八郎のホームページ
貴重な時間を無駄に過ごさないように。
Don't waste time over trifles.

人生の楽園を捜し求めて
 
Looking for the Garden of Eden.
 
 
 
 

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H25年1月30日(水)
徳川家康公鎧@奈良市漢国神社(かんごうじんじゃ)
少し寒さも和らぎ郡山の藤井整形での処置も終わり自転車で奈良まで散歩。
往復約21km、健康的である、
 
近鉄奈良駅の西のほうに漢国(かんごう)神社がある、お饅頭のお宮さんぐらいしか記憶になかったのだが立看板も新しくなり古びたお宮さんも新しく改築中、隊員にお話を聞いていたのでおまいりする、
 
事務所に入ると甲冑隊の方がお見えになったとのこと、こんな遠いところまでご苦労様、色々好意的にお話をしていただきました、
 
「慶長19年11月15日、大阪冬の陣の際、徳川家康公、木津の戦いに敗れ当社境内の桶屋に落ち忍ばれ九死に一生を得た舞う、依って報賽祈願のため16日当社にご参拝、お召し鎧一領を御奉納遊ばされる、
その後鎧蔵を建立し累世の将軍家は年々使者をお立てになりました」
 
茶糸威胴丸具足(桃山時代)ー奈良市指定文化財、
 
お庭には甲冑展示室があり写真を撮りたい旨をお願いすると格子戸を空けてくださり撮影することが出来ました、
 
梅木宮司は市内10社の総元締めでありお忙しそうに事務を執っておられましたが本当にご親切に接待していただきました、
 
驚いたことに私と一回り年が違いえとがいのしし、中学校も奈良教育大学付属中学校卒、終戦後は奈良女子大の前にあり、奈良女子師範の跡地にあり、その後黒髪山に新築されました、
担任の先生方も殆ど変わりなく、話は延々と続きました、
話が合い楽しいひと時でした、
これからも良き交わりが出来ることと思います、
再会を約しお別れでした、
 
H25年1月27日(日)
昨日の続き・鹿 煎餅飛ばし、
昨日の続き
橿原神宮でお世話になったに縫いぐるみの「鹿の子くん」
この山麓に住み大阪にも住んでいる鹿の子くん、
本当に大きな声で司会をやっている、
また良きスターターでもある、
 
写真を載せておく、
H25年1月26日(土)
若草山山焼き@成人の日
昨日に続き風が強いが今日は奈良に春が告げられる若草山の山焼きが行われる、
我が家から10kmだがサイクリングロード、
午後猿沢池や興福寺、奈良公園、春日神社、若草山山麓に到着、
昔は1月15日成人式に行われていたと思うが今は天候など連休にあわして行われている、
もう既に鹿のせんべい飛ばしが行われている、もう既に長い行列が若草山の中腹まで連なっている、
その頂点に見たことがある鹿の子さんがこの行事を仕切っている、
あの鹿の縫いぐるみを着た青年、
大きな声で観光客の鹿のせんべい飛ばしの距離の判定、面白おかしくゲームを盛りたてている、
11月23日に橿原神宮で家内と二人でステージに上がり、市長さんや宮司さんと一緒に大阪城甲冑隊の侍姿で2,500人のウオーキングを激励したのを思い出した、
 
近くまで行って声を掛けるつもりだったが風が強く投煎餅者があらぬところへ飛ばされるので大変、顔を合わすこともなく二月堂に急ぐ、
 
600発の花火が打ち上げられ、乾燥、風もあり山焼きとともに最高の演出、若人の男女に溢れており、寒さも飛んでしまっている、
 
この後6時過ぎに若草山焼きが行われるがもう暗くなってきたので早々に岐路に着く、
興福寺と二月堂の争いがないようにこの行事が行われたらしい、
 
帰り道、佐保川に沿って帰ったが、思いがけない突風、本当に危ない、川底まで飛ばされる、思わず自転車から飛び降り立ち止まる、こんなことは初めて、くわばらくわばら、
 
今日は背戸の娘家族4人が姫路まで、おもちゃのセンターに一泊とまりで出発、
5歳と2歳の孫娘、毎日来てくれ楽しい毎日だが日に日に言動がしっかりしてくる、
それに比べて我輩は年も年、何かにつけて反比例かなあ、
H25年1月25日(金)
豊臣秀吉(6)山岡荘八著・講談社
豊臣秀吉(6)読了
 
