南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
Since December 23, 2015

< 加賀金沢小杉屋 Old Writings Kosugiya >

文字入力
  検索クリック
検索クリック後、X-キーを押す。再検索は[文字入力]をクリック。

加賀金沢小杉屋 Old Writings Kosugiya.

ここでは幕末に呉服太物屋の商人として活躍した松居五郎右衛門を中心に周囲の人々の手紙や覚え書を解説して行きます。松居五郎右衛門(別名12代五郎右衛門)は近江商人で金沢の尾張町に「小杉屋」という店を出していました。文雅にも興味があり、梁川星巌や貫名菘翁と交際あり。義父は小杉五郎右衛門(1785-1854、別名11代五郎右衛門)という富豪で近江国神崎郡位田村(現滋賀県東近江市五個荘竜田町)の出身で加賀に店を出しました。松居五郎右衛門もおそらく同村出身である。松居五郎右衛門宛に「小杉五郎右衛門」と書いた手紙が#57にみえておりこの人が確かに11代の後継者であったことがわかる。
この地区の商人は少し南の日野や近江八幡の商人より後発でしたが幕末には多いに繁栄しました。交際の商人は下の如く加州(加賀)、能州(能登)、越中など様々です。なお12代五郎右衛門(松居五郎右衛門)の次の後継者が13代五郎右衛門で名前は小杉五郎右衛門であり、11代の名字の小杉に戻っている。この人も明治時代に活躍した。所持の古文書は大部分が松居五郎右衛門の関連だが13代の小杉五郎右衛門の文書も一部ある。金沢尾張町の「小杉屋」は以前旅館「住吉屋」があった所である、#11、#44に記載。参考書:国会図書デジタル、「近江商人」平瀬光慶著、近江尚商会刊、1911。

文書番号とタイトルの一覧

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション 続編
これは2階から1階へ段々降りてきてポスターを見ている像である。美しい中の画像はNew York Public Library所蔵のposterで感謝して使わせていただいた。
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●cssアニメーション
カンが回転しながら左右を移動する。画像の上のstartボタンをクリックして下さい。下のスクロールバーをスライドさせても動く。Román Cortés氏のcoke-canのアニメーションを改造したものである。
http://www.romancortes.com/blog/pure-css-coke-can/

 

●#254. 当年は私方店屋番にて 頓て代人思わ敷無之
店主松居五郎右衛門より茂助への手紙と友七への覚え書である。手紙は#253の内容に近い内容である。茂助は金沢ではなく大和、河内方面に店を持っている時かもしれない。そして太右衛門の死去が書かれる。 覚えは博多帯拾本を友七に渡した時のものである。#98にも棚卸しの記載がある。

●#253. 右之通相渡り申候間 御地之都合如何
店主松居五郎右衛門より番頭茂助と友七への手紙。近江に帰国しているらしい。新年の挨拶と為替に取り組み金子を受け取った事、また病気だった太右衛門が死去した事が書かれる。

●#252. 当卅日之金子 太七様へ御願申上候処
松居五郎右衛門より松居常七への手紙。店主より番頭への手紙である。松居五郎右衛門よりの手紙は少数で別に分けていたので掲載が遅れた。6月30日に入る予定の金子が8月末になるだろうとの連絡である。

栞250 

上に戻る BACK TO TOP

●#251. 御繁用之御中恐入奉存候へ共 宜敷御頼申上候
権次郎より大坂小杉屋茂助への手紙。権次郎は金沢、越中方面に店を出している。世情の事や商品の事など書いている。

●#250. 為替に取組右藤生氏より申来り候事
松居五郎右衛門が所持した紙。為替金、藤生友次郎、奥井武左衛門、卯兵衛の事が書かれる。藤生友次郎は上州桐原村の人である。藤生氏と卯兵衛は#142にも書かれている。

●#249. 其節利足銀之義承り候処
昌次郎より金沢小杉屋常七への手紙。難読の手紙で誤読ある可能性あり。

●#248. 奉書紬紫中形十四疋
京店より北国=金沢小杉屋への商品送付の扣の手紙。暗号は#197に解説。「ム」が不明。

●#247. 才川浅の川両条川町 遊女相立繁昌成事に御座候
金沢小杉屋松居五郎右衛門より小杉五郎右衛門への手紙。手紙の内容に金沢の川、才川、浅の川、金店とあるのでこれは金沢小杉屋松居五郎右衛門からの手紙とわかる。また金沢店の番頭、常七が帰国とある。時は1両=銀68匁にて卯年=1855年ではないだろうか。「出府」は京都在住を意味しており、また敬語の使用より小杉五郎右衛門は11代目で松居五郎右衛門の先代ではないだろうか。

