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第3部 射影幾何から双曲幾何へ

Ch.48 射影幾何 (5)

  双曲幾何のモデルがどこから生れたのかについて、その根底を探ってきています。 ここでは、歴史的な順にからめての話へと入って行くのですが、その途上またも奇怪な空想力を試されることになります。


  Fig.1をご覧ください。
  [1]: 実軸(R-axis)と虚軸(-axis)からなる平面、いわゆるガウス平面(Gaussian plane)に直線を引きます。 この直線上の点は、a,bが同符号であるすべての複素数 a + b (ab) に対応しているので、複素数の数直線と考えることができます。 ふつう、複素数には大小がありません。 しかし、直線では、その原点Oからの距離(複素数の絶対値)を大小の基準にとることができます。 それでこの直線を複素数直線(complex number line)とでも呼べるものとしたいのですが、それだけではガウス平面の第2象限と第4象限内の複素数をカバーすることができません。
  [2]: そこで、1本の直線で複素数直線なるものを考えます。 この直線上の点は、複素数と1対1で対応しています。 複素数に大小はありませんが、それでも1対1で対応していると思ってください。 思うなどという心情的な ---- それでも数学! これは、射影幾何では無謀なことではありません。 たとえば、実部だけをとって並べておき、虚部はそれぞれの点にくっついているとします。 そして、実部が同じで虚部が異なる複素数は、そこに姿なく積み上げておくのだと思います。 図は、複素数直線上の点が複素平面の機能を備えているとした仮想です。



  Fig.2は、複素数直線を座標軸とした虚球面です。 周囲に添えた平面は、それぞれの座標軸がもっている複素機能を表わしています。 矢印の向きには意味がありません。
こんな風に虚球面を描くことはできますが、図として使い物になりそうにもありませんね。


  Fig.2'をご覧ください。
虚元素とよばれるものがあります。 平面上で、X = x + x',  Y = y + y' からなる複素数の組(X, Y)と1対1で対応する点を考えることができます。 そのような点をそのまま描くことはできません。 しかし、複素数としてではなく、実数か虚数だけの組、あるいは虚と実の組なら描けます。
  図は、それを表現したものです。 マルを点だと想ってください。 ピンク色が虚数要素で、緑色が実数要素です。 左上のような複素数の組の点では描けませんが、黄色い地色をつけた座標平面のように虚実をえらぶと描けます。 複素数の組(X, Y)から (x,y), (x,y'), (x',y), (x',y') と4つの組み合わせがとれます。 具体的に描かなくても、このように考えることで、かなりイメージできます。
  虚元素とは、実数を座標とする平面上で取り扱われた問題のなかの虚数の量だといわれています。

  Fig.3をご覧ください。
  [1]: いま、回転双曲面上の点P(x,y,z)が上の方へ限りなく登って行っています。 そこでのx,y,zの関係は ではなくて、円錐面 に密着しようと


の状態になっています。 円板上の対応する点Q(x,y)を見ると、

です。
  [2]: ついに、点Pが無限に上の方へ仮に登りつめたとします。 すると、点P(x,y,z)の座標は


であり、点Q(x,y)の座標は

になっているはずです。 円板上の同次座標(, , )は、回転双曲面上の非同次座標と同じですから、式(1')は

と表わせます。
ここで奇妙なことになります。 これは円板の周においてのことで、そこは内部から見て無限遠()ですから、

という連立方程式になっています。 これを解くと、

となります。 つまり、円板上の同次座標(, , )に複素数もゆるすことにすれば、2つの虚の点


が現れます。 これは、虚円点とよばれています。 虚円点は、先にいった虚元素の一つです。 複素数の同次座標なんて、とても私たちの手には負えません。 でも、複素数といっても、いま関連するところだけなら、空想力でいけそうです。


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  1639年頃、デザルグは
      直線は、中心が無限遠にある半径無限大の円である。
      直線は、無限遠において自分自身と再会する。
      平行線は、無限遠に交点をもつ。
と考えました。
この無限遠の考え方は、例にもれず、世間からは注目されませんでしたが、後年、16才のパスカルが評価しました。

  1822年、ポンスレ―は射影幾何をつくりました。
彼は、史上はじめてユークリッド幾何の呪縛から(具体的に)脱した人です。 そして、連続の原理という考え方を唱えました。 それは、一例でいえば、次のようなものです。

