八郎のホームページ
貴重な時間を無駄に過ごさないように。
Don't waste time over trifles.

人生の楽園を捜し求めて
 
Looking for the Garden of Eden.
 
 
 
 

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H30年2月28日(水)
部屋の掃除と飾り
ハワイホノルルセンチュリーライドの自転車競走のビッグサイズの写真が見つかったので額に入れて飾りました。
大きさは90cm×60cmの大きさ
部屋にかざるのにほかのいい写真を2枚全紙に引き伸ばしました、A4四枚ぐらいの大きさです。
一枚4,800円で可也高くつきましたが、
記念だから頑張りました、
額や写真のバックの紙は選ぶのに大変苦労しました、大阪城の前の写真のバックは黒のフエルトです、
落ち着くまでなんかいもやり直しです、
家具屋や文房具屋やスーパーを行ったり来たり、
やっと落ち着いた色に落ち着きました、
飾る部屋も日当たりでは直ぐに日焼けをしてしまいますので余り暗くない日の当たらないところを選ばねばならないので大変です、
私の部屋も少しは綺麗に飾れました。
甲冑も六領位ありその付属品,刀等を入れると大変です、太閤さんの髷、羽織、はかま等もすべて手作り、家内や家内の妹など総動員、甲冑は鎧兜です、
本当に良く造ってくれたなあと感心しています。そのほかアルバムが20冊以上、どうしたものか思案、苦労しています。
 
 
H30年2月27日(火)
高級和牛料理店
家内と娘と3人で櫻井に用事で出かけました、用事も終わり橿原神宮に回ってもらいました。その昔若かりし頃勤めていた会社の横を通り、近くのお医者さんの家を通り、昔懐かしい近辺を少し探訪しました、本当に懐かしかったです、
昔の知り合いの薬局もなくなり、やはり時代の移り変わりを感じました、
帰りに懐かしい黒毛和牛の料理の高級料理店に予約もなしに入りました、
その昔我輩の結婚20年の式典を上げたところです、
快く迎えてくださり県下でも珍しい料理屋さんです。
3人別々に料理をお願いし贅沢な料理をいただきました、
この写真は私の料理で女性はまた素晴らしいご馳走をお願いしました、
上質な空間と上質な味わい、
落ち着いた店内でいただけました、
噛んだ瞬間に肉の旨味とともに口いっぱいに広がる肉汁が絶品です。
黒毛和牛100%使用、機械を使わずに手引きミンチのハンバーグもまるでステーキのような一品もあり本当に他店では味わえない黒毛和牛です、
 
橿原市は十市町の
   福寿館です。
 
H30年2月26日(月)
風雅な御寿司
家内と娘の三人で奈良での用事が終わってお昼ご飯に美味しいと評判のおすし屋さんへ行きました。
いつもの回転寿司と違ってこのような昔ながらのお座敷気分のおすし屋さんはやはり雰囲気が違いますね、
奈良の本通りにありお寿司屋さんの雰囲気を嗜むお客さんで賑わっていました、
おすしのネタやニギリが特別でアワビのにぎりもあり高級、味も特別、食にうるさい女性連中も愉しんでくれました。
最後にあじの骨のから揚げ、いけますね。
皆さんも良く行っておられる長次郎さんです。
また行きたくなりますね。
ご馳走様、
 
 
 
H30年2月25日(日)
金メダルー女子マススタート お姉さん
天才と呼ばれた妹を、努力と気迫の姉ー高木菜那選手が超えて見せた。
 
高木菜那 金メダル
女子スピードスケートマススタート
美帆だけじゃない、菜那もいるんだ、
高木菜 黄金スパート
消耗防ぎ一気
初代女王
狙っていた会心ののレース
妹超えた
やったー最高の五輪
姉の意地「負けたまま終われない」
団体お抜きに続くきんメダル
今大会2個目の金メダル。史上初
 
今大会始めてのこのレースにはマスコミもあまり注目しなかった、
私も日本選手が金メダルをとれば夜中に起きてブログに乗せるいい写真を探すのが大変、やっと静かになったなあと思ったら突然金メダルのニュース、嬉しいやらしんどいやら、
しかし日の丸はいいねえ、実にいい、
おめでとう、ご苦労さん、
女性の根性には参る、
我が家の家内も同じだ。
私も後少しだががんばらなくっちゃ、
 