●#246. 伏見表大火 一印会印大坂より押寄八ケ所火之手
吉左衛門、吉助より小杉屋京店、近江屋善造への手紙。筆跡は#232と#89の手紙の吉助に同じ。伏見で火事があったらしいと書く。一印会印=火事の比喩は驚き。曼陀羅一印会の大日如来は周囲に火輪があり、また火に包まれた不動明王は大日如来の化身である。大阪河内長野の金剛寺の大日如来は有名。追伸は2通を両替屋で換金する意味である、#89に同様に記述があり。

●#245. 尚々前文之通り兼て一条 此度申上度存居候へ共
美濃国笠松の田中屋岩次郎より小杉屋京店の近江屋善蔵への手紙。御祝の御礼、幕末の騒がしい様子、仕事の事など書かれる。#53、#84に同様の手紙あり。#53は同じ筆跡。字は難読である。

●#244. 言葉尻をとられぬ様に御取計可被下候
金沢小杉屋茂助より京店甚助への手紙。様々の仕事上の用事が書かれる。だがここに表書きで小杉屋京店の場所が「六角堺町西入」、店の正式名は「近江屋善蔵」と判明した。

●#243. 金巾紫麻形五疋 若次様へ差送り申候
常七より金沢小杉屋茂助への覚。若次へ金巾を2種類送ったのでそのようにして帳面などして下さいという内容である。

●#242. 百拾両ならて無御座候 此段篤と御しらべ可被下候
清屋茂助より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。110両が到着した手紙であるが、松居五郎右衛門は115両送ったと書いた。しかし自分らが勘定したら110両に違いないと書く。「ならで無御座候=に違いない」という二重否定文がある。この表現につき我が国には江戸時代から確固として存在していたと判る。

栞240 

上に戻る BACK TO TOP

●#241. 当春は下店北国方えは下向不仕候間 宜御頼申上候
綛屋久三郎より松居五郎右衛門への手紙。北国の為替を金沢の松居五郎右衛門に三度便で送るのでそちらの平小に渡してほしい。役定の期限で金に替えられる。以上の内容である。

●#240. 源七指引一件荒方相調へ 本人出世証文之義是非相認可申様
丸遠より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。小杉屋で働いていた源七が鍵五の店に移るようである。源七が先に銀五貫五百匁の金銭を受け取る時の出世証文に認め印をしてほしいとの内容と思う。

●#239. 四疋之内弐疋は仕入に仕候間 残り弐疋貴家様御入帳
金純昌治郎より金沢小杉屋常七への手紙。服連、毛織物4疋を送って貰ったが返品を言ったらすべての返品を指示された。しかし2疋のみ返品で残り2疋は買入ますとの手紙。不明確の字があり誤読もあると思う。松居善余は初出で不明の人。

●#238. 貴家様当廿日頃御上京之由 下拙義夫迄当地へ相待居候
上方の政七より金沢小杉屋松居茂助への手紙。政七は文面より茂助の大和河内の店に勤めて居る(#163)。ここは主人松居五郎右衛門が留守で茂助の金沢よりの上京をお待ちしますとの内容。

●#237. 其節卓丈短冊御無心申上
久保三郎助より金沢小杉屋松居常七への手紙。先日御馳走を受けた御礼、そこで俳人卓丈の短冊を無心して貰った事。一方俳人高風の短冊を頼まれたのでこの手紙とともに常七に渡した。早稲田大学に卓丈の短冊が所蔵されており一部掲載させていただいた。

●#236. 備前備中売物大不印にて丸て売不申候に付 讃州丸亀へ
治兵衛より松居茂助への手紙。中国筋へ商売に来たが備前、備中では不印にてまるで売れず、讃州丸亀で商品を売っている。#170と同一人の手紙で備後尾道に2軒300両の為替金の取立てに来たがこちらはまたまた金が畳表になっており、丁重に断られた。尾道の商人はしたたか者である。ここで中国地方の意味の「中国筋」が幕末に使われている。

●#235. 覚四通 小白男帯四筋
金沢小杉屋松居五郎右衛門が受けた覚四通。様々である。郡中織を軍忠と当字で書いている。1両=銀68匁であった。酉=1861年、亥=1863年である。

●#234. 全当方不行届当方の不調法に御座候
藤井屋広助より金沢小杉屋松居常七への手紙。萌黄色の絣を24疋送ったが20疋しか届かなかった。広助が吟味すると4疋が外の方へ紛れ込んでいた。当方の不行届と謝罪した。

●#233. 覚三通 御帳合可被成下候
覚3通で内容は様々である。

●#232. 絶筆驚筆大不向に奉存候 大坂表も所々炮焼
吉助より大和、河内の小杉屋支店茂助への返事の手紙。大坂で「炮焼」があり、大坂の本町あたりは焼けなかったとある。1863年(文久3年)11月21日新町橋東詰五幸町(現中央区南船場)より出火、西風で東に燃え広がったという「新町焼け」があった。これは外国船や戦争の大砲で焼けたものではないが文久3年が合っている。これであろうと思う、手紙は年明け正月12日で「商売が始まった」に適合する。