  Fig.4のように、円や楕円は交わることもあれば交わらないこともあります。 楕円が他の楕円と交わると、交点が4つできる場合があります。 交わるのが円と円のときは、交点が2つできます。 ところが、ポンスレ―は「どんな2つの円も、つねに4つの交点で交わっている」というのです。 それなら、円を楕円と区別することなく公平ですし、交わるとか交わらないといった不連続もありません。 円が2つあれば、どんなに離れていても、いつも交わっているのです!
どういうことでしようか。 それは、上に出てきた虚円点です。

  すべての円は、虚でも実でも同次座標で


と書けます。 これと無限遠直線

との交点(式(3)と(4)を連立させた解)は、虚円点 になります。 この解は、円の位置や半径に依存しません。 半径ゼロの点円であってもよいのです。
この虚円点は、現実の円の(実数の)円周上に交点として存在するものではありません。 私たちには見えないけれども、姿を変えた円が無限遠直線上にある虚円点で交わっているのです。

  Fig.5は、あらゆる円が虚円点を通っているイラストです。 見えない虚の世界を写したレントゲン写真のようなものです。 円を点線で描いているのは、円自体はじっとしているのですけれども、虚の点を通っていることを表わすための仮想です。 赤い線は無限遠直線です。 なにか虚円点から磁力線がでているみたいですね。


  つぎに、上の円(3)を非同次座標で書き、もう一つの円と連立させて


として、2式(文字はすべて実数)を引き算すると、


となります。 これは、2つの円の交点を通る直線です。 交点は、たとえば式(7)をyについて解き、式(5)か(6)に代入すれば、得られます。

  Fig.6をご覧下さい。 2つの円を離合してみます。
  [1]: 2つの円が交わっています。 交点を通っている赤と緑の線が、式(7)の直線です。 その赤い部分が共通弦です。
  [2]: 円が内接しあっています。 交点は1つ(重複)しかありませんが、それでも交点を通る直線が式(7)から定まります。 その直線の傾きは、[1]のと同じです。
  [3]: 円が外接しあっています。 [2]と同様な状況になっています。
  [4]: 小さい円が大きい円の内部に入りました。 交点は複素数です。 それでも、虚の交点を通る(実数の)直線が式(7)から定まります。 その赤い部分は、虚の交点にまたがっていますが、実の線分です。 それは、2円の共通弦とよんでもよいでしよう。 ただし、交点としては複素数ですから、それを見るときは、画面をガウス平面だと思ってください。 交点の座標が a + b だとすると、(実数の)直線上のそれに対応する点は (a, b) です。 虚の交点と交点の間の距離(共通弦の長さ)は複素数の差の絶対値ですから、その距離は実数です。
  [5]: 2つの円が少し離れています。 その間を直線(7)が通っています。 交点と直線(7)との状況は、[4]と同じです。
  [6]: 小さい円が大きい円の内部に深く入っています。 そして、直線(7)は2つの円からさらに離れ、2つの虚の交点の間が大きくなっています。
  [7]: 2つの円を大きく引き離したところです。 このときも、虚の交点の間が大きくなっています。
  [8]: 小さい円と大きい円が同心円(concentric circles)になった場合です。 このとき、直線(7)は無限の彼方へと飛び去っていますし、虚の交点の間の距離は無限大になっています(1/0 = の考え)。

  これらの図で見ると、円と円との交点は虚の交点を含めても、2つしかありません。 しかし、この2つに加えて、Fig.5の2つの虚円点を数に入れると、つねに4つになるというわけです。


  平行線では次のようになります。 平行な2直線を同次座標で

としますと、この連立方程式の解は、有限なところ にはありませんが、無限遠 でなら、

と書けて、解

があります。 これは符号を換えて

としても同じですから、どんな2直線も1点で交わることになります。
そして、左右に伸びている直線は、どちらの側も無限遠に達し(達するのですよ!)、自分自身と出会います。 つまり、ループになっているのです。

  虚直線(虚の直線)についてはどうでしようか。
虚直線は点円から生まれます。 中心が点(a, b)で半径が0の円は


です。 文字a,b,x,yは実数です。 ゼロ以外の実数cをつかって中心(a, b)を同次座標で(a, b, c)とし、x,yも同次座標(, , )で表わすと、点円は
です。 因数分解すると、
となって、2本の虚直線

が現れます。 つまり、この虚直線は点(a, b, c)で交わっています。
そして、これらと無限遠直線 との交点は虚円点で、それぞれ , となっています。 したがって、すべての実の点は、2つの虚円点を通る虚直線でもあるといえます。 なんと奇々怪々!

