| ・・・ワタクシ的住まい感 ナカムラ氏への依頼人は自然派志向、自然食等身体の安全に気を使っている方(特に奥様)が多いそう。ワタクシ的価値観は「ほんまもん」か、「パチもん」か、おもろいかおもろないかであり、子供に残してやれるごまかしのない「ほんま もん」の家が欲しかった。40才で家を建てると決めて、住宅雑誌、住宅番組をずっと見てきたけど、いざ建てるとなるとイメージがまとまりまへん。故西岡常一氏の本を読んでから「木組みの家」に興味が湧き、それらしき家を建てている工務店、設計士に片っ端から連絡。 どいつもこいつも中途半端で、納得いく説明もでけへん。雑誌によく出てくるある建築家なぞは「住宅は現場監督が一番大事」と言う始末。拙宅はそんな人いてはりませんでしたが、立派に建ってまんがな。 | | ・・・ワタクシ的ナカムラ観 悦楽第一主義おっさんであり、おっさんとおっさんの家族の楽しみの合間にちょちょっと仕事をしているだけなので過大な期待をしてはあきまへん。このおっさんだけの時間の概念で生きてはるので慣れるまで大変。連絡も自分の気が向いた時しか取ってくれへんし、連絡方法もいつの時代やねんというのろしや伝書鳩。ワタクシがいうのもナンだが、特にヘンなおっさんである。ええようにいうと世間のつまらん価値観に迎合せえへん自分の価値観と信念を持ったおっさんである。ヘンはヘンを呼ぶというが、ヘンなやつほどヘンなもんには心惹かれてしまうのである。なんでこんなヘンなおっさんが的美的センスでめんどくさいを極めると無駄を全て排除したシンプルな家に行き着くのである。フツーにフツーの価値観と煩悩をお持ちの方は覚悟されたい。フツー建てて完成までの情報は氾濫しているが、家を建たい人が知りたいのは建てた後の住み心地や建物の経年変化の情報なのにほとんど露出していない。「ナカムラ式」では完成後を中心に情報提供している。フツーの家は完成した瞬間がピークでどんどん劣化していくが、「ナカムラ式」は味わいが増す。ほんまもんだけが持ち得る魅力である。 | | 家づくりは煩悩からの解脱であり、それをディレクションしてくれる人がいれば有難いですな。依頼者の立場で依頼者が喜ぶことのできる人を選ぶ眼力も必要なのでは? 心底ええ家である。パチもんやないほんまもんの家である。設備はほとんど全部ワタクシ自身で手配したので(おっさんは興味の無いものには全く興味が無い)、おっさんの設計図面を穴が開くほど眺めたり(これも工務店さんからもらった)、頭の中でシュミレーションしていたので家の出来映えにはほぼ100%満足している。 ハウスメーカーの企画部長をしている友人が「通常のコストで考えられる最高の木造住宅」と評してくれた(どこまでわかってんのか知らんけど)。家造りを通して、日本の住宅産業が如何に消費者をごまかしているか知ってしまった今となっては、彼が目指す「これからの時代の最高のプレハブ住宅」というものが消費者をごまかさないものであるよう願うばかりである。 TSの伐採ツアー、木材の刻み、基礎、感動的な棟上げ、外構・・・完成が近づくにつれ、職人さんの仕事が見れなくなる寂しさがこみ上げてきて、大工さんにもっとゆっくり建てて欲しいとお願いした程、家造りは本当に楽しかった。この家にかかわってくれはった方々の信念と良心、知恵と技の塊のようなこのほんまもんの家がビックリするような良心的な値段で建ってしもた。この家にこれだけ楽しませて頂いて、竣工後もTSの方々、工務店の方々・・いろんな方々とのお付き合いもでき、仕事の方も絶好調で、ほんまええ買いもんをしたと思う。 うちの構造材に使ってもらった90年生以上の杉はTSでももうわずかだそうだ。日本の住宅産業が外材に走り、日本の林業を見捨てたせいで、計画的な植林、伐採のサイクルが成り立ってないからだ。建築工程を簡略化し、職人の育成もしてこなかった。全ては自己中心的な利益追求のためである。近い将来「ナカムラ式シンプルな杉の家」は建てられなくなるかもしれない。そんな世の中にならないよう祈りつつ、子供が独立したら、この家を譲り、家内と老後を過ごす「ナカムラ式小さな杉の家」をもう少し便利なところに建てるのが夢である。 | |
| ・・・まとめ 価値観は人それぞれですが、ウチは新興住宅地の中にあり、ほとんどがハウスメーカーの家です。それだけ営業力があるということでしょう。営業力がある=ええ家なんでしょうか?どこのメーカーかわからへんほどよく似たおうちもあります。ハウスメーカーはたくさんありますが、屋根材や外壁材はメーカーが限られていてどれも大差ないからではないじゃろか?
好き勝手に思い思いの家が並んでいて、他人の家の前で平気で飼い犬の用を足させる無神経な住人が多くいて、何年経ってもしっとりとした街並みにはならないでしょ。新興住宅地に特徴的な現象でごわす。その証拠にワタクシの実家のある住宅地は今見ても30年前の新興住宅地にしか見えません。歴史的な町並みが基にあるとあまり勝手なことはできないものですな。 家は3回建てんと満足できる家は建たんとゆーけど、そんなことできる人はごく稀で、一軒でも建てれればええ方でしょ? だもんで、家を建てれるとなれば、「ああしたい、こうしたい。あれもしたい、これもしたい。」と舞い上がってしまうのがフツーの人の常で、どんどん湧き上がってくる煩悩と予算の狭間で少々スキッツォイドマン状態になってしまいまんな。
ハウスメーカーの営業ならそういう客の心理状態につけ込んで、懐具合を探り、可能な限り、借金が増えようが金を引き出させるのがあたりまえ。工務店で営業がいるところも然り。設計士には大きく分けて客の言いなりになる不節操タイプと自分の作品と功名心のために仕事をする自己満足タイプがいてはるよーに思うが、前者はハウスメーカーの営業の仕事を設計士さんが兼ねてはるだけで、後者は住まいの機能を無視したけったいなデザイン命のアトリエ系自称建築家さんてとこでっしゃろか?作品に住まわされる方はたまったもんではおませんな。
一部の良心的な業者を除いて建築業は客の不安定な精神状態につけ込んで儲ける商売であり、住まい手の方か、つくり手の方かの違いはあれ、煩悩が形になったものがおうちです。だもんでこれまでの人生を見直し、これからの生活を考えることのできる最大のイベントのひとつではないでしゃろか? | | |