事態を悪化させる危険を回避できたのは 良い結果になったと思われる。 我々の帰国後 2015-4-25ネパール地震が発生している。 登山家野口健さんが『野口健ヒマラヤ大震災基金』を立ち上げ現地にテントを送る活動を始める。 山幸も少々だけれど基金に参加した。 思い出せば2013-6キナバル山に行った。 その後2015-6-4マレーシア地震が発生している。 これは我々が地震を呼んだのだろうか? 単なる偶然なのか? それとも運が良かったのか? 山幸にとっては 海外の山は全く考えていなかった。 言葉が全く話せないから!! 日本の山とは違うものがある。 それはそれなりに良いものだ。 また機会があれば行って見たいと思う。 ページトップへ トップページへ |