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セアカゴケグモ事件と旅行記

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公務員時代記録

   公務員時代(環境衛生監視員)36年間の記録  
 大阪府への採用  最初の移動  本庁への移動
 浄化槽行政担当  二つの出会い  花博開催保健所
 環境衛生第一係  係長拝命  生活衛生室へ
 企画課長補佐  東大阪市へ  最後の勤務地
 華やかな公務員時代・・今は亡き公務員時代

〜No3 本庁への異動〜  
6 待望の本庁への異動
 泉佐野と和泉の保健所6年間を経て、入庁後7年目の昭和55年4月、待望の本庁勤務が実現した。過去には栄転とも言われた本庁への転勤は、私の大阪府入庁に声をかけていただいた教務委員会中山氏の後ろ盾があったと聞く。
 新たな職場となった衛生部環境衛生課での配置は、環境衛生第二係で、京都商人角ノ倉財閥の子孫が係長で、浄化槽担当は田邊氏、遊泳場担当に井上氏、家庭用品担当に西前氏、唯一の事務職蔵内氏が在籍していた。
 角倉係長は参事職で府を退職後、財団法人大阪防疫協会に理事で勤務し、清掃・消毒現場の人事管理で成果を挙げて理事長から多大の信望を得た。その後同財団には、環境衛生に縁のある府の事務職員や環境衛生監視員のOBが理事で迎えられている。
 田邊氏は、環境衛生課在籍中に針鍼灸柔道整復師養成の夜間学校に通い、資格を取得した数年後、監視員仲間の強い慰留を振り切って奥さんが開業した整骨院の経営に専念する道を選び、早期に退職した。今は岸和田市に住居と整骨院を兼ねた自前のビルを構え、高齢者にも好かれる人柄に加え、高齢化の時代に乗って順風な経営を続けている。
 田邊氏との思い出は多く、人を引きつける独特の個性と併せ気前が良く、親戚経営の高級バーや北新地のスナック「軍艦酒場」で数多く遊ばせてもらった。
 なかでも、夜の梅田繁華街のど真ん中にあった軍艦酒場は、酒代込み7千円で遊べ、軍服を着た若い娘が紙飛行機を飛ばしながら軍歌や寮歌、戦前戦後の歌謡曲などを聞かせるスナックで、異様な活気があり楽しかった。
 後日、府の補助金で公衆浴場施設活性化事業として実施した「公衆浴場の日イベント」に、事業主体の組合役員がこの軍服酒場の歌い手を呼んだところ、生活衛生営業関連審議会の委員からクレームがつき、その年に開催された審議会で大きな問題となった。
 井上氏は、理論家で弁舌にたけ、任された遊泳場業務を的確にこなし、またひと味違う明るいキャラクターで課員に好かれたが、田邊氏と意見の衝突が多く短期間で保健所に異動した。異動後一時期は保健所環境衛生のリーダー的な立場を担い、環境衛生関係職員協議会の改革を訴えて会長選挙に立候補し、当時の大城会長を制して新会長に選ばれた。
 西前氏は、北海道大学卒業で、家庭用品行政を長く担当したが、体調を崩し40歳代に退職した。蔵内氏は、環境衛生第二係在籍中に事務職の昇格昇任に多大な影響をもつ係長試験に合格し、その後、議会事務局、東京事務所などの庁内要職を歴任した。
 そんな人間模様の第二係での私の業務は、それまで事務職が担当してきた「建築物における衛生的環境に確保に関する法律」(以後、建築物衛生法)の運用で、以後5年間、府のビル管理行政の推進と昭和56年の法律改正に伴う登録制度の創設に奔走した。
 大阪市では、「建築物衛生法」の業務を環境衛生監視員の三木氏、穴瀬氏が担当し、空気環境の測定機器を充実させ、地下街の環境衛生調査や大型建築物建設前の衛生面からの事前審査制度を始めるなど、厚生省が一目置くビル管理行政を展開していた。
 大阪市に追いつけを目標に、時間を見つけては大阪市役所の三木氏を訪れ、ビル管理行政のノウハウを教授してもらった。
 幸い担当2年目に、法律改正によるビル管理業の登録制度が創設され、手数料収入見合いで測定機器の整備予算が認められたことから、機器を使用した調査研究の開始や大阪府独自の立入調査票の策定など、実績を積み重ねながら遅れを徐々に取り戻していった。
 大阪市の三木氏は、50代半ばで部長職まで昇り、穴瀬氏は三木氏の足跡を着実にたどりながら、定年3年を余して大阪市を退職した。両氏とは四半世紀の長き期間、定期的な飲み会やゴルフを楽しむなど今でも親しい友人としての付き合いを続けている。
 建築物衛生法は、延べ面積3000u以上及び事務所、店舗、映画館などの特定の用途に使用される建築物を「特定建築物」として、遵守すべき維持管理の基準を定めており、空気、化学物質、ねずみ衛生害虫、ごみ処理、飲み水など、環境衛生全般に亘る多くの分野で調査・研究課題を提供してくれる。
 昭和40年代後半から平成6年頃までの間、本庁の主担者と保健所に勤務する環境衛生監視員が業務ごとに部会員を構成して、監視指導マニュアルの作成や各種の調査研究を行ってきた。ビル管理部会は、柾木氏、大城氏が常連の部会員で、彼らを中心に公衆衛生研究所研究員の応援を得て、各種の調査を企画し実施した。
 成果として発表した一つは、大型店舗のねずみ衛生害虫生息調査で、ダイエー、ニチイなどのスーパーに夕刻から多くの粘着シートを仕掛け、翌開店前に回収し、公衆衛生研究所に搬入して粘着テープに補足されたネズミや衛生害虫をカウントした。
