柿の歴史


 奈良・西吉野の柿栽培の歴史は古く、明治末期から大正にかけて、生産は年々増加している。柿の栽培品種(在来種)は、御所、藤原御所、三ヶ谷御所、豊岡、浄連、錦織、法連坊、栃原柿、大鶴などで、甘柿は生食され、渋柿は正月用のつるし柿や渋加工用の柿渋製造などに利用されていた。
 日清、日露戦争が終わり工業の発展とともに経済発展により、果樹農業も盛んになった。国や都道府県の農業試験場では、果樹品種の収集と選抜、整枝・剪定や肥培管理などの栽培技術が研究された。
 本格的に栽培が行われるようになったのは昭和に入ってからである。かつては、ミカン栽培が主体だったが大正10年の大寒波により壊滅的被害を受け、すでに岐阜県から導入された柿の富有をミカンの代替果樹として大々的に推奨し、柿の栽培が飛躍的に伸び、ミカンに代わり柿が本県の代表果樹となった。昭和33年には、柿の東京市場への出荷も始まり、その後面積は年々増加しており、平成2年度には、栽培面積2,070haで全国的に見ても上位である。
 従来は、富有が主体であったが、平核無や優良早生種の刃根早生や上西早生の植栽が進み、過去の富有中心から現代では老木園の改植とあわせ、品種構成の適正化が図られている。
 主産地は、栽培敵地としての気象および土壌環境条件を備えた、五条・吉野地域を中心に集団産地を形成しており、当地域で県下の栽培面積の83%を占めている。また、刃根早生発祥の地である天理市や御所市等にも、産地が形成されている。出荷については、JAならけんを中心に共撰・共販が実施され、京浜を主体に中京・京阪神等全国各地に出荷しており、「奈良の柿」の名声を高めている。



法連坊柿(つるし柿・干し柿の原料となる)
▲法連坊柿


干し柿(地元では「つるし柿」とも言う)
▲つるし柿(干し柿)


柿博物館(左の赤い建物)と奈良県果樹振興センター(右)
▲柿博物館



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奈良県五條市西吉野町湯塩581
吉井農園
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