At random に名文、名句を書き込んでいきます。
2008/1/13
ャベツの祈り
 
私を大いに祝福し
私の地境(ちさかい)を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、
わざわいから遠ざけて私が苦しむことがないように
してくださいますように
 
旧約聖書 歴代誌第一、四章十節
 
Jabez called on the God of Israel, saying, "Oh that you would bless me and enlarge my border, and that your hand might be with me, and that you would keep me from hurt and harm!"
 
1 Chronicles 4.10
   

瀬戸内しまなみ海道
Shimanami Kaido
The route which has Seven bridges and six islands between Shikoku Island and Hiroshima pref.
 
秋たけなは青い海と白い波、碧空と潮風に誘われて四国はしらなみ海道に、今治から本州、尾道まで六つの島と七つの橋を渡り、80kmを走破、80mの高さの空を自転車のロードレーサーで飛ばしました。
心地よい潮風、恰も羽が生えて天空を行く気分でした。
沢山な親切なフレンドリーな方々との交わりもあり、お遍路さんを暖かく迎えてくれる人達との心のふれあいもありました。
世知辛い今の世の中、ここに旅し古き良き時代の日本の原点に触れる事が出来ました。
気が置けない友人との二人旅、良い想い出が出来ました
 
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  • しまなみ海道とは四国は愛媛県今治から向かいの本州、広島県の尾道までの瀬戸内海を渡る壮大な橋物語である。
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  • 今治ー大島ー伯方島ー大三島ー生口島ー因島ー向島ー尾道を結ぶ80kmの海の道である。
  • 友人のベテラン・サイクリスト生島先生とビギナーの私の二人の珍道中が始まります。自転車は一世を風靡したナショナルのロードレーサー、私は世界的に有名なGIANT米国製のロードレーサー。9kgの軽さ、
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  • 2003年10月10日、神戸は六甲アイランドからダイアモンドフェリーにて深夜10時35分出航、9,000トンクラスの堂々たる新造船にて、食堂は広く取ってあり24時間、料理は別として利用可能であり、眠れない夜はゆっくり朝まで読書も出来るし、うたた寝も出来る。有料バイキング料理セルフサービスの夕食でお酒も入り明日からの戦いの二人壮行会で夜も更けていきました。2等の20人の相部屋、大型バイクの連中達の勇ましい皮ジャンスタイル、私の夢を彼ら達がやっていてくれる、機関が階下にあるのか、エンジンの音が響きやかましかったがいつの間にか寝てしまった、いびきの音もかき消される事でしょう。早朝5時5分に今治に到着。まだ暗く自転車を輪行袋より取り出し組み立て点検、サイクリストの衣装を整える。武者震いをしながら6時出発。
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  • 今治の由来は関ヶ原合戦の戦功により入城した藤堂高虎公が「今より治める」の意で地名を改めたことに由来する。自然に恵まれ観光スポットが多く、今治城、質量とも世界一のタオルや造船、新鮮な魚介類、日本一を宣言した「やきとり」も自慢の一つである。これは面白い日本一である。
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  • 今治港を出て右に回り、活気のある大きな魚市場の中を通りながら、整備されたサイクリング道路に足を入れる。ベテラン3人組のサイクリストに遭遇、急勾配を登り、来島海峡を3つの橋で渡り、大島へ、海の難所・来島海峡に架かる世界初の三連吊橋、7,3km、この橋は長い。空に聳える6基の主塔、美しく弧を描くケーブルが優美な姿を見せている。20世紀の世界に誇る日本の架僑技術の結晶である。
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  • 潮風が心地よい、激しい潮流、渦潮で育った身も引き締まった鮮魚、ミカンと薔薇の島である。残念ながら薔薇のシーズンが過ぎてバラ公園は人影なし。250種、10万本の薔薇が初夏には鑑賞できたのに。石の彫刻が至るところにあり大島は石の里でもある。
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  • 伯方島にわたる。風光明媚な宮窪瀬戸に架かる橋で大島大橋は吊り橋、伯方側は桁橋である。海風と陸風の十字路「マリンオアシス・伯方」まばゆいばかりの海岸線が広がり、伯方マリンパークで親切な女性と暫しの交流、記念撮影のシャッターを御願いし、彼女の優しいお言葉、「気を付けてね」 のどかな里の女神かなあ?次なる大三島へ、、
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  • 伯方島と大三島間の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋、本州四国連絡橋の中で最初の橋として着工され開通当時は(1979年)わが国最長の橋でした。しまなみ海道のほぼ中央に位置し、海と光と夢の島、古の宝が伝わる大三島、2600年もの間、神木が生きずく、大山祇神社、神社宝物館には国宝と重文の武具類の8割が集められています、
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  • 世界最長の斜張橋、鳥が羽を広げたようなフォルムと形容され、非常に美しい橋です。又同じ斜張橋で世界第2位のノルマンディ橋(仏)と姉妹縁組を結んでいます。開通は1999年5月。多々羅大橋を渡り、生口島へ、四季の彩りを讃える母なるお寺、耗三寺、荘厳な美しさが旅の人の心を魅了する、この街で生まれた平山郁夫画伯の美術館、わが国初の柑橘類のテーマパークと島ごと美術館、駐車場には各地からの観光バスが集結している。尾道から来ている市電のようなバスを発見、近付いてみると運転手が降りてきて、サイクリストのこのど派手な我が輩の姿をこのバスと一緒に記念撮影をして上げようと親切なお方。シャッターを御願いした。
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  • 生口島から因島へ、この橋は斜張橋で、スレンダーな主桁が優美な橋のフォルムを形成しています。瀬戸内海で暴れた村上水軍の発祥の地、因島、因島水軍城、700体の石仏が立ち並ぶ「白滝山の石仏、世界中の珍しい花木95,000本が甘い香りに誘われて風となり、花となる「因島フラワーセンター」花の少ないこの季節、全丘グリーンの芝生に覆われ、カラフルな花が今は盛りと戯れています。友人があまりの綺麗さと人影が少なく静寂、ついベンチに腰掛け船を漕いでいます。朝6時からのツーリング、少し疲れが出たのでしょう。ここまで70km走破。花の写真を撮りまくり、この旅のハイライト。いい記念が出来ました、もう3時、余り空腹感が無く昼食が抜けてしまいました。今日はここで泊まる事にし、土産物屋で民宿を紹介される。明日は体育の日にて民宿は選手達で満員、辛うじて一部屋が空いていたようだ、「民宿玉屋」である。女将さん一人で20名の料理を作っている。夕食時親子3人の自転車野郎と籍を共にす。四国からのサイクリング、小学2年生の子供が一番強いと若き旦那様が宣う。新鮮な魚介類、ここで採れた鯛が一人一匹ずつ、ワタリガニもあり、「あなた達は今日はラッキーだよ」と女将さんの弁、本当に美味しくお酒のお変わりがが進んでいく。調理師の免許証には昭和24年生まれ、丑年、家内より4才若い。典型的な瀬戸内娘である。
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  • よく寝たもんだ。8〜9時から5時まで熟睡。7時朝食まで時間があり散策。空き地で小学生のソフトテニスのトレーニング、若い女性の先生がインストラクター、体育大会が近くであるらしい。友人の先生が試合前は余り練習しない方がいいのに、先輩から教えられたように教えているんだろうね。と先生のお言葉。民宿の前に小高い丘があり木々で覆われてい鬱蒼とした森の中、家の造りは分からないが可成りの大きさの家である。石段、石畳の道を上に登ってみると庭に草が茂っておりあばら屋だ、しかし奥の離れの方に電話線が繋がっている。電流計は僅かに動いている、鉄の扉を開け奥庭にはいると洗濯物が干してある。誰かが住んでいるらしい。本当に気持ちが悪い。お化け屋敷である。昔読んだ江戸川乱歩の世界である。小林少年の探検隊気取りである。友人は気味が悪く早々に降りていった。私は好奇心が強く探索したかったが一人では無理である。宿題を残して下山した。好い研究材料である。どんな金持ちがこんな所に別荘を建て、住んでいたのか、今子供達やお孫さん達は如何に。朝食時女将さんに聞いてみるとちょっと変わった娘さんが一人で紛れ込んで住んでいるらしい。普通の人は住めないねと余り気にも留めていないらしい。最後の橋を渡り向島へ、