新しい時代の騎手たらんとする秀吉と織田家第一の猛将・柴田勝家の対立がついに火を吹いた、
だが旭日と斜陽の力の差は歴然、賎が岳では鬼小姓・加藤清正らが”7本槍”の功名をあげる、
三人の幼い姫(のちの淀君ほか)を秀吉の手に託した勝家はお市の方(信長の妹)とともに北国のぐれんの炎のうちに滅んだ、
 
後二巻で全八巻を終えるが第七巻は天下を取った秀吉と家康との最後のライバル、
 
第八巻は目を海外に向けそのスケールの大きいこと、
 
後二巻が楽しみである、
H25年1月23日(水)
郡山城まつり・時代行列参加説明会
JR郡山駅東側にあります郡山市観光協会に、河井先生とともに出席いたしました、
自 6時
至 7時
 
{第53回 大和郡山お城まつり
時代行列・白狐お渡りの打ち合わせ会議}
 
上記の表題にて説明会があり、形態表、子供時代行列、構成表等の書類を頂戴し、総数475名にものぼる参加者の予定、、想定し大いに盛り上がりました、
 
私の所属する大阪城甲冑隊30名のレッド・サムライ精鋭も出陣することになりました、
 
3月31日(日)午後2時から郡山城城下町パレードの栄光を拝受し皆様方の暖かいご声援に預かりたいと思います、
行列最後の精鋭・その名をとどろかします、
 
よろしくお願い申し上げます、
 
 
※ 写真は昨年度のパレードです、付き添いともに45名参加しました、
 
 
 
 
H25年1月21日(月)
大阪城甲冑隊新年宴会@南天苑・河内長野
1月20日(日)この錚々たるメンバーによる夕餉の宴会の営み、西條酒造の社長、南天苑の女将、大阪城甲冑隊の壮士たち、大阪夏の陣の再現、夢は果てしなく広がっていく、
H25年1月20日(日)
南天苑ー天野酒蔵メーカーー九度山・真田庵
昨夜は豪華な夜を隊員9名は天野・南天苑で過ごし、素晴らしい夜の宴を楽しみました、
平素は嗜むことが出来ない明治100年の懐石料理をいただき、南天苑女将の山崎友起子さんのお手並み拝見させていただきました、
 
明治時代の建築家、辰野金吾さんの設計による南天苑、奈良ホテル、東京駅などがあり、これらを記念すべき芸術祭が女将により企画されている、
「幻想的な雰囲気の中で芸術を楽しんで欲しい」
 
このブログを書いている最中に隊員の副理事長Oさんからメールが入り、南天苑さんが楽天とラベル「お宿百景」で「部屋・建物」部門第一位獲得されました、
 
隊員の皆様こんな機会に恵まれ、やはり大阪城甲冑隊真田隊が素晴らしいニュースを身近に感じ今年も素晴らしい年が約束されたような気がしました、
 
こんな立派な南天苑様から大阪城甲冑隊が年頭の初めに出陣の栄光をいただき今年も歴史的な足跡を残したいと思いました、
 
車2台にて九度山の真田庵を訪れる、
大阪城夏に陣、真田隊は此処から出立し徳川軍を大いに苦しめたのであるがこの後は皆様ご存知、素晴らしい功績でした、
 
近郊の寺社、仏閣を訪問しサムライ達の冥福をお祈りし各自帰路に着きました、
 
皆様お疲れさまでした、
 
写真左から西條酒造の社長、太閤さん、南天苑の女将さん、南天苑の専務さん、2年後に活躍されるNHK大河ドラマの黒田如水さま、以上5名です、
 
いつもお世話になっている甲冑隊CEOの河井先生、本当にお世話になりました、有難うございました、
 
 
 
 
 
