France Report Part 2
前葉のFrance Reportが満杯になりましたので引き続きこの葉から始めます。
懲りずにお読み下さい。

単身赴任で健闘している若者同士、王士(きみひと)との対話に花が咲き、夜が更けていく。
 
家内も北陸出身、北陸出身者はみんな親戚兄弟みたいに思っている彼女、自分の子供が一人増えたみたいな感じで話している。
王士(きみひと)にと思って持ってきた日本の食料品、かさばるからと言っていたので彼に日々の食料の足しにと差し上げた。
 
我が輩はクレオパトラとフランスの広野を駈歩している夢でも見ようとホテルに向かった。
 
Have a nice dream! Aurevoir!
 
 
第7日目 6月18日(水) 
 
Mulhouse(ミュリューズ)から Dijon(デイジョン)へ
 
お世話になったホテルに別れを告げ、タクシーで駅まで出る。これでメルセデスベンツ、シトロエン、プジョー、ヴォルボ、ニッサンのタクシーに全て乗った事になる。残念な事にトヨタがない。
 
駅でタクシーを降りると、昨日馬場でお世話になったおっとりの運ちゃんが立っている。
お互いに歩み寄りハグ、仲間が事情を知っているのか、「お互い耄碌しなや。」 と誰かが言っている。
 
コンパートメントのある列車に乗り込む、この列車は予約席でないので、家内は気を利かし、全員座れる席を確保するために、荷物を我らに預け、単身最前列まで一目散、日本のオバタリアン、ジャパンパワー、バイタリティーには感心する。
欧州連合には負けていない。
 
一室が確保され、Dijon に向かって2時間半、無事到着しました。
すこしディジョンについて触れてみよう。
Dijon は14,15世紀ヨーロッパ最強の都市、ブルゴーニュ公国の黄金時代には、フランスを凌ぐ大国で、ベルギー、オランダまでその領域を広げていました。
美しいものや美味しいものを全て首都であるDijon に集められ、今でも当時の華やかなりし時代を彷彿させられる。
フランス中央のブルゴーニュ地方に属し、ドイツ色から遠ざかり、石造りの豪華な建築物に恵まれている。決して広くない道路を綺麗な大型バスがひっきりなしに運行されている。
 
今日から TULIP INN DIJON "Le Jura"★★★ に3連泊する。
 
200年も続いた由緒有るホテルで名前通り至る所カラフルなチューリップが飾られている。このホテルも Family-run-hotel で家族の気配りが感じられる。
 
二家族用にアパートメント式の二部屋が用意されていたが、共同トイレになるし、朝の早い我が輩に気を遣ってくれたのか、完全な二部屋の方がいいと言って、桃子がフロントに行ってクレーム。親切があだになった見たい、二つの部屋に替えてもらった。
 
私の部屋は綺麗な広い部屋で気に入っていたのだが、道路に面し、しかも一階、雑踏が聞こえ、おまけに運悪く向かいのビルは工事中、この部屋でも良かったのだが3泊なので、フロントに降りていき、事情を話し部屋を又替えてもらった。良い部屋なのにとフロントの女性は不満気味でしたが、今度は中庭の見える二階のスイートな部屋が与えられました。
 
王士(きみひと)達の部屋はこの部屋に比べると、あまりお気に入りでなく、私たちの部屋を見た桃子がこんな良い部屋があるんだったら私たちにもと不満気味、王士(きみひと)が既に疲れて休んでしまったので今日は替わることができず、このままにし、何度もホテルに無理を言っているのでこれ以上頼むわけにも行かず、家内が桃ちゃんにツーリストに電話を入れてみたらとアドバイスする。
こんなトラブルは初めてでした。
 
市内観光に出て、イタリーレストラン、Saveurs D'ITALIE に落ち着く。
海鮮料理のコースと口直しにヌードル、日本人には量が多すぎる。二人で一人前が良いようだ。ウエイターはポルトガル人でこの料理店に研修に来ていると言っていた、気のいい人の良さそうな青年である。
 
