COLUMN
知らない土地の人々との交わり。


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6  日本良い国  @ 松下幸之助
更新日時:
2009.06.29 Mon.
 花が散って若葉が萌えて、目の覚めるような緑の山谷に、目の覚めるような青空が続いている、身軽な装いに、薫風が心地よく吹きぬけ、可愛い子供の喜びの声の彼方に、鯉幟がハタハタと泳いでいる、
 5月である、初夏である、そしてこの季節にもまた、日本の自然のよさが生き生きと脈打っている、
 
 春があって夏があって、秋があって冬があって日本は良い国である、
 自然だけではない、風土だけではない、長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産がある、その上に、天与のすぐれた国民的素質、勤勉にして誠実な国民性、
 
日本は良い国である、こんな良い国は世界にも余り無い、だから、この国を更によくして、みんなが仲良く、見も心も豊かに暮らしたい、
 良いものがあっても、そのよさを知らなければ、それは無きに等しい、そして日本人としての誇りを、お互いに持ち直してみたい、考え直してみたい、   

7  経済危機にへこんでいる場合じゃない、
更新日時:
2009.06.29 Mon.
 2008年米国のグリーンスパン氏が「100年に一度の危機」と発言されました、
以来日本でもこの表現が合言葉のようになっていますが、私は正直なところ違和感を覚えています、
 戦勝国の米国と違い、日本人は住居にも食料にも事欠き『いきていくのが精一杯」だった敗戦後の苦境から立ち上がり、歯を食いしばって勤勉に働き続け、世界第2位の経済大国を築き上げた国民です、
 現在の日本は世界トップレベルの科学技術と人材力を持つ国です、
 他国に比べるとまだまだ安全で清潔な社会があります、
 改善すべき課題は多くあるものの年金、医療、介護、雇用の保険システムが整った数少ない国の一つでもあります、
 先人の不断のご努力によって築かれたこれらの財産を受け継いでいる事は世界に誇れることだと思います、
 現状を「100年に一度の危機」などと落ち込んでいては、もっと困難な時代を生き抜いてこられた先輩方に申し訳が立ちません、
 今年度は打てる限りの景気対策を打って事業主体と雇用を守り、経済のパイを縮小させない事が寛容です、
 同時に、中長期的な視点に立って20年後にも世界一の競争力を維持できる産業をダイナミックに育てていかなければなりません、
 海の向こうでは一月に私と同い年(1961年生まれ)のオバマ氏が米国合衆国大統領に就任されました、
 日米共に、様々な分野で「構造的な変革」に取り組むべき時期に来ています、
 働き盛りである私たち世代の役割は「先輩世代から引継ぎ守っていくべき価値」と「未来を拓くために改革すべき事」を見極め「次の世代への責任」を果たすために闘うことだと思います。
 
2009.春。The Representative,経済産業副大臣、高市早苗 さんの 国政報告レポートより抜粋しました、
  

8  「大和魂」で日本を元気化
更新日時:
2009.06.28 Sun.
平成21年6月27日 土曜日 産経新聞 オピニオン より、
平成 「志」 事術
マーケッテイングコンサルタント 西川りゅうじん さんの記事を掲載させていただきました、
 
「不況だ、不況だ」と何でも不況のせいにするのを「不況活動」と呼んでいる。
不況の布教活動はSTOPすべきだ、
そんな何でも不況のせいにする卑怯な輩は、「この不況者めが!」と日本から吹き飛ばすべきである、
 
 昭和20年の終戦(1945年)から64年、大正12年(1923)の関東大震災から86年、明治元年(1868)から141年、近頃「100年に一度の経済危機」という言葉を聞かない日がないが、幕末維新、大震災、戦中戦後の国難と比べて、一体、どこが危機だというのか?どこが不況なのか?
 私たちがそんな繰言を繰り返していれば、日本国の英霊達が「甘ったれるのもいい加減にしろ」と飛び起き、こぞって誇大広告だとJARO(日本広告審査機構)に訴え出るに違いない、
 「ありがたき時代にうまれてやくだてる そのよろこびにわれはゆくなり」  岩手県出身 佐藤晋平3歳
 