栞230 

上に戻る BACK TO TOP

●#231. 此金拾壱両弐朱兌 右通り指上候間
2報の覚。上は各色の縮緬3反を発送した知らせ。下は銀756.5匁を差上る覚。金1両は他の文書と同じく銀68匁であった。兌は「かえ(へ)」と読むに違いないと思う。三度は月三度の地域間の送り便である。

●#230. 右は御涼所ぬれ縁 御算用相済申候
京大工の忠次郎より松居五郎右衛門への覚。松居五郎右衛門のおそらく京都の住居の御涼所の縁側、ぬれ縁を造ったか修理したかの代金5両1分を受け取った領収書である。

●#229. 緋縮面弐疋 此分値段被御知可被下候
木屋藤蔵より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。小杉屋から買う品を書いた覚である。「札」は値札である。別織は不明。

●#228. 紅梅〆ちりめん弐疋 弐百目ヨリ弐拾目迄
越中城端の梅嶋屋庄右衛門より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。郡中とちりめんを注文している。郡中は縦糸に絹糸、横糸に木綿を用いた厚い布で女帯地。「弐百目」は1疋当りの単価が銀200匁の意味だろう。安所は値段の安い所の品物。

●#227. 唐〆手本少々持参候御様子 此度は仕入も相見合候
近江の源七より金沢小杉屋仙吉への手紙。仙吉は京都に居る。身内の源七が一百より購入した緋絞り染め2疋を直日張にして仕立しておくように。また指横平よりの唐〆手本分につき上物で1両の値ならば5反だけ買入れて余は買入は見合せるように。商品は金沢に送るとある。

●#226. 御旦那様より御腹薬弐貼 御預り候処
米屋長七より金沢小杉屋番頭常七への手紙。長七は常七と懇意な商人のようである。注文の3疋の幕地が未着。麝香を注文し商品は小兵衛という別人が運ぶので預けてほしい、麝香は長七が売捌く。腹薬とあるが常七は腹痛があった(#44)、番頭にてストレス胃潰瘍であったと思う。また鶏卵90個送っている、内40個は住吉屋の注文であった。「貼」が粉薬の包の数の単位であるのに驚いた。

●#225. 御替銀之事故実は相忘居申候
能登国鹿嶋郡所口町高昌屋久右衛門より金沢松居五郎右衛門への手紙。五郎右衛門に払ってもらっていた1両の取替銀を忘れており謝し払いますとの内容。

●#224. 新春之御吉慶不可有際限 買物代銀壱貫百四拾目指上
能登国鹿嶋郡所口町高昌屋久右衛門より金沢松居五郎右衛門への手紙。新年の挨拶と買物代銀を差し上げますとの内容。戌年=文久2年=1862年の手紙。新年の手紙は典型的である。

●#223. 右之通御座候得は 双方出入無御座候
能登国鹿嶋郡所口町高昌屋久右衛門、代理治兵衛より金沢松居五郎右衛門への手紙。これまでの借金銀3333.18匁に対し8月の入金を計算し、残りの銀239.5匁分を治兵衛がこの10月に払った。尚金1両=銀68匁の交換率であった。他の文書よりこの酉年は文久元年=1861年の手紙である。

●#222. 三疋たけ御返し申上候間 御帳消可被成下候様御頼
能登国鹿嶋郡所口町高昌屋久右衛門より松居五郎右衛門への手紙。本紅梅5疋中3疋を返品するとの内容である。

栞220 

上に戻る BACK TO TOP

●#221. 金子壱両 御名前聞違にて尊家様へ指送リ誠に失念
能登国鹿嶋郡所口町高昌屋久右衛門より松居五郎右衛門への手紙。ここは1両を中便で松居吉右衛門に送るつもりが間違えて松居五郎右衛門に送ったのでそちらに渡してほしいとする。「中便に一両指送リ」とあり、これまで不明であった「中」が小口の金の運賃であると判明した。ここでは松居五郎右衛門は在所の位田村に居るようだ、近所に松居姓の人が多そうな所なので。

●#220. 九百目御跡様なから 御請取可被下候
世郎次より松居五郎右衛門への手紙。昨夜御馳走になった御礼。また金沢竪町の親分へ何か依頼の手紙を上げた、その返事が昼に戻った。何かの取替になっていた費用、銀900匁をあなたに渡します。大体以上の内容である。

●#219. 金巾中紅抜廿四疋 金巾絣染廿六疋
京店より金沢小杉屋米吉への手紙。例によって人気の高かった金巾3種類を京都から送っている。

●#218. 京江屋次兵衛殿持 入日記
京店より金沢小杉屋米吉への手紙。様々な商品を送っている。商品はさらに得意先に届けられる。

●#217. 右通り差下し申候 定て無事着御入手
京店甚助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。商品を送った事を示す手紙。

●#216. 真田子供帯九丸 〆渋紙包壱つ
京店より金沢小杉屋留守番の米吉への手紙。筆跡より常七のようだ。様々な商品を送っている。北陸の各店からの注文品も送っている事がわかる。

