フランス旅行記
”父を訊ねて3,000里”
 孫娘、憧耶(あこや)の旅日記。
  2003/06/12〜23
 
Paris-Dijon-Mulhouse
 
Kimihito   王士(きみひと)
Akoya   憧耶(あこや)
Momoko   桃子
Michiko   紀子(みちこ)
Hachiro   八郎

昨年9月、次男の王士(きみひと)がJICA(青年海外協力隊)の隊員として任命され元フランスの植民地、ジブチ共和国に単身赴任いたしました。
東アフリカの世界で一番暑い国、水道の温度が摂氏50度、これで想像がつきますが、ガードマンつきの官舎が与えられました。
工業学校で自動車工学、整備を教える事になったのです。
 
研修と夏期休暇を兼ねて、フランスはパリに上京、この機会を利用して、彼の妻と娘(3才)が”父を尋ねて3、000里”を果たす事になったのです。語呂合わせで3,000里としましたが、もっと遙か彼方にフランスがあります。
イタリーの有名な童話、「クオレ」の中に「母を尋ねて3,000里」というお話があります。
マルコ少年がイタリーのジェノバからアルゼンチンに、母を尋ねていく可哀相なお話ですが、これをヒントに、憧耶(あこや)の父を尋ねて三千里に題名を選んでみました。
 
私たち夫婦は彼女たちの身を案じ、同行する事になりました。
娘が言いました。
”牛に引かれて善光寺参り”でしょう。
 
息子夫婦による詳細微にいたるフランス旅行がやっと実現いたします。世間ではサーズ(新型肺炎)で海外旅行の自粛、東南アジア方面の旅行の禁止と情勢は可成り厳しい、
 
申し込みの期間3ヶ月は既に切れており、もう一ヶ月もない。サーズ(新型肺炎)の流行の様子を見て、中止覚悟で旅行会社に協力を仰ぎました。パック旅行と違ってすべて手作り、E-mail やりとり数十通、大阪の Arcadia International の大成(おおなり)様には本当にお世話になりました。
 
わたしは今回の海外旅行は20回目ですが、これほどクライアントの気持ちになって、親切でフレンドリーな旅行会社にあった事は今までに一度もありません。
英語で言うと、中学時代の英語の勉強で丸暗記させられた構文を使って、
”I have never seen such a kind and friendly travel agent."
とでも訳しましょうか、大成様あっていますか?
大成様本当にお世話になりました、まだまだ未熟な私どもですが今後ともよろしく御願いします。
 
 
出発第1日目 2003/06/12(木) Osaka→Narita
 
久しぶりに天王寺のアポロビルに行き、リムジンバスにて大阪空港(伊丹)に、ANAの可愛いジェット機にて成田までひとっ飛び、雲海から白い冠をかぶった富士山がにゅっと頭を出している、
ANA全日空ホテルに、桃子、憧耶(あこや)、紀子(みちこ)と宿を取る、
明日は10ヶ月ぶりに彼女らは最愛の人に会えるのです。
どれだけ待ち遠しかったでしょう。色々な想い出が湧き出てきて今夜はさぞかし寝られな〜い永〜い夜になるでしょう、
 
 
第2日目 日本→パリ 6月13日(金) Japan→Paris
 
4名でパリに出発、成田発11時25分。
パリ、シャルル・ドゴール空港に17時到着、
同じ日付ですが、これでも12時間の長き滞空時間、何時も思う事ながら12時間は本当に長い、
 
3才を越えると子供も大人と同じフライト料金、憧耶(あこや)も3才2ヶ月、機内では子供用特別食、空気でふくらますビニールのANAジェット機が与えられました。
子供優先に付き家族は順番待ちが無く最優先、これは助かりますね、皆様に悪いね。
 
王士(きみひと)は一足先にヂブチより7時間のフライトでパリのホテルに着き、空港まで迎えに来てくれていました。
 
昔と違ってインターネットの世界、毎日の交信、再会の感激も劇的でもなく、とわたしは思いましたが、これはわたしの勝手な判断、言葉にもならず、外国映画のように夫婦の永き抱擁のシーンも期待できず、日本人の慎ましさ、静かな対面でしたが、憧耶(あこや)は飛んでいきました、
 
家内が[王士(きみひと)]と大きな声で呼んだので、憧耶(あこや)は母親譲りの長いまつげのつぶらな目をぱっちりと空き、どう呼べばいいのか、一瞬ためらったようですが、「パパ」と呼ばずに。「きみひとパパ、きみひとパパ」と連呼、
みんなで大笑い。
 
10ヶ月のブランクはみどりご(3歳児の語源)にとって永すぎました。
「パパ、パパ」それから決してパパから離れませんでした。おんぶに肩車、抱っこと大変。
 
空港に迎えに来てもらえるのは見知らぬ土地ではこれは大いに有難い。
飛行時間もせめて6時間ぐらいが良い。
コンコルドも無くなり、戦闘機ぐらいの速い旅客機の開発が望まれる。
 
夕刻8時にモンパルナス駅の近くのロイヤル・シャンデルマンホテルに着く、
この駅にはモンパルナスタワービルがあり、59階建ての高層ビル、登る機会がなかったが複雑なパリの道路事情にはもってこいの道路標識になる。
ここはパリの文化地区、沢山な米国人が集まってくる。
 
