昨日に引き続き奈良観光、昨日は曇りがちの天候で余り暑さを感じなかったが、今日は昔のコースを見つけたとはいえ3kmごとに冷たい水補給、5kmで充分の水分補給でよかったのに、大変な暑さ、
猿沢池で暑さをしのぎ東大寺へと急ぐ、
さすが
国宝、
@ 大仏殿(高さ48,74m、奥行き50,48m、間口50,48m)
A ル舎那大仏(15m)
B 八角灯楼(4,62m)
大仏様は奈良時代の中頃、聖武天皇の発願により創建された。
ル舎那佛が本尊、華厳経の教主とされ、別名は釈迦如来である、
世界を照らし、光輝くほとけである、
さすがこの大きな仏像は多くの観光客を全て飲み込んでしまいそうな迫力があり、我々を全て抱きかかえてくれそうな自愛に満ちたほとけさまである、
学生時代にこの仏様の写真を撮ったのであるが露出不足で何にも写っていなかった。今回はカメラの性能も良くなり、写真のように手相まで綺麗に写っている、驚きである、
これからも我々を末永くお導きの程を、
是より東にあの有名な二月堂があり、あの長い階段を上り、広い長いデッキがあり、奈良平野を見渡される。
私が46歳の時、網膜剥離の大病にかかり6ヶ月の治療にもかかわらず、両岸失明、
手術も上手くいかず、不成功、
高校生、中学生、幼稚園の娘をかかえ、その上、家のローンも返済中、会社の勤務もむずかしく、それらを考えると生きていくのが大変、落ち込むのが早く、手術をした先生をあやめて、家内と二人で病院のビルの上から飛び落ちることまで考えていました。夜間勤務の看護師さんが毛布を持っていつでも対処出来るように見回っておられたそうです、
私の体重も65kgから40kgまで落ちこみ、意識もうろう、廃人同様でした、
会社の社員も「もう、これはだめだ。」と判断して会社に飛んで帰りました。
家内は一念発起して、家族が寝静まった夜中、単車でこの二月堂までお参りに馳せさんじました、我が家から10km在ります。
お堂の長さ一周100m、これを毎日100回、合計一万メートル、お百度参り、です、
厳冬の中、滝のツララも凍り、気温は零下数度、身も凍える滝で身を清め、その上気力で回っていた最初のお百度参りも、深夜の荒仕事、冷たい石畳も撒かれた水が凍り、すってんころり、足から血が出ている。
早朝帰宅しても主人の生命、子供たちの養育と考えると精神的に体力が衰え寝る時間もなくなりました、
幼稚園の娘も是を察してお母さんと一緒に寝る時間を惜しまず、お母さんと二人で100回るのが私の分を引くと助かるでしょうと、涙ながらに助けを申し出たのでした、
幼稚園の子供がこんなことを言うでしょうか、もうお母さんの様子を見ていられなかったのでしょう、
次男も一緒に助けてくれたこともあったと聞きました。
或る日のこと、「交通事故で私を轢いてくれたらいいのに。」
お百度は毎日なので100日続ける荒修行、「気が遠くなってこのまま。」と思うことがしばしば、
深夜の寒い日、是を見ていたお寺のお坊さんが「奥さん、そんなことをしていたら死んでしまう」
はじめお百度参りを旦那さんの年だけ回ればいいんですよ」と言って、滑らないように草履まで貸してくれた方が、今度は「即、止めなさい。悪霊が乗り移ってしまう。」と手を差し伸べてくれました。
その後病院も代わり当時、高度な手術であった、片目に人工水晶体を挿入し、手術は成功、その目が40年近く、私を助けてくれています、
天理の奥田先生です。名前を書かせていただきます。
一年近くの欠勤、会社も何かと大変だったようですが本社を説得して好意的に喜んで私を受け入れていただき、69歳まで在職させていただき感謝しております、
復帰後、最初は机一つ、電話一台、一日に通話が一人、家内からの電話でした。
一日が本当に長く感じ、居つらかったのですが、段々とお手伝いできるようになり、社員のお心遣い感謝しております、
助けていただいたお寺のお坊様と主人はその後このやさしいお坊様と、仏様のお掃除とか仏さまの顔を和紙に移す「写佛」(拓本)に精を出し安らぎを求めていました。
子供たちも成長しいまは独立して親孝行の道を進んでおります、
こんなことを考えながらこの猛暑を耐えしのぎお百度参りならぬ一日参りを終えました、
偶然にも奈良町に行く道をこの自転車で思い出し、お坊さんの家の前を通ってこの二日間通っています、
記憶喪失の身ながら、ささいなことでも思い出し、最近の日記も内容が自己中心な文章になり、皆さまにご迷惑をおかけしておりますが、私にとっては今まで家内に頼りっきりおり、少しでも独り立ちしなければと頑張っております、
どうかお許しを、
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