奈良国立博物館  あいうえお順 )  

奈良

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鑑賞日記

奈良国立博物館 十一面観音像 (奈良国立博物館 絹本著色 1幅 平安時代) 本像の特色は顔を斜め向きに表現していることと、肉身に強い隈取りが施されていることである。前者に関しては、平安時代後期の図像集『別尊雑記』に掲載されている像と合致するものの、正面向きに表されることが一般的な仏画遺品のなかにあって特異な位置を占める 奈良国立博物館 20171107 国宝展V
奈良国立博物館 越中国射水郡鳴戸村墾田図(奈良国立博物館) この麻布製の図は、越中国射水郡(現在の富山県北西部)にあった東大寺領荘園の範囲と面積を示したものである。横長の画面の中央には、条里を示す碁盤目状の区画が大きく描かれ、一つ一つの区画には墾田と未墾地(野)の面積が記されている 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 地獄草紙 (奈良国立博物館 紙本著色 1巻 平安時代) 詞6段、絵7段よりなる絵巻で、尿糞地獄、亟量地獄、鉄磑地獄、鶏地獄、黒雲沙地獄、膿血地獄、虎狼地獄の7処を描く。活達な画風で、絵仏師系統の画家の手になるものと推定される。餓鬼草紙や病草紙と並ぶ六道絵の名品。(縦26.1p 全長434.5p) 奈良国立博物館 20170728 源信展

20171004 京都国立博物館「国宝展」

奈良国立博物館 辟邪絵 (奈良国立博物館 紙本著色 5幅 平安時代) 現在は五点の掛幅となっているが、もとはこれだけで一巻をなす絵巻であり、地獄草紙の一本とされていた。しかし内容は、地獄に堕ちた罪人たちの責苦ではなく、むしろ人間を害する疫鬼や鬼神を懲らしめ追払うとして中国で信仰された辟邪神を集めたものであり、天刑星・栴檀乾闥婆・神虫・鍾馗・毘沙門天の各神が、疫鬼共を傷つけあるいは食らうという凄惨な場面が一貫して描かれる 奈良国立博物館 20160505 奈良国立博物館 「信貴山縁起絵巻展」

20170728 源信展

奈良国立博物館 山水図(水色巒光図) (伝周文 筆、奈良国立博物館 紙本墨画淡彩 1幅 室町時代) この図は、一時代を画した周文が姿を消し、雪舟が育とうとしている日本水墨画界の重要な転回点を象徴する傑作である 奈良国立博物館 20171107 国宝展V
奈良国立博物館 伝教大師筆尺牘(弘仁四年(813年)11月25日)(奈良国立博物館) 尺牘は、手紙のことで、これは天台宗を開かれた伝教大師最澄の、現存する唯一の直筆のお手紙。弘仁4年(813)の日付があり、内容は、当時高雄山寺(神護寺)の弘法大師空海のもとにいた、かつての愛弟子泰範に宛てたもので、ある経典の内容を空海に聞いてほしいといいうもの。本文3行目の「大阿闍梨」が空海のこと 奈良国立博物館 20171017 国宝展U
奈良国立博物館 木造薬師如来坐像(奈良国立博物館) 両手先以外の本体と台座の蓮肉までを,檜あるいは榧の一材を用いて造った一木造りの彫像。奥行のある重厚な像で,顔の目鼻立ちや着衣の襞の彫り口は鋭く,平安初期彫刻の特色が顕著に見られる。もと京都の東山山麓の若王子社に伝来したものと伝えられる 奈良国立博物館

20160505 奈良国立博物館(仏像館)

20171004 京都国立博物館「国宝展」

奈良国立博物館 蓮唐草蒔絵経箱(奈良国立博物館) 文様の配置は、蓋甲では中央と四隅、蓋の各側面の中央に蓮唐草文を置くように規則性があり、対称的に整理された文様構成が好まれた奈良時代から平安前期にかけての工芸品の伝統を受けついでいる。それに対し、蓋裏は淡い平塵地に蝶を不規則に散らしており、散らし文が好まれた平安後期の工芸品らしさを見ることができる。身の長側面には精緻な金工技法による金銅製蓮華様の対葉花文をかたどった透彫りの紐金具をつけている。平安時代、貴族たちによって平家納経に代表される豪華で優美な荘厳を具えた経典が写されたが、本品はこのような装飾経を納める経箱として制作されたものであろう 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 刺繍釈迦如来説法図(奈良国立博物館) 奈良・中宮寺の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)とともに、わが国上代刺繍の双壁をなす。奈良時代の寺院の縁起類が伝えるように、この時代には高さ2丈や3丈の繍仏の大作が作られ堂宇に奉懸されたが、本品は往時を知る貴重な遺品である 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 牛皮華鬘 13枚(奈良国立博物館) 華鬘は仏殿内陣の長押(なげし)などに懸けられた荘厳具(しょうごんぐ)で、起源は古代インドにおいて貴人に捧げられた生花で作られたレイのような花輪であると言われる。本品は京都・東寺旧蔵の牛皮(ごひ)製、団扇形の華鬘で、現在本品を含め13枚と残片が当館に所蔵されている 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 紫紙金字金光明最勝王経 10巻(奈良国立博物館) 聖武天皇の命により国ごとに塔を建てて安置した、いわゆる国分寺経の遺巻。紫紙に金字で書写された天平写経の逸品で、唐風の謹厳な書体になる。天平14年(742)から19年頃の書写で、十巻完備する点も貴重。広島県西国寺伝来 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 金剛般若経開題残巻(弘法大師筆)(三十八行)(奈良国立博物館) 空海(弘法大師、774〜835)が、義浄訳『能断金剛般若経』を密教の立場から解釈したもの。文中には加筆訂正の跡が著しく、空海の自筆草稿本であることを明らかにしている。文字の運筆は鋭くかつ軽妙で、空海の草書の面目をよく伝えている 奈良国立博物館  
奈良国立博物館 日本書紀 巻第十残巻(奈良国立博物館) 養老4年(720)に完成した『日本書紀』30巻は、わが国最古の勅撰の国史で、いわゆる六国史の最初に当たる歴史書である。神代から持統天皇の時代までの出来事を、漢文により編年体で記している。『日本書紀』はきわめて重要視され、すぐれた写本も少なくないが、本巻が現存する最古の写本である 奈良国立博物館  

あいうえお順

秋篠寺 秋篠寺本堂  本堂の建立経緯については不詳であるが、構造・手法から鎌倉時代に建てられたと考えられ、当初伽藍の講堂の跡地に位置している。平面は古代の形態を踏襲した復古調であるが、内法貫で軸部の構造強化が図られ、大仏様の影響が認められる。軒の組物は平三斗、緩やかな屋根勾配にした簡潔な意匠にまとめられた建物である。 奈良県国宝マップ 20120722 秋篠寺

安部文殊院

木造騎獅文殊菩薩及脇侍像 快慶作 4躯(奈良・文殊院) 建仁3年(1203)〜承久2年(1220)に快慶が造った、中国五台山を舞台とした文殊説話を主題とする群像。文殊の壮麗で生気に富んだ姿は、快慶壮年期の作風を示す。東大寺大仏の再興事業に関連し俊乗坊重源の構想による記念碑的造像である 文殊院 20160128 安部文珠院

石上神宮

石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿  天理市杣之内に所在した内山永久寺鎮守住吉神社拝殿を大正3年(1914)に石上神宮へ移築したものである。拝殿は中央に馬道を配する割拝殿の形式で、正安2年(1300)の建立と考えられている。細長く住宅風の建物の中で、馬道と向唐破風の屋根、所々に備えられた本蟇股は簡素な意匠の拝殿のなかで、重要な装飾要素となっている。 奈良県国宝マップ 20170101 石上神宮

20171018 石上神宮

石上神宮

石上神宮拝殿  拝殿は鎮魂祭のため白河天皇が永保元年(1081)に神嘉殿を移築して拝殿にしたと伝える。平面は側面中央二間を両端間より狭くする平安時代の平面計画に通じる手法が用いられているが、桟唐戸、飛貫、大仏様木鼻の使用、肘木の曲線から鎌倉時代の建立と考えられる。平面や桟唐戸の使用は仏堂に通じる要素であり、他社の拝殿とは少し趣の異なった拝殿である。 奈良県国宝マップ 20170101 石上神宮

20171018 石上神宮

石上神宮

七支刀 (石上神宮 古墳時代) 鉄製で、剣身の左右に三つの枝刃を段違いに造りだした特異な姿で、棟には金象嵌の銘文がある。東晋の泰和(太和)4年(369)に造られたもので、『日本書紀』神功皇后52年(372)に記される百済王が貢上した「七枝刀(ななつさやのたち)」に該当すると考えられる 奈良県国宝マップ 20170101 石上神宮

20171018 石上神宮

宇陀水分神社

宇太水分神社本殿 3棟  水分とは水配りの意であり、農耕に深い関わりがある神を祀る神社本殿である。本殿は同一規模の一間社隅木入春日造の社殿3棟を横一列に並べる。本殿間には繋ぎ塀が無く、独立した形式となる。柱上の組物は出組にして、軒支輪を付け、社殿全体に極彩色が施され、鮮やかである。本殿は元応2年(1320)に上棟され、この種の社殿の基準作といえる。 奈良県国宝マップ 20120624 大宇陀
栄山寺

(五條市)

栄山寺八角堂 天平宝字7年(763)、藤原仲麻呂が父武知麻呂の供養のために建立したと伝える。平面は八角形、側柱は正八角形に立てられているが、入側柱は正方形に立てられ、側柱と入側柱は繋虹梁で繋がれている。、入側柱筋の飛貫は正方形の格天井様の天蓋を受け、入側柱、飛貫、天蓋には極彩色が施されている。この建物の特異性は平面計画と架構計画にあり、巧みな構法で八角の屋根を形作っている 奈良県国宝マップ 20170404 栄山寺
栄山寺

(五條市)

梵鐘 道澄寺、延喜十七年十一月三日在銘(栄山寺) 旧深草道澄寺の鐘で、神護寺鐘と双璧をなす銘を有するものとして古くより知られる。銘文は選者を菅原道真、筆者を小野道風と伝える説があるが、延喜十七年に道真は既になく、書体は道風より古様であると言われる文章、書風は堂々として風格があり、鐘自体の形姿、作技の優れた名鐘である 奈良県国宝マップ 20170404 栄山寺
 

円成寺

圓成寺春日堂 圓成寺の鎮守として春日大明神、白山大権現を祀っていたが、明治以降、春日堂、白山堂と呼ばれるようになった。春日堂・白山堂は小規模な一間社春日造、檜皮葺の社殿2棟を東西に並べ、その間を板袖壁で繋いでいる。社殿はいずれも鎌倉時代初期の建立と考えられ、春日造の社殿としては最古のもので、春日造社殿の連棟形式を考えるうえで重要な遺構である 奈良県国宝マップ 20120310 円成寺

円成寺

圓成寺白山堂 圓成寺の鎮守として春日大明神、白山大権現を祀っていたが、明治以降、春日堂、白山堂と呼ばれるようになった。春日堂・白山堂は小規模な一間社春日造、檜皮葺の社殿2棟を東西に並べ、その間を板袖壁で繋いでいる。社殿はいずれも鎌倉時代初期の建立と考えられ、春日造の社殿としては最古のもので、春日造社殿の連棟形式を考えるうえで重要な遺構である 奈良県国宝マップ 20120310 円成寺
円成寺 木造大日如来坐像 運慶作(円成寺) 本像は大正九年に旧国宝に指定され、運慶の現存する最初の遺作として既に著名な作品である。智拳印を結ぶ金剛界大日如来像で、檜材の寄木造、玉眼嵌入、漆箔仕上げになる 奈良県国宝マップ 20120310 円成寺
岡寺 木心乾漆義淵僧正坐像(岡寺) 義淵は岡寺の開基で奈良時代の法相宗の学僧。まなじりを下げた異国的な風貌は独特で、老僧らしく肋骨をあらわにするが、体格はよく安定感がある。木心乾漆造になる奈良時代後半の作で、我が国の初期肖像彫刻の代表作である。 奈良県国宝マップ  
海龍王寺 海龍王寺五重小塔 西金堂に納められている小塔の制作経緯については不詳である。外部は実際の五重塔と同じように忠実に制作されている。内部は初重に折上組入れ天井をはるものの、柱を省略して一つの空間にして、一説には教典や舎利を納めていたとの考えがある。軒廻りの組物様式は薬師寺東塔に類似するが少し発達しており、奈良時代の建築様式を知る重要な塔である 奈良県国宝マップ 20120128 海龍王寺
橿原考古学研究所附属博物館 奈良県藤ノ木古墳出土品 (文化庁、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館保管 古墳時代) 奈良県法隆寺の西約三五〇メートルに所在する藤ノ木古墳から出土したもの。古墳時代後期の円墳から出土した副葬品の一括。横穴式石室に安置された石棺の内外から出土したおびただしい量の馬具類、玉類、刀剣類。特に動物意匠やガラス象嵌の装飾が施された金銅装金具等の金銅製品は保存も良く貴重である 奈良県国宝マップ 20171011 藤ノ木古墳出土品

