2017.10.25 西国29番 松尾寺
今日はいろいろ予定変更です。まず近くまで来てしまったので、西国29番松尾寺を最初に参拝してから、後戻りして国宝「明通寺本堂、三重塔」、そこから山道を国宝「光明寺仁王門」、そして西国28番成相寺へと向かいことにします。
西国29番 松尾寺です
山門
本堂
納経所
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明通寺は、大同元年(806)、征夷大将軍坂上田村麻呂の創建と伝えられる真言宗のお寺で、本堂と三重塔が国宝指定されています。
国宝の本堂が見えてきました
国宝「本堂」、入母屋造檜皮葺の建物で、大きさは正面5間(14.72m)側面6間(14.87m)、寺の縁起では正嘉2年(1258)の建立とされ、福井県内で最古の木造建築になります。
国宝「三重塔」
三重塔は、初層平面方3間(4.18m)、高さ約22m檜皮葺の建物、上層にゆくにしたがって寸法を減らしていくことで、均等のとれた美しい姿が作り出されている。寺の縁起では文永7年(1270)の建立とされ、様式的にもよく整った和様でおさめられており、優美で落ち着いた建物である。とのこと
振り返ると本堂、上からみたところです
福井県の県境を越えて京都府綾部市です。光明寺というお寺の二王門が国宝ということで訪れてみました。お寺は山のてっぺんにあって、そこまでのアプローチがちょっと大変でした。
二王門は右ということで進んで行きましたが、すごそうな山道です。キャタピラの跡がついています
やっと到着、ありゃ?シートで覆われている...解体修理中?二王門には間違いなさそうです。
反対側に回ってみました。中から話し声が聞こえてきます。お仕事の邪魔をしてはいけないので、そぉーと離れることにしました
看板のところまで戻ってきて、本堂への石段です。階段をあがると境内、石灯篭が可愛そうなことになっています
立派な本堂がありました
お隣に寺務所がありましたので、ご朱印をお願いしました。寺務所の中にへっつい(竈 かまど)があったのが珍しかったのでパチル。まだ現役で使われているようです。
朱印を頂いて、二王門のことを訪ねると修復が終わるまで3年の予定、去年から工事にかかったので完成は2年後とのことでした。
参考:工事前の写真です
wikipedia によれば、三間一戸、入母屋造、栩葺の二重門である。昭和25年(1950年)から昭和27年(1952年)10月まで行われた解体修理で、上層の柱から「宝治二年」(1248年)の墨書銘が発見された。また、床板に転用されていた棟札が発見され、その記載から、門は仁治3年(1242年)から建長5年(1253年)にかけて再建されたものであることが明らかになった。併せて永正13年(1516年)、享保14年(1729年)、安政6年(1859年)の3度にわたり修理が行われていたことも判明した。長押を多用し、下層の背面と上層には連子窓を設けるなど和様を基調とするが、頭貫の木鼻は大仏様(だいぶつよう)とする。二王(金剛力士)像を門の正面側でなく後の間に安置する点が珍しい。中世にさかのぼる二重門(2階建で、下層と上層の境にも屋根の出をつくる門)は極めて稀少であり、建築年代が判明する点も貴重であり、修理完工後の昭和29年(1954年)に国宝に指定された。とのこと
光明寺を出て成相寺を目指します。成相寺はお寺の山の頂上からの天橋立が見どころなのですが、反対側からの天橋立も面白いのではと、雪舟観展望所というところに途中立ち寄ってみました。
横一線に見えるのが天橋立。もう少し上からの位置から雪舟が絵にしています
下がその絵、雪舟の水墨画「国宝 天橋立図」です。当時は橋立はまだ繋がっていなかったようです。回転橋ももちろんありません。これから目指す成相寺はこの絵の右上の山のてっぺんに書かれているお寺になります。
2017.10.25 西国28番 成相寺(これにて満願)
西国28番 成相寺に到着、33カ寺これにて満願です。
五重塔が新築されていました
本堂
山の上に上がって、天橋立です
成相寺から鳥取に向かいます。途中の道の駅「あまるべ」で小休止、うすボンヤリと余部鉄橋
白兎海岸まで来て、道の駅「神話の里 白うさぎ」で車中泊することにしました。