東京 |
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鑑賞日記 |
東京国立博物館 | 千手観音像 (東京国立博物館 絹本著色 1幅 平安時代) | 千手観音は、千の手と千の眼を持ち、生きとし生けるものを救う。両脇に天女姿の功徳天(吉祥天)と婆藪仙(ばすうせん)が従う三尊形式。観音と功徳天のからだは細い墨線の上から朱でぼかしをかけ、観音の着衣には金箔や金泥とともに、金箔をきわめて細く切った截金(きりかね)で一面に文様をほどこしている。精緻な截金の表現は平安時代の仏画の中でも特に美しい。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 普賢菩薩像 (東京国立博物館 絹本著色 1幅 平安時代) | 舞い落ちる花の下で白い象に乗る普賢菩薩を描いた、平安時代後期の仏画を代表する作品。普賢菩薩は、文殊菩薩とともに釈迦如来の脇に従う菩薩であるが、法華経を唱えて修行する者があれば、六本の牙をもった白象に乗って現れ、守護すると説かれている。数多い普賢菩薩像のなかでも屈指の名品であり、和様化した平安時代後期の仏画の典型である。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 虚空蔵菩薩像 (東京国立博物館 絹本著色 1幅 平安時代) | 虚空蔵菩薩は、虚空のように広大無辺の福徳と智慧をもち、それを人びとに与え、願いをかなえるという。密教では、記憶力を得る求聞持法(ぐもんじほう)と福徳にあずかる虚空蔵法の本尊とされ、それぞれの修法で図像が異なるが、本図は後者の虚空蔵法の本尊として用いられた。月を表す大きな円光の中、蓮華の台座に坐り、右手を垂らして与願印をつくる。左手は胸の前に上げて、掌に宝珠を、頭上には五仏の宝冠を戴せている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 孔雀明王像 (東京国立博物館 絹本著色 1幅 平安時代) | 孔雀明王は、毒蛇や害虫を食うという孔雀を神格化したものであるが、明王にはめずらしく慈悲の相に描かれる。翼を広げた孔雀の上に坐る明王は、右第一手に蓮華、右第二手に西瓜に似た果物、左第一手にざくろ、左第二手に5枚の羽根がついた孔雀の尾をもつ。画面いっぱいの明王と孔雀は、ともに正面向きで動きに乏しく、四隅に置かれた宝瓶とともに一種の曼荼羅風に描かれ、空海が中国からもたらした伝統的な構成を示している。 | 東京国立博物館 | 20171115 国宝展W | |
東京国立博物館 | 十六羅漢像 (東京国立博物館 絹本著色 16幅 平安時代) | 羅漢は阿羅漢(あらかん)の略称で、一切の煩悩を断って修行の最高位に達し、人びとの供養を受けるに値する仏弟子や聖者をいう。16人の釈迦の高弟、すなわち羅漢が、涅槃(ねはん)に入ろうとする釈迦から、永く現世にとどまり仏法を護持して衆生を救済せよといわれ、各地で仏法を守り伝えたという。これは滋賀県大津市の聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)旧蔵のもので、現存する十六羅漢図では最古のもの。11世紀後半の制作と考えられる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 聖徳太子絵伝 秦致貞筆 (東京国立博物館 綾本著色 10面 延久1年(1069年)) | 聖徳太子絵伝は、奈良時代に始まった太子への信仰をもとに、太子の事績を描いたもの。この絵は、もと法隆寺東院の絵殿を飾っていた障子絵で、江戸時代、屏風に改装され、さらに近年10面のパネル装にされた。記録によって、延久1年(1069)2月から5月にかけて、摂津国(現在の大阪府)の絵師、秦致貞が描いたことがわかる。当初の綾地や彩色が残る部分は少ないが、上代の大画面説話画の形式を十分に伝えている。現存する聖徳太子絵伝では、本絵伝が最古で最大の遺品である。 | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 扇面法華経冊子(巻第八) (東京国立博物館 紙本著色 1帖 平安時代) | 四天王寺に伝来した10帖のうちの1帖。平安時代、貴族たちは競って法華経を書写して供養を行い、しだいに趣向を凝らしたいわゆる「装飾経」を作り出したが、この冊子もその一つ。また、この時代に愛玩された紙扇の絵の様式を伝える唯一の遺品である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 餓鬼草紙 (東京国立博物館 紙本著色 1巻 平安時代) | 生前の行いにより人は六道(天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)のいずれかに輪廻すると仏教では説くが,本図は飽くことなき飢えに苦しむ餓鬼道のありさまを描く。醜悪な世界であるが,優れたやまと絵画家の手により高い芸術性を持つ。鎌倉時代初頭期の作。 | 東京国立博物館 | 20170728 源信展 | |
東京国立博物館 | 地獄草紙 (東京国立博物館 紙本著色 1巻 平安時代) | 地獄草紙は地獄に堕ち、苦しむ罪人のありさまを描いた絵巻である。岡山・安住院旧蔵の1巻で、八大地獄のうちの4地獄が描かれている。『餓鬼草紙』や『辟邪絵』とともに、後白河法皇の蓮華王院(三十三間堂)の宝蔵に伝来した「六道絵」の一部と見なすことも可能である。 | 東京国立博物館 | 20170728 源信展 | |
東京国立博物館 | 一遍上人絵伝(巻第七)法眼円伊筆 (東京国立博物館 絹本著色 1巻 鎌倉時代) | 時宗開祖である一遍の伝記を描いたもの。一遍の没後十年にあたる正安元年(1299)の作で,法眼円伊筆。全十二巻のうち,本図は近江の関寺から京都で念仏を広める巻第七にあたる。やまと絵に宋元画技法を加味した作風で,精細に活写された背景描写も注目される。 | 東京国立博物館 | 20170728 源信展 | |
東京国立博物館 | 平治物語絵詞 (東京国立博物館 紙本著色 1巻 鎌倉時代) | 『平治物語』を絵巻としたもの。15世紀中ごろ、比叡山延暦寺の西塔(さいとう)に「保元絵」15巻とともに「平治絵」が秘蔵されていたことが知られ、現存のものはその残巻と見られる。「六波羅行幸巻」は、内裏に幽閉された二条天皇が脱出を図り、清盛の六波羅邸に逃れる場面。江戸時代には大名茶人として知られる松江藩主、松平不昧の所蔵となっていた。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 竹斎読書図 伝周文筆 (東京国立博物館 紙本墨画淡彩 1幅 室町時代) | 15世紀前半、京都・南禅寺の杲(こう)という僧が所持していた山水画に、当時の著名な禅僧たちが詩や序を寄せた詩画軸。京都の妙智院に伝来した。 | 東京国立博物館 | 20171107 国宝展V | |
東京国立博物館 | 秋冬山水図 雪舟筆 (東京国立博物館 2幅 紙本墨画 室町時代) | もと、「夏冬山水」として京都の曼殊院(まんしゅいん)に伝来した「秋景山水図」「冬景山水図」。四季山水図4幅対のうちの2幅とも考えられる。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 山水図(破墨山水図)(雪舟 筆、東京国立博物館 紙本墨画 1幅 1495年) | 雪舟の作品。画家自ら記した題があり、本図が1495年雪舟76歳の時に弟子の宋淵に与えたものという。題中に「破墨」の語があり、古来「破墨山水」の名で著名である。画上に月翁周鏡ら6僧の賛がある。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 檜図 伝狩野永徳筆 (東京国立博物館 紙本金地著色 八曲一隻 桃山時代) | 桃山時代の金碧障屏画の代表的作品として著名なこの屏風絵は、桂宮家(もと八条宮家)に伝来し、明治14年(1881)の宮家廃絶により御物となった。画面にある引手金具の跡から、もとは天正18年(1590)12月落成の八条宮邸の襖絵であったとされる。このことから、作者が当時画壇の第一人者であった狩野永徳(1543−90)の最晩年の作と考えられている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 松林図 長谷川等伯筆 (東京国立博物館 紙本墨画 六曲一双 桃山時代) | 桃山時代絵画を代表する一作。狩野永徳と併称される長谷川等伯の筆。水墨の濃淡のみを用い、荒々しい筆致によって一気呵成に仕上げたような画面からは、霧に包まれた松林の雰囲気が見事に表現され尽くしている。わが国水墨画を代表する遺品のひとつである | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 観楓図 狩野秀頼筆 (東京国立博物館 紙本著色 六曲一隻 桃山時代) | 高尾清滝川のほとりで紅葉を楽しむ武士,僧侶,婦女子等を描く。背景は右方に神護寺をのぞみ,左方では愛宕山の雪が冬の訪れを告げる。画面左端に「秀頼」壺印がある。狩野派による近世初期風俗画の早期遺例として貴重である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 花下遊楽図 狩野長信筆 (東京国立博物館 紙本著色 六曲一双(右隻の2扇を欠く) 桃山時代) | 右隻は、満開の八重桜の下で貴婦人を中心に酒宴が繰り広げられるさまを、左隻は、花咲く海棠の木の下で八角堂に坐り、風流踊りを眺める貴公子の一団を描く。特に、美しい衣裳を着て腰をひねって踊る姿態は印象的である。刀をもって踊る左隻右側の4人の姿は、流行の阿国歌舞伎を写したものとみられる。もと、明治の実業家原六郎の所蔵であったが、修理の最中に関東大震災に見舞われ、右隻中央の2扇が焼失した。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 納涼図 久隅守景筆 (東京国立博物館 紙本淡彩 二曲一隻 江戸時代) | 狩野派を脱して田園風俗画に新たな画境を見出した久隅守景(生没年不詳)の代表作である。守景は狩野探幽の高弟であったが、のち破門され、加賀前田藩の庇護を受けた。暮れゆくあたりの風情にひたりながら、おぼろな月の光の下、夕顔棚で農夫の家族が涼をとる。がっしりと無骨な男の腕は太めの墨線でかたどられ、女のやわらかく滑らかなからだは細い流暢な描線で白い肌をくっきりと際立たせる。腕白盛りの子どもは片肌を脱いで親に寄り添う。3人の顔は繊細な筆で的確に表情をとらえ、夕顔の葉や藁葺屋根は粗く、ときににじみを含んだ速筆で一気に描き上げられる。夕闇を意識した淡墨を用いて、なごやかでしみじみとした家族のひとときを描いている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 楼閣山水図 池大雅筆 (東京国立博物館 紙本金地著色 六曲一双 江戸時代) | 文人画家池大雅(1723−1776)が40代前半に制作した大作である。清時代初期の邵振先(しようしんせん)が描いた『張環翁祝寿画冊(ちょうかんおうしゅくじゅがさつ)』という小画帖中の2図が原図になっている。もと、一橋徳川家に伝来した。 | 東京国立博物館 | 20180412 池大雅展 | |