鳥かごを大きくしたような籠の中に私たちのテーブルがあった。蝋燭のほのかな光の中で優雅な食事が始まった。
 
市内を見てみよう。ホテルを出るとInformation のあるダルシー広場、しきりに観光バスが出入りしている。その先にこじんまりした凱旋門、若者が沢山集まっている。ギョーム門である。
この通りにはノートルダム教会、市庁舎、Dijon美術館。ブルゴーニュ大公宮殿、百貨店と軒並み豪華絢爛な建物、道路の両側の建物にはフランス国旗や州旗がはためいている。本当に絵になる綺麗な風景だ。ヨーロッパにはこのような光景が多い。
 
日本の商店街の幟旗、立て看板、垂れ幕を見ると本当にイヤになる、町の景観、美観を重視するヨーロッパの文化との大きな開きが感じられる。
まだまだ日本は町並み保存には後れを取っている。
 
自国の国旗、州旗に自信を持つ国家が羨ましい。
日教組の歪んだ教育に振り回されている日本、何でも悪い日本、自国を極端に虐げている。いい加減にせよと言いたい。
 
反日主義は外国人ではなく、そこに住んでいる日本人、未だに軍艦旗を揚げているあるマスメディア、国を代表する一部の官僚だと友人の外国人にも言われた事がある。
日本の一部の外務省の役員ども、あれは日本人では無いんだよね。似非日本人だよ。
外国人のご用聞きだね。
日本にはコンビニ、スーパーが出来て、ご用聞きがいなくなったのに?
彼らは自分の家の悪口を世間に言いふらすだろうか。日本人である事を忘れ、支那人か朝鮮人の類なのだろう。一部の彼らは日本で何をやっているか皆様もよくご存じでしょう。
 
終戦後、私の小さい頃、こんな記事がある新聞に掲載されていたよ。私は未だによく覚えている。
「蝿一匹いない中国、北朝鮮は地上の楽園。東ドイツは共産主義の優等生。」
こんなものこの世に存在しないんだよ。
最近までこんな輩の雑誌がある病院の待合室に幅を利かしていたんだよ。今では恥ずかしくって何処へ撤去したんでしょうね。
よく我々を騙してくれたね。その連中は耄碌しているか、この世に存在しない年だがね、いやいや China School や Korea School の優等生、が自民党の最大派閥だよ?。
 
自分の住んでいる団地は700軒、祝日に国旗掲揚しているのは私と後一人。国民のために働いている公務員までが国旗にそっぽっを向いている。
 
話が横道にそれてしまいましたが、百貨店、スーパーマーケット、大きな市場もあり、朝市、のみの市もあり、旅先でこんなショッピングも楽しいものだ。
ここはワイン街道の中心地、美味しいワインを一本買って帰る。
 
息子家族といつの間にか、はぐれてしまったので、帰路、ホテルから見えていた寿司、焼き鳥の看板の日本料理店に入いろうと、店頭のメニューを眺めていると、大きな声で「おばあちゃん」と呼ぶものがいる。
店から憧耶(あこや)が飛び出してきた。
考えは同じだなあ、と懐かしい日本の味を堪能する。
 
 
第8日 6月19日 (木)
DIJON 滞在第2日
 
Montbard (モンバール)日帰り旅行。
 
このホテルには豪華で広いレストランがある。朝からヴァイキング料理、ハム、ソーセージ、ベーコンはさすが本場、牛乳も甘い、周りは皆外国人、日本人の子供が珍しいのか、注目の的、子供は天使だね。
 
昨日の息子家族の部屋の事で良いアイデアがひらめいた。そうだ! 旅行会社に連絡する前に手を打たなくっちゃ。
ホテルのマネージャーに「清水の舞台から飛び降りる気持ち」で大芝居を打つことにした。
 
食事の後大きなテーブルナプキンに裏表ぎっしり英文の直訴状、和英辞典がないので苦労したが、何とか書き上げた。
 
単身赴任の父親に10ヶ月ぶりに妻と3歳児の涙の対面、父親は貴国の元植民地、ヂブチ共和国の工業高校で教鞭を取っている。自動車工学や整備の教科である。
そのため会社に辞表を出し、2年間岡山の自動車整備士の専門学校の寮に入り、資格を取りやっと念願かなって、JICA(青年海外協力隊)の隊員として任官、2年間の家族離ればなれの苦労、
Video Movie 「Brother Son, Sister Moon」 を地で行ったモデルみたいな敬虔なクリスチャン、
 
