北海道 |
文化遺産データベース |
参考Photo |
|
参考リンク |
鑑賞日記 |
函館市縄文文化交流センター |
![]() |
縄文時代後期の土偶造形の到達点を示すものとして極めて貴重 |
|||
青森 |
|||||
八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 | ![]() |
座った状態で両腕を膝の上に置き、正面で手を合わせ、指を組んだポーズを取っていることから合掌土偶と称されている | 八戸市 | 20170703 合掌土偶 | |
櫛引八幡宮 |
![]() |
装飾された籬菊金物の意匠は精緻を極め、技法は竣功である。その豪華さにおいては、春日大社の竹に雀金物の赤糸威鎧と共に現存甲冑の双璧といえる |
櫛引八幡宮 | 20170703 櫛引八幡_赤絲威鎧 | |
櫛引八幡宮 | ![]() |
紫・薄紫・黄・萌黄・紅糸をもって褄取りを施した白糸の威毛は気品に満ち、全体の形姿も端正で、南北朝時代武将の心ばえがしのばれる名品である | 櫛引八幡宮 | 20170703 櫛引八幡_白絲威鎧 | |
岩手 |
|||||
中尊寺 |
![]() |
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、往時の工芸技術が集約された御堂 | 中尊寺 | 20110815 中尊寺金色堂 | |
中尊寺 |
![]() ![]() |
中尊寺金色堂の堂内壇上に安置される諸像と各壇中尊上に吊される天蓋である。須弥檀の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっている。 | 中尊寺 | 20110815 中尊寺金色堂堂内諸像及天蓋 | |
中尊寺 |
![]() |
天台宗の護国三部経の1つ「金光明最勝王経」を経文の文字で層塔を描いたもの | |||
中尊寺 |
磬とは、古代中国の楽器が仏教に採り入れられたもので、上部の鈕孔に紐を通し、木製の磬架に吊るして打ち鳴らすもの。もと毛越寺千手堂にあったもので「建長二年大歳正月日」の銘がある。中央に大形の優麗な撞座を据え、左右に大きく孔雀文を鋳出 | いわての文化情報大事典 | 20110815 中尊寺讃衡蔵 | ||
中尊寺 |
![]() |
木製、漆塗八角形の壇で、束、上下框、羽目板はすべて沃懸地とし、束には胴部に羯磨文を表した宝珠鈴と宝蓋、上下框には中央に三鈷杵、左右に小花文を螺鈿で表す。この須弥壇にはたぐいない浄土をうつした見事な構成美が示されている | いわての文化情報大事典 | 20110815 中尊寺讃衡蔵 | |
中尊寺 |
![]() |
写真は、金色堂にかけられていた銅製鍍金の華鬘。華鬘とは花輪のこと。団扇形の内側には極楽に咲くといわれる宝相華(ほうそうげ)を透かし彫りにし、中央に総角結びのかざり紐、左右には極楽に飛ぶ人面鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)を彫り起こし、浄土世界を演出している。 | いわての文化情報大事典 | 20110815 中尊寺讃衡蔵 | |
中尊寺 | ![]() |
平塵、螺鈿などの剥落があるものの、これらの優雅な形姿、細部の金具の巧みな技巧や文様に平安時代特有の優れた造形がうかがわれる。 | いわての文化情報大事典 | 20110815 中尊寺讃衡蔵 | |
中尊寺 |
![]() |
紺紙に金泥で書かれた経文で中尊寺経といわれているものである。経の作り方は、わが国写経史上類を見ないものであるとともに、絵画史上においても貴重な資料である。 | いわての文化情報大事典 | 20110815 中尊寺讃衡蔵 | |
宮城 |
|||||
仙台市博物館 | ![]() |
仙台藩主伊達政宗が使節としてスペイン及びローマに派遣した支倉常長が欧州から将来した遺品。常長がローマで受けたローマ市公民権証書(羊皮紙)や油彩の肖像画、当時のローマ教皇の肖像画、キリスト教の祭具など、江戸時代初期の日欧交渉の実態を物語る。常長の没後、仙台藩切支丹改所に保管され、今日まで伝来した。 | 仙台市 | 20180816 仙台市博物館 | |
東北大学 | 菅原道真が勅命を受けて、「日本書記」から「文徳実録」までの六国史の記事を編纂したもので、当時全200巻であったが、いまは僅かに62巻を伝えるだけである。平安時代後期の古写本として極めて貴重である。 | 宮城県 | |||
