博物館めぐりの途中で「史跡 益田池堤」の看板発見、益田池は平安時代初期に高取川から水を引き込んで作られた大貯水池で、弘法大師空海もこの工事に関わったことが記録されています。
空海が唐から帰国した際、予定外の早い帰国のため咎められて大宰府に留めおかれます。その時、滞在したのが観世音寺、当時は東大寺に匹敵する大寺院でした。今でも国宝の梵鐘や沢山の重要文化財級の仏像が安置されています。
本堂です
宝蔵も見学しました
国宝の梵鐘です
博多のど真ん中にあるお寺でした。入口がわからず ぐるっと一周してしまいましたが、都会のお寺としては広い境内で沢山の人が参拝にこられていました。
東長密寺(東長寺)は、唐から帰国した空海が、一軒の船宿に仏像や経本・仏具などを納めて寺としたのが起源で、東長密寺の名前の由来は、密教が長く東に伝わるようにと祈願して「東長密寺」と名付けたといわれています。 本堂には自作と伝えられる大師像や、不動明王像があり、正御影供の時にのみ開帳、福岡市の指定文化財である六角堂には六体の仏像が安置され、毎月28日の不動護摩供のときにのみ開扉されるそうです。
六角堂
空海伝承のお寺を訪ねて久米寺から飛鳥の川原寺跡へ。久米寺は 空海が大日経(密教の根本経典)を発見した場所といわれており、空海はこの大日経を理解するため遣唐使として唐まで仏教を学びに行ったといわれています |
本堂
すぐ裏手が近鉄線、橿原神宮と隣同士です
明日香の史跡、川原寺跡です。弘仁9年(819)朝廷から空海に下賜されたと文献にあります |
本堂
大師堂、お食事処もできていました
西国9番 南円堂です。空海は、藤原冬嗣の依頼により興福寺南円堂の建立に関わったとされています |
南円堂と東金堂と五重塔
西国4番 施福寺、空海は官吏養成に主眼を置いた無味乾燥な大学教育にみきりをつけ、ひたすら仏道の修行に心を向け、20歳で出家。和泉国槙尾山施福寺(西国4番)で沙弥戒を受けたとされています |
山門、ここから登っていきます
シャカの花がいたるところで咲いています
やっと到着、本堂です