大学の2年先輩と富山の会社で営業関係の同じグループで活動していたことがあり、入社数年後、私は関西方面に事務所を持つことになり別れ別れになってしまいました、
彼も私も故郷は関西、私は奈良に戻りましたが彼は富山に残りました、
会社は同じなので今まで交流は続いており、富山での毎年のOB会には必ず出席し私のことをPRしてくれています、
年末の彼のメールにはこんなことが書いてありました、
『先日のOB会で,貴男の写真を色々回覧していたら「カッコイイネ」、「貫禄だね」「とか「エーさんは、いつまでも綺麗だね」といった声が聞かれました」』
エーさんとは同じ会社の女の子でした、
彼のメールの本論は
その昔「郡山の殿様」が小生の母親の実家に宿泊されていたことがあったようです、
そのころ母親の実家は、所謂「宿屋」をしていたので、「殿様」が郡山と京都の道中に寄られたのでしょう、
今の地名は、相楽郡精華町ですが、当時は狛田村大字菱田小字宮ノ前 とよんでいたかも知れません、
とにかく、京都ー奈良間の主街道だったようです、
木津川の沿道だったし今では流れ橋も掛かっているし、源九郎狐も時々通られて居られたようです、
機会があれば郡山の小文書でもご覧ください、
というようなメールであり、今朝早くこの場所の確認に自転車を飛ばしました、、
この近くに妹の嫁ぎ先があり、途中下車、旦那さんも在宅で3人で調べに行きました、役場で地図を頂きましたが、もう何世紀も前の古いお話、今では新興住宅街になっており、奈良の春日神社の分社のみ確認できました、
流れ橋では乗馬、源九郎稲荷は義経の城狐、春の郡山の時代行列の発祥地であり、此処からお渡りが始まります、
又改めて調べに来ることにし、時間があったのでもう何十年も会わず、子供のころの僅かな記憶を思い出し、妹に宇治までつれてもらいました、
我が家の実家の近くには従兄弟が布施の校長先生をしておられる親戚があり、子供の頃私は休みになるとその親戚に遊びに行っていました、
その当時の僅かな記憶なので話は聞いているが対面は本当に懐かしかったです、
まさか今日こんな形で合えるとは思っていなかったので写真の方も(いとこ、またいとこ?)驚き、このあと弟さんもお帰り、習字の先生、話が尽きずもう帰りは薄暗い、妹の家まで30分、もう真っ暗でした、
又改めて話しに花をさかしたいと思います、
明日は大事な行事があるので自転車を預けて電車で郡山まで帰りました、
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