八郎のホームページ
貴重な時間を無駄に過ごさないように。
Don't waste time over trifles.

人生の楽園を捜し求めて
 
Looking for the Garden of Eden.
 
 
 
 

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H30年7月31日(火)
素晴らしい?お中元
ほとばしる熱帯の香り
  とろけるまろうあかな甘さ
    沖縄産のとれたてマンゴー
 
太陽の恵みたっぷり
   とろける熱帯果実
      トロピカルフルーツ、
 
娘の旦那さんの実家、沖縄の両親から
    こんな素晴らしいお中元が贈られてきました、
    冷蔵でみずみずしい、
    いつも気を遣っていただき、もったいなくていただけません。
    ご馳走様、いただきます。
 
H30年7月30日(月)
美味しいお土産
裏隣の家族4人が名古屋のレゴランドに1泊2日で行ってきました、
娘と旦那さんと孫娘二人です。
 
帰りにこんな美味しいはじめていただくお土産を買って帰ってくれました、
いつも良く気が付く娘です、
ご馳走様。
 
創業明治33年、
三和の歴史、
にわとり一筋に歩んできた道、
 
文久3年(1863年)1月、三和グループの創始者である伊藤和四五郎は尾張小牧村に生まれる、
明治33年(1900年)資料業として事業を起こし、伊藤和四五郎商店を創業。
業界初の完全配合飼料も基礎を築く、
 
昭和8年、愛知県知多郡大高町に4万坪の三和農場を建設し、養鶏事業を開き、名古屋コーチンをはじめ、8万羽を育成し、東洋一の規模を誇る、
 
それまでの家内労働的武士養鶏を昭和初期に日本の近代的な養鶏産業としての礎を築く。
 
この会社の名古屋名物 さんわの手羽唐 全国優秀観光名物 に推奨されました。
 
ほんとうにご馳走様。
 
 
 
 
 
H30年7月29日(日)
恐ろしい台風
地震が終われば豪雨、そして今度は台風、
日本国中荒れまくっている。
 
原子爆弾2個も落とされ、この世から抹消された日本が、日本人の文句一つも言わず、他国のようなサラリーマン根性を捨て、国のため働き通し、世界第3位の素晴らしい国に築き上げた日本国民、そんな国にまた想像を絶する災害が襲い掛かる、
 
どうしてだろう、
私たちは何を目標に生きていけばいいのか、
 
夜通しTVの気象状況とにらめっこ、31日の試験を控え交通事情をTVとスマホで探索、孫娘は無事京都は美術伝統工芸大学に戻りました。
 
家内も仕事の関係上、天候が回復するのを願っている。
 
 
 
H30年7月28日(土)
高校野球奈良県大会決勝
こんな試合はフィクションの野球小説にも書けない。本当の出来事なのである、
 
天理高校と奈良大付属高校の死闘である。
是こそ本当の死闘である、
最終回の9回の表に天理高校が4点を入れてしまった。最終回で同点に持ち込んだ、誰がこんな試合展開になろうとは?
延長戦に入りてっきり実績のある天理高校が優勝すると思っていたのだが、11回の裏奈良大学付属が満塁に持って行き、買ってしまったのである、
 
この組み合わせは昨年と同じ、2−1で天理が優勝、今年は同じ組み合わせで遂に奈良大が優勝、驚き、ついにやったねえ、
 
孫娘とキャーキャー言いながらの観戦、
茨城県にいながら智弁高校のごひいき。
その智弁に勝った天理を応援している、
 
まあ天理は2度も甲子園で優勝しているので奈良大付属に譲ってあげてもいいでしょう、何をのんきなことをいってんねん。
みんな必死だよ。
 
今年は全国高校野球、100周年記念大会、優勝して勝ちたかったやろうな?
 
今日はブログに書くニュースが無く、困っていたのだが、こんな特選級の写真が出来た、
孫娘がこんな写真を見せんといて、と言って泣いていた。
 
 
4点差の奈良大が天理高校に4点差、楽勝と思っていたのが
 
 
H30年7月27日(金)
高台寺の蒔絵
孫娘から偶然京都は高台寺へ郊外学習に行ってきたといってこんな立派な蒔絵を見せてくれた、
このような勉強をしているとは、
お父さんも自分のやりたかった美術を娘が代わりに研究してくれているとは目的達成かなあ。
 