春日大社

春日大社本社 4棟-1 春日大社の本殿形式は「春日造」とよばれ、日本の神社建築の形式として広く分布している。この建築は文久三年(一八六三)のものであるが、式年造替によってよく古い形が守られている。春日造の代表例として指定された 奈良県国宝マップ  20150516 春日大社
春日大社 赤絲威鎧(兜、大袖付)(春日大社) 鎧の時代が頂点に達し、実用から遠ざかって威儀化した鎌倉時代末期の特色が著しいが、櫛引八幡宮の赤糸威鎧と共に、豪華を極めた装飾金物で著名な一領である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

赤絲威鎧(兜、大袖付)(春日大社) 本鎧は、八双鋲と水呑緒の鐶に入八双の座と笄金物がつき、栴檀、鳩尾板が狭小で、金具廻りの花先形が緊緻な様相をしめしていることなどから、鎌倉時代後期に属するものと推定されている。総体に、技法が精巧緻密を極め、鍍金透彫金物における図様配置の巧妙さと前立の獅噛の技法などは当代彫金技法の精華を尽くした荘重華麗な一領である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 黒韋威矢筈札胴丸(兜、大袖付)(春日大社) 胴丸に兜と大袖を具足したのは、鎌倉末期頃からと推定される。南北朝時代以前の胴丸は大山祇神社に一領存するに過ぎない。随所に胴丸独特の古式が示され、鎌倉時代の様式が強く残り、室町時代に定型化する胴丸形式の前駆的な作といえる 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

黒韋威胴丸

春日大社の黒韋威胴丸(兜鉢高12・5センチ、胴高31センチ、大袖高41・3センチ)は、南朝方の武将楠木正成が奉納したと伝わる室町時代最初期の胴丸の代表作とされる。 平成26年度に行われた修理の際、作られた当時の韋緒(かわお)や組紐(くみひも)がほぼ完全に残っていることが判明。金属の飾りなどの保存状態も非常に良く、当時の甲冑の姿を知る資料としても価値が高い

奈良新聞 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 籠手(春日大社) 元は興福寺勧修坊に、その後に春日御蔵唐院に伝来した籠手で、源義経所用と伝え義経籠手として著名である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

本宮御料古神宝類 一括(春日大社) 本宮古神宝類は各殿に奉安された神宝の徹下品で、整理された一群である。『三代実録』に記されるように、鎮座当時から御神宝類は奉献されていた。『延喜式祝詞』にも、春日祭に調度品や装束などが奉献された名目が記され、治安元年(1021)には、奉献神宝の目録が見える 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 若宮御料古神宝類 一括(春日大社) 蒔絵弓、平胡籙、金銅尖矢は、千鳥毛文書の記事から右大将藤原頼長の献進した神宝であることが知られる 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

金装花押散兵庫鎖太刀(中身無銘 貞治四年の年紀がある)(春日大社) 柄、鞘ともに鑢地の鍍金銀板で包んだ特殊な兵庫鎖太刀。墨書の花押は足利一門のものとみられ、社伝では義満奉納とする。刀身も備前兼光一派の刀工の手になる優品である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 金地螺鈿毛抜形太刀(春日大社) 柄は身の茎に毛抜形を透彫りし、魚々子地に蝶鳥文を配した宝相華唐草を彫り上げ、鍍金地板を伏せ、冑金と覆輪を懸ける。種々の材質と技法を巧に駆使して絵画的文様を表現した豪華で精巧な作である。刀装具としてだけではなく、漆工史上も極めて価値が高い 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

菱作打刀(中身無銘)(春日大社) 付属の箱の墨書より、至徳2年(1385)に葉室長宗によって奉納されたことが知られる。室町時代から太刀に代わって用いられ、後に大小刀の大刀に発展する。打刀の先駆をなすもの。黒漆地に金蒔絵で四目菱紋を描いた柄・鞘は優れた意匠をみせる。刀身は、平安時代に遡るものと鑑定される 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 沃懸地獅子文毛抜形太刀(中身無銘)(春日大社) 柄の中央に毛抜形の長目貫を据えた、毛抜形太刀で、金沃懸地(金粉を密に蒔きつめた金地)の鞘に獅子をあらわす。保存のよい鎌倉時代初期の優品である。刀身も無銘ながら同時期の生ぶな名品である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿

春日大社

沃懸地酢漿平文兵庫鎖太刀(中身無銘)(春日大社) 沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀とほとんど同様のもので、同時期に製作されたものとみられる。ただし細部は異なり、酢漿紋は平文の技法であらわされている。刀身も無銘ながら生ぶな鎌倉初期の名品である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
春日大社 沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀(中身無銘)(春日大社) 鎌倉時代に流行した兵庫鎖太刀で、三条の鎖を併せて足金物を付ける。鎖の中央部に酢漿紋を透彫りした銀金具を据え、鞘は漆地に金粉を蒔き詰めた沃懸地にかたばみの花を書き割りで表す。この種の太刀拵の中では時代が古く優秀な作である 奈良県国宝マップ 20161029 春日大社国宝殿
元興寺 元興寺極楽坊五重小塔  一説に元興寺五重塔の十分の一模型と伝えられているが、外部ばかりではなく内部まで忠実に造られており、単なる建築雛形とは断定しがたい。各層とも三間で、各柱間寸法を同一にする平面は、古代の塔では類例がなく、細部には、奈良時代初期の建築技法が見られ、奈良時代の五重塔を知ることのできる貴重な存在である。 奈良県国宝マップ 20101128 元興寺
元興寺 元興寺極楽坊禅室  極楽堂の西側に立つ細長い建物で、東室南階大房の馬道西方の4房分を鎌倉時代に再度僧房として改修された建物である。僧房は僧侶の生活の場であるため、時代の移り変わりに応じて間取りが改変され、部材には多数の痕跡が見られ、昭和25年の修理で奈良時代や鎌倉時代の僧房の平面が明らかになった。外観は鎌倉時代の僧房として復原され、随所に大仏様の手法が見られる。内部は鎌倉時代の間取りに復原された西端間を除き、一室となっている。 奈良県国宝マップ 20101128 元興寺
元興寺 元興寺極楽坊本堂  元興寺極楽坊は元興寺僧房のうち東室南階大房の一部が浄土信仰の隆盛に伴って独立寺院に成ったものである。極楽堂は東室南階大房馬道東方3房分を寛元2年(1244)に、和様に大仏様を多用して仏堂に造り替えられたものである。外観は寄棟造で本瓦葺であるが、仏堂としては珍しい妻入りで、屋根の一部には行基瓦という法興寺から運ばれてきた飛鳥時代の瓦を用いている。平面は正方形に近く、内陣の廻りを念仏を唱えながら回れるようになっており、内陣部分は僧房時代の柱間を踏襲している。 奈良県国宝マップ 20101128 元興寺
元興寺 木造薬師如来立像(元興寺) 平安初期一木造りの代表作で、像本体を一材から彫出し、金箔・彩色は施さず素地のままに仕上げる。面貌は剛健で体つきは横幅があり重厚である。彫り深く、襞数多く刻まれた翻波式衣文に特色がある。 奈良県国宝マップ

20101128 元興寺

20160505 奈良国立博物館(仏像館)20180503 東京国立博物館

キトラ古墳壁画体験館「四神の館」 キトラ古墳壁画 五面 奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳の石室壁画。四方の壁と天井をあわせた壁画の全 体構想が判明する点が極めて貴重で、とくに高松塚古墳では滅失している南壁の朱雀が 良好な状態で残っていることが特筆される。天井の天文図も東アジアにおける最古例と して貴重なもので、高松塚古墳壁画(国宝)と並んで我が国の古代絵画史を考える上で 不可欠な作例である。 (飛鳥時代) キトラ古墳壁画体験館「四神の館」 20161027 キトラ古墳
金峯山寺 金峯山寺二王門  二王門は南面する本堂に背を向けて建ち、吉野からの大峰入峰者を金峯山寺へ迎えるため仁王像が造立された延元3年(1338)頃に建立され、康正2年(1456)頃に上層が付加されたか改修されたと考えられている。この門は純和様で造られた装飾性の少ない建物であるが、修験道の中心寺院に相応しい畏怖堂々とした門で、全体的に均整がとれた室町時代の好建築である 奈良県国宝マップ 20100926 金峯山寺
金峯山寺 金峯山寺本堂(蔵王堂)  吉野の藏王堂として有名なもので、室町時代中期の作。東大寺大仏殿に次ぐ大建築である。金峯山寺は吉野山の高位置にある台地を削り、伽藍を開いている。本堂は大峰信仰修験道における山下伽藍の中心的仏堂で、天正16年(1588)豊臣秀吉の援助を得て再建された。本堂は巨大な蔵王権現を祀る厨子を納める必要性から高さ30mに及ぶ大規模な建物である。外観は重層に見せた屋根を檜皮で葺くことで各部の線を明確かつ柔らかく見せ、正面からしか眺めることのできない立地条件を考慮して、正面裳階の吹放しで奥行を感じさせ、正面に装飾性の強い部材を配している。内部は太い長い柱を林立させて天井を高くし、迫力のある幻想的な空間を創り出している。参拝者の動線や目線を本尊へ巧みに導くように計画した建築である。 奈良県国宝マップ 20100926 金峯山寺
金峯山寺 大和国金峯山経塚出土品 (金峯山寺 1007年) 元禄4年(1691)に金峯山経塚から出土し伝世したとされる。金銀鍍双鳥宝相華文経箱、金銅経箱2合、紺紙金字経残闕、経軸からなる。藤原道長経筒(国宝)と一連のもので、装飾性の高いこの期の経塚遺物中の代表作。(金銀鍍双鳥宝相華文経箱16.1×32.3×15.6p) 奈良県国宝マップ 20171004 京都国立博物館「国宝展」
金峯神社 金銅藤原道長経筒 (金峯神社 1007年) 金峯山経塚からの出土品とされる。筒のまわりに刻まれた24行511字の銘文によって、寛弘4年(1007)に藤原道長が自ら書写した経巻を銅筺に納めて埋納した経緯が知られる。底に刻まれる「伴延助」は作者とみられ、在銘経筒としては最古の優品である。(高36.1p) 奈良県国宝マップ 20171107 国宝展V
興福寺 興福寺五重塔 天平2年(730)、光明皇后の発願によって創建されたが、度重なる罹災によって焼失・再建を繰り返し、現在の五重塔は応永33年(1426)に完成した6代目の塔である。塔の高さは京都・教王護国寺の五重塔に次ぐ50.1mあり、我が国第2位の高さで、大規模な塔である。塔の再建は、全体的に古式な形式を踏襲しながらも新しい技法が取り入れられ、木太い良質な材料を用い構造強化を図っている 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 境内

興福寺

興福寺三重塔  南円堂の南西に建つ三重塔は、康治2年(1143)に創建されたが、治承4年に焼失した。現在の塔はその後に再建されたものであるが、その時期は不明である。この塔は初重に縁を廻らし、二重目、三重目に比べて一回り大きい平面で計画されているが、各層の低減率は一定にしている。軒の組物は初重と二重・三重で異なった形式にし、同一境内にある五重塔に比べると部材が細く、繊細で類例の少ない意匠にまとめている 奈良県国宝マップ 20161029 興福寺境内
興福寺 興福寺東金堂  東金堂は聖武天皇が元正上皇の病気平癒を祈願して造立した薬師三尊像の安置仏堂として建立されたが、以後5度の罹災にあい、現堂は6代目の建物である。東金堂は創建当初の規模・形式をほぼ踏襲しているが、構造は室町時代の発達した技法が随所に用いられている。柱長さをすべて同じにする手法は法隆寺金堂と同じで、仏堂として類例が少ない。軒の出は深く、勾配の急な屋根は重量感を感じさせるが、柱間に比べて柱長さを長くしているため、建物全体としてはむしろ軽快な印象を受ける 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺境内