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  • 因島大橋、多島美観に調和する優美な吊り橋である、花と緑と造船のリフレッシュパーク、温暖な気候と美しい瀬戸内海の風景に恵まれた島である。北に一衣帯水の尾道を望めます。渡船で尾道へ、
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  • と言っても目の先に尾道。泳いでわたれるところだ。船を下りて「珍味のふじもと」へ立ち寄る。干物の蛸がぶら下がっている、蛸のはっちゃんの悪戯が始まった。蛸を手に持って記念撮影、若主人奥から珍味を提げてきてお土産に下さった。何も買っていないのに。阿倍野に丁稚奉公に行っていたらしく大阪が懐かしいようだ。二人で阿倍野の東市場の話しに時が過ぎていく、不思議に彼も自転車野郎、向かいの空き家に自転車が見える。我が輩とおなじGIANT,アドレスを交換し尾道のシンボル的存在の千光寺へロープウエイで登る。港から見るとお城のようだ。しかしお寺である。
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  • 尾道は坂、寺、文学、映画とさまざまな表情を見せる風光明媚で情緒豊かな観光都市である。25の名刹が軒を並べる古寺巡りも良し、文学作品の原点に触れることも出来る。
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  • 志賀直哉の暗夜行路、放浪記の林芙美子、ホトトギスの正岡子規、東海道中膝栗毛の十返舎一九、アイヌの研究の金田一京助、俳聖、松尾芭蕉。吉井勇、頼 山陽、尾道文学の里でもある、もう一度ゆっくり散策したい。
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  • 新幹線の新尾道はJR尾道駅より離れており、輪行す。駅で汗びっしょりの下着を着替え、自転車を輪行袋に入れ、2時59分の新幹線こだまで新大阪へ帰る事にする。お互い家内が心配して待ちわびている????
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  • 構内の土産物屋のおばさまに教えて頂いた居酒屋、さすが創作居酒屋らしくその名前通り美味しい昼食を提供してくれた。ビールジョッキ各二杯、がぶ飲み、屋号は「源房」女将さんは気さくで、板さんは全国修行したらしい。ご馳走様。尾道に来られたら是非立ち寄ってください。
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  • 1泊2日のしまなみ海道80kmサイクリングロード走破、無事完了、慌てずのんびり良き旅であった。先生には頼りなかったかも知れない。今度は松山から左回りで四国を漫遊したい。我が輩サイクリングを始めてまだ日が浅いが長距離にも慣れ、もう一つ成長をして、生島先生にキャンプを張りながらの旅をお教え願いたいと思う。
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  • しまなみ海道の各種のパンフレットを参考にこの文をしたためました。関係者の方に感謝します。
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  • Shimanami Kaido which is six islands and seven bridges rout between Shikoku island and Hiroshima prefecture.
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  • I had a wonderful time last week.I went to Imabari city in Shikoku by ship from Rokko island port wiyh my lover who was a road racer GIANT.
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  • I arrived there at 5:05 in the early morning on Saturday. One of my friend who was a senior high school teacher join me and got together.
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  • We crossed six islands and seven magnificent bridges. The route was very beautiful and I took many pictures.
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  • The beautiful blue sky, cobalt blue sea, white waves and sea brease wind welcomed us. It was very wonderful and bridges were 80m high, so that I was pedaling as if I were a bird.
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  • The cycling road is very nice and not so hard to pedal. But some parts of the route were very steep to climb up to the bridges..
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  • The people who lived there were very kind and friendly. Because a lot of Japanese Buddhists visit eighty eight temples around Shikoku island through their life. On that time the native people welcome them with pleasure. It's an old good custom in Shikoku.
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  • Bible said that you had to help the tourists gladly. Maybe you know a certain Samaritan helped an injured man. Just as this story, Shikoku people are very kind for everything.
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  • We had a lot of good memories to talk with them. Many cyclists were pedaling wearing beautiful cyclist suits just as me. and I met some family group cyclists. They look very cheerfuly.
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  • I thought this route was for not biginers but middle class cyclists. Because it's 80km far from Imabari city to Onomichi city in Hiroshima prefecture.
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  • We stayed at tiny Inn in Innoshima island. The dinner was very nice. The dishes were a seabream, a crab, some shells and so on. They were very delicious. Because these island is surrounded by rich fishing sea. Woman land lord said you were very lucky tonight.
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  • On Sunday noon next day we landed to Onomichi city. It's very famouse for a lot of temples, literature, arts and movies.
  • Someday I'll be here again.