 
H25年1月19日(土)
大阪城甲冑隊2013年度初会合@大阪城公園と南天苑にて宿泊、
2013年度初会合大阪城公園に集合、地元の高齢者大学の皆様とともに大阪城公園の清掃活動に励みました、
天候にも恵まれ今年もわが隊、豊臣秀吉、真田幸村、黒田如水とともにわが甲冑隊、地元の大阪城賛助会員の輝かしい前途が祝福されました、
黄金の甲冑姿も多くの方に受け入れられ今年も元気で励みたいと思います、
 
昼食後1時より3時まで2013年度初定例会、
過去の素晴らしい実績の報告があり、更なる発展の為今年も2年後の大阪の陣400年の再現に向かって隊員の心意気が益々燃え上がった参りました、
 
その昔大和、紀州と大阪の3州との交流地、賑やかなる河内長野の天見温泉:南天苑にて大阪城甲冑隊の新年宴会が行われました、隊員のうち15名参加、
 
宴会の前に南天苑の女将と河内長野、酒造メーカー西条社長がお見えになり、わが隊の太閤さんと黒田如水並びに多くの隊員たちと記念撮影、河内長野も天下にその名を広めることができました、
 
6時に始まった宴会も深夜12時半までの長き宴、お泊り組みの9名は将に大阪城の隊員の縁石となって尽力する絆を堅く誓ったのであった、
 
 
 
 
 
H25年1月17日(木)
世界の宗教
大阪城甲冑隊に入隊する前は3年間ほど聖徳太子の祭ってある斑鳩の法隆寺にてボランテイアーにて外国人にガイドをしていました、約3年間ほどだがアイセスという倶楽部で隊員は創立当時は数名、英会話も充分でなく家につれて帰ってお泊り、英語の勉強もかねていました、
ガイドブックもなく8畳の部屋一杯に文献、参考書ひろげ自分のガイドブックを作りました、
 
現在は数十名の英語の達者な若者や退職者で組織され貢献しております、
 
創立当時は始めての外国人とのお付き合い、言葉よりマインドが優先し家族的な付き合いまでに発展しました、息子夫婦も交えて家内とドイツ旅行、お医者さんの豪邸に招かれ高原に息子さんのグライダー競技見学、
通常の日本では味わえない外国旅行でした、
姫路に住んでいたアレックス(独)とも友人になり、彼は一度だけ大阪城の甲冑教室に来たことがあります、
今は日本人と結婚し先日ドイツのあるマンションに引越ししたと連絡がありました、
工学博士で三菱重工に努めておりましたがドイツに帰りました、立派な庭付きの泉水があり日本の旧家の家屋に似ていましたが、子供さんがなくマンションに代わったのかなあと思っています、
 
外国人の友人が多く最近は余りありませんが彼らのために絵のような宗教図鑑を考案しました、
何かと自己判断で作成することが多いので正しいとは限らないと思いますが、少しは理解されていたかもしれません、
3年間の収穫でした、
 
宗教の坩堝(るつぼ)といわれるわが国ですがこの絵では理解が無理だと思いますがお会いする機会があればお話させていただきます、
独断と偏見、別に宗教学者でもないのですからこんな考え方もいいのではないかと自己判断しています、
 
左小指 大日如来
左薬指 薬師如来
左中指 釈迦如来
左人差し指 阿弥陀如来
左親指 弥勒菩薩(如来)
 
これが地域的、歴史的に観てこのようになります、
 
もう一人の達磨大使はキリスト教の12使徒の一人トーマス、彼がインドまで来ているのでわが国でも有名な達磨大使ではないかと思います、
 
このように自分で色々と考えるのも面白いんじゃないかと思います、
H25年1月15日(火)
びわ湖第4日目
今朝から先月頼んでおいたデッキの屋根の工事見積もりに大工さんが見えた、
この方は京都の祇園祭の山車の整備士で偉大なるお方である、
やはり仕事が速い、手際が良い、瞬時に終えられ余りお喋りの時間もなく会社に帰られた、
2月に入ってからの工事になるようだ、
楽しみである、
奥様は道の駅、風車村の公園のほうで食堂を経営しておられる、良くはやっている、
 
今日は郡山に帰る日なので草津の雑貨屋に立ち寄り、奈良のサイクルショップにもよりサイクリストのパンツを買う、
BIANCHIと描いてあり、この自転車も持っているので丁度いい、
 
