そんなに、“波風”とは立ててはいけないモノなのでしょうか?


 今の日本ではとかく『“波風”とは立ててはいけないモノである』という風潮がありますね。でも それで良いのでしょうか?  いえ、『“波風”を立てる』のを目的に騒ぎ立てるのは良くないですよ。でも、何でもかんでも「波風を立ててはいけない」と言っていると『今そこにある問題を放っておく』事になってしまわないですかね?
 そして、後で『より大きくなってしまった問題』に対処しなければいけなくなるかも知れないと思うのです。


結局、ヒトは面倒な事が嫌いなんです……

それ自体は本能の様なもので仕方のない事だと思います。わざわざ 今、目の前にある事柄全てを難しく考える必要は無いです。
 でも、たまたま誰かが「あれっ、コレってこう言う問題があるんじゃ無いですか。」と気付いて それを言っているだけなのに、それまで『波風を起こした』と止めてしまうと「確かにそうかも知れない」とか「いや、それはこう言う解決法がある」、「ああ、そんな問題があったのかよく調べてみよう」と言ってくれる人にまで伝わらなくなってしまうと思うのです。


今、目の前にある問題の一番簡単な解決法は……

『ソレを気にしない』事です。いえ、それは“解決法”ではないんですけど頭を悩ませる必要は無くなります。
 でも、“人はそれぞれ”で同じモノを見ていても『重大な問題だ』と、感じる人もいれば、『それの何が問題だ』としか感じない人もいますよね。 人とはラクな事があれば簡単に流されていってしまうモノです。 「そんなの気にする必要ない」とか、「普通はそれで問題無い」とか言われれば、それで済ませてしまいたいモノなんです。

 『気にする必要があるかもしれない』と気が付いた人に『気にする必要がない理由』や『問題にする必要がない理由』を説明できるならそれでも良いでしょう。 でも、現実には『“波風”を起こした』と力ずくで黙らせてしまっている事が多いのではないでしょうか?。


以前、自動車の部品を作る工場で働いていた時……

僕が担当していた作業はノルマに計上されないからと、後回しにされて月末に出荷期限に追われながら作業すると言う事がずっと続いて、居た堪れなくなって 「そんなに、オレの仕事を後回しにするんやったら、仕事が遅れた分は、アンタがやれヤ」と、上司に噛み付いた時、年配の同僚が「それは、言うたらアカンねん。」とか言われましたけど、 この方には僕が『波風を起こしている』としか見えていなかったんでしょうね。
 僕の抱えていた状況も確かめられもせず、只々「上司に文句を言ってはいけない」なんて言われたら、僕は困難な状況を何処に訴えれば良かった良かったんでしょうね?
 一体、どうしてあのような状況になっていたのか、今でも疑問に思っています。(いえ、本当は大体の想像はついています…… )   製造メーカーが『納期を守れないかもしれない』という状況が常に続いているというのは かなり重大な問題のはずですよね。
 重大な問題が起きているかも知れないのにその原因を確かめもせずに『波風を起こしている』と、問題そのものに向き合わず『波風を力尽くで押さえ込む』のは手抜きの安心感でしかないですね


“波風”を立ててでも……

言わなければいけない事柄があって、論理的に理路整然と説明できるなら それ自体は決して“悪い事”では無いのではないでしょうか。
 それは波風を立てることが問題なのではなく、『そこに実際に問題がある事』、あるいは『論理的に述べられている意見を“波風だ”と感じる事』、が問題なのではないでしょうか?

 無意味な波風を起こすのは良くないと思います。しかし、『今、世間で言われている事』に疑問を持つのなら、そして理路整然とその問題点や解決法を述べるのすら『波風を起こした』と言われるのなら、『波風を起こしたと言われる事』を恐るべきでは無いと思います。



2022/09/22



近況報告


 この文章は朝日新聞のコラム『折々の言葉』の2021年2月の休載のお知らせを読んで書き始めて、「お元気になられて また素敵な言葉をご紹介いただけることを心待ちにしています。」と締め括るつもりだったのですが、いや~、のたのたと書けずにいる間に随分時間が経ってしまいました。
 本当は2,3ヶ月後にはほぼ書けていたんですけど、最後の締の部分でまとまらなくて先延ばしになっていました。
 その間に先に書きたい事が出てきて そちらを先にしたりで……

 正直、この2,3年頭がスッキリしない状況で、夢遊病者の様に…… とは言わないまでも、それに近い状態でした。
さらに、母の入院で色々あったりと、本当にギリギリの状態でした。
 『確かにこの2,3年、生きてきた』という記憶はあるんですけど、「じゃ何をして来たんだ」と聞かれても答えられないというか……

 新聞なんかは、小さなコラムなんかは読み通せても、一面丸々という様な記事は読み通せないでいました。 集中力が保てないというか、想像力が働かないと言うか……    だから「いずれ読もう」と思ってとりあえずスクラップしてあるのが 2、3年分も溜まってしまいました。

 最近、少し余裕が出てきたと言うか、そうであって欲しいと思いたいと言うか……
ぼちぼちと書き進めようと思っています。
 
 遅くなりましたが、『折々の言葉』再開、喜んでいます。また、興味深い言葉をご紹介ください。



尚、僕が日頃「朝日新聞、朝日新聞」と書いているのは……

たまたま家で取っているのが朝日新聞で、読んだ記事の出典元を明らかにしているだけです。特段の思い入れがある訳ではありません。 読んだからといって記事の内容をそのまま受け入れている訳でも、共感している訳でもありません。
 でも、家庭面とか教育面とかで「いい取材をされているな。また、こんな記事を読みたいな。」と思う事があるのです。もっとも、それは他紙でも同じでしょうけどね……



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