●#215. 干いわし大百到来仕候 乍憚御礼可被下候
京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。村井屋より為替の入金があった。代り金義為替手形を渡したのでそちらに来たら正式の為替手形を渡してほしい。石見屋治兵衛注文品の紬を送付した、同人より鰯を送って貰った。以上の内容である。

●#214. 二月五日渡為替 日限無相違御渡し可被下候
京店甚助より金沢小杉屋番頭茂助への手紙。為替の連絡。三件の為替金が渡りになる2月5日に仲介両替屋平小などに為替手形を渡して金を受け取るようにとの内容である。

●#213. 右之通り差下し申上候 縮面黒相入六疋
京店甚助より金沢小杉屋常七への手紙。三度便で多くの商品を送っている。暗号は#203を参照、ほぼ合っているがやや不明もある。商品の詳細不明の点もあるが大体は想像できると思う。皮色、紺色、藤色、紫色、黒色や生成色、納戸色は多く記載があり基本的な重要な色であった。

●#212. 萌黄すすし四反 黒ヘルト壱筌
京店より北国=金沢小杉屋への手紙。様々な商品を送る。能登屋に売る商品が主で送料は能登屋持ちらしい。綟子、皮子、すずし、ヘルト、雪踏とこれまで見ていない商品が多く記されている。

栞210 

上に戻る BACK TO TOP

●#211. 筆末乍憚何も様方へ宜 ふして御鶴声可被下候
岩木屋源次郎より松居吉治郎への手紙。吉次郎は松居五郎右衛門の血縁には違いないが詳細不明、丸小=在所の人ではないので金沢小杉屋を継いだ人かもしれない。源次郎は難しい謙譲語を多く使う人である。他の手紙はないのでこちらも詳細不明の人である。

●#210. 短報二つ 申年之差引帳壱冊
1つは丸小、小杉の在所、近江国位田村の店より金沢常七への短報で赤井屋治兵衛便の運賃を記している。他1つは京店より金沢の小助へのもので差引帳を京都に届けるようにとの内容である。申年は1860年=万延元年である。

●#209. 南京織厚弐反 京立嶋三反
米次より金沢小杉屋への覚。商品を送っている。米次は小杉屋の身内の人ではないと思う。

●#208. 奉書紬六拾八疋札引 〆板〆壱箇り
京店より金沢小杉屋松居忠七への手紙。奉書紬68疋を三度便で送ったとの内容である。箇り:こおり。

●#207. 紋真田女帯七十弐本 杉皮〆壱箇
京店甚助より金沢小杉屋忠七への手紙。真田女帯を多数送っている。杉の皮は紙、渋紙、油紙、板とともに反物、衣料を包むためによく使われていた。おそらく鼠に齧られる恐れのある品には有効であろう。北国は金沢のこと。

●#206. 小倉袴地百三十九反 京嶋生仕立弐百十八反
京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。山舞紬、小倉袴地、京嶋とこれまでにもよく見られた商品を送っている。不明のものもあり。

●#205. 古帳并にゆいた用古文庫 急々為御登可被下候
京店より金沢小杉屋への手紙。張物に使う板がないので金沢から京都に送ってほしいとの内容である。汚れたり古くなった着物を分解して洗い糊をして乾燥するための板である。

●#204. 二白小彦様御染地出来候に付 別紙之通り差下し申上候
京店より金沢小杉屋への手紙。様々な商品の送りについて書かれる。今回は商品の読みや詳細は不明なものも多い。

●#203. 右差下し有之候 此分は右御申越之品にては無御座候哉
京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。様々な商品について書かれる。#197以降暗号が大体解読できたので値段がよくわかるようになった、線で抹消した部分もよく合致している。

●#202. 御為替方三家 井光夷屋三つ井にて候
京店甚助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。様々な取引が書かれる。また夷屋、三井の豪商が書かれる。

栞200 

上に戻る BACK TO TOP

●#201. 重緋縮面五疋廿九日出に差下し可申候
京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。様々な商品を送る。博田帯は博多帯で大変人気が高かった。

●#200. 頼助様へこのわた壱桶干鰯壱つと 慥に相届け申候
京店甚助より金沢小杉屋番頭茂助への手紙。今回も様々な商品を金沢に送っている。目方も20貫=75kgに登る。このわた1桶と干鰯1つと頼助(身内の者)に届けている。

●#199. 金巾紺中形拾八疋などと文庫紙にて御座候
小杉屋京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。商品送付の知らせである。たとう紙=文庫紙とよばれる呉服を包む紙にも様々の種類がある、手持ち分の紙を記している。

●#198. 京嶋生仕立五十七反 京嶋相見甚十九反に御座候
京店甚助より金沢小杉屋茂助への手紙。商品送付の入日記である、72貫=270kgの布の荷物を記載した。京嶋の布が同で沢山続く、人気が大変高かった。また小倉袴地も人気があった。#175に狭羽口と広羽口の記載があったが、羽口は布を包んで送るためのものであった。羽口の付いた紙で布を巻きつけて円筒状にしたものが一本らしい。1荷物が12貫=45kg位迄であったようだ。