この旅行は、ある妻の愛するご主人様への最高のプレゼントであること。
あと14ヶ月会われない事、
有名なイタリーの物語、クオレより、「母を尋ねて3,000里」を地で行っている事等を綿々と書きつづり、心あらば、フランスの、Dijon の、いやTulip Inn の良き想い出に、もう一度素晴らしいお部屋をご配慮願いたいと、王士(きみひと)の描いたクリスチャン・アート、絵はがきを数枚添えてフロントに行き、マネージャーに渡してくれるよう頼みました。
 
くれぐれもこの件は、Between you and me, 極秘扱いで有る事を申し添えて、
この分を読んで心を打たれない人はおそらくいないだろう、自画自賛。
 
フロントの姪っ子さんは、10分間待ってくれるようにとの返事、
10分後ロビーに降りてきた王士(きみひと)家族に新しい部屋の鍵が渡されました。
心あるマネージャーの最高の贈り物、
私の隣の部屋に彼らは移ってきました。
 
今日は日帰りで新幹線TGVに乗り、Montbard (モンバード)にある世界文化遺産の「フォントネ修道院」に行きます。,
正午発まで時間があるので、アルトザクレ美術館にたちよる。
親切な学芸員が英語とフランス語で案内してくれた。
中世美術からルーベンス、ドラクロアなどの近代の作品、最上階には現代の作品も展示されていました、
 
12:08発のTGVにてモンバードに12:42.のどかな広々とした田舎町、駅前に小綺麗なレストランが1軒、ここにも大きなフランス国旗と州旗、本当に絵になっている。
各自美味しいものをオーダーし、私は相変わらずヴァイキング料理、サンドウイッチにオムレツが家族のランチ、のんびりした広々とした落ち着いた町なので気分も穏やかになる、
今日も快晴で、フランスに来てからずうっと良い天気が続いている。本当にラッキーだ。
 
ここからフォントネ修道院まで10km、息子とマウンテインバイクでいくことにする。
小さなツール・ド・フランスだ、プジョーの自転車2台を借り、修道院まで一直線、途中チエインがはずれ息子の修理してもらい、40分ぐらいで修道院に着く。日本の真夏日みたいで、本当に暑い、例年にないヨーロッパの暑さ、異常気象らしい。
家族はタクシーで先回りし、修道院に向かいました。
 
フォントネとは泉というラテン語の語源を持ち、泉に泳ぐ人という意味である。
清貧、貞淑、従順、の誓願を宣立し、沈黙、祈り、働け、の厳しい戒律の元、世俗を離れ、修道士達が生活していたのです。
 
貴族出身の聖べネラルドは華麗を否定し、無装飾、簡素なものとし、自己の持つ修道生活において、祈りの重要性を強調し、視覚からくる必要以上の想像をかき立てるものを全て廃止した。
 
日本のわび、さびの世界に通ずるものがある、
華麗さの極地は Simple is best の境地である。
 
ヴィデオでツールドフランスの勇姿をこの修道院をバックに撮ってもらう。失敗が許されないので、リハーサルつき、
 
自転車での帰路、道を間違え、列車の発車時刻が刻々と迫っているので真剣に漕ぐ。慌てて自転車を返却し、駅に急ぐ。やっと間に合う。
しかし家族はまだ来ていない、タクシーで来たので、とっくに着いていなければならないのに。
 
列車到着の時間が来たが、列車がまだ着かない、ラッキー。遅れている。もうダメだと思ったら、やっとタクシーが着いた。修道院でタクシーを頼んで置いたのだが、呑気にしている。
細い田舎道を120kmで飛ばしてくれたらしい。
日本のように時刻に正確ではなく遅れる時もあるらしい。運良く今日は鉄道員のストライキに引っかかったようだ。
 
ディジョン到着後、スーパーに入り涼を取る。
食料品売り場に行き、今日はホテルの部屋食を企画する。家庭料理である。ソーセージ、ハム、サラダ、肉団子、その他色々、ビール6本、ワイン1本、
ホテルの部屋で家族団らんの食事、日本を思い出し楽しい夕餉でした。
 
夕食後家内と相談して、オーナーに部屋のお礼として高価な茶筅を贈る事にしました。
 
フロントに降りていき、フロント・パリジェンヌにマネージャーに渡してくれるように御願いする。
帰ろうとするとマネージャーが追っかけてきて一緒に飲もうととのこと、バーに行くと彼の友人が一人、二人で飲んでいたところらしい。
ギフトの茶筅を説明するのに家内がいた方がいいと思い、家内に電話を掛け、バーに誘い、4人で乾杯!
外国旅行をして大きなホテルのオーナーと一緒に杯を傾けるなんてこんなことは滅多にない。しかも部屋の事で揉めに揉めた後なのに、心の広いお方だ。
日仏親善、フランスが大好きになった。
 