可愛らしいプチホテル、家族的ないわゆるFamily-run-hotel である。
フランス滞在中のホテルはB&B のホテルなのでランチ、ディナーのためのレストランを探すのも楽しみの一つ、
早速駅の近くの Restaurant Japonais 日本料理店:「ともかず」へ、
フランスに来て日本料理とは不思議でしょうが、10ヶ月間遠ざかっている日本料理は王士(きみひと)にとってはご馳走である。
パリでは日本料理店は韓国人が経営しているのが多く、ここは中級クラスの料理店、刺身と寿司盛り合わせ、串カツ盛り合わせを注文する。
不思議に一人ずつ大皿のサラダが付いてくる、外国人もちらほら、日本に来た事がある人達かステータスシンボルか、ご夫婦でお見えである。
 
同じ東洋人同士、やはりどこか身近に感じ、安らぎを覚える、多分奥様か、しきりにこちらの喋る日本語を反復して覚え、憧耶(あこや)に話しかけている。
旅では憧耶(あこや)姫が有名なスターである。我らは取り巻きのスタッフメンバーだ。
 
夜遅く王士(きみひと)にたたき起こされる。
肌身離さず身につけていなければならない大切なものをなくしたらしい。これは本当に大変な事だ。
家内の機転で外国旅行用携帯電話で先ほどのレストランにとりあえず電話、フランス語しか通じず、大切に保管しているとの事、有難き事この上なし。
家内は日本から持参した土産物の一つ、郡山は金魚で有名、金魚の風鈴を提げてお礼を兼ねて駆けつける。
 
これが最初で5人がだぶることなく、一人ずつちょんぼするとは。
こんな不思議な事ってあるんですね。
 
 
第3日 パリ滞在、2003年6月14(土)
In Paris
 
人は何故高いところに登るのだろう、東京に来れば東京タワー、パリに来れば、まずエッフェル塔、お上りさん宜敷く、登ってみた。327,25m、東京タワーは皆様ご存じ333m、展望台は276m。
天候は非常に良く、ハッキリと全パリが見渡せる。左右対称、幾何学的にデザインされたどでかい公園が正面に、シャン・ド・マルス公園、ここで万国博覧会が開かれ、野外コンサートにも利用される、
今日は農業祭、面白い滑稽なパレード、パフォーマンスもあり、模擬店も至る所、結構楽しめる。子供広場もあり憧耶(あこや)は他の外国人の子供と滑り台で遊んでいる。
日本人の子供が珍しいのか、若者や老夫婦に注目の的、おおいに可愛がられている。
 
凱旋門、その前のシャンデリーゼ大通り、コンコルド広場、ルーブル美術館、シテ島とノートルダム大聖堂、私たちの宿泊しているモンパルナス駅の高い塔も見える。
 
晴れ男のハチロウサン、旅行には絶対強い、8年前にも添乗員から13回ヨーロッパ3カ国歴訪したが、こんなに天候が良かったのは初めてと言われたことがある。
日本は台風と大雨らしい。本当に運が強い。
視界良好、大きな果てしない箱庭のようにパリ市内一望。
 
セーヌ川の船着き場に着き、港内レストランにて昼食、制服姿の船員さんもランチタイムでブレークしている、セーヌ川には4種類の綺麗な船がひんぱんに航行している。我々はクルージングと洒落て、シテ島で下船しノートルダム大聖堂に向かう。
 
大きなステンドグラスのバラ窓が有名で、天に届かんばかりの尖塔の姿は本当に神々しい。
日本では見慣れない光景なので特別感激がある。
ノートルダムといえば、日本ではノートルダムのせむし男で有名で、何か薄気味悪い感じがするが、ノートルダムとは貴婦人を意味し、聖母マリヤの事であり、崇高なイメージですよ。
 
今年のヨーロッパは50年ぶりの暑さとか、カフェーで疲れを癒し、好物のチョコレートパフェを注文、いつもの通り家内に笑われる。郡山の自宅の近くのファミレス、シャロンが無くなり、美味しいチョコレートパフェが食べられなくなり、やっとここで本物のに巡り会いました。毎週土曜日夜の英会話の連中を連れてきてあげたい。
 
フランスのカフェーはフランス人にとって生活の一部であると読んだ事がある。オープンカフェーでお茶を飲んだり、本を読んだり何時間も居座っている。気軽に時間を過ごせるところだ。誰も文句も言わないし、勿論食事も出来る。
ついでに申し上げると、ウエイターは日本ではバイトが多いですが、フランスではれっきとした事業である。ギャルソンまたはムッシューと呼び、彼らは権利金を店に払い、お客のチップ、サービス料を所得として生計をたてている。持ち場が決まっており、接待に真剣である。
 
外国では室内より店頭のテント張りの広場、オープンカフェーでの食事が多く、非常に混んでいる。
フランス人は話し好き、何時までも座り込んでいる。
苛ちの日本人には耐えられない、店の回転率も悪い、売り上げに影響する。
 
男性が余り見かけないのに、若い女性の喫煙者が本当に多い、驚きだ。その上、臍出しルック。はんけつも多い、
はんけつとは座ればお尻が見えそう。
ローラースケート、スポーツ自転車、日本製の大型ビッグバイク、大型スクーター。
これがパリの風物詩である。
 