高台寺は秀吉とねねが眠るお寺じゃありませんか。
偶然とはいえ今は病気のためお休みしている大阪城を思い出し、ねねは今どうしているんだろうとすこし気がかりになった。
 
この猛暑職務を全うしている ねね、茶々の健康をお祈りします。不思議なつながりだねえ。
 
H30年7月26日(木)
孫娘来る、
猛暑のため住宅のラジオ体操がお休み、
日本国中大変なことだ。気をつけなくっちゃ、
 
我が家にとってはじめての孫娘、何分はじめての孫娘、大いに可愛がってもらった子がもうこんなに大きくなって驚き、と言っても5月には琵琶湖の別荘で3人の孫娘が会っている、
 
京都の伝統美術工芸大学に入学して初めての夏休み、多くの課題を持って普通の科より夏休みが少ないらしい、
我が家に5泊6日、その後茨城県の実家に帰るそうだ。
到着後家内の車で二人の孫娘とお母さんと5人で女性の趣味、ショッピングでお店のハシゴ。
 
この雑誌は年2回発行、もう7〜8年読んでいるらしい、この男の子が?
 
学生も中国人、韓国人、アメリカ人など世界各国から集まっている、専門科目も日本の伝統美術とか。日本の古き良き時代の美術が世界的に見直されている。
ショッピングに行っても薦められる流行のファッションには見向きもせず昔のデザインの衣装に目を注いでいる。
もう時代も過ぎ去ったものだ。
古き良き時代だね。
 
夕食はおばあちゃんのご馳走?とはいってもありふれたもの。
味付けは孫娘の育った時の味、
思い出して大好きらしい、すこしからいめ、
私は大阪の味、甘口。
 
 
 
 
H30年7月25日(水)
妹が天国へ
午前中いつものとおり朝のウオーキング、7時からラジオ体操、少し涼しくなったかなあ。
 
午後末の妹より電話があり、私より二つ下の妹が老人ホームでなくなったとのこと、驚いた、若い頃1番長生きするとの占い、
JR郡山の近くに住んでいたので会う機会が多かったが今はJR尼崎の近く、会うことがなく一度会いたかったが残念、先に行ってしまった、
 
心の優しい気立ての良い妹だったのでこんなお花の一杯咲いている天国に行ったのでしょうね。
 
お花を見るたび思い出します。
H30年7月24日(火)
初めてのいちじく
我が家の庭に始めてのイチジクがなりました。
本当においしそうですね。
家内は野菜作りが大好きで初物は家内の催促でブログ用に写真を撮らされます。
 
今日も猛暑、妹の暑中見舞いには酸欠の金魚みたいと書いてありました。
 
日本国中猛暑と思っていたのですがまだその上、外国には50度以上の国があるんですね。
 
朝ウオーキング、その後住宅のラジオ体操、汗びっしょり、しかし今日は少し曇っていたので助かりました、
往復小2の孫娘がひょろひょろ歩きのおじいちゃんの手を引っ張って歩いてくれます。彼氏とのお話の時間をとってしまって申し訳ない。
 
パソコンのコンピューターのリムーバブルデイスク(F)がもう残量が無いと言う指示が出たので新しい写真が保存できないと思いDellのサービスに電話するとパソコンの中に入っているSDカードかUSBメモリーを抜け、と言う返事でしたが、両者とも何処にあるか分からないのでそのまま使用することにする、こんなちょっとしたことが分からないとは、とほほ?
H30年7月23日(月)
ラジオ体操始まる、
自治会のラジオ体操が始まりました。
孫娘、小学2年生が私の手を引いてグランドまで、
今日から8月9日まで続きます、
最終日には子供たちに楽しいお土産がいただけます。
頑張ろうね。
ラジオ体操第一、第二です、
 
私は早朝の散歩が終わってからこの体操をTVを見ながら毎日やっていました、
体が大分柔らかくなりました。
 
車で移動中昔の仲間に会い、車の中で長い間お喋り、私の病気のためすっかり仲間も見失い思い出せなくなっていましたが、段々記憶が復活して来たのかなあ、
お互い苦労話、もう少し長生きしましょうね。
 
H30年7月22日(日)
東京オリンピックとパラリンピックのマスコット
さすが世界の平和を目指す日本、
素晴らしいマスコットが子供たちによって選ばれました。
作者 谷口 亮 さん
 
ミライトワ 未来と永久
ソメイテイ 染井(Somei) (mighty)吉野、
 
温故知新の日本の知恵だね?
奈良県出身なのでソメイといわれたときには即、ソメイヨシノを思い出しました、
世界に通ずる素晴らしいマスコット。
もうメダルはいらないよう。是が総ての金メダル、
 
私はこの写真を撮るだけでも大変なんだよ。
夕食が始まったとたん、食事をやめTVの前に釘ずけ、10枚の中の一枚を選びました。
サッカーのゴールドのプライズは何が何だか分からなかったけど。
 
何でもどこかの国の二番煎じ。これで完全に世界をリードしたね。
万歳!!!
 
