大阪城甲冑隊
Osaka Castle
Red Samurai
NPO法人大阪城甲冑隊
   総大将 河井計実、
 
 
             文責:池上八郎

大阪城天守閣の環境を守る21世紀のサムライ。
 
A Nonprofit Institution Red Warriors of the Osaka Jo.Castle.
Red Samurais in Osaka Castle.
 
NPO法人 大阪城甲冑隊
 
@ なりたちとその心、  
  
  (NPO法人:大阪城甲冑隊、 河井計実理事長)
  
  私達が着ている赤い鎧は、約400年前に豊臣家と徳川家が争った「大阪冬の陣、夏の陣」で活躍した真田幸村にちなんだものです、「真田の赤備え」と呼ばれています。
 
  1615年に起こった大坂夏の陣。豊臣方が徳川方に壊滅的な敗北を喫したこの戦いで、豊臣方の武将として智謀を尽くし勇敢に戦って散った真田幸村。大坂の人々は今も幸村をこよなく愛している。
 
  この鎧は大阪城天守閣で「紙で作ろう、よろい、かぶと制作体験教室」を企画し、立ち上げ、それに市民が参加して作ったものです。
  
「現代によみがえったサムライ集団」として、戦いではなく「大阪城が好き、歴史が好き、武将が好き、鎧が好き」を合言葉に、大阪城と上町台地を中心とした大阪の街を盛り上げるために活動しています、
 
 大阪城天守閣周辺で毎月第3土曜日午前10時〜お昼過ぎまで、我々は大阪城甲冑隊と市民団体「真田丸」、東住吉総合高校、東放学園の有志と共に清掃活動しています、
  ご一緒に活動しませんか?
 
 
 
 
A  制作過程と活動状況、
 
  大阪城天守閣でいま、”21世紀のサムライ”が自分たちの鎧(よろい)兜(かぶと)造りに励んでいる、平成15年から始まった「紙で作ろう鎧兜の製作教室」の参加者たちで、厚紙やダンボールなどの紙を使って赤備え(あかそなえ)と呼ばれた真田幸村隊(さなだゆきむらたい)の頭成兜(ずなりかぶと)と桶側二枚胴具足(おけがわにまいどうぐそく)を製作している、
 
  紙で作ろう鎧兜製作教室は慶長19年(1614年)の冬の陣と翌年の元和元年(げんながんねん)の夏の陣に合わせて冬と夏の2回開かれている、サムライたちは胴具足(どうぐそく)から兜(かぶと)まで自分の体に合わせて、自分の手で作り上げている、
 
  平成18年の夏で7回目になるが、毎週の土曜日と日曜日を利用して、3ヶ月、12日間、大阪城天守閣特別室にて自分のサイズに合わせた鎧(よろい)と兜(かぶと)を作り上げるのである、
但し時間が足らず、自宅で塗装、編み上げ等にかなりの時間が必要であった、
 
  講師は市民団体:大阪城甲冑隊(おおさかじょうかっちゅうたい)の世話人代表、現在NPO法人大阪城甲冑隊理事長の河井計実(かわいかずみ)さんです。製作指導からこの企画を立ち上げられた功労者です、
 
  まず採寸から始めて裁断から仕上げまで細かい指導を受けながら自分の体型に合ったオリジナルな鎧、兜を作り上げていく。
 
  だが単に紙の鎧と兜を製作するだけでない、
その甲冑(かっちゅう)を着たサムライたちは毎月第3土曜日に集まって、刀身を平和の刀、金バサミに変え、大阪城公園に心無い人によって捨てられた空き缶や空箱、タバコの吸いがらなどのゴミの清掃活動を続けています、
 
