山城の蝶昔話 第四話
2012年2月18日更新

地中に埋もれた秘密の花園


1970年代、京都府のウラナミジャノメは「幻の蝶」に近い存在であった。
知られていた産地はいずれも過去のものとなり、当時すでに確実な生息地は知られていなかった。

1980年代になって城陽市に生息することがわかり、私はその概要を京都蝶の会の会報「杉峠」に発表した。
続いて同誌にF氏が山城町・加茂町・笠置町の産地群について発表され、京都府南部のウラナミジャノメがヴェールを脱ぎ始めた。
その後、山城町や加茂町の産地が同好誌等にマップ付きで紹介されたりして有名になり、
多くの愛蝶家が訪れるようになって現在に至っている。

城陽市では学校の敷地周辺や住宅地の間に残された草地、ゴルフ場周辺部の林縁などに生息していた。
個体数は多いものではなく、日によっては姿を見ずに終わってしまうことも多かった。
どこかに良好な生息地があるのではないかと思いあちこち探索しているうちに、城陽市に隣接する宇治市にも目が向くようになった。
何とかして宇治市でも記録を出しておこうと思い、閑があればうろうろしていたのを思い出す。

しかし1970年代になってから新設されたいわゆる「国体道路」を通って城陽市から宇治市側に入ると、
人工的な環境が目に付くようになり、道路周辺には住宅地が連なり、ウラナミジャノメのいそうな場所は格段に少なくなってしまう。
山城運動公園や宇治市植物公園の付近が緑豊かな場所ではあるが、蝶のいる自然とはかけ離れた環境である。

1990年代以前の山城運動公園の南側(南西側)一帯はマツや照葉樹で構成される国有林になっていた。
ちょうど国体道路がその南端を切り取り、道路の南側はすでに住宅地になっていた。
国有林と道路の間は凹地になっていて、法面はシナダレスズメガヤが植えられた極めて人工的な環境になっていた。
蝶の生息という観点で見ると実につまらなく思える環境で、最初から探索の対象外のような場所だった。
8月下旬のねっとりした暑さの中で日陰もないそんな場所にわざわざ入り込もうという気にはなかなかなれるものではない。
それでも他に探すべき場所が少ないこともあり、一応と思い入っていくと・・・。

八軒屋谷のウラナミジャノメ生息地1
右上が「国体道路」、左側が国有林、繁茂するのはシナダレスズメガヤ(1994年8月)

驚いたことに、ピョンピョンと飛び跳ねるように飛ぶウラナミジャノメの姿が沢山見られたのであった。
城陽・宇治市の産地群ではそれまで経験したことのない密度の高さで、範囲も比較的広く素晴らしい生息地である。
待望の多産地と表現できる生息地がついに見つかったのだった。

この場所は地名としては宇治市広野町八軒屋谷となる。
今では交番のあるあたりにバス停のような駐車できるスペースがあり、いつもそこに車を停めた。
車の通行量は現在とそれほど変わらないが、当時はセブンイレブンもなく、人影はまばらであった。
そこから胸の高さくらいの鉄の柵を乗り越えて斜面を降りていくことが出来た。
凹地は道路に沿って山城運動公園の城陽側入口付近まで数百mも続いていた。
一旦凹地に降りてしまうと、道路からは死角になってほとんど見えず、ウォーキングしている人などの視線も気にならいのが嬉しかった。
法面には外来種のシナダレスズメガヤが植えられていたが、アレチノギクなどの雑草が繁茂し荒れ始めていた。
シナダレスズメガヤの単調な草原はウラナミジャノメのイメージと結びつきにくいが、
他に適当なイネ科植物はなかったように記憶しているし、
葉への産卵も観察されたことから、この植物を食草としていたと推測される。
またこの場所ではヒメウラナミジャノメを見た記憶がなく、ウラナミジャノメ以外の蝶は極めて少なかった。

そこはまさに誰も知らない秘密の花園のような場所であった。

凹地の法面はその後手入れされることがなく放置された状態が続き、マツなどが進入してきて荒れていった。
植物群落が高さを増すに連れてウラナミジャノメの個体数も減ってきて残念に思っていた。

八軒屋谷のウラナミジャノメ生息地2
凹地の底(現在交番のある位置付近)から宇治市植物公園側を望む。凹地の西端部にあたる。(1994年8月)

さらに追い討ちをかけるように、まさにこの場所に立命館宇治高校が移転してくるという衝撃的なニュースが飛び込んできた。

秘密の花園はどうなってしまうのか?国有林の端っこだからなんとか手付かずで残るかもしれない・・・

かすかな希望は打ち砕かれ、国有林から国体道路のギリギリまで徹底的に掘り返され、土砂で高く盛られ立派な高校が建設された。
道路の向かい側の住宅地からの景観が損なわれないようにするための配慮と思われるが、
道路沿いは高く土が盛られ、木や草が植えられ、それまでとは逆に道路から遥か見上げるような斜面になってしまった。
ウラナミジャノメの秘密の花園であった凹地は次の画像に見える遊歩道の地下深くに埋もれることになり、「完全に」消滅してしまったのであった。

2012年の八軒屋谷のウラナミジャノメ生息地1
1枚目の画像の場所はこの画像の地下5mに眠っている。左の木々は元々の国有林ではなく盛られた斜面に植栽されたもの。(2012年2月)

2012年の八軒屋谷のウラナミジャノメ生息地2
2枚目の画像はこの遊歩道の地下5mからほぼ同じ角度で撮影したことになる。右側が高校の敷地。(2012年2月)

このような大規模な環境の改変によって蝶の好生息地が消滅するのを目の当たりにするのは私にとって初めての経験だった。
おそらく高度成長時代の日本ではこのようなことがあちこちで起こっていたのであろうと想像することができる。
避けられないこと、どうしようもないことであるのはわかっているが・・・・・・

ところで現在の遊歩道沿いにウラナミジャノメは見られるのだろうか?
私は環境が一変してからはどうしてもこの場所を訪れる気が起こらず、敢えて調査をしていない。
もし見られるとしたら、それはウラナミジャノメの種としての強かさを示すことになると思うが、
この期に及んでなお生息しているくらいなら、本種が全国的に衰亡しているはずがないと思うのだが・・・。

幸いにしてウラナミジャノメの生息地は周辺の住宅地の脇の林縁部などにわずかに残っている。
また、東側の宇治市白川にも記録があり、宇治市内で新たな生息地を探す余地は十分に残されている。
飛んでいて当たり前の本種を木津川市で追うよりも遥かに楽しい探索になるのではないだろうか。

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