東京国立博物館 | 鷹見泉石像 渡辺崋山筆 (東京国立博物館 絹本淡彩 1幅 1837年) | 渡辺崋山(1793-1841)の肖像画中、第一の傑作である。崋山は、三河(愛知県)田原藩の江戸詰家老で、藩政の改革に尽くしたが、「蛮社の獄」で田原に蟄居中、49歳で自刃した。画業は金子金陵やその師谷文晁に教えを受けたが、西洋画の遠近法や陰影法を採り入れた独自の画風を立てた。鷹見泉石(1785-1858)は古河(こが)藩士で蘭学者。藩主の名代として浅草誓願寺に参拝したとき、素襖(すおう)を着て折烏帽子をかぶる正装の泉石を、蘭学の弟子である崋山が描いたものといわれ、崋山45歳の作である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 紅白芙蓉図 李迪筆 (東京国立博物館 絹本著色 2幅 1197年) | 李迪は中国・南宋の宮廷に仕えた画家(画院画家)で、この時代を代表する1人。この芙蓉図は現存する李迪の最高傑作である。各図に押された「慶元丁巳歳李迪画」の落款から、南宋の慶元3年(1197)の作とわかる。2幅の図は、本来はそれぞれ独立した冊仕立の作品であったと思われるが、日本の茶の湯の美意識から生まれた唐絵鑑賞に合わせて、対幅に改装された。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 出山釈迦図・雪景山水図・雪景山水図 梁楷筆、東京国立博物館 絹本墨画淡彩 3幅 南宋時代) | 出山釈迦図と雪景山水図は梁楷の精妙な筆を示す人物画と山水画の代表作である。出山釈迦図は、永い苦行が正しい悟りへの道でないことを知って深山を出る釈迦の姿を描いたものだが、釈迦の顔貌にみられる精細で写実的な表現は、形似をこえて釈迦の内なる心をも伝えているようで実に秀逸なものである。雪景山水図は、厳しい冬の寒さの中、雪をいただく山を背後に旅をする騎驢の人物を描いているが、自然のもつ大きさと奥深さを見事に表現している。 | 東京国立博物館 | 20171107 国宝展V | |
東京国立博物館 | 紙本金地著色洛中風俗図(舟木本) | 本作は京都市中から下京あたりの景観を描いた六曲一双から成る屏風で、特に人物を生き生きと表現している点が特徴です。近年、洛中洛外図や岩佐又兵衛に関する研究が進展し、文化史的、美術史的重要性が再認識され、国宝に指定される運びとなりました | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 文祢麻呂墓出土品 (東京国立博物館 707年) | 江戸時代後期の天保2年(1831)、大和国宇陀郡八滝村で耕作中の農民が発見した火葬墓の一括出土品。土中から出てきた銅製の箱に、墓誌を刻んだ銅板が納められ、かたわらからは金銅製の壺が出土し、その中には火葬骨の灰が詰まったガラス製(緑瑠璃)の壺が入っていた。出土した墓誌から、慶雲4年(707)の9月に亡くなった文祢麻呂の墓であることが判明した。文祢麻呂は渡来系の西文(かわちのあや)氏から出た武人で、『日本書紀』や『続日本紀』にもその名が見られ、壬申の乱(672年)で大海人皇子(おおあまのおうじ。後の天武天皇)に従って活躍し、没後に正四位上を贈られている。 | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 興福寺金堂鎮壇具 (東京国立博物館 奈良時代) | 明治7年(1874)、興福寺中金堂の基壇から出土したもので、興福寺建立のさいに地の神を鎮めるために埋められた。総点数は30数種、1400点あまりに及ぶ。奈良時代以前の寺院の鎮壇具は、川原寺塔、東大寺金堂(大仏殿)下などから発見されているが、これほど多彩で大量の例はない。発見されたものには、金銅や銀の鋺、盤、匙、鏡などの器物、金塊、砂金や延べ金など金属素材、それに水晶や琥珀、瑪瑙などの貴石類があった。 | 東京国立博物館 | 20110722 国立博物館 | |
東京国立博物館 | 人物画象鏡 (隅田八幡神社 古墳時代)東京国立博物館寄託 | 隅田八幡神社は、神功皇后が外征後に紀伊衣奈浦から大和に帰還の途中に暫く滞在、その後、欽明天皇の詔により859年に建立されたとされている。のちに石清水八幡宮の社領となり、当神社を「隅田の別宮」と称され、隅田一族の居城であったとも伝えられる。人物画像鏡はその銘文から4〜5世紀の作いわれている。考古学上貴重なものとして国宝に指定されている。 | 隅田八幡神社 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 埴輪武装男子立像 (東京国立博物館 古墳時代) | 武具を着装し、武器を装備した武人埴輪である。きりっと結んだ口元と、深く切りこまれた目には武人としての気品と風格があり、甲胄を着け、弓や大刀の柄をにぎりしめてその動作を巧みにとらえている。東日本では武人埴輪が多く発見されているが、本埴輪は大きさもあり、各部分の製作もていねいで保存状態もよく、最も優れた作品である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 肥後江田船山古墳出土品 (東京国立博物館 古墳時代) | 史跡指定の熊本県玉名郡菊水町の江田船山古墳から出土した遺品で、種類が豊富なうえに製作がすぐれ、かつ鉄製品に至るまで保存状態がよい。一括遺物のうち特に注目されるのは「書者張安也」とある七十余字の銀象嵌【ぞうがん】の銘文をもつ大刀で、また、耳飾、冠帽類、飾履などの装身具は古新羅の遺跡から出土したものと同種類であり、銅鏡六面のうち舶載品とみられるものとともに、五世紀ごろのわが国と大陸との交渉を物語る遺品として大きな意義をもつ。 | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉(東京国立博物館) | 江戸時代に讃岐国(現在の香川県)で発見されたと伝える銅鐸。吊り下げるための鈕(ちゅう)と身からなり、身は上から下へしだいにひろがる扁平な円筒状である。浮き上がった線(突線)で鋸歯(きょし)文、連続渦巻文、綾杉文が表されているほか、身の表裏は斜格子文の帯でそれぞれ6区に分けられ、僧侶の袈裟襷の模様に似ていることから、この名がある。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 奈良県東大寺山古墳出土品 一括 | 本件は,奈良県天理市の前方後円墳から出土した一括である。特筆すべきは 「中平」年銘のある金錯銘花形飾環頭大刀で,古墳時代における金石文の最古かつ代表的遺品として知られる。また,他に例のない花形飾環頭大刀,家形飾環頭大刀をはじめ,鍬形石や車輪石,銅鏃など多種多量の副葬品があり,古墳時代前期後半を代表する資料群としても貴重です。 近年これらの再調査および保存修理が行われるとともに,発掘調査から約半世紀を経て総括報告書が刊行され,本件を主題とした展覧会も開催されるなど再評価が進んでおり,このたび国宝に指定する。 (古墳時代) | H29文化財答申 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 円珍関係文書 8巻(東京国立博物館) | 円珍(814-891)は、仁寿3年(853)に唐へ渡り、多くの仏典を日本にもたらした。この8巻の文書類は、自筆の書状のほか、円珍の僧侶としての経歴を示すものや唐への出発にあたって発行された証明書などが収められている。いずれも入唐(にっとう)前後の円珍の活動、当時の日中交流を具体的に知る上で、また書道史の資料としても貴重である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書(延長五年(927年)12月27日)(東京国立博物館) | 延暦寺第10世の座主、増命(ぞうみょう)が亡くなると、朝廷は増命に「静観(じょうかん)」の諡(おくりな)を贈ったが、同時に増命の師、円珍を僧の最高位である「法印大和尚位(ほういんだいかしょうい)」に昇格させ、「智証大師(ちしょうだいし)」の諡を贈った。円珍没後36年目の延長5年(927)のことである。醍醐天皇の命を伝えるこの勅書は、藤原博文が文を起こし、小野道風(おののみちかぜ 894-966)が清書したと記録されている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 古文尚書 巻第六(東京国立博物館) | 『尚書』は、尭舜から秦の穆公(ぼくこう)までの歴史を記した経典『書経』のこと。孔子の編纂と伝えられる。秦の焚書のときに隠された『尚書』が、漢時代に壁中から探し出された。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 世説新書 巻第六残巻(東京国立博物館) | 『世説新書』は、中国の後漢時代から東晋時代までの名士の逸話を編纂したもの。南北朝時代、宋の劉義慶(りゅうぎけい)が編纂し、のちに梁の劉孝標(りゅうこうひょう)が注を付し、3巻36篇からなる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 碣石調幽蘭 第五(東京国立博物館) | 中国・魏晋南北朝時代、梁末期の弾琴の名手、丘公(きゅうこう)の作と伝える『琴譜(きんぷ)』を抜書きしたもの(鈔本) | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 圜悟克勤墨蹟(印可状)(東京国立博物館) | 圜悟克勤(1063-1135)は、中国・北宋時代の禅僧。北宋の徽宗(きそう)皇帝や、南宋の高宗皇帝の尊崇を受け、『碧巌録』(へきがんろく)の著者として名高い。これは、弟子の虎丘紹隆(くきゅうじょうりゅう)に与えた印可状の前半部分で、現存する墨蹟(禅僧の筆跡)としては最古のものである。禅がインドから中国に渡り、宋代に及んで分派した経緯を述べ、禅の精神を説く。書は破格であるが、厳格な修行を経て達した枯淡の味わいがあり、古来、墨蹟の第一として茶家に珍重されてきた。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 虚堂智愚墨蹟(法語)(東京国立博物館) | 虚堂智愚(1185-1269)は、中国・南宋時代に活躍した禅僧。諸寺の住持を歴任し、晩年は径山万寿寺(きんざんばんじゅじ)の第40世住持となった臨済宗松源派の高僧であり、多くの日本僧も、そのもとに参じた。この書は、虚堂80歳前後のころ、「日本照禅者」に書き与えた法語で、「日本照禅者」は、鎌倉・浄智寺の僧、無象静照と考えられている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 白氏詩巻(藤原行成筆 保延六年十月廿二日定信奥書)(東京国立博物館) | 中国・唐時代中期の詩人、白居易(白楽天 772-846)の『白氏文集』は、平安時代の貴族に愛好された詩文集である。藤原行成(972-1027)は、小野道風、藤原佐理とともに「三跡(さんせき)」と讃えられた能書で、和様の書を完成した。のちに和様の主流となる世尊寺家の始祖に位置する。..これは、巻第65のうち8篇の詩を薄茶、赤紫の染紙を含む9枚継ぎの巻物に草書を交じえた行書体で書かれ、洗練されて格調高い書風である。 | 東京国立博物館 | 20090117 京都国立博物館 「京都御所ゆかりの至宝展」 | |
東京国立博物館 | 秋萩帖・淮南鴻烈兵略間詁(紙背)(東京国立博物館) | 第1紙に「安幾破起乃(あきはぎの)」と始まる和歌が書かれていて「秋萩帖」の名があり、女手(平仮名)が完成する過渡期の草仮名(そうがな)で書かれた遺品として、また筆跡と色紙の美しさから、日本の書の歴史において特に有名である。 | 東京国立博物館 | 20090117 京都国立博物館 「京都御所ゆかりの至宝展」 | |
