・無限大は、定義しだいだ。 あるいは、無定義語としておくのが よいかもしれない。 無限遠は、何処ということができないばか りでなく、どの方向かを指すこともできない。 想うことも禁じられる。 想えば、その向こうも想えるからだ。 でも、人間はそれを想うことができる。 いずれにしても、物理的な無限遠を数学的な対象にすることは、 不可能である。 ・射影幾何では、無限遠を定義はせずに、その扱い方を規定す ることで手中のものとしている。 ・モデルは、双曲幾何を完全にシュミレートするが、無限遠その ものは別である。 ・モデルでなく実物を自分の目で見たい気持ちが、どうしても拭 えない。 誤ったこだわりだけれども。 ・ロバチェフスキーは、彼の公理から完全な双曲幾何を構築した が、無限遠そのものは自分の推測によった。 また、裏付けのない洞察で、双曲幾何は成り立つものだとした。 ・リーマンは、微視的な計量によって双曲幾何を明らかにした。 その計量を取り変えれば、どの世界も同じように扱える。 しかし、特定の計量を与えるというのは意図的であって、必然 性がない。 ・クラインは、巨視的な変換によって双曲幾何を明らかにした。 その変換を選ぶことで、いろいろな世界も同じように扱える。 ・トポロジストは、身近に双曲幾何のモノがあることを示した。 |
双曲幾何の生い立ちには、 (1) 公理の否定から、 (2) 計量の考え方から、 (3) 変換群(射影幾何)の考え方から の三つのルートがる。 |