東北大学 | 奥書に「延久5年大江家國書写点了1とあり、年代が明記された「史記」の写本としては我国最古の貴重なものである。 | 宮城県 | |||
瑞巌寺 |
![]() |
慶長14年(1609)伊達政宗の創建、本堂は書院造で、入母屋造本瓦葺の巨大な屋根を架し、南・北・東の三方に上縁、下縁をめぐらし、10室に画して中央奥に仏間を設けている。外観は簡素な和風手法によっているが、内部の彫刻、彩色、金具、襖絵や貼付絵には絢爛たる桃山建築の世界を表現している。 | 宮城県 | 20110814 瑞巌寺 | |
瑞巌寺 |
![]() |
庫裏は寺務所や台所などの機能をもつ施設である。禅宗寺院の通例と同じく、この庫裏は切妻造・妻入で煙出のある大屋根を架けた形式で、正面妻に桃山風の唐草装飾をつけ,内部の梁組も豪快である。 | 宮城県 | 20110814 瑞巌寺 | |
瑞巌寺 |
![]() |
廊下は本堂と庫裏を結び、東端に玄関が附属している。本堂、庫裏に関係深い建物として重要なものである。 | 宮城県 | 20110814 瑞巌寺 | |
大崎八幡宮 |
慶長12年(1607)伊達政宗によって創建。石の間造(権現造)の典型で、本殿は桁行5間、梁間3間の入母屋造。内外とも漆塗り、胡粉彩色が施され、彫刻、金具で飾られ、建物総体の諧調と相まって絢爛たる雰囲気をかもし出しており、桃山建築の傑作である | 宮城県 | 20180816 大崎八幡宮 | ||
秋田 |
|||||
水神社 |
![]() |
秋田県内唯一の国宝。水神社の御神体で、毎年8月17日の祭典で一般公開。11世紀末頃の白銅の鏡で、14.8cm・厚さ6.6mm・重さ520g。蹴彫り(けりぼり)という細い線をタガネでもって、千手観音を彫り、左に功徳天、右に婆蘇仙の像を刻み、その上方に守護神八体・観音八部衆を巧みな線刻で描いています | 大仙市 | ||
山形 |
|||||
山形県立博物館 | 山形県舟形町西ノ前遺跡の出土品で、縄文時代の土偶造形の一つの到達点を示す優品として代表的な資料であり、学術的価値が極めて高いとされる | 山形県立博物館 | 20170704 山形県立博物館 | ||
山形県 | ![]() |
平安期平将門の建立とされ、慶長十三年(1608)には57万石の出羽山形藩主、最上義光が修造しました。東北地方における唯一の国宝五重塔です | 羽黒町 | 20110817 羽黒山五重塔 | |
上杉博物館 | ![]() |
旧米沢藩主上杉家に伝来した古文書で、南北朝・室町時代の文書を中心に、江戸時代にいたる二千余通を存している | − | 20110815 上杉博物館 | |
上杉博物館 | ![]() |
本図を描いた画家は、両隻に捺された朱文円郭壺形「州信」印を用いた、狩野永徳(一五四三〜一五九〇)であると見做される。筆者の判明する洛中洛外図作例は他にない点で貴重なばかりでなく、筆者が日本絵画史上最も著名な画家のひとりであることが特筆される | − | 20110815 上杉博物館 | |
致道博物館 | ![]() |
内藩酒井家初代忠次が天正12年(1584)徳川・織田信雄と豊臣秀吉の戦い、小牧長久手の戦いで戦功をあげ徳川家康から信房を授けられたものである。日本刀の最も美しい姿の名刀といわれ、糸巻太刀拵えも国宝に指定されている | − | 20180815 致道博物館 | |
致道博物館 | ![]() |
長篠・設楽原の戦いで酒井忠次が鳶の巣山城攻撃で功を遂げた。その後織田・徳川軍が甲斐侵攻、天目山で武田勝頼が自刃滅亡した。信長はその帰途浜松・吉田城に寄り、天正10年3月(1582)それらの戦いで戦功のあった忠次が接待にあたった。その時、織田信長から黄金二百両とこの太刀を拝領した。この糸巻太刀拵も信長から贈られた当時のままで、ともに国宝に指定されている | − | 20180815 致道博物館 | |
福 |
|||||
勝常寺 | ![]() |
地方稀にみる古像で、像高141.8cmケヤキの大材から彫り出してから前後に二つに割り内ぐりをして、剥ぎ合わせている。造形よくととのい刀法もまた整備したもので、奈良朝の作風をのこした平安初期の作とみられる。 薬師堂の本尊であって室町初期の大堂宇とともに、天下に冠たるものがある |