 
 
H30年7月21日(土)
兄貴のお見舞い
午前中の英会話教室が終わり、家内と近くの病院へ兄のお見舞いに行きました。
正面玄関にこんなお祝いの絵画が飾られていました。
「海老で鯛釣る」
これで患者さんも安心するでしょうね。
一日も早く回復されんことを。
 
兄は93歳、私と11歳の差、
べっどの上ですやすや寝ており、たたき起こすわけにも行かず耳元で声をかけました。
こちらから準備していた家族、兄弟全員のA4サイズの72年前の白黒の写真を見せました。父母と兄弟12人の写真です、
兄二人は姫路の陸軍の兵学校へ、三男は大阪は堂島の海軍施設部に入隊しておりました。四男五男は小学校、
うっすら目を明けて少しうなずいていた様子でした。写真が好きだった兄貴、昔を思い出してくれたのかなあ。
 
えび(注射)で鯛(回復'退院)を釣って欲しいものです。
 
私たちも一日も早く元気になられんことを祈って病院を後にしました。
兄貴、また来るよ。
 
♯ 英会話の時に持って行った写真がが珍しかったのか、(12人兄弟と父母が一緒に写っている)英会話の先生(米国人)が写真を取らしてくれと言って、スマホで撮っておられました、
バックの窓ガラスの米印の白い破損よけをみて是は何かと聞かれ、うっかり「米軍の射撃よけ」と言ってしまいました、彼は「Oh、No.」と言って肩をすくめ驚いていました。口が滑りました。
戦死したものはいなかったので彼も兄貴が93歳です、と言ったので安心した様子でした。
気をつけなくっちゃ!
 
H30年7月20日(金)
ご近所
向かいのご主人は本当に気さくな方で関西の方ではなく東京からこられた我輩より一つ年上のお方。
 
奥様が最近病院の介護施設に入院され今まで本当に良く尽くされました。先日の認知症の介護の集まりにこの様な方のお話を聞かせていただいたら会もまとまって締まったものになったんじゃないかと思います。それほど涙ぐましいここでは書けないぐらいの家庭内でのお世話をされていました。
 
旦那さんも少し時間が空きましたので私とお話をする機会が増え何かと勉強させていただいております、
趣味も良く似ておりPCの先生、気さくなので直ぐ応対してくれます。部屋に上がると1〜2時間がすぐに経ってしまいます、
お料理もお上手で我輩にも料理は面白いから是非やってみてはと勧められています、結婚してから、茶碗も洗ったことが無いものですから、少し考えてみなくっちゃ、
 
この写真は我が家のある日の夕食のビールのおつまみ、お刺身は必ず付きます、その上4品ぐらい付きますがこの日は珍しく2品、奥の枝豆は琵琶湖で採れたものです、
ビールはノンアルコホル、早く元気になってアルコール入りのお酒を飲んで「くだ」をくだをまいてみたいものです、
誰かが言ってますよ。
いい奥様に恵まれて、
「これ以上欲を言っちゃ神様に怒られますよ。」
「すみません」
 
H30年7月19日(木)
楽しい授業
裏隣の孫娘10歳がどかっと一学期の答案を見せてくれました、
「なにこれ」「絵本」と驚きました、
現在の答案用紙です、
 
私と孫娘は72歳違います、昔は戦時中、資材も事欠き、試験用紙はガリ版刷り、
想像も付かないと思いますが謄写版で刷ったものです、
こんな綺麗な答案用紙ならいつも100点満点全員取れるでしょうね、????
この答案用紙みたいに。
 
驚くべきことに保険の試験にこんなカラーの妊婦のお腹の解剖図の絵が描かれていたのです、
10歳ですよ、昔なら隠されて中学校か高校でも見ることができなかったと思いますよ。「夫婦生活」と言う大人の本以外には。
 
孫娘のお母さんに聞くと「私の時にもあったよ」
知らぬは私だけだったようだ。だから恥ずかしくていい点が取れなかったのかなあ
 
もう一昔も二昔も過ぎてしまったのですね。
話が通じませんねえ。
だから最近は賢くなって、お話の頭に「おじいちゃんの時代には」とつけるようにしています、
「夫唱婦随」、や「孝行」が通じなくなって仕舞いましたね、
 