●#197. 都合ノ天メりサ反 右之通り御座候
京店の甚助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。大和茂助とあり茂助は大和での買付に出店している。反数の計算の暗号から一部が解読できた。そして暗号は1から9へ「カメ(ホ)ノクサゐ(ヰ)ナキニ」かも知れない。天=百、り=拾、O=O、千(チ)=千は確定。

●#196. 金巾類至て不印にて売し不申 多少御帰し申候
升屋番頭の次助より小杉屋出店の茂助への手紙。先日売りを委託された金巾類はできるだけ自分で売るが、総じて不人気にて一部御返しするだろうとの内容。

●#195. 村久殿より金弐百廿両請取 手形相問候はば無相違御渡
京店甚助より金沢小杉屋番頭茂助への手紙。村久より為替金220両受け取った。「代り為替手形」とはおそらく手形代わりに甚助が村久に渡した手形代わりの紙であろう。為替手形は金沢にあるので村久が為替手形を渡してくれるよう言って来たら渡してほしいと書いている。

●#194. 五ケ小厚紙五百枚計極上もの 布新殿へ注文
小杉屋京店甚助よりおそらく金沢小杉屋政七への手紙。京店の得意様布新のために小厚紙500枚の急送を頼んでいる。この紙はたとう紙=文庫紙とよばれているもので図のような呉服を包む紙である。

●#193. 京嶋ホ天九反御注文之処 先日出荷之嶋柄相除
小杉屋京店甚助より金沢小杉屋番頭茂助への手紙。京嶋100-200反などの商品送付の手紙。金巾のせん「荃」は細布の意味がある、中国語でも細布の意味がある。

●#192. 明晦日限天両 来二日迄相待呉候様申聞候
小杉屋京店番頭甚助より金沢小杉屋松居常七への手紙。商品送付など書かれる。金巾と京嶋の布は金沢で大変人気が高かった。

栞190 

上に戻る BACK TO TOP

●#191. 頭痛八巻致し心痛に罷在候間 御風邪御快方急々御出京
おそらく小杉屋京店手代の又兵衛から金沢小杉屋への手紙。京店の手代は甚助であったが甚助が金沢に移って交代したようだ。「も」の特徴から常七に鍛えられた人で大変商売熱心な人である。為替金を金銀で両替して受け取る場合は金1両に手数料5-6匁(1割足らず)かかることなどが書かれる。総合的に悲観的な判断をする人なので将来胃潰瘍などストレスの病気が心配である。頭痛八巻という言葉が「大いに苦しむ」の意味で使われているのが興味深い。

●#190. 御得意様へ売内仕候物 御数申上申候
おそらく大和、河内に出店の茂助の手下より金沢小杉屋への手紙。送った品と量を書く。大和と河内物を中心に送っている、また津幡、今石動との得意様の店の地名が見える。これまで見た書きなれた茂助や甚助の字ではなくやや朴訥な字と文である。

●#189. 百両の外は御尊君様え相談可仕候旨 被仰下候
近江宮前の中村庄左衛門より金沢小杉屋番頭常七への手紙。小杉屋の金融担当の佐七郎に200両の借金を依頼したが、100両までは可で残りの100両は常七に相談してほしいとの事だった。そこでこの手紙である。手代の嘉蔵が行くので貴店の商品買入の為にも是非都合してほしい。また庄左衛門は皇女和宮が徳川家茂に嫁入りするに付、村で用事に取り掛かるとある。よってこれは1861年(文久元年)の手紙であり他の手紙と同じ時期である。

●#188. 金四百七十五両金五拾六両 慥に入手仕候
小杉京店甚助より金沢小杉屋常七等への手紙。ここでは475両と56両を送った。木部は#121に掲載の近江野洲郡木部村の錦織寺という浄土真宗の寺で在所に近い、ここで佐七郎が商品を販売する。在所とは近江神崎郡位田村。最後北国方は「金沢店の人々へ」の意味らしい。「古二種朱」が引替になるらしい。

●#187. 為替取組金子慥に受取申候 此書状着次第早速に平小殿へ御渡し
金沢小杉屋松居常七より松居茂助らへの手紙である。常七は京に出て金沢で売る商品を仕入れて送っている。常七の手紙は#126から#129、#109、#100、#98、#97、#72、#44、#33にあり、特徴的な「も」である。

●#186. 莫大之喰違にて驚入申上候
大坂屋八兵衛より金沢小杉屋への手紙。新年になる以前に八兵衛が売った郡内の布の直し違いがあったようで取調を依頼する。また別の1疋の品でも問題があったが八兵衛の吟味では別条なしと思うとする。