 
H30年2月24日(土)
四百有予年前のお菓子
名物 御城之口餅 由来
お知り合いからこんな美味しい有名なお餅をいただきました。
 
弊店祖 菊屋治兵衛が豊臣秀吉公の弟君 豊臣秀長公に召され大和の国に参りましたのが天正十三年(1585年)でございます。
秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように命ぜられ献上いたしましたのが、粒餡(つぶあん)を餅で包み、きなこをまぶした一口サイズの餅菓子でした。
秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。
砂糖が貴重な時代のことですので一説には全国に点在します鶯餅の原型だという説がございます。
時が経ちいつの頃からか、弊店が御城の大門を出て町人街の一軒目に位置しますことから「御城の入り口で売っている餅」という意味で御城之口餅(おしろのくちもち)と呼ばれるようになり、その通称名が、菓銘となって今日に至っております。
二十六代目 菊屋英寿 謹白
 
ご馳走様でした。
 
御城之口餅 お菓子所 本家 菊屋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
H30年2月23日(金)
いい言葉ですね。
本棚からこんないい言葉が見つかりました、
 
足るることを
  知ることこそ
 最大の富である
 
余り欲を出さずに今のままで
   満足し過ごそう。
 
 
H30年2月22日(木)
ウォーキング in AEON MALLl
少し歩けるようになったと思ったら季節も冬に入りその上左肩腱盤裂傷になりウオーキング中止、
最近家内につれてもらってイオンモールにウオーキングの練習、
一階、二階。三階を歩いて1,800歩
大人の目標は一万歩、
しかしこの体では年のこともあり2,000歩歩けばOKだと思っている、
そのうち5,000歩ぐらい歩けるようになり、自転車にも?
之はもう止めたほうがいいかも、
イオンモールはいい運動場である、
しかしそこまで一人で歩いていけないのが残念である。
イオンモールウオーキング様様!!!
H30年2月21日(水)
女子追い抜き 金
いつもの通り新聞のこの記事に対するタイトルを列記します、
 
平昌五輪2018
 
戦術と科学 結束
日本圧巻の五輪新
終盤オランダを抜きさる。
4人の力一つに
姉妹の夢結晶
8年抜き抜かれ
団体追い抜き 金メダル
女子追い向き 金
スピードスケート 五輪新
高木姉妹競い合い 夢つかむ
リオ銀の陸上リレーと共通
絆 磨いた隊列
五倫新2分53秒89
女子オランダに雪辱
高木美、金・銀・銅そろえた
気迫スパート「チームを誇りに思う」
和の走り、強さ美しさ
耐えた、抜き返した、
女子追い抜き「みんなで金 感無量」
「美帆先生」教室でも妥協なし
 