東京国立博物館 | 大慧宗杲墨蹟(尺牘 十月初二日)(東京国立博物館) | 大慧宗杲(1089-1163)は中国・宋時代の禅僧。圜悟克勤(えんごこくごん)のもとで臨済禅を修めた。大慧派の始祖で、その法語は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』3巻にまとめられている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 了菴清欲墨蹟(法語 至元七年正月十七日)(東京国立博物館) | 了菴清欲(1288-1363)は、中国・元時代の禅僧。名僧として名高い古林清茂(くりんせいむ)の弟子で、保寧寺、開元寺、本覚寺、霊巌寺の住持を歴任し、順帝から金襴の法衣と慈雲普済禅師の号を賜った。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 馮子振墨蹟(与無隠元晦詩)(東京国立博物館) | 馮子振(1257-1327頃)は中国・元時代の文人で、湖南省攸(ゆう)県の人。字(あざな)を海粟(かいぞく)といい、文章と詩に優れ、晩年は禅宗に帰依して中峰明本(ちゅうほうみょうほん)や古林清茂(くりんせいむ)ら多くの禅僧と交わった。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 無準師範墨蹟(尺牘)(東京国立博物館) | 中国・南宋時代の無準師範(1177-1249)は、諸山の住持を歴任したのち、径山万寿寺(きんざんばんじゅじ)の第34世住持となった禅僧。その弟子には、鎌倉の円覚寺の開山となった無学祖元(むがくそげん)、建長寺第2世の兀庵普寧(ごったんふねい)ら日本に渡った名僧や、嘉禎1年(1235)、南宋に渡って印可を受け、のち京都・東福寺の開山となった聖一国師(しょういちこくし)円爾弁円(えんにべんえん)らがいる。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 瀟湘臥遊図 (東京国立博物館 紙本墨画 1巻 南宋時代) | 現存する中国・宋時代の水墨山水画の中で、もっとも優れた作品の一つ。かつては北宋末の文人画家李公麟(りこうりん)の作と伝えられ、清の宮廷では顧ト之(こがいし)の『女史箴図巻』(じょししんずかん)などとともに、乾隆帝コレクション中の四名巻の一つとして珍重された | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 片輪車蒔絵螺鈿手箱(東京国立博物館) | 手箱は化粧道具や料紙、文具などを納めた調度品の一つ。この手箱は、平安時代の作で同じ主題による『片輪車蒔絵螺鈿手箱』(東京国立博物館蔵H4282)に比べて量感に富み、金の色彩の強さが強調され、また、片輪車などの文様の配置が規則的になっていて、鎌倉時代の嗜好が感じられる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 片輪車螺鈿蒔絵手箱(東京国立博物館) | 平安時代の漆工芸を代表する名品である。手箱としては小ぶりで、蓋を身より大きく造ってかぶせる被蓋造り(かぶせぶたづくり)となっている。片輪車は、牛車(ぎっしゃ)の車輪が乾燥して割れるのを防ぐため水に漬けた平安時代の情景を描いたものといわれ、和鏡や装飾経の料紙にも見られるこの時代に好まれた意匠である。 | 東京国立博物館 | 20110722 国立博物館 | |
東京国立博物館 | 八橋蒔絵螺鈿硯箱 尾形光琳作(東京国立博物館) | 本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳(1658-1716)の硯箱である。 | 東京国立博物館 | 20151107 京都国立博物館 「琳派京を彩る」 | |
東京国立博物館 | 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作(東京国立博物館) | 書画、工芸のさまざまな分野で天分を発揮し、琳派の祖となった桃山・江戸初期の芸術家、本阿弥光悦(1558−1637)の代表作として有名な硯箱である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 禅機図断簡(寒山拾得図) 因陀羅筆 (東京国立博物館 1幅 紙本墨画 元時代) | 寒山と拾得は、天台山国清寺に住み、豊干(ぶかん)禅師に師事したといわれる唐代の伝説上の人物。寒山拾得の絵は、宋代以降、禅僧たちの間で好まれた。「禅機図」とは、禅宗にかかわる逸話を主題としたもの。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 刀 金象嵌銘城和泉守所持 正宗磨上本阿(花押)(東京国立博物館) | 鎌倉時代の太刀姿をしのばせる美しい作品で、地鉄(じがね)や変化に富む刃文は、正宗作刀の中でも逸品である。 | 東京国立博物館 | 20110722 国立博物館 | |
東京国立博物館 | 太刀 銘三条(名物三日月宗近)(東京国立博物館) | 室町時代には天下五剣の一つとされた。日本刀の形式として古く、風格ある姿をもっている。刃文に三日月の形が見えるので、「三日月宗近」の号をもつ。豊臣秀吉の正室、高台院が所持し、その遺品として徳川秀忠に贈られ、徳川家に伝来した。 | 東京国立博物館 | 20150621 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 短刀 銘吉光(名物厚藤四郎)(東京国立博物館) | 室町時代から名物として名高く、刀身が極端に厚いことから「厚藤四郎」と呼ばれた。足利将軍家に伝わり、その後、一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)、黒田如水、豊臣秀次、豊臣秀吉などの所有を経て毛利秀元に伝わり、毛利家から徳川家綱に献上されたという。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘来国光嘉暦二年二月日(東京国立博物館) | 国光屈指の名作である。明治32年(1899)、徳川家達から皇太子(のちの大正天皇)に献上された | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘定利(東京国立博物館) | 作者の定利は、文永年間(1264-1275)に京都四条の綾小路(あやのこうじ)に住んだので、綾小路定利と呼ばれる刀工。寛文3年(1663)、将軍徳川家綱が日光に社参した帰りに、岩槻城主阿部正邦に与え、同家に伝わった。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 短刀 銘行光(東京国立博物館) | 作者は相模国(神奈川県)鍛冶の行光である。行光の銘のある作はごく少なく、これと宮内庁所蔵の短刀が代表作である。加賀前田家に伝来した。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 刀 無銘正宗(名物観世正宗)(東京国立博物館) | 能楽の観世家が所持していたことから「観世正宗(かんぜまさむね)」と称されるが、江戸時代の刀剣書『享保名物帳』によれば、徳川家康が観世家から召し上げて秀忠に与え、以後家臣との間で拝領と献上を繰り返したという。明治維新後、徳川家から有栖川宮に献上、同家を継いだ高松宮家に伝えられた。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)(東京国立博物館) | 茎(なかご)に亀甲菊花文の彫物(ほりもの)があるため、「亀甲貞宗」と称される。元禄11年(1698)、尾張徳川家から将軍綱吉に献上された。 | 東京国立博物館 | 20150621 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 太刀 銘助真(東京国立博物館) | この太刀の姿は身幅が広く勇壮で、丁字刃(ちょうじば)の華やかな刃文が見事である。日光東照宮に伝わる徳川家康所持の太刀とともに、助真の代表作である。紀州徳川家に伝来した。 | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 太刀 銘備前国包平作(名物大包平)(東京国立博物館) | この太刀は江戸時代の刀剣書『享保名物帳』に「大包平(おおかねひら)」の名で記されているように、堂々たる大太刀で、銘も「備前国包平作」と5文字をきっている。現存の包平作刀中最高の作であるばかりでなく、日本刀の中でも最高傑作の一つとして名高い。池田輝政(いけだてるまさ)の愛刀で、長く岡山藩主池田家に伝来した。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘備前国友成造(東京国立博物館) | 備前国の鍛冶のうち、鎌倉時代初期に興った一文字派以前の刀工を古備前と呼んでいる。友成は正恒とならぶ古備前を代表する刀工で、古来より永延年間(987〜989)頃に活躍したと伝える。この太刀は、友成の作品のなかでも最も古い時期のものと考えられ、細身で腰反りが高く、踏ん張りがついて小鋒(こきっさき)となった古様な太刀姿を示している。 | 東京国立博物館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京国立博物館 | 太刀 銘吉房(東京国立博物館) | 福岡一文字吉房の作で、身幅が広く、鋒が猪首となる極めて豪壮な太刀である。刃文は吉房の作中最も華麗で、刃中の変化もすばらしい。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘吉房(東京国立博物館) | この太刀は、全体に強く反った豪壮な造りで、丁子刃(ちょうじば)の刃文が華やかである。豊臣秀吉が所持していたものを徳川家康の武将、竹腰正信(たけのこしまさのぶ)に与え、同家に代々伝わったといわれる。 | 東京国立博物館 | 20180503 東京国立博 | |
東京国立博物館 | 太刀 銘長光(大般若長光)(東京国立博物館) | 作者の長光は、備前国(岡山県東南部)長船(おさふね)派を起こした刀工、光忠の子で、長船派の隆盛の基礎を築いた。華やかな刃文は見事で、長光の代表作である。室町時代にこの太刀の代価が600貫であったことから、600巻からなる大般若経にかけて「大般若長光(だいはんにゃながみつ)」と称された。もと足利将軍家に伝えられたといい、やがて織田信長の所有となり、姉川合戦の功で徳川家康へ、さらに長篠合戦の功で奥平信昌へ与えられた。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘備前国長船住景光 元亨二年五月日(小竜景光)(東京国立博物館) | 景光は、光忠に始まる備前(岡山県東南部)長船(おさふね)派の三代目を継いだ名工で、鎌倉時代末期に活躍した。作風の華やかさの点では父長光(ながみつ)と異なるが、地鉄(じがね)の冴えが優れている。表の樋(ひ)の中には倶利伽羅龍(くりからりゅう)を、裏には梵字を浮彫としている。刀身の元から龍がのぞいているように見えるので「のぞき龍景光」ともいわれた。幕末に山田浅右衛門家の所有となり、明治天皇に献上された。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘長光(東京国立博物館) | 作者の長光は備前国(岡山県東南部)の長船派(おさふねは)の祖とされる光忠の子で、長船派の隆盛の基礎を築いたといわれる刀工。きれいな地鉄(じがね)に、冴えて華やかな丁子刃(ちょうじば)の刃文を焼き、光忠の作風をよく継いでいる。因幡(鳥取県)の池田家に伝来した。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 太刀 銘安綱(名物童子切安綱)(東京国立博物館) | 作者の安綱は平安時代の伯耆国(鳥取県西部)の刀鍛冶で、作品は比較的多く伝わっている。この太刀は、腰反りの高い姿で、変化に富む小乱れの刃文を焼いており、古来「天下五剣」の一つといわれた。江戸時代の刀剣書『享保名物帳』には、「童子切安綱」として源頼光が丹波国の大江山で酒呑童子(しゅてんどうじ)を斬った太刀であるという伝説を記している。豊臣秀吉、徳川家康・秀忠が所持し、越前藩主の松平忠直に贈られ、のちに津山藩(岡山県)の松平家に伝わった。 | 東京国立博物館 | 20110722 国立博物館 | |