 ネズミが多く捕獲された池田市内のスーパーでは、保健所の指導で徹底した害虫防除対策を行った結果、大幅な被害額減少の経済効果が認められ、また、チャバネやクロゴキブリが大量に粘着シートに捕集された貝塚の店舗においても大規模な改修が行われ衛生状態は格段に向上した。この調査結果は、北海道札幌市で開催されたビル管理全国大会で部会員が発表した。大会には私も同伴し、3泊4日で札幌市駅前のホテルに同宿した。
この時の、サッポロビール園での大ジョッキ6杯の生ビール、ホテルでのウイスキーキープ、公衆衛生研究所前田課長から「すすき野」でご馳走になったカニ料理、寒い半日の母校酪農学園大学と開拓記念塔の散策は忘れられない思い出となっている。
 部会では、在郷軍人病として知られるレジオネラ属菌の調査も全国に先駆け実施した。
 始まりは、1976年、米国フィラデルフィアのホテルで、在郷軍人会の集まりに宿泊していた多くの高齢者が肺炎症状の集団感染症に罹患し7人が死亡した。原因は、空調機の冷却塔で増殖した大量のレジオネラ属菌が空気の外気取入口から進入し、空気調和機のダクトを通じてホテルの各部屋にばらまかれ在室者が吸引して起こった。
その事件を発端に、公衆衛生研究所の山吉主任研究員がレジオネラ属菌に着目し、守口市内にある関西医科大学付属病院の冷却塔から採水した冷却水について、レジオネラ属菌の生息実態と増殖に関する調査を始めた。
大阪府ではこの調査が後に、循環式浴槽で問題となる浴場施設におけるレジオネラ属菌の増殖メカニズムとレジオネラ感染症対策の調査研究に結びつくことになる。
 部会で実施した調査で、未だ研究対象として残っているテーマとして、ビル内の浮遊細菌・浮遊真菌の生息と繁殖実態の解明がある。培地を取り付けたエアサンプラーに室内の空気を吸引し、細菌と真菌(カビ)を捕集して、培地シャーレで培養後、種類と量を調べ、ビルの用途による差、空調システムによる影響などを考察した。
ビル管理担当の時期に行った事務所ビルの調査と花博会場を担当した際に行った特設建築物内での調査結果は、人体の健康に影響を与える真菌や細菌の数では無かったが、今後とも空気環境の分野で注目すべき研究テーマの一つである。
 一方、法律の改正で新たに設けられた建築物環境衛生管理業者の知事登録制度は、全く新しい事業であり、登録事業開始に向けた政令市や団体との調整と保健所や業者向けの資料作り、団体への啓発と周知、大阪市との役割分担の取り決めなど、一人で考え一から創る制度は楽しくやりがいがあった。登録受付直前の業界向けに行った登録制度の説明会には、職員会館大講堂400名定員の会場が関係業者で埋め尽くされ、大阪府に入って最初に成し遂げた大きな仕事に充実感があった。
 また、建築物衛生法は、法律の柱としてビルの衛生確保を担当する建築物環境衛生管理技術者の資格制度を定めている。資格取得は、国家試験に合格するか、あるいは指定団体が行う約3週間の講習会を受講するかのいずれかによるとされており、講習会は、財団法人ビル管理教育センターが厚生労働省の指定を受けて実施してきた。
 国家試験は、法律施行後から昭和50年代の後半まで、厚生省が直接、全国5カ所で試験を実施し、関西地区は大阪会場で実施された。試験会場を管轄する都道府県は、準備と当日の試験監督への協力が求められ、主担者として5回の国家試験を担当した。
その2度目の国家試験の際、厚生省の課長補佐から「試験会場の借上費用が安い公立の施設を探して欲しい」との要望を受け、府立の校舎を無償で借りる交渉を行い、事細かな条件をつけられながら、堺市内にある府立大学での開催がしばらく続いた。
厚生省直轄の国家試験は、会場準備で多くの時間と労力を費やし、試験の当日は、午前、午後各3時間と休憩時間、解答用紙の確認と厚生省への発送などで丸一日拘束された。
例年10月第一週の日曜日と決まった試験日は、秋の運動会と重なることが多く、仕事最優先の田邊氏は、長男の小学校運動会に一度も行くことができなかった。
 反面、試験準備は厚生省のビル管理担当者と親しくなる機会となり、鎌倉氏、亀川氏など多くの課長補佐や係長と面識を得、国と連携した業務には大いに役立った。
 ビル管理の業界団体は、約400社が加盟する社団法人大阪ビルメンテナンス協会と昭和45年に開催された大阪万国博覧会の会場メンテナンスの遺産を引き継ぐために設立された社団法人関西環境開発センターの2団体があった。また、貯水槽の清掃業者で組織された全国建築物飲料水管理協会大阪支部、ねずみ衛生害虫駆除の業界が設立した社団法人大阪ペストコントロール協会など関連団体とも繋がりが広がった。これら業界主催の新年ご礼会、通常総会、研修会などの催しには担当者として出席する機会が多く、課長の挨拶文や講演・機関誌原稿の作成など、技術職の私にも事務的な文書能力が要求された。
この当時から、業界紙に記事を書くことが増え、講習会講師として派遣依頼も多く、業界若手との交流も頻繁になった。5年の間、一技師に信頼をおき、ビル管理行政を任せていただいた角倉係長には感謝に耐えない。


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