彼らは英語を話し、4人で意気投合、出来上がってしまいました。マネージャーと私は同年、友人は5才年下、私をいくつに見えるかと問えば、55〜60才、若く見てくれて有り難う、3人の共通点はお互い10才以上離れた若い奥様に恵まれている事でした。良い友達である。
 
お互い難しい話をせずに、ありふれた話をするのも楽しいものだ。子供さんが新潟に住んでいて、日本人のガールフレンドをお持ちとか。
日本に行った事がないがご両親は日本通である。
子供に目の無いのが世界共通、お互い親ばかですねと大笑い。
今夜はマネージャーの奢りでした。
ワインではなくスコッチをいただき、格別の味でした、
家内もなかなかの外交官夫人、国際親善の役目を果たしてくれました。
 
 
第9日 6月20日(金) 快晴
ディジョン滞在3日目
 
優雅で広いレストランで朝食を終え、部屋から見えていた中庭に出ようとしていると、マネージャーに会い、昨夜のお礼を言う。
まだお孫さんがおられないのか、憧耶(あこや)姫を抱っこし、全員で記念撮影、顔がほころび、満身で喜びを表している。
憧耶(あこや)は人を見ると、ぶすっとせず、にこっとするので、愛嬌があり人に好かれている。
 
部屋から眺められた中庭に出る。大きな西洋とちのきが2本、天を仰いでいる、
広場には大きなチェスの基盤が広場を占領しており、憧耶(あこや)が両手で抱えながらチェスの駒を移動させている。
あきてきたのか、次は鼻歌を歌いながら砂場で、バケツに小さなスコップで砂を一杯入れている、
庭の椅子を一杯集め、一列に並べ、汽車ぽっぽ、いろんな遊びがひらめいていく。
憧耶(あこや)の世界が広がっていく。
 
今日は一日市内観光、ホテルを出ようとすると、Manager の奥様が見えられた。手には二組のお土産、マスタードである。
 
この街は言わずと知れた食通の町である。エスカルゴ、ブルゴーニュ・ワイン、マスタードである。
その昔、派手好きで有名だった14世紀のフィリップ豪胆王はパーティの度に一晩で320リットルものマスタードを使ったそうな。
 
奥様は非情に若く、家内より5才は若い。昨夜ご主人から聞いておいた。部屋のお礼を言い、ご無礼をわびてお許しを請うたが、少しも気にしておられず、王士(きみひと)とロビーで、フランス語で小一時間立ち話をしている。
立派に話しをしているので、よく10ヶ月の特訓でこれほど喋れるとは。
 
私の英語は中学生から何年習っているんだろう、未だに不可解な英語を喋っている。
 
奥様の話では、金曜日の朝はマルシェで朝市があるらしい、私もよく行きますとのこと、こんなお金持ちが何を買いに行くんでしょうね。
やはりショッピングは女性の生き甲斐?息子さんは新潟に住んでおられるらしい、奥様は奥の部屋に走っていって彼の住所とホームページのアドレスを取ってこられました。
日本語と英語と仏語のWeb-Site があるようだ。
 
何だかまたこのホテルに泊まりに来るような想いに駆られた。
 
市内に出てマルシュ市場に急ぐ、のみの市もあり大勢の人で賑わっている。雑貨、宗教関係のグッズ、衣類、家具、古本、本当に何でもある。一日いててもあきないようだ。
 
家内がテーブルクロスを見つけ、我が家の食堂の円形のテーブルに合うクロスを2枚買い、裁断をして貰った。一つは白い私の趣味、もう一つは黄色い家内のクロスでした。
 
年を取り老いぼれて、外国旅行にいけなくなったある日の事、
「ばあさんや、フランスのデイジョンという町で、これを買ったんやで、覚えているか?」
「安くなかったけど、良い買い物だったね。」
「ところで王士(きみひと)はまた家族を残して、アフリカに行ったらしい。」
「どーしているんでしょうね?」
「桃ちゃんも苦労するね。」
諦めているのと違う。」
あんたそっくり、お嫁さん大変だよ。」
 