興福寺 興福寺北円堂  北円堂は藤原不比等の供養のために不比等の1周忌にあたる養老5年(721)に創建された。現在の堂は承元4年(1210)に再建され、創建建物から3代目に当たる。創建時の規模を踏襲した八角円堂で、柱は円柱、軒は垂木を3段に持ち出す三軒にして、和様を基調にした建物で、見え隠れ部の細部に大仏様を加えた鎌倉時代初期の代表作である。 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂

20161029 興福寺 北円堂

興福寺

興福寺金堂鎮壇具 (興福寺 奈良時代) 明治17年に発掘された中金堂創建期の鎮壇具。供養具、刀剣、貨幣、鏡など千数百点にのぼる。その種類の豊富さと豪華さは他に類をみない。大部分は国有に帰し、寺には銀製鍍金唐花文腕や水晶玉など5種類21点が蔵される。 奈良県国宝マップ 20161029 興福寺 国宝館
興福寺 乾漆八部衆立像(内一躯下半身欠失)(興福寺) 十大弟子とともに西金堂に伝わった。8躯のうち五部浄のみ下半身を失う。八部衆とは『法華経』などに説かれる仏法の守護神で、阿修羅像はなかでも名高い。十大弟子同様に繊細な造形をみせる。表面の彩色は鎌倉時代の補彩である。 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 乾漆十大弟子立像 6躯(興福寺) 天平6年(734)、光明皇后が建立した西金堂に、釈迦を中心に八部衆像などとともにまつられていた。10躯のうち4躯は失われ、現在6躯が伝わる。脱活乾漆の技法になり、細身で動きの少ない穏やかな姿態に特徴がある 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺

銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊)(興福寺) 天武14年(685)に造立された山田寺講堂の本尊。興福寺が鎌倉復興期に東金堂の本尊として迎えたが、室町時代に被災し頭部のみが現存する。目鼻立ちの整った若々しい表情に時代性がよくあらわれている。破損箇所から鋳造技法がうかがえる点も貴重である 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 板彫十二神将立像(興福寺) それぞれヒノキの1枚板から浮き彫りし、彩色を施す。誇張されたユーモラスな姿態が特徴的で、巧みな構図と質感表現で立体感を表す。本来は仏像の台座にはめ込まれていたものとみられ、元興寺伝来とする説もある 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 木造金剛力士立像 2躯(興福寺)

門ではなく、西金堂の須弥壇上にまつられていた等身大の仁王像。力強い生気に満ちた表現に特徴がある。寄木造り彩色仕上げの像で、文様もよく残る。運慶の兄弟子、成朝の作とする説がある 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺

木造天燈鬼・竜燈鬼立像(興福寺) 竜燈鬼は建保3年(1215)、運慶の三男である法橋康弁の作。天燈鬼は朱色で開口し、動勢を示す一方、竜燈鬼は青色で閉口し、静態とする。寄木造りだが、眉に銅板、牙に水晶、龍の背鰭に革など、多彩な素材を用いている 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 木造千手観音立像(旧食堂安置)(興福寺) 鎌倉初期の南都復興の最後を飾る木彫の巨像で、明治初年まで興福寺食堂の本尊であったが、現在は新収蔵庫の中央に安置されている 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 木造文殊菩薩坐像(所在東金堂)(興福寺) 維摩像と対をなす像で、定慶によって製作されたと推定される。甲を着けて袈裟をまとうのは文殊菩薩の姿としては珍しく、台座に獅子をあらわすのも新様である。維摩とは対照的な若々しく張りのある表現が印象的である。 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

興福寺

木造維摩居士坐像(定慶作、所在東金堂)(興福寺) 東金堂に文殊菩薩像と対でまつられ、病の維摩とそれを見舞う文殊との問答という維摩経に基づく場面をあらわす。像内の銘文から、建久7年(1196)に仏師定慶が製作したことが知られる。写実的な面貌と宋風の台座・後屏に特色がみられる 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺
興福寺 木造四天王立像(所在東金堂)(興福寺) 東金堂に伝わる等身大の像。頭頂から岩座にいたるまで、一木から彫出し、内刳りはせず、細部の仕上げに乾漆を併用する。肥満した童子のような体型に平安初期の特色が顕著である。表面には截金を交えた緻密な彩色文様が施される 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺
興福寺 木造十二神将立像(所在東金堂)(興福寺) 銘文より、建永2年(1207)頃に製作されたことが知られる。激しい動勢を示す点に、鎌倉時代の十二神将像の特色がよくあらわれている。12躯が全てそろい彩色もよく残るなど保存がよいことも特筆される 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

興福寺

木造不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂安置)(興福寺) 運慶の父、康慶により文治5年(1185)に復興造立された像。瞳にだけ水晶を嵌める技法や、量感のある体躯、自然な衣の表現などは、焼失前の古像の姿を意識したものとみられる。鎌倉彫刻の劈頭を飾る大作である 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂
興福寺 木造法相六祖坐像 康慶作(所在南円堂)(興福寺) 法相宗の六人の高僧の肖像彫刻。文治4年(1188)に始まる南円堂の復興造営に参加した康慶(運慶の父)一門による造像。表情や姿勢を誇張した表現で個性的に造り分けている。写実的な鎌倉肖像彫刻の誕生を告げる作品 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂
興福寺 木造四天王立像(所在南円堂)(興福寺) 南円堂にまつられ、かつては本尊不空羂索観音像とともに康慶一門の作になる像と考えられてきたが、近年、それとは別の像であることが明らかとなり、躍動感のある作風から定慶作の東金堂像とみる説や、カツラ材であることから運慶作の北円堂像とみる説などがある。 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂

興福寺

木造弥勒仏坐像 運慶作(北円堂安置)(興福寺) 北円堂の本尊で、無著・世親像とともに運慶一門によって建暦2年(1212)に造立された。運慶晩年の成熟した作風がうかがえる鎌倉彫刻の一到達点を示す作例。カツラ材の寄木造りで漆箔仕上げとし、像内には願文や宝篋印陀羅尼などを納める 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂

20161029 興福寺 北円堂

興福寺 木造無著菩薩・世親菩薩立像 運慶作(所在北円堂)(興福寺) 無著・世親は5世紀頃のインドの法相宗の高僧。北円堂の像は運慶一門の手になる我が国の肖像彫刻の傑作で、落ち着きのある兄の無著と、意志的な弟の世親の人となりを巧みに造り分けている。カツラ材寄木造り、彩色仕上げで玉眼を嵌入する 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂

20161029 興福寺 北円堂

興福寺 木心乾漆四天王立像(所在北円堂)(興福寺) 北円堂に安置されるが、もと大安寺の像で、延暦10年(791)に造立され、弘安8年(1285)に興福寺の僧経源によって修理された。木彫像に乾漆を盛り付けて細部を仕上げている。大げさな身振りと表情には、躍動感とともに諧謔味が感じられる 奈良県国宝マップ 20130518 南円堂と北円堂20161029 興福寺 北円堂
興福寺 木造四天王立像 長く興福寺の中金堂に安置されてきた四天王だが,本来は文治5年(1189)完成の南円堂の像として造られたものであることが判明している。先般東京国立博物館で開催された運慶展の終了後,この像は本来安置されていた南円堂に再び戻 ることとなった。それを一つの契機としてこのたび,南円堂の仏像の中で唯一国宝 となっていないこの像を国宝に指定する。(鎌倉時代) H30文化財答申 20180503 東京国立博物館

興福寺

梵鐘 神亀四年十二月十一日鋳在銘(興福寺) 奈良時代の梵鐘で銘文を有するものは、妙心寺鐘、劔神社鐘と本鐘の三口である。全体に装飾性が少なく、妙心寺鐘の系統をひく竜頭の鐘身に対してやや小振りにみえる。総じて形姿は優れ、鋳上がりも美しく、雄大荘重な名鐘である 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 華原磬(興福寺) この磬架は、形状手法とも傑出すいた作で、未だに他に類を見ない。古くから興福寺西金堂で用いられていた梵音具で、当初は金鼓と呼ばれていたが、いつの頃からか華原磬と称されている 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺

金銅燈籠(興福寺) 鋳銅の円形燈籠で、台・基礎・竿・中台・火袋・笠などを別鋳してつくり、火袋と中台には鍍金を施している。現存する四枚の羽目板に鋳出された銘文は橘逸勢の筆と伝えられる。現在この燈籠は興福寺の宝物収蔵庫に収められている 奈良県国宝マップ 20100918 興福寺

20161029 興福寺 国宝館

興福寺 日本霊異記 上巻(興福寺) 日本霊異記は薬師寺の僧景戒が弘仁13年(822)頃にまとめた仏教説話集。興福寺に伝わるのは全3巻の上巻のみだが、日本霊異記の最古の写本で、延喜4年(904)の本奥書に近い頃の書写とみられる。他本にない説話が4編含まれる点も貴重 奈良県国宝マップ 20161029 興福寺 国宝館

20171107 国宝展V

子嶋寺 両界曼荼羅図 (子嶋寺 紺綾金銀泥絵 2幅)(奈良国立博物館寄託) 紺綾地の大幅に金銀泥を用いて描いた胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅。長保年間(999〜1004)、一条天皇から子島寺の真興僧正に下賜されたものと伝えられ、製作年代もその頃に求められる。克明な描写と重厚な筆致が特徴の両界曼荼羅の古作 奈良県国宝マップ

ウィキペディア 

西大寺

 

木造叡尊(興正菩薩)坐像、像内納入品

弘安3(1280)年、真言律宗の宗祖で西大寺を復興した叡尊が80歳のときに弟子たちが造らせた鎌倉肖像彫刻の傑作。古代以来の南都の伝統を受け継ぐ仏師・善春の作で、叡尊自筆の「自誓受戒記」など貴重な像内納入品の豊富さも高く評価された

奈良新聞 20160918 奈良国立博物館 「忍性展」

西大寺

金銅宝塔 1基 文永七年六月一日、本願主西大寺沙門叡尊、鋳物師友吉入道西珍等在銘

宝塔とは、円筒形の塔身に屋根を乗せた形の塔。本作品は高さ約90センチの金銅(銅に金メッキ)製の塔だが、木造建築の外観を忠実に模している。内部には叡尊が所持していた舎利を納める。文永7年(1270年)の作

奈良県国宝マップ  
西大寺 金銅透彫舎利塔(西大寺)

高さ37センチの小品ながら、各所に繊細な透彫を施した入念な作で、鎌倉時代の金属工芸を代表するものの1つである

奈良県国宝マップ  
西大寺 舎利瓶5具基(西大寺)

西大寺中興の叡尊が弘安六・七年に大工藤原宗安らをして作らせた舎利塔一具で、鎌倉時代における舎利奉安の最も完備した遺品である。舎利容器は金堂の火焔を付す水晶球を蓮華座に安じたもので、舎利はその蓮肉の内に納められる

奈良県国宝マップ 20160918 奈良国立博物館 「忍性展」

西大寺

鉄宝塔1基(西大寺) 西大寺中興の叡尊が弘安六・七年に大工藤原宗安らをして作らせた舎利塔一具で、鎌倉時代における舎利奉安の最も完備した遺品である。鉄宝塔に関しては、『思円上人一期形像記』弘安七年八月七日条に「鐵塔造立終功」、同九月二日「鐵塔供養」とあり、方形の基壇を有する二層の塔婆で、下層は円筒形に近い覆鉢形を呈し、四方開きとなす。 奈良県国宝マップ 20160918 奈良国立博物館 「忍性展」
西大寺 大毘盧遮那成仏神変加持経(天平神護二年吉備由利願経)7巻(西大寺) 吉備真備一族の女性、吉備由利が天平神護2年(766)に称徳天皇のため発願した一切経の一部。長保2年(1000)の白点、承暦2年(1078)のオコト点、文明11年(1479)の墨書、天文16年(1547)の墨訓などがあり貴重である 奈良県国宝マップ  
西大寺 金光明最勝王経(天平宝字六年百済豊虫願経)10巻(西大寺) 端正で美しい筆跡により書写された天平写経の最優品。各巻巻尾の識語(願文)より、天平宝字6年(762)、百済豊虫が両親の菩提を祈願して書写させたものと知られる。全巻に亘り白墨・朱により加点・書入がなされており、同経の読誦・理解のあり方を現在に伝えている。特に白墨は平安初期(9世紀)のものと推測され、詳密さ・明瞭さにおいて他に類するもののないことからも、当該期資料の最高峰とされる 奈良県国宝マップ  
西大寺

