安心感と手抜き
人は本能的に安心感を求めているのでしょう。
それはいいのです。でも、人は安心感を持ってしまうと安楽な方向、快楽を求める方向へと走ってしまうものなのです。
この“安心感”というのが問題なのです。“安心感が得られる”のであればいいのであって“本当に安心できる物”でなくてもいいのです。
「みんながそうしてるから」「今まで、うまくいっていたから」「それがセオリーだから」そんな事でも“安心感”は得られてしまうのです。
人間の脳は手抜きしようとしている
脳科学の澤口俊之先生がNHKの情報番組「所さん!大変ですよ」の中でおっしゃていました。(先生の話された言葉そのままでは無いのですが僕はその様に受け取りました)。
これを聞いて僕はなるほどと思いました。先に話しました“安心感” それが得られるならば人は楽な方法を選びがちなのだと思い至ったのです。
社会のいろいろな問題も「安心感と手抜き」を念頭に考えれば理解できると思うのです
「スマホを操作しながらの自動車の運転」「従業員に無理な労働を強いる経営者」「ルールに従わない若者」などなど。
安心感を得てしまう、つまり危機感が無いと短絡的に安楽な方法、快楽を得られる行動に走ってしまうのです。
そうしない人もいます
経験豊富な人、いろいろな事柄を知っている人、物事をよく考える人は先を予測して危機を感じ 労を厭わず本当に安心できる物を求めようとするのだと思うのです。
「みんながしていること」も「今までうまくいってること」も「昔からのセオリー」も もしかしたらそれでいいのかもしれません。でも、それは“本当に安心できる物”なのでしょうか?
“手を抜く人”と“安心感が得られない人”が別な場合、問題は解決しなくなります
「荒れる学校」も「不景気」も「世界の情勢不安」も“安心感と手抜き”を念頭に考えれば見えてくる物があると思うのです。
自分が強い立場にあると考える人が安心、快楽、利益を得ようとする時、弱い立場の人が不安、不満を感じていてもそれは 強い立場の人には伝わらない。いえ、聞こうとしない。強い立場の人は弱い立場の人の声など無視するのが一番の手抜きの方法だから。そして、それは「みんながしているから」「セオリーだから」と言ってしまえば安心感は得られてしまうのです。
「
下請け企業に無理な値引きを要求する大企業」も「誤爆の危険も顧みずテロリストに空爆で対応しようとする欧米諸国」も「手を抜いても安心感を得てしまっている」からそのような行動ができるのだと思うのです。
でも、「
下請け企業の従業員さんが“物”を買わなくなるかもしれない」「誤爆に巻き込まれた普通に生活していた人が新たなテロリストになるかもしれない」と危機感を持てばそれらの人々の行動もまた違ったものになると思うのです。
どうすれば本当に安心できるものを得られるでしょう
だから、その考え方が手抜きなんだってば!! 単純にここをこうすればいいとか、この線だけを守っていればいいだとかそんなものは無いのです。
とりあえず、その時考えられる良さそうなものを選んでおいて これで良いのかと様子を見ながら修正したり 時には後戻りしたりしてより良さそうなものに近づけていく。そんな風にするのが良いと僕は思うのです。
2016/08/18