COLUMN
知らない土地の人々との交わり。


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11  ホノルルセンチュリーライド2005
更新日時:
2008.10.18 Sat.
9月23日2005年
 
憧れの魅惑の島、ハワイへ
 
関空から家内と娘と娘の友人と4人、ハワイはホノルル空港へ向け出発、8時間のフライト、にてトロピカルな、魅惑の島、ハワイに到着、綺麗なハワイ娘にレイを首にかけられ、歓迎のセレモニー、本当の地上の楽園につきました、
 
オーシャンリゾートホテルワイキキに3泊、我輩は二日後に迫ったホノルルセンチュリーライド2005に参加し、オアウ島を自転車ロードレース50マイル(80km)に挑戦します、
家族はショッピング、にまたトロピカルな食事に目がない、
夕刻 Dinner Show Mr.Hirokawa 氏のダイナミックなポリネシアンマジックショー、舞台と観客席、観客全てを飲み込んだ立体的マジックである、
昨年度の世界のマジックショーを総なめにしたマジシャンである、
食事が1時間、その後2時間半にわたるショウであった、本当に素晴らしい、此れは見ごたえがあった、
 
9月24日2005年(土)
 
ロードレースの下見、
 
VIXのメンバー12名と朝からバスにて100マイル(180km)のコースの下見である、家内も参加、娘達は2人で自由行動、パラグライダーに乗るとはしゃいでいた、
折り返し点まで行き、昼過ぎホテルののあるワイキキの浜まで帰る、
海岸線一本道と思いきや、途中住宅地、山道があり、運転手の知子さん、前日下見をしたのだが大雨で余り覚えていない、
完全にパニックって仕舞い、わがVIXの優しいナビにて無事終了、
 
娘と友人は我らと離れ、パラセーリング初体験、ボートでパラグライダーである、
最高にスリルがあってよかったそうだ、
今度タイに行ったらスマニーたちと挑戦してみたい、
 
午後山田さんが奥さんとお2人の娘さんたちへとご希望のお土産を家内に相談して買ってほしいとの依頼あり、数点を購入してあげ、その後昼食、
 
午後3時過ぎ、彼と明日のために試走、私より4歳年長だが急な坂道を楽々登っていく、私は途中で降りてしまった、35kmのテストラン、
本当に不思議なことがあるもんだ、彼の声を聞いていると私の懇意にしている内科医の先生とそっくりである、
目を閉じればその先生が横に座っておられるようだ、この先生と良く東南アジア旅行をしたことがあるのでまるで旅の再来である、
 
 
 
9月25日2005年(日)
 
ホノルルセンチュリーライド
 
早朝4時のモーニングコール、ワイキキのカピオラニ公園に5時過ぎ到着、もう既に3,200人のサイクリストが集合、ものすごい人であり、Waving Start を待っている、
Hawaian Cycling Club の会長、ハワイ市長、協賛のJALのハワイ支店長の激励の言葉を残して、6:15分スタートの号砲が鳴りました、
 
100マイル組が飛び出しました、次に75マイル、50マイル組が続きます、私はこの50マイル(80km)に挑戦、年末マラソンの倍の距離である、
初参加だしいい年だしこのぐらいが適当である、家族の応援(家内、娘、娘の友人)もあり、VideoCamera撮影に忙しく、スタートをこの家族にこのVideo Camera で撮影を依頼、スタート後受け取りコースに戻る、25マイル、40マイル折り返し点、Aid Station にて小休止、給水あり、バナナ、レモン、クッキー、チョコレート供給無料、腹ごしらえをしてコースに戻り、景勝地をVideoCameraに収め、ボランテイアーの学生さんたちとの英語での交流あり、カヌーの選手達とのトーク、出発をVideoに撮ったり、観光を楽しみながらの走行、
日本のコースほど急勾配はないが、往復2回押しながらの登坂、全員事故もなく無事ワイキキの浜、カピオラニ公園にゴール、
 
Finish,家族が迎えてくれて、英文の欲しかった完走証明書、Tシャツ、ウエストポーチ、Get, 7時間の激走、VIX のメンバーの一人は180kmを5時間の走行、自動車より早い猛者である、