しかし我が家では子供たち3人はしっかり日本の伝統文化を護っていてくれています、有難う。
 
 
H30年7月18日(水)
げんきらくな会
毎日元気に暮らせるようにみんなで集まって気楽におしゃべりしませんか?
左記のポスターのように稗田県住集会所で開かれました。
歩いて近くなのでこの「認知症カフェ」に初めての個人行動、参加しました、
途中で気分が悪くなったら席を外すことを申し入れ。
参加者は10人ほどで社会福祉協議会の方が4名、この猛暑の中ご苦労様です、
 
会議が始まると第一声の方がこの趣旨と外れたお話を少しハイになられて10分以上お話されました、
誰も止めに入れません、
しばらくして老年の方が中に入られたのですが「私の話を聞け」、とこのお年よりは引き下がりました、この年でこの趣旨に参加されるのは大変なことだと思いました、
しばらくしてお若い係員の方が注意されお話会が始まりました、
 
認知症カフェーとなっているのでそのことについて勉強になるお話が聞かせてもらえると思って参加したのに、認知症とは何かとお話できる人が誰も居られません、
私は物知りの娘の話を少し聞いていたのでそのお話でもと思ったのですが、何分はじめてのこと、差し控えました、
 
本当にこの人たちは介護をしたのかなあと思うほどのお話の進行、少し言いすぎかなあ、この人たちも認知症の方々の介護を少しでも勉強したいと集まってこられたのじゃないかと思いますが、私自身もそのとおり、3度目の十字架を背負ったことがあるので参加させてもらったのに、患者方のお話を少しも聞いてくれません、
まあ認知症だと思われる方は手を挙げてくださいと最後に女性スタッフの方が申されましたがそれでおしまい、
勿論認知症の方はこんな場所には出れませんが、
 
第一声のハイな場所はずれの演説?に圧倒されて後が続かなくなってしまったのでしょうか。いろいろ喋られたのでその中にはためになるお話もあったかと思いますが一部の方は感謝しておられました、
 
認知症のお話が飛んでしまいました、認知症の経験者としてその苦しみは誰にも分かりません、娘の話の中に良く出るのですが病気になったもの本人でなければ分からない、私も経験者としてそう思います
私も病気のための記憶喪失か認知ではないと思いますが、
いまだにはっきりしません、
今はアルバムを開きながら数十年の過去を思い出しています、
 
係員の方に申し訳なかったが、少し?クレームを述べて会場を後にしました、
後で折角の初めての会をいろいろご苦労なさったのに足を折るようなことをして申し訳なかったと反省しています、
どうもすみませんでした、
矢張り専門家が出席なされて、その方のアドバイスが必要かなあと思います、
 
H30年7月17日(火)
ダイアモンドの太陽と虹柱。、
窓から琵琶湖を眺めると真っ赤な太陽、5時に起床し湖岸に直行、数枚湖岸に写る朝日と湖岸と赤く染まった朝日の美しさ、
初めての経験、太陽柱、
今日は見えなかったが向こうに見える伊吹山が輝いている時はダイアモンド伊吹、お月さんの時はシルバー伊吹、
まだまだ芸術的な名前が付けられている、
この二重の虹は決して誰でも撮れるものではありません、是はCGでもありません。
 
実は私が着の身着のままこの湖岸に来た時には既に立派なカメラマンが高価なオリンパスのカメラを構えて真剣に真っ赤な日の出を撮っておられたのです、
撮影の合間を見て話しかけると気軽に応対していただいたのです、
 
そのときいろいろとこの湖岸から上がる朝日の芸術名を聞かせていただいたのです、先ほどの名前を記録しておいたのですがすっかり間違えてしまっているかもしれませんが、後ほど先生のブログを拝見させていただいてもっと詳しく勉強したいと思います、
 
来る8月1日から31日まで「癒しの郷、高島の絶景」と言うタイトルで今津サンブリッジホテル ギャラリーで駒井隆弘先生の写真展が開かれます。
八月には孫たちも休みに入りますので別荘に泊まり、見に行きたいと思います。
 
高島の名物はこの虹と柿です。
 
 
H30年7月16日(月)
スポーツとバーべキュウーの憩い
こんな綺麗なれジャーランドです。
一度遊びに来てくださいね。
テントが10基以上あります、今整備に急ピッチです。
H30年7月15日(日)
オランダ村がモンゴル村
朝5時出発琵琶湖は高島の別荘に7時20分に到着、
110kmを2時間20分、過去最高、
家内が余りにも飛ばしたので我輩少し酔意気味、
先月綺麗に育てた庭のお花も草ぼうぼう、
終日家内と二人でお庭の草引き、
猛暑の中是は大変、お隣の弟夫婦も畑の手入れに精を出している、
一日早く来ているのでお庭も綺麗だ、
 
