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セアカ写真 <毒グモ日本に上陸!> スパイダー
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--->ドキュメントタッチで  《20日間の軌跡-->府の対応》−


<日を追って>
  日本クモ学会が日本に生息しない毒グモを発見!?
  最初は、半信半疑での対応。窓口はどこ? とりあえず検疫の機関があるはず __
  植物検疫所「植物の害虫しか扱っていません!!」 __
  動物検疫所「私どもは大動物のみです。」
  なぜ環境衛生が担当するの?? との疑問は、どこを見回しても所管がないこと。
  衛生害虫に親しんできた経験が、庁内のどの部局よりも近かったからである。 課のトップの意志は「やれ」との言葉。
  結果は、この一言が以降の迅速な対応に結びついた。
  課長に報告を上げたのが11月21日 一日で、できうる限りの情報を収集。
  『翌22日』には、部関係課長会議を開き、祝日開けの24日に対策検討委員会設置、会議開催を決定した。
  大学、病院、関係団体等に委員派遣を要請。
  クモの鑑定を東京の専門機関にも依頼。
  座長にお願いすることとしたクモ学会会長の西川教授と調整。
  厚生省への通報。
  検討委員会資料の作成。
  マスコミへの提供資料の検討。
  万一のための血清探し。 と、全課あげての臨戦態勢で事が進む。
  『23日』遅く、一部マスコミが「クモ情報」を察知。 クモの種についての確認を急いでいると返答。
  資料づくりが深夜から翌朝に続く。
  『24日』朝刊、新聞1社が「日本に見られないクモ」を取り上げる。
  同朝9時、マスコミの数社が、検討委員会の開示を要求。 広報関係課と調整し最初の5分間のみ撮影を認める。
  鑑定を依頼した複数の学者から「セアカゴケグモに間違いない」との確認を得る。
  10時、学識経験者、研究機関、関係行政機関の出席を得て委員会が始まる。
  限定された時間にテレビ、新聞等が大挙して押し掛ける。
  生きた毒グモに真剣な興味を示す委員にカメラが廻る。
  課長代理の司会で委員会がスタート。
  課長の経過説明に続き西川委員から毒グモの生態説明。 続いて西川委員を座長に選出して対応策の検討に入る。
  生息調査の実施、毒性の試験、府民への周知、血清の確保等応急の対応策が議論される。
  この時、既に、血清はシドニーから羽田空港へ向かっていた。
  検討は、事務局案に委員の意見が加わり承認される形で進む。
  11時40分、審議が尽くされ、事務局での迅速な対応を約して会議が終了。
  会議室の外では、委員のコメントを待ってマスコミ40人程度が待機。
  その間を縫ってマスコミ提供用資料作成を急ぐ。
  12時30分、マスコミへの投げ込み。
  問い合わせに翻弄される中、午後2時から西川座長と課長が記者会見に望む。
  会見上は一睡の余地もない超満員のなか、委員会の報告と質疑が始まる。
  途切れることなく質疑が続き、午後4時をはるかに過ぎて会見が終了。
  課では、25日の大がかりな実態調査の実施に向け、保健所、高石市との間の体制整備が 急ピッチ。
  大阪府全保健所の環境衛生監視員に調査の応援を依頼、調査員の確保作業が進む。
  発見現場の地元でも、保健所あげての調査準備に入る。
  実態調査には、マスコミの同行取材を了承。
  18時30分、大阪空港に「抗毒血清」が届く。 血清を府職員が府立病院へ搬送。
  マスコミ取材は、空港、病院にも殺到する。
  この日の帰宅は、早朝の4時。
  『25日』いよいよ調査の日。クモはいるのか。どこまで広がっているのか。
  9時40分、保健所の2階講堂に調査員90名を集めて説明会開催。
  ここにも調査員の数とほぼ拮抗する新聞、テレビの報道関係者が押し掛ける。
  手袋、ピンセット、標本入れ容器、調査票など用具一式を手に高石市10区画に10班編 成で現場に調査員が散る。
  各班には、市職員とPCO協会(駆除業者の社団)会員がつく。
  「さて、現場」
  確認されている墓地では、すぐに標本採取の作業に着手。 「ここにも」「あちらにも」発見の嬌声が挙がる。
  午前中まで数十匹を採取し、毒性試験を担当する府職員が研究所に走る。
  13時、保健所で昼食。 この合間に、報道の泉南担当支局員から調査結果概要の発表を強く迫られる。
  過激な言葉に対応を苦慮しながらも、週明けに予定していた調査結果報告の一部を発表することを通知。
  午後からの調査を含め、生息確認の範囲に限り報告した。
  17時、マスコミへの報告と質疑対応。21時まで調査集計と反省会。 この日も帰宅は12時を回っていた。
  『翌26日』、高石市の調査で新たに生息が確認された堺市で本格的調査が開始。
  この日、日曜にもかかわらず、課と保健所、市の担当課は休日を返上して平日体制。
  府民啓発用のチラシの作成。 調査結果のまとめ。
  調査を泉南地域に拡大する方向で検討。 泉南地区の関係部長、保健所の所長に電話連絡。
  当然この日もマスコミの取材は熾烈を極めた。 また、東京に本拠を置くマスコミからの取材も急増。
  マスコミの問合せの代表的な内容を列記する。
   「現在、調査を行っている場所は」
   「血清の量は」 「西川先生はどこに」
   「現在まで見つかった毒グモの数は」
   「生息の範囲は」
   「毒性試験どういう状況か」
