音楽と呼吸

「本当にいい呼吸をしているのか?」

「音楽は呼吸だ!」なんてことを言うくらいで、音楽にとって呼吸というものがとても大切なものであるということは間違いないでしょう。しかし、呼吸というものは、実体があるようなないようなもの。明確に理論化することが難しいつかみどころのないものなので、呼吸を語るとはけっこう危ないことでもあるのです。音楽評論家や熱心なファンの人たちは「深い呼吸が感じられないんだよねぇ」みたいな言い方が好きです。呼吸という言葉を使うと何だかちょっと音楽をよく分かっている人みたいなニュアンスがありますよね。「呼吸」という言葉に権威があるのです。

 問題は、ごく当たり前のことのようですが「本当にいい呼吸をしているのか?」ということです。いい呼吸をしているのか?ということは、深い呼吸をするための、いい姿勢をしているのか?、やわらかい身体であるのかどうか?、などといったことが大前提として問われるべきであるはずです。評価をする側も、実際の自分の呼吸力のレベルをベースにして呼吸を語るのならいいのですが、こう言ってはなんですが口では何とでも言えるわけです。

 呼吸がダイレクトにパフォーマンスに影響する、歌手や管楽器の場合は具体的な技術論としての呼吸法が問われますから、呼吸力は当然のようにトレーニングされるわけですが、弦楽器、打楽器、ピアノなどの鍵盤楽器、そして指揮者、さらには評論家やファンなど聴く側の実際の呼吸のレベルがどうなのか?ということは実はあまり問われていないものなのです。

 指揮者が合図を出すときはスッと息を吸うものでしょうし、弦楽器やピアノを弾くときなどに、歌を歌うときと同じように息を吸ってから吐きながら弾く、ということはやっているよという人が多いでしょう。比較的によく考えられているのは、どこでブレスをとるのかという呼吸のタイミングの問題です。そのフレーズを長くとったならば、評価する人は「息の長い旋律」などという表現になったりします。

 しかし、その呼吸は本当に深いものでしょうか?プレーヤーたちは、いい姿勢をして、やわらかい身体をしていますか?そのレベルはいくらでも上を目指せると思うのですが、そのような上達の方向に向かっていますか?身体そのものやその使い方に問題があるとすれば、そこを何とかする方法論をプレーヤーも指導者も持っていますか?目指すべきいい呼吸を体現しているのは、どんな演奏家で、どんな呼吸をしているのか実感していますか?評論家やファンは、それを感じ取れるだけの自身の呼吸力と感受性を高めているのですか?などといったことが、もっと問われるべきなのです。

 というわけで、歌手や管楽器奏者はもちろんのこと、その他の楽器のプレーヤーや、評論家やファンの人たちもみんな「本当にいい呼吸」ができるように、身体づくりに取り組んでみるといいでしょう。呼吸がよくなれば、より健康になりますし、精神面にもいい影響があるなど、得することばかりなので、やらない手はありません。「本当に深い呼吸」をともなった演奏を聴く人も感じ取って、より深く感動することができれば素晴らしいですね。


「呼吸のための”腹筋?”入門」

 歌手や管楽器奏者の中には、腹筋を鍛えているという人もいれば、腹筋運動はしていないけど、それを意識して演奏している、という人もいるでしょう。私も中高の吹奏楽部では朝練で体操服に着替えて、腹筋・背筋・腕立て伏せなどをやっていました。(吹奏楽部ってけっこう体育会系なんです)

 呼吸のための筋肉については、プレーヤー、指導者、研究者によって見解が分かれていますが、超ざっくりに説明すると、腹式呼吸で吸うときに使われるのが「横隔膜」吐くときに使われるのが「腹筋?」です。なぜ「?」なのか?(胸式呼吸などを含めたトータル的な呼吸法が大切なのですが、ここでは「腹筋」にフォーカスして話を進めます)

