創作研究会は、1972年09月に実質的に創立され、第一次定例会を同年10月07日に開催し、ここで参加希望者がはじめて一堂に会した。第二次定例会は、11月4日に開催され、初期の同人の顔ぶれが揃った。第一次定例会、第二次定例会に出席したが、その後、同人として留まらない人もいた。月に一度、会場を決めて、創作合評会などをテーマとする「定例会」を開催する方針を決めた。この定例会において、合評対象となる同人の創作作品は、予めに募集し、「定例会作品集」と云う名の手作りの雑誌を発行した。定例会に出席するかどうかは別に、同人として名簿に記載した人全員に郵送で送付した。
『定例会作品集』は、ジアゾ複写でコピーした原稿を、ホッチキスで止めて冊子形態にした。ジアゾ複写は、湿式が、1960年代頃から1970年代にかけて一般に使用されていた(「青焼きコピー」と一般に呼ばれていた)。通常紙に、光帯電性を利用して炭素トナーでパターンを複写するタイプのコピーは、1975年頃には、実用化されて来たが、第一号を作成した1973年には、まだ炭素トナーを使ったコピー機は一般的ではなかった。
『定例会作品集』は、13号まで発行したと記憶するが、12号までだったかも知れない。青焼きコピーは、時間の経過と共に色が薄れてきて、文字などが読めなくなるが、原紙が保存されているはずで、経年劣化などで、原紙そのものが判読不能となっていない限り、全体の内容を紹介可能である。
「定例会」の会場として、大阪・梅田の北市民教養ルームの会議室を予約して利用していた。1972年10月に第一号を造ったが、各月ごとに造っていたと思うが、途中で一ヶ月あいだが開いた場合があったかも知れない。各月に一号づつの定例会作品集を造っていたとすると、1974年1月頃まで、この青焼きコピーの雑誌を発行していたことになる。正確な状況などは、資料を整理した後で、再度、記載したい。
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