●#185. 廿日に一集に御かし渡可被下 奉希上候
村井屋久左衛門より金沢小杉屋政七への手紙。前の綿代と別に常七が注文の奉書紬10疋の代金を一集に10月20日に渡してくれるよう依頼の手紙。最後の「厳勘定払時」が大変難読であった。普通の代金の支払いを「御貸渡し」と書くのは相手への尊敬の意味を込めているようだ。久左衛門の手紙は#106、#40、#39にもあるが政七は年少のためか随分筆跡がことなる、しかし署名は同じ。酉年は他の文書より1861年=文久元年である。

●#184. 緋ちり面無地拾疋御注文申上候所 荷物着不仕候
布屋小七より松居五郎右衛門への手紙。亥は他の手紙同様に1863年=文久3年に違いない。注文の緋色のちり緬拾疋が未着で確かめてほしい、まだ送ってなければ七月朔日に送ってほしい。以上の内容である。「残暑」が難読であった。

●#183. 近日御下向御座候様子ならは 其砌御貴覧可被下候
本江屋伊分より松居常七への手紙。買入の3口の商品をみたが尺寸違いがある。また1品筒井梅の金襴緞子は「筋おれ」のきずがあった。この布のきずを確認するか否かを知らせてほしいと記す。最後に3品の布の尺寸の測定を記す。この後伊分は筒井梅の金襴緞子を表具屋に見せたが「きずのため使えない」となった、そして商品を返品するので帳面の取り消しを依頼した。それは11日後の手紙、下の#83でわかる。

●#182. 此度弐分判七両也 右呉服代主人さまへ
松屋久四郎から金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。二分判で7両差上げますとの手紙。久四郎の手紙は#79、#76、#75、#74、#73、#70と沢山ある。おそらく揉めて仲違いになる前の手紙であろう。

栞180 

上に戻る BACK TO TOP

●#181. 生金巾は大払底にて只今百拾弐三にて 買手沢山に御座候
京都の播磨屋卯兵衛(播卯)の和介より金沢小杉屋の番頭松居常七への手紙。常七が生金巾30反の注文を希望値(112匁位)を付けて播卯に注文した。しかしその値では無理で商品の値段は権石印125匁、馬印123匁であり手本2反を送ると書く。「生」は生成色。なおこの後の手紙が#60で値が130匁以下では無理と変わった旨が書かれている。

●#180. 大和紺惣絣織色等四百疋計 太兵衛下しに差下し可申候
上方大和の支店茂助から金沢小杉屋留守役松居政七への手紙。大和で仕入の大量の反物400疋をしっかり売捌く様依頼する内容。#122で金沢小杉屋を解雇された政七は#163では茂助の店に勤めている。しかしこの手紙は宛名の屋号が金沢小杉屋なので#122と#163よりも古い手紙である。

●#179. 乍憚となた様へも宜敷 御鳳声被下度
越中福光の久戸屋為左衛門より金沢小杉屋友七への手紙。季節の贈答品をもらった御礼の手紙である。御鳳声という尊敬語が使われる、御鶴声と同じ意味である。#420の手紙には同じ意味の「御鳳伝」が掲載されている。福光の為左衛門の店は京上方の反物を売る小杉屋にとっての御得意様であったに違いない。

●#178. 為替金弐百両手当出来申候はば残り之分 右両家へ御渡し
上方大和の支店茂助から金沢小杉屋留守役松居米吉への手紙。12月5日の200両の金を入手したら村久殿と中宇殿へ金を渡してほしい。尚運送屋赤井屋は「御地」金沢に本店がある事が判明。

●#177. 此度は大延引に付貴殿 格別に御骨折之御儀一入御察
上方大和の支店茂助から金沢小杉屋留守役松居米吉への手紙。番頭の常七は留守らしい。大和から送った荷物が20-30日もかかり大延引で金沢小杉屋の御得意様に迷惑が懸ったと書く。最後に忠七が死去したとある。#129、#135、#134に忠七が風邪の病気の事があり。#43には忠七の出した手紙があり、忠七は常七より年下(_様)、友七と同格(_殿)であった。逆に#134では友七の忠七宛の手紙が_殿であるので同格である。

●#176. 為替取組金子慥に受取申候 日限無相違手形引替御渡し
上方の支店茂助から金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。為替金のに取り組んで金に替えることは大切な事だとわかる。ここでは比較的解決が早い例が書かれている。

●#175. 結き何分貴地品切之事故 彼地参り是非買入可申候
上方の支店茂助から金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。京嶋類を値札を付けて送る、美濃で結城紬を買って送る、広羽口をこちらに送ってほしい。以上の内容である。前書は金1両の銀相場が78.75匁であることを示している。

●#174. 紋付五所之所間違 三所紋に相成当惑
小杉屋京店甚助より金沢小杉屋番頭友七への手紙。割太殿の紋付5カ所紋を京店を介して作るが3カ所紋になった。これは紋を入れる「近藤」という業者が間違えた。そちらに送るので依頼者に尋ねてほしい、不具合なら5カ所に作り直すと書いている。