イタリーでも腹出しルックが流行っているらしい。
腹の出てきたおばちゃんまで臍を出しているとの事、若い子ならイザ知らず、これは頂けない。
イタリーからメールが入りました。
メトロでモンパルナスのサンジェルマンホテルに帰る。
エッフェル塔とルーブル博物館はセーヌ川で繋がっており、それを底辺として3角形の頂点に我がサンジェルマンホテルがある。
どちらに行くにしても40〜50分ぐらいです。
 
 
第4日目 6月15日(日)
      パリ→ミュリュージュ
     Paris→Mulhouse 
 
朝6時起床、8時朝食まで2時間ほど時間があるのでモンパルナス駅の反対側、サンジェルマン通りをセーヌ川に向かって歩き出す。
家内達はまだ夢の中、この通りは有名ブランド品の店舗が多く、わたしには、豚に真珠、家内いや女性達には応えられない通りである。
 
3km程歩くとセーヌ川に突き当たる。一直線である。私のしっている唯一の通りである。これから何度もこの通りを通る事になる。
途中ご婦人の散歩、思わず英語で、
”Do you speak English?"
彼女はにこっとしてビックリした様子、変なおっちゃんに声をかけられて、大きな声で、
”YES, I DO."
はっきり大きな声でしたので大文字にしました。
一般には英語が通じないので彼女は英語が聞けたのでちょっと嬉しかった様子、カルフォルニアから毎年夏にモンパルナスに来ると言っていました。避暑にパリに来た様子だが今年のこの暑さ、彼女もちょっと様子が違うらしい。例年なら20度ぐらい、今年は30度に近い。
 
川向こうのルーブル博物館を眺めリターン。
8時半朝食、ホテル内のレストランは贅沢な絨毯を引き詰められた、民芸品、芸術品の数々、可愛らしい昔の乳母車を見つけ、憧耶(あこや)が遊んでいる。
今フランスではガッシリした三輪車の乳母車が流行っている。日本のは軽快ではあるが弱々しい。
 
ウエイトレスは小柄な黒人女性、黒髪が綺麗に結わえてあって、光沢を帯びている。綺麗だよと褒めてあげると彼女はぽっと顔を赤らめ、喜びの表情を表せていました。
リッチな邸宅の応接室のような食堂、コンチネンタル式の朝食、数多くのパン、ハム、ソーセージ、美味しい本場のチーズ、フルーツ、コーヒー、新鮮な牛乳、お変わりも出来美味しくいただきました。
 
今日は日曜日、近くのカトリック教会(ノートルダム教会)へ、尖塔のある大きな教会、中は薄暗くキャンドルの光が堂内を照らしている。
荘厳な眺めにて、200人ほどの信者、説教が始まり、聖餐式のあと隣同士の握手による挨拶、私の隣の子供さんが握手を求めて来ました。
記念に、”Hello Japan"(パスポート副読本)の小冊子を差し上げました。
 
朝市を見て、リュクサンプール宮殿のある公園へ脚を運びました。
公園は「詩人の森」と呼ばれ、ヴェルレーヌ、ボードレール、ジョルジュ・サンド、スタンダール等の11人の彫像があり、とくに気を引くのは”自由の女神”の原像あることである。
 
フランス国民がアメリカ合衆国独立100年を記念し、両国民の友好の証として、送ったものであり、ニューヨークはマンハッタンの南、リヴァーテイ島に聳えたっている。今イラク戦争で米仏が不仲になっているが自由の女神も嘆き悲しんでいることでしょう。
 
市中子供の汽車ぽっぽが特別運行され、家族全員乗り込み30分の楽しい一時、外国の子供達との楽しい交わりもありました。
 
変わった小綺麗な中華料理店に入り、ガラスケースに陳列された料理の量り売り、好きなものを選び一品ずつ計って貰い、値段が決まるのです。
バイキング料理の量り売り、明朗会計、妙齢の外国のご婦人も立ち寄り、公園で立ち食いをしていました。
 
各自それぞれ注文し、我が輩はチンタオ(青島)ビールで一人乾杯、息子のためアジア料理に明け暮れています。
公園にはのみの市が開かれていて、目の保養になりました。
 
今日から、ミュリューズ(Mulhouse) に3泊します。
パリ東駅から列車に乗り込みました。
パリにはパリ駅が無く、7つの駅に分かれており、その一つが「東駅」である。
何故フランス人は道路といい、駅といい複雑にするんでしょうね。
 
コンパートメントの座席ではなく、二人掛けのシート席、偶然?妙齢のご婦人と相席、これから4時間の旅、家族と席が分かれましたが、絶好のチャンス、何のチャンス?
勿論語学研修でしょう。彼女は独、英、仏語、三カ国語を操り、仏語が一番喋りやすいと言っていました。
 
勝ち気な仕切やタイプのマダム、年のせいかすぐ仲良くなり、彼女はフランス観光ののち、スイスに帰ると行っていました。フランスの観光チケットの残りをくれたり、スナックフード、果物まで食べ合ったり、私より若いのに自分の弟に久しぶりにあったような雰囲気でした、私のこの穏和な性格に気があったのでしょうか?
ちょっと宗教の話を持ち出したが、この語学力では法隆寺のように行きません、彼女は小一時間説教してくれました。「分かる?」と聞かれましたが「分からない」と答えると、後でメールしておくと笑っていました。
 