 

十二天像 (西大寺 絹本著色 12幅) 量感のある体つきや、原色の強い彩色、大まかな文様などから、晩唐絵画の影響を受けた平安時代初期の作と推定される。我が国現存最古の十二天画像であり、十二幅が完存している点も貴重 奈良県国宝マップ 20110722 国立博物館 「空海と密教美術展」

20171107 国宝展V

信貴山朝護尊寺

信貴山縁起 (朝護孫子寺 紙本著色 3巻 平安時代) 信貴山の中興の祖である命蓮にまつわる霊験を描いた絵巻で、飛倉巻、延喜加持巻、尼公巻の3巻からなる。闊達な筆致と流動的な構図で、人物や場景の生彩に富む描写が特色。平安時代末の作 奈良県国宝マップ

20101031 信貴山

20160505 奈良国立博物館 「信貴山縁起絵巻展」

20171004 京都国立博物館「国宝展」

 十輪院 十輪院本堂  鎌倉時代中期頃の建立、後方に地蔵石仏龕があり、本堂はこれに対する礼堂である。床、軒などすべてさの低い意匠にまとめられており、各部手法も簡素で落ちついた感じをあらわしている。組物 蟇股などは優秀で、鎌倉時代の代表例にかぞえられている 奈良県国宝マップ  20160502 十輪院
正倉院 正倉院正倉 (所有者:国(宮内庁)) 奈良時代、東大寺の正倉であったが、明治8年に内務省、同17年に宮内省の所管となった。正倉は主に聖武天皇の御遺愛品を納めた高床式の建物で、南倉・中倉・北倉に分かれている。南北の倉は校倉造、中倉は板倉となっている。現存する奈良時代の校倉としては最大規模であり、双倉形式を今に伝えている。  奈良県国宝マップ 20141025 正倉院展

聖林寺

木心乾漆十一面観音立像(聖林寺) もと大神神社の神宮寺であった大御輪寺の本尊。一説に天平神護年間(762〜769)頃に智努王を願主として造立されたとされる。切れ長の眼の相好や、頭体の比例の整った肉付きのよい姿態に天平彫刻の特徴が顕著である 奈良県国宝マップ 20121202 聖林寺
新薬師寺 新薬師寺本堂  新薬師寺本堂は、細部の構造手法から奈良時代末から平安時代初めに建てられたものと考えられる。太い円柱と漆喰塗の壁、緩やかな勾配の屋根で構成された外観は、非常に簡潔で軽快な印象を受ける。内部は中央に大きな円形土壇を築いて諸仏を安置し、天井を張らずに屋根を支える大きな梁や叉首組、断面円形の垂木を見せる化粧屋根裏は、単純明快な構造美を構成し、創建時の状態を比較的良く今日に伝えている。 奈良県国宝マップ 20101128 新薬師寺
新薬師寺 木造薬師如来坐像(本堂安置)(新薬師寺) カヤの一木造りの巨像。大きく見開いた眼、量感ある体躯、彫りの深い衣文が特徴的な、平安初期彫刻の代表作。大きな樹葉を彫り出した光背の意匠も装飾性が高く、化仏も当初のものを伝え貴重である 奈良県国宝マップ 20101128 新薬師寺
新薬師寺 塑造十二神将立像(宮毘羅大将像を除く)11躯(所在本堂)(新薬師寺) 本尊薬師如来の眷属で、一説にもと岩淵寺の像とされる。12体のうち1体は補作。瞳にガラス玉を嵌め、彩色や金箔を施す。忿怒相や動きの大きい姿態には誇張が目立つ。台座の「天平」の墨書から、天平年中(729〜749)の作と推定される 奈良県国宝マップ 20101128 新薬師寺
長弓寺 長弓寺本堂  弘安2年(1279)に上棟された密教系仏堂の通則に倣った本堂で、和様を基調にして随所に大仏様の要素が取り入られている。外観は伸びやかで軽快な意匠にまとめられ、内部は外陣を広くするため奥行を三間にして大きな梁を架けて天井を受け、また内陣の窮屈さを避けるため来迎壁の位置を少し後方へずらすなど工夫をこらしている。 奈良県国宝マップ 20160502 長弓寺
当麻寺 當麻寺本堂(曼荼羅堂)  曼荼羅堂と呼ばれ、當麻曼荼羅図を祀る建物である。奈良時代にあった桁行七間、梁間四間の建物を曼荼羅信仰の隆盛に応じて増築・改修を繰り返して、永暦2年(1161)に概ね現状の姿となった。外観は間口と高さの均整がとれた重量感のある印象を受け、平面は密教系仏堂の最古例である。内陣にある須弥壇は螺鈿をちりばめた華麗な造りで、寛元元年(1243)に制作された 奈良県国宝マップ  20161027 当麻寺
当麻寺 當麻寺西塔  西塔は建築様式上、東塔に引き続いて建立されたものと考えられている。初重から三重までの柱間は三間で、このためか柱間の逓減率は少し小さくなり、全体として変化の少ない姿になっているが、構造や軒廻りの組物は平安時代初期の標準的な形式を伝えている。塔は舎利を納めるための建築で、明治に行われた解体修理で相輪の頂部に舎利が納められていたことが明らかになった 奈良県国宝マップ  20161027 当麻寺
当麻寺 當麻寺東塔  東塔の建立年代は不詳であるが、各部の建築様式は奈良時代の様相を示している。初重の柱間は三間、二重、三重は二間にして、各層の柱間の逓減率は比較的大きくし、プロポーションは安定感のある均整のとれた締まった印象を受ける。相輪は通常の九輪より一つ少ない八輪で、西塔も同様である 奈良県国宝マップ 20161027 当麻寺
当麻寺 塑造弥勒仏坐像(金堂安置)(当麻寺) 金堂の本尊で、塑造では岡寺の本尊に次ぐ巨像である。頭部が大きく厚い胸をもったブロック状の造形に特徴がある。当寺が創建された天武天皇9年(681)頃の作とみられ、若々しい表情は天武天皇14年(685)の興福寺仏頭とも共通する 奈良県国宝マップ 20161027 当麻寺
当麻寺 梵鐘(当麻寺) 形姿意匠ともに優れた梵鐘。丈長の鐘で、総体に形姿極めて美しく、龍頭の形は他に類例がない。笠形、胴の張りも調和よく、上下帯の装飾文に奈良時代の特徴をよく示している 奈良県国宝マップ 20161027 当麻寺
当麻寺 当麻曼荼羅厨子(当麻寺)

当麻曼荼羅堂内陣の寛元元年新造の螺鈿装須弥壇上に安置した木造漆塗長六角形の二重基壇、軸身、寄棟造屋蓋よりなる高大な厨子 奈良県国宝マップ 20161027 当麻寺
当麻寺 綴織当麻曼荼羅図(当麻寺) 仁治三年(1242)曼荼羅堂安置の厨子修理が行われた際、その保存のため厨子内に板装納置されたが、延宝年間に至り大雲院の性愚上人により板面から剥離され、現在の如く軸装されたと伝えられる。本紙の中央にあたる阿弥陀三尊を中心とした部分は極めて端厳なものがあり、宝冠等に用いられた金糸の華麗な手法になりながら、面相の描線のような流麗さがある ウィキペディア  20161027 当麻寺
当麻寺 倶利伽羅竜蒔絵経箱(当麻寺奥院) 流麗な筆致と金銀粉の巧みな配合の下に描かれた蓋面の図様は、極めて秀逸で当代の仏画をそのまま見る感がある 奈良県国宝マップ  

高松塚古墳

高松塚古墳壁画 4面 本壁画は、日月星宿図・四神図・人物図からなるが、その主題や画面構成には高句麗壁画との関連が考えられる。しかし人物群像に見られる奥行のある空間構成や暈取り、塗り重ねの彩色法および運筆などは、中国の新しい技法を採り入れたものと見られ、その点で唐代絵画との密接な結びつきが考えられる。なお人物図は、時世粧を写したものと見られ、わが国上代絵画の中にあって稀有なもので、貴重な遺例ということができる 奈良県国宝マップ 20151222 高松塚古墳
談山神社 大和国粟原寺三重塔伏鉢 (談山神社 715年) 和銅年間に建立された多武峯村粟原寺の三重塔の伏鉢。鋳銅製で鍍金がよく残る。15行にわたる銘文が刻まれ、塔建立の経緯が知られる。現在、同寺跡には塔心礎も現存する。奈良時代の金石文資料として貴重である 奈良県国宝マップ 20121202 談山神社

中宮寺

木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)(中宮寺) 半跏思惟の姿で丸椅子のような台座に坐す。クス材を変則的に寄せて造り、表面は現状漆で黒色を呈す。百済観音像に類似する点もあるが肉付けはより抑揚があり、衣の表現も自然である。寺伝では如意輪観音とするが、本来は弥勒菩薩の可能性が考えられる 奈良県国宝マップ 20100418 中宮寺

中宮寺

天寿国繡帳残闕(中宮寺) 上宮聖徳法王帝説』の繡帳銘文によると、推古天皇30年2月に聖徳太子が亡くなられたことを悲しんだ妃橘大女郎が、天寿国における太子往生の様を図像によって見たいものと天皇に申し上げ、椋部秦久麻の監修の下、下絵を描かせ、釆女たちに刺繡させて繡帷二帳ををつくったという。この一部が現存の残闕である 奈良県国宝マップ 20100418 中宮寺