こんな会話が始まりそうです。
 
いつの間にか王士(きみひと)達とはぐれてしまったらしい。市内をぐるぐる、道に迷って凱旋門まで戻り、再出発、英語を話す親切なギャルソン、私たちの手を取るように案内してくれる、田舎から出てきた両親を案内するように、本当に忝ない。
時には、綺麗なパリジェンヌに道を聞くんですが、即席のフランス語を交え、身振り手振り、楽しい交わりの一時、
「私、英語が喋れないんです。すみません、」と逆に困った顔をして、謝られるようなこともありました。
巴里ジェンヌかわいいですね。
 
ノートルダム教会を訪ね、厳粛な雰囲気に飲まれる。13世紀に建立され、フランス革命で手足を切り取られたマリア像が祀ってあります。外には人形が鐘を打つ時計がありました。大勢の人で賑わい、門前には、古典的な宗教書の古本屋が立ち並んでいました。
 
ブルゴーニュ公が愛した芸術が残るディジョン美術館に入り、彼の全盛時代を思い浮かべていました。
特別目を引いたのは江戸時代の吉原の花魁の着物姿のヌードの絵姿でした。100号ぐらいで立派な芸術作品、驚きでした。
 
中華レストランで軽く食事をし、ホテルに戻り午睡の時間を取りました。
 
夕刻また市内に繰り出し観光、スーパーに入り1階から4階まで、楽しいショッピングの時間でした、エアコンも効いていて暑さの疲れも癒されます。
 
フランスは帽子が安い、私は帽子を持っている方だが、最近家内に買って貰った夏用のベレー帽が日本では10,000円、ここではブランド品が5,000円、パナマ帽を買って帰る。最近こんな帽子を来ている人はフランスでも珍しく、誰にも会わなかった。
 
美術館の2階の窓から入り口を見ていると、映画のロケかなあと思うほどの貴公子と貴婦人がスペイン貴族の服装で入場されました。
外人の隣のおばさまと目が合い、この場違いな格好に大笑いしました。おばさまもじいっと見ていたんですね。
私の麦わら帽子もわらいもの?
 
今日の夕食は王士(きみひと)達と分かれ、別々に夕食を食べる事にしました。
ポルトガル人のウエーターのいるレストランへ、
彼も覚えていてくれ、久しぶりにビーフステーキをはりこんだ。味がこく、香辛料がきつかったが、まあこんなものか。日本の上等のステーキは口の中でとろけるようなのだが、外国ではやはり、少し堅く歯ごたえがある方がいいらしい。クラッカーが好きだが、饅頭のような柔らかいのが外国人には好まれないのと同じかなあ。
さんまは目黒にかぎる。
神戸ビーフが世界の芸術品だと思いますがね。
 
ホテルに帰り、バーを覗いてみたが、今日は誰もいなかった。
寂しく部屋に戻り夢の中に入っていきました、
どんな夢を見たのかそれは内緒、
 
 
第10日 6月21日(土)
ディジョンからパリへ。
 
12時08分発のTGV(フランス新幹線)でパリに戻るので午前中は時間があり、もう一度市内観光、ギョーム門、ノートルダム教会、ブルゴーニュ大公宮殿の美術館、Muse de Beaux-Arts まで王士(きみひと)の家族と一緒に行く。
 
ノートルダム教会を再度訪問、有名なフクロウに逢いに、教会を出て右に回ると、手を上に伸ばしたところに鎮座ましました。右手で金製のものを触りながら左手で触ると幸福が訪れる。フクロウも700年間触られ続け、ぴかぴかになっている。
 
想い出多きTulip Inn に最後の別れを告げ、12:08発のTGV の人となる。
1時間43分後にパリ駅に到着、旧駅を使用しているためか、雑踏としている。
 
外観は厳つい角張った濃いシルバーの新幹線、堅苦しい直線のラインに比べて、日本の新幹線は曲線で仕上げられ、なめらかさ、柔らかさを強調している。
フランスのは一部在来線を使用しているせいか、騒音が感じられる。
どちらか忘れたが100人近くの死者を出した脱線事故が独、仏新幹線にあったと聞いた事があるが、世界に誇る日本の新幹線は無事故である。
 