彼女は読書と執筆活動をしているとの事、名前は「アガタ」、マダム・アガタです。
「あなたはアガタ・クリステイの親戚ですか?」と問えば、この冗談に彼女は笑っていました。
ご主人は最近亡くなられたそうです。
ご冥福をお祈り致します、
 
メール交換を約し、ミュリューズの駅で「オウバー」
仏語でさようなら、またスイスにメル友が出来ました。
 
いつの間にか4時間が過ぎ、無事ミュリューズに着きました。
教会の尖塔が見え、そこを目当てにスーツケースを押したり引いたりしながらホテルを探しながら歩きました。
途中分からなくなり親切なおじさんに助けられ、Tulip Inn Hotel に着きました。
 
 
フランスの地図を開いてみると右上、北東部に当たりますが、アルザス地方と言われています。ライン川を渡るとドイツ、スイスである。
地域的にも、歴史的にもドイツの領土であったり、フランスの領土であったり、可成りドイツの影響が多く、残っている。年輩の方はドイツ語もはなしている。
 
フロントでピーターという人が泊まっていないかを聞くと、416号室に宿泊とか、私に会いにスイスから車で飛ばしてくれたのだ、早速訪ね、私の部屋に来てくれるよう頼みました、
彼の自宅からこの街まで120km、アウトバーンを使えばそれほど時間が掛からない、
 
私の家(大和郡山市)からコテージのある北琵琶湖まで120km、丁度ヨーロッパの国境環境は日本の県境感覚だ。日本は海に囲まれているので外国というとはっきり海で線引きされているが、ヨーロッパにはそんな感覚がないでしょう。いつのまにかよその国。
 
ピーターは一杯お土産を持って来てくれた。
私には大きな装飾用の羊飼いのベル、家内には高価な綺麗なショール、憧耶(あこや)にはスイスの救助犬のぬいぐるみ、とSUMMER という綺麗な絵本、彼の名字が SOMMER, 夏と彼の名前を掛けている。もう一つ可愛い T-shirt.
王士(きみひと)にはこの地方の有名なワイン、桃子には教会音楽の祖、バッハのCD. 
 
日本からピーターに奈良のハードカバーの風景画集、金魚の風鈴、日本式にお香典、
もしこの場に奥様がおられたら、どれほど喜びがあったことでしょう。
昨年家内と同年の奥様がクリスマスの夜、薬石効なく天国に召されました。本当に悲しいお話である。
8年前、法隆寺でガイドをしたドイツの医師親子の家にホームステーし教会を案内していただいた時に会ったおしどり自転車夫婦、教会のカフェーで黒ビールで乾杯、しばしの交わりが今日の出会いであった。
 
この8年間、画像入りのメールで交信していたのが花が咲いたのである、日本を訪問したがっていたのだが、運悪く阪神大震災のため中止になったとか、残念。
 
暫しの語らいののち、尖塔のある大きな教会を中心に広がっている、マルクト広場みたいなところのカフェレストランでピーター主催の歓迎パーティが開かれました。
 
数回のE-mail の交信で彼は「アルザス地方の典型的な料理と美味しいビールで夕食しましょう」 言っていたので、それに甘える事にしました。
 
アルザス料理はドイツの料理に似ている。
Chucouteシュークルートは塩漬けで発酵させたキャベツを香辛料、豚肉とともに白ワインで煮込み、腸詰め、ハム、ソーセージを詰め合わした豪華な料理、ドイツビールで乾杯し、「朋あり、遠方より来る、また楽しからずや」話が尽きない。夜は更けていきました。
隣の席のご夫婦、頻りにこちらを見ている。旦那さんが憧耶(あこや)にサインを送っている、可成りご機嫌で奥様に手を引かれて帰って行かれました。
 
 
第5日 6月16日 ミュールーズ
Mulhouse 第2日、
 
いつもの通り目覚めが早い。
3時に目を覚まし、前日の旅の記録を留めておく。たっぷり2時間はかかる。
窓を開け空を見ると、今夜は満月だ、お伽の国の満月だ、絶好の被写体だ、じっくり構えていると雲隠れ、又顔を出す、今4時、日本では正午、
日本で見る月もフランスで見る月も同じなんでしょうね、
 
5時に明るくなってきたので、早朝散歩、昨夜の賑わいは嘘のよう、教会広場には人影もなし。
オープンカフェーも跡形もなし。清々しい朝である。
 
ミュリューズの駅も賑わってきた。6時半、日の出、駅前散策と写真撮影、
駅前の川に20隻ほどのカラフルなクルーザーが停泊している。橋には花が飾ってあり、きめ細かいフランス人のお持てなし、いい写真が撮れました。
 
7時半ホテルに戻り朝食、ピーターは既に朝食中、美味しいハム、ソーセージ、チーズの数々、細長いフランスパン、クロワッサン、堅い黒いぶつぶつのあるドイツパンの数々、フランスには2種類のパン、ドイツには10数種類のパンがあるらしい。
 