12  キリシタン大名
更新日時:
2007.04.27 Fri.
大東市の野崎キリスト教会の神田牧師が近放伝の「福音の光」The Light of The Gospelの中で次のように述べられておられます、2007.04.01
飯盛山には戦国時代、四国から京都まで支配した三好長慶の居城、飯盛城がありました、1563年この城で長慶の家臣73名がクリスチャンとなり、洗礼を受けました、これによって堺から四条畷に至る地域が戦国時代の関西で最もキリスト教が繁栄したのです。
特に大東市は「三箇キリシタン」と呼ばれ、河内キリシタンの中心地となり、宣教師たちの「平和境」とまでいわれるようになりました。
三箇城主サンチョは、キリストが十字架にかかり、三日目に墓をうち破って復活したお祝い、「復活祭」を毎年行いました、飯盛山麓に広がっていた深野池に60隻の飾り立てた船で復活祭パレードを行ったのです、見物の漁師の小船200隻も加わり、2,3千人の人々がキリストの復活のお祝いをしました、
最も華やかな復活祭が15年間もこの地で行われたのです、
キリストの復活には大きな希望があります、現代人は立派な学歴や仕事、立派な家や車があれば幸せになれると思っています、本当のしあわせは、これらを加えることではありません、すべてのものが奪われても『わたしは幸せです』といえる人生ではないでしょうか。
キリシタンは迫害によって、すべてが奪われ、殺されましたが、誰からも奪われることのない永遠の生命を受けた幸せを神様に感謝していたのです、
「私は甦りであり命である、私を信じるものはたとい死んでも生きる」   ヨハネの福音書 11章25節

13  今の中国は「三丁目の夕日」
更新日時:
2007.04.26 Thu.
支那の温 家宝首相は訪日前に邦画「ALWAYS 三丁目の夕日」のDVDを鑑賞したことを明かし、「真剣に見た、1950年代の日本は、出稼ぎ労働部が都会の小さな工場で働き、現在のわが国の発展過程によく似ていた、こうした他国の経験を参考にしたい、」日本の高度成長期に強い関心を示した、
 
和風化細雨 桜花吐艶迎朋友 冬去春来早
 
(穏やかな風が霧雨に変わり、桜の花が鮮やかに友を迎える、冬は去り、春はもう近い、)
 
温首相は12日日本経団連など経済団体主催の昼食会で挨拶し、前夜ホテルで詠んだ漢詩を披露された、日本についた際に降っていた霧雨と桜を読み込み日中関係の改善を表現した、、
 
夜叉が菩薩に
 
2004年のASEAN首脳会議や2005年の国連の常任理事国入り支那だけ反対、反日暴動、靖国問題、ガス油田等問題山積、あの夜叉の顔が菩薩の笑顔に変化、何が隠されているのだろう、
トキ 2匹300億円のODA復活、
恫喝と懐柔、北朝鮮とそっくり、そのうち支那にもそろそろ革命の嵐が。
    2007,04,12
 

14  野宿者に覆された宗教観
更新日時:
2007.01.28 Sun.
「やあ、先生」 通りがかりの人から次々声がかかる、言葉にこもる親しみと敬意が、この街での本田哲郎さんの存在感を物語る、若くして嘱望されたカトリック神父が、日本最大の日雇い労働者の街、釜ヶ崎(大阪市西成区)に移り住んで、18年になる、
 
 ともにたつ、
 
街の一角に建つ、古びた木造2階建てアパート、階段を上がり、薄暗い通路の突き当たりが、本田さんの部屋だ、広さは2畳、家具は十指に少しあまる程度しかない、キャンプ用の銀マットを床に敷き、寝袋で寝る、無駄なものは少しもない、
「キリスト教は初めは社会的に排除された弱者の集団、誰より他者の痛みを知っている人の集まりだったんです」
相手を包むようにゆったりと、自らのキリスト教理解の基点を説明する、外を通る人の話や車の振動が伝わってくる、
一冊の本がある、
「小さくされた人々のための福音」。
6年前に刊行した個人訳の新約聖書だ、釜ヶ崎でミサを毎週行う中で、労働者に福音の醍醐味を伝える聖書を作りたいと考え、ギリシャ語の原典を翻訳し直した、
従来「一番小さいもの」と訳された単語を、社会の底辺でごく小さな存在に扱われている人の意味に文脈から理解し、「小さくされた人」と意訳した、
底辺をはいずるように生きたイエスは上から哀れんだり、施したりする存在ではなく、貧しく小さくされた人々と共に立つ人だった、との解釈に基ずく。イエスの立脚点を根本的に転換させた。
かって本田さんはノンポリだった。既成の教義を疑いもせず、釜ヶ崎も知らず、野宿者は何故働かないのか、辛抱が足りないからああなるんだ、と考えていた。好んで野宿生活をしている人など殆どいないと知ったのは、後々のことだった。
22年前、始めて釜ヶ崎を訪れた。前年にカトリックの修道会「フランシスコ会」で40歳にして日本管区の区管長に選ばれ、全国視察の一環だった。「ひたすら怖かった」、「息が詰まった」。だがこのとき、内心嫌々の夜回りで、毛布を配った野宿者に「兄ちゃん、すまんな、おおきに」と優しい笑顔で言われ、必死で”良いこの神父”を演じていた自らが不思議な開放感を味わった。それが転機となった。
帰京後、東京・山谷の日雇い労働の現場へ、年配の一見傍弱無人な振る舞いの奥に周囲への気遣いを感じ、紙袋一つで野宿していることに驚く。修道院で自分の箪笥に並ぶ多くの背広やシャツをバザーに出した。ジャンバー姿で司教会議に出席し始めた。
 