日本の新幹線は5分おき、外国のは10分おき、日本の新幹線のシステムは世界一を誇っても良いんじゃ無いかと思う。
インテリアーは各自個人の好みによるが、飛行機の内装に似ているのでやや進歩的かも。
 
外国人の友人によく聞くが、やはり日本のがすぐれているとのお褒めの言葉を頂戴します。
各種の新幹線に会い、カメラに納めました。
 
お腹がすいたので駅の売店でサンドウイッチを買ったが、不思議に三角サンドウイッチが見当たらない、
あの長いフランスパンを立てに割り、そこにソーセージ、サラダが挟んであった。ここにもフランス人のこだわりが感じられました。
 
1週間振りにパリに戻ってきたのです。
メトロでモンパルナスの駅に着き、懐かしいサンジェルマン・ホテルに戻ってきました。若いフロントマン、Mateieu君が再び歓迎してくれました、
昨夜の日仏のサッカーの話しに花が咲き、残念ながら日本が2−1で破れました。彼は日本チームの健闘を称えてくれました。
 
夕刻まで時間が空いているので、以前行った事がある三越百貨店に最後のショッピング。日本人がいるのできめの細かい買い物が、女性達に楽しんでもらえるかなあと思ったからです。
 
出発直前、桃ちゃんが大変、クレジットカードが見つかりません、先に私と家内に行ってくださいとのこと、とりあえずタクシーを飛ばし、オペラ座に急ぎました。
 
8年前はフランス人の女性のSales clerk(店員)が多かったので楽しみに行きましたが、今は殆ど日本人の店員ばかり、買い物がしやすくなりましたが、異国情緒が無くなりました、残念?
 
家内が良いものを見つけました。
ガラスのランタンです。蝋燭を点けるとガラスに彫られた景色が浮かび上がるのです。奥ゆかしい幽玄の世界です、幻想的な像が炎に揺れています。
良きパリの想い出が見つかりました、
良きお土産に3個奮発しました。
 
幅の広いサスペンダーを見つけました。私に丁度ぴったし、もうこれで立派な英国紳士、いやここはパリなのでフランス紳士かも。
 
帰りはルーブル博物館、セーヌ河、サンジェルマン・ブランドモール街を通り、モンマルトルのホテルまで歩きました。一時間の散歩でした。
 
今日はフランス中、広場という広場、教会、レストラン、駅前広場に若者が大集合、至る所ミュージックライブを開催しています。
若者の特権、街角コンサートです
真夜中が過ぎ、若者達は明け方やっと眠りにつきました。
 
私たちの旅も終わりに近づき、明日は夕刻フランスとお別れです。
最後の旅の打ち上げに、駅の近くの日本料理店、「ともかず」に再度お世話になりました。
すっかり馴染みになったレストラン、マダムが憧耶(あこや)に可愛すぎて特別な感情を表すと、驚いた憧耶(あこや)が突然大きな声で泣き叫びました。
マダムも驚いたのでしょうね、オレンジジュースを差し入れ、なだめましたが急には治まりませんでしたが、いつの間にか笑顔にかわり、きゃっ、きゃっと言って笑っていました。この方にはまだお孫さんがおられないんでしょうね。可愛くて仕方がないようでした、食事中マダムは何度もご機嫌伺いに足を運んでいました。
 
よく似た方がいらっしゃるんですね。25年前、お世話になった京都のある病院の看護婦さんを思い出していました。どうしておられるんでしょうね、
 
フランスに来て日本料理屋や中華料理食べ歩きになってしまいましたが、これで息子も当分オフクロの味、いや桃ちゃんのご馳走を満喫し、ホームシックから開放されるでしょうね。
 
沢山な想い出に耽りながら、最後のパリの夜を楽しみました。
 
 
第11日目 6月22日 (日)
パリから日本へ
 
8時に朝食を終え、夕刻8時のフライトまで時間もあり、ホテルに4時集合と言うことで、2家族別行動を取り、最後のパリを楽しみました。
メトロでルーブル博物館まで出て、最後の掘り出し物の物色、以前はなかったのだが、ルーブル博物館の地下にモール街出現、エアコンも効いて今年の暑いパリからの脱出に丁度良い。
 
とある見せに立ち寄る。
”Princess de Paris"何故かハンサムな、アランドロンほどでは有りませんが、人なつっこいムッシューが店番、
「いや、ちょっと高いな、」
「こっちの方がやすいで。」
マスターは日本語が分かるらしく、下手の事を喋れない。手頃なものをえらんでくれる。美味しそうなクッキーをお土産に選びました。
 
