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第3部 射影幾何から双曲幾何へ

Ch.49 ここまでのむすび

  あれこれと見てきましたが、ちょっと振り返ってみます。
私たちが感じ得たのは、

・無限大は、定義しだいだ。 あるいは、無定義語としておくのが
  よいかもしれない。 無限遠は、何処ということができないばか
  りでなく、どの方向かを指すこともできない。
  想うことも禁じられる。 想えば、その向こうも想えるからだ。
  でも、人間はそれを想うことができる。
  いずれにしても、物理的な無限遠を数学的な対象にすることは、
  不可能である。
・射影幾何では、無限遠を定義はせずに、その扱い方を規定す
  ることで手中のものとしている。
・モデルは、双曲幾何を完全にシュミレートするが、無限遠その
  ものは別である。
・モデルでなく実物を自分の目で見たい気持ちが、どうしても拭
  えない。 誤ったこだわりだけれども。
・ロバチェフスキーは、彼の公理から完全な双曲幾何を構築した
  が、無限遠そのものは自分の推測によった。
  また、裏付けのない洞察で、双曲幾何は成り立つものだとした。
・リーマンは、微視的な計量によって双曲幾何を明らかにした。
  その計量を取り変えれば、どの世界も同じように扱える。
  しかし、特定の計量を与えるというのは意図的であって、必然
  性がない。
・クラインは、巨視的な変換によって双曲幾何を明らかにした。
  その変換を選ぶことで、いろいろな世界も同じように扱える。
・トポロジストは、身近に双曲幾何のモノがあることを示した。

といったことでした。
  そして
双曲幾何には矛盾はないのか?
ということについては、
        モデルは正確に双曲幾何を表しているといわれている。
        そのモデルは、ユーリッド平面上に長さの測り方の条件をつけて、(双曲幾何ではなくて)ユーリッド幾何で作図や計算をしているものである。
        ユーリッド幾何は代数で表現できる。 現に作図は代数計算によっている。
        だから、実数系に矛盾がなければ、ユーリッド幾何にも双曲幾何にも矛盾がないことになる。
        ところが、実数系に矛盾がないことを証明することができない。
1935年にゲーデル(1906-1978)が
「一つの公理系が矛盾していないことを証明することはできない」
ということを証明したそうです。
その"証明できいないこと"の証明は、数学基礎論とやらの難しい話だそうです。 私たちは数学基礎論に関心はありませんし、難解となれば逃げを打つしか手がありません。
そんなものに拠らないで、
ユーリッド幾何には2000年の確固たる実績がある。
ということに頼ることにします。
つまり、双曲幾何に矛盾はないのです。 これはロバチェフスキーたちが洞察したことに軌を一つにしたことになっています。

 「平行線は交わる」って本当だろうか? と思えたのが、私たちの事の発端でした。 ユークリッドの平行線公理がどうのということからではありません。 実際、公理なんてどうでもよいから、交わるか交わらないのかをきっちり知りたいということでした。 いま思うと、そんなことに気を惹かれたのは、どこかで非ユークリッド幾何のことを読んだからです。 それがなかったら、私たちはなんの疑問も抱かずにいるに違いありません。
それで、どんなアプローチがあったのかをまとめてみると、

双曲幾何の生い立ちには、
  (1) 公理の否定から、
  (2) 計量の考え方から、
  (3) 変換群(射影幾何)の考え方から
の三つのルートがる。

となります。
  いまにして思うと、射影幾何を早めに勉強して、それに基づいた考えによって書いていけば、もっとましなものになったのにと。 でも、これが作者の私が歩んだ道程です。

  なぜ、こうもモデルでなく実物を見たいのでしようか。 それは、幾何学には目に見えるものをずっと追究してきた習性があるからです。 モデルは地図だといっても、実測したものではありません。 他の科学でも見えないものを相手にしていますが、状況証拠(実験)があります。 双曲幾何にはそれがありません。 数学の対象には実体などなくてもよいのだといわれても、見たいものは見たい。 (最後の[総括]で再考します。 無限についても。)
  量子力学で、中性子のスピン波動関数とかいうものが360でなく720だけ空間を回転したときに元の値にもどることの実験的証明がなされたという話しがあります。 気になりますねえ。
  双曲幾何は宇宙スケールの幾何だといいますが、ひょっとしたら、私たちの体の細胞の中は双曲幾何が成り立っているのかも知れませんよ。
  モデルをはなれて、実際の双曲的非ユークリッドの世界を体験するにはどうすればよいでしようか。“実際の”というのは、距離を新たに定義したりしないで、ふつうの定規やコンパスでのことです。 すぐに思い浮かぶのは、ベルトラミーの擬球です。 そうです。 ウンと大きな擬球を建造して、その上で腹ばいになって暮らしてみれば模擬的な体験ができますね。 いつの日か実行してみたい。


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  双曲幾何がどう絡んできたかをチャートにしてみました。


  私たちの物語の源泉をなす主要人物がしたことを要約しておきます。

ユークリッド: あの原論を書いた(BC300頃)。
               彼の論理は未だ破れてない。2000年以上も!

パップス: 複比が不変量であることを発見した(320頃)。

ダ・ビンチ: 遠近法を美術に導入した(1500年代)。

マゼラン: 世界一周航海で地球は丸いことを実証した(151922)。

メルカトール: 等角写像である世界地図を作製した(1538)。
               微分も積分も発明されていないのに!

ネイピア: 対数を発明した(1614)。

デザルグ: 無限遠の考えをつかった(1639)。

ニュートンとライプニッツ: 微積分を発明した(1670頃)。

ヨハンベルヌーイら: 双曲線関数を発明した(1691)。

サッケリ―: ユークリッドの第5公準を証明しようとして、双曲幾何のいくつかの定理
             を発見したのに、ユークリッド幾何からから抜け出せなかった(1730頃)。
             (50年ほど後のランバートも同様だった)

ポンスレ―: 長さも角もない幾何、射影幾何をつくった(1822)。
             ユークリッド幾何の呪縛から、初めて脱した!

ロバチェフスキーとボリヤイとガウス: 双曲幾何を発見した(1826頃)。

ガウス: 微分幾何をつくった(1827頃から)。
         (双曲幾何を発見していた(1815頃)。)

ラゲ―ル: 複比で角を表わした(1853)。

リーマン: 計量を与えて、幾何を構成するという考え方(1854)。

ケーリー : 円の内部の角や距離を複比で表わした(1860頃)
           これは双曲的角や距離であった。

ベルトラミー: 擬球をつくり、それが負の定曲率をもっていることを指摘した(1868)。

クライン: 円板モデルをつくり(1871)、エルランゲンプログラムを発表した(1872)。
           双曲幾何の神秘性が拭い去られた。

ポアンカレ: 上半平面モデルと彼の円板モデルをつくった(1882)。

(モデルから): 双曲幾何の無矛盾性がユークリッド幾何と一体であることが、一般に
               是認された(この頃までに)。

エッシャー: 双曲幾何を版画で具現した(1900年代)。

(ロシア国): 人間(ガガ―リン)が自分の目で地球の丸いのを見た(1961)。

サーストン: 双曲幾何が、トポロジーの根幹の一つであることを発見(1975頃)。
             リーマンやクラインによって消えた神秘性がよみがえった!


え、よみがえった! と、聞いたからには、見にいきましよう。 8字ノットの話しです。


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