  甲冑隊として多くのイベントの合間にも美観を守る活動をしていますが、観光客や、外国人観光客の写真攻めにあったりするほどの人気があります。
国際交流の一端ですね、
 
  真っ赤な鎧兜に身を固めた甲冑隊の活動で、観光客がゴミを捨てにくくなるという効果も大きい。
 
  このようにゴミ拾いや各種イベントに参加する21世紀のサムライたちは大阪城公園の美観を守るために立ち上がったのだ。
 
  拙者、第6期の卒業生、若き侍たちに足手まといにならぬよう気合を入れて各種イベントに参加しております、
 
  2007年度の大きなイベントには、春、長野県上田、真田祭り、
秋には御堂筋パレードに参加、
 
  春には大阪城周辺のご近所の有志の方々による市民団体「真田丸」が誕生し、赤い菅笠、赤い羽織を身纏い、共に明日の大阪に向かって立ち上がりました、
東放学園の殺陣の会の協賛を仰ぎ、わが甲冑隊の御堂筋パレードに色を添えていただきました、
 
  平成19年11月4日大阪城甲冑隊のシルバー男女3名がSuzuka 8h Enduro (鈴鹿8時間耐久自転車競走)に出陣しました、
真っ赤な甲冑姿のサイクリスト、拙者と男女隊員2名参加、前代未聞
「大阪城甲冑隊3人合わせて200歳」、と大書された大きな真っ赤な背旗を靡かせながら、朝8時から夕方4時まで8時間、無事完走いたしました、
 
  大阪城甲冑隊のイメージキャラクターも隊員のゲマさんにより描いていただき、
(さなだ)「ゆきむらくん」と名づけられました、
皆様、可愛がってあげてね、
 
参考文献:総合教材ニュース、双庚イラストニュース、より、
 
澪漂ーみおつくしー
河井計実、大阪城甲冑隊長、
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/2004/06/miotukusi040608.html
 
こわい話
http://www.yutaka-enterprises.co.jp/blog/odon/2007/03/post_10.html
 
 
B 公式ホームページ
  http://www.osakajo.ne.jp/
「大阪城甲冑隊」とWEB検索してください、
またはこのHPの木の葉の目次に戻り[リンクページ]より「大阪城甲冑隊」にお入りください、
 
 
C 真田太平記(大阪城夏の陣)
      作詞・曲  原田 直景 (上田城甲冑隊隊員)
 
@   茶臼山肌 真っ赤に染めて
             幸村軍の 赤備え
     三千数百 鬨の越え
             エイエイオー
     怒涛一気に 駆け下りて
             いざ決戦の火蓋きる、
 
A   大阪城は内外堀を 
            埋め尽くされた 裸城
     幸村軍扇 翻る
              エイエイオー
     百戦練磨の したたかさ
              雌雄を決す 城外戦
 
B    真田軍旗 血しぶき浴びて
              家康本陣 突き崩し
      踏みつけ倒した 馬印
               エイエイオー
      善戦空しく 六文銭
               不惜身命 夏の陣
 
    (真田は日本一の兵と 今尚賞賛 敵味方)  
 
D 真田幸村の赤備え
 
  慶長5年、天下分け目の関が原合戦に昌幸・幸村父子は西軍・石田三成に担したが、兄信幸は東軍・徳川家康に属し、昌幸・幸村父子は紀州高野山(九度山)に配流の身となる、慶長16年天下に比類のない軍略に徳川軍を翻弄した謀将、昌幸昌幸 病死、九度山での幸村の見事さは終始柔和でわが身を腐らせず、逆境にあっても落ち込まず、心を荒ませず、常に自然体で世を拗ねていなかったことだ、
  慶長19年48歳の幸村に、大阪城入城を勧める豊臣家からの使者が来る、幸村の人となりに接した男達がすいよせられて集まってきた、高野山の山麓の猟師たちも30余名いた、
  大阪城に入城、全員燃え立つ火の玉となって雲霞のような徳川軍団に突撃する事数度、真田隊の赤一色に統一した赤備えは、つつじの花の先たるが如くと、派手やかさは敵味方の目を引いた、
  先頭指揮官としての幸村は、はるかに巨大な相手に挑み、撃破するという奇襲戦法も可能なりーだーとして完璧な器量を備えていた、夏に陣の悪戦苦闘の中にあっても悲壮感さえ泛べていなかったことであろう、あまりにも不適な、惚れ惚れする武将ぶりは、部下からの信頼に見事に応えている、
  真田日本一の兵と味方でもある武将たちも妬んだほどであったいうから、『どこで死んだら一番分がよいか、家康殿の様子をちょっと眺めてみましょうわい』などと、茶臼山の丘に登り、家康本陣を観察したりして、リーダーとしての幸村のモノに動じない腰のすわりと余裕が、真田隊の士気を掻きたて結束をより強いものにした、幸村は柔和で心優しい人物であったと、兄の信幸の追憶の言葉にある、
       九度山町の真田庵の記録による、
 