「かえらじと思うこころ乃のひとすじに 玉と砕けて御国をまもらん」 栃木県出身 菊地誠2歳、
 
「散る桜残る桜もちる桜 九段の花の清き散り際」 陸軍特別幹部第一期生 宮内秀治 17歳
 
これらは、いつも枕元に置いて就寝前に拝読させていただいている、『知覧特別攻撃隊』(村永薫編)
『父や母へ、最後の手紙』(辺見じゅん編)の中から引用させていただいた辞世の歌だ。
 
 彼らが、今、よみがえったらどうするのだろうか?彼らは、今、私たちにどう生きてもらいたいだろうか? そう考えると、ちっぽけな悩みなど消して飛んでしまう、自分が日本の歴史始まって以来の幸せ者、世界一の果報者だという気がしてくる、現在の日本の豊かさは、今を生きる私たちの力で築き上げたわけではない、もともと日本は資源が乏しい、この100年間、世界の主要なマーケットであった欧米からも遠い、産業革命以降、世界をリードしてきたコケイジャン(白人)ではなくモンゴロイド(黄色人種)が殆どの国だ、戦後国土は灰燼に帰した、
 
そんなハンデイをかんがみれば、明治維新を迎えたとき、日本が欧米に伍して発展するより出来ない理由を挙げる方が簡単だったに違いない、戦後も、もう日本は立ち直れないと考える方が普通だったろう、バブル崩壊後の失われた10年とは言っても、日本の歴史を振り返ってみて、あるいは世界中を見渡してみて、本当にそこまで自信を喪失するほどひどい状態だったのか、海外から来た人たちは「日本のどこが不況なの?」といっていた、
 
”バブルシーラカンス”と揶揄される小商人が申し上げるのは口幅ったいが、私たちが忘れているのは先達が持っていた「大和魂」に違いない、大和魂とは、吉田松陰が「身はたとへ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」と述べた不動の志と、紫式部が『源氏物語』の中の「才を本としてこそ大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ」(大和魂をいかに生かして使うかは学問の基本があってこそできるのだと思います)で意味した現実に対して柔軟に対処する英知であろう、
 和漢洋才の洋才一辺倒ではなく、「大和魂=大きな和の魂」を取り戻すことこそが日本経済”元気化”の基である。
 

9  赦しと和解〜それは元戦争捕虜との和解礼拝で起こった〜
更新日時:
2009.02.27 Fri.
「和解礼拝」の依頼
 
  元イギリス兵捕虜に対する和解活動が」なされているのを知ったのは。200年10月のことでした。
「アガペ」という団体から、「本郷台キリスト教会で元イギリス兵捕虜に対する活動の一環として『和解礼拝』をしていただきたい」という依頼を受けたのです。
  第2次世界大戦で日本がアジア諸国に対してしてきた残虐行為のことは、ニュースとしては多く聞き知っていました。しかしイギリスを始めヨーロッパ諸国の捕虜となった軍人への残虐行為が目に余るものであったことを知ったのは、この時が初めてでした。
  
  捕虜への残虐行為自体には、私自身直接のかかわりを持っていませんでしたし、戦争参加は勿論ありませんでした。つながりといえばたった一つ、私の叔父が第二次世界大戦で戦死しているという事ぐらいでした。ともあれ私は其の依頼を引き受けさせていただきました。
  すると、和解礼拝に先立って横浜のホテルで晩餐会を行うので出席してほしいという招待状をいただきました。そこに家内と出席しました。
  プログラムが進む中、一人の元日本兵であった方がスピーチに立ちました。そのスピーチの要点は効でした。
   私は当時確かに日本軍の軍人としてイギリス兵の捕虜を身近に見ていました。しかしひどいことをした軍人はほんの一部の者で、大半はそんなに悪い人間ではなく、いい人たちだったのです。私もそうでした、、、。そんな内容でした。私はそのお話を聞きながら、なるほど本当のこと、見た事感じた事、そしてご自分の思いを述べられたと思いました。
  私と同じテーブルには、一人のイギリス兵捕虜であった方が座っておられました。すると其の方がとても苦渋に満ちた複雑な顔をしておられるのが目に留まりました。というより、心に焼きついたのでした。私はただ、そこに招かれた客としているにすぎなかったのです。しかし、元捕虜だった方の苦渋に満ちた顔を見た時、ものすごく心に訴えるものを感じたのでした。まるで、その方の苦渋の思いに感情移入したかのように、心縛られました。
 