ピーターが教えてくれました。
一番美味しい朝食の食べ方は、長いフランスパンに柔らかいドロッとしたチーズ、最近日本でも見かけるようだ。
 
フランスのノルマンデイーの農婦、マリーアレルが18世紀に作り出し、フランスにカマンベール有りと世界中に知らしめたと言われています。
かの有名なナポレオンも好んで食べたと言われ、彼女の彫像が建てられています。
 
白い黴に表面が覆われている軟質のチーズで、この黴が表面に繁殖することによって熟成します。
内部はクリーミーでカットしたのち、しばらく置くと流れ出すほど柔らかくなります。余り香が無く、あっさりとした新鮮みがあり、心地よいカビ臭があります。
 
ナポレオンが奥様を思いだし、食通は芸術であると言わしめたこのカマンベールを、輪切りにされたフランスパンと一緒にご賞味あれ。
 
と、ここまで苦労して文献を漁り、チーズの事を書いたのですが、家内が横から口を出し、ピーターが教えてくれたのは、このチーズだよ、とフランス直輸入のチーズを出した。
VACHE GROSJEAN 8P CHEESE でした。
このチーズはまだ国産化されていません。
緑の蓋に大きな牛の絵が描いてあるフランス直輸入品、スーパーで見つけられます。
口から自然にフランス語が出てきますよ。
 
家族が起きてきたので、ピーターと今日のスケヂュールを打ち合わせ、ミュリューズ、リグビル、リボービル、ハウトケーニッヒブル城、コルマーを見学する事にする。
 
ピーターの車はシトロエン、私の弟はプジョー306に乗っているが同じ会社らしい。
シトロエンは昔見たフランス映画の影響で一度乗ってみたい車である。今私の免許証は20年前におさらば、
特に古い箱形の、一度衝突すればバラバラになるようなあのロマンのあるシトロエンが好きである。
このホームページのPhoto Gallery の中の一枚の写真で見る事が出来ます。お暇な方は見つけてね。
 
日本と違って運転手を除いて憧耶(あこや)を膝に乗せれば5人乗れる。日本では4人しか乗れない。
走行距離は6,000m、アウトバーンをひとっ飛び、緑一杯の葡萄畑に囲まれたRiquevihr リグビルに着く、今日の予定はワイン街道に沿って北上する、
 
小さな小さな村なのに観光客で一杯溢れています。
原色で絵を描いたようなカラフルな中世の町並み、気骨組の古い家が坂の上の塔のあるところまで続いている、
土産物屋さん、民芸品店、食堂がひしめき合っている。本当に賑やか、活気がある、裏側にはずうっと葡萄畑が広がっている。
 
憧耶(あこや)はと見てみると、歩くのが苦手で?甘えているんだが、すぐパパの肩車、
"Give me a ride on your shoulders?"
英語では長くなりますね。
あきてきたのか、肩車から降りて、のんびり猫の昼寝を横に座って覗き込んでいる。フランスの三毛猫、日本語が分かるかなあ?
絶好の被写体だ、写真プロのピーターもキャノンピクルスのシャッターをしきりに押している。
特選間違いなし。
 
ピーターも私も桃ちゃんもみんな写真にクレージー、
私はミノルタ一眼レフ、オンリー。初期からだから数台目だ。ミノルタのデジカメを買ったが、今回はヴィデオカメラと一眼レフに頼っている。
8年前に買ったナショナルの高価なヴィデオカメラ、3CCD付きで90万画素、優れものだ、
筒井駅の近くにあるナショナルのサービスセンターの係長さん、彼もこのカメラが大好きで、大事に使ってくださいと喜んで修理を引き受けてくださる、
今でもまだ3CCD付きのはないらしい。思いバッテリー3本を提げて世界を旅しています。
「お父さん、もうそろそろ新しい軽いのにしたら」と家族に言われていますが、老いの一徹、こだわっています。
 
 
リグビルを後にして、しばらく行くとピーターは急に車を止めました。
屋根から出ている煙突の上に白い大きな鳥が2匹とまっているではありませんか、
多分観光客寄せの展示品と思いきや、少しずつ動いているじゃ有りませんか。
300mの望遠でしっかり仲の良い夫婦を撮りました。
私たちも何時までもこうありたいですね。
 
RIBEAUVILLE リボーヴィレの町です。コウノトリの里として知られ、屋根の上に作られた巣の中にはつがいの鸛、コウノトリが仲睦まじく愛の巣を作っています、至る所に見ることができます。
王士(きみひと)夫婦にも、コウノトリが赤ちゃんを運んでくれるのかしら?
 
