娘から郡山城内にある柳沢文庫の招待券をもらい、「郡山城と武将ー松平忠明を中心にー」の展示会を見に行きました、2kmほどの道のりながら自転車を漕いで少しの上り坂、まだ病上がりの我輩にはまだまだ無理なところがあり、汗びっしょりを超えて仕舞いました。
柳沢文庫に入るとクーラーが二部屋の和室の中に2台、フル回転、入場者は我輩一人関係者もいなく殆ど裸になりながらパンフレットを団扇にしながら思いっきり涼をとりました。やっと落ち着きました。一時はどうなるかと思い、出てこなかったら良かったと思いました。
郡山市民にとっては松平忠明は徳川家康の孫、そして大阪の陣では敵方であったので余り記憶にはありません、
また資料も少なく、築城したのは筒井順慶が織田信長の後援で郡山城を築城し城下町の整備にとりかかりました、
したがって春の郡山のお祭りには筒井順慶の時代行列が華々しく行われます、数年前には我が大阪城甲冑隊も1回時代行列に参加させていただき、郡山市長が筒井順慶役、私がその上の豊臣秀吉公でお馬さんに乗せていただきました、市長さんからご丁寧なお葉書を頂きともに無事に役目が果たせましょうにとの有難いお言葉、感謝しています。
次は今まで入ったことが無い城址会館、此処は土日のみ開館、既に数人のグループがガイドされていましたが、終わり、次のグループと共に案内されました、
この建物は県立図書館で今の奈良県庁の前にありました、多分誰も知らないだろうと思っていたのですが、県立図書館の時代にはよく本をよんでいたんですよ、と言いますとガイドの彼も「私もよ」、あら不思議?
彼が私に「何年生まれ?」と聞いてきたので昭和10年、」と答えると彼も彼も同じ、まさかこの年でガイドとは、それから出身校を聞くと、中学校は違ったが、郡高で無かった奈校、クラスが違ったが、思わぬ一致、驚きました、高校時代の話に花が咲き、大学卒業後彼は有名な銀行に勤め、日本国中転勤、私はくすりやさん同じように転勤が多く、本当に楽しい劇的な出会いでした。
名前を聞かれ私のあの大きな写真入の名刺を渡しました、
彼はまだこの年で郡山城のためにボランテイアーされているのです、
話が尽きませんでしたので再会を約しました。
いろいろな裏話も聞かせていただき、富本銭が天守閣改築中に見つかり、日本で始めて発見されたこと、多分教科書も改められるかも、今写っている郡山城と橋はCDグラフィックでこの橋は今建築中、東京オリンピックまでに完成するとの事、
郡山城はそっくりそのまま伏見城に移譲されたとのことで資料は少なく天守閣の形もはっきりしないとのこと、改築工事中に大阪城のあの有名な抜け穴も発見され、金ぴかの遺産も多く見つかり、「多分秀吉公が築城されたんやで?」と二人が顔を合わせて大笑い、
本当に楽しい老いの時間を過ごさせていただきました。
城址会館のつながりがここまで発展するとは?
話はまだまだ続きますが、築城400年推進委員会会長賞に私の写真が入選し、その時の築城の大石が2個保存されていることを聞き、早速今井町まで足を運びました、途中花やさんで場所を聞くと多忙にもかかわらず地図を広げて説明していただきましたが、私の様子を見てさらに新しい地図を引っ張り出してきて説明してくれました、TVの放送みたいでした、本当に郡山市民は親切で優しいので郡山市民の誇りです。
後一つお願いします、
途中わからなくなったので昔よく行っていた時計やさんに立ちよりました。もうお孫さんが店をついでおられると思って立ち寄ったのですがドアーを開けるやいなや二人とも驚いて立ち往生、驚き、
その奥さんがまだご商売、昔より品数も増え繁盛しています、運よくお客様がお帰りになり、昔話に大いに花が咲く、
当時私の姉ぐらいに思っていたのですが、私の名前から白髭まで覚えておられ、私の家内以上に何もかも記憶が抜群、驚きました、お若く見え私より5歳お若いです、
長い自分勝手な作文にお付き合いいただき本当に有難う御座いました、
これからも人とのお付き合いを大事なしたと思います、
有難う御座いました。
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