ハードディスクの中身を確認していたところ、こんな文を平成27年に書いていたことを発見しました。
ここに登場する孫も今や成人し、背も180pで、小柄な私を見下ろすようになってきましたが、
爺の威厳を見かけだけでも必死で保っています。
今頃、こんな古い文を小原クリニックのhome pageに掲載するのは、何か興ざめの感ありですが。
さて
8月1日(金)より8月3日(日)にかけて、恒例の奈良医大旧がんセンター・浜田会(深田久弥の日本百名山に
登る会)に参加しました。今回も、孫の兼くん(小学校6年生)と二人の参加で、北アルプスの名峰・白馬岳に
挑戦しました。
午前9時、八ヶ岳の山荘を出発。12時過ぎに栂池高原ロープウェイ発着所に到着。二人で昼食(とろろそば)
を済ませ、浜田会メンバーの集合を待ち、午後1時にロープウェイで、栂池スキー場のてっぺんまで。
さあ、これから苦難の道が始まります。 白馬乗鞍岳(標高2469m)を超え、白馬大池山荘まで。白馬乗鞍岳への道のりは、天狗原まではルンルン、しかし、ここから大きな石の折り重なっているガレ場が延々と続きます。途中、小さな雪渓(と云えど、アイゼン着用)を進み、やっと頂上に。そこから山荘までの下りもガレ場続きで、やっと夕刻6時に白馬大池山荘に到着しました。 疲労困憊。 夕食後、兼くんと星の煌めく夏の夜空を堪能。 天の川、彦星、織姫星、北斗七星、スバル座、カシオペア座、流星、人工衛星・・・、最高!! 1畳に二人寝の狭い山荘でも熟睡。ただ、消灯後もだべり続ける女性客に「やかましい!」と手島さんの一喝、お見事!! |
さて、二日目、小蓮華岳(標高2766m)を超え、三国境(標高2751m)を経て目標の白馬岳(標高2932m)への本物の苦難が待っていました。4時半起床、朝食をすませ、5時半に山小屋出発。小蓮華岳までの稜線登行中、コマクサの群生、ライチョウ親子に心を癒されながら、やっと小蓮華岳の頂上に。三国境越しに、はるか向こうに見える白馬岳を目指し、さらに稜線を進みました。
今回は、写真のように天候に恵まれたことが救いで、これ以外は苦難のみ。7時間かけて、やっと12時過ぎに白馬岳山頂に到着しました。 しかし、予定の時間よりかなり遅れを取っていましたので、昼食を取り、記念撮影を済ませ、頂上征服の達成感も束の間、そそくさと帰路に就きました。今日登ってきた稜線を折り返し、昨日登った白馬乗鞍岳のガレ場を超えての道程です。 |
想像するだけでもゾッとします。決定的ダメージを受けたのは、白馬乗鞍岳のガレ場降りでした。延々続くガレ場の岩の一つ一つに足場を見付けながらの歩行は、上り以上に遥かに辛く、黙々と一歩一歩、足を運びながら、やっとの思いで、栂池高原ロープウェイ発着所に到着しました。朝の5時から夕刻の5時でまで、12時間を費やしての往復でした。登山靴を脱いで、足の指を見ると、6本の爪床に血豆が出来ており、その苦行がつぶさに解ります。 この苦行を黙々とこなした孫の兼には、頭が下がる思いで、涙腺が思いきり緩み、また、彼の成長を思うにつけ、さらに緩み、汗で濡れたタオルがより一層重くなりました。 |
2年前より、禁酒を続けておりますが、さすがにその日に夕食でビールを堪 能させて頂きました。 翌朝、歴史に興味を持っている兼にご褒美として、国宝・松本城を見学して、帰路に就きました。松本城天守閣の階段は、勾配がきつく、殊に最上層へは傾斜角61度、一段40cmと驚異的で、下山したバカリの私の足は、悲鳴を挙げました。 楽しみにしていた名峰・白馬岳山行もあっという間に終わりましたが、その中身の濃さが大きな思い出となりました。殊に、兼にとっては、今回だけでなく、これまでの浜田会での山行が将来、必ず出くわす困難を乗り越えるための大きな心の糧となると信じています。 浜田会の皆様に、心より感謝して。 |
小原クリニック 小原壮一
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