日本的なもの
 
寺沢智子(神戸女子大文学部助教授)先生のエッセーより、
 
奈良の猿沢池といえば、観光に来た人も地元の人達もほっとする空間である、
そこには興福寺の五重塔を水面に映し、歴史的な町並みに囲まれた独特の雰囲気がある、ベンチに座り、石の上でひなたぼっこをする亀をぼんやり眺めていると不思議な時が流れていく、
五十年以上も前の事だが、この猿沢池での一つのエピソードを紹介しよう。
 
初来日したスイス人牧師トマス・インモースが池の畔で休んでいると、隣のベンチで家族と共にお弁当を広げていた五歳ぐらいの少女が、突然近づいて丁寧にお辞儀をしてミカンをを一つ差し出したが、その時の仕草が両手で大切そうにささげ持つ、あの埴輪の持ち方だったという。
彼は少女の姿に「日本」の象徴を感じ、「日本」に挨拶をされて受け入れられたように思ったとその印象を語っている。
西洋の少女なら片手でつかんで無造作に渡しただろうと。
 
その後インモースは日本に永住し、「日本的なもの」とは何かを、異文化に育った人間として、またユング心理学を通して研究し、日本の神道祭儀や古典芸能への独特の分析を深めていった。
 
このエピソードは彼の対談集「深い泉の国:日本ー異文化との出会い」の中で語られている。彼はそこで日本的なものは既に先史時代からみられ、価値体系の核心としての義理、人情、恩、わび、さびもすべてその中から発展していったものだともいっている。
 
埴輪の仕草を、考古学の研究材料としてしか見てこなかったわたしには大変新鮮な刺激であった。
 
深い泉のような文化を持ちながら、日常の判断や行動にそれを意識することがなくなって来ているのではないだろうか。
たとえば森林浴をマイナスイオンの効用にあると説明するよりは、遙か昔、日本文化の基層を形づくった縄文文化が「森の文化」であったからだって感じる方が、もっと「日本」を身近に意識出来るのではないかと思ったりしている。
 
 

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