車をしばらく走らせると、山上に綺麗なお城が見えてきました。ピーターは急に車を止めました。道路を覆っていた木の葉の間から頂上のお城が見えてきたのです、最高のシチュエーション、しっかり被写体を撮りました、彼も写真好き、良いところを心掛けてくれます。本当に親切な友人である。
 
この城はアルザスで一番有名なお城で、積み上げられた石垣が赤みを帯び、757mの山頂に建つ城は本当に力強い。
お城の中には民芸風の大きなレストランがあり、アルザス地方の特別料理を注文する。あまりに量が多すぎ食べきれない。ハム、ソーセージ、サラダ、ジャガイモとやはり本物、美味、黒ビールと共に応えられない。ピーターも喜んで綺麗に平らげていました。
 
一人の日本人が入り口近くに陣取っている、
神戸から来た若者、食べ歩き旅行、将来レストランを開きたいと言っていました。
このような日本人に会うのも頼もしい、エールを送る。
 
私の若い時代には日本はまだ発展途上国、外貨も乏しく外貨持ち出しも制限されていました。沖縄がまだ米国領でしたよ。
 
ピーターはスイスのある会社の重役様、明日は重要な会議があると言う事で今日中にスイスに帰れねばならないとのことで、早々に城を切り上げ、次のColmarコルマールへ。
 
ライン川の上流にありドイツとの国境に近い。珍しく戦災に遭っていない、やはり昔の気骨造りの家があり、色鮮やかな町並み、運河もあり小ベニスと言われている。
町にはグリーンの汽車ぽっぽもあり、馬車も引かれていました。
 
ここで忘れてならないのは、ウンターリンデン美術館である。元修道院を改築して祭壇画を展示している。
イーゼンハイム祭壇画が圧巻である。
十字架に磔された受難のキリストの苦悩、これほど豊に表現され、描写されたのを見た事がない。
本当に打ちのめてしまう。
事実real描写以上の表現である。
裏に回ると復活されたキリスト像、身体の傷もなく別のキリストが私たちを見下ろしている。
 
「わたしはよみがえりです。いのちです。私を信じるものは、死んでも生きるのです。」
       聖書:ヨハネの福音書。11:25
 
 
広場が碁盤目に刻まれ、そこから噴水が出ています。
渡り始める時は噴水はちょろちょろ、渡りきる前に噴水が勢い良く噴き出します。上手に見計らって渡ると成功、おっとりしているとびしょぬれ。子供達がきゃーきゃー言いながら何度も挑戦、憧耶(あこや)は残念ながら一人ではやらない、パパの肩車で飛び跳ねている。「パパ、早く、早く」
 
ピーターさんにミュリューズまで送って頂く。
本日の走行距離60km。
Aufviedersehen,SAYONARA,Peter.
日本で又会いましょう、Danke shon!
 
 
第6日 ミュリューズ滞在 3日目
2003/06/17.
 
4時起床、昨夜と同じように教会の尖塔に満月が昇っている、1時間置きに教会の鐘が鳴っている、
6時早朝散歩、教会広場から公園を過ぎ、ミュリューズの駅へ、
 
今回のフランス旅行には特別な目的がある。
一つは毎年7月末に開かれるツールドフランス、世界最高峰の自転車王国にて、自転車でフランスを駆けめぐる、
二つ目はフランスの乗馬クラブでの他流試合、といってもビギナーのこの腕、イヤこの脚では到底太刀打ち出来ない、せめて記念撮影でもとささやかな望み、「フランスに行ったら乗馬を楽しもう。」唯この一行の言葉を頼りに、ここまできたのです。
 
しかし乗馬クラブはホテルのフロントで聞いても分からない、知らないとのご返事。
今日一日フリーなので電車に乗ってでも遠くに行こうが望みを果たそうと焦っている。
 
以前カヤックで琵琶湖一周した時に、一人キャンプを張ったがオヤジ狩りを思い出し、心細くなり、タクシードライバーに助けてもらった事を思いだし、思い切って駅前で待機しているタクシーの兄ちゃんに聞いてみた。
彼らはどこの国でも歩く百科事典だ。Walking Dictionary.
勿論英語が通じず。Body Language.
馬に乗るかっこうをするとすぐ分かってくれ、
 
「おっちゃん、駅の向こうの方に乗馬クラブがあるで。」
「遠いのん」
ここから3kmや。」
 
ホテルでもらった市内地図を見せ念を押すとそんなん載っていない。PARCしか書いていない、どうやらここらしい。一人の運転手が、是非ご利用と名詞をくれた。
これが後で役立とうとは、思いも寄らなかった。この世には色々な伏線が隠されているんですね。
まさかこの町の近くにあるなんて誰が想像したでしょう。
 
フランスの駅には改札口がない。乗り放題と思いきや、あらかじめキップを買っておき、乗車する時はStamperで穴を開けておく。列車内で車掌が来て確認して終わり。出口があるが改札無し。自由に構内に入れ、フランス国鉄の列車をVideoと写真に納める。
 
駅売店で面白い新聞を見つけた。単車の新聞である。50年ぐらい前の日本には自家用、単車に乗っている人も少なく、食べるのが精一杯、その時代の古い価値のあるオートバイがカラーで載っている。
古いものを大事にする文化が未だヨーロッパに残っている。高い値段で売買されている。大型ゴミ文化の日本とは大きな違い、私は高校時代から外車の単車に乗っていたので、ヨーロッパの単車の名前が懐かしい。クライドラー、トライアンプ、BMW等、
 
記念に一部購入、単車の売買価格が表示されている、子供時代に戻った様な感銘をうける。
フランスでは大型バイクに乗った人が多い、
ホンダ、ヤマハ、スズキばかり、憧れのドイツ車、BMWも肩身が狭いようだ、ホンダのカブに似たようなものがフランスにもある、プジョーのカブ?これは面白い、
我が輩免許証をお上に返上してもう20年以上、残念な事にどれにも乗れない。
 
