西吉野村



奈良県、西吉野村…

 真っ赤に色付いた富有柿花と果樹、温泉と渓谷の村、ここ西吉野村は、吉野郡の西の入り口にあたり、大正時代から「たねなし柿・富有柿」の産地として知られ、発展してきました。北部の丘陵地帯には一面に果樹園が広がり、秋ともなれば、見渡すかぎり、見事に色づいた柿が陽に照り映えています。西吉野がつくりだす奈良のたねなし柿・富有柿は、村の主幹作物で品質、生産量において市町村単位では日本一の産地なのです。
乗鞍岳、高城山、天狗倉山など大峰前衛の山々が連なる南部一帯は、名高い吉野杉の美杉におおわれ、斜面の山畑に植えられた花木が、四季を通して彩りをそえています。澄みきった水の流れは村のここそこに見事な渓谷美を見せ、樹々の間で小鳥たちは自由に翼を広げ、その下には花燐な草花が顔をのぞかせています。ここはまさしく、「花と果樹、温泉と渓谷の村」なのです。 
  また、山深い吉野地方の北西の玄関口にあって、南北朝の動乱期には南朝三帝の行在所が置かれていたのをはじめ、都を逃れてきた雅人をあたたかく迎えつづけた村人たちの素朴な人情は、変わることなく受け継がれ、今もこの村を訪れる人は、ふる里に帰ってきたかのような、やすらぎとぬくもりを感じることでしょう。
 今、この西吉野は優雅な香りがさそう観梅に、四季に咲きほこる山草の観賞、ハイキング、鮎つり、丹生川の清きせせらぎ、野鳥のさえずりを聞く温泉での憩い、山紫水明のこの地は南朝の里としても知られ、大阪から約2時間、南紀観光ルートの表玄関として脚光を浴びている。


福寿草

福寿草
 立春のころの弱々しい陽射にひっそりと開き、光の方向へ微笑み続ける福寿草。
津越・桧川迫地区に点在する福寿草の群落は、昭和四十七年の現地調査で、国内に類を見ない大群落であることがわかり、翌年、県より天然記念物に指定されました。
 一度失われると取り戻すことのできない貴重な自然です。とるのは写真だけにして、そっと見守って下さい。     




賀名生皇居


賀名生皇居跡 西吉野村の北部・和田の町並みは丹生川の渓谷に沿うようにあります。その丹生川の清流に臨むように、ひっそりとあるのが賀名生の皇居跡です。藁葺き屋根の素朴な建物、そして堂々とした冠木門に揚げられた、天誅組の参謀吉村寅太郎の筆による「賀名生皇居」の扁額が秘められた南朝の歴史を物語っています。延元元年(1336年)12月足利尊氏によって都を追われた後醍醐天皇は吉野への途次、この地賀名生に拠られ美しく払い清められた郷土堀孫太郎信増の邸宅に迎えられました。また、正平三年(1348年)後村上天皇が吉野より難を逃れ、ここにお入りになられました。さらにこの邸宅は、長慶、後亀山天皇の皇居と伝えられています。今なお当時の面影をとどめる屋敷は、全国でも最古に属する民家で重要文化財に指定されています。
                                                                                      
賀名生梅林


「賀名生梅林」山麓頂上から見下ろす風景は絶品です…! 北曽木の丘陵を麓から中腹までおおいつくすように二万本の梅が続きます。二月下旬から三月下旬、さながら雲海のように梅花がほころび、ほのかな香りが、山々を伝うように漂ってきます。純白や淡い紅色の梅花は早春の陽光を浴びて、爽やかで壮観な風景を展開させます。南朝の悲史を帯びて、雅やかな梅花の色合いは、丹生川の清流に南朝のロマンを映しているようです。
 七百年前の南北朝時代に都を追われた高家たちによって賀名生の梅花が歌に詠まれているところからも、すでにこの地の梅が香り高く咲き誇っていたことが分かります。                                       さらに明治十年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正十二年東宮殿下の御成婚を記念して五千本の苗木が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。


〒637-0105
奈良県五條市西吉野町湯塩581
吉井農園
tel/fax 0747-32-0088


トップページ | 吉井農園 | 西吉野村 | 柿の歴史 | 柿の栄養分 | 柿栽培の1・2・3… | 梅のページ | スライドショー

ご注文フォーム1 | ご注文フォーム2 | ご注文フォーム3 | ご注文方法 | お支払い方法 | 西吉野MAP | 掲示板(BBS)