20171004 京都国立博物館「国宝展」

長福寺

金銅能作生塔(奈良・長福寺) 宝瓶に仏舎利を納めるのは一般的に行われることであるが、本塔のように積み重ねの各部分に変化を与え、それが統一した構成になっていることは、まさに納作生珠の容器として相応しい表現である。また、その精緻端整な意匠や技法は鎌倉時代の金工技術の発展と特色をみせる 奈良県国宝マップ  
手向山八幡宮 唐鞍 一具(手向山八幡宮) 本鞍は、手向山八幡宮伝来の唐鞍の中でも、時代が古く最も完存している鞍の一つ。中世の祭式具中最も著しい荘厳具として貴重な遺品である 奈良県国宝マップ 20160508 MIHO Museum
天理大学附属天理図書館 南海寄帰内法伝 巻第一、第二(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 唐の義浄が印度と南海諸国に滞在中に見聞したことを記述したもの。天理大学本は4巻のうちの2巻で、書法より奈良時代の書写と推定される。南海寄帰内法伝の最古の写本であり、古訓も国語学上貴重である。石山寺伝来 奈良県国宝マップ  
天理大学附属天理図書館 日本書紀神代巻(上下)(吉田本)(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 日本書紀30巻の中で、巻首の神代巻2巻は神典として特に重要視された。本書は乾元2年(1303)卜部兼夏の書写になるもので、卜部家累代の秘本として、永く吉田家に伝わったものであることが奥書より知られる。 奈良県国宝マップ 20170920 天理参考館
天理大学附属天理図書館 播磨国風土記(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 三条西家に伝来して早くから知られていたもので、書風からみて平安時代を下らず、播磨風土記の現存唯一の古写本である。さきに国宝に指定された肥前国風土記(香川県猪熊家所蔵)とともに、風土記古伝本として最も貴重なものである。 奈良県国宝マップ 20171018 天理参考館
天理大学附属天理図書館 類聚名義抄 11冊(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 類聚名義抄は平安時代末期に成立した漢和字書で、撰者は不明。漢字を偏旁により類別し、音訓を付す。天理大学本は鎌倉時代末期の写本で、現存する写本の中では唯一の完本であり貴重である。東寺観智院伝来 奈良県国宝マップ 20170920 天理参考館
天理大学附属天理図書館 宋版劉夢得文集(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 白楽天と晩年親交のあった唐の劉禹錫(772〜842)の詩文集。正集30巻8冊、外集10巻4冊からなる。南宋初期の刊行。もと建仁寺旧蔵で栄西国師が入宋舶載したものといわれ、「天山」の朱印があることから足利義満の所蔵であったことが知られる 奈良県国宝マップ  
天理大学附属天理図書館 宋刊本欧陽文忠公集(金沢文庫本)39冊(天理大学蔵・天理大学附属天理図書館保管) 宋の詩文の大家である欧陽脩(1007〜72)の詩文集。南宋時代の刊本で39冊よりなる。慶元2年(1196)の跋文があることから、成立の時期が知られる。金沢文庫に伝来した。由緒ある伝来の宋刊本中の稀覯書として貴重 奈良県国宝マップ  
唐招提寺 唐招提寺金堂  唐招提寺金堂は、奈良時代につくられた寺院金堂の唯一の遺構である。後世の修理によって改変を受けているが、建造物の保存修復の歴史を今に伝えており文化史的な意義が認められる 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 唐招提寺講堂  唐招提寺が創立された天平宝字3年(759)まもない頃に、平城宮の朝集殿を移築して講堂にした建物である。講堂への再利用に際しては、大きく改変されているが、昭和46年(1971)の修理で、朝集殿や創建時の講堂の復原考察が行われ、ほぼその形態が解明されている。現在の講堂は鎌倉時代の形式に復原されているが、奈良時代宮殿建築を偲ばせる唯一の建物である 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 唐招提寺経蔵  昭和27年(1952)の解体修理で、唐招提寺の前身である新田部親王の旧宅時代に存在していた切妻造の校倉2棟を唐招提寺創立後改修して1棟の校倉にしたことが明らかとなった建物である。現在残る校倉の建物はすべて寄棟造であるが、奈良時代、切妻造の校倉も存在していたことが判明した。奈良時代の校倉建物を知るうえで欠くことのできない建物である。 奈良県国宝マップ  20160124 唐招提寺
唐招提寺 唐招提寺鼓楼 鼓楼は唐招提寺創立時の経蔵があった位置に建てられ、仁治元年(1240)に建立された。この建物は、和様に一部大仏様を取り入れた様式で建てられ、楼造としては珍しく下層にも床を張り、縁をまわしている。建物は小規模で、一見、建築というより、工芸品的な印象を受けるほど、均整のとれた意匠に成っている。 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 唐招提寺宝蔵 唐招提寺創立時に新築された校倉造の建物である。昭和33年(1958)に解体修理を受け、ほぼ建立当初のすがたに復原されている。構造手法は奈良時代の定法に倣っており、この時代の校倉の基準作である。 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 乾漆盧舎那仏坐像(金堂安置)(唐招提寺) 金堂の本尊で脱活乾漆造の巨像。森厳な相好で両手を低い位置で構える重厚な表現には、鑑真がもたらした新たな大陸の様式が看取される。光背には千仏を配し、台座蓮弁には一枚ごとに如来を描く 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 木心乾漆薬師如来立像(金堂安置)(唐招提寺) 盧舎那仏の左に安置され、千手観音と同様に木心乾漆の技法で造られるが、ひとまわり小さく作風も異なる。修理の際、左手掌より延暦15年(796)鋳造の隆平永宝が発見され、製作年代の上限が明らかとなっ 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 木心乾漆千手観音立像(金堂安置)(唐招提寺) 盧舎那仏の右側に立つ。千本の手を省略せずにあらわす千手観音の数少ない作例のひとつで、数多くの脇手を破綻無くまとめる。木心乾漆の技法で造られ、肉身や衣の表現には多小固さがあり、製作年代は本尊よりもやや降るものとみられる 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 木造梵天・帝釈天立像(所在金堂)(唐招提寺) 四天王像とともに金堂の須弥壇上にまつられる。一木造りだが、表面には乾漆も盛られ、森厳な相好や重厚な体躯には盧舎那仏との近似性も認められる。台座の見えない箇所には多くの戯画が描かれている 奈良県国宝マップ

20160124 唐招提寺

20171004 京都国立博物館「国宝展」

唐招提寺 木造四天王立像(所在金堂)(唐招提寺) 梵天・帝釈天像と一具のもので、構造技法、作風も共通する。大袖を翻し裳裾を長く垂らすは鑑真らとともにもたらされた新様で、以降わが国で主流となる。細部の表現にこだわらない大らかな造形に大陸風がうかがえる 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 乾漆鑑真和上坐像(御影堂安置)(唐招提寺) 唐招提寺の開山、鑑真和上の肖像で、天平宝字7年(763)の和上入寂の頃に製作された。瞑目する表情は穏やかだが、体つきはしっかりとして、苦難を乗り越え来朝した不屈の精神を感じさせる。初期肖像彫刻の傑作である 奈良県国宝マップ 20160124 唐招提寺
唐招提寺 木造薬師如来立像、木造伝衆宝王菩薩立像、木造伝獅子吼菩薩立像、木造伝大自在王菩薩立像、木造二天王立像 唐招提寺木彫群として知られる木彫像。いずれも榧材の一木造で当初より現状と同 かや じく素地仕上げとみられる。肥満し下半身の長大な体?などに盛唐後期様式を濃厚に示 し、天平勝宝五年(754)に唐僧鑑真に随行して来朝した中国工人が直接または間接 的に製作に関与している可能性が高い。日本の木彫像の長い歴史の起点となる作例と評 価される。 (奈良時代) -  
唐招提寺 舎利容器(白瑠璃舎利壺(鑑真和上将来舎利納入)、方円彩糸花網、金亀舎利塔)(唐招提寺) 鑑真和上将来の三千粒の舎利を奉加護する舎利塔で、大師過海の時、竜神が奪うところとなった舎利壺を金亀がこれを加護したとの伝説に基づいてつくられたかたちになる。源頼朝が中世舎利殿を再興した際にこの塔をつくったとも伝えられるが、亀台連座、壺請の蓮華などは極めて古式で、宝塔の透彫や軒廻り組物等も精技を凝らして荘厳し、鑑真将来の舎利をかざるにふさわしい技巧を尽くしている 奈良県国宝マップ 20171107 国宝展V

東大寺

東大寺南大門  東大寺の正門で、正治元年(1199)、大仏様(だいぶつよう)で建てられた大規模かつ豪快な二重門である。柱は18本立ち、長さ19mの通し柱で上層までつながっている。太く、長い柱は貫を縦横に通して繋ぎ止め、柱頂部に断面円形の太い梁を架け、軒廻りは挿し肘木と斗を積み重ねて軒桁を受けている。治承4年(1180)、平重衡による南都焼き討ちで荒廃した東大寺復興に採用された大仏様建築様式を伝える数少ない遺構である。 奈良県国宝マップ

20100918 東大寺境内

20101128 東大寺

東大寺

東大寺金堂(大仏殿) 聖武天皇が創建した東大寺は、平安末期と室町末期の二度、焼失した。現金堂は宝永6年(1707)に落慶供養された三代目である。莫大な費用と工期を抑えるため、創建規模から桁行で4間縮めたが、梁間や高さは踏襲し、今なお世界最大の木造建築である。正面裳階を唐破風とし、柱を集成材にするなど、江戸時代の創意と工夫も伺える 奈良県国宝マップ

20100918 東大寺境内

20101128 東大寺

東大寺

東大寺鐘楼  鐘楼は榮西が鎌倉時代初期承元頃に再建したものである。方一間、四方吹放で、構造法や繰型は天竺様を基調としていると思われるが、特異な組物の配置などには唐様らしき点もみられ、異色ある建築として技術的及び様式的にみて文化史的意義が極めて深い 奈良県国宝マップ

20100918 東大寺境内

20101128 東大寺

東大寺 東大寺転害門  東大寺西面築垣に開かれていた三門のうちの一つで、北の門に当たり、一条南大路に向かって開かれている。部材に残る痕跡から、鎌倉時代に軒の組物が平三斗から出組に改変されているが、柱や梁は木太く、軒廻り、妻飾り、内部構造に奈良時代によく用いられた手法がみられ、古代のしかも大寺の門にふさわしい堂々たる意匠である。なお、西面中央間のみに天井がはられ、土間に礎石が4個所据え付けられている。これは東大寺の鎮守であった手向山八幡宮の祭礼、転害会において御輿を据えるものための装置である。 奈良県国宝マップ 20120520 転害門
東大寺 東大寺二月堂  東大寺二月堂は,古代から中世に拡充・発展させた平面や空間の特質を継承しつつ,近世の建築技術を駆使し高い完成度をもっており,江戸幕府による大規模な造営になる代表的な建築のひとつといえる 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内
東大寺 東大寺法華堂(三月堂)  陰暦の三月に法華会が行われていたことから、法華堂或いは三月堂と呼ばれている。現在は礼堂と正堂が少し複雑な一体となる屋根で覆われているが、元々は別棟で建てられた双堂形式であった。現在の礼堂は鎌倉時代に大仏様を用いて建て替えられ、正堂は奈良時代の建築様式を今日に伝えている。奈良時代の仏堂は土間が一般的であるが、法華堂正堂は建立当初から板床が外回りの縁と同じ高さで設けられていた。 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内
東大寺 東大寺開山堂  東大寺創建に貢献し、初代別当に就任した良弁僧正像を祀る仏堂で、二月堂の西側広場西方にあり、周囲は築地塀で囲まれる。現在の建物は正治2年(1200)に重源によって建て替えられたが、建長2年(1250)に規模を大きくして、現在地に移築された。重源が建てた開山堂は純粋な大仏様で建てられた一間四方の小規模な建物で、移築時には初期の建物を厨子として扱い、周囲に一間幅を増築している。 奈良県国宝マップ 20160505 東大寺境内
東大寺 東大寺本坊経庫  本坊経庫は南大門東方の築地塀に囲まれた中に建つ校倉造の建物である。現在、東大寺に関連する校倉は正倉院正倉を含めて6棟が残り、そのうち3棟が東大寺の所有となっている。本坊経庫は金堂の東北に手向山八幡宮の宝庫(重文)と並んで建てられていたが、正徳4年(1714)、現在地に移築された。本坊経庫は奈良時代の標準的な技法を用いた基準作となる校倉である。 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内

東大寺

東大寺金堂鎭壇具 (東大寺 奈良時代)
明治40年、大仏殿修理工事中に須弥壇中より出土した銀製鍍金狩猟文小壺、金鈿荘大刀、金銀荘大刀など。創建当初の鎮壇具の一部と推定され、正倉院御物と並ぶ奈良時代における工芸品の精華。
奈良県国宝マップ 20120128 東大寺ミュージアム
東大寺 倶舎曼荼羅図 (東大寺 絹本著色 1幅) 東大寺ゆかりの奈良時代の名画(法華堂根本曼荼羅、戒壇院厨子、大仏殿六宗厨子)から図様を集め、倶舎宗の諸尊を曼荼羅風に一図にあらわしたもの。釈迦三尊を中心に、仏弟子、梵天・帝釈天、四天王等を描く。平安末期の復古的作品 奈良県国宝マップ  
東大寺 東大寺文書 100巻、8,516通(東大寺) 本文書は東大寺印蔵に伝来した通称百巻文書(成巻文書)と、未成巻文書からなる文書群で、奈良時代から江戸時代に至る一〇〇巻(九七九通)、八、五一六通からなる。内容は、東大寺の歴史を反映して多岐にわたるものの、その中心をなすものは東大寺領庄園関係文書である。様式上では牒、解などの公式様文書、官宣旨、綸旨、院宣、御教書などの公家様文書、筑前国観世音寺、元興寺などの末寺関係文書、東大寺の修造、庄官補任状、出納文書、訴訟文書などの寺内文書、田畠の売券、寄進状、譲状などの経済関係の私文書など多種多様である 奈良県国宝マップ

20120128 東大寺ミュージアム

 

20160918 奈良国立博物館 「忍性展」

東大寺 華厳五十五所絵巻 (東大寺 紙本著色 1巻) 華厳経の入法界品に基づき、善財童子が文殊菩薩の教えによって五十五所の善知識を歴訪し法を求めるさまを図絵した絵巻。詞書のかわりに色紙形を付してに各場面を説明する。軽快な筆致と淡い彩色で温和な画風を示す。平安時代末期から鎌倉時代初期の作 奈良県国宝マップ 20171017 国宝展U

東大寺

銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)(東大寺) 聖武天皇の発願により造立され、天平勝宝4年(752)に開眼供養された東大寺の本尊で、国家仏教の時代を象徴する記念碑的像。2度兵火にかかり上半身は室町時代、頭部は江戸時代の作。台座蓮弁には華厳経に説く蓮華蔵世界が線刻される 奈良県国宝マップ 20101128 東大寺

東大寺

木造金剛力士立像 2躯(所在南大門)(東大寺) 南大門に安置される仁王像。近年の修理で阿形像から運慶と快慶、吽形像から定覚と湛慶の名前が確認された。一般的な仁王とポーズが異なり、阿吽の配置も左右逆で、門の内側を向く特殊なまつり方をする。鎌倉初期の慶派仏師の大作 奈良県国宝マップ

