top作り方組合 森を守る!「吉野のわりばし」
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間伐の必要性
間伐作業を行わないと
吉野の林業と間伐材
吉野の間伐材と吉野のわりばし
間伐材マーク
タイトル

 植林された杉や桧は、年々の成長に伴い木々の間隔が狭くなってしまいます。そのままにしておくと、陽光が入らなくなり、ひ弱な木になってしまい、将来立派な丸太(原木)を育成する為には、過密になる木々の一部を計画的に伐る作業が必要です。
 その作業の事を「間伐」と言い、その際伐採された木材の事を「間伐材」と言います。
タイトル
 間伐作業を行う事により、杉や桧の木々が健全に生育します。
又、間伐された地表には、十分な陽光が入る事によって、草や低木が育ち、地表の土が雨風などから守られ、枯れた草木は肥料となり豊富な土壌が保全されます。
 又、Co2(二酸化炭素)を、活性した杉や桧、生え育った低木や草が吸収して、地球温暖化防止にも大いに役立っています。
素材写真
間伐をされていない山林 間伐をした山林
タイトル
 杉や桧の山を間伐をしないでそのままにしておくと、地表の土がそのまま露出し、木の根を力強く張らす事や、水を蓄える力をなくし、洪水、山崩れ、倒木といった災害を引き起こす原因になります。
 又、地表に陽光が届か無い為、木々に十分な栄養が行き渡らないので、ひ弱な植林山となってしまいます。     
タイトル
 吉野地方は、奈良県のほぼ中央東よりに位置し、大台ヶ原を主峰とする台高山脈や、山稜・山脈に囲まれています。
地質は主として秩父古生層の水成岩の風化した埴質壌土で年間雨量2,000o以上で年平均気温14°Cという林木の育成に最適の条件の地域です。
 およそ500年前から林業の歴史があり、1500年頃この地域で植林による人工造林が始まり大阪城や伏見城の築城のための木材を切り倒し、建築用材として使われました。
同じ頃、大阪では木材問屋が設立され、木材市場が開かれたそうです。
 寛文年間(1670年)より銭丸太の製造、享保年間(1720 年)より始まる山地での樽丸製造などの木材利用技術の発達による販路拡大に伴い、造林の方法は集約化し、流筏路の改良等により造林可能地域が拡大していきました。
 時代の変遷により、1940年頃に樽丸から柱角の短伐期になり、1970年代の「吉野材ブランド」の材価高騰時代、1980年代の桧・杉集成材単板として住宅用造作材が全国に出荷されました。
 太平洋戦争の強制伐採等戦中・戦後を乗り越え集約的な施業は今も維持されているものの、その山々が林業構造的不況の影響から良質の木材を育てるための枝打ちや、下草苅り、間伐等の手入れも行き届かず荒れ地化しています。
しかし昨今、地球温暖化問題が世界的に論議されてから森林の果たしている公益的機能が評価され始め、森林を大事に”自然環境を守ろう”という意識が高まって来ました。
若い樹齢立木の間伐にとどまらず、森林が老木に至るまで成長し続ける間、間伐を続行し、いわゆる多段階間伐によって、残された立木がより立派な木材に育成するよう、活力ある森林環境作りが求められています。
タイトル
       <杉の間伐作業>
素材写真 間伐は一般的には、杉については、16〜20年より行い、40年頃までは3〜5年に1度、70年頃までは7〜10年に以後10〜20年に1度の割で行われます。
 小径木時の30年前後位までは主として保育を目的に行われ、その後は木材の利用を目的として間伐されています。
桧については、杉より遅く20〜25年と30〜35年に2割強程行われ、それ以後は成長に応じて行われています。
 吉野地方では、木材需要の全盛時には、おおむね主として皆伐(かいばつ)方法がされていましたが、木材不況の現在では木材需要に応じて、段階的な伐採方法いわゆる間伐により伐採が行われています。
 健全な森林作り、森林保全の必要、自然環境保全からも、より以上の間伐材の需要が期待されています。
 吉野のわりばしの材料である杉、桧材も間伐材として認められ、「吉野のわりばし」が、間伐材有効利用商品として認定された「間伐材マーク」を取得し、間伐材の建築用途の残りの端材を有効利用して、わりばしを製造する事で、資源のリサイクルの役割を果たしています。
タイトル
間伐材マーク
<間伐材マーク>
 間伐や間伐材利用の重要性などをPRし、間伐をすすめていくための普及啓発や、間伐材の利用促進・消費者の製品選択に資することなどを目的に設定されたマークです。
 この間伐材マークは間伐材を使用した製品などに表示します。
間伐材マークの使用にあたっては、申請・認定が必要です。
この取扱は、全国森林組合連合会間伐材マーク事務局で行っています。