湯川村 | 20180817 勝常寺 | |
龍興寺 | ![]() |
五色の蓮台をえがいた上に、経文を一文字ずつ書きうつした平安時代後期のものと言われています。当時の人々がいかに仏の教えを深く信仰したかをよく表しています。このようにきれいにかざられた経文を荘厳経とよびますが、全国的にもあまりない貴重なものです | 福島県 | ||
願成寺 | ![]() |
白水阿弥陀堂は、永暦元年(1160年)、藤原清衡の娘・徳姫が建立した平安時代末期の阿弥陀堂で、福島県唯一の国宝建造物 | 願成寺 | 20180816 白水阿弥陀堂 |
文化遺産データベース |
参考Photo |
|
参考リンク |
鑑賞日記 |
|
個人蔵 | 寒山図 可翁筆 紙本墨画 1幅 (個人蔵) | ![]() |
寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。 可翁は、14世紀の代表的な水墨画家。元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。 |
ウィキペディア | |
個人蔵 |
太刀 銘来国俊(東京・個人蔵) | ![]() |
来国俊の作で、銘振より見て正応・永仁頃の作と推測される。姿が美しく、優雅な名刀である。 | - | |
個人蔵 | 短刀 銘来国次(東京・個人蔵) | ![]() |
来国次は短刀の作を最も得意とし、太刀は数も少なく短刀ほどに出来たものは少ない。本短刀は同作中最も大振りで刃文も大らかに、沸つき華やかな作風を示し、相州伝の影響が強く感じられる。 | ||
個人蔵 | 刀 無銘則房(東京・個人蔵) | No Image | 大磨上無銘であるが、作風から見ていわゆる片山一文字則房の所伝を首肯すべきものであり、同作中の白眉と称すべき作である。地刃共に健全である。 | - | |
個人蔵 | 短刀 銘備州長船住長重 甲戌(東京・個人蔵) | ![]() |
本阿弥光徳差料と伝え、現在も本阿弥家に 受け継がれるこの短刀は長義の傑作をも凌ぐ出来という。 | - | |
個人蔵 | 太刀 銘貞次(東京・個人蔵) | No Image | 後鳥羽院番鍛冶と伝える備中古青江貞次の作であろう。同作の現存するものは極めて少なく、かつ出来優れ健全であるのは稀有である。同作のみならず、古青江作中の逸品である。 | - | |
個人蔵 | 短刀 銘筑州住左(東京・個人蔵) | No Image | 相州正宗十哲の一人である大左の作である。僅かに磨り上げているが、なおその傑作の一口。筑州住左と書き下して銘することは、太刀の江雪左文字に見るだけで短刀には他に例がない。 | - | |
個人蔵 | 古今和歌集 巻第五(高野切本)(東京・個人蔵) | ![]() |
高野切(こうやぎれ)は、平安時代後期、11世紀に書写された『古今和歌集』の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史、日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である。 | ウィキペディア | |
個人蔵 | 桃鳩図 徽宗筆 絹本著色 1幅 北宋時代)(東京・個人蔵 ) | 宋の皇帝徽宗の筆になると伝えられる中国絵画で、院体画の傑作の一つ | ウィキペディア | ||
個人蔵 | 法華経 巻第八(寿永二年運慶願経)(東京・個人蔵) | ![]() |
仏師として名高い運慶[?〜1223]が寿永2年[1183]に発願し書写せしめた『法華経』。この巻第八の奥書から、一定の法式に則って写経が行われた様子が詳細に知られる。また軸木には、治承4年[1180]平重衝によって焼かれた東大寺の柱の残木を使っており、仏師運慶の事績を知る上でも重要な経巻となっている。 | - | |
個人蔵 | 王勃集 巻第二十八 (東京・個人蔵) | ![]() |
『王勃集』は、初唐の詩人の一人として知られる王勃[647〜75]の詩文集であり、もとは三十巻からなっていたもの。中国では、宋・元時代より散逸してしまい、わが国に伝存している数巻がよく知られている。唐時代の写本として東京国立博物館に所蔵される巻第二十九・第三十とともに国宝に指定されており、数少ない唐時代の詩文集の写本としてその価値は高い。 | - | |