20100918 東大寺境内

20101128 東大寺

東大寺 木造俊乗上人坐像(俊乗堂安置)(東大寺) 平氏による南都焼き討ちで焼失した東大寺伽藍の復興に大勧進として尽力した傑僧、俊乗房重源の肖像彫刻。寄木造り、彩色仕上げで、上人没後、間もない頃の慶派仏師の作と考えられる。前かがみに数珠をまさぐる迫真性のある姿に、鎌倉彫刻の写実性が発揮されている 奈良県国宝マップ  
東大寺 木造良弁僧正坐像(開山堂安置)(東大寺) 東大寺の開基、良弁の肖像彫刻で開山堂にまつられる。一木造り彩色仕上げの像。良弁忌を始行した寛仁3年(1019)の作とされるが、古様な構造技法からさらに古い像とみる説もある。量感のある重厚な姿に高僧の風格があらわれている 奈良県国宝マップ  
東大寺 木造弥勒仏坐像(奈良・東大寺) 2015年(平成27年)指定。奈良の大仏を作る前の試作という意味で「試みの大仏」と呼ばれているが、実は造仏年代は後。身の丈数十センチの小仏でありながら、前のめりの語りかける様なその力強さは、大仏の名にふさわしい 金沢文庫 20120128 東大寺ミュージアム

東大寺

乾漆不空羂索観音立像(法華堂安置)(東大寺) 法華堂(三月堂)の本尊で脱活乾漆造、漆箔仕上げの巨像。三目八臂像の像容を調和のとれた雄大な姿にあらわす。宝冠は宝玉をちりばめた銀製の華麗なもので、光芒を放つ光背の意匠も荘重である。わが国最古の不空羂索観音像 奈良県国宝マップ 20120128 東大寺ミュージアム
東大寺 乾漆梵天・帝釈天立像(法華堂安置)(東大寺) 法華堂の本尊の左右に脇侍像のように安置されるが、像高は本像の方が本尊よりも高く当初のまつられ方は定かでない。甲の上に袈裟をつけ、左手に経巻を持つ方が本来は帝釈天とみられる。長身で茫洋としたスケールの大きい造形に特色がある 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内
東大寺 乾漆四天王立像(法華堂安置)(東大寺) 法華堂の梵天・帝釈天像、金剛力士像と一具をなす脱活乾漆造の巨像。表面には華麗な彩色文様が残る。前方の持国・増長天は動態、後方の広目・多聞天は静態を示し、甲冑の形式や邪鬼の姿も変化をつける。誇張を抑えた表現が古様である 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内
東大寺 乾漆金剛力士立像 2躯(法華堂安置)(東大寺) 門ではなく須弥壇上にまつられる仁王像。裸形ではなく鎧を着け、同寺南大門像と同様に阿形と吽形の配置が一般的な仁王像と左右逆になっている点が珍しい。攻撃的な阿形像と、それを迎え撃つかのような吽形の姿態の対比が巧みである 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内

東大寺

塑造日光菩薩・月光菩薩立像(所在法華堂)(東大寺) 法華堂の本尊及び護法神像とは大きさや材質が異なり、戒壇堂四天王像に類似するが、伝来は不詳である。俗体風の日光・月光菩薩像は異例であり、本来の尊名は定かでない。均衡のとれた身体で合掌の姿も自然である 奈良県国宝マップ 20120128 東大寺ミュージアム
東大寺 塑造執金剛神立像(法華堂安置)(東大寺) 法華堂本尊背後の北面する厨子に秘仏としてまつられる。すさまじい怒りの形相で、血管を表した腕には力がこもり、風をはらんだ天衣も像の動きに連動し、緊張感のある造形をみせる。秘仏のため彩色の保存の良さも特筆される 奈良県国宝マップ 20100918 東大寺境内
東大寺 木造僧形八幡神坐像 快慶作(八幡殿安置)(東大寺) 建仁元年(1201)に仏師快慶によって東大寺鎮守八幡宮の神体として造立された像。寄木造り彩色仕上げで、秘仏であるため保存が良く、鮮やかな彩色が残る。絵画を粉本として彫刻されたとみられ、清潔感のある明快な造形に快慶の特色があらわれている 奈良県国宝マップ  
東大寺 塑造四天王立像(所在戒壇堂)(東大寺) 戒壇堂の当初の像は銅造であったらしく伝来は不明で、法華堂日光月光像に作風・技法が近似する。4体の姿形はそれぞれに変化をつけながらも調和を保ち、相貌は生々しいまでに写実的で高い精神性を表す。彩色や切金文様も残る 奈良県国宝マップ 20120128 戒壇院

東大寺

銅造誕生釈迦仏立像・銅造灌仏盤(東大寺) 4月8日の灌仏会に用いられた像。東大寺のスケールにふさわしく誕生仏としては破格の大きさを誇る。明朗な表情に奈良時代盛期の特徴がみられる。灌仏盤が共に伝わるのも貴重で、外側には山水、草木、動物など精緻な線刻文様が施される 奈良県国宝マップ 20120128 東大寺ミュージアム
東大寺 梵鐘(東大寺) 本鐘は、東大寺大仏開眼供養に際して鋳造されたもので、『南都七大寺巡禮記』によると、大仏鋳造修了後の天平勝宝二年(750)正月より型を造り始め、翌年の十二月に鋳込むが不成功であったため、さらに翌四年正月八日より改めて造り、三月七日に竣工、四月八日の大仏開眼供養の前日に鐘楼に懸けられたということである。本鐘の大きさは国内随一で、細部に至るまで勇大な趣の意匠である 奈良県国宝マップ

20100918 東大寺境内

20160505 東大寺境内

東大寺

金銅八角燈籠(大仏殿前所在)(東大寺) 大仏殿正面に据えられ本燈籠は、後世の補修が加えられているが、今でも旧態を存し、東大寺創建当初の面影を一身に蔵している点は歴史的意義が極めて深い。その形態の上からも、細部の意匠、技巧からも優れたものである 奈良県国宝マップ 20101128 東大寺
東大寺 花鳥彩絵油色箱(東大寺) 浅い印籠蓋造りの木製箱。表面には黒漆を塗った上に鳳凰や花枝をはむ鸚鵡、宝相華を彩絵し、乾性油をひく油飾技法を用いる。正倉院の密陀絵をほどこした箱や盆などと共通する趣をもつ。(蓋高3.3p、身高24.2、縦60.0p、横71.3p) 奈良県国宝マップ 20171004 京都国立博物館「国宝展」
東大寺 葡萄唐草文染韋(東大寺) 文様の描線が流麗で、型紙様のものを用いた痕跡はないため、熏韋技法を用いたものと考えられる。当初は裏裂を具えていたことがその針穴と綾裂の残片によってうかがえる。奈良時代熏韋の遺品は正倉院にも遺されているが、そのほかに類例は少ない。中国の神仙思想に基づく文様や、ペルシア風の葡萄唐草など、大陸文化の影響を強く反映した奈良時代の特色をよく示す優品である 奈良県国宝マップ  
東大寺 賢愚経 巻第十五(四百六十七行)(東大寺) 聖武天皇の御筆とされる賢愚経の残簡。抹香を漉き入れた荼毘紙を用い、1行10字から13字詰の雄渾な大字で書写される。一般写経と類を異にし、端正で豊麗な筆致から、御筆でなくとも唐人か写経生の名手の筆と推定される 奈良県国宝マップ  
 

長谷寺

長谷寺本堂  慶安3年(1650)、徳川幕府によって造営された近世初頭の代表的な仏堂である。本堂は正堂、礼堂、相の間から成る複合建築で、礼堂とその正面にある舞台はともに懸造とする。古代以来の観音信仰の根本道場として、巨大な十一面観音立像を中心とする壮大な空間を巧みな架構と意匠で作り上げた、完成度の高い近世寺院建築である。 奈良県国宝マップ 20060105 長谷寺

長谷寺

 

銅版法華説相図(千仏多宝仏塔)(長谷寺 法華経見宝塔品に基づき、地中より三重宝塔が湧出し、千仏が雲集して釈迦説法を賛嘆する場面をレリーフであらわす。道明上人が天武天皇の為に朱鳥元年に造った、長谷寺草創に関わる遺品である 奈良県国宝マップ 20160505 奈良国立博物館(仏像館)

20171004 京都国立博物館「国宝展」

長谷寺 法華経(長谷寺) 法華経開結、阿弥陀経、般若心経を一具として鎌倉時代初期に書写した装飾経。保存がよく、原装のまま伝来する。料紙は金銀箔散らしなどで装飾し、軸は八角水晶製とする。平家納経より一時代後の装飾経の代表 奈良県国宝マップ  
長谷寺 観普賢経(長谷寺) 法華経開結、阿弥陀経、般若心経を一具として鎌倉時代初期に書写した装飾経。保存がよく、原装のまま伝来する。料紙は金銀箔散らしなどで装飾し、軸は八角水晶製とする。平家納経より一時代後の装飾経の代表 奈良県国宝マップ  
長谷寺 無量義経(長谷寺) 法華経開結、阿弥陀経、般若心経を一具として鎌倉時代初期に書写した装飾経。保存がよく、原装のまま伝来する。料紙は金銀箔散らしなどで装飾し、軸は八角水晶製とする。平家納経より一時代後の装飾経の代表 奈良県国宝マップ  
長谷寺 阿弥陀経(長谷寺) 法華経開結、阿弥陀経、般若心経を一具として鎌倉時代初期に書写した装飾経。保存がよく、原装のまま伝来する。料紙は金銀箔散らしなどで装飾し、軸は八角水晶製とする。平家納経より一時代後の装飾経の代表 奈良県国宝マップ
長谷寺 般若心経(長谷寺) 法華経開結、阿弥陀経、般若心経を一具として鎌倉時代初期に書写した装飾経。保存がよく、原装のまま伝来する。料紙は金銀箔散らしなどで装飾し、軸は八角水晶製とする。平家納経より一時代後の装飾経の代表 奈良県国宝マップ  
般若寺 般若寺楼門  入母屋造・本瓦葺きの楼門(2階建て門)。民家の建ち並ぶ京街道に面し、西を正面として建つ。鎌倉時代(13世紀後半)建立。下層は1間、上層は3間とする。長押を多用し、和様を基調としつつ、上層の組物など細部には大仏様(よう)の意匠を多用する。上層の出組の組物は、外部から見ると複雑な構造に見えるが、建物内部では柱が直接桁(屋根の垂木を支える水平材)に達する単純な構造で、組物は使われていない 奈良県国宝マップ 20120310 般若寺
平城宮跡 平城宮跡出土木簡 三千百八十四点

独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所保管

本件は,平城宮跡から出土した木簡のまとまりである。 木簡には文書木簡,荷札・付札木簡などがある。 にふだつきふだ 律令国家が編纂した史書の総称である六国史などの記録 りつこくし に伝えられていない奈良時代の社会や経済などの実態を具 体的に知りうる貴重な史料である。木簡には同時代史料, 日常的な史料が多く,歴史解明にとって重要な文字史料で ある。 (奈良時代)