●#173. 赤存外飛上り申候得共 成行如何難計御座候
上方の支店茂助から金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。#172の続きで新年の挨拶と様々な品物の事が書かれる。京都の地名があり茂助の自宅はやはり京都らしい。正月に帰宅しているのだろう。赤井屋治兵衛便の運賃が640匁に飛び上ったと書かれる。

●#172. 金千両也御登し被下 昨廿七日朝無事着慥に入手仕候
上方の支店茂助から金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。#171の続きで様々書かれる。金沢からの1000両は無事に受け取った。歳末の手紙。

栞170 

上に戻る BACK TO TOP

●#171. 晦日為登金千両也 無相違御登せ被下候由承知仕候
上方の支店茂助から金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。様々な金沢からの注文品を茂助が仕入れている。やはり京嶋、金巾などの上方、京の商品は人気が高かった。また為替が普及していてよく書かれる。下の#170のように期限が過ぎて取り組んでも簡単に表示の金高が得られる訳ではなかったので大変である。一方金沢から1000両の軍資金が茂助へ送られた。

●#170. 昨年備後表にて為替金取組 段々延引に相成居候
在所小杉治史より小杉茂助への手紙。三百両とあり未だ江戸時代のもの。松居が小杉となっているが同じと思う。ここでは茂助は京都に店がある、帰村とある在所は近江の小杉家がある位田村ではないだろうか。治史が持っていた備後尾道の鋳物屋伊兵衛と他2軒の300両の為替が皆済にならずそれを小杉茂助預りにしてもらった。申し訳ないが近日鋳物屋伊兵衛が京都の茂助方に登るのでそちらで厳しく掛合してほしい。以上の内容である。

●#169. 値札入致度候得共 左候ては出荷延引仕候
上方の出店茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。ここでも金沢の注文品などを上方の茂助が入手して金沢に送っている。値札を入れると手間がかかるのでそちらで入れてほしいと書いている。暗号は「尺」は1尺当りの布地の値段、「天」は百、「リ」は拾、「○」はゼロらしい。赤井屋治兵衛が運送屋で登場しており、その運送費が「赤」である。

●#168. 右八日迄出来之分 不残差下し申上候
上方、大和辺の出店茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。金沢近辺各地からの注文品などを上方の茂助が入手して金沢に送っているが、ここでは荷物の具体例の覚を示している。暗号の解読はできていない。

●#167. 吉治様奉書紬中形壱疋
上方、大和辺の出店茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。金沢近辺各地からの注文品を上方の茂助が入手して金沢に送っている。これまで不明の「赤」が駄賃と次の手紙で判明した。

●#166. 相返し相味そからし 当月下旬に出来可申候間先方へ
上方、大和辺の出店茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。水からし、からし、味噌からしは色名である、黄緑、黄か黄土色、赤黄褐色だろうか。相は藍色である。様々な商品を仕入れて金沢に送っている。「箇り」は他の本で「こうり」と訓を打っているので「柳行李」の大きさだと思う。古文書#349にも掲載。

●#165. 値段も盆前とは 壱弐匁は大丈夫高値に御座候
大坂に出店の茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。様々な商品を上方から金沢へ送る事が書かれる。荷物は陸送りと海送りと種類があった事がわかる。

●#164. 摂河和綿作先日和州へ罷越候節は 十一二分之作柄に御座候
大坂に出店の茂助より金沢小杉屋番頭常七への手紙。ここで「出和」、「帰京」、「帰坂」、「摂河和の綿作」とあり。茂助の店が大坂にあり大和へ仕入によく行き商いしていることが判明した、そして摂津、河内、大和が主な行動範囲である。京都は故郷である。また茂助は中和の下田、五位堂を通るので大坂でも南の藤井寺、羽曳野、堺あたりが商売の中心である。 少しでも安く仕入れをする事を大変重視している。暗号の解読が出来ていないので値段は不明、また商品名で不明のものも多い。

●#163. 織手丸で無之綿綛も此頃少々高値に相成候
大坂大和近辺に出店を持つ茂助より金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。#122で小杉屋を解雇された政七が茂助の店に勤めている。宛名が切れているが他の手紙より松居常七宛である。茂助は以前金沢小杉屋の番頭であった。現在の番頭常七に様々な商品を送っている事がわかる。仕入の値段を大変注意している。年齢は常七に「殿」を使っているので茂助が上である。

●#162. 万事無御手抜御取計御頼申上候
茂助より喜八への手紙。喜八はこれまでの手紙に登場していない。また屋号が金沢小杉屋のものとは異なるので茂助の出店の留守番役が喜八らしい。留守中の集金など様々な内容が記されている。字は総じて難読で誤読もあると思うが総意は充分理解できるものである。

栞160 

上に戻る BACK TO TOP

●#161. 第一火之用心御気を付可被下候
大和国に小杉連合の支店を持つ茂助から金沢小杉屋留守番の政七への手紙。商売の細かい事が書かれていて暗号もあり不明の箇所もあるが大筋はわかる。この手紙より茂助が大和に支店を出しているとほぼ確定した。