*数年前英会話の先生、EDWARDとぱったり駅前で会い、彼の乗っていた125ccの単車を借り、横に倒してアクセルターン、大きな円を書き、何度も回転したので、タイヤが焼け、タイルが真っ黒に、
まさかこのおっとりしたハッチーがクレージードライバーだとは、誰が想像するでしょう?
エドワード驚き曰く、”OH, MY GOSH"
 
退屈な4輪より2輪愛好者です。綺麗に整備された琵琶湖々周道路は何組かのハーレー軍団が通り過ぎていく。羨ましい、体が不自由でなければハーレーにサイドカーを付けて、ぶんぶん言わしているところだが。
今はおとなしく馬とスポーツサイクリング、カヤックでうさをはらしています。
 
8時半、朝食後子供達と分かれ、とりあえず、家内と乗馬クラブ探索に出発。一人でも良かったのだが、もし上手く交渉が成立し、乗れるんだったら家内にヴィデオと記念写真を御願いしようと連れ出した。
憧耶(あこや)にも約束通り乗せてあげようと思ったんだが、もし乗れなかったら一日棒に振る事になるので、別行動と相成った。
 
タクシーはニッサンのプリメーラ、人の良さそうなおじさん、やはり通じていなかったのか、広い公園の入り口で降ろされた。奈良公園と違って見晴らしが利かず鬱蒼たる森の中、標識もなく東も西も分からない、
仕方がないので奥へ奥へと冒険する、
15分ほど歩いてやっと開けた所に出た、人影発見!教えを請うてついに乗馬クラブらしきもの発見。
 
家内が突然大きな声で、
「お父さん、バックパックは?」
顔面蒼白、馬の事しか頭にない単純なお父さん、すっかり大切なものをタクシーのトランクの中に忘れてしまった。
フランス旅行もこれで万事休す。大変な事に、
しかし我輩、昔から落ち着いている?
目が悪くなってからもっとのんびりしている。
 
旅行時は全財産を家内と分割、被害を半分に分ける、パスポートは特別製のズボンのポケット、バックパックの中にはクレジットカード、日本円、80,000円、ユーロダラー20,000円、今まで書いた旅行記、地図、ロードマップ、大事なヴィデオカメラ、購入当時300,000円、今では二束三文、私の命、一眼レフ、今まで撮影したヴィデオテープとフィルム、特殊なバッテリー3本、今までの記録が台無し、これが痛い、
 
とりあえず馬場に急ごう。事務所も有る事だし、それから対策を立てよう。力の抜けた老夫婦?とぼとぼクラブに向かって歩き出した。
 
運良くマネージャーらしき上品なギャルソンが馬場より降りてこられた。すかさず、
”Could you do me a favour,Monsier?"
"Sure."
英語が通じたのです、忙しいにも拘わらず話に乗ってくれたのです。
かくかくしかじか、英語では so and so, or, such and such と言うようだ。
 
朝、駅前でもらったタクシーの名刺が役に立とうとは、
彼はナンバーを覚えているかと聞いてくれたが、まさかこの件を予期して覚えているハズもなく、日本車、ニッサンであることのみを申し上げ、フランス語で連絡を取ってもらった。
家内が海外用携帯電話を差し出したが、受け取らず自分のを使っておられました。
 
彼曰く、「ここで待っていなさい、運転手が届けに来るから。」
天の声に聞こえました。元福田総理が総裁選で破れた時、「天にも悪い声がある。」とおっしゃったが、これは本物、良き天の声でした。
 
家内は落ち着かず、ジッとしておられず鬱蒼とした森を通り公園の入り口まで歩いていきました。
しばらくしてタクシードライバーが飛んできてくれました。
「お互い年を取ると忘れっぽくなりますなあ。」
二人で大笑い。家内がいると、「何呑気な事いってんねん。」とおしかりを受けるところだが。
 
呑気に喋っている場合ではない、家内を探しに行かなくっちゃ。早速遠回りしてタクシーでお迎えに、
暗い森の中から美人がとぼとぼ歩いてきました。
 
家内の後日談:公園の中は薄暗く段々心細くなってくる。ひと気もなくついにはどうなっても良いわと腹をくくって真剣に入口を捜して歩いてきたとの事でした。
ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ない、平にご容赦を。
 
又乗馬クラブに戻り、乗馬の交渉です。
クラブのレストランの前に野外休憩所があり、パリジェンヌ3人事務整理をしている。
ボンジュール、にこっと笑ってくれる。周りには観客席のある大きな馬場がある。競馬場ほどではないが可成り大きい。
日本のクラブみたいに白い柵がない、
早速、乗馬可能なりやと英語で聞くも、雰囲気は良かったが彼女達には決定権なし。
どうやら昼休みか休日らしい。今日は火曜日、奈良も休みだったので世界的に乗馬クラブは火曜日が定休日と勝手に判断、
事務所に場所をかえる、フランス娘が二人事務を執っている。一人はキャロライン、もう一人はひょっとしたらクレオパトラの生まれ変わりではないかと我が目を疑った。
二人に言えるだけのお世辞を言って、乗馬のお許しを請う。
何処でもメンバー制のクラブ、変な日本人が飛び込んできて困った事だと思ったことでしょう。
 
