満たされていると言うこと


 人から聴いた、本で読んだ “あの一言が人生を変えた”という言葉をお持ちの方もいらっしゃると思います。ある人にとっては “著名人の有名な一言”だったかもしれませんし、ある人にとっては “言った人もそんなふうに捉えられるとは思ってもみなかった”一言かもしれません。
 僕の人生を変えた一言は あるSF短編で読んだ「『あなたは常に満たされていなさい』と言われそれからはずっと満たされていた」と言う一言です(注)。きっと、作者もそんな風に捉えられるとは思ってもいなかったと思います。
 僕はこの一言を読んだ時から「あぁ、そうか“満たされていない”と思うから 満たされていないのであって、“自分は満たされている”と思えれば満たされているんだ。」と思う様になったんです。


「満たされているとはロレックスをしてベンツを乗り回す事だ!」

と言っている人がいるとしましょう。この人に言わせると“江戸時代の人”は誰も満たされていなかった事になります。
おそらく、江戸時代には ロレックスの腕時計も無かったでしょうし、ベンツの高級車も無かった事でしょう。では、「江戸時代の人は誰も満たされていなかったか?」 と言うと そんなことはないはずです。江戸時代の人は江戸時代の人なりの方法で満たされていたのだと思います。
 ロレックスの腕時計もベンツの高級車もそれ自体が人の心を満たしている訳ではないのでしょう(中にはそう言う人もいらっしゃるかもしれませんが)。
結局のところ、自分が身につけたりしている物が 「他人を羨ましがらせている」と思う事がその人を「満たしている」のでしょう。
 もっとも、江戸時代の人も、身に付ける物、住居や遊びなどで 他人を羨ましがらせる事で満たされていたのでしょうけどね。


つまり、「自分は満たされている」と思う事が出来れば

その人はきっと満たされているのでしょう。ある人は「普通に生活していく事が出来ればそれで満たされている」と思う事が出来るでしょうし、ある人は「一生かかっても使いきれない程の資産を持っていても満たされていない」と思うことでしょう。
 人は 他人と比較する事で「自分は満たされている」と思いたいのだと思います。それがもっとも簡単な方法なんだと思います
しかし、人の欲と言うものにはキリがありません。一つ欲求が満たされれば「もっと、もっと」となって際限なく高級な物、高価な物を求めてしまう事でしょう。
 ところが、他人を上回る事で満たされようとすると際限なく富を求め続けなければ為りません。世界一の富豪に成らない限り上には上がいます。


他人に迷惑をかけない程度の欲は人を前進させる力になります

 しかし、度が過ぎて自分の欲のためには他人を押し退けてもいいと思う様になるといろいろと問題が出てきます。もしかしたら 回り回って問題が自分に降りかかってくるかもしれません。
 「吾唯 足るを知る」とはこう言うことじゃないかと思う 今日この頃です。



2017/12/23



(注)
すみません。おぼろげな記憶を頼りに書いているので 本に書かれていたそのままではありません。 また、出典もちゃんと示すべきなんですけど、短編のタイトル、著者の名前も覚えていないので示す事が出来ません。  確か海外のSF短編で 中世のヨーロッパ、バイキング暴れまわっていた時代、ある修道院を舞台に 修道女として暮らしていた宇宙人とも怪物とも言える超人的な存在がその能力を覚醒させ去って行こうとする時の語り手の少年に対する一言です。



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