山城の蝶昔話 第五話
2012年9月2日更新

ウラギンスジヒョウモンの楽園



ウラギンスジヒョウモン 左:雄、右:雌(表示倍率は異なります)
採集地 ともに綴喜郡井手町

ウラギンスジヒョウモンとオオウラギンスジヒョウモンは名前も似ているし外観も似ている。
しかしこれら2種の運命は山城地域ではくっきりと明暗を分けている。
オオウラギンスジヒョウモンは6月も終りに近づく頃、野山の樹冠を元気一杯に飛び回り始める。
一方、ウラギンスジヒョウモンの姿は現在どこにもない。
京都府内では絶滅してしまったのではないかというのが一般的な見解になりつつあるようだ。
レッドデータリスト風に言うと「絶滅種」または「絶滅寸前種」という状態にある。

ウラギンスジヒョウモンが稀少化(絶滅)に至った過程は他の蝶と少し異なる。
山城地域でも出会うことが可能であった頃、この蝶はほとんど愛蝶家から相手にされない存在であったと思う。
それが1990年代になって「そういえば最近見ないような・・・」と気づかれ始め、
もうその時には本当にいなくなってしまっていたのだった。
他の蝶のように情熱を注いで新たな生息地を探索したり、
残された産地を見つけて採集したりするという過程を経ることがなかったということになる。
つまり珍蝶として追いかけられることがないまま珍蝶になってしまったという珍しい経過を辿ったのである。
会えるときには珍蝶とは思われず、珍蝶と認知されたときにはもう会うことは叶わなかった。
その結果、よく見かけた蝶の割には標本として残されている数は案外少ないのではないだろうか。

山城地域のウラギンスジヒョウモンは生息当時でもどこでにでもいたわけではない。
主な生息地は木津川堤防(オオウラギンヒョウモンの生息域とほぼ同じ)と相楽郡を中心とした里山であった。
それ以外のいそうな場所、例えば宇治市の野山あたりにはいなかった可能性が高い。
成虫の出現時期は6月10日前後がピークで、オオウラギンヒョウモンに先だって現れる。
木津川堤防を訪れる人の頭の中はオオウラギンヒョウモンのことで一杯で、
目の前のアザミにウラギンスジヒョウモンが訪花していても無視されることが多かったのではないか。
また相楽郡東部の里山の場合は、ウラジロミドリやオオヒカゲが目的の場合が多く、
飛び回るヒョウモンをわざわざ追いかける人は少なかったことだろう。

私が本種だけを目的に日を選んで木津川堤防を訪れたのは1980年代前半の数年間だけである。
ちょうどオオウラギンヒョウモンの絶滅へのカウントダウンが始まっていた時期であった。

開橋から北
開橋から北側を望む。当時サイクリングロードはなかったが、堤防の様子に大きな変化はない。(2012年8月)

その日、玉水橋近くの堤防に立ち斜面を見下ろすと、オレンジ色の蝶が沢山舞っていた。
何かを探すような飛び方で、おそらく探雌飛翔と言われるものだったと思う。
ヒョウモン類はあるタイミングで雄が一斉にこの飛び方をする時があるように思う。
この時は多くの個体を集中的に目にすることができる絶好の機会となる。
黄緑色の草原に本種特有の濃厚なオレンジ色が映え、夢を見ているような幻想的な情景であった。

数日後、今度は玉水橋より少し南にある開橋(精華町)に行ってみた。この時も夢のような情景が再現されていた。
しかし、この日が木津川で本種に出会う最後の日になってしまうなどということは想像もできないことだった。

次の年は訪れる時期が少し遅く6月22日だった。
おそらくオオウラギンヒョウモンが目的だったのだろう。
前年の光景が幻だったかのように、ウラギンスジヒョウモンは影も形もなかった。
ただこの時は時期が悪かったからだろうくらいにしか考えていなかった。
実際その翌日には南山城村で複数個体を確認しており、山城の本種が健在であったことは事実である。
その翌年からしばらくは木津川を訪れることがなくなり、その後の状況の変化はよくわからない。
木津川堤防にはいつまでウラギンスジヒョウモンが生息していたのだろうか。
残念ながら今となってはそれを知るための資料は皆無に等しい。
オオウラギンヒョウモンのように記録が発表されることなどはほとんどなかったからである。

ウラギンスジヒョウモンはオオウラギンヒョウモンと時を同じくして山城地域から姿を消したわけではない。
1990年代になっても相楽郡で記録されていて、私が最後に確認したのは加茂町(現木津川市)であった。
またそれより後にも山城町(現木津川市)で確実な記録がある。これらは1990年代半ばのことである。

今でも時々木津川堤防を訪れることがある。
玉水橋はあの青い橋自体が架け替えられたが周辺の様子がそれほど大きく変化したようには見えない。
開橋は新たに歩行者用の橋が新設されたりはしているが、当時の赤い橋の風景はそのままだ。
河川敷にサイクリング用の通路が新設されたりしたが、堤防の風景が大きく変化したようにも思えない。
河川敷は時々増水によってかなりの部分が水に浸かるが、これは昔から繰り返されてきたことである。
それでもギンイチモンジセセリは絶えることなく生息し続けているし、堤防斜面にも感じの良い場所は残っている。
いろいろな説が言われ、いろいろな原因が考えられるが、いなくなった本当の理由を是非知りたいものである。
環境の良い若草山でもオオウラギンヒョウモンやウラギンスジヒョウモンがいなくなったことを考えると、
きっと私たちには思いも及ばないような深い理由があるのだろう。

もし願いが叶うのならば・・・・・・
もう一度だけでもよいから、山城地域でウラギンスジヒョウモンの楽園に身を置いてみたい。

開橋から南
開橋から南側を望む。かつてのオオウラギンヒョウモンの産地でもある。右奥に見えるのは奈良市若草山。(2012年8月)

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