さらに不思議なことには、この虚直線上の任意の2点間の距離はゼロです。 実際、式(8)は点(, , )が虚直線上のどこにあっても、そこから点(a, b, c)までの距離がゼロであることを表わしています。 それで、この虚直線は極小直線とよばれています。
Fig.7は、見えない虚の世界にある無数の点とそこを通っている虚の直線のいくつかを空想レントゲン写真に写し出したものです。 水色のスポットが虚円点で、ピンクのスポットが射影平面上にある実の点です。 図ではピンクのスポットを通って虚円点に至るところまでしか描いていませんが、実際の虚直線は虚円点を通過しており、やはりループになっています。 それでいて、虚直線上の任意の2点間の距離はゼロ! 距離はゼロなら、くっついていると考えるのは常識すぎるのかな? なにか、数式ゲームをしているみたいですね。 でも、この一連の話にはスジが通っています。

  しばしば "通る" という言葉をつかっています。 それは、何か軌道のようなものがあって、その軌道に沿ってあるところを通過するような語感をうけますね。 しかし、 "通る" といっても、そんな語感にあった図形は描けなくて、たんに代数的にある共有点もつことを指している場合であることにも気遣っておかねばなりません。

  ポンスレ―の「図形と図形の関係に例外はなく、すべて連続的である」という考えでは、すべての2直線は交わります。 双曲幾何の交わりもせず平行でもない超平行といったものはありません。 なにかこう、双曲幾何をこえている気がしますね。 これは、ロバチェフスキーより前のことです。 ポンスレ―は無限遠を(定義ではなく)規定してすすめましたが、ロバチェフスキーは無限遠そのものには触れませんでした。

  ちょっと注意しておいてください。 無限遠直線というときに、それが実際に無限に遠いところのものを指す場合と、そうとみなしたものを指す場合があります。 前者をユークリド無限遠直線などといいます。 後者ではさらに、円板モデルの円周を無限遠直線と解釈しているときがあります。 ポンスレ―がいっている無限遠直線は、むろん射影幾何での“みなした”ものです。 しかし、それがユークリド無限遠直線にあまりにも迫真的なので、勘違いしがちです。 空想力をはたらかせるときは、つい、真の無限遠を想ってしまいますね。
ユークリド無限遠直線といっても、無限に遠いところにそんな直線が実在するわけではありません。 何かが在れば、その先をいうことができるので、無限に遠いところではないことになります。 それでは、無限に遠いところにはなにも無いのかと問われると、返答に窮します。 いや、これは何度も繰り返した議論です。

  1847年、フォン・スタウトは、ユークリッド的長さを用いないで複比を定義して、射影幾何らしい射影幾何を完成しました。
私たちは、射影幾何の断片と空想力で双曲幾何へたどり着きました。 しかし、本来の射影幾何は、複比をユークリッド的長さで定義するといった中途半端なものではありません。 複比の定義は、これまでの直線の射影図を見ると、長さによらないのが至当だと思えます。 そもそも、射影幾何には長さなんてどこにもないのですから。

  1853年、ラゲールは角を複比で表す方法を発見しました。 19才で!

  Fig.8をご覧ください。
  [1]: 2直線,mと交点Pだけでは、角を複比で測ることができません。 複比を計算するには4点が要ります。
  [2]: 点Pの虚直線I,Jは、それぞれ赤いスポットの虚円点 , を通っています。 それらの傾きは と - で、図での開きは直角です。
  [3]: ラゲールは虚直線I,Jを利用したのです。 それは、2直線,mの交角は、4直線,m,I,Jの複比
をつかって、

