世の中とは全てを数字で表せるものなのか


今、日本では何かというと数字、数字、数字です

 数字で表せないものは無視されます。なんとか率だとか、順位だとか、点数だとか、とにかく数字で示さなければ何も決めることは出来ません。
 それは、その方が説得力があるからでしょう。何かの会議で「XXをすることと決めます。それが正しいと思うからです。」と誰かが言っても説得力はありませんが、「調査の結果〇〇%の人が XXすることを正しいと思っていると結果が出ています。」と言えば説得力があるからでしょう。そして いかにも厳格な規則に従っているように見えます。安心感が持てます。
 しかしです。その数字を採用することが正しいかどうかは 結局、その数字で何かを決めることが正しいと思うからに過ぎないのではないでしょうか? いくら、出された数字に厳格に従ったとしてもその数字を採用することの根拠がいい加減であれば、その厳格さは見せかけにしか過ぎないのだと思います。 より大きな数字が出ていれば、より順位が上であればいいという根拠は何なのでしょうか? その根拠の正当性を示せなければ それは手抜きの上での安心感に過ぎないのではないでしょうか?


昔、テレビを見ていた時

“何か面白そうな番組はないかな”とガチャガチャとチャンネルを回していると、NHK教育である大学の先生が話されていたところで手が止まりました。(随分昔のことなので先生のお名前は覚えていません。申し訳ないです。)

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 アメリカのフォード社でロバート・マクナマラという人が社長になった時、開発の責任者に「今、売れているクルマの全長、全幅、ホイールベース、馬力の平均はこれだから、この仕様に従って車を作りなさい。」と指示を出したそうです。そうすると開発の責任者は「わかりました社長。それで どの様な車を作りますか? トラックみたいな車ですか? スポーツカーの様な車ですか?」と聞き返したそうです。

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 つまり「この車の全長は 〇〇mだから この車を買おう。」なんて言って誰も買わないのです。充分 室内空間が確保できるなら全長など短い方がいいのです。せいぜい、長さがもたらす全体の印象くらいが意味を持つ程度です。実際の数値など意味がありません。 ましてやホイールベース(前後の車輪の距離)の長短などなど小回り性能や直進性に影響を与えるかもしれませんが、別の要素、前輪の舵角を大きくするとかでカバーできます。その長短自体は買うときの判断基準として意味を持たないのです。意味を持たない数字の平均を持ち出して比較をしても仕方がないのです。
 それよりも、「その車がどんな印象を与えるか? その車を運転した時どんな感じなのか? 使い勝手はどうなのか?」と言ったことの方がよっぽど買う方には大事なのです(注)。ところがそう言ったものは数値化できない。出来るかもしれませんがきっと沢山の数字を複雑に組み合わせる事になります。「こんな感じなんだ」と言ってしまえば一言で済んでしまう事でも……。

 余談ですが、ロバート・マクナマラ氏は数値化によって物事を判断する手法が評価されて後にアメリカ政府で要職に就いたそうです。そして、「ベトナム戦争」に向かわせたそうです。
 きっと、北ベトナム軍は 兵士 〇〇万人、戦車 〇〇両、戦艦 〇〇隻 と比較して楽勝と踏んだんでしょうね。ベトナムの密林の中で 戦車や戦艦がどれだけ働けるかを数値化するのを忘れていたんじゃないですか? もしかしたら、ベトナムは密林地帯であるということも知らなかったのかもしれませんね。あっ、余計なことを書きました。


