直線上に配置

シルクロード西の敦煌へ、東の終着の奈良
  縁は異なもので親戚が出来たなんて夢のよう!

*お嫁さんのご姉妹ご夫婦で、お義兄さんは、日本の鳥取県や奈良市との姉妹都市の契約に尽力され、
  お姉さんは少し前まで日本人観光客の案内をされていて、ともかく日本語で話せて大助かり。
*また他のご姉妹夫婦も、食堂を経営されているし、今回手配頂いたホテル
「敦煌賓館」の社長も
  ご親戚。

*市内のお店のひとつ、「風味人家」では、日本語で食事が楽しめるし、何でも相談できます。
 是非話しの種に訪問して下さい。どのホテルからでも歩いて行けます。
 掲示板でお問い合わせ頂ければ、おつなぎ出来ます。
*遠く奈良の地から、はるばる来た新しい親戚への精一杯のもてなしに、感謝の言葉もありません。
*ツアー客も、少なくなったとはいえ、毎日多くの日本人や欧米の客が敦煌を訪問していました。
  なんと、そのツアー客の中に日本での隣町の人と会ってびっくりしました。

・敦煌の町を出て、延々デコボコ道を走ってやっと辿り着きます。
・小高い砂山に登るとオアシス。川が見え青々とした草木が見え…
・昔は蒙古などから守りの兵士が駐留していたという。東西からの旅人や兵士で、さぞ賑わったことでしょう。
・近くには漢時代の万里の長城跡があり、狼煙台と、その材料の葦が朽ちて残っています。

・入り口で入園料100元、日本語案内者へ20元。
 撮影は禁止なのでカメラを預けます。

・唐・西夏・宗・秦の時代の第94.96.130.132.148.
 173.243.259窟を案内してくれました。
・釈迦を中心に、摩珂迦葉・阿難・弥勒菩薩など
 そして釈迦・多宝如来の二仏並座。
 16.17窟からは2万冊の経典が出てきたという。
・羅什三蔵(後秦)の法華経〜三蔵法師の阿弥陀
 経。しかし何故に法華経が廃れたのか…。

・とにかく各窟の壁画がすごい!
 仏法を求め、ひたすら砂漠を西へ旅をし、無事
 到達できた喜びは、如何ばかりであったろうと
 想像し、感慨無量。

・一方、常書鴻氏の命がけの保存への熱意と、
 周恩来総理の熱意と、池田先生ほか、3人の日
 本人の貢献もあって、世界遺産として守られて
 います。

敦煌・莫高窟

492窟ある。

莫高窟の入り口に両先生の写真パネル。

砂の山が続き、そしてオアシス。

莫高窟入口門

顕彰パネル

初めてのラクダ

遥か地平線に蜃気楼。

漢時代の長城跡

敦煌・鳴砂山(市内から車で20分)

月牙泉

干ばつの性か水は1/3になって…

砂漠にも、所々に草が

Google Earth での航空写真

東は西安から西へ、敦煌を通じて西へ天山山脈をはさんでのルートと、タクラマカン砂漠をはさんでのルートを通って、
カスピ海へと向かう。南へは過酷なヒマラヤ山脈を越えインドへ。
正確な地図もなく、GPSもなく、ただ星を目印に、命がけの旅であったと思う・・・・・。

★敦煌は、河西回廊の西の端にあり、古代シルクロードの要所。約4000年近くの歴史を持ち、漢民族を主に、
 人口は18万人、3.12平方Km。
 年間降雨量は39.9mmで典型的な温帯性乾燥気候で、昼夜の温度差が大きい。

  
(中国敦煌旅遊図より)

敦煌の街からしばらく走った所にある関所跡。通行手形(税)を得て西へ。遥か北には天山山脈(機中から)

陽関博物館

・お嫁さんのご姉妹の手配で、連日まわりの景勝地へ。
・大型バスでたったの8人で。 生まれて初めてのラクダに。
・10m下には1600年前の土葬が! 下からの風で幅20kmの鳴砂山の形が変わらないと。

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C.2006年8月・中国・敦煌への旅(9日間)
敦煌での集合写真

刻々と変化する
蜃気楼↓

玉門関(車で約2時間)

関所跡

玉門関の入り口

西安・北京での追加旅
敦煌への旅・スケジュール

8月9日〜17日のスケジュールで、行きたかった敦煌へ。

生涯で二度と行けるかどうか…。市街を少し抜けると、砂漠の中に突如現れるのは、映画「敦煌」の大規模なセット

日本の大小説家、井上 靖氏が情熱を注いで建設されたもの。 今は訪れる人もなく、ひっそりと砂の風にさらされ、
埋もれようとしています。
また、敦煌は石油基地でもあることを初めて知りました。

甥っ子の結婚式で、お嫁さんが中国・敦煌の出身から、今回出席のため兄弟夫婦で行ってきました。
さすが敦煌は、砂漠の中のオアシスで、車で5分も走れば、もう砂漠です。

お嫁さんのお姉さんの案内で、敦煌周辺のオアシスへ。

遠景