東京国立博物館 | 兵庫鎖太刀(刀身銘一)(東京国立博物館) | 兵庫鎖太刀は、鞘(さや)の上部に付く帯取(おびとり)に兵具用の鎖を用いた太刀。平安・鎌倉時代には公家や武家の実用の太刀として好んで用いられ、のち社寺への奉納用としても製作された。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 梨地螺鈿金荘餝劔(東京国立博物館) | 朝廷の儀式のときに正装した高位の公家が帯びた剣。全体にほっそりとして、わずかに反った優美な姿で、和様への嗜好がうかがえる。藤原北家(ほっけ)の後裔である広橋家に伝来し、奈良時代の官人、藤原真楯(ふじわらのまたて)が所用したものと伝えられていた。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 賢愚経残巻(大聖武)二百六十二行(東京国立博物館) | 『賢愚経』は「賢愚因縁経(けんぐいんねんきょう)」ともいわれ、賢者と愚者に関する比喩的な小話69篇を収めた1部13巻からなる経典である。東大寺に伝来したことから「大和切(やまとぎれ)」、また聖武天皇筆との伝承もあって「大聖武(おおじょうむ)」の名で呼ばれる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 法華経方便品(竹生島経)(東京国立博物館) | 琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)の宝厳寺(ほうごんじ)に伝来したため、「竹生島経」と称される。もとは鳩摩羅什(くまらじゅう)訳の法華経8巻がそろっていたと思われるが、現存するのは、巻一の中のこの「方便品」1巻と、宝厳寺に残る折本仕立ての「序品(じょほん)」1帖だけである。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 細字法華経(一部七巻)(東京国立博物館) | 中国・魏晋南北時代の鳩摩羅什(くまらじゅう 344-413)が、406年に訳した法華経を、唐時代の694年に李元恵(りげんけい)が書写したものである。細字で法華経全巻を1部に写したものとして貴重である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 元暦校本万葉集 14冊(東京国立博物館) | 平安時代の『万葉集』書写本のうち、「桂本」「藍紙本」「金沢本」「天治本」とともに「五大万葉集」と呼ばれる。「元暦校本」というのは、巻第20に元暦元年(1184)に校合(きょうごう)したという奥書があることによる。これらの中でもっとも歌の数が多いこと、能書による寄合書(よりあいがき)になることなどから、特に重要視される写本である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 古今和歌集(彩牋)(元永本)(東京国立博物館) | 平安時代に書写された『古今和歌集』は30数種が現存しているが、仮名序と20巻すべてが完全にそろったものとしては最古の写本である。上下2帖の冊子本で、上巻巻末の奥書に元永3年(1120)とあることから、「元永本」と呼ばれる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 寛平御時后宮歌合(十巻本)(東京国立博物館) | 歌合(うたあわせ)は左右1首ずつ組み合わせた短歌の優劣を競う行事で、『寛平御時后宮歌合』は、宇多天皇の代(887-899)に皇太后が主催し、春、夏、秋、冬、恋の各20番、計200首からなる歌合であった。この写本は近衛家に伝来した「十巻本歌合」の一部で、その巻第四に含まれているので「十巻本」とも呼ばれる。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 医心方(半井家本)(東京国立博物館) | 『医心方』(全30巻)は、日本に現存する最古の医学書。永観2年(984)に丹波康頼(たんばのやすより 912-995)が、中国の多くの医書を引用して病気の原因や治療法を述べたものである。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 延喜式(九條家本)(東京国立博物館) | 『延喜式』(50巻)は、平安時代中期に律令の施行細則をまとめた法典である。この古写本は27巻分が現存し、1巻を除く残りすべては平安時代後期に書写された現存最古の写本であり、また諸写本の中でこれほどまとまったものは見られない。摂関家の九条家に伝わったため、「九条家本」という。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 和歌躰十種(東京国立博物館) | No Image | 『和歌体十種』は、10世紀の末から11世紀初めに成立した歌論書。本書は、その現存最古の写本 | 東京国立博物館 | |
東京国立博物館 | 三宝絵詞(東京国立博物館) | 『三宝絵詞』は、永観2年(984)に、平安時代中期の学者で、詩や文章にすぐれた源為憲(みなもとのためのり)が編纂した仏教説話集である。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 群書治要(色紙)13巻(東京国立博物館) | 『群書治要』(全50巻)は、中国・唐時代の631年(貞観5)、秘書監の魏徴(ぎちょう)らが太宗の命によって編纂した政治参考書で、唐代の政治思想を知る上で貴重な書である。日本でも平安時代初期の仁明天皇のとき、宮中で読書が行われ、歴代天皇が尊重した。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 王勃集 巻第二十九、第三十(東京国立博物館) | 中国・唐時代初期の文人、王勃(649-676)の詩文集。竜門(山西省)出身の王勃は官吏となって沛王(はいおう)に仕えたが、左遷され、旅の途中29歳で水死した。幼少のころから詩や文章に秀で、初唐の四傑に数えられる。これは、現存最古の写本 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 法隆寺献物帳(天平勝宝八歳(756年)7月8日)(東京国立博物館) | 聖武天皇は、天平勝宝8年(756)5月2日に崩御し、その皇女であった孝謙天皇は、同じ年の7月8日、聖武天皇遺愛の品々を東大寺以下18の寺に献納して冥福を祈った。「法隆寺献物帳」は、その際に法隆寺へ献納された品々の目録である。なお、東大寺に分納された聖武天皇の数多くの遺愛品は、正倉院宝物として有名であり、その目録『東大寺献物帳』が残っている。 | 東京国立博物館 | ||
東京国立博物館 | 金銅灌頂幡(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 幡(ばん)は寺院の堂の内外を飾る荘厳具(しょうごんぐ)の一つで、古代の幡の多くは染織品であった。この灌頂幡は「法隆寺献納宝物」を代表する名品で、見事な透彫で如来や天人、雲、唐草文などを表した金銅板(銅板に金メッキ)を組み合わせて構成されている。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 金銅柄香炉(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 柄香炉は、法会の際に僧侶が手に持って香を献じるための仏具である。柄の末端が三つに分かれて鵲(かささぎ)の尾に似ているため、この名称がある。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 海磯鏡(法隆寺献納)2面(東京国立博物館) | 「法隆寺献納宝物」中の2面の鏡。ともに光明皇后が、天平8年(736)2月22日の聖徳太子の忌日に法隆寺に奉納したものである。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 金銀鍍龍首水瓶(法隆寺献納)(東京国立博物館) | No Image | 法隆寺に伝わった水差し。明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納された「法隆寺献納宝物」(現在は国有、東京国立博物館に収蔵)の一つ。このような長い首と下にふくらむ胴に把手を取り付けた器形は、ササン朝ペルシャに源流をもち、一般に「胡瓶(こへい)」と呼ばれる。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 |
東京国立博物館 | 金銅水注(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 銅板に金メッキした金銅製の文房具。法隆寺では、この3種と黒漆塗りの縁をもつ瓦硯(猿面硯)とを一式として、聖徳太子が『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)を執筆したときに用いたものと伝えている。 水滴(水注)は袋形で、側面に楕円形の窓を作って中に鳳凰と花弁を毛彫で表し、底の三方に猫脚を鋲留めする。蓋は、4弁の花形で周縁が反り、宝珠形のつまみを中心に4弁の花を毛彫している。蓋、身ともに空間に魚々子を打っている。 |
東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 金銅匙(3支)(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 水滴から水を汲む匙は、蓮弁形、ひょうたん形、柳葉形の3支(個)で、いずれも匙面は浅く、丸く作った柄は微妙な曲線をなしている。8世紀の製作と考えられる | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 金銅墨床(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 墨台(墨床 ぼくしょう)は、墨の受け台、基台とこれらをつなぐ円筒形の台軸からなる。受け台は六角形で、中央に6弁の花、周囲には6個の小さな7弁の花をおもなモチーフとする唐草文を透彫し、葉脈や花弁をごく細い線を彫る毛彫(けぼり)で表している。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 黒漆七絃琴(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 中国で製作され、奈良時代に伝来した七弦琴。胴の内部の「開元十二年歳在甲子 五月五日於九隴縣造」という墨書銘から中国・唐時代、玄宗皇帝が在位していた開元12年(724)に、四川省成都市に近い九隴県(きゅうろうけん)で製作されたことがあきらかで、製作年代と製作地がわかる最古の七弦琴である。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 沈香木画箱(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 木画とは、紫檀、黒檀、桑、沈香、象牙などの細片を組み合わせて文様を描く技法である。源流は古代エジプトやペルシアのモザイク技法にあり、東アジアへもたらされて中国の隋唐代に木画として発達した。 この木画経箱は、沈香を用いることから「沈香木画箱」の名もある。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