2紙から之だけ見つけました、
本当に良くやってくれました、ほめ言葉がありません、
実は一週間前夜中に目を覚ましたらNHKBSでパシュートのトレーニングの放送をやっていました、約一時間?ぐらい、
あまり知らない競技でしたがいつの間にか引き込まれてしまいました。
ヘッドコーチはオランダのヨハン・デビット氏、
彼が課す練習はデータに基づき内容もどのチームよりもより厳しい。チームワークをはぐくみながらスケートには妥協せず高めあってきた。昨季入ってきた最年少の佐藤は高木美らからの助言で今季急成長した。高木菜は「後輩にも、先輩にも 後ろで滑っていてどうだった、と聞き合えるなか」
その団結力で今季は記録も塗り替えてきた。
日本人の根性だけの死に物狂いの試合ではなく戦術と科学の素晴らしい知能的な指導方針には感激させられた、
オランダに追いつけだけでなく3秒早く目標を持ち、先頭が1番風当たりが強く、その後ろに一直線に走るのが風力による疲労も助かり、体温の下降も助かり、それぞれの力の配分まで考え、選手交代も7秒の平均から3秒にちじめる、ゴールして一人でも元気が残っているようではこのチームの全力を出し切っていない、全員ぶったおれる位全力を出しきる。
力の有るもの無いものを交代時に上手く入れ替える、
本当に母親が乳飲み子に教えるように厳しく優しくコーチしているのには驚き、
ほかのレースのコーチも厳しくやっていると思うが体格の劣る日本人が体格の優れた西洋人に太刀打ちするには日本人の根性だけでは無理、外国に留学をしたりもう世界的なコーチの時代になったなあとつくずく考えさせられたのです、
日本からも外国にコーチを出している種目も有るようですが、本当に世界は一つになってきましたね、
いろいろと教えられることがあり、この種目は必ず世界一金メダルは間違いないと確信しました、
オリンピックももうすぐですが更に素晴らしい成績を上げられますよ期待いたします。
写真は1枚だけですがTVや”新聞やPCのニュースの写真を参考に必ず日の丸が写るように探すのに今夜は殆ど寝ていないかも知れません、
しかしいい写真が見つかりました、
これでこゆっくりgo to bed,出来ます。おやすみなさい、
H30年2月20日(火)
楽しい保険やさん、
午後或る保険やさんが契約に立ち寄ってくれました、
まだお若いがみんなを愉しませてくれて楽しい時を過ごさせてくれました、
私も昔の若かりしころのセールスエンジニアー時代を思い出してお互い大いに笑いました、
多分会社で1番の成績を上げておられることでしょう、と思います、
今は就業時間中なのでゆっくりお話も出来ませんが時間が取れたら何時間も世間話などをお話をしたいといっておられました。
何かといろいろつながりがあり世間は広いようで狭いものだなあと思いました。
 
この写真は別の保険やさんの玄関に立てかけてあった天皇陵と奈良県との関係の掲示板でした、
今の小中学生が社会化の授業で習うんでしょうか?
私のこの年の社会科では歴代天皇を暗記させられました、
今は殆ど覚えていませんが、不思議に中国の歴代王朝を覚えています、16代までです、
紀元節ー建国記念日 も終わりましたがちょっと思い出しました。
昭和10代以前の皆さまはいかがですか?
 
 
 
H30年2月19日(月)
久しぶりに奈良近鉄へ
家内の用事で久しぶりに奈良近鉄へ、
用事が終わると丁度お昼、
5階の食堂街が人で一杯、
いつもの通り大阪鶴橋の風月堂が人で溢れている、
こんな料理が最近世界中に広がっている、
庶民的で一般の人に受け入れられやすく好まれている、
家内と美味しくいただきました、
ご馳走様、
H30年2月18日(日)
小平さんスピード500金メダル
小平さん スピード500 日本女子初。
 
「日々、自分を超える」
信念を貫く、
「すべてがむくわれた」
 
長野県の相沢病院院長が小平奈緒選手のスポンサーになり約年間1,000万円。
長野県ではスポンサーになる企業も無く相沢院長が無償のスポンサーに、
バンクーバーでは団体追い抜き銀メダル、
得意の500メートルは作季から国内外で無敗
すべてが報われた気持ち、多くの競技を見てメダルに届かなくても、みんなが自分の色で咲き乱れていて心強く思った、
同走の選手が予想以上に速かったがスケートが体の真ん中に入ってくる感覚がすごくよかったのでそこだけ外さなければ私らしいスケートが出来るんじゃないかと思った、
 
こんなか弱い女性が本当に良くやりましたね、有難う、おめでとう、
 
午後長男夫婦が遊びに来てくれた。
毎日ブログを読んでもらっているので一日でも遅れると体でも壊しているんじゃないかと心配して立ち寄ってくれる、
ありがたいことである。
最近は分家した子どもたちが親内に顔を出すというのがめずらしいようで我が家は孝行の子どもたちに恵まれてありがたいことである、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
H30年2月17日(土)
金と銀
フィギュアー男子フリー 
金と銀
羽生、宇野強さ証明、
磨いた心と技 真の王者へ、66年ぶり
羽生連覇、日本待望の金、
人生史上一番幸せな瞬間
四回転精度の問題
総合力、表現力の問題、
感謝の心が育てた快挙だ、
羽生「右足に感謝」
冬季1000個目の快挙、
怪我乗り越え連覇、
「スポーツは自分の限界に挑むもので、有る意味では死と隣り合わせ」
「やってやる、自分は絶対王者と自分に言い聞かせていた」
「自分に嘘をつかないのであれば、やはり連覇したいと思っている、どの選手よりも1番勝ちたいという気持ちが強くあると思う」
本当に右足が頑張ってくれた。
 