と書かれるものです。 これで、直線,mだけで、角を複比で表せることになりました。
と対数が現れているので、ちょっと神秘的に見えますね。 でも、複比を


と虚実に分けてみると、
となっているので、

と、ぐわいよく がキャンセルされて、実数の角が得られるのがわかります。

  Fig.9をご覧ください。
  [1]: 角がわかれば、円弧の長さrをいうことができます。
  [2]: 大円の長さもわかります。 そして、それを平面に射影してできる線分の長さもいうことができます。 (楕円幾何なら、rがをそのまま平面上の線分の長さになります。)


  1860年頃、ケ―リ―は円板内部の角や距離を複比で表わす公式をつくりました。 しかし彼は、それが双曲幾何と関連することに気付かなかったとか。

  Fig.10をご覧ください。
2直線,mの交点Pが円の内部にあります。 点線s,tは、この点Pを通る円の虚接線(虚の直線)の仮想です。 2本の虚接線s,tと2(実)直線,mの複比から、ラゲ―ルの公式と同じ形の式


ができて、交角が得られます。 この角は、クラインの円板の双曲的角になっています。
虚とはいえ、円の接線が円の内部を通るなんて驚きですね。 どうなっているのでしようか?

  Fig.11をご覧ください。 円の実と虚の接線のからみぐわいを見ていきます。
は、点Pが円Oの外部にある場合です。 点Pから赤い2本の接線が引かれています。 黒いスポットは接点です。 緑色の直線cは2つの接点を通っています。 射影幾何では、この直線cを極線、点Pをとよんでいます。
は、極Pを円の近くへもってきたところです。 2本の接線が大きく開いていて、極線が円周をかすかに切っています。
は、極Pが円周上にきたときです。 2本の接線が一直線になり、極線と重なっています。
は、逆に極Pを無限の彼方へ追いやった場合です。 2本の接線が平行線になっています。 そして、極線が円の中心を通っています。
は、極Pをから円の内部へ突っ込んだ場合です。 極線が円から離れています。 極線は、極Pが円の内部にあっても、実の直線です。赤い接線は消えて、灰色の虚接線が現れました。 虚接線を見るときは、ガウス平面だと思って見てください。 ただし、観念的に描いた仮想です。 接点(x,y)を計算してみると、xもyも複素数になります。 とうてい描けません。 この複素接点(x,y)のx,yの実部だけをとって点としてみると、それは原点Oから点Pを通った直線が極線を切るところの黒いスポットの点P'になります。 それを挟んでいる2つの黒いスポットは、虚接点のつもりです。
は、極Pをさらに内部へと動かしてみたものです。 極線が遠ざかっていきます。 2本の虚接線の広がりは、小さくなるだらうと想像して描いてあります。
は、点Pを円の中心に置いた場合です。 極線が無限の彼方へと退いてしまって、無限遠直線と重なっています。 虚接線は、円の中心から直角に伸びているものと仮想して描いています。 その2本の虚接線は虚円点I,Jを通ります。 そこには、すべての円は虚円点を通るという円を点線で描いてあります。 この様子を「虚円点I,Jにおける(虚)接線は円の中心を通る」と表現されています。

  虚円点という奴は見えないので困ります。 そこで、y(実数)成分をyに書き変えます。 すると、虚円点は、() = -1 になり

(1, , 0) (1, 1, 0)
(1, -, 0) (1, -1, 0)

と、実の点になります。 これはトリックなので、できたものを擬ユークリッド空間とよんでいます。 ニセモノですが、虚の世界を推察するうえでなかなか有効な手段です。 しかし、“擬”ですので、ふつうのピタゴラスの定理は成り立ちません。
  2点(x,y),(a,b)間の距離は、(bもbに書きかえて)


となります。 そして、(a,b)を中心とする半径rの円は

と表わされます。 この式は、ふつうに見ると双曲線です。 その漸近線は

つまり、2直線

です。 この漸近線上のすべての点は、点(a,b)からの距離がゼロです。 ですから、漸近線は、実の直線ですけれども、極小直線だといえます。 話しの順は、上でいった虚の極小直線と同じです。