   「厚生省はどう動いているのか」
   「他の府県で見つかったという報告はないか」
   「毒グモ被害の報告はないか」
   「絶滅は可能か」
  この日、府民からの問合せは2〜3件程度。 保健所、市にも多くなかったと聞く。
  一方、マスコミからは50回を超えた。
  帰宅、翌3時。緊張感からか不思議と疲れは感じない。
  『27日』早朝、庁内関係課長会議の開催。
  25日及び26日に実施した調査結果を報告すると共に、プレス発表。 併せて11時15分から課対応で記者会見。
  一方、泉佐野保健所では、泉南地区生息実態調査の実施について会議を開催。
  28日から 一斉に調査を開始することで合意。
  さらに、堺市と隣接する大阪市においても28日から4日間、大阪湾に近い区域を中心に 生息調査を行うことを決定。
  これで、大阪湾に面する全市町で調査が行われることとなった。
  新聞、テレビの連日のトップ扱いでの報道から、各都道府県の対応が始まったのもこの日 からである。
  北は千葉県から南は九州沖縄まで20を超える県から問合せが相次いだ。
  府下調査及び駆除状況を集計、報告して帰宅。
  休息の少しの時間を使って飲みにいき家についたのは2時近く。
  『28日』泉南地区全域に調査規模を広げ情報収集に追われる。
  チラシの印刷。カラー版で1万5千部。 新聞紙上へ注意喚起の広告を決定。
  生息範囲の地図へのプロット。
  昼前、幼児が虫に咬まれて入院、毒グモの可能性もあるとの通報。
 事実関係を調べると症状などから可能性として低いとのことで一同ほっと安堵。
  血清処方の和訳を進めていた「血清処方方法」が完成、病院所管課から医療機関等へ送付。
  新たに和泉市、熊取町で生息が確認。
  こんな時に舞い込んだのが「四日市」でも発見のニュース。
  府に集中していたマスコミもこれで少しは分散されるのではと期待したのも確か。
  『29日』他府県へも波及の文字が舞う。
  この日の新たな展開は、関西国際空港での生息確認。
  もう一つ「おはよう朝日です。」の取材である。 課長の好意で担当対応となり、初めての「テレビ出演」。
  空港での発見は、厚生省を悩ませた。
  どこに、どの施設に、と詳細な資料要求が再三にわたる。
  『30日』府下全市町村に保健所と協力して調査を実施するよう指示。
  印刷のあがったチラシを学校等の教育機関や市町村、府出先機関の窓口に配布。
  月は変わり「師走の12月」
  『1日』、府民からの通報で内陸部に位置する富田林市と大和川を北に越えた八尾市で生息が確認。
  さらに、空港島より南で和歌山に近い泉南市でも確認。
  生息の範囲は、10市2町となった。
  府下の調査は、この日の電話聞き取りで30市町で実施済み、残る14市町村も近々実施予定との報告。
  『2日と3日』府民からの問い合わせに応じるため、休日相談窓口の確保。 『4日』マスコミからの取材が激変。
  やっと平常時に戻りつつある。
  厚生省では、専門家会議の開催を検討。
  大阪府を圏外に。
  『5日』待望の毒性試験の結果が出る。
  夕刻、資料提供と併せて記者会見。
  試験にあたった公衆衛生研究所のウィルス課長と我が 課長が記者クラブの正面に座る。
  報道も最後の集中取材。
  クモの持つ毒素の毒性は強いが、量が少ないので咬まれても危険性は少ない。
  結果に、一部新聞では「安全宣言」も飛び出す。
  『6日』マスコミの取材は1社のみ。
  一般対策への移行に伴い、かかった経費の予算要求等事後処理作業が始まる。
  『8日』旅行中止の残念会と「クモ騒動」の中間打ち上げで、しゃぶ鍋を囲んでの宴会
  この日は、2次会から3次会へと流れ、心地よい充足感で帰宅は3時。
  以上、日を追っての対応状況をできるだけリアルに記してきたつもりである。
  しかしが、実際の混 乱と狂乱の状況を表現することは到底困難であることをお許しいただきたい。
<マスコミの対応>
  結局、被害者は無く、オウムの沈静化、APEC後のニュースの空白時に舞い込んだ格好 のタイミングに計られたイベントであったような気がする。 毒を持つ昆虫は数知れず我々の周りに生存しており、仲良く、お互いを知って生活すれば 決して害を及ぼすことはない。 今回の狂乱劇は、マスコミで作られた感が強い。行政の対応はマスコミに煽られた感があ る。 しかし、新聞、テレビを使って迫りくるマスコミに対して行政は、冷静沈着な対応など決 して取れるはずはない。 少しでも時間を置いた対応を取ろうものなら、批判の集中砲火を浴びていたに違いない。 「虫」と付き合えば、毒を有する「虫」であっても愛着がわいてくる。 やみくもに殺せばよいということでなく、被害をくい止めるための適度の駆除とつきあい 方へも目が向けられるべきである。
<環境衛生監視員として>
  一方では、我々環境衛生監視員にとって歴史始まって以来最大のイベントであった。 虫」を地道に研究してきた環境衛生監視員にとって、この時とばかりに張り切ったことは 言うまでもない。 休日にもかかわらず、また職場の旅行をキャンセルし、調査に積極的に関与してその存在 感を大きくピーアールした。 ちなみに、我が課及び発見地元の泉大津保健所では、25日から26日に予定していた旅 行をキャンセルし、我が課では50万円の違約金を最大手の旅行会社に支払わされた。 職員から苦情は出るはずもないが、これら課、保健所問わず献身的な府職員の対応には我 が身内ながら頭が下がる思いである。

<当時の担当者 環境衛生課主査 北角 彰>