個人蔵 | 法華経(久能寺経)4巻(個人) | ![]() |
本経は鳥羽上皇(1103〜1156)らが結縁して書写した法華経で,久能寺経と通称され,平家納経と並び平安時代後期を代表する装飾経として貴重なも のである。結縁者には女性が多い。料紙には美麗な染紙を用い,金銀箔・砂子などを散らした上に蝶,鳥,蓮華などを彩絵している。 装飾経の中でも出色の出来栄えであり,また現存する久能寺経の中で作成当初 の表紙・見返など原装を伝える唯一のものである。 (平安時代) | H29文化財答申 | 20171115 国宝展W |
個人蔵 | 短刀 銘来国光(名物有楽来国光)(静岡・個人蔵) | ![]() |
親の来国俊には見られない幅廣で沸の強い乱刃の短刀。やや寸法が長く、がっしりとした姿で、地鉄が強く、刃文は激しく、同工の作風をしめしている。織田有楽の愛刀であったことから、有楽来国光の号があり享保名物帳に所載され、長く前田家に伝わったものである。所在不明だったが都内で発見された | − | |
個人蔵 | 短刀 銘高市□住金吾藤貞吉 □亨二二年甲子十一月十八日(名物桑山保昌)(大阪・個人蔵) | ![]() |
大和保昌派は高市郡に住し、鎌倉時代中期の国光に始まる。その子が貞吉で、貞吉の作には、居住地、制作年を記したものが数口ある。本短刀も同様に銘があり、保昌派の典型といえる柾目肌が整然と現れる。また、元から先へ焼幅が広くなり、沸が強く激しさを増す景色が見事である。『享保名物帳』所載、桑山伊賀守元晴が所持していたことから「桑山保昌」の号がある。前田家伝来 |
- |
|
個人蔵 | 短刀 銘国光(大阪・個人蔵) | ![]() |
新藤五国光の作。国光有銘確実のものは割合とあるが、この種の出来のものは会津新藤五を始め二、三を数える。小振りながら内反りで上品な姿であり、ことに刃中の働きは見事である。国光の典型作として貴重である。 |
- |
|
個人蔵 | 短刀 無銘正宗(名物庖丁正宗)(大阪・法人蔵) | ![]() |
庖丁正宗と称される名物の短刀は、三口現存している。いずれも鍛えおよび焼刃は同一人の手法であり、作行きも伯仲している。本作は、剣を透かし彫りにし、鍬形を陰彫とした、極めて珍しい彫刻が施されており、大模様で姿もよく、地・刃ともに健全である。『駿府御分物御道具帳』の中之御脇拵の部には、「ほりぬき正宗」と記載されている。また『享保名物帳』には「尾張之天主より出る」とあるが、これは一時期天守閣に納められていた故に記されたと思われる |
− |
|
個人蔵 | 太刀 銘正恒(大阪・個人蔵) | ![]() |
古備前正恒の作。正恒同名あり、最古のものではないが、平安末期を下らないと見られている。華やかに優れた出来で、健全無比である |
− |
|
個人蔵 | 太刀 銘備前国吉岡住左近将監紀助光 一南无八幡大菩薩 南无妙見大菩薩 元亨二年三月日(大阪・個人蔵) | ![]() |
吉岡一文字助光の作。地刃の出来が優れ、吉岡一文字の中では華やかな一口 |
− |
|
個人蔵 | 薙刀 銘一備州吉岡住左近将監紀助光 元応二年庚申十一月日(大阪・個人蔵) | No Images | 吉岡一文字助光の作。身幅が広く、先が張らない姿は鎌倉時代に流行した薙刀の典型である。鎌倉時代の生ぶの薙刀で現存するものは少なく、また銘文も資料価値がある。加賀前田家伝来 |
− |
|
個人蔵 | 太刀 銘助包(大阪・個人蔵) | No Images | 鎌倉時代の作品 |
− |
|
個人蔵 | 太刀 銘備前国長船住近景 嘉暦二年□月日(大阪・個人蔵) | No Images | 近景は備前長船長光の門と思われる。現存する同作の中でも、嘉暦の年号は古く、かつ大作であり、健全な代表作である |
− |
|
個人蔵 | 太刀 銘守利(大阪・個人蔵) | No Images | 鎌倉時代の作品 |
− |
|
個人蔵 | 刀 金象嵌銘光忠 光徳花押(大阪・個人蔵) | No Images | 備前長船光忠の作と本阿弥光徳が極めたものである。大磨上げであるが、豪壮華麗な作風で、刃文は同作中特に華やかな乱刃であり、光忠の最上作とされる。織田信長の愛刀で、信長から徳川家康に贈られたものと伝え、家康から水戸の徳川頼房に与えられたものである |
− |
|
個人蔵 | 世説新書 巻第六残巻(兵庫・個人蔵) | ![]() |