H29文化財答申 20170316 平城宮跡資料館
法起寺 法起寺三重塔  706年頃の完成とみなされている。高さ24メートルで、三重塔としては日本最古である。また、特異な形式の三重塔である薬師寺東塔を除けば、日本最大の三重塔と言われている 奈良県国宝マップ 20110109 法起寺
法華寺 阿弥陀三尊及童子像 (法華寺 絹本著色 3幅) 3幅からなり、正面向きの阿弥陀如来のみを大きく表した1幅、向かって右向きの観音菩薩と勢至菩薩を表した1幅、幡を持つ童子を表した1幅がある 奈良県国宝マップ 20170728 源信展
法華寺 木造十一面観音立像(本堂安置)(法華寺) カヤ材の一木造。保存状態もよく、平安時代彫刻を代表する作品の1つである。制作当初から彩色や金箔を施していない素木像で、髪、眉、ひげなどに群青、唇に朱、白目に白色を塗り、瞳、肩に垂れる髪、冠や腕釧などに銅板を用いるほかは、木肌の美しさを生かした素地仕上げとする。両手首から先や天衣の遊離部分など、ごく一部を別材とするほか、頭・体の主要部から、蓮華座の中心部分、その下の心棒まで一材から彫り出した一木造である 奈良県国宝マップ 20120128 法華寺
法華寺 木造維摩居士坐像 古くより肖像彫刻の名品としてよく知られる像で ある。口を開き発語する瞬間を捉えた写実的な面貌 表現は天平彫刻的であるが,側面観での力強い構え には平安前期につながる特色がうかがえる。 藤原鎌足が創始したとされ興福寺で最も重要な 法会であった維摩会が8世紀後半に一時期,興福寺から法華寺に移されて行われており,この時に造立 されたとみられる。 乾漆像として重要文化財に指定されていたが,X線CT撮影などにより木彫像としての技法や保存状 態が確かめられた。(奈良時代) H29文化財答申  
法隆寺 法隆寺南大門  この門は平面寸法が『資財帳』の仏門の一つとほぼ一致し、当初の規模を踏襲すると思われるが、同じ八脚門形式の東大門と比べると、屋根は入母屋造とし、全体に天井を張り、組物もにぎやかな出組で、中備に花肘木を用いるなど、はなやかさを加えた中世的特色をよく示す建築で、装飾的細部が効果的に用いられ、室町時代の遺構のなかでは特に秀作の一つにあげられる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺中門 法隆寺の南大門を入ると正面にみえる二重門が中門で、左右には廻廊が連なり、廻廊内には右に金堂、左に五重塔がそびえる。これらはいずれも木造としては世界最古の現存建造物であり、法隆寺西院伽藍ならではの景観を呈する。  中門は初重・二重とも、正面を四間、側面を三間に分かつ特殊な平面をもつ。太くて胴張りのある柱、雲斗雲肘木によって構成される組物、高欄の卍崩しの組子、人字形割束など、飛鳥建築の特徴とされるものによる構成が力強く、美しい。 法隆寺の国宝建築 20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺金堂  天智9年(670)の火災後に建立された法隆寺西院伽藍の中心建物で、中門・廻廊に囲まれたなかに、東に南面する金堂、西に五重塔が並んで建つ。金堂は、二重基壇上に建ち、ふくらみのある丸柱や組物に用いる雲斗雲肘木、人字形割束や卍崩しの高欄など独特の建築様式をもつ。内部は土築の仏壇を構え、本尊釈迦三尊像以下を安置する。世界最古の木造建造物で、全体の均衡もきわめてよい名建築である。 ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺五重塔  五重塔は安定した美しい外観をもつ最古の木造塔で、金堂にひきつづいて七世紀末に建立されたものと思われる。二重基壇上に建ち、組物は金堂同様の雲斗雲肘木、軒も金堂同様の一軒角垂木で、独特の様式をもつ。心柱は地中に心礎を据えて掘立柱とし、初重の四天柱をつつみこんで塑像の須弥山を構え、天井板には蓮花文を画く。二重以上は柱盤の上に短い丸柱を立て、順次積上げ、五重は柱間を二間とする。金堂などとともに飛鳥様式を色濃く伝えるものと考えられ、洗練された意匠になる名塔である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺廻廊 2棟 東廻廊    法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲み、経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂まで達する。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺廻廊 2棟  西廻廊 法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲み、経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂まで達する。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺経蔵  法隆寺の西廻廊が五重塔背後で屈折し、大講堂に向かうその中間地点に位置する。天平様式を基調とすることから奈良時代の建築とみられ、現存する楼造の建物のなかでは最も古い遺構である。一階を高く二階を低くする上下のバランスもよく、簡素な切妻造の屋根と、二階床高さにまわる縁・高欄が全体をひきしめる役目をになっている。部分的に後補の材もまじるが、奈良時代の楼造建築を考えるうえではかけがえのない作例である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺鐘楼  大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つ。奈良時代創建の鐘楼は延長三年(九二五)に講堂とともに焼失し、現建物は十世紀おわりごろに再建された。再建にあたっては旧規模を踏襲し、それまで回廊外にあって独立していたが、北回廊が大講堂まで延長したので、鐘楼・経蔵ともに回廊の中間に建つことになった。鐘楼は平安時代の楼造の唯一の遺構であり、経蔵と同形式ながらも、やや軽快さに欠けて時代さを示している ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺大講堂  金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺綱封蔵  平面は桁行九間、梁間三間を方三間ずつ三区に分け、南北両区を倉にして中央部は吹抜けとする。内部は大梁上に二重梁を組み、束で棟木をうけ、化粧屋根裏とする。双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だが、綱封蔵のように中央を吹抜けとして、吹抜け部分に向かって扉を開く形式こそ本来の双倉の姿であり、その唯一の資料である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺食堂及び細殿食堂  食堂は、法会が行われるさい、その儀式の一部として多数の僧侶が会食する場である。現食堂は『資財帳』中の政屋の一棟を平安時代の初めごろ改造転用したものとみられる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺聖霊院  聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺東大門  法隆寺西院伽藍の東面築地に開く門で、これを抜けさらに東に進むと、夢殿を中心とする東院伽藍に達する。昭和九年に行われた解体修理のさい、部材から多くの番付墨書が発見され、それでみるともともとはおそらく南面していた門で、平安時代末ごろ現在地に移築されたことがされたことがわかった ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺東院夢殿  聖徳太子を追慕して創立された法隆寺東院の中心建物で、著名な救世観音を本尊とし、あわせて東院の創立と再興とに尽力した行信・道詮の像を安置する。この地は太子の住居であった斑鳩宮の跡地と伝えられていたが、昭和九年以降の修理工事にともなう発掘調査で、当時の掘立柱建物数棟を発見し、そのことが確認された ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築 

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 夢殿

法隆寺 法隆寺三経院及び西室(1棟)  三経院は寝殿造の対屋を思わせる住宅風仏堂であり、西室は二間一房制の僧坊の外観をよく伝える。法骼寳シ院伽藍の西にあつて、東の聖霊院及び東室とともに上代寺院三面僧房の俤をのこす ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺東室 東室は伽藍中枢部にひきつづいての建立と考えられるが、礎石や柱にはさらに古い転用材が用いられ、こちらは法隆寺創建時代にまでさかのぼる可能性がある。当初の構造形式もよく解明されていて、きわめて高い価値をもつ ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺西円堂  法骼寞ォ内の西北隅にある八角堂で、建長二年(鎌倉時代中期)の建立になる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

20180227 西円堂

法隆寺 法隆寺東院鐘楼  東院鐘楼は、伝法堂と舎利殿絵殿の中間西方の建つ袴腰付鐘楼である。『東院資財帳』にはその記載がなく、『法隆寺別当次第』に応保三年(一一六三)の建立とするのが文献上の初見である。現在の建物は鎌倉時代中期の様式を示すが、頭貫・枠肘木・扠首棹・扠首台などに応保材と思われるものがあり、柱・組物・軒など大部分の部材を取りかえて鎌倉時代に解体再建したものと考えられている ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 法隆寺東院伝法堂  夢殿を中心仏殿とする東院伽藍の講堂にあたり、天平末年ごろ聖武天皇の夫人であった橘夫人が施入したと『資財帳』に記される。昭和一三‐一七年に行われた解体修理のさい画期的といえる徹底的な調査で、当時の高級貴族住宅の一棟を仏堂風に改め講堂にしたことがわかり、記述の確かなことが実証された ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築 

20100418 斑鳩 散歩 (法隆寺)

20160422 法隆寺 西院伽藍

法隆寺 銅造釈迦如来及両脇侍像(止利作、金堂安置)(法隆寺)  法隆寺の本尊。聖徳太子の冥福を祈り推古天皇31年(623)に止利仏師が造立したことが光背の刻銘より知られる。一光三尊形式と呼ばれる脇侍像を取り込む大型の舟形光背をそなえ、二重の宣字座に坐す。杏仁形の目や笑みをたたえた口元に大陸の様式を濃厚にとどめる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 銅造薬師如来坐像(金堂安置)(法隆寺) 金堂須弥壇上の東に安置される。光背銘文は推古天皇15年(607)に推古天皇と聖徳太子により造立されたとするが、これは後の追銘で、やや様式化が進んだ像の表現からみると本尊の釈迦三尊像よりも若干製作年代は遅れるものと考えられる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造四天王立像(金堂安置)(法隆寺)   怒りをあらわにせず乗り物のような大型の邪鬼の上で直立する古様なスタイルの四天王像。光背に刻まれる山口大口費と同一とみられる人物が日本書紀白雉元年(650)の条にみえることから、製作年代が推定される ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍

20171004 京都国立博物館「国宝展」

法隆寺 木造毘沙門天立像(金堂安置)(法隆寺)    金堂の本尊銅造釈迦三尊像(国宝)の左右に安置されている木彫像で、最勝会【さいしようえ】の本尊として承暦二年(一〇七八)につくられたことが記録によってわかる。一メートル強の小像とはいえ、このころの穏健な作風を示す代表的な名品で、保存も良く、特に全面に施された彩色や切金の各種文様は華麗を尽す ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造吉祥天立像(金堂安置)(法隆寺)    金堂の本尊銅造釈迦三尊像(国宝)の左右に安置されている木彫像で、最勝会【さいしようえ】の本尊として承暦二年(一〇七八)につくられたことが記録によってわかる。一メートル強の小像とはいえ、このころの穏健な作風を示す代表的な名品で、保存も良く、特に全面に施された彩色や切金の各種文様は華麗を尽す ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 塑造塔本四面具 78躯、2基(五重塔安置)(法隆寺)    五重塔初層にあらわされる塑造群。資財帳にみえる、和銅4年(711)に造られた「塔本四面具」に該当する。東は維摩文殊対問、南は弥勒浄土、西は分舎利、北は涅槃で、像は合わせて78躯を数える。小像ながら卓越した技術で各情景を巧みに表現している ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造薬師如来及両脇侍坐像(講堂安置)(法隆寺)  講堂の本尊で、同堂が再建された正暦元年(990)頃の作と考えられる。寄木造りの初期の段階の構造を示す。量感のある体躯は古様だが、伏目の相好や整理された衣文に和様化が認められる。光背の透彫りの意匠も装飾性が高い ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)・木造厨子(法隆寺)  厨子と一具をなす金銅仏で、光明皇后の母橘夫人の念持仏と伝えられる。蓮池から伸びる3茎の蓮華上に、童顔の三尊を安置し、背後には後屏を立てるなどの技巧を凝らす。厨子に描かれた仏・菩薩・天部などの絵画も貴重である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 銅造観音菩薩立像(夢違観音)(法隆寺)  悪い夢を善い夢にかえてくれることから夢違観音と呼ばれる。あどけない表情に前代の様式をとどめるが、体つきは均整がとれ、肉どりはやわらかく、衣は薄く密着するなど、より成熟した作風がうかがえる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造観音菩薩立像(九面観音)(法隆寺)   養老3年(719)に唐から将来された像と考えられ、白檀の一材より頭上面から台座はもちろん耳飾りや数珠までも彫出する。通常の十一面観音に比べ、慈悲面・瞋怒面・牙上出面が各々1面少ない。堅実な作風と卓越した彫技を示す檀像の代表作 ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造観音菩薩立像(百済観音)(法隆寺)  水瓶をつまんで立つ細身の姿が印象的な像。百済国伝来との伝承があるが、クスの一木造りになる飛鳥時代の作。金銅透彫りの宝冠や、宝珠形の光背と竹をかたどった支柱、五角形の台座も当初のものを伝える ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造地蔵菩薩立像(法隆寺)  台座の蓮肉を含み1材から彫出する一木造りの像。ひきしまった面相、はりのある肉取り、明瞭に刻まれた衣文に平安初期彫刻の特色が看取される。地蔵菩薩像の最古例の一作であり、錫杖や宝珠を持たないのも初期の姿をあらわしている。大御輪寺伝来 ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造観音菩薩立像(救世観音、夢殿安置)(法隆寺)  救世観音の名で知られる夢殿の本尊。聖徳太子等身の像と伝えられ、ながく秘仏であったために保存がよい。止利仏師作の金堂釈迦三尊の脇侍に通じる姿で、杏仁形の目や笑みをたたえたような口元も共通する。瑠璃珠を飾る宝冠も貴重である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 夢殿
法隆寺 乾漆行信僧都坐像(所在夢殿)(法隆寺)  行信は天平11年(739)に夢殿を造営するなど法隆寺の興隆につくした傑僧。脱活乾漆の技法になる等身大の像で、鑑真像と並ぶ我が国の肖像彫刻の古例。吊りあがった目や大きな耳など、像主の個性を誇張して表現している ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 夢殿
法隆寺 塑造道詮律師坐像(所在夢殿)(法隆寺)  道詮は荒廃した夢殿を貞観元年(859)から3ヵ年をかけて復興した僧。像の製作年代もその頃と推定される。木彫が全盛である平安時代初期の珍しい塑造の作例。老齢の相を巧みに表現する ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 夢殿
法隆寺 玉虫厨子(法隆寺)   主尊の安置と荘厳が一体化した信仰の結晶である。図案的構成や、細部の技法などに中国六朝時代の遺品に通じる部分があり、飛鳥時代の様式を示す、建築や木工、金工、漆工等の総合製作で、それぞれの優れた技法が渾然と融合された最も傑出した遺品である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20160422 法隆寺 西院伽藍
法隆寺 木造釈迦如来及両脇侍坐像(上堂安置)(法隆寺)  上堂の本尊。寄木造の平安時代中期の作で、製作年代は不明ながら、正暦元年(990)頃の作になる同寺講堂の本尊よりも剛健で古様な作風を示し、裳懸宣字座の台座なども古式である ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 
法隆寺 乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)(法隆寺) 西円堂の本尊。唐招提寺の盧舎那仏と並ぶ脱活乾漆造の巨像で、見開いた目や豊かな肉付けに特色がある。千仏と七仏薬師をあらわす光背は鎌倉時代のものだが、八角形の装飾性豊かな裳懸座は当初のものを伝える ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 20180227 西円堂
法隆寺 木造聖徳太子及び侍者(山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師)坐像 5躯(聖霊院安置)(法隆寺) 45歳の太子が勝鬘経を講じた時の姿で、4人の侍者を随える。保安2年(1121)、聖霊院再興の時に新造された。秘仏であるため截金を交えた彩色文様がよく残る。まなじりを上げた太子の表情は緊張感があり、大づかみながら洗練された作風を示す ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 20180227 聖霊院
法隆寺 黒漆螺鈿卓(法隆寺)  聖霊院に伝わる前机で、長い鷺脚を持つ繊細な姿形につくる。総体黒漆塗とし、蝶や唐草などの文様を螺鈿であらわし、要所に金銅唐草彫の金物を打つ。平安時代の装飾性の高い大形の卓として貴重な作例 ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 
法隆寺 四騎獅子狩文錦(法隆寺)   連珠円文の中に左右相称の獅子狩文を配した独特の文様、さらに人物の容貌や頭冠の形などに、ササン朝ペルシアの影響が見られるが、馬の尻部分に「吉」「山」の漢字が織り込まれていることから、中国で製織されたものと考えられる。複雑な文様構成であるが、文様の崩れや形式化もなく、見事な織技が見られる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

