萬遜樹(まんそんじゅ)ファン(?)のための、読書系「その他いろいろ」エッセイ。不定期刊行で、テーマも歴史、宗教、思想、文学など雑多ですが、内容はいたって萬遜樹的にマジメなものです。立ち読み歓迎!
No.020 2003.09.20 アインシュタインによる「私と宮沢賢治」 ちょっと気が向いて、こんなものを書いてみました。相対性理論のアインシュタインが語る宮沢賢治です。 No.019 2003.05.28 世界内存在としての人間による自然の科学 佐藤文隆京大名誉教授のヒントから認めた一文。かの湯川秀樹も、相対性理論と量子力学の破綻を探究していたそうで…。 No.018 2003.02.02 河合隼雄『中年クライシス』朝日文芸文庫 読書ノート。ただし、書評というよりは読後エッセイ。題して「禅師としての河合隼雄」。中年のご同輩はご一読を。 No.017 2002.10.25 北一輝『支那革命外史 抄』中公文庫 BIBLIO 20世紀 読書ノート。二・二六事件で処刑された北一輝の中国革命論。孫文を批判し、日中同盟を提唱する。 No.016 2002.06.04 原子炉とニッポン仏教の因縁話 「ふげん」と「もんじゅ」とは何か。そう命名した日本人の深層心理と仏教の関係を探る。また、両原発の運命を語ろう。 No.015 2002.01.01 春日若宮御祭参向記---日本人の「夜」について 「天神祭とだんじり」所収の「春日若宮御祭(おんまつり)・雑考」の舞台裏と日本人の「夜」について。 No.014 2001.09.24 鶏林(ケリム)望見(第五回) 第五章「朝鮮の近代、あるいは近代の中の朝鮮」、第六章「言葉足らずの終章」で最終回です。ふう。 No.013 2001.09.08 鶏林(ケリム)望見(第四回) 五百余年続いた李氏朝鮮王朝の青年期について、文治主義・中央集権体制、儒者の党争、倭人と胡人の襲来を採り上げる。 No.012 2001.09.02 鶏林(ケリム)望見(第三回) 三国を統一した新羅、これを承けた高麗と朝鮮の王朝。それは再統合と外寇と党争、そして民衆の涙史であった。 No.011 2001.09.01 鶏林(ケリム)望見(第二回) 「朝鮮民族」の「始まり」について。檀君の「古朝鮮」の意味や、「朝鮮」と「韓」という二つの源を考える。 No.010 2001.08.29 鶏林(ケリム)望見(第一回) 「歴史教科書」問題から浮かんだ問題意識から、「韓国」あるいは「朝鮮」の歴史についていろいろ考えてみようという連作エッセイ。 No.009 2001.07.17 インターネット時代の著作権---デジタル複製技術と「オリジナル」の運命 ベンヤミンが評価したアナログ複製技術はいまやデジタル複製技術へと跳躍し、それはポストモダンの扉を開いた。 No.008 2001.01.06 永竹由幸『オペラと歌舞伎』丸善ライブラリー 読書ノートから。双子の国民的享楽「オペラと歌舞伎」の誕生と半生。そして、その「芸」にエネルギーを蕩尽した国家の運命。 No.007 2000.10.01 「ニッポン民俗学/歌舞伎『勧進帳』に『天皇制』を読む」への(補足ではない独立した追記) No.006 2000.09.24 インテルメッツォ 「ニッポン民俗学」の余録。シドニー・オリンピックの日本サッカー敗退を受けての一省察。 No.005 2000.09.16 こんな晩に… コワイお話です。ここから何が飛び出すかは、これからのお楽しみに…。 No.004 2000.09.09 フォレスト・カーター『リトル・トリー』めるくまーる 読書ノートから。本当にインスピレーション豊かな書物とは、書評をどこまでもすり抜けてゆく。たとえば、この本がそうだ。 No.003 2000.09.03 富岡幸一郎『使徒的人間--カール・バルト』講談社 読書ノート。「20世紀の落雷」カール・バルトとは何者か。その形容しがたい衝撃を詩の形に記してみた。 No.002 2000.08.27 松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』ちくま新書 読書ノート。「ユダヤ」は「グローバル・スタンダード」の陰謀だった。裏のまた裏を読んで、日本のナショナリズムを守る? No.001 2000.08.20 一橋文哉『オウム帝国の正体』新潮社 読書ノート。オウムは一つの「客」にすぎなかった。現代日本の暗黒「ビジネス」の構造を学ぼう。 No.000 2000.06.28 創刊記念号 ユングによる「宮沢賢治とグノーシス」 ユングが賢治を語ればどうなるのか。萬遜樹が渾身の筆で書き下ろした霊夢としての、ユングによる「宮沢賢治とグノーシス」論。