東京国立博物館 | 竹厨子(法隆寺献納)(東京国立博物館) | 経巻を納めた竹製の厨子。「法隆寺献納宝物」の一つで、法隆寺東院伽藍を建立した行信(ぎょうしん)僧都が、聖徳太子のさまざまな遺品とともに、奉納したものと伝えている。 | 東京国立博物館 | 20130315 法隆寺宝物館 | |
文化庁 | 太刀 銘久国(文化庁) | No Image | 優美で均整のとれた太刀姿で、精緻な鍛えに明るく冴えた表現豊かな波紋を焼いている。山城国粟田口派を代表す刀工である藤次郎久国は、後鳥羽院番鍛冶の一人とも伝えられる。有銘作の遺例は少なく、ほぼ初心な状態を保つ完存品として貴重である。 |
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文化庁 | 刀 金象嵌銘正宗本阿花押 本多中務所持(名物中務正宗)(文化庁) | No Image | 正宗は五郎入道と称し、相州伝といわれる沸の激しい乱刃の作風を完成させたといわれる名工。本阿弥光徳が正宗と極め、中務大輔を称した本多忠勝が所持し、のち徳川家康、水戸徳川家を経て徳川将軍家に伝来した。 | - | |
文化庁 | 短刀 無銘貞宗(名物寺沢貞宗)(文化庁) | No Image | 相州貞宗の作風を代表する作で、地刃ともに健全である。『享保名物帳』に所載されており、肥前唐津城主寺沢志摩守広高の所持で、その後、豊臣秀吉、織田有楽斎長益、徳川秀忠へと伝わり、秀忠の遺物として紀州徳川頼宣に送られて以後、同家に伝来した。 | - | 20180503 東京国立博物館 |
文化庁 | 太刀 銘正恒(文化庁) | No Image | 古備前正恒の代表作の一口である。鍛えと刃文は正恒の典型であり、しかも健全である | - | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 |
文化庁 | 太刀 銘正恒(文化庁) | 古備前正恒の作である。正恒は備前でも同名数あるが、この正恒は姿、銘振り良く、作風に古備前本来の面目を良く示し、健全な作である。 | - | ||
文化庁 | 金剛場陀羅尼経(文化庁) | 密教経典。隋の闍那崛多訳。日本の写経中で最古のもの。686年五月,僧宝林によって書写。書風に唐の欧陽詢の影響が見られる | - | ||
文化庁 | 花厳経音義 巻上下(文化庁) | 華厳経注釈書。2巻。中国、唐代の沙門慧苑《えおん》撰。慧苑音義。完名は大方広仏華厳経音義。平安時代の作品。 | - | ||
文化庁 | 宋高宗書徽宗文集序(文化庁) | 本巻は、宋高宗(一一O七−八七)が父の文集のために自撰自書した序文である。『建炎以来繋年要録』巻百六十七によれば、『徽宗皇帝御集』百巻は高宗の命により実録院で編纂され、紹興二十四年九月十九日、太師僕射提挙の秦檜等により進呈されたという。しかし、いつしかこの御集は散逸し、現在この徽宗文集序のみが、巻首を欠失し三十二行を存する形でわずかに伝存している。本巻には紀年はないが、上記の記録から、紹興二十四年、高宗四十八歳の揮毫と考えられる。 | - | 20171107 国宝展V | |
文化庁 | 世説新書 巻第六残巻(文化庁) | 後漢より東晋に至る間の逸話を集めたもので、六朝宋代劉義慶の撰、梁代劉孝標の註がある。残巻ではあるが、唐代の写本として文献的にも重要である。紙背には平安時代の修法次第を写し、東寺に伝来したものである。 | - | ||
永青文庫 | 金銀錯狩猟文鏡 (永青文庫 中国・戦国時代) | 白銅質の鏡面と青銅製の鏡背から成る鏡。鏡背には、三つの怪獣渦文の間に禽・獣・狩猟の文様が象嵌されており、中でも、剣を手にした馬上の人物と虎の極めて写実的な表現から「狩猟文鏡」と名づけられた。河南省洛陽の金村古墳から出土。戦国時代に流行した、金属に模様を刻んで金・銀などをはめ込む技法(金銀錯)による鏡の最も優れた作例であり、世界的に「細川ミラー」の名で知られている。 | 永青文庫 | 20111008 京都国立博物館 「細川家の至宝展」 | |
永青文庫 | 金彩鳥獣雲文銅盤 (永青文庫 中国・前漢 - 後漢時代) | 直径36.5cmの水器。中央の四葉文の周囲に虎や龍の文様がめぐっている。 | - | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
永青文庫 | 柏木兎螺鈿鞍(永青文庫) | 両輪の外側に、柏の木とその枝にとまる木兎(みみずく)を螺鈿で装飾している。『平治物語』には、源頼朝が「栗毛なる馬に柏木にみみつくすりたる鞍をかせて」とあり、柏木兎の意匠の鞍に騎乗している様子が記されている。細川幽斎はこの鞍を将軍足利義輝から拝領したという。 | 永青文庫 | ||
永青文庫 | 螺鈿時雨鞍(永青文庫) | 和歌の内容にちなんだ図柄に、その歌の一部の文字を紛れ込ませて歌意を表現する「葦手絵」の螺鈿意匠が施された、黒漆塗の鞍。松に絡み付く葛の葉の間に配された「恋」「時雨」「原」などの文字から、慈円の「わが恋は松を時雨にそめかねて 眞葛が原に風騒ぐなり」(『新古今和歌集』所載)という歌が読み取れる。 恋の歌が、繊細かつ大胆に武人の鞍を飾っている。 | 永青文庫 | 20111008 京都国立博物館 「細川家の至宝展」 | |
永青文庫 | 短刀 無銘正宗(名物庖丁正宗)(永青文庫) | No Image | 相州正宗の作で、その異風な姿から包丁正宗と号し、享保名物帳に所載がある。出来が優れ正宗の作風を良く示す一口で、一時は安国寺恵瓊の愛刀であった。 | - | |
永青文庫 | 刀 金象嵌銘光忠 光徳花押 生駒讃岐守所持(生駒光忠)(永青文庫) | No Image | 備前長船光忠の作で、本阿弥光徳の極めである。光徳の筆からみて慶長末年の象嵌と考えられる。豊臣秀吉に仕えて讃岐全国を領した生駒讃岐守親正の所持名があり、世に生駒光忠と号して名高い一口である。 | - | |
永青文庫 | 短刀 銘則重(日本一則重)(永青文庫) | No Image | 相州正宗十哲の一人と言い、あるいは正宗相弟子と伝える越中郷則重の作。短刀を得意とし名品が少なくないが、本短刀はその白眉で健全な作である。 | - | 20111008 京都国立博物館 「細川家の至宝展」 |
永青文庫 | 太刀 銘豊後国行平作(古今伝授の太刀)(永青文庫) | 細川藤孝(幽斎)は、関ヶ原の戦で徳川方に属し、丹後田辺城において、60日にわたって西軍を引きつけて籠城した。その際に、石田三成方の兵が城を取り囲むなかで、藤孝から古今伝授の奥義を受けた烏丸光広に贈られた太刀とされ、昭和になって再び細川家の所有するところとなった。 作者の行平は、鎌倉時代初期に活躍した豊後国(大分県)の刀工で、腰元に複雑な彫り物を施し、裏に銘を刻むのが特徴である。本作には、佩表に梵字と倶利伽羅龍、裏に梵字と神像の浮き彫りが施されている。 |
永青文庫 | 20111008 京都国立博物館 「細川家の至宝展」 | |
五島美術館 | 日向国西都原古墳出土金銅馬具類 (五島美術館 古墳時代) | 宮崎県西都原古墳群は、大小300基以上の古墳があり、5〜6世紀にかけて成立した。馬具は、その中の百塚原古墳群の一基から出土したというが詳細は不明。鐙をのぞく鞍金具・鏡板・杏葉・雲珠・辻金具・飾金具からなる一具は、龍文透彫の意匠で統一され、極めて精緻なつくりである。大陸からの舶載品と考えられる。金色に輝く馬具は、儀式の際の飾馬のためのもので、古代の権力の象徴であった。 | 五島美術館 | ||
五島美術館 | 古林清茂墨蹟(別源円旨送別偈 泰定二年九月二日)(五島美術館) | 古林清茂(1262〜1329)は、元時代を代表する禅僧。多くの優れた門弟を輩出し、古林の号である金剛幢にちなんで、彼らを「金剛幢下」(こんごうとうか)という。本品は、入元僧別源円旨(べつげんえんし 越前弘祥寺の開山 1294〜1364)に与えた餞別の偈(韻文)。古林64歳の書。能書趙孟頫(ちょうもうふ 字は子ミ 1254〜1322)の書風を学んだ、見事な行書を展開する。弘祥寺から朝倉氏、織田信長、丹羽長秀と伝来した。 | 五島美術館 | ||
五島美術館 | 無準師範墨蹟(山門疏)(絹本)(五島美術館) | 無準師範(1177〜1249)は、日本の禅宗に強い影響を与えた、南宋時代の禅僧。本品は、無準が中国径山の万寿寺にいた紹定五年(1232)以降、淳祐元年(1241)までの書。寺内に万年正続院が落成した際の勧進(かんじん)の偈(韻文)とその序文で、さらに大仏宝殿や法宝蔵殿の建設のための施財を熱望する。江戸時代の大名茶人小堀遠州(1579〜1647)の仲介で、加賀藩主前田利常(1593〜1658)が、京都・東福寺から金500枚で購入したと伝わる。 | 五島美術館 | ||
五島美術館 | 源氏物語絵巻 (五島美術館 紙本著色 絵4面詞9面) | 平安時代の11世紀、関白藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた女房紫式部(生歿年未詳)は、『源氏物語』を著し、主人公光源氏の生涯を軸に平安時代の貴族の世界を描いた。 「源氏物語絵巻」は、この『源氏物語』を絵画化した絵巻で、物語が成立してから約150年後の12世紀に誕生した、現存する日本の絵巻の中で最も古い作品である。 | 五島美術館 | ||
五島美術館 | 紫式部日記絵巻 (五島美術館 紙本著色 絵3面詞3面) |
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『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者紫式部(生歿年未詳)が、平安時代、寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。 藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の二度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、 当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作である。 「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全十巻程度の巻物であった。江戸時代以前の伝来は不明。 現在はその約4分の1にあたる四巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪・藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵する。 | 五島美術館 | |
五島美術館 | 白描絵料紙理趣経 (大東急記念文庫 1巻)五島美術館 | 彩色が無く白描(線描き)だけで表された物語絵の上に、銀泥で界線を施し、般若理趣経を書写した巻物。後白河法皇が某禅尼と絵巻物を製作中、下絵の段階で崩御したため、法皇の供養のためにその料紙を用いて写経したことが、巻末の建久四年の奥書からわかる。 | 五島美術館 | ||
五島美術館 | 六祖挟担図 大東急記念文庫 紙本墨画1幅)五島美術館 | 南宋時代の作品。直翁は南宋末の禅僧画家。宋末の禅余画界に流行した罔両画風の流れをくむ。慧能(えのう、諡は大鑑禅師、638年2月27日(貞観12年2月8日) - 713年8月28日(先天2年8月3日))のこと。范陽(河北省涿州市)の盧氏出身の禅僧で、中国禅宗(南宗)の第六祖である。 | - | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