途中近江聖人、中江藤樹の館の立ち寄り先日約束した「生きる」TV朝日放送のDVDを手渡す、非常に喜んでおられた。
 
5年ぶりに自転車のレーサーを組み立てホームセンターに立ちより携帯用空気入れを購入、是で自転車も完全装備、あとは乗るだけ、
長い間別荘にぶら下げていたレーサーも生きかえりました、
 
近くの3基の風車があるオランダ村も改装され、今は多くのモンゴルテントやサイクリスト用の休暇村も整備され、スポーツやバーべキュウの出来る宿泊所に様変わり、楽しい若者の駅と変りました、この25日にオープンです。
 
こんな広々としたテント村で記念撮影、まさか病気とは思いませんね、驚くなかれ子の撮影をお願いした若者はプロカメラマンに見える奈良県は生駒駅の前に住んでおられるイケメンでした、最近はこんな出会いが多く面白いですね、私と同郷とは、
 
まだ自転車はひょろひょろですが3km前後の初乗りでした。
H30年7月14日(土)
PCの修理
富田林から朝早く甥っ子が飛んで来てくれた、PCとかアマチュア無線3級の免許を持ち何かと詳しい。
DVDラベルとか写真シールの画像が固定したまま、新しく取り込んだ画像が入らない、
矢張り素晴らしい頭の持ち主、修理完了、
どんな頭脳をお持ちかなあ、
DVDのラベル、写真シールの画像の貯蔵庫を新しく作りそこにラベルやシールの新しい画像を入れるようにした。上手く表現できないが是で万事完成。
お分かりかなあ。
  
お土産に近鉄の美味しいファンシーデザートを持ってきてくれた、私の甘いもの好きなお菓子を良く知っていたのだなあ。
本当に優しい甥っ子、今は無きお父さんにそっくり、ご馳走様、
 
写真は結婚式場やフランス料理、宿泊なんでも御座れ之美しいホテルです、
皆さまのおいでをお待ちしています。
 
 
H30年7月13日(金)
一人でサイクリング 美人に会う?
用事があり近くの「秀長の湯」と言うホテルがあるので尋ねる。小パーテイを開くのには丁度いい。秀吉公の弟さんの名前、ピッタシ、しかし残念ながらホテル専門、
 
豊臣家の名前が付いている。素晴らしいお湯らしい、「秀長の湯」とは市長さんが名付け親、いい名前だね。
 
紹介していただいたJR郡山の駅前の、結婚式場、本当に綺麗な建物、息子の結婚式場であった、
マネージャーも私と地元同士、親切にいろいろ教えてれた、次のパーテイは此処に決まり。
 
お隣のある事務所を訪れ、郡山の観光コースを教えていただく。気難しい年配の職員が二人居られる中で紅一点、あら、二人とも眼が会い立ち往生、大層な美人、直接見ると目がつぶれてしまうのでカバーで隠させていただきましたが、本当に驚きました、6年前の郡山祭りの時代行列、赤甲冑を良くお覚えていただき、それまでのこともご記憶、驚きました、こんな老いぼれを良く覚えてくれはったなあ。
その上聞かれたのはあの若いイケメン、「ああ河合先生ですか?彼は我が大阪城甲冑隊の創業者なのよ。」「ああそう。」
若い者同士、やはり、目の付けるところが違うね。
気難しい年配の職員が下を向いて一生懸命お仕事、その中でこのお二人は昔を思い出し、大きな声で私語、私が気を遣い「かめへんの?」と問えば、「大丈夫」
この事務所の中の女王様?
 
一人で自転車サイクリング、いろいろな出会いがあり、これからも自転車乗りの練習をさせていただく
 
 
H30年7月12日(木)
続き
私たちがだまされてきたことがこの新聞を読んで少しは理解されました、
戦後75年済んでまだみんなが仲良く暮らしてないことが残念です。
日本だけが優等生でその足を引っ張る隣国があるんです。
明日から平常に戻ります、
二日間すみませんでした。
H30年7月11日(水)
本当のこと
H30年7月10日(火)
朝の運動
玄関にこのような立派なお腹の木像の布袋さんが飾ってありますが、私も体重が67kgながらこんなお腹になってしまいました。
孫娘や家族から笑われているので一念発起して朝の散歩を始めたのですが、今夜の長寿番組を見ていると朝の運動はご法度、
なぜならば就寝中に500mlの汗をかいているらしい、その上、朝の運動で汗をかくと更に脱水症状になるとのこと、こうなると血管や心臓に大きな負担になり大きな打撃を与え身体に大変な負担がかかる。
 