極めた伝説の舞
羽生 五輪に君臨
試練の4分半 執念で滑りきった。
日本が世界が心跳ねた。
これが羽生だ。
 
各国メデイア賞賛
王子から皇帝に 韓国
歴史に名を残した 中国
昨年に右足首を負傷したにもかかわらず驚嘆すべき技術と演技、 中国
氷上の優美さの影に剛毅さを持っている、 中国
日本の神、フィギュアースケター羽生が金 ロシア
TV 生中継で羽生が着地で持ちこたえるたびに「立て」 演技が終わると「一位だ、美しい」と絶賛 ロシア
フィギュアーの王様、完全復活だ 韓国
現役の選手のうち議論の余地無く最強、実力だけではなく、アイドルのような外見でも多くのファンを獲得した。 韓国
ジャンプでいくつかのミスがあったが金メダルにふさわしいパフォーマンスだ  
歴史的  英国
 
羽生右足に感謝、
 
宇野選手
底知れぬ才能、 驚き
自分に負けない演技が出来た、
 
もう何もいうことがありません、
私も自分の人生と照らし合わせて永遠の師匠として生きて行きたいと思います、
 
有る新聞のタイトルの総ざらえを持ちまして記事といたします、
 
 
H30年2月16日(金)
子熊のプー
この子熊のプーを下げてオリンピック会場に飛んで行きたいのだが、
ぜひともフィギュアー男子フリーで羽生結弦選手の肩をたたきに元気をつけに応援したいのだが。
無理かなあ、10年前の私だったらどうかなあ、
H30年2月15日(木)
バレンタインの贈り物。
ハート
素敵な出会いに はずむこころは
ほんのり淡くさくら色
サクサク香ばしいハートの最中に
甘酸っぱいミックスベリー飴をはさむ
手作り最中です。
 
この素晴らしい美味のお菓子を
長男の奥方が届けてくれました、
「たねや」さんの優れものです。
 
”小鳥さんがあなたとともに唄っている。”
 
有難う、ご馳走様。
 
 
H30年2月14日(水)
19歳平野歩夢世界中興奮さす、冬季オリンピック
平野歩夢、本当に素晴らしい名前だ、
米国のホワイトを脅かす、
ホワイト、31歳の彼を19歳の日本男児が奮い立つ、
五輪初の「連続4回転」
世界中海外騒然、
「1440、4連続」
95,25
SNS上で絶賛の嵐、
王者のよう
とんでもない王者が待っている、
ホワイト2世になるだろう、
神の子
 
本当に驚き、
金メダルが取れなかったが金メダル以上。
素晴らしい日本人。
 
金メダルを保つことは難しい、
ソレを追う選手も必死だ。
64針を顔面に負う大事故、
試合中転倒して胸部打撲、
お互いこのような再起不能の事故を超越しての闘い、
4年間の自己との闘い、
ほんとうによい勉強有難う、
H30年2月13日(火)
懐かしい家族 75年前の写真
12人家族でこの写真は本当に懐かしい、
「産めよ増やせよ地に満ちよ」
我が家の家族の写真で前列右から二人目が我輩である、小学生、
八人目の子どもで名前は「八郎です」
父や母は本当にお若い。
 
現在長男は93歳です、長女は91歳です、
この当時は男は足にゲートルを巻き戦時体制。
窓ガラスは爆風で割れないように紙を米印に張っています、
現在女性は6名、男子は3名です、
 
H30年2月12日(月)
雪だるま
朝起きると世間は真っ白、
昨日の天気予報では雪のだるまさんが描かれていました、
約10cmの積雪です、
玄関の表の雪をポリバケツで10杯以上孫娘が裏の庭に運んでくれました、
おじいちゃんと孫娘2人の合作ですが良く考えて雪だるまを作ってくれました、
デザインはもうついていけません、
髪飾りは椿の花です、
眼は木炭、
口は赤い色紙、
手はかまぼこ板
可愛いですね、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
H30年2月11日(日)
有馬温泉土産 有馬筆
関東の茨城に住んでいる次男夫婦が会社の旅行で有馬温泉に遊びに来ました。
わざわざこんな遠いところの温泉にこの有名な温泉に日ごろのお勤めの骨休みに旅をしたのです。
一泊は自由行動で我が家に夫婦で遊びに来てくれました、
長男夫婦や長女家族と我が家で合流、7時間ほどの時間しかなかったがお互い美味しいお土産などを持ち寄り良くしゃべり、良くのみ楽しい時間を過ごしました、
 