  Fig.12をご覧ください。
  [1]: 点(a,b)を原点Oにとって、これは双曲線である円(9)を描いたものです。 この平面上の任意の点(x,y)の原点Oからの距離は、 です。 その距離は、漸近線上ではゼロになり、灰色のところでは(点(x,y)は実ですけれども距離としては)虚数になります。 そして、原点Oからの等距離線が双曲線になっています。 双曲線を2直線,mが切っているところでは、Op = Op' であり、pq = p'q' です。
  [2]: 原点Oから一定のユ―クリッド的距離にある点の軌跡は円ですが、その円の円周を原点Oから擬ユ―クリッド的長さで測ってみました。 四つ葉形の曲線は、得た値を動径の先端とした軌跡です。 ふつうの円は、擬ユークリッド平面ではこのような四つ葉になるということです。 距離は実数ですが、灰色の葉のところの距離は虚数です。
  [3]: 2直線,mの間の角は、ラゲ―ルの公式(9)を擬ユークリッド平面用に変えたもので得ることができます。 を1に変えて、

とするのです。 この場合、得られる角は、ふつうの角ではなくて、双曲線関数の角(パラメータ)です。
  [4]: 双曲線関数の角は、漸近線のところへくると無限大になります。 それは、双曲線の先端が無限遠へいってしまったときのことです。 これは、双曲線をふつうの双曲線とみてのことです。 距離は で測るのですから、漸近線はあくまで極小直線です。 そして、原点から双曲線までの距離は一定です。 つまり、円(10)です。 直線やmを漸近線をこえて[1]の灰色のところへ引くことはできません。 Fig.8の[3]では直線が漸近線をこえているように見えますが、そこにある点線の直線Iは虚直線です。
これで少しは、虚円点の魔性が味わえました。 本来の虚円点にもどるために擬ユークリッド空間から帰ってもよいし、場合によっては擬ユークリッド空間にこのまま居座ってもよいでしよう。 あの双曲回転面モデルは、擬ユークリッド空間の中で育ったものともいえますね。 ラゲ―ルの公式と虚円点のことはこれでよいとしましよう。 ケーリーの角の公式では、虚接線が極小直線ということになります。 (ケーリーの角の公式を擬ユークリッド空間の図に描くには、無理がありそうです。)


  ケ―リ―は距離の公式もつくりました。 その公式は、前にも書いた
です。 これには がありません。 あったものが消えたのではなく、はじめからないのです。 (SPQT)は実数からなる複比ですから。

  Fig.13をご覧ください。
  [1]: 円は、絶対円(実円)で、クライン円板の円です。 上の式(11)で測った赤い線分の長さd(PQ)は、双曲幾何での距離になっています。
  [2]: 線分PQをあちらこちらと動かしてみたものです。 長くなったり短くなったりして見えますが、すべて同じ長さです。 線分を延長して、[1]のように点S,Tをとって複比で見れば、どれも同じ値だからです。



  Fig.14をご覧ください。
無限に広がったふつうの平面に1本の直線を引きます。 その直線上の点を線分を乗せる直線の一端にします。 そして、一定の複比となる赤い線分をいくつか描いてみました。 たしかに複比は定まっていて、一定ですから、赤い線分はすべて合同だといってよいでしようか? それに答えるには、まず何をもって合同というかを決めておかねばなりません。 この平面ではそれが定められていないので、答えることができません。 ポアンカレの上半平面が思い浮かびますが、それとも違います。


  Fig.15をご覧ください。 合同って何か、もう一度見てみます。
  [1]: 2つの図形A,Bがぴったり重ね合わされるとき、それらを合同といいますが、重ね合わせるには図形を動かさねばなりません。 ユークリッド幾何では、図形は動かしても大きさも形も変わらないことを(公理以前の)前提にしています。 そうすると、丸いAと四角なBは合同ではありません。 しかし、もし丸いAと四角なBが、重ね合わせようとするときに、同じ虚円大きさと形の三角形にでもなるとしたら、合同だということになります。
  [2]: 動かせないものの場合は、それぞれの寸法を測ってくらべます。 しかし、物差しや測り方が異なるときは、小さなカップBが大きなカップAよりも大きいといったようなことがおこります。