早速止めるべきか?午後に変更すべきか迷っている、
早朝の運動は頭がすっきりするし、汗を欠くことによって体の働きが活発になり非常に体に良いように思うのだが、
さて皆さまならばどうなさいますか。
 
私は子供のときから寝起きが良く、朝から頭が冴えている。眠たくない、いい体調なり。
まあ当分水やコーラを500mlぐらい飲んで甘いお菓子をカブリ、のんびり歩いてみようかなあ。
まあじっくり考えてみよう。
 
 
 
H30年7月9日(月)
朝のウオーキング
朝5時半から6時半まで2,000歩。帰ってきてテレビのラジオ体操、10分、午後から自転車の練習一時間。
散歩の途中こんな綺麗なお花が道端のお地蔵さんに飾ってあった。
こんな田舎の田んぼ道、心がほっとしますね。疲れも和らぎます。
 
まだまっすぐ歩けませんが人に会ったらこんな歩きかたでは格好が悪いから出来るだけまっすぐに、澄まして歩くようにカッコウをつけています。
想像できますね、
 
パソコンの故障でDVDのラベル、写真シールの印刷が出来なくなってしまいました、
画像を取り込む元の画像を送らなくなったのです、
サービスに電話するも以前のナンバーでは受け付けてくれません、保障期間が既に切れているので自動的にカットされたんです、
さてどうしたものか向いの叔父さんに相談して二人で解決方法を考えています。
 
プリンターはあと2年保障期間がありますのでサービスは安全、結局ソフトの購入かなあ?
 
 
 
 
H30年7月8日(日)
劇的な出会い
娘から郡山城内にある柳沢文庫の招待券をもらい、「郡山城と武将ー松平忠明を中心にー」の展示会を見に行きました、2kmほどの道のりながら自転車を漕いで少しの上り坂、まだ病上がりの我輩にはまだまだ無理なところがあり、汗びっしょりを超えて仕舞いました。
 
柳沢文庫に入るとクーラーが二部屋の和室の中に2台、フル回転、入場者は我輩一人関係者もいなく殆ど裸になりながらパンフレットを団扇にしながら思いっきり涼をとりました。やっと落ち着きました。一時はどうなるかと思い、出てこなかったら良かったと思いました。
 
郡山市民にとっては松平忠明は徳川家康の孫、そして大阪の陣では敵方であったので余り記憶にはありません、
また資料も少なく、築城したのは筒井順慶が織田信長の後援で郡山城を築城し城下町の整備にとりかかりました、
したがって春の郡山のお祭りには筒井順慶の時代行列が華々しく行われます、数年前には我が大阪城甲冑隊も1回時代行列に参加させていただき、郡山市長が筒井順慶役、私がその上の豊臣秀吉公でお馬さんに乗せていただきました、市長さんからご丁寧なお葉書を頂きともに無事に役目が果たせましょうにとの有難いお言葉、感謝しています。
 
次は今まで入ったことが無い城址会館、此処は土日のみ開館、既に数人のグループがガイドされていましたが、終わり、次のグループと共に案内されました、
この建物は県立図書館で今の奈良県庁の前にありました、多分誰も知らないだろうと思っていたのですが、県立図書館の時代にはよく本をよんでいたんですよ、と言いますとガイドの彼も「私もよ」、あら不思議?
彼が私に「何年生まれ?」と聞いてきたので昭和10年、」と答えると彼も彼も同じ、まさかこの年でガイドとは、それから出身校を聞くと、中学校は違ったが、郡高で無かった奈校、クラスが違ったが、思わぬ一致、驚きました、高校時代の話に花が咲き、大学卒業後彼は有名な銀行に勤め、日本国中転勤、私はくすりやさん同じように転勤が多く、本当に楽しい劇的な出会いでした。
名前を聞かれ私のあの大きな写真入の名刺を渡しました、
彼はまだこの年で郡山城のためにボランテイアーされているのです、
話が尽きませんでしたので再会を約しました。
 
いろいろな裏話も聞かせていただき、富本銭が天守閣改築中に見つかり、日本で始めて発見されたこと、多分教科書も改められるかも、今写っている郡山城と橋はCDグラフィックでこの橋は今建築中、東京オリンピックまでに完成するとの事、
郡山城はそっくりそのまま伏見城に移譲されたとのことで資料は少なく天守閣の形もはっきりしないとのこと、改築工事中に大阪城のあの有名な抜け穴も発見され、金ぴかの遺産も多く見つかり、「多分秀吉公が築城されたんやで?」と二人が顔を合わせて大笑い、
本当に楽しい老いの時間を過ごさせていただきました。
城址会館のつながりがここまで発展するとは?
 