写真の有馬筆をお土産に頂き、この有名な綺麗な筆の歴史を書いておきます。
 
有馬人形筆
 
有馬筆 ひょいと出でたる言の葉も
  人形よりはめずらしきかな。
              本居 宣長
 
約千四百年前の飛鳥時代、三十六代孝徳天皇が御子無きを嘆かれ、皇姫と共に有馬温泉逗留されて間もなく、王子が誕生、
有馬温泉にちなんで、「有間王子」と命名されたと伝わります。
人形筆は、この故事にちなんで、室町時代に人形師の伊助が考案したとされています。(有馬郡誌)
筆軸につややかな絹糸を一本一本手で巻いて軸尻からは豆粒ほどの人形が、ひょこっと顔を出したり、引っ込めたりする美しくも愛らしい「からくり筆」です。
 
昭和31年 天覧の栄に浴す。
昭和45年 万国博覧会出品
 
兵庫県伝統工芸品指定
神戸市北区有馬温泉
人形筆製造元 灰吹屋 西田筆店
 
筆尻より可愛い美しい人形が顔を出し驚いています、
もったいなくて好きな書道に使えません、
眺めるだけです、
        
H30年2月10日(土)
オリンピック開会式(2月9日)
2月9日 韓国は平昌にて冬季オリンピックが開かれる、
恰も北朝鮮のオリンピックのようだ。
 
残念ながら入場式に参列出来ませんでしたがやはり日の丸が燦然と輝いていましたね。
日本の選手達の日本を背をって苦労を重ねたことを考えると安部さんもじっとしておられなかったのでしょうね。
やはり天下の日本の総理大臣、世界に太っ腹のところを見せましたね。
 
がんばれ!
日本の選手達。
 
 
 
 
 
H30年2月9日(金)
なら瑠璃色の道、
春日神社、興福寺、東大寺の三社寺を瑠璃色の光の道で繋ぐなら留理絵が8日夜から始まりました。
瑠璃色の星々が輝く光の道、
星空のようなイルミネーションに
「冬七夕ロード」の設置
願い事を込めた短冊をかける人々の姿が多くみられる。
H30年2月8日(木)
貴の花親方のお話。
TVで長いお話を聞かせていただきました。
 
横綱は超横綱を目指さなければならない。
今の横綱に先輩として説教。
日本の相撲道をしっかり教えてやってほしい
長幼の序、先輩後輩の日本の道徳を植え付けてほしい、
 
2票しか入らなかったが一人野党、
しかし彼の顔は明るかった、
 
H30年2月7日(水)
肩の鍵盤断裂
週に2〜3回リハビリに通っていますが院長先生に3ヶ月が経過しましたがまだ痛みが残リますがと訪ねると少し軽い腕の体操をしなさいとのこと、もう少し痛みが早く回復するものと思っていたが、入院して手術すると大変だよ、このまま軽く腕の体操をして時たま注射をしてリハビリに通いなさいとのこと、ベッドの上で検査していただくと3ヶ月前のことを考えるとかなり痛みが軽減してきたとのこと、先生の言葉に少し元気を頂いてがんばります、
少し無理をしてでも肩に力が入っても体操をしてあと3ヶ月を目標にしてがんばってみようかなあと思います、
 
夜痛くなって寝られなくなると、手術の決断と書いてあったのをみたことがあるので今のところそんなことがないので心配無用かなあと思います、
 
今まで数回入院するほどの病気になったので本当に入院は嫌ですねえ。
 
それ以外に足の運動が控えていますので今日は久しぶりにイオンモールに行きました、
十分歩けましたので今日の歩行数は驚くなかれ3,300歩。
喫茶店に入りおいしいお茶を飲んで、帰りに回転寿司をお腹一杯食べて元気に帰りました、
 