E 真田幸村の人となり、
 
正式名は「信繁」で、幸村と記した歴史的資料は見つかっていない、
大阪夏の陣で家康の本陣を遁走させ後一歩のところまで追い詰め、後世に天才軍師としてその名を残す、
家康があの世に行ったら酒を酌み交わしたい人物であると言った逸話がある、
人柄は柔和で辛抱強く物静かで怒るようなことはなかったと言う。
江戸時代になってもその軍略、人物共に慕われ続け、幕府も敢えて禁ずる事はなかった。
 
 
F Samurai.
Samurais who wear red armors.
 
The foundation of the Osaka Castle Red Samurai Troop.
Osaka Jo Kacchutai troop.
Japanese Red samurai troop.
 
(大阪城甲冑隊の設立)
 
Many people young and old who love Japanese history, Samurai,their Armor and Osaka Castle got together at the top of Osaka Castle.
Mr. Kawai opened a class in making samurai Armor, under his leadership, we constructed armor using numerous pieces of cardboard.
I have attended the class every Saturday and Sunday from 10:00 am to 5:00 pm for three months.
It was very hard work, but we finally accomplished this work.
As our armor is exclusively red, we look very impressive and strong.
At last, Osaka Jo Kacchutai, or" the Osaka Castle Red Samurai Troop", was born.
We are called " The Risen 21st Century Samurai" to suport Osaka as well as Japan.
There was a huge civil war battle around Osaka Castle in 1615 between the Toyotomi and Tokugawa armed forces, which marked the end of theToyotomi Era of gaverment.
It was called Osaka Natsu no JIn or "Osaka Summer War. and was the last decisive Battle.
Toyotomi's army consisted of only 42,000 samurai, but Tokugawa's troop totaled 127,000 samurai in number, outnumbering them three to one.
 
Toyotomi's soldiers fought desperately.
General Sanada Yukimura in particular was doubtless and led the campaign against Tokugawa troops.
 
Sanada Yukimura had twice brought Tokugawa Ieyasu, the leader of The East army forces, to the verge of suicide.
At last, they fought at the Issinji Temple and later on Mt. Chausu yama in all-out battles.
 
 
However, there was no contending against such heavy numbers of Tokugawa troops.
Finally, Sanada Yukimura died under the great tree at Yasui Shrine in Osaka..
 
All of Sanada's troops were wearing red armor and recognized as the best troops in the war between the two armies.
 
As the result of this summer battle, the Era of Toyotomi came to an end in 1615.
All of Osaka Jo Kacchutai loves General Sanada Yukimura forever.
 
This concludes my history of Osaka Jo Kacchutai.
 
 
 
☆ To visitors,
 
To visitors from all over the world, who are taking commemorative photos,we hope your stay in Japan has been enjoyable and that you will have pleasant memories of your visit.
 
We are members of the Osaka Castle Red Samurai troop and you will find us.
Dressed in disguise as Samurai, waiting to assist you on your visit.
 
After you have returned home, please visit our Website to learn more about Japan,
But we are sorry that this website is almost in Japanese!
 
Thank you for coming to Japan, and visiting Osaka Castle.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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