五島美術館 | 史記 孝景本記第十一(大東急記念文庫)五島美術館 | 前漢時代の大歴史家、司馬遷(しばせん)が撰述した歴史書。全百三十巻。日本へは奈良時代に伝わり、平安時代には博士家の訓点により愛読されていた。本書は延久五年に大江家国(おおえのいえくに)が書写し、訓点を付したもの。『史記』の書写年の明らかな、現存最古本のひとつとして極めて重要。僚巻として「呂后本紀(りょこうほんぎ)第九」(山口・防府毛利報公会蔵)、「孝文本紀第十」(東北大学附属図書館蔵)が現存する。 | 五島美術館 | ||
根津美術館 | 那智滝図 (根津美術館 絹本著色 1幅) | 熊野三所権現のひとつである飛瀧権現(ひろうごんげん)を表す、垂迹画の名品。神体である滝のみを描いた唯一の垂迹画として、また、墨と金泥により岩壁を描写する手法などに中国宋元絵画の影響が看取される風景画として、本図は重要な作例である。 | 根津美術館 | ||
根津美術館 | 燕子花図 尾形光琳筆 (根津美術館 六曲一双 江戸時代) | 総金地の六曲一双屏風に、濃淡の群青と緑青によって鮮烈に描きだされた燕子花の群生。その背後には『伊勢物語』第9段の東下り、燕子花の名所・八つ橋で詠じられた和歌がある。左右隻の対照も計算しつつ、リズミカルに配置された燕子花は、一部に型紙が反復して利用されるなど、一見、意匠性が際立つが、顔料の特性をいかした花弁のふっくらとした表現もみごとである。筆者の尾形光琳(1658〜1716)は京都の高級呉服商に生まれ、俵屋宗達に私淑した。本作品は、江戸時代のみならず、日本の絵画史全体を代表する作品といって過言ではない。 | 根津美術館 | 20171115 国宝展W | |
根津美術館 | 鶉図 伝李安忠筆 (根津美術館 絹本著色 1幅 南宋時代) | 赤い実のなった枸杞(くこ)や穂のついた雄日芝(おひしば)が生えるなか、1羽の鶉が歩む姿を描く。鶉は、精緻な羽描きによって量感豊かに表現されている。わずかに俯瞰(ふかん)視されることで、鶉の運動感や空間の奥行きが強められている。花鳥画を得意とした南宋の画院画家・李安忠筆の伝承の由来は不明であるが、その実在感に富んだ表現は、本作品を宋代花鳥画の名品たらしめている。足利義教(よしのり)の鑑蔵印「雑華室印(ざっけしついん)」が捺されており、同じく足利将軍家に蔵され、菊を配したなかに鶉を描く別の1幅とともに対幅をなしていたことが知られる。 | 根津美術館 | 20171107 国宝展V | |
根津美術館 | 漁村夕照図 伝牧谿筆 (根津美術館 紙本墨画 1幅) | 夕闇迫る漁村の風景が、多彩な水墨技法を駆使してみごとに描きだされた一幅である。湿潤な大気と明暗を宿す光の表出、ことに画面の右半分をつらぬく斜陽の表現は劇的とさえいえる。中国江南地方、瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)周辺の8つの景勝を描いた「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)図」のうちの1図。同様に足利義満の鑑蔵印「道有(どうゆう)」が捺され、法量も一致する作品が他に3幅現存し、もとは八景を備えた画巻を、義満が座敷飾りのために切断したものと考えられている。筆者の牧谿は南宋末の禅僧であるが、中国よりもむしろ日本で高く評価され、わが国の水墨画に多大な影響をおよぼした。 | 根津美術館 | ||
根津美術館 | 禅機図断簡(布袋図) 因陀羅筆 (根津美術館 1幅 紙本墨画 元時代) | 牧谿に代表される禅僧による水墨画は、元代にも独自の展開を見せた。因陀羅はインド僧ともいわれる伝記不明の画僧。禅宗の祖師や在俗の聖人、禅僧と俗人の対話の場面を描き、賛者も同じ一連の作品が伝わっている。もとは一具をなしていた画巻から切断された可能性が高い。本作品は、布袋と親孝行の蔣摩訶(商莫迦)が問答する様を描く。禿筆(とくひつ)によると思われるぎこちない線描と濃墨を組み合わせた特異な画風を示すが、人物の表情の捉え方は非凡で、すこぶる禅味に富む。賛者の楚石梵g(1296〜1371)は元末明初の禅僧で、能書として知られる。 | 根津美術館 | ||
根津美術館 | 根本百一羯磨 巻第六(根津美術館) | 『根本説一切有部百一羯磨(こんぽんせついっさいうぶひゃくいちこんま)』を略して、『根本百一羯磨』あるいは『百一羯磨』とよぶ。教団の議事運営や宗教行事に関する作法、すなわち羯磨を101集めたもので10巻からなる。唐の長安3年(703)に義浄(ぎじょう)が漢訳した。奈良時代に書写されたこの一巻(巻第6)は、暢達(ちょうたつ)した唐風の書風がみごとで、表紙や紐、赤密陀(あかみつだ)を塗った軸首(じくしゅ)など原装をとどめている点も貴重である。1行17字詰の通例の形式によらず、大部分を1行12〜13字で書写しており、いわゆる「大字経(だいじきょう)」の代表的な遺品である。巻第5が兵庫・白鶴美術館に、その他の8巻が正倉院聖語蔵(しょうごぞう)に所蔵される。 | 根津美術館 | ||
根津美術館 | 無量義経(裝飾経)・観普賢経(裝飾経)(根津美術館) | この2巻ももとは『法華経』と一具であったと考えられる。濃淡の褐色の染紙(そめがみ)を交互に継ぎ合わせて金砂子(きんすなご)を散らした料紙に、金泥(きんでい)で界(罫)を引き、墨で経文を書写した、このような写経は「色紙経」とよばれる。温雅な和様の書風は11世紀の写経を代表する名筆といえる。 | 根津美術館 | ||
三井記念美術館 | 銅製船氏王後墓誌 (三井文庫蔵・三井記念美術館保管 奈良時代) | 鍛造の銅板の表に古代渡来系官人の船王後の出自と経歴が、裏には没年と埋葬の経緯が計162文字で刻まれたもので、わが国の墓誌として現存最古の年紀をもつ。王後は推古・舒明両朝に仕え、冠位十二階第三等の大仁位に叙せられた。辛丑年(641)に没したが戊辰年(668)に夫人とともに河内国松岳山に改葬されたという。 | 三井記念美術館 | ||
三井記念美術館 | 熊野御幸記(藤原定家筆 建仁元年(1201年)10月)(三井文庫蔵・三井記念美術館保管) | 建仁元年(1201)10月、後鳥羽上皇(1180〜1239)の熊野への御幸に随行した藤原定家が記した23日間の記録である。ときに上皇は21歳の若さで4度目の御幸、一方の定家は40歳で初めての参詣であった。上皇の熊野御幸を詳細に伝える唯一の記録として単独に扱われるが、同時に定家の日記『明月記』の一部ともいえる。 | 三井記念美術館 | ||
三井記念美術館 | 雪松図 円山応挙筆 (三井文庫蔵・三井記念美術館保管 紙本淡彩 六曲一双 江戸時代) | 一面の雪の中にきらめく光を照り返して屹立する松の姿を、墨と金泥と紙の白色のみで情感豊かに描きだす。松は輪郭線を用いない没骨技法をもってし、右隻には直線的で力強い老松、左隻には曲線的で柔らかい若木を配する。写生を基礎に、これを伝統的な装飾画風と融合させた平明で清新な応挙様式の代表作である。 | 三井記念美術館 | 20171107 国宝展V | |
三井記念美術館 | 志野茶碗 銘卯花墻(三井文庫蔵・三井記念美術館保管) | 志野随一の名碗として知られる。天正年間に大萱牟田洞で作られたものと推定され、志野の代表的名作として有名なものである。 | 三井記念美術館 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
三井記念美術館 | 短刀 無銘正宗(名物日向正宗)(三井文庫蔵・三井記念美術館保管) | 包丁正宗と共に、正宗作域の中庸的なものを示し、相州ものの特色と美点を発揮する。星野本名物帳によると、護摩箸は本阿弥光徳の好みで彫り加えられたという。享保名物中に日向正宗とあるのが本短刀で、水野日向守所持からその号がある。 | 三井記念美術館 | ||
三井記念美術館 | 短刀 無銘貞宗(名物徳善院貞宗)(三井文庫蔵・三井記念美術館保管) | 相州貞宗の作で、同作短刀中特に刃文が華やかで、地刃の出来も優れ、かつ健全である。享保名物帳に所載する徳善院貞宗がこれで、もと前田徳善院の愛刀であったことから号がある。 | 三井記念美術館 | ||
静嘉堂文庫 | 源氏物語関屋及澪標図 俵屋宗達筆 (静嘉堂 紙本金地著色 六曲一双) | 源氏物語』の二帖より、光源氏と女性との再会の場面が描かれる。「北野天神絵巻」など古絵巻類から多くの図様を踏襲しながら、大胆な画面構成と色遣いによって、新しい源氏絵が作り出されている。京都の名刹、醍醐寺に伝来したのち、明治中頃、岩ア彌之助(静嘉堂初代)が同寺へ寄進した返礼として贈られた屏風である。 | 静嘉堂文庫 | ||
静嘉堂文庫 | 風雨山水図 伝馬遠筆 (静嘉堂 絹本墨画淡彩 1幅) | 馬遠は、南宋中期、光宗朝・寧宗朝(1189〜1224)に活躍したとされる宮廷画家。その作品として伝来した本図は、水墨を主調とし、遠山の青、松葉にかさねた青や茶、広葉樹の茶(赤)や緑、岩上の点苔の緑など濃淡の彩色を効果的に配している。高度な画技によって風雨や波紋など自然の表情を精緻に描写し、大観的な空間を描き出した、南宋院体山水画(南宋画院の様式による山水画)の優品である。 | 静嘉堂文庫 | 20171017 国宝展U | |
静嘉堂文庫 | 禅機図断簡(智常禅師図) 因陀羅筆 (静嘉堂 1幅 紙本墨画 元時代) | 老木の下、岩に座す高僧・智常禅師が指をさしながら張水部(ちょうすいぶ)に何かを諭す様子が描かれる。分蔵される国宝「禅機図断簡」5点の一つとして著名である。 | 静嘉堂文庫 | 20171017 国宝展U | |
静嘉堂文庫 | 曜変天目茶碗(静嘉堂文庫) | 摂津淀の稲葉家に伝わったことから、一般に稲葉天目の名で知られる名碗である。 内部の斑文が青や黄色に輝き、漆黒の釉薬を絢爛たるものにしている。薄紫色の輪形に輝く部分があり、玄妙な趣がある。今日、世界中で現存する曜変天目は日本国内の三点(京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館、静嘉堂文庫美術館)であり、いずれも国宝に指定されている。 |
静嘉堂文庫 | 20180503 静嘉堂文庫美術館 | |
静嘉堂文庫 | 太刀 銘包永(静嘉堂文庫) | 大和手掻派の祖、初代包永の作とほぼ推定されるもので、包永作中白眉とされる。同作には生ぶ茎のものはほとんどなく、皆磨り上げとなっている。本太刀は手掻派の特色が顕著に表され、刃文に一段と強く輝く沸がついた出色の出来である | 静嘉堂文庫 | ||
静嘉堂文庫 | 倭漢朗詠抄 巻下残巻(静嘉堂) | 藤原公任撰『倭漢朗詠集』(11世紀初め頃成立)を書写した二軸で、掛川藩主太田家に伝来したことから「太田切」と称される。料紙は、藍・薄藍・薄黄などに具引きした舶載の唐紙を美しく配色し、日本で金銀泥により花鳥草木、蝶や野馬などを描き加えたもの。書の筆者は不詳とされるが、端正優雅な書風の漢字と変化に富んだ仮名書きとが並んでおり、詩歌・書体・料紙の各々において和漢が競われている。 | 静嘉堂文庫 | ||
静嘉堂文庫 | 趙子昂書(与中峰明本尺贖、6通)(静嘉堂文庫) | 趙孟頫(1254〜1322)は、元初の代表的な官僚、文人画家、能書家。字は子昂。元初の代表的な官僚、文人画家、能書家。子昂はその字。南宋の皇族であったが、三十三歳のとき元の世祖クビライに抜擢され、以来五朝三十五年を高官としてすごす。書画ともに復古を唱え、元代書壇を主導した。この書冊は、趙孟頫が当時の傑僧中峰明本に宛てた書簡六通からなり、王羲之の書風に熟達し、整えられた暢達な書に、中峰に対する深い敬慕の念や私人としての率直なる心情が吐露されている。 | 静嘉堂文庫 | ||
前田育徳会 | 水左記(源俊房、自筆本)(前田育徳会) | 平安時代の代表的な日記で、記主は土御門左大臣源俊房(1035〜1121)。日記の名称は、「源」の偏「水」と「左大臣」(極官)の「左」を合成したもの。記録の少ない後冷泉・後三条・白河の三代天皇の宮廷社会を簡潔に記述しており、また、名筆で著名な源俊房の筆跡を伝える貴重な史料である | - | ||