 実は「腹筋」と呼んでいるものが、何を指しているのかが人によって曖昧なのです。一般的に言う身体の表面の「腹筋」は、正確には「腹直筋」と言います。さらに身体の内側にあるコルセット状の筋肉が「腹横筋」です。ほかに、脇腹あたりにある「外腹斜筋」「内腹斜筋」などといった筋肉があります。そこで問題なのは「腹直筋」のことを「腹筋」と呼んでいる場合と、それら腹部の筋肉を総称して「腹筋」と呼んでいる場合とがあるということです。

 あまり筋肉を意識しない方がいいという考え方もありますから、その場合は指導する生徒に細かい知識をあえて伝えないということはあるでしょう。しかし、指導者や研究者は正しい解剖学的知識を押さえておいた方がいいと思いますし、何らかの媒体に記述する場合「腹直筋」「腹横筋」あるいは総称するならば「腹筋群」などと誤解のない呼び方にしてほしいと思います。

 特に「腹横筋」は、一般的にはマニアックな筋肉ですが、知っておいてほしい筋肉です。と言うのも、呼気のメインの筋肉はこの「腹横筋」だと思われるからです。逆に「腹直筋」は異論はあるものの、あまり使われないか、もしくはまったく使われないくらいのものなのです。実際に一流のプレーヤーで、お腹がブヨブヨだという人は多い。(ビールのせい?)

 呼吸には、いくつかの筋肉が総合的に使われるというのは確かです。ですが「お腹全体の筋肉を使うように」などと言ってしまうと、実は使う必要の低い「腹直筋」に無駄な力を入れてしまう可能性があります。アウターマッスルである「腹直筋」は圧倒的に意識しやすく、逆に「腹横筋」などのインナーマッスルは意識することが相当に困難なのです。指導者は、生徒が「腹直筋」に無駄な力みのないようにして「腹横筋」をしっかり使えるように導く必要があると私は考えています。

 ということは、腹筋運動をする必要があるのか?ということを考えなくてはならないということです。「お腹全体を使う」ということは何となく分かっていたとしても、誰でも知っている腹筋運動をしましょう、ということで「腹直筋」を鍛えて、それ以外の名前も知らない筋肉はアプローチしようがない、という人が多いのでしょう。

「ゆる体操」には呼吸に役立つものがたくさんありますが「お腹ペコポコ」「お腹ペコポコペコー」は「腹横筋」や「横隔膜」のトレーニングになりますので、呼吸能力アップのための準備運動として取り入れるといいと思います。


「”ハラ”で感じる音楽」

 私は「本当に」呼吸を合わせて音楽を聴きます。よく「演奏者と息を合わせる」というような表現が使われますが、多くの場合音楽を深く感じ取るということなどを意味するメタファーであることが多く「本当に」呼吸を合わせているわけではないのです。私は「本当に」呼吸を合わせて音楽を聴いてみることをおすすめします。ときには普段できないような深い呼吸ができることもありますし、逆に合わせると苦しくなる演奏家もいます。

 呼吸法では、臍下(せいか、へその下のこと)丹田を意識して、などということが言われます。昔の人は、この臍下丹田ができている人のことをハラ(肚という漢字を使う)の据わった人などと表現していました。近年では、音楽を評価するのに「ハラのある演奏だったねぇ」などといった表現はほとんど使われないですよね。

 私が高校生だった頃に聴いた、ドラマーの村上”ポンタ”秀一率いるポンタボックスというトリオの演奏はハラにズシッとくる音で、ライヴの次の日に「ハラにくる演奏やったわ」などと人に話していたのでした。後にポンタさんがテレビに出演したときに、呼吸法について語っていました。ドラムの演奏にも歌うことや呼吸法が大切であることや、歩きながらアン、アン、アンと声を出してリズムを刻んでいたりすると、お腹にメトロノームができる、というようなことなど。ポンタさんが「ハラ」で演奏した音楽を私もやはり「ハラ」で感じ取っていたということなのです。