  Fig.16をご覧ください。
  [1]: 双曲幾何のモデルにしようとしている円の上に、点Oを通る線束a,b,c,dに図のようにとった赤い線分を重ねて描いたものです。 これらの赤い線分は、それが乗っている直線と線束との4つの交点の複比がすべて同じですから、射影的に見て合同です。 しかし、明らかに円板モデル上での合同な線分とするわけにはいきません。 モデルとする円板では、点や図形はその内部でだけ動くことができるのです。 そのように動かし方を制限したのが射影変換につけられた条件でした。 それが「円を固定する」と表現されていたものですね。 上半平面での一次変換にも対応する条件が付けられていました。
  [2]: モデル円板に弦abをはって、それに一定の複比となる赤い線分の一端をそろえて並べたものです。 赤い線分の乗っている弦と弦abとがユークリッド的に直交しています。 緑色の曲線は線分の右端をなぞったものです。 曲線の形は、円でも楕円でもありません。
  [3]: こんどは、双曲的に弦abと直交するように線分をならべました。 線分の右端をなぞった緑色の曲線は、何度も描いた等距離線で、楕円の弧です。 点が極で、直線Oa,Obが接線、弦abが極線となっています。

  このように、ケ―リ―の式(11)は、円の内部だけに適用されるものです。 他のモデルとの関連は省きますが、要するに何でもかでも、複比が同じなら合同だというのではないということです。 言い方をかえると、ケ―リ―の式(11)は条件付です。 彼の角の公式も、Fig.10で見るように、円の内部だけに適用されるものです。 それに対してラゲ―ルの角の公式(9)には、何も条件が付いていません。 弦の両端に相当するものが虚円点です。 そして、得られる角はユークリッド角です。 (ヒルベルトによれば、円でなくても凹んだところのない領域なら距離をうまく定義できるそうです。)


  Fig.17をご覧ください。
射影を利用した作図によって双曲的長さの目盛りをつくりす。
  [1]: 円の弦STをきざみます。 右の方へ点Aからきざんで行きます。 はじめに、2点A,Bを弦ST上にとります。 点Aは、端点S,T以外の弦の上ならどこでもよいのですが、左の方も対称的にきざみたいので、図では弦STの中点をとっています。 そして、直線ST上以外の任意の点(円の外側でもよい)から点S,A,Bに直線を引きます。 つぎに、直線S上の点S,以外の任意のところに点M(円の外側でもよい)をとって、直線MTを引きます。 直線MTと直線Aとの交点をU、直線Bとの交点をVとします。
  そうしておいて、2つの点U,Vを弦ST上へ射影していきます。 つまり、4点M,U,V,Tを射影するのです。 緑色の直線のように点Bから点Uを通る直線が線分Sと交わる点をとして、そこで折り返して赤い直線のように点Vを通って、VCを引きます。
同様につづけて、C-U--V-D と点Dを得ます。 あとは同じことの繰り返しです。 しかしこのきざみは、けっして終わることはありません。
  さて、こうしてきざんだ点は、複比として

(STAB) = (STBC) = (STCD) = = (MTUV)

となっています。 S,T,A,Bの順序を変えた複比でも同様です。 ですから、双曲的距離も d(AB) = d(BC) = d(CD) = です。 つまり、双曲的物差しの出来上がりです。 (対数目盛りのように見えますが、そうではありません。)
図では、点Aを弦STの中点にとっています。 というのは、点Aを適当なところにとったとき、左右どちらの方へキザんで行っても弦STの端へ行くほどキザミ巾が小さくなるからです。 点Aを弦STの中点に選んでおくと、きれいな左右対称なキザミになります。
  [2]: この物差しを弦STとは異なる大きさの弦S'T'のところでつかうには、目盛りを伸縮しなければなりません。 直線SS'と直線TT'の交点Oをとって、赤い直線のように点A,B,C,,,を移せば、対応する目盛りA',B',C',,,が得られます。

  この作図は、パソコンを使っても無限回繰り返すことはできませんが、行列でなら可能です。 そして、ジグザグに射線を引くことなく、点A,B,C,,,を線分ST上に直接キザむことができます。 複比をわかりやすく書いて
とします。 点を中点にしておきます。 これを変形して、
とし、
と表わして、行列 H
をつくります。 そして、Hのn乗
を得ると、n番目の点

となります。 のときは、極限値をとることで、ぴったり = T となります。 しかし実際には P = T ということは有り得ないので、やはり T としておかねばなりません。 つまり、は点Tへ限りなく近づくだけで、達するわけではありません。 これは正の方へきざんで行く場合ですが、負の方へきざむなら、右辺にマイナス(-)をつければよいのです。 するとは左の点Sへ向かって行きます。