数字というモノはどうにでもなるものです

 例えば、お店の経営では「人件費率」というものが大事なんだそうです。売り上げのうち人件費の占める割合なんだそうです。これを一定以下に抑えるのが経営のセオリーだとか……。 しかし、こんなものはどうにでもなります。つまり、人件費率を抑えたければ人を安く雇えばいいのです。最低時給が安く抑えられ、就職先そのものが少ない現在、「気に入らなければ辞めてもいいよ。代わりはいくらでもいる」と人件費そのものを抑えることは可能なのです。
 しかし、もし本当の人手不足の時代が来た時にこの方法で“人件費率”を低く維持することは可能でしょうか? 今、雇っている人を繋ぎ止めるにはそれ相応の昇給が必要になります。新たな人を雇うには他のお店より多く給料を出さなくてはなりません。安い給料で人を雇おうとしても「代わりの職場はいくらでもあるよ。」と人は次々と辞めていくかもしれません。 働いている人の満足感を数値化することはしていないでしょうし、それを経営判断にも取り入れていないでしょう。人件費の上昇を止めることはできないかもしれないのです。
 つまり、つじつま合わせで人件費率を良さそうに見せかけても何の役にも立たないのです。人件費率でお店の経営状態を計るなら「社員に満足感を与える昇給を見込んだ上での人件費率」を計算するべきです。


スティーブ・ジョブズと言う人は……

 アップル社の創業者 スフィーブ・ジョブズ氏のことです。「自分はこう思う」ということを大事にした人だと思います。
 自分が起こしたイノベーションがどう受け止められたかは市場調査したかもしれませんが、自分が起こそうとしているイノベーションに関しては「ベルが電話を発明した時、市場調査をしたと思うかい?」と意に介さなかったそうです。(この話は有名だからいちいち出典を示さなくていいですよね?)
 数字など捏ねくり回さなくても世界一の企業になれるのです。逆に数字を捏ねくり回したからと言って世界一の企業になれるとは限らないのです。
 まぁ、ジョブズ氏はあまりにも「自分はこう思う」を通し過ぎて、周りの人と軋轢を生んだ様ですが……


現在の日本の企業は物事をすべて数字に頼って決めている様です

 アメリカ流の経営論だとか、市場調査だとかそんなものが経営の基礎になってる様です。すべては数字です。しかし、数字というものは集計の仕方、計算の仕方でどうにでもなります。安心感を得られる数字をはじき出すことに躍起になっていませんか? 自分が導きたい結論のための都合のいい数字をデッチ上げていませんか?
 それに市場調査というものは過去を評価する事しか出来ません。発想を飛躍させ未来に思いを馳せる事には全く意味を為さないのだと思います。かつて、日本の企業が輝いていた時代とは、日本の企業がそれほど数字に捉われていなかった時代だと思います。自由に未来を描く事で輝いていたのでしょう。数字というものに捉われ過ぎて 未来を描き出せなくなり かつての輝きを失ってしまったのかもしれません。


判断している様で実は判断していない

 重大な決定事項がある時、数字に従って何かを決めれば あたかも誤りのない判断をしている様に見えます。その決定に対して感じる不安を和らげる事が出来るでしょう。
 しかし、集計、調査というものはそのやり方次第で如何様にもなります。また、それを判断の材料に入れることの正当性も曖昧です。 数字に頼って何かを決めるということは 単にロジックに従って作業をしているというだけです。決して何かを判断している訳では無いのだと思います。
 集計、調査というものは結局の所、それが多数派であると言うだけです。 誰も見た事ない未来というものに対して多くの人は「そんなもの出来っこない。」と言うでしょう。しかし、それを押してでも、リスクを取ってでも踏み越えてこそ 未来を作り出す事が出来るんじゃ無いですか? スティーブ・ジョブズ氏の様に……。それこそが“判断”というものでしょう。



2017/08/30



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今(2017年8月 現在)、一番売れている車は 一番燃費のいい車(トヨタ・プリウス)です。それは知っています。数字で比較できる“燃費”と言う要素が一番売れる為の要件になっていると思われます。しかし、一番売れている軽自動車は何とホンダのN-BOXなんです。
 この車は軽自動車で一番燃費のいい車という訳ではないのです。しかも、モデルチェンジが近い事がすでに発表されています。それでも一番売れている軽なんです。この車は使い勝手の良さを何よりの信条として開発されているそうです。突き抜けた何かがあれば必ずしも数字で表される要素が一番である必要はないという良い例です。