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< 昭和40年頃 >
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中国の殷の時代に登場する。
崇神天皇時代、ピンセット状の「折箸(お取り箸)
」が日本に伝来し神器として使われた。
※ 「古事記」「日本書紀」の中で、”スサノオノミコト”が、ヤマタノオロチの退治の際、出雲
の肥の川上から流れてきたのは、この「折箸」だと言われています。
聖徳太子が”随”の使節をもてなすため、朝廷の供宴儀式で初めて「箸食制度」を採用する。
箸が一般化し、日本人は手食から脱出する。
南朝吉野の後醍醐天皇に里人が、杉箸を献上し、大変喜ばれた。
千利休が”箸”中心のマナーを確立する。
塗箸が作られる。また、山鉈で一本々ばらばらに割っただけの素朴な物が作られるようになった。(楊枝屋と呼ばれた)
飲食店が流行し、「引裂箸」という竹箸登場する。
四国の巡礼僧・杉原宗庵が、吉野地方の樽丸割を見て、大きな杉の木が余材として残っているのに着眼し、これを利用して杉箸を作る。
下市の寺子屋の教師・島本忠雄が「小判型わりばし」「丁六型わりばし」を考案する。
二本箸で一膳の松葉型のわりばしが考案され商品化される。
東京の箸商人が下市に来てわりばしを全国に広める。
同じ頃、「小判わりばし」に溝を付けた箸が生産され、「元禄小判」と称された。
下市の小間治三郎が、「利休型わりばし」を考案する。
「天削型わりばし」が杉樽丸林業の余材を使って発達する。
一部機械が開発されわりばし業が発展する。
桧のわりばしの生産が始まる。
機械化が進み、大量生産体制に入る
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