  このように射影的な方法(円を固定して、複比の対数で距離を定めること)によると、自然に双曲的計量ができるというわけです。
ラゲ―ルやケ―リ―の公式は、ことさら辻つま合わせをしようとして出てきたものではありません。 双曲幾何など意識せずに、射影平面を計量化しようとするためだけだったのです。これで距離と角の出所が明らかとなりました。


  Fig.18をご覧ください。
射影平面のモデルとして、立体のクロスキャップや部分であるメビウスの帯を見ましたが、それらは平面を感触させるには不向きです。 対心点を同一視する円板も見ましたが、その同一視には疲れます。 平面を平面のままで射影幾何としての条件(公理)をもたせたモデルを見ておきます。
: ふつうの長方形です。 辺ADと辺BCは、AD', BC'のようにいくら延長しても、交わりません。 縦に延ばしても横に延ばしても、交わりません。 しかし、射影幾何的に見ると、交わらないからADとBCは平行ではないのです!
: 射影平面上では、すべての2直線は無限遠点で交わるのですから、そのように 長方形ABCDを歪めます。 そして、各辺を延長し、対角線も引きます。 すると、3つの交点p,q,rが得られます。 その交点は平行線の交わっているところの無限遠ですから、そこに無限遠直線を引くことができます。 それは直線ですけれども、図では赤い曲線 p-q-r のようになります。 これで射影幾何の公理が完全に満たされているといわれています。
  それはわかるとしても、この平面上に具体的な図を描くには、どうすればよいのかな。 どんな2直線もこの赤い無限遠直線上で交点をもつようにしなければなりません。 2次曲線も射影幾何としての無限遠直線との関わりにしたがうようにし、同時にこの図の四辺形との関係も満たさねばなりません。 当然、円も楕円形に描く必要がでてきます。 でも、の四辺形の頂点を通る楕円を描こうとすると、赤い無限遠直線を横切ってしまいます。 それでは射影幾何に叛くことになるので、ルールを整えておかねばなりません。 それは作画上でのことですが、ちょっと面倒です。 ここでは、こんなのもあるということだけにしておきます。


  ケ―リ―は、射影変換につける条件しだいで色々な幾何を構成できることをつかんで、

"Projective geometry is all geometry." (射影幾何は、すべての幾何だ)
と叫びました。

  1871年、クラインは、あの円板モデルを完成しました。
彼は、ケーリーの計量化と双曲幾何との間に何かありそうだと直感して、自分の先生に相談しました。 すると、「そんなバカなことがあるか。」と一喝されました。 しかし、彼は思いなおして、遂に円板モデルをつくったのです。
  そして翌年、クラインは、幾何学の統一について、今日エルランゲンプログラムとよばれている考え方を発表しました。 平易にいうと、「一つの幾何学は、一つの変換群による不変な図形の性質を研究するものだ」と彼は説いたのです。 不変な性質とは、たとえば合同があります。 どんな群に属する変換(図形の動かし方)を採用するかによって、幾何学の内容がきまるのは、当然といえば当然ですね。 双曲幾何も、そうしたものの一つだったわけです。 ケ―リ―の「射影幾何は、すべての幾何だ」は、クライン流にいえば、群の選び方しだいでということですね。
  それにしても、なぜ、群というもので色々な幾何を整理できるのでしようか? そこが知りたいですね。 群以外に幾何を整理する基準になるものはないといい切れるのでしようか。 それに、ものが群をなしているかどうかを判定する一般的な方法はないとも聞いています。 でも、このような疑問を受け止めるのは、放棄しましよう。 いまの私たちの課題ではないと思えるし、荷が重過ぎるので。

  ようやく、双曲幾何の源を覗き見ることができました。 射影幾何もテクニックだといえますが、なんと素晴らしいものではありませんか!
  要するに、クラインは先に変換のルールを定めたのです。 双曲幾何でいえば、円を不変に保つという変換(円の中のものは円の中でだけしか動けない変換)をきめます。 そうしておいて、円の内部での長さや角の測り方を双曲幾何での辻つまが合うように定めるのです。
  いい方を変えると、こうなります。 紙の上に円を描きます。 その円の内部から見て、円周が無限の彼方であるようにスケール(計量)を定めます。 そのスケールによれば、どこまでも遠いところへ行くことはできても、無限の彼方である円周へは絶対に達することができないようにします。 いわゆる開円板です。 そうすれば、対心点がどうのという心配はいりません。
距離については、複比を利用することで万事うまくいきまが、角については、ヘンなことになります。 ユークリッドの世界のことが通用しません。 通用はしないのですが、矛盾はないというのが双曲幾何ですね。 ともかく、いろいろ奇妙なことに出会いますけれども、逆らわずに受け入れることにしましよう。 その意味において、
私たちは、無限大を解決できました。