他に客が無く、彼はパソコンで遊んでいました。
悪戯心で、私のホームページを教えてあげると、珍しい日本人のWeb site 仕事そっちのけでみいていました。
流暢な英語で???でホームページの写真集を解説していると、日本女性の二人ずれ、「創作ドレスのお店をしりませんか。」と綺麗な日本語で訪ねてきました。
彼に聞き通訳してあげました。
「階段を上がって二階の左側にあります。」と教えてあげましたが、彼女たち暫しの間、私のホームページが面白いのか一緒に覗き込んでいました。
 
あんた達何しにパリに来たん。
 
私の写真コーナーはレパートリーが広く、「千と千尋の神隠し」の写真を見つけ、「しっている、知っている。」とフランスのマスターは、はしゃいでいました。
暫しの日仏国際交流の一時でした。
何でも話の種にしてしまう小生の悪癖でした。
 
手持ちのユーロが少なくなったので、博物館の前の両替所で円をユーロに交換しました。余りにも円が少ないので計算してみると、1ユーロが212,90円にもなっている。
日曜日の特別両替料を取られたのかも知れませんが、余りにも安すぎるので、文句を言ったが相手にしてくれません。
正規のレートは134円ですが、10%手数料取られても150円ぐらい。これでは全くのぼったくり。日本では考えられない、東南アジアでは逆に日本円が強い、今ユーロが強いので逆の現象がおきている。
 
この店のマネージャーに見せると、こんなものだと言っていました。やはり出来るだけカードで支払いをすべきである。
特別ブランド商品を買いあさる旅でもないし、沢山な教会、聖堂を訪れたので、差額は特別献金にでもしておこう。
 
もう通い慣れた道になっているので、サンジェルマン通りをWindow Shoppingしながら、ホテルに3時半に着いた。
 
憧耶(あこや)が大変!立派な鬚を付けている、
パパのより立派なものだ。
ベッドではしゃいでベッドの角に打ち付けたらしい。よく前歯を折らなかったね、1時間近く泣いていたらしい、出血が止まらないところだし痛かったろうに。
傷跡が残らなければいいが、
 
色々なアクシデントが紀子(みちこ)姫を除いて一人一つずつありあました。さすが日本女性の、妻の鏡、ノーミスで海外旅行を終えるかと思いきや。
さて後のお楽しみ??
 
モンパルナス駅からドゴール空港行きのバスに乗り空港に到着。
降りる準備をしていると、
「お父さん、まだ降りるのと違うで。まだもっと先やで。」
ちょっとしたアクシデントがあり、ポリスが道路を閉鎖、チェックしている。小一時間掛かって、やっと我らの空港に着きました。
 
 
10日間の僅かな憧耶(あこや)、桃子と王士(きみひと)との逢瀬、また神は非情にも彼らを引き離すのです。
パパとの辛い別れに、泣きじゃくる3才のみどりごの憧耶(あこや)の姿を想像していたのですが、放浪好きなパパとの別離に慣れているのか、静かなLast scene だったようです。しかし彼らの目にはちらっと光るものがあった。言葉では言い表せない一抹のさびしさである。
 
そっとしてあげたいので、私たちはその場にいいなかったので、これは創作である。
 
 
ドゴール空港は2つに分かれていて、ドゴール空港T、ドゴール空港Uである、
ドーナツ型の空港Tに到着し、チューブの中の歩道を渡っていく、恰もSFの世界である。
 
ルーブル美術館のガラスのピラミッドと言い、この透明なチューブと言い、フランス人の感性はすばらしい、
 
三越で買った免税品の書類を提出しなければならないと思い、申告先を探したが、見過ごしていた。
家内は入国審査が終わってからだという、私もあまりはっきり覚えていないので彼女に従って、入国審査を受ける。
 
終わってから免税手続きカウンターを探したが見つからない。この空港Tはドーナツ型をしているのでいつまで経っても同じ所をぐるぐる廻っている。
藁をもすがる思いで空港職員に尋ねると、もう一度出国しなければならないとのこと、やはり入国審査前であった。困った顔をしていると、彼親切にエレベーターのあるところまで案内してくれた。
 
2階に上り、出国カウンターへ、
黒人の女性係官が日本人の若い女性と応対している。何故出るのかと英語で彼女は尋ねている、聞いていると、友人の大事なフランス人と、恋人らしい?、にもう一度会わなければならない事が起こったらしい。彼女の英語力では後が続かない。通じていないようだ。係官が諦めたのか、気を利かしたのか分からぬまま、出国OK.
 