「ハラ」という言葉からは、東洋的な文化のイメージがあるかもしれませんが、呼び方はともかく人類にとって普遍的なものであると思います。ですから西洋の文化であるクラシック音楽にも「ハラ」のある演奏を求めていいはずなのです。「ハラ」のある指揮者と言えば、日本人では飯守泰次郎先生と小林研一郎先生のお二人、海外だとヘルムート・ヴィンシャーマン(バッハ演奏の大家として知られる)などの大巨匠の名前が思い浮かびます。意外とあまり有名でない指揮者で「ハラ」のある演奏を聴けたりすることがありますが、やはり若い世代では失われかけている文化ですね。

 一流の指揮者は、みんな腹式呼吸はできている、と何となく思っている人が多いのではないでしょうか。ベルリンフィルの芸術監督であったクラウディオ・アバドは、音楽に呼吸感がよく注がれているし、総合的に好きな指揮者の一人ですが、胸式呼吸のレベルは高いものの、腹式呼吸に関してはあまりできていないと感じています。ちなみに、一般的に腹式呼吸がよくて胸式呼吸はよくないみたいな言い方がされることが多いとですが、それは大間違いでどちらもレベルが高い方がいいのです。現代人は腹式呼吸が浅くて胸式呼吸になっているのではなく、その両方が浅くなっているのです。

 呼吸にも色々な個性があるものの、それにしてもベルリンフィルの芸術監督というこの業界のトップポジションに登りつめた指揮者でも腹式呼吸ができていないということは、クラシック音楽の世界で「ハラ」というものがいかに大切にされていないのかということなのです。「ハラ」の文化を復活させるべし!

参考図書

「ハラをなくした日本人」高岡英夫著 恵雅堂出版

「身体感覚を取り戻す 腰ハラ文化の再生」斎藤孝著 NHKブックス


「いい呼吸は”やわらかい”身体から」

 歌手や管楽器奏者が取り組んでいる呼吸法には様々な考え方があり、どの筋肉をどんなタイミングで使うかだとか、一般的な常識に反して腹式呼吸はよくないなど、相反する理論もあったりして難しいものです。しかし、どんな呼吸法に取り組むにしても、身体がやわらかい方がいいということに異論はないはずです。ですから、積極的に身体をほぐすメソッドを実践した方が当然いいはずです。誰でも赤ちゃんのころと比べれば、身体は相当に固くなっています。しかしそのレベルには個人差がかなりあり、それが才能の差、センスの差ということになってしまうのです。同じ練習メニューをこなしても、同じ呼吸法を実践しても、ベースとなる身体のやわらかさで差がついてしまうのならば、その身体づくりを対象にしたメソッドを行った方がいいでしょう。

 いい呼吸のためには、体幹部全体をほぐしゆるめることが求められます。腹式呼吸のためにお腹周りをゆるめるだけでなく、胸式呼吸のために肋骨周りの肋間筋という筋肉などもゆるめる必要があります。また、背中から腰までの身体の裏側もゆるめた方がいいのです。

 シカゴ交響楽団のチューバ奏者を務め、呼吸法の大家としてその教育者としても知られた、アーノルド・ジェイコブスという人がいます。かれの演奏する映像を見ると、息を吸ったときに肋骨が一瞬で大きく広がるのが分かります。おそらくは背中側も広がっているのではないでしょうか。肋骨周りが相当にゆるんでいないと、あのようには息を吸えないでしょう。

 あまり呼吸筋を意識せず「自然」をを心がけるなどという指導法も多く、ジェイコブスもどちらかと言えば心理的にアプローチするような方向性のようですが、少なくともベースとなる身体は積極的にゆるめておいて、その上で楽器をを演奏するときやレッスンするときには個々の考え方に沿って行えばいいのではないでしょうか。「自然に」と言われて意識しても、固まっている人の自然とゆるんでいる自然の、そもそもの差があるのですから、それを埋める手段を持った方がいいわけです。