「私」も罪を犯しました。
 
  その夜、家に帰って和解礼拝のメッセージを準備したのですが、レセプションの時の光景が思い出されてどうしようもありませんでした。其の時、心に迫ってくる一つのみことばがありました。それは、ネヘミヤ書1章6節のこのことばでした。
  「どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべのイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。私も私の父の家も罪を犯しました。」
  このところから、ネヘミヤが「私も」と告白したことばに目が留まりました。ネヘミヤ自身は、バビロン捕囚の原因となるような罪を直接犯したわけではありません。しかし、あたかもそこにいたかのように、そして一緒に罪を犯した者の一人として、自分をとらえている姿、、、あるいは、親が犯した罪の血を受け継いでいる自分として、そこに自分を置いている姿に心打たれたのです。そして、私自身の心が探られました。
  私はそれまで「私の叔父は南方に軍人として出兵し戦死した。どんなに悲惨だっただろうか。どんなに苦しい思いをして亡くなっただろうか。敵に殺されたのだ。、、、」と思いでいました。母は良く私の叔父である弟のことを、「兄弟の中で一番優秀で、大学でロシア語を勉強していた。」「姉想いでいい人間だった。」と、話してくれていました。しかし、私はふと、「其の叔父も戦場で人を殺したかもしれない。」という、今まで考えたこともなかった思いを抱きました。其の時、ネヘミヤの言葉が強いインパクトをもってつき刺さってきたのでした。
  私自身は戦争に行ったわけではない。でも。もし私がその場にいたとしたら、当然のように人を殺したことだろう。悪い事をしただろう。捕虜を痛めつけたりもしたことだろう。決して「いい人だった、」といえる者ではないと思いました。
  自然と、主の前にひざまずいて涙の悔い改めに導かれていました。いたたまれない気持ちで、まんじりともしない、一夜を過ごし、主の日の朝をむかえました。
 
「謝りたいのです」
 
  翌朝になり、礼拝奉仕をする皆様とイギリスからの方々、一行のリーダーの恵子・ホームズさんがやって来られました。昨晩メッセージを準備しながら、いつしか心からの悔い改めに導かれたことを申し上げました。そして、お願いしました。
  それはどうしても礼拝の中で、イギリスの捕虜の方々と一行の皆さんに特別の謝罪の時を持ちたいということ。そのために捕虜の方々の中からお一人に代表で前に立ってほしい。wそして其の方の前で謝罪の言葉を述べ、ひざまずいて謝りたいと申し上げました。
  其の時、「この人に立っていただきます。」と紹介された方を見て私は驚きました。なんと、レセプションの時に同じテーブルで苦渋に満ちた顔をされていた、まさにそのご当人だったからです。
  礼拝ではネヘミヤ記の御言葉を中心にメッセージをさせていただきました。その後講壇から下りて、先述の元捕虜の方に前に来ていただいて、まず日本人としての罪の悔い改めと、私個人としての罪の悔い改めをさせていただきました。そして靴を脱いで、ひざまずいて主にあって赦しを願いました。
  やや時間を置いて立ち上がると、その捕虜の方は、私の手をしっかり握り、涙を浮かべて「ゆるします」といってくださり、続いて力強くハグをしてくださいました。
  すると、礼拝に参加していたイギリス人、日本人の皆さんが、お互いに罪を告白し合いだしました。握手をしたり、多くの方はハグをして,赦し合いの感動の涙の中、心からの和解の時となりました。
  そこにはご聖霊の支配、流れがありました。文字通り、それは本当の和解礼拝となったのでした。
 