話はまだまだ続きますが、築城400年推進委員会会長賞に私の写真が入選し、その時の築城の大石が2個保存されていることを聞き、早速今井町まで足を運びました、途中花やさんで場所を聞くと多忙にもかかわらず地図を広げて説明していただきましたが、私の様子を見てさらに新しい地図を引っ張り出してきて説明してくれました、TVの放送みたいでした、本当に郡山市民は親切で優しいので郡山市民の誇りです。
 
後一つお願いします、
途中わからなくなったので昔よく行っていた時計やさんに立ちよりました。もうお孫さんが店をついでおられると思って立ち寄ったのですがドアーを開けるやいなや二人とも驚いて立ち往生、驚き、
その奥さんがまだご商売、昔より品数も増え繁盛しています、運よくお客様がお帰りになり、昔話に大いに花が咲く、
 
当時私の姉ぐらいに思っていたのですが、私の名前から白髭まで覚えておられ、私の家内以上に何もかも記憶が抜群、驚きました、お若く見え私より5歳お若いです、
 
長い自分勝手な作文にお付き合いいただき本当に有難う御座いました、
これからも人とのお付き合いを大事なしたと思います、
有難う御座いました。
 
H30年7月7日(土)
英会話教室。
大和郡山市の人口は85,000人
公民館が6箇所あります、1番大きいのは三の丸公民館、その次は南部公民館、
多くのクラブがあり多いところはひとつの公民館で60のクラブがあります、
 
私は南部公民館の中のお茶の間英会話に復活して通うことになりました。
英語の先生はイケメンの米国人と美人の日本人の女性です。交互にお二人です。
 
もう皆さんは長いおつきあいなので家族のようです、
楽しい授業です、2時間の授業が終わると1時間のコーヒータイム、その間有志の方のレッスン、夫々テキストブックをお持ちなので驚きました。
誰かがお菓子の差し入れ、女性の方が多いので英語とお菓子の口の両方が忙しい。
 
 
今日は北海道に行ってこられた方がこんな美味しい和菓子を買ってこられました、
あの有名な「栗かのこ」です。みんなで、今日は10名、美味しくいただきました。
みんな優しい方で、ご馳走様、
 
解散した後、南部ギタークラブの方10名が昔懐かしい歌謡曲の演奏、テイーハウスの広場が満員になり、恰も大劇場のごとくギタリストも始めての演奏会、大変喜んでおられました。
 
今日は郡山地区のあの有名な金魚すくい大会、小学5年生の孫娘が14匹掬いいい成績でした。もう一人の孫娘。小学2年生は4匹でした。
楽しい一日でした。
 
 
 
H30年7月6日(金)
天地異変
地震が終わったと思ったら台風と豪雨、世の中どうなっているんだろうね。
戦争が終わって75年、戦争も無く平和過ぎ、日本人は良く頑張った。世界第3位のお金持ち、そのため世界のATM、自動現金引き出し機といわれている。
戦争に行く気ならそのお金で貧しい国を助けられる、しかしいまだにカっての植民地に世界で何処もやっていない賠償金をだしているらしい。アジアにもまだこんな私利私欲の国があるなんて、世界にはじさらしだよ。
いい加減にしてくれよ。完全に足元を見られている、今日は此処まで、
 
朝からものすごい豪雨のため孫の通っている小学校はお休み、大変なことが起こっている、
例のとおり井戸端会議で国会を開いている。もっと政治と外交に力を入れてくれよ。
平和ボケの日本、小学校はたった一日のお休み、国会議員は十何連休の長い春休み、蓑と鍬をもって災害救助に、どうだろう。もう夏休みはないだろうね。
 
何も無かったように朝顔がさいている、
同時に3つ咲き余りにも綺麗なので家内の薦めもあり、写真に撮った。
いつまでもこの朝顔のように平和な国でありますように。
 
余りにも災害が痛ましすぎるので敢えて掲載しません。
亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げるとともに被災された方々にお見舞い申し上げます。
 
 
H30年7月5日(木)
整形外科と整骨院のはしご、
毎月はじめに整形外科にてデイスポ関節注を両肩に打っていただく。
血液検査の結果は何処も異常なしとのこと、とりあえず是で安心、痛みは日にち薬、少しずつ良くなっているとの事、頑張ろう、
自転車のことを話すと不可、もしひっくり返るとまた半年は寝たきりとのこと、辛抱しなさいとのたまう。仕方が無い。
 