「ゆる体操」では「息ゆる」と呼んでいるダイレクトに呼吸に効く体操のほか、体幹部をほぐして結果呼吸がよくなる体操がたくさんあります。たとえば「肋骨モゾ」という体操がありますが、ストレッチなどで肋骨周りをほぐすのって難しそうでしょう。背骨の一つ一つもバラバラにゆるめた方がいいのですが「ゆる体操」の「背モゾ」「腰モゾ」のような背骨の波動運動をする体操というものが意外にも今まであまりなかったようなのです。歌や楽器の練習のできない時間帯、テレビを見ているときや電車で移動中、寝る前にふとんの中でなどに「ゆる体操」をやって、ベースとなる身体のレベルを上げておけば、上達するための能率を格段に高めることができると思います。


「自然な身体、自然な呼吸」

「呼吸なんて赤ちゃんのころから誰でも自然にやってきたことなんだから、自然にすればいいんだよ」なんてことを言う管楽器や声楽の指導者がいます。では、その自然な呼吸、あるいはそれを生み出す自然な身体とは、どのような状態を指すのでしょうか。

 私は、目指すべき究極的な理想が赤ちゃんの身体であり、それに近づく(と言うよりも戻す)ための努力を続けるべきだと考えています。年齢を重ねるごとに身体は固まっていき、誰でも赤ちゃんのようなやわらかさは失ってしまっています。仮に、幼稚園児くらいのやわらかさを保っている大人がいるとすれば、アスリートならばトップオブトップの選手でしょうし、そのほかどんな分野でも天才と呼ばれているような存在である可能性が高いでしょう。

 赤ちゃんの身体が究極的な自然な身体であるならば、私たち大人は自然な身体ではなくなってしまっています。呼吸にしても、究極的な自然な呼吸はできない身体になってしまっているのです。ですから「自然にすればいいんだよ」という意見は、赤ちゃんのころと比べれば、レベルの落ちた状態を「自然」と呼んでいるということなのです。

 赤ちゃんの声は本当によく通ります。姿が見えないような遠いところからでも、その泣き声が鮮明に聞こえるものですよね。赤ちゃんの発声が理想だと言っている指導者自身でも、そのレベルには達していないのが普通だと思います。

 自然な身体、自然な呼吸とは、果てしなく高い目標なのであり、終わりなき努力が必要なのですね。大人の固まった身体を基準にして「自然に」呼吸をしても、それはレベルが落ちていることなのだという認識が必要です。そして、赤ちゃんの身体という高い目標を掲げた身体づくりに取り組むべきなのです。


「通る声のふしぎ」

 マーラーの交響曲第3番のリハーサルを見学していたときのことです。1階席の真ん中より少し後ろのあたりの席に座って聴いていました。日本を代表するアルトがソリストでしたが、本番よりは抑え気味に歌っていたのか、お客さんの入っていないホールがよく響く条件でも、声がよく通るとは感じませんでした。

 指揮者がすぐとなりに立っているアルトに、小声というくらいの音量で「ここもっとこうして」というふうに注文を出していたのですが、その声の方がはっきりと鮮明に通る声だったのです。当然ですが、アルトは客席の方を向いて、それなりの音量で歌っていました。指揮者は客席に背を向けていて、少しだけアルトの方を向いて指示を出していたくらいです。その声の方が通るということは、驚くべきことだと言っていいと思います。

 もう一つの例です。こちらは、ハイドンのオラトリオ「天地創造」のリハーサルの見学でのことです。この曲は、合唱のほかにソプラノ、テノール、バスのソロが入ります。前日までの、あまり広くはないリハーサル室で、近い距離で聴いていたときは、ソリスト3人ともよく響いていて、バランスもよかったです。

 当日のゲネプロでは、ステージからの距離は近く響きもいいバルコニー席で聴いていました。すると、本来聴こえやすい音域であるはずのソプラノとテノールの声は遠く感じられ、バスの方がよく聴こえるというバランスになってしまいました。本番では、もう少しステージから遠い席に座ってみましたが、ソプラノとテノールはさらに届かなくなってしまい、相変わらずよく通り豊かに響いているバスとは圧倒的な差がついてしまったのです。