私も続いて免税の申告手続きを忘れてきた事を申し述べたら、OK, 早く行きなさいとのこと、係官も下手な英語を聞いているより、顔の表情でこの二人は何を言いたいのか察してくれたのでしょうね。
 
ドーナツ型の階をぐるぐる何度廻ってもカウンターがない。見つからない、出発時刻が刻々と迫ってきている、家内は税金を払っても良いや、といって諦めている。
分からないはずだよ、ここは2階、空港職員が1階だよっと教えてくれた。出口のない迷路だった、堂々巡りとはこのことらしい。
初めての経験であった。無事手続きも終え、再度入国審査を終え、出発ロビーへ。
 
憧耶(あこや)姫と再会、ほっとし、一息をつきました。どうもフランスは空港と言い、道路と言い、複雑怪奇、慣れてしまえばメトロといえども便利に出来ているのかも?
 
20:00 NH206 全日空 747 ジャンボジェット機は轟音を靡かせて、シャルル・ド・ゴール空港を飛び立ちました。
 
これが最後になった家内の大ちょんぼでした。
5名それぞれ一回づつ、仲良くちょんぼをした旅でした。
 
これから長い滞空が始まります。
 
 
第12日目、 6月23日 (月)
日本に到着、帰国。
 
日本に帰ってきました。成田着、14時25分。
懐かしい日本です。11日間もあっという間に過ぎてしまいました。色々なアクシデントもあり、新たな挑戦もあり、見知らぬ人との出会いもあり、並みの観光旅行より実り多き旅を楽しむ事ができました。
全て添乗員、ガイドの旗のもと、完璧なパック旅行より、頭の使うこの旅は、じいさん、ばあさんのぼけ防止の良き薬になったかもね、
 
成田空港発、16時55分、
伊丹空港着、18時05分、
 
天井につかえるかなあと思うほどの小さな可愛らしいジェット機で懐かしい大阪に帰ってきました。
夢のようなフランス旅行も終わりました。
そうです、現実の世界に戻ったのです。
 
何かしら、疲れたと言うより今回の旅は、新しい、若いエネルギーを神さまが与えてくださったような感があります。
ここだけの話になりますが、息子、王士(きみひと)のお陰で、日本国中、いや、世界を見て歩く事が出来ます。感謝です。
親が子離れが出来ないんですね。
金魚のフンのように、何時も繋がっています。
そうです、もうすぐJR郡山駅です。金魚すくい選手権大会が7月に行われます。
 
自由、平等、博愛を表すフランス3色旗、さらにカトリック教徒の寛大さと慈悲の心、昔習ったモンテスキューの「法の精神」を基盤とするフランス人の偉大さと人情の細やかさを身に染みて体験した貴重な旅でした。
フランス万歳!!
 
 
FIN
 
 
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長らく私のJunk Repot にお付き合いいただき、有り難う御座いました。
ご感想を○、X だけでも結構ですので、是非BBSにお書きください。
それが唯一の私の宝物となります。
 
最後になりましたが、この旅行にきめ細やかな暖かいご協力を賜りました、アルカディア・インターナショナルの大成浩一様にお礼を申し上げたいと思います。有り難う御座いました。
Tulip Inn Hotel のご家族の方、スイスから飛んできてくれた友人のPeter, 乗馬クラブのスタッフの皆様、何かとお世話になったタクシーのドライバーの方々、旅の途中であった親切な方々、レストランの人々、数え切れないほどの親切を与えてくださった人達に心からお礼を申し上げます。
 
文中,一部・地球の歩き方、フランス篇を参考にさせて頂きました、有り難う御座いました。
 
法隆寺で Volunteer Guide に励んだ日を思い浮かべ、その延長上にこの旅が成就した事を覚えて、筆を置きたいと思います。
 
Merci Beaucoup,
 
I'm going to write a French Repot in English in a year.
Please enjoy it.
 
Hachiro Ikegami,
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003/8/26
2002/1/5
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