終わって近くの整骨院にて全身マッサージ、是は大いにすっきりする、
若い元気な先生なのでで効き目は確か。
家内もお得意さんである。
 
終わって奈良近鉄へ、お昼ご飯は簡単に写真のとおり、美味しかった、
有名な風月堂である、いつものとおり満席である、ご馳走様、
H30年7月4日(水)
ベルギーに屈す、
誰もがベルギーに屈するとは思わなかったでしょう、本当に残念でしたね、日本の選手にかける言葉がありません、今回のW杯であらゆることを経験されたんじゃないですか、小さい日本人が良く戦いました、
 
試合とはくそまじめだけじゃだめだ、駆け引きが大切、と誰かが言っておられたが、本当にイエローカードの数だけで準決勝へ、何も知らないものは試合もせんと何でボールだけ転がしてんねん、これも駆け引きの一つ、昔の日本人だったら考えられヘン事だ、是もいい経験させてもらった、
日本人も世界の試合運びを学んだなあ、と私は思いました。
 
優勝候補のベルギーに2点先行、日本式の真面目な試合運び、本当に勝たせてあげたいと誰もが思ったでしょう、サポーターのゴミ拾いも世界の注目を浴び、本当に優等生、選手も良くやったと思う、出来すぎだよ。ほめてあげたいね。
 
最後のベルギーの電撃作戦、アナウンサーが一言選手交代で日本人より15cm背が高い選手交代、聞いていてちょっと気になったが?アナウンサーも余り気にしていない様子だった、しかし心の中ではまさか?と思っていたでしょう、
戦前生まれの私にとってはあの非人道な原爆を落とした、おまけに2個も広島と、長崎に落とした国を思い出した、決してベルギーを悪者にしたわけではありません、誤解しないでくださいね。勢いからいってそれほどの勢いを感じました、こんな例をこんな時に引用するのにはかなり抵抗がありましたが、お許しください、怒涛の猛攻、瞬く間に3点、しかしゴールキーパーもよく防ぎました。運が相手に味方したね。
本当に良く戦いました、ご苦労さんでした。
監督さんのこともあり日本人の団結心が発揮されたのです、4年後には更に素晴らしい成績が上げられますようお祈りしてこの文章を終わります、
 
この写真は産経新聞のスポーツ面を切り抜き利用させていただきました、
有難う御座いました。
 
 
H30年7月3日(火)
京奈和自転車専用道路
昨日から自転車に乗っています、
 
レーサーは琵琶湖においてあるので普通の自転車でこの道路を試走しました、
昨日はイオンモールまで往復5km、
今日はこの自転車専用道路を往復10km走破、ものすごく熱い、
 
この道路は自転車専用道路で車両進入禁止、白、紺で道路の両側を記している、本当に走りやすい、信号が無いのが嬉しい。
 
 
稗田から往復10km、無理をしないことにしました、
力が付けば嵐山まで片道60km、往復120km、挑戦するつもり、
しかし矢張り無理かなあ、平城宮旧跡までが精一杯かも。往復20km、
 
この道路は嵐山→和歌山港 180km、
広域周遊自転車道となずけられ、現在奈良市から五条市まで75kmが整備されている、
その昔我輩元気なときは郡山から琵琶湖の高島の別荘まで110kmを8時間かかって走破していた、友達や外国人を誘って良く走ったものだ、しかし今はその10分の一が精一杯、まあ無理をしないように、
ホノルルセンチュリーライドで80km、鈴鹿で8時間の耐久レース、良くやんちゃをしたもんだ。
くわばらくわばら?
H30年7月2日(月)
元気を出さなくっちゃ。
年を取るとやはり手が震え、字ものびのびと書けなくなります、
字が小さくなりますね。
 
◎ わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧きます。
     ヨハネの福音書四章十四節
 
◎ 定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候、
我々事などは浮世にあるものとはおぼしめし候まじく候。
      真田左衛門左幸村。
 
◎ わたしが道であり真理でありいのちなのです。私を通してでなければ、誰も父のみもとに行くことは出来ません。
      ヨハネの福音書十四章六節、
 
◎ 平和をつくるものは幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
       マタイの福音書五章九節。
 
有難いお言葉です、感謝しましょう。
 
 
 
H30年7月1日(日)
終戦の日々
もうすっかり真夏になりました、
毎日暑い日が続いていますが皆さんはいかがお過ごしですか、
お伺いします、
 
 
終戦後、戦前に生まれた私たちは、こんなことを教えられました、多分皆様方、最近の裕福な日本に生まれた方々は想像もつきませんでしょうが
「世界一裕福な国は北朝鮮(韓国)、蝿一匹いない国は中国、」
多くの日本人が焼け野原になって住めなくなった日本から、これらの国に送り込まれたのです、総て嘘っぱちの情報でした、

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