「アガペ」とは、、、
第2次世界大戦中、旧日本軍の捕虜として過酷な体験を強いられた英国人らを日本に招き、和解活動を進めている英国の事前団体、イギリス人との結婚を期にロンドンに在住している日本人女性、恵子、ホームズさんが提唱した活動。1998年エリザベス女王から「大英第4級勲功賞(OBE)を授与される。翌99年には日本政府からも、「外務大臣賞」を授与された。活動の輪は広がりを見せ、現在は東南アジア各国、インド、オーストラリア、ニュージランド、アメリカ、カナダ、中国、韓国にも及んでいる。
 
  本郷台キリスト教会牧師 池田 博先生の執筆による「赦しと和解」を「百万人の福音」 2007年5月号より拝借させていただきました。
有難うございました。
  赦すということは本当に難しい事であるが、主を通してこのような赦しが与えられた事を感謝いたします。

10  暴走する「文民統制」
更新日時:
2009.02.27 Fri.
  最近マスコミの暴走振りが目立つ、
何かしら心が晴れない、日本人が○○ボケになってしまったように思う、
  私は今平成20年を昭和20年に置き換えて物事を考えることがたびたびある、
何かすっきりしない、
 
  平成20年11月20日 木曜日の産経新聞の「断」という記事を読んで心が晴れた、
その記事を掲げておく
 
  『もはや「良識の府」(参議院)と呼ぶに値しない、「召致」した田母神「参考人」の反論を封殺、与野党で「反省」を迫る。総理は元部下を呼び捨て、防衛大臣は目も合わさない、なんと冷淡な政冶か。
 
  毀損されたのは田母神氏の名誉と空爆長職の尊厳性だけではない、近代憲法上、最上位を占める精神的自由、その根幹をなす表現の自由すら侵害された。奪ったのは,外ならぬ「文民」である、
 
  テレビにも呆れた。投稿分同様、どこも中継せず、発言を切り貼り編集したあげく、非難の大合唱、
  当日昼には日テレで「みのもんた」キャスターが「懲戒免職」を主張、夕方の「スーパーJチャンネル」(テレ朝)では大谷昭宏コメンテイターが「単位を取れないような論文」「まさに稚拙そのもの」と罵倒し、こう述べた。
 
  「稚拙な方が、航空自衛隊のトップに立っている、「今回あんまりバカバカしいから中韓もあんまり反応してないんですね」「これ一回ですね(中略)締めなおす、徹底的に締め上げる」「制服組をきちんとしめあげるかどうかだと思いますね」
隣の小宮悦子アナも「稚拙ですよね」「文民統制を勉強していただきたいですね、是非」と追従、
反論したくないが、放言にも程があろう、ここまで言うなら、自分で論文をかいてみろ、
 
  本来の文民統制に加え、法の支配や立憲主義、人権の不可侵性を基礎から勉強し直せ、彼らこそ一度、徹底的に締め上げてはどうか。』”
評論家 潮 匡人
 
いつの間にか「村山談話」「河野発言」がもてはやされ、日本も道を誤ってしまった、中国韓国の属国に成り下がり、眼ばかり気にしている、
 
  或る先輩に「昔軍隊、今マスコミ」といったら褒められた、うまいこというな、と
昭和30〜40年代には「昔軍隊、今総評」という言葉がはやり、小さな中小企業などは赤旗が靡き、翌月行くともうその会社がなくなっていた、破壊である、
  又ある新聞、A新聞としておこう、
味方にすればいいが敵にすればえらい眼に会う、しかしA新聞離れが加速し、赤字らしい、
 
  自分の国を否定する傾向がある、
国家、国旗を否定する先生方がおられるとは?
 
  「僅かな知識と浅はかな知恵で判断を誤る」、或る偉い外科のお医者さんに言われた事がある、
副作用を気にしていいお薬も飲まない、
 
  何処か通じるところがありませんか、
ちなみに710軒の団地で祝祭日に日の丸を掲げているのは小生宅だけである、
田舎に行けば沢山見られるのに、
外国人の友人が多いが、自分の国を誇りに思う人を尊敬してくれる、英語を喋ってへなへなしているようでは外国人も相手にしてくれないですよ、
 
 
 

次男のウルフギャング氏が法隆寺のレストランで食事中に描いた彼の勤めているコブルク城の全景です。

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