3月に入ればボツボツ長距離に挑戦、少しお腹が出てきたのでへこます為にも、
H25年1月14日(月)
びわ湖第3日目、
特別に外出する用事もないので、ぶらっと駅前のスーパーまで自転車で駄菓子を買いに出た、
 
途中で自転車の後輪がパンク、もう可也古い自転車なので新しいのを物色中、
前輪がスポークが数本折れており、タイヤーも磨耗が激しい、いつもならクロスや、レースの自転車を車に積んでくるか、7時間かかって郡山からびわ湖まで走るかなのだが天候が寒く、自転車なし、
 
駅まで家内に迎えに来てもらい別荘まで持ち帰り、
即自転車のパンク張り、大きな音がしたはずだ、タイヤーが7cmぐらい破れている、
裏側からゴム手袋を貼り付け応急処置、
 
もう廃棄処分なので来月には処分の予定である、
折りたたみの16インチの自転車が2台あるので適当にそれに乗る予定である、
 
可也寒いが土曜日には多くのサイクリストがびわ湖周辺を飛ばしている、
もう来月は大丈夫かなあ、
 
写真は年末に来た時の写真である、
孫達と雪だるまを作って楽しく遊びました、
 
まだ2月にはどか雪があるかもしれない、
 
今日は成人の日だがTVニュースでは矢張り東京は大雪、着物衣装姿も可哀想、
 
 
 
 
H25年1月13日(日)
びわ湖第2日目
先月の雪がまだ少し残っていたがもう雪だるまは消失、
今回はお酒でも飲んでゆっくりびわ湖生活、
 
お隣の京都の釣具やさんがモーターボートのお店を開いておられるが、琵琶湖のおいしい鱒を差し入れてくださった、釣ってこられたので早速お刺身で頂いた、
 
牛肉も近江牛で有名、とろっとしている、
奈良は榛原牛でこれもおいしいが又別の味がする、
矢張り牛肉は関西である、
 
依然聞いたことがあるが関東では肉といえば豚肉のことだそうだ、今は変わったかもしれないが家内の妹が東京ですんでいたことが在るのでそんなことを言っていた、
 
今日は土砂降り、1日ゆっくりTVを見ながのんびり過ごす、
 
 
 
H25年1月12日(土)
びわ湖第1日目
弟夫婦とわが夫婦、びわ湖でも隣同士であるが4人びわ湖のセカンドハウスに到着、
もうすぐ春なのでお庭に花を植えるべく二折買ってきた。
葉牡丹とキンギョソウである、
今度はしっかり根がつくように丁寧に植えつけた、というのは12月に植えた玉葱、赤だまは家内が植えたのでしっかり根がついて収穫が楽しみだが我輩が急いで植えた100本の玉葱の苗が生長していない、浅植えだったので根がつかなかったのかも、こんなこともあるんだねえ、
なんでも丁寧にしなければといい勉強だ、
もう苗が売ってないので植え替えは無理、残念、
 
何だか植えるのが早かったかなあと思っていたと家内は言っている、
大失敗である、
申し訳ない、
 
 
 
H25年1月11日(金)
大先輩と久し振り郡山にて会う、
昨年度に続き郡山j城下、第53回大和郡山お城まつり」行事(時代行列・白狐お渡り)に参加表明のため大阪城甲冑隊統括総責任者河井氏とともに郡山市観光協会を訪問、
観光局長に面談し申込書を提出いたしました、
 
昨年度は甲冑隊から隊員と保護者共々約40名の参加があり始めての参加ながら女性、子供甲冑隊員も多く報道関係をはじめ、観光客や地元の方々から大いに喜ばれました、
何分伝統ある数百名による時代行列なので心配しておりましたが皆様のご協力により成功裡に無事終えることが出来ました、
今年も3月31日(日)にパレードが実行されますので我ら隊員は心を新たにして皆様に喜んでいただければと祈っております、
 
3時前に郡山市役所に報告に参りました、運良く市長さんにお会いすることが出来この時代行列は勿論、2014・2015年の大阪夏の陣400年祭のあらすじを説明しご協力を仰ぎました、
 