漢から東晋に至る逸事を収録した,『世説新語』の唐時代の鈔写本である。巻末に「世説新書巻弟六」の尾題があり,宋代以降は『世説新語』の名で流布していたこの書名が,本来は『世説新書』であったことがわかる。本文には平安時代における博士家の乎古止点と訓が朱書きされ,紙背には平安時代末期と推定される『金剛頂蓮花部心念誦儀軌』が書写されている。かつて五人に分割され,現在では二個人・京都国立博物館・東京国立博物館に分蔵されている。東寺観智院伝来,神田家旧蔵。写真・解説は東京国立博物館資料を引用 | ||
個人蔵 |
夜色楼台図 与謝蕪村筆 (兵庫・個人蔵 紙本墨画淡彩 1幅 江戸時代) 説明 | ![]() |
本図は最晩年の作とみられ、大胆な墨の技法による暗い夜空と雪に白く浮かぶ連山や家並との対照などは新鮮な感覚にあふれ、「夜色楼〓雪萬家」の詩意が見事に表現されている | 20150726 MIHO MUSUEM 「蕪村・若冲展」20171115 国宝展W | |
個人蔵 | 源氏物語奥入(藤原定家筆)(京都・個人蔵) | ![]() |
これは藤原定家による源氏物語の注釈本。「大橋本奥入」とよばれる | − | 20171115 国宝展図録より |
個人蔵 | 真草千字文(京都・個人蔵) | ![]() |
京都の小川氏の所蔵。
王羲之父子以降、 |
− | 20171107 国宝展V |
個人蔵 | 太刀 無銘一文字(山鳥毛)(岡山・個人蔵) | No Images | 日光一文字と並ぶ作で、備前一文字派盛期の作風と力を存分に発揮した太刀である。刃文が最も大模様に乱れて刃中の変化に富んだ作である。号は、一説にその刃文が山鳥の羽毛に似ているからというが、他にも説があって明らかでない。上杉謙信および景勝の愛刀として上杉家に伝来したもの。 | - | |
個人蔵 | 山水図 雪舟筆 (倉敷・個人蔵 紙本墨画 1幅) | ![]() |
室町時代の禅僧であり、水墨画家でもある雪舟の晩年の作品です。 岩の上に立つ二本の松を中心に据え、手前には複雑に交差する大小の岩や小径、背後には広々とした湖水や楼閣などが配されています。近景の山や岩に見られる墨のタッチには雪舟の老齢感を感じさせますが、高さを強調した師・周文の構図法を踏襲しつつ、景色や物を明確に表現し幾重にも重ね合わせる画面構成は雪舟ならではのものです | ウィキペディア | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 |
個人蔵 | 宮女図 絹本著色 1幅 元時代 (岡山・個人蔵) |
| 男装した宮廷の女官を描いた一幅。伝来が室町時代まで遡る証拠(鑑蔵印など)は無いものの、『室町殿行幸御餝記』所載の泉殿会所の御北向之御殿に飾られた「御絵 官女一幅舜挙」や、『御物御画目録』(東京国立博物館蔵)の独幅項目にある「官女 舜挙」が本図に当たると推測される。古来より銭選の作品として著名であるが、「銭選之印」白文方印が基準印と異なり、写し崩れとみられる不明瞭な部分も見られることから、元時代に宋時代の院体画を模して制作されたと推測される | ウィキペディア | 20171004 京都国立博物館「国宝展」 |
個人蔵 | 短刀 銘吉光(福岡・株式会社御花) | No Image | 粟田口藤四郎吉光の作で、身幅広く寸の詰まった姿は包丁藤四郎に近く、特殊なものである。地刃最も優れ、かつ健全である。 | − | |
所在不明 | 短刀 銘国光(所在不明) | No Image | 新藤五国光の作で、地刃に特色をよく示し、刃の働きが見事であり、総じて健全である。 | - | |
所在不明 | 太刀 銘吉平(所在不明) | No Image | 吉平は鎌倉中期の福岡一文字派の刀匠である。本太刀はその比類なき傑作と称すべきもので、同派の典型的な作。 | - | |
所在不明 | 刀 金象嵌銘天正十三十二月日江本阿弥磨上之花押 所持稲葉勘右衛門尉(義弘作・名物稲葉江)(所在不明) | No Image | 義弘は、相州正宗十哲の一人で、越中国松倉郷に住み、松倉郷あるいは江(郷の略字という)と呼ばれる。鍛えが細かにつんで精美であり、刃文は明るく冴える。他工に類を見ない特色ある作域と技量は、古来賞美され、かつその彫り物にも時代的特徴が認められる。『埋忠押形』、『享保名物帳』に所載。 | - | |