20171004 京都国立博物館「国宝展」
室生寺 室生寺金堂 金堂は9世紀後半に建立され、室生寺では五重塔に次いで古い建物である。金堂は平面的に正堂と礼堂に分かれるが、一つの屋根で覆われている。金堂の建立当初には礼堂が無く、鎌倉時代に増築され、現在の礼堂は寛文12年(1672)に改築された。よろい坂と呼ばれる急な石段を登り詰めたところからみる金堂は、礼堂の懸造、変化に富んだこけら葺の屋根とが上手く強調しあい、柔らかくて立体感のある外観として周囲の環境にとけ込んでいる。 奈良県国宝マップ 20120429 室生寺

20170511 室生寺

室生寺 室生寺五重塔  屋外に建つ五重塔としては、最も小さい塔である。建立年代は不詳であるが、部材の年輪年代測定、構造手法や細部様式から平安時代初期に建てられたと考えられる。塔の全体的な外観は上代の塔として柱間の逓減が少なく、横幅に比べて少し縦て伸びした印象を受ける。屋根は檜皮葺で柔らかな感じを表現しているが、建立当初は厚板葺で、現在とは異なった外観を呈していた。 奈良県国宝マップ 20120429 室生寺

20170511 室生寺

室生寺 室生寺本堂(灌頂堂)  密教で重要なる儀式である灌頂を行う建物で、灌頂堂とも呼ばれる。平面はほぼ正方形で、外陣と内陣に分かれ、それぞれの内部には柱を立てていない。外観は急勾配で大きな屋根を架けているが、檜皮葺にして軒先を大きく反り上げているため、重苦しい感じはない。建築様式は和様を基調にして、大仏様、禅宗様を上手く取り入れている。建立年代は延慶元年(1308)の建立で、灌頂堂としては古例である。 奈良県国宝マップ 20120429 室生寺

20170511 室生寺

室生寺 伝帝釈天曼荼羅図 (室生寺 板絵著色 1面) 中尊が独鈷杵を持つ天部形であるところから帝釈天と推定され、本図を帝釈天曼荼羅と称すべきとも思われるが、室生寺がもともと室生竜穴神の神宮寺であったことから竜王曼荼羅あるいは請雨経曼荼羅の一種とする説も行われている 奈良県国宝マップ  
室生寺 木造釈迦如来坐像(室生寺) 弥勒堂に安置される等身大の像。量感豊かな体躯と、襞数多く鋭い彫り口の衣文に平安初期彫刻の特色がよくあらわれている。個性的な相貌だが、耳の形などは本尊と共通し、室生寺工房というべき同系統の仏師の作であることが知られる 奈良県国宝マップ 20170511 室生寺
室生寺 木造釈迦如来立像(金堂安置)(室生寺) 金堂の本尊で一木造りの平安初期の像。漣波式と呼ばれる流麗な衣文が特徴的で、衣文線にそって截金がおかれる。宝相華唐草と七仏薬師を描いた板光背も貴重である。釈迦としてまつられるが本来は薬師如来として造立された像 奈良県国宝マップ 20170511 室生寺
室生寺 木造十一面観音立像(所在金堂)(室生寺) 本尊及び薬師如来、文殊菩薩、地蔵菩薩の諸像とともに金堂にまつられる。頬の張った相好が印象的な平安初期一木造りの像。本尊とはやや作風が異なるが、衣文や耳の形は室生寺の平安初期彫像に共通する独特の形状を示す 奈良県国宝マップ 20170511 室生寺
薬師寺 薬師寺東院堂  本尊は国宝聖観音である。弘安八年(一二八五)の建立であって、古い平面が守られている。しかし様式にはこの時代の特徴がよくみられる。 鎌倉時代仏堂の優品の一である 奈良県国宝マップ

薬師寺

 20180615 薬師寺
薬師寺 薬師寺東塔  薬師寺は持統・文武両帝が畝傍山東方に創建したのがはじまりで、平城京遷都にともない現在地に改めて造営された。東塔は創建時の唯一の建築で、天平2年(730)の建立と考えられている。各重に裳階をつけるため、三重塔であるが、屋根は六重。全体の安定した形態や、相輪の楽奏天人彫刻をもつ水煙など、比類ない造形美である 奈良県国宝マップ

薬師寺

20101024 薬師寺
薬師寺 仏足石 (薬師寺 753年) 六面体に近い自然石(角礫石)の上面に仏足図、側面に由来などを線刻する。天平勝宝3年(753)に文室真人智努が亡夫人のために刻ませた。仏足跡は鹿野園で王玄策が写したものを黄文本実が唐で転写し我が国にもたらしたのに基づく 奈良県国宝マップ

薬師寺

20101024 薬師寺
薬師寺 仏足跡歌碑 (薬師寺 奈良時代) 扁平な粘板岩の表面を上下二段に分け、上段に11首、下段に10首の和歌を楷書で陰刻する。1字1音の万葉仮名で表し、仏教遺物としても、歌学史上の資料としても貴重である 奈良県国宝マップ

薬師寺

20101024 薬師寺
薬師寺 銅造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)(薬師寺) 薬師寺の本尊。整ったプロポーションと細部まで行き届いた造形に唐代彫刻の影響が認められる。中尊台座にあらわされた葡萄唐草や四神などの意匠は珍しい。藤原京薬師寺から移したとする説と、平城京薬師寺で新鋳したとする2説がある 奈良県国宝マップ

薬師寺

20101024 薬師寺
薬師寺 慈恩大師像 (薬師寺 絹本著色 1幅) 慈恩大師(632〜682)は玄奘三蔵の弟子で法相宗の開祖。忌日には肖像を掲げて慈恩会が催される。本図は将来画像を粉本に平安時代末に描かれたものと推定される。興福寺本は立像だが、薬師寺本は坐像に描かれる 奈良県国宝マップ

薬師寺

 
薬師寺 吉祥天像 (薬師寺 麻布著色 1面) 麻布に吉祥天を蛾眉豊頬の唐代美女風に描く。斜め向きの構図から大画面の一部とする説もある。薬師寺で吉祥悔過がはじまった宝亀3年(772)頃の作とみられる。数少ない天平絵画の遺品として貴重である 奈良県国宝マップ

薬師寺

20101024 薬師寺

20171004 京都国立博物館「国宝展」

薬師寺 銅造観音菩薩立像(東院堂安置)(薬師寺) 東院堂の本尊。直立の姿勢や鰭のような裳裾など、正面観賞性の強い姿は古様だが、その一方で体奥は厚く、薄手の衣の表現は巧みで、装身具は装飾性に富む。新旧の様式の混在が認められ、東院堂が建立された養老年間(717〜723)の作と推定される 奈良県国宝マップ

薬師寺

20180615 薬師寺
薬師寺 木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像(薬師寺) 薬師寺の鎮守八幡神社に伝わった像で、当社が勧請された寛平年間(889〜898)の作と推定される。一木造り彩色仕上げになる。量感ある体躯や翻波式衣文は平安初期彫刻の特色である。初期神像彫刻の傑作 奈良県国宝マップ

薬師寺

20160505 奈良国立博物館(仏像館)

20171004 京都国立博物館「国宝展」

大和文華館 寝覚物語絵巻 (近畿日本鉄道蔵・大和文華館保管 紙本著色 1巻) 菅原孝標の女の作と伝えられる『夜半の寝覚』を題材とした絵巻です。『夜半の寝覚』は、姉の夫や冷泉帝(のちに院)に愛された寝覚の上の波乱に満ちた生涯を語ります 大和文華館 20171107 国宝展V
大和文華館 風俗図(松浦屏風) (近畿日本鉄道蔵・大和文華館保管 紙本金地著色 六曲一双) 遊女と遊里で養われていた童女、禿を金地屏風に大きく描いた作品です。日本絵画を見渡しても、ほぼ等身大に近い大きさに描いた群像表現は他に例がありません。贅を極めた遊女たちの世界が、金地の画面に凝縮されています。松浦屏風という名称は、九州の平戸藩、松浦家に伝えられていたことに由来します。 大和文華館 20170514 大和文華館
大和文華館 帰牧図(騎牛) 李迪筆 (近畿日本鉄道蔵・大和文華館保管 絹本著色 1幅 南宋時代) 李迪は南宋の孝宗・光宗・寧宗年間に活躍した宮廷画家です。「騎牛幅(右幅)」に描かれる雉子を杖先につけた牧童は、凍えるように背を丸め、淡墨ではかれた画面には、わずかに積もった雪上を歩む牛の足音が静寂のなかに響いています。限定されたモチーフの描写からは、凍てついた空気感までもが伝わってくるかのようで、宋人の自己を見つめる鋭い眼差しまでもが表現されています。 大和文華館 20171017 国宝展U
大和文華館 一字蓮台法華経(普賢勧発品)(近畿日本鉄道蔵・大和文華館保管) 金銀の切箔や砂子を散らした美しい料紙に、『法華経』二十八品の最後の部分「普賢菩薩勧発品」を書写したものです。巻頭、見返しの部分には法会の様子を描いた大和絵が添えられます。 大和文華館 20171115 国宝展W
吉野水分神社 木造玉依姫命坐像(吉野水分神社) 鎌倉時代の作。絵巻に描かれている女性の姿を彫刻に再現したかと思わせる女神像である。日本の神像彫刻には素朴な作風のものが多い中で、本作品は玉眼(眼の部分に水晶を嵌め込む技法)を採用した本格的な彫刻である。像内に建長3年(1251年)の銘がある。本殿の右殿(向かって左)に安置される。神社の神体であるため、一般には公開されず、展覧会等に出品された記録もない ウィキペディア   
霊山寺 霊山寺本堂 薬師寺東院堂と同じ工匠によって弘安6年(1283)上棟された。平面は外陣、内陣、脇陣、後堂に区分される密教系仏堂の典型である。軒の組物は尾垂木付きの二手先、向拝は出組にして菱形支輪を付けている。内部は全面に天井をはって、外陣・内陣・脇陣は折上小組格天井にしている。このように内外の意匠は繊細で落ち着いた雰囲気にまとめられ、この時代の基準作である 奈良県国宝マップ 20160502 霊山寺