H30年2月6日(火)
40年前の肖像画
我が家に飾ってある我が輩の肖像画、
絵の大好きな次男の作品です
大きさは70cm×60cm。
私の40歳代の男盛りの時代である、
本当に良くかけていますね。
 
もちろんモデルも良かったのですね?
目が輝いていますね。
H30年2月5日(月)
会社を離れて13年
はがきでこんな過去の物語を書きました。
草履取りから真田幸村、太閤さんまで上り詰め、我が世の春を謳歌しました、
この間大きな病気もしましたが今は静かに余生を送っています、
H30年2月4日(日)
勤続46年間の軌跡
69才まで同じ会社で勤務し、若いながらも小さな会社を任され、今から考えると自分個人の会社みたいな感じでした。
良く風雪に耐えて、耐えきって勤め上げられました、
波瀾万丈泣き笑い人生、
 
今日はこの2冊を仕上げました。
大きさはA4です。
原稿は以前に作ったものがありましたので助かりました。
表装は以前「白橿」という社内報を作ったことがありましたので思い出して手作り、
所々読んでみるとよくがんばってきたなあと思います、
 
小さな会社を家族みたいにやってきたように思います、会社の社員は兄弟姉妹みたいなもの、、家内も無休の社員、良く助けてくれました、
 
まあこのくらいにして終わります、
 
社員の皆さん、遠く富山から応援に駆けつけありがとうございました、
 
 
H30年2月3日(土)
節分
今日は節分です。
今年の恵方は南南東のやや右です、
お日様の出るややみぎがわかなあ?
こんな太い恵方巻きをこの方向に丸かじり、
今年も素晴らしい一年でありますようにと祈りながら。
鰯の丸焼きは厄よけ、
今年も災難からのがれますように、
 
このおにぎりはあの有名で行列のしているうどん屋さんにおいている特別においしいおにぎりに勝るとも劣らない味の家内の傑作、
 
節分の料理のみをクローズアップしました、
ごちそうさま。
 
 
 
 
 
H30年2月2日(金)
暗唱聖句
わたしは世の光です。
わたしに従うものは決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。
       ヨハネの福音書 八章十二節。
    教会の2月の暗唱聖句
 
 
 
平和を作るものは幸いです。
その人たちは神の子と呼ばれるから
       マタイの福音書 五章九節
 
次男の製作したカレンダーの2月の聖句です。
 
画仙紙に清書させていただきました。
H30年2月1日(木)
小さな町工場の奇跡
関西テレビ8ch、7:57−9:00 「アンビリーバボー」実録 小さな町工場の夫婦が12万人を救った奇跡、
愛娘の命を救いたい、!!
素人が不可能に挑戦!!
独学で試行錯誤、
奇跡の医療機関、
娘さんの心臓の病気を助けたいとの意欲からこの世界に挑戦、しかし思わぬ方向に転換、娘さんは私に関係なく多くの患者さんが助けられたら私の本望、と両親にさとし、ついに2,000万円の自己資金を元手にスタート、
娘さんの余命は10年、
資金面、技術面等数々の困難を乗り越えて当時外国の医療機器は事故が多く、それを乗り越えて、心臓のバルーン、カテーテルの改良に成功し、現在では世界に輸出し25万台の医療機器を作り出している、
成功と同時に娘さんはあの世に、娘さんの心臓病には適応されなかったが、娘さんの希望通り多くの心臓病の方に大いに役に立ち、喜んであの世に旅立ちました、
あまり涙を出さない私ですが涙なくしてみておられませんでした、
頼りにしていた大学の心臓の権威者にも門前払い、億という金額に銀行にも問題にもされず、厚生省にも当てにされず、見知らぬ実績のない医療機関は問題外、何とこの世は冷たいものだなあと思いました、
わかりにくいと思いますが写真のような器具でカテーテルとバルーンの器具です、
日本人向けにバルーンの大きさの区別、
大、中、小にわけ、厚生省の企画では2万5千の症例に対しその倍の5万例を達成し、厚生省に届けるとはその素晴らしい努力には頭が下がりました、
現在では事故もなくこの医療器具のために多くのクランケが助かっています、
こんな奇跡の器具を発明した社長様に深く頭を下げたいと思います、
素晴らしい日本人ですね。

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