  相手の立場
 
管区長の任務を終えた89年、釜ヶ崎の同会関連の社会福祉法人「ふるさとの家」へ、希望して赴任した。野宿者らの真っ直ぐな言葉や態度に本田さんの宗教観は揺すぶられ、覆され、聖書の読み直しを迫られた。
「キリスト教は人殺しや」。赴任翌年ごろに聞いた男のつぶやきにあわれまれる側のつらさを感じた。阪神大震災の翌月には「助けにいかなあかんで」と野宿者の声で、数百個のおにぎりを作って神戸へ向かった。
「30年前に出た古里の住所と電話番号をそらんじていながら、電話の一本も出来ない人もいる。こちらが想像も出来ないほどの悲しさ、悔しさを抱えている。相手の立場に立てる、ということの傲慢さを知った。」
信者を増やそうなどとは考えない。重要なのは教会の勢力を広げることではないのだ・
「イエスは宗教家というより社会運動家だった。イエスを最高の聖職者とするなら、本来の聖職者の仕事は、一番大変な思いをしている人のために働くことです。」
本田さんは日々、「小さくされた人々」の言葉に耳を傾け、望みをどう実現するかを考える。格差社会で切り捨てられた人が増えている今、その営みは私たちにも求められているのだはないか。
 
本田さんは毎週4回、野宿者に無料散髪をする。「髪がぼさぼさでは雇ってもらえにくい」気持ちがほぐれ、打ち明け話をする人もいるという。
 
(京都新聞 2007年1月24日の記事より。)
 
 


15 
更新日時:
2005.09.06 Tue.
次男の妻のお母さんから心温まる手紙が参りました。
 
疲れるからもう鳴かないでと蝉に言う、
         孫の心のやさしきことよ、  税子
 
明日から9月だよ、秋だよ、とあこや(憧耶)を保育所にお迎えに行った時、言われ、あ〜もうすぐ夏は終わるんだと少し寂しい気持ちになりました。私は夏が大好きです。憧耶も日焼けして益々元気です。
お絵描きが大好きで私の家に来てもすぐ描きはじめます。「紀子おばあちゃんに送ってあげたら喜ぶよ」と言ったら「今日はパパを喜ばせたいからパパに上げるんだ」と言って持って帰りました。あこやはパパが大好きです。今年の夏は奈良に行かず、長野でレタスを植えてきたみたいですね。憧耶も1杯お手伝いしたそうです。今日は(2005・0903)あこやはピアノのお稽古に行きます。私の家の近所の先生なので、うちの前に車を置いてお稽古に行って、帰りにあこやだけ我が家で遊んで帰ります。
 
「せみさん、もうなかなくっていいよ。疲れるから。
あの蝉、あした死んじゃうんでしょう。
なんかいま、あこや泣きそうになっちゃったよ。
可愛そうだから、(05,08、26)
 
今年は我が家の庭はまあるい穴が1杯あいて、木の葉の裏には抜け殻が1杯ついていて,木の上ではいろいろな蝉の大合唱でした。夜には秋の虫が鳴いていますね。
この前は富山のお祭りのヴィデオを送ってくださり有り難うございました。あこやも一緒に見て説明してくれました。チューリップがあまりにも綺麗で「あっちゃんも行ってみようかなあ」と言ったら、「遠いよ」と言うので「車は酔うから飛行機で行こうかなあ」と言いましたら「そんなに遠くなあいよ。」といわれました。(憧耶 5歳5ヶ月)
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次男のウルフギャング氏が法隆寺のレストランで食事中に描いた彼の勤めているコブルク城の全景です。

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