尚郡山城のお城まつりの期間は3月29日(金)から4月12日(金)なので是非このブログを読まれたお方はご家族そろっておいでください、
 
この写真は在りし日の郡山城の復元模型ながらさすが豊臣秀長公100万石の威容を天下に誇っております、
 
残念ながら今は滅多に見ることが出来ません、
お城以外の東隅櫓や城壁等は復元されております、
ごゆっくりご覧くださいね、
H25年1月10日(木)
山之辺接骨院に通院
朝9時30分に家内の車で接骨院に到着、治療も無事終わり可也快方に向かっており楽しい限りです、
 
帰路時間があったので昔のジャスコに立ち寄りました、
店内も各ジャスコの展示方法も変わってきており、価格ごとに商品が展示され昔人間にはとっつき難い状態だが、これも進歩的な販売方法なのかなあと感心してみていました、
 
 
 
H25年1月9日(水)
友人の年賀状より
数年前まで高校を定年退職をした友人の先生と自転車仲間、神戸から船で愛媛間の今治へ、しまなみ街道をひとっばしり、夕刻尾道に着き、翌日大阪へ、楽しいサイクリングの旅、これが最後で、彼は今年は図のような楽しい旅の一人旅、声を掛ければ同行できるのだが我輩大阪城甲冑隊にて暇がない、
 
今年は一度ぐらい彼の自転車道のトライアルに参加したい、
彼は体育の先生、その昔笠置駅で出会ってからのお付き合い、
行きたいところばかり、
よろしくね、
H25年1月8日(火)
お正月のお料理(1月1日のおせち料理)
おせち料理の綺麗な写真がありましたので掲載しておきます、
今年は茨城は阿見町の次男夫婦が引越しのために帰郷できなかったので毎年の全家族集合とは行かなかったが写真のようなおせち料理を堪能しました、
 
今年も4家族健やかにすごしたいと思います、いつもおばあちゃんの手つくりながら今年はお料理やさんの逸品です、
おいしかったです、
有難う、
H25年1月6日(日)
のんびり読書ー豊臣秀吉(5) 読了
お正月までに第8巻を読んでしまおうと思ったのですが矢張りお正月は何かと多忙、やっと第5巻を読み上げました、
益々面白そうになります、
山岡宗八氏の文章は読みやすいのでなしたしみやすいです、
しかし若い頃に比べれば目といい気力といい大変ですので慌てず暢気に後3巻を読んでいこうとおもいます。
 
内容は次のとおりです、表紙裏より転送です、
 
高松城攻めの最中、織田信長、本能寺に死すとの報をキャッチした秀吉は巧に毛利方と和を結び、一目散に京をめざす、
「中国大返し」。
主君を倒した明智光秀を討ったものこそ次代のリーダーなのだ、
天王山の麓、山崎の合戦で光秀に勝った秀吉は、天下人への確実な第一歩をしるしていた。
H25年1月5日(土)
見返り美人
お正月には綺麗な着物を着ておいしいものを食べてお年玉を沢山頂いてこの世の春ですね、孫や子供達の天国です、
 
沢山な写真の中から家族の推薦第一を掲載します、
 
皆様ご存知の江戸時代初期の浮世絵師 菱川師宣氏の「見返り美人」です、
 
じじばばをはじめ家族全員馬鹿ですね!
再来年幼稚園の年長組みです、5歳です、
H25年1月4日(金)
書初め
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
            
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
改めて書初めの言葉を列記します、
 
@ 謹賀新年    八州
 
A 主はいつくしみ深く
    その恵はとこしえまで
      その真実は代々にいたる、
 
             詩篇100篇5節
   この聖句は教会に飾られます、
   一月の聖句です、
   2月には又新しい聖句を書かせていただきます、
 
B あけまして
    おめでとう
                ほの
 
C 何も思い煩わないで
    あらゆるばあいに
     感謝をもって捧げる
       祈りと願いによって
   あなたがたの願い事を
      神に知っていただきなさい、
 