でも、無限の彼方を切り捨てておいて、無限大を解決したというのは、おかしいですね。 それに、たとえ無限の彼方へは行かないにしても、無限の彼方は存在するはずです。 もし存在するなら、対心点の同一視の考えを汲み入れておくべきだと思えます。 なぜなら、ロバチェフスキーたちは無限の彼方が在るものとして、双曲幾何を発見したのですから。 それにしても、ロバチェフスキーより前にポンスレーが射影幾何を作っていたのに、ロバチェフスキーはそれを知らなかったのかな。

  どうも、朦朧(もうろう)としてきました。 どうすれば、話をスッキリさせることができるのでしようか? 新しい幾何学が必要な感じがします。
明治大学の阿原先生とメールで交わした問答を引用しておきます。

ユークリッド平面を無限の広がりをもったものだとすると、自然に射影平面に
なります。
双曲幾何の円板モデルは開円板です。それは、円板から円周を取り除いた
ものだと考えられます。その円板の内部では、いくらでも遠いところへ行け
るけれども、無限遠へは行けない。つまり、円板の内部では、どんな長さも
有限だということになります。(理想三角形の頂点などは、実際は先端が欠
けているのだと理解します。)
ですから、円板モデルでは対心点の同一視は考えないというよりも、対心点
そのものが存在しないのです。
  −−−−と考えます。

質問:
1. 上の考え方は正しいでしようか。
2. 極限についてです。
       
   左辺は、Xがaに限りなく近づいた挙句の果てということです。Xはaにいくら
   でも近づきはしますが、近づくだけです。たとえ、挙句の果てであっても、
   Xとaとの間には隙間があります。けっして
       
   とはなりません。ですから、
       
   と書くべきです。(1)が許されるのは、そうだとしても差し支えないときに限
   ります。
   この考えは正しいでしようか。(論法でも上の主張は成り立つ?)
   開円板の内部から円周へ向かって進むときは、(2)に拠らなければなりま
   せん。いかがでしようか。

3. 理想三角形の頂点は、円板モデルの円周上
にあるのですから、そこでは対心点の同一視
が作用します。すると、3辺を延長することが
できます。 その結果は右図のようになるの
でしようか。

回答:
いくつかの難しい問題も含んでおり、即答できま
せん。が、わかる範囲で答えます。
   まず、無限遠に発散することを一般に
       
のように書きます。(infinity = 無限大)  これは、「無限遠点の近傍」という概
念があるからです。もちろん通常の距離空間ではこうはなりません。
(任意の点と無限遠点との距離は無限大だから。)ですから、無限遠点を点
として考えるとき、その近傍系を何らかの形で定義するのであれば、普通の
位相空間としての収束がありえます。

双曲幾何学を射影空間へ拡張して考えてみたいとのことですが、できるは
ずです。ただ、無限遠点の対蹠点を同一視する、というような方法ではない
ような気がします。ユークリッド平面の場合には、一つの直線の両端が同じ
無限遠点である、という解釈ですべてが説明できます。双曲平面の場合に
はそれができません。ですから、射影平面への拡張は違う方法だと思いま
す。しかし、残念ながら私はその方法を知りません。いつかわかったらお知
らせします。

  私たちは、「双曲幾何学を射影空間へ拡張」といった大それたことを考えてはいません。 日常の常識的な平面は広大無辺である。だから、ユークリッド平面を無限の広がりをもったものだとするのは、ごく自然なことです。それは、射影空間への"拡張"というよりも、避けてはならないことだと思えます。欠陥品をそのままにはしたくないのです。「無限遠点の近傍」というヤツが曲者のようですね。
  その追求にはいま手が出せないので、残しておいた双曲空間での3Dタイル張りを見に行きましよう。


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