前田育徳会 | 三朝宸翰(花園天皇消息、後醍醐天皇消息、伏見天皇消息)(前田育徳会) | 花園天皇の自筆書状で、本文二十二行、末に後二月廿四日の日付と花押があり、元弘三年天皇三十七歳の宸翰と認められ、尊円親王に充てられたものであろう。文意は元弘の変後の天下動乱の様子を伝え、殊に「堂燈事鳩消之後断絶歟」の条は、太平記巻五に名高い。叡山根本中堂常明燈鳩消しのことにふれられたもので、太平記の記事を証する新史料としても注目される。なおこの御消息は料紙の状態から、或は三朝宸翰(前田育徳会蔵)のうちとして伝来したものかと推測される。 | - | ||
前田育徳会 | 搨王羲之書(孔侍中帖)(前田育徳会) | 王羲之(三〇三〜三六一)の尺蹟を内府において搨摸した摸本で、もとは巻子本であったが、現在は軸装に改められている。奈良時代に日本に将来され、東大寺に施入された王羲之帖の一つで、桓武天皇(七三七−八〇六)が借覧し、返却時に「延暦勅定」の朱文方印が押された。原本の渇筆や虫損部まで、きわめて精緻に写しとったもので、王羲之の書風を類推する上で最も信憑性の高い資料である | - | 20171 |
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前田育徳会 | 刀 無銘正宗(名物太郎作正宗)(前田育徳会) | 大磨上無銘であるが、所伝を首肯すべき刀。正宗作の太刀は有銘のものがほとんどなく、多くは大磨上無銘である。本刀は、正宗の作風を遺憾なく示し、地鉄がよく、刃中の働きも見事である。もと水野太郎作という人物が所持していたことから太郎作正宗の号があり、享保名物牒に記載される。 | - | ||
前田育徳会 | 刀 無銘義弘(名物富田江)(前田育徳会) | 現存する江義弘の作中で、出来と健全さの両面から稲葉江と双璧をなすものであり、江戸時代には江戸第一の称があった。享保名物牒によると、もと富田左近が所持したことから富田江の号があり、後に豊臣秀吉の所有、その後秀吉の遺物として前田利長がもらったものと伝える | - | ||
前田育徳会 | 太刀 銘光世作(名物大典太)(前田育徳会) | No Image | - | ||
前田育徳会 | 賢愚経残巻(大聖武)3巻(前田育徳会) | 『賢愚経』は『賢愚因縁経』ともいい,賢者愚者に関する譬喩的な話を集めた経典である。大ぶりで端正な字形,重量感溢れる筆致で書写され,聖武天皇の筆と伝えるが自筆ではない。料紙は釈迦の骨粉を混ぜた荼毘紙といわれるが,香木の粉末を漉きこんだもの。 | 東京国立博物館 | ||
前田育徳会 | 宝積経要品(足利尊氏、同直義、夢窓疎石合筆)(前田育徳会) | 『宝積経要品』とは、足利尊氏と、その弟・直義、夢窓疎石の三人による写経で、直義が高野山金剛三昧院に奉納。夢で得た「なむさかふつせむしむさり(南無釈迦仏全身舎利」の十二文字を頭にする和歌を募り、光厳院や足利尊氏・直義兄弟、兼好などが詠んだ和歌短冊百二十枚を貼り継いだ『高野山金剛三昧院奉納和歌短冊』を紙背とする。 | - | ||
前田育徳会 | 万葉集 第三、第六巻残巻(金沢万葉)(彩牋)(前田育徳会) | 「万葉集」は、奈良時代の歌人大伴家持によって編纂され、平城天皇によって再編纂されたといわれる日本最古の歌集です。全20巻からなり、長歌・短歌・旋頭歌など4500余首が含まれます。作者は、万葉歌人として有名な柿本人麻呂、山部赤人、大伴旅人、山上憶良、大伴家持をはじめ、天皇から兵士・農民に至る多彩な約480名で、万葉人の心情がおおらかに詠まれています。 | 石川県立美術館 | ||
前田育徳会 | 古今集(伝藤原清輔筆)(前田育徳会) | 平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。 伝藤原清輔とは、藤原清輔が書写した系統の伝本。貫之が皇后穏子に奉ったという小野皇太后宮本(貫之自筆本)を転写した藤原通宗の本を底本とし、定家本にはない多くの異本歌、勘物などの記載を特徴とする。仮名序を冒頭に置き、真名序を巻末に持つが、真名序は本来祖本になかったのを付け加えたものである。清輔は後述の定家と同じく、『古今和歌集』を幾度も書写しているのが伝本や文献の上で知られるが、その殆どが通宗本を底本としている。 |
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前田育徳会 | 古今集 巻十九残巻(高野切)(前田育徳会) | 高野切(こうやぎれ)は、平安時代後期、11世紀に書写された『古今和歌集』の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史、日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 歌合(十巻本)(巻第一、二、三、八、十)(前田育徳会) | 十巻本歌合(じっかんぼんうたあわせ)は、平安時代中期に編纂された、日本最初の歌合集成。仁和年間から天喜4年に至る約170年間の46度の歌合を収める。企画は藤原頼通で、源経信が編纂に関わったか。全46度の歌合のうち、38が完存、6が部分的に残り、2が散逸した | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 十五番歌合(彩牋)(前田育徳会) | No Image | 11世紀の作。8首分の零本(一部分が残ったもの)と断簡6首分が残る。紀貫之や柿本人麿ら30人の秀歌を左右に分け、15番に番えた「十五番歌合」を書写したもの。撰者藤原公任の書と伝えられてきた。今は「藍紙本万葉集」を書いた藤原行成の孫、藤原伊房の書と見なされている。 | - | |
前田育徳会 | 広田社二十九番歌合(藤原俊成筆)3巻(前田育徳会) | 各歌人から提出された和歌を道困が結香し |
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前田育徳会 | 入道右大臣集(彩牋)(前田育徳会) | No Image | 右大臣 藤原頼宗の歌集。藤原頼宗は後拾遺和歌集や勅撰和歌集にも入集の当時を代表する歌人。藤原道長の次男 | - | |
前田育徳会 | 土佐日記(藤原定家筆)(前田育徳会) | 紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を虚構を交えて綴ったもので、成立は承平5年(935年)頃といわれる。日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。 | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 日本書紀 巻第十一、第十四、第十七、第二十 4巻(前田育徳会) | 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻。系図1巻が付属したが失われた | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 類聚国史 巻第百六十五、第百七十一、第百七十七、第百七十九 4巻(前田育徳会) | 類聚国史(るいじゅこくし)は編年体である六国史の記載を中国の類書にならい分類再編集したもので、菅原道真の編纂により、892年(寛平4年)に完成・成立した歴史書 | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 秘府略 巻第八百六十八(前田育徳会) | 平安時代前期に編集された一種の百科事典。滋野貞主 (しげのさだぬし) 編。 1000巻。天長8 (831) 年勅命によって,中国の書籍 1500種の記事を分類し,項目ごとに編纂したもの。現在は平安時代中期の写本2巻が伝わるだけである | 近代デジタルライブラリー版 | ||
前田育徳会 | 北山抄 12巻(前田育徳会) | 北山抄(ほくざんしょう)は、平安時代中期に成立した私撰の儀式書。藤原公任の撰。書名は、四条大納言・藤原公任が晩年に京都の北山に隠棲したことに由来している | ウィキペディア | ||
前田育徳会 | 両京新記 巻第三(金沢文庫本)(前田育徳会) | 8世紀前半の唐朝の盛期に、長安で編纂された風物の記録書。両京とは隋と唐のこと。もともとは全5巻、中国大陸では宋代以後に散逸してしまい、残存するのは、日本の尊経閣文庫に所蔵されている巻3部分のみ | - | ||
前田育徳会 | 仁和寺御室御物実録 | 931(承平1)に宇多法皇が仁和寺円堂院に収めた宝物の目録。950(天暦4),村上天皇の勅により作成。1巻。10世紀の美術工芸品を知る重要史料。尊経閣文庫蔵, |
国立国会図書館 |
20110722 国立博物館 「空海と密教美術展」 | |
大倉集古館 | 随身庭騎絵巻 (大倉文化財団蔵・大倉集古館保管 紙本淡彩 1巻) | 絵巻が制作されたのは鎌倉時代、13世紀の中頃である。随身は貴族が外出する際に警護にあたった近衛府の官人 |
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20171107 国宝展V | |
大倉集古館 | 木造普賢菩薩騎象像(大倉文化財団蔵・大倉集古館保管) | 平安後期の作品。普賢菩薩は単独で祀られることは稀で、おそらくこの普賢菩薩も文殊菩薩とともに釈迦如来の脇にまつられていたんだろうと。文殊菩薩は獅子、普賢菩薩は象に乗り、文殊は智恵を、普賢は慈悲を表しているそう。本当に穏やかな、優しそうなお顔で、癒される。この像は日本の普賢菩薩の中でも屈指の名作なのだそう | - | 20180503 東京国立博物館 | |
大倉集古館 | 古今和歌集序(彩牋三十三枚)(大倉文化財団蔵・大倉集古館保管) | 雲母刷り等で植物や人物など様々な文様が刷り出された唐紙33枚を繋ぎあわせた料紙に、流麗な草仮名が見事に揮毫されている。古筆を代表する名宝に数えられる | - | ||
東洋文庫 | 春秋経伝集解 巻第十 1巻(東洋文庫) | 春秋は儒教経書の一。魯国の史官の記録を孔子が整理編纂したといわれる。紀元前772から481年迄、242年間の諸国の事件を倫理的立場から批判し、整理したものである。この春秋の経文に3種の注釈があり、その中孔子の弟子左丘明の作と云われる左氏伝に、晋の杜預(222-85)が注をつけたのを集解という。 | 東洋文庫 | ||
東洋文庫 | 文選集注 7巻(東洋文庫) | 文選は梁の昭明太子蕭統(501-531)が編纂した詩文総集で、梁以前凡そ一千年間に出た文人百数十人の詩文約八百首を輯める。文選の日本伝来は古く7世紀頃にあり、のち広く識者に読まれ、平安朝には最も盛んに行われた。本書は、李善注五臣注など、集注本の形態を伝える貴重本。邦人撰述であるが、撰者未詳。島田翰、和田雲邨等著名蒐集家の手を経て岩崎文庫に入る。もと全120巻あったといわれるが、現在はその多くが佚われ、本書の他には、金沢文庫に一連をなすもの12巻(19軸)が所蔵され、その他を併せ、20巻のみが伝存する。 | 東洋文庫 | ||
東洋文庫 | 古文尚書 巻第三、第五、第十二(東洋文庫) | 尚書(書・書経)は中国最古の史書で儒教経書の一。古く西周初年(前11世紀)に作られ、のち戦国時代(前3世紀)に至る頃迄書き加えられた。現在、58篇のみが残っており、その中28篇は漢の孔安国が注釈した古文尚書といわれる。本書は、尚書としてはわが国最古の伝本で、唐太宗の諱「民」字を避けていないことから、太宗以前、唐初の書写と考えられる。 | 東洋文庫 | ||
東洋文庫 | 毛詩(巻第六残巻)(東洋文庫) | 毛詩は詩経のもとの名で、漢の人、毛亨が伝えたところから毛詩ともいった。教教典の一、紀元前6世紀頃作られたと思われる中国最古の詩集である。本書は、平安中期の初め、延喜年間前後の訓点が加筆されており、漢籍訓点資料の中では現存最古のもの。 | 東洋文庫 | ||
