永山久夫 食文化史研究家
西武文理大学客員教授
秀吉は名も無き農民の子せがれであったが、武士に社会にもぐりこみ、織田信長」に使えるようになる、
秀吉は無一文で世に出たが、チャンスをキャッチする能力だけは鋭かった、貧乏に負けない根っからの明るさがプラス思考を生み、成功に結びつく。
人に好かれるひょうきんさは権力の座についても変わらない。信長や家康の持つ高圧的なところがまるで無いのだ。合戦でも敵をなるべく殺傷しないような戦術をとっていたことも同時代の武将たちに好感を抱かれる背景にんっている。
「今太閤のような人」だといっても「今信長」とか「今家康」がないのは、好感度の違いで、庶民出身であるところが大きい。
秀吉の底抜けの明るさと頭能力を養ったのは食からみれば魚と大豆、秀吉は魚が好きであり生地尾張名物の豆豆腐を好んだ、幸せホルモンと呼ばれる脳内部物質のセロトニンの原料となるトリプトファンと言うアミノ酸どちらにも含まれている。
今回の「秀吉の天下とり食」も秀吉好みの豪華な料理が中心になっている、
大阪城天守閣復興80周年記念プロジェクトがホテルニューオータニ大阪 開業25周年記念 「秀吉天下とりの宴」が開催された。
この大役をおおせつかったのは誰あろう。
もうお分かりだろう。
少し長くなるが、献立を書いておこう、
献立
天正16年1588年9月、大坂場内 山里の茶屋において秀吉が毛利輝元に振舞った料理
御会席より
一の膳
鮭の焼き物、鮭の水頭檜、おろし大根、御汁鴨、松茸、
二の膳
香の物、御汁鱈、大根そぼろ、
お菓子
くみつけいもごみ、せんべい、
天正18年1590年9月、毛利輝元邸において毛利輝元が秀吉をもてなした「天下統一」を祝う料理、
御本膳より
1の膳
焼き鳥、大あえまぜ、蒲鉾、くらげ、御汁あつめ、湯漬、
2の膳
唐墨、たこ、あわび、焼鮎、御汁すずき、
3の膳
大はも、鯛昆布締め、鯛の子、赤貝、御汁くじら、
お茶の子
くるみ、みかん、打ち栗、豆飴、花昆布、みの柿、山芋、
お飲み物
秀吉公ゆかりの酒。
以上のような献立が出されました、
こんな素晴らしいお祝いでのお食事は2度と食べられないと思います、世紀的なお料理です、
330人がこの宴に招待され、3時間半に及ぶ大宴会、
秀吉が愛した能楽、音楽が演じられ、最高の宴が催されました。
330人の料理を個人別に配膳すると時間がずれてきて大変、大役をおおせつかった今太閤、この3時間半に渡る食事時間に8回の大太鼓を舞台から打ち鳴らす。それを合図に給仕が前の料理を全員同時に引き下げるのである。こうして順序良く規律良くは配膳を行うのである。そうして時間内に全員が総ての料理を平らげるように考えられている。
何とか大役を果たすことができた、
この写真は映画のエキストラが出演されていたので一緒に撮らせていただいた。
礼儀正しいのにはおどろきました。この企画には大阪城甲冑隊の河合先生に大変お世話になりました、
衣装から企画までおんぶに抱っこ、有難うございございましたとのお言葉をいただきました。
この写真は2008年1月での出来事です、
我が家にはA4の大きさの写真が飾ってありますが、改めて全紙の大きさに伸ばしてパネルにすることにしました、
我が家には所狭しとA4の大きさの写真やパネルが飾っていますが、こんな機会はまずないと改めて45cm×56cmのパネルです。
この後姿、いかがですか?
仲居さんが40名の勢ぞろいとのことです、
丁度10年前の出来事です、
こんな元気なときがあったのですね。
長いお時間のお付き合い、お疲れ様でした。
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