            ピりピ人への手紙 4章6節
       
5歳の孫娘の初めての書き初めです、    
   
H25年1月3日(木)
豊国神社にて雅楽観賞
今日の大阪城は本当に冬の陣、寒さも尋常ではなく終日寒中修業?
9時過ぎ大阪城に入り秀吉の甲冑姿にて11時まで観光客との写真撮影、
寸時の休息時間もなく引き続きの撮影、
レッドサムライの人気も大変だが秀吉のこの姿も引っ張りだこ、
 
11時より1時間豊国神社にて雅楽の演奏と舞踊が披露され恭しく宮廷雅楽を楽しみました、終わりにお酒が振舞われおいしくのどを通しました、
 
午後から3時まで観光客との写真撮影の時間をとっていたのだが本当に休む時間もなく、4時過ぎまで長引きました、
何百人と一緒に写真を撮ったか分かりません、
今日も支那中国もなく、一組のみ、何だか話をすると他のほうに話が流れてはと無言の撮影、
 
このように最近は東南アジアからの旅人も多くまた関東地方や中京地区との交わりも増えやはり戦国武将とのつながりが多く話題が尽きません、
 
オーストラリア、マレーシア、台湾、韓国 東南アジアも多く、最近は中国の代わりにこの地区も増えてきました、
 
忍者姿も子供達に人気があり、本日の大阪城甲冑隊は12名でした、
大晦日から今日まで連続して撮影に参加している猛者もあり、私と同年輩、
頑張らなくっちゃ、
昨日総大将を始めも多くの隊員が参加してくれました、
 
世界各国の方々が大阪城を見学にお見えになり、大阪の陣と違った平和なお付き合い、世界各国の言葉が飛び交い、国際親善の最高の場、これが本当の世界の平和である、
 
右側のくのいちは飛び入り、何処の誰かは知らねども、こんななごやかな雰囲気がある大阪城甲冑隊である、
皆様の飛び入りをお待ちしています、
 
私(秀吉公)を除いて兵どもは現役、左から忍者、赤甲冑隊員3名はご家族の真田幸村隊、右側の旗を持っている可愛いレッドサムライは昨年入隊、今殺陣を特訓中です、
 
来年再来年の大阪夏の陣400年祭に向かって大阪城甲冑隊は河井総大将の元先輩の真田幸村公に負けじと一糸乱れぬ訓練に明け暮れています、
 
 
 
 
H25年1月2日(水)
今年も元気の源、楽しい一年が始まりました、
穂乃と沙和です、
5歳と2歳、
姉ちゃんは再来年小学校、もうしっかり年賀状を書いてオトモダチに送っています、
絵が好きなので、明日の大阪城の豊国神社への準備をしている私を観て私の甲冑姿を描いてくれました、
 
「じじ、刀を抜いてみて}
「それのほうが格好がいい」
 
大した絵ではないがモデルにさせられて我輩お正月からいい気分、
 
妹のほうは最近急に自己が目覚めてきて自己主張がはっきりしてきました、2歳半ながらもう大人の仲間入りです、
 
その分我輩が大人から撤退なのかなあ、
そんな気持ちで今年一年、過ごして行きたいと思います、
 
 
H25年1月1日(火)
平成25年・明けましておめでとうございます、
孫二人、息子夫婦、娘夫婦と我が家にてお正月をお祝いしました、
次男夫婦と孫二人は12月の引越しで茨城は阿見町から帰郷できませんでした、
夏休みに2回遠路遥々びわ湖のまで遊びに来たので今回は帰れず寂しかったです、
 
昼過ぎ全員集まって例年通りおせち料理を頂きました、
2歳と5歳の孫娘は綺麗な着物を着せていただきはしゃいでいました、まだまだおしとやかには振舞えませんでした、
 
今年のおせち料理は家内が身体の都合で重箱3箱を料理屋さんにお願いしその他は長男の奥方がおいしい料理をたくさん持ってきてくれました、
 
背殿の娘も沢山なおせちを料理し運んでくれました、
 
全部で重箱の料理の品数は100種類?ぐらいになったかなあ、本当においしかったです、
 
孫達も喜んで一生懸命食べてくれました、
 
本当に楽しい2013年、平成25年の幕開きです、
 
 
 
 
 

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