東洋文庫 | 史記(高山寺本)夏本紀第二、秦本紀第五 2巻 平安時代 (東洋文庫) | 本書は、高山寺旧蔵本で、『高山寺聖教目録(建長目録)』(鎌倉中期写)の第九十六乙箱に「史記十二巻 史記十巻不具」と記されている何れかの原本 | |||
畠山記念館 | 藤原佐理筆書状(離洛帖)(畠山記念館) | 小野道風・藤原行成とともに「三跡」にあげられる藤原佐理(944〜998)の書状。書き出しに「謹言 離洛之後」とあることから「離洛帖」と命名されている。 | 畠山記念館 | ||
畠山記念館 | 林檎花図 伝趙昌筆 (畠山記念館 絹本著色 1幅 南宋時代) | 団扇形の小画面に林檎の花の一枝を描いた本図は古来北宋の折枝画の名手、趙昌の作と伝えられてきた。 | 畠山記念館 | 20171107 国宝展V | |
畠山記念館 | 煙寺晩鐘図 伝牧谿筆 (畠山記念館 紙本墨画 1幅 南宋時代) | 足利義満の愛蔵品と知られる。義満以後、松永久秀、織田信長、徳川家康、紀州徳川家、その後加州前田家へと伝来。作者は南宋時代の画僧・牧谿と伝えられる。 | 畠山記念館 | ||
畠山記念館 | 禅機図断簡(智常・李渤図) 因陀羅筆 (畠山記念館 1幅 紙本墨画 元時代) | 禅宗祖師の行状を描いた図巻の一断簡。江州の刺史李渤が『維摩経』の「芥子粒に須弥山を納れる」という語をどうしても理解することができず、深く帰依する帰宗智常禅師を訪ねて問い、はじめてその意味を悟ることができたという禅会の様子を描いたもの。 | 畠山記念館 | ||
畠山記念館 | 蝶螺鈿蒔絵手箱(畠山記念館) | 全面が黒漆の平目地に写実的な牡丹唐草と蝶文を実に巧みに隙間なく布置したもの。鎌倉時代最盛期を代表する優品。 | 畠山記念館 | ||
畠山記念館 | 大慧宗杲墨蹟(尺牘 四月八日)(畠山記念館) | 書風は枯淡素朴、よく大禅家の風格を示し味わい深い墨跡である。徳川将軍家の伝来品であった。 | 畠山記念館 | ||
日本美術刀剣保存協会 | 太刀 銘国行(日本美術刀剣保存協会) | 鎌倉時代中期、山城国来派の刀工。長さ76.5cm 反り3.03cm 播磨国明石藩主松平家伝来 |
刀剣博物館 | ||
日本美術刀剣保存協会 | 太刀 銘国行(日本美術刀剣保存協会) | 鎌倉時代後期、大和国当麻派の刀工。長さ69.69cm 反り1.52cm |
刀剣博物館 | ||
日本美術刀剣保存協会 | 太刀 銘延吉(日本美術刀剣保存協会) | 鎌倉時代後期、大和国竜門(りゅうもん)派の刀工。 長さ73.48cm 反り2.73cm 後水尾天皇の御料 |
刀剣博物館 | ||
出光美術館 | 手鑑「見ぬ世の友」(二百二十九葉)(出光美術館) | 近世に入る頃、それ以前に書写された歌集等の主に仮名書きのテキスト(古筆)は、稀少なために断簡(古筆切)に分割され始める。この古筆切を収納、鑑賞するために発達したアルバムが手鑑(てかがみ)で、手は筆跡、鑑は手本、見本の意。『見努世友(みぬよのとも)』は、江戸時代に古筆の鑑定を専門職とした古筆家(こひつけ)が制作した基準作で、整然とした配列と、平安時代書写の優れたかな書跡を多数含み、形式・内容ともに最高水準の手鑑である。小浜酒井家伝来。手鑑の名称は『徒然草』十三段の言葉に因む。 | 出光美術館 | ||
出光美術館 | 伴大納言絵詞 常磐光長筆(推定) (出光美術館 紙本著色 3巻) | 貞観8年(866)閏3月10日に起きた応天門の炎上をめぐる大納言伴善男の陰謀、その露見と失脚を生き生きと物語る。群像の表現に存分に発揮された精妙な描写力、色と形の見事な調和と対比、緩急を利かせた巧みなストーリー展開は、多くの傑作に恵まれた古代・中世の絵巻のなかでもひときわ魅力的である。制作には、後白河院に重用された宮廷絵師・常磐光長が主導的な役割を担ったと考えられる。かつて若狭国松永庄新八幡宮に伝来した。 | 出光美術館 | ||
常盤山文庫 | 馮子振墨蹟(画跋)(常盤山文庫) | 南省出身の文人で、海粟道人と号した。俗人でありながらその書が古来「墨蹟」として扱われているのは、中峰明本(1263-1323)や古林清茂(1262-1329)ら禅僧との交友が深かったことや、その堂々たる書体によるものと考えられる。 | 常盤山文庫 | 20171 |
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常盤山文庫 | 清拙正澄墨蹟(遺偈 暦応二年正月十七日)(常盤山文庫) | 清拙正澄(1274-1339)は元時代の高僧月江正印の実弟にあたる。日本からの求めに応じて嘉暦元年(1326)に来日、建長寺、浄智寺、円覚寺に住したのち、後醍醐天皇の勅命によって上洛、南禅寺・建仁寺の住持をつとめた。この墨蹟は暦応2年(1339)正月17日、死期を悟った清拙が弟子のために筆をとった末期の句である。 | 常盤山文庫 | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
サントリー美術館 | 浮線綾螺鈿蒔絵手箱(サントリー文化財団蔵、サントリー美術館保管) | この手箱は、力強い形姿と前面に施した螺鈿の意匠とが美事に調和して格調高く、蓋裏の花卉蒔絵の整緻な技法にも鎌倉時代蒔絵のすぐれた特色がよく窺われ、三島大社の国宝梅蒔絵手箱や小倉家の国宝片輪車蒔絵螺鈿手箱と共にこの種の遺品中屈指の優品と云ってよい。 | サントリー美術館 | ||
早稲田大学 | 礼記子本疏義 巻第五十九(早稲田大学) | 『礼記子本疏義』は、六朝義疏学の様相や『礼記正義』の形成過程を研究する上で、極めて重要な文献である。この原本を存するのは世界中で早稲田大学図書館のみ | 早稲田大学図書館 | ||
早稲田大学 | 玉篇 巻第九残巻(早稲田大学) | 玉篇(ぎょくへん、ごくへん)は、中国、南北朝時代、梁の顧野王によって編纂された部首別漢字字典。字書としては『説文解字』・『字林』(現存せず)の次に古い。原本玉篇は中国では滅んでしまい、日本にいくつか残巻が残る。これらの残巻が国宝 | 早稲田大学図書館 | ||
東京芸術大学 | 観世音寺資財帳(東京芸術大学) | 九州随一の仏像彫刻の宝庫である観世音寺の縁起は伝わっておらず、関連文書として最も古いものが延喜5年(905年)成立の この「観世音寺資財帳」。 『続日本紀』の記述によると、観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願 | ウィキペディア | ||
東京芸術大学 | 絵因果経 (東京藝術大学 紙本著色 1巻) | 絵因果経(えいんがきよう)は仏伝経典の代表的なものの1つである『過去現在因果経』の写本の一種で、巻子本の下段に経文を書写し、上段に経文の内容を説明した絵画を描いたもので、日本において平安時代以降盛行する絵巻物の原初的形態とみなされている。 | ウィキペディア | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 | |
東京大学 | 島津家文書 15,133通(東京大学) | 島津氏は、鎌倉時代に島津荘地頭となり、同時に薩摩・大隅・日向三国の守護をかね、その後戦国大名をへて、近世大名として存続した代表的な武家の家柄である。島津家文書はこの薩摩島津家に伝来した累代の古文書群の総称である。 | - | ||
慶應義塾 | 秋草文壺(慶應義塾) | 「秋草文壺」は昭和17年4月、日吉の近郊、川崎市南加瀬の白山古墳の後円部下方から出土した。この壺を特徴づけているのは頚と胴とに刻まれている文様であって、ススキやウリ、柳などの植物と、トンボや規矩文をへら描きによって、力強く流麗にえがいてあり、これがこの壺を秋草文の壺とよぶ由縁となっている。 | - | 20180503 東京国立博 | |
日枝神社 | 太刀 銘則宗(東京・日枝神社) | この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。 | 日枝神社 | ||
總持寺 | 鋳銅刻画蔵王権現像(東京・總持寺) |
多数の眷族を従える蔵王権現を三葉光背形の分厚な鋳銅板に線彫で描いた物。蔵王権現の御正体の遺品のうちでは特大であり、また長保3年(1001)は年代的にも最も古い。もとは奈良県吉野群の金峯山から発掘されたものであるが、明治38年に当寺に寄進された。 |
東京国立博物館 | 20180503 東京国立博 | |
御嶽神社 | 円文螺鈿鏡鞍(東京・御嶽神社) | 武蔵御嶽神社に伝わるこの鞍は、武蔵名勝図会によれば、文暦元年(1234)、御嶽山の中興開基である散位大中臣国兼が、本迹縁起神道を極めた際、神馬に飾り、神社に奉納したと伝えられています。鎌倉時代を代表する鞍として国宝に指定されています。 | 青梅市 | ||
御嶽神社 | 赤絲威鎧(兜、大袖付)(東京・御嶽神社) | この鎧は、武蔵御嶽神社に神宝として大切に保存されてきた平安時代後期の大鎧で、武蔵国府の最高権力者であった畠山重忠奉納と伝えられています。同時代の大鎧は、広島県厳島神社の小桜威、愛媛県大山祇神社の逆沢瀉威等、十余領にすぎません。その中でほぼ完存する最古の物で日本を代表する大鎧です。江戸時代、将軍吉宗・家治が上覧し、寛政12年(1800)松平定信が古器物の名品を記録した『集古十種』に記載され、有名になりました。 | 青梅市 | ||
正福寺 | 正福寺地蔵堂 東京都 | 円覚寺舎利殿とともに室町前期の中規模禅宗仏殿の典型であり、また年代明確な関東禅宗仏殿の最古の例として基準的な価値を持つ。 | - | 20180417 正福寺 | |
赤坂離宮 | 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮) 東京都(所有者:国(内閣府)) | 旧東宮御所は,皇太子明宮嘉仁親王,のちの大正天皇のための御住居として明治42年に建設された宮殿建築である。 明治期におけるわが国最大の記念建築であり,本格的な西欧の建築様式を採用しつつ,彫刻等の装飾にはわが国独特の主題を用い,精緻な工芸技術が駆使されており,意匠的に高い価値がある。 西欧の建築意匠や技術の習得に始まった明治期の建築界において,意匠的にも,また当時の先端技術を導入している点でも,日本人建築家の設計による建築の到達点を示しており,明治以降,昭和戦前に建設されたわが国の建築を代表するものの一つとして,文化史的意義の特に深いものである。 |
文化遺産 | ||
浅草寺 | 法華経(開結共)10巻(浅草寺) | 小振りながら端正で穏やかな和様の書風で執筆された写経の本文と見返し絵の技法などから、平安時代十一世紀初頭の遺品と推定される。紫檀地に蝶と小鳥の文様を螺銅で装飾した丸軸、表紙に付けられた緑・白・茶・淡紅に染めた糸を織りまぜた平打紐も制作当初の姿を留めており、『法華経』に開結を具備した一巻経が、完全に伝存する装飾経の遺品として貴重である。浅草寺の所蔵に因んで、浅草寺経の名で呼ばれる | 考古用語辞典 | 20180503 東京国立博 | |
普済寺 | 石幢 (普済寺 1361年)立川市 | 延文6年(1361年 足利義宣の時代)に開山物外和尚の弟子性了が修行道場の鎮護を念じ建立し、道円が刊刻したものである。 各面にそれぞれ仁王像と四天王像を刻んだ6枚の緑泥片岩の板石を、柱状に組み合わせ、その上に笠石を載せた六角の石幢で、東京都内でも数少ない国宝に指定された石幢です。 |
普済寺 | 20180417 普済寺 | |
深大寺 | 銅造釈迦如来倚像 | 明るい表情を浮かべた少年を思わせる面貌や,体に密着し て肉付けの起伏をあらわにみせながら流麗な衣文が表される着衣など,いわゆる白鳳仏の特色をよく示し,飛鳥時代後期の名品として知られる作例である。製作は7世紀後半ないし 末と推定される。 近年,飛鳥後期の美術に関し,外来影響の受容のありさま や材質技法の特色など研究が進展したことを踏まえ,この時 代の代表作の一つとして国宝に指定する。(飛鳥時代) | H29文化財答申 |