 オペラなどで活躍している歌手でも、通る声をつくるということ、その声を生み出す身体をつくるということに、まだまだ開発があるということなのでしょう。

 人間の身体には、大きな可能性が秘められているのだと思います。年齢を重ねても衰えない声、あるいは年齢を重ねるごとに声をレベルアップするということも不可能ではないのかもしれません。オペラ歌手には、別格というレベルの声を持っている人がいます。私が生で聴いた、ソプラノのミレッラ・フレー二はその時点で63才、テノールのカルロ・ベルゴンツィに至っては76才という年齢でしたが、別次元という圧倒的な声でした。

 赤ちゃんのような身体には、プロの歌手でもまだまだ遠いわけなのですから、トレーニング法やケアの仕方によって、別次元の存在に近づくことができるのではないかという期待を抱いています。

 ちなみに、先ほど紹介したバス歌手は、バッハ・コレギウム・ジャパンなどで活躍されている浦野智行さん。高岡英夫先生に指導を受けられていた大先輩です。ソロで聴く機会などがあれば、ぜひ聴いてみてください。


「オーケストラの出の遅さと”ハラ”のタメ」

 ドイツのオケなどでは、指揮者が腕を振り下ろしてから、かなり遅いタイミングで音が鳴るということがあります。1秒くらいあるのでは?と感じることさえあるのです。曲の出だしなどが分かりやすいのですが、そのくらいの「タメ」を利かせる局面がある。フルトヴェングラーの指揮に対してベルリンフィルが数秒遅れて音を出した、なんて記述を見かけましたけど、さすがに盛ってるやろ!

 その秘密は、呼吸の仕方にあるのだと思います。何人かで重たい荷物を持つ場合「せーのっ」と言った瞬間に息を吸って、少しタメてから「よっ」と息を吐きながら力を出すと思います。オケの演奏でも大きなエネルギーを発揮したいときは、そのような呼吸になるということがあるのです。よく指揮と呼吸との関係が語られるとき、出を合わすため、ということだけの話になりがちです。

 実は、タテの線をぴったり合わせることだけが目的であるのなら「タメ」はむしろ障害になるのです。「せー」「のっ」「ジャン」が等間隔だとして「のっ」のタイミングで「スッ」と音を立てて吸いながら指揮をすれば、合わせるだけなら合わせやすい。しかしかなりの「タメ」を利かせる場合だと「本当に」呼吸で合わせなくてはいけないのです。指揮者の腕が下りて息をタメてから音を出すタイミングまでの「間(ま)」は、指揮棒を見てではなく(先に下りているのですから)呼吸感を共有しなくてはいけない。

 そのためには、オケのメンバーも「ハラ」の底まで息を吸ってタメている状態をつくれること、それは横隔膜がしっかりと下がっているような「本当に」深い呼吸ができるということが求められるのです。呼吸が浅いと、ぴょんと飛び出してしまうし、何とか練習してタイミングを揃えたとしても、指揮者とオケが「ハラ」の「タメ」を共有した音楽にはならない。タテの線を合わすだけでなく聴く人の「ハラ」にズシッと響く音楽であるかどうかが問われるべきはずなのです。しかしながら「呼吸が大切だ」と言いながら音楽業界にそのような認識はあまりないのです。

「ハラ」の「タメ」の利いた上での出の遅さが発揮された演奏は、実は滅多にないというくらいに少ないのです。たとえば、ウラディーミル・フェドセーエフ指揮のウィーン交響楽団の演奏したベートーヴェンの「エグモント」序曲の冒頭部は「ハラ」の「タメ」が絶妙に利いていましたが、何度か聴いた手兵モスクワ放送交響楽団では、一度もそのような呼吸は感じられませんでした。また、クラウス・ペーター・フロール指揮で同じくウィーン交響楽団で「エグモント」序曲を聴きましたがやはり呼吸の「タメ」はなかった。どんな指揮者でもオケでも、たまたま波長が揃ったときにだけ発揮されるようなものになってしまっている。

「ハラ」の「タメ」の利いた演奏が絶滅しないように、指揮者も管楽器以外のプレーヤーもみんな呼吸力を鍛えるべし!