私の願いが通じたのか、一人のギャルソンがあらわれ、3人で打ち合わせをやっている。
ついに判決が出た。
7時に来てください。準備の都合もあり6時半に必ずきてください。費用は16ユーロです。」
 
やったー、大成功!!
1ユーロ、134円。2,000円ちょっと、嘘みたいな値段、メッチャ安い。
これで大きな顔をして奈良クレインに凱旋できる。
本当にフランスで乗馬体験が出来るんですよ、
観光でなく、自分で交渉した事に意義がある。たいしたものだ。
 
シラク大統領は大の日本びいき、よく日本人の娘さんがフランスでイケズされたとか、聞きますがこれまでの感じでは親切、好意的、怖かった地下鉄にも黒人が少なくなり至って安全、雰囲気がいい、イラク戦争で仲の悪い米国に荷担したと言っていびられる事もなく、無事に旅は進んでいる。
キャロライン、クレオパトラ有り難う、きっと言い嫁さんになるよ。
 
夜まで時間があるのでミューリューズにしかない自動車博物館を訪ねる事にする。
ここは王士(きみひと)の研修の目的の一つである。
タクシーを呼び急ぐ。ベンツのタクシーが迎えに来る。運転手は若くクールでハンサム。
「貴方はアラン・ドロンに似ていますね。」
彼は顔を赤らめ耳まで真っ赤、こんな初な子が運転しているんですよ、よく考えてみると日本で若い子に貴方は長谷川一夫に似ていますよと言っても、
「それ誰?」で無視されるのに。
 
積算距離計は400,000km。さすがメルセデス・ベンツ、よく乗れるんですね。
 
自動車博物館には、自動車400台が一つ屋根に陳列している。製糸工場を経営していたシュルンフ兄弟のコレクションである。クラシックカーから最新のレーシングカーまで、特別目を引くのがブガッティのコレクションである。
 
憧耶(あこや)が来ていないかちょっと様子を見ていたが、彼女の大きな声が聞こえないのでホテルに散歩しながら戻る事にする。
天候が良すぎ、日本の暑い夏と変わらない。
本当に暑い。
途中銀行を見つけ、ユーロも寂しくなったので、両替をする。銀行員のベテランのおばさま、日本円を初めて見たらしく、世界の紙幣の見本帳を持ち出し、真剣に調べている、最後に奥の間に入ってなかなか出てこない、真偽を確かめていらのでしょう。
やっと両替完了、ここにはあまり日本人が来ないようだ、有名な円が分からないとは。
 
よく歩いたので、お腹も減ってきた。やや高級な中華料理店発見!造りも立派でなかなか綺麗なレストランである。「華隆レストラン」である。上品な外国人グループも多く、東洋人が少ない。暑さのため余り食欲もないが何か食べたいような感じである。麺類を見つけ注文する。日本人向けの味付け、大いに嗜む。
 
ホテルに戻り5時まで午睡、呑気なのんびりした贅沢な旅である。
 
タクシーを呼び、約束の馬場に6時に着く。
指導員の指示に従い、馬場に入る。
インナーアリーナー(全天候型屋根付き馬場)では二十歳前後の若きパリジェンヌが二人、馬上競技のレッスン中、倒立したり腹這いになったり、横のりしたり、立ったり自由自在に演技をこなしている。
 
観客席のある大きなインナーアリーナに全員集合、
3人のパリジェンヌ、ギャルソン一人、私を入れて合計5人、二組に分かれる。
インストラクターが競技説明、全部フランス語でちんぷんかんぷん、ドイツ語が第2外国語、専門にラテン語を取ったものには、無理だったが一人英語が話せる方がおられ通訳してくれる。大いに助かる。
 
何とか理解し競技が始まった。数個のポールをスラロームし向かい側の壁にタッチし、一直線に駈歩で戻り、次のジョッキーにタッチ、次の人が同じようにスラローム。
 
1時間が夢のように過ぎました。私の馬はガッチリしたアラブ系。物わかりがよく素直な良い馬でした。
2対1で負けましたが、偶然サッカーの試合があり仏とは2対1、同じスコアーでした。不思議ですね。
 
ギャルソンに Good と 褒められ気分宜敷く競技は終わりました。競技中家内はヴィデヲを廻しっぱなし。記念撮影をし終了、
このヴィジターに良い仕事をさせてくれました。
フランス万歳!ヤンキースに行った松井選手の気持ちが分かります。ちょっと大げさかなあ?
 
クレオパトラが帰ろうとしていたので、
「もう帰んのん。」と聞くと。
「今から外の広い馬場で乗馬するねん。」
早速ヴィデヲお回し、小柄なキューとな彼女の乗馬姿を永久保存にしました。
 
夜ホテルに同宿している若き日本から来た青年、石川県の小松製作所から派遣され、フランスの名車、プジョーの車体の金型の接地に来ているとのこと、
ドイツの名車BMWの金型も日本製と聞いた事がある。素晴らしい日本の技術、誇るべき大和民族の結晶。歴史をひもといてみると、古墳時代の青銅器の銅鐸、奈良時代のあの世界一の東大寺の大仏、溶かされた青銅の鋳型のこの技術がなみなみと現在まで引き継がれているのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2002/1/5
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