2017.10.28 宗像大社
今日のスタートは宗像大社から、前回神社巡りで訪れた時は宝物館をパスしてしまったので、今回再訪です。まずは祈願殿、ご朱印を頂きました
お参りです
高宮祭場にもお参り
いよいよ神宝館を見学
国宝の数々
⦿内行八花文鏡(沖ノ島19号遺跡出土) |
神社の裏の古墳からの出土品が国宝指定されているということで立ち寄ってみました。大きな神社です。結構賑わっています
奥の宮の不動神社というところから出土したみたいです。行ってみましょう
古墳の石室が本殿、国宝の出土品は九州国立博物館に寄託されて常設展示されているそうです。
ちなみに宝物はこちら ↓ 実は、京都国立博物館の「国宝展」でその一部は拝見済みでした。
宮地嶽古墳出土品
宮地嶽中腹の不動神社を祀る日本最大級の巨石古墳が発見されたのは、260年以上まえの事です。古墳からは、馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉やガラス板など、およそ300点が発見され、どれも第一級のすばらしいものであり、そのうち十数点は国の指定物件として国宝に指定されています。
筑前国宮地嶽神社境内出土骨蔵器
昭和13年2月、社殿裏山の奥の院(横穴式石室の円墳、通称大塚)の北東凡そ40m、地表下凡そ80?のところから発見された。出土時、瑠璃(るり)(ガラス)壺を納めた銅壺は陶質容器の破片に埋まった状態、つまり三重の入れ子のかたちであった由である。 奈良時代の火葬墓遺品で、このようなガラス製骨蔵器は、ほかに文弥麻呂(ふみのねまろ)墓出土品(707年の墓誌(ぼし)を伴う、国宝)があるくらいで、貴重この上もない。 被蓋造り(かぶせぶたづくり)の瑠璃壺(蓋共高11?)は緑色鉛ガラス製、成形は吹きガラスの技法によると思われる。底裏はやや中凹み。表面は風化して真珠色であるが、一部剥離して緑色を呈す。火葬骨の直接の容器である。被蓋造りの銅壺(蓋共高20?)は胴の張り、蓋の程よい甲盛(こうもり)そしてその縁近くでの軽妙な反りに作者の手ぎわが窺われる。内底に瑠璃壺の剥離片や布片が付着する。大小2口の陶質鉢は、先年、破片を接合して原形に復した。小さい方(口径27.8?)に銅壺を納め、大きい方(口径31?)を蓋にしたものであるが、この時代の器としては異種の趣が深く、検討を要する。九州国立博物館に委託
宮地獄神社の次は、国宝の平原遺跡出土品を見学に伊都国歴史博物館を訪問です。
エントランスのディスプレイは「魏志倭人伝」、博物館のある糸島市は 魏志倭人伝の伊都国に比定されています。
その伊都国の時代の遺跡が「平原遺跡」になります
博物館のあとは梵鐘が国宝だという西光寺というお寺に向かいました。着いてみてびっくり、普通のお寺です。ひょっとして西光寺違い? 庭掃除をされていた女性(おばさん)に恐る恐る尋ねると、国宝のお寺で間違いないとのこと。
鐘楼を外からなら見学してもいいということで、鐘楼を拝観
国宝「梵鐘 承和六年、伯耆国金石寺鐘在銘(福岡・西光寺)」
紀年銘のある梵鐘の中でも古鐘で、竜頭の意匠は他に例を見ない。鋳技が優れて、形状、文様など総体に平安初期の特徴を良く表す貴重な遺品である。西光寺に存する本鐘の由来書によると、永禄二年山中鹿之助が出雲国神門郡多福寺に寄附したのを、同寺の衰退により明治22年に売却した由が知られる。とのこと 梵鐘拝観のあと、お寺の90歳過ぎたくらいのおばあちゃんが出てきて話し込むことに。もともとの西光寺の鐘は明治期の廃仏毀釈運動で手放してしまったそうです。その後、やっぱり鐘は必要だという檀家さんの総意で新たに作ろうということになり、鐘の製作のため原料である鉄くずの買い付けを大阪の商人に頼んでおいたところ、いい出物があったという連絡。鐘自体が格安の値段で売りに出ていたとのこと。早速買い付けたのが今の西光寺の梵鐘ということでした。 戦中の金属類回収令の時は、幸い戦前の段階で重要文化財指定の対象になっているということで供出を免れたそうです。たまたま文化財に詳しい方がおられ好意で文化財登録の申請手続きをしてくれていたそうです。 戦後の1953年に重文指定、1954年に国宝指定されたのですが、国宝指定後も普通にお寺の鐘として使っていて、鐘楼のあった場所が子供たちの通学路だったことで石投げ遊びの的になっていたそうです。いい音で鳴ったんでしょうね。鐘の通路側だった箇所には石投げの石ころがあたった傷が無数についているそうです。役所からは定期的に文化財の保護状況の調査があるそうなんですが、そんなこんなで保管状態が悪すぎるということで、今の鐘楼を建てることになってしまったそうです。おばあちゃんとしては昔のように普通に鐘を鳴らしたいんだけどね。ということでした。 |
博多のど真ん中にあるお寺でした。入口がわからず ぐるっと一周してしまいましたが、都会のお寺としては広い境内で沢山の人が参拝にこられていました。
東長密寺(東長寺)は、唐から帰国した空海が、一軒の船宿に仏像や経本・仏具などを納めて寺としたのが起源で、東長密寺の名前の由来は、密教が長く東に伝わるようにと祈願して「東長密寺」と名付けたといわれています。 本堂には自作と伝えられる大師像や、不動明王像があり、正御影供の時にのみ開帳、福岡市の指定文化財である六角堂には六体の仏像が安置され、毎月28日の不動護摩供のときにのみ開扉されるそうです。
六角堂
博多港です。今夜はこの近くの24時間パーキングで車中泊です
福岡アリーナ、「GENERATIONS」のコンサートが開催されていました
夜も更けてきました。雨も強くなってきました。台風が接近しているそうです。車中泊したNPC24H石城町パーキング、この日は台風が直撃したので屋根付き駐車場でよかったです。