●#160. 御取揃三拾反計成ても 吟味之侭指送可被下候
御いし屋平兵衛より金沢小杉屋松居五郎右衛門等への手紙。先日御馳走になった御礼と注文書である。字は変則的で難読であり、誤読もあろうが大意は間違いない。商品も不明がある。他の文書より亥=1863年=文久3年の幕末である。

●#159. 御尊君様北国表より御機嫌克 当期之御帰宅被遊候
元番頭で今は別の支店を持つ茂助より松居五郎右衛門への手紙。北国より無事帰宅をねぎらう事と鍵少より10両借金している事を書く。

●#158. 当月十日頃より甚騒敷候て 商売丸休み之由逃支度而已
おそらく大坂、大和付近に店を持つ元小杉屋番頭の茂助より金沢小杉屋主人松居五郎右衛門への手紙。1863年=文久3年2月生麦事件の後3月江戸表へ異国軍艦(英国)が来て、賠償金を得ねば戦争に及ぶとの書があった。「英国と戦争になるぞ」との噂が流れ相模から江戸にかけて人々は逃支度に追われ大騒動になった。ここに江戸への舟便が中止になったことなどが書かれている。他の文書よりこの時の手紙に違いない。詳細は#53参照。

●#157. 覚 右御請可被下候
山吉より金沢小杉屋松居五郎右衛門への覚。商品名は不明で意味不明もあるが計算は合っている。また金1両=銀64匁であった。

●#156. 諸道具其外不用之品不残売払 下女等に至迄出し棚かり出店同様
おそらく金沢小杉屋の番頭であった茂助より松居五郎右衛門への手紙。支店を任されて経営して来たが、借金とその利息で回らなくなり本店へ5ヵ年の無利息貸付を願っている内容である。他の文書より戌年=1862年=文久2年で幕末の頃である。店の場所は不明であるが以後の手紙で判明するかも知れない。

●#155. 世帯道具は皆々焼失仕候故 誠に誠に困入申候
富山の米屋甚兵衛から金沢小杉屋松居茂助等への手紙。高岡に居る時富山の火事を聞いて急ぎ帰宅したが自分の家も焼けた。これは日付けが2月13日昼と書かれており、1863年(文久3年=癸亥)の富山大火と一致した。そしてその3日後亥2月16日に書かれた手紙である。

●#154. 当年は悉く仕入方値上りに付 金高不足にて困入申候
富山の米屋甚兵衛より金沢小杉屋松居五郎右衛門と店中衆への手紙。様々の内容である。松久からの荷物を小杉を介して甚兵衛が受け取る事になっていたのに〆をほどいてしまって荷数や反数が合わなくなったとする。漢方薬の大黄を松居店が注文していたが値上りしていると書いている。甚兵衛は松居五郎右衛門に借金を依頼しているのでやや遠い支店かも知れない。

●#153. 百両哉百五拾両にて過上 いせ源殿へ御渡可被下候
京店か仲間内から金沢小杉屋への手紙である。上方と金沢以北の金相場の違いで金が余ったら両替屋のいせ源に100-150両預けるように書いている。差益で利益を得るためである。ここに右から下のしんにゅうに降りる「通」がある(古文書#599、#624にも掲載)。

●#152. 当年は何連不景気大不廻りにて誠に以心痛仕候
源七より茂助への長い手紙。茂助の店の出店として反物の商売をしているが今年は大不景気で困っており、荷物は少ない便で送ってほしいと書く。茂助も金沢の小杉屋か別の所の店か不明。屋号も通常のものに横一が書き加えられている。

栞150 

上に戻る BACK TO TOP

●#151. め〆四拾弐貫弐百目 右之通り今便差下し申候
小杉屋京店より金沢小杉屋番頭茂助への商品発送の手紙。非常に多くの品を送っている。京嶋、京都の縞模様の布は金巾と並んで記載が多く大変人気があった。

●#150. 右之通り指上申候間御改 御入帳被遊可被下候
油屋長左衛門から金沢小杉屋松居五郎右衛門への覚。1、2の商品の値を合算して内金を差し引いて計算した、計算は合っている。商品名は読み難く正確でない可能性あり。#144、#61、#50にも油長の文書あり。

●#149. 相渡候品有之 此間申遣置候得共御越無之
加賀藩値段方役所より金沢小杉屋松居五郎右衛門への2月16日の手紙。渡す品があるので遣いを出したが請取に来ないので、明後日の18日請取に来なさい。ここの宛先「手判問屋」とは旅館住吉屋のことで小杉屋のあった場所である。「手判問屋」で検索すると一発で筆頭に金沢住吉屋が出て驚いた。太兵衛は住吉屋太兵衛で住吉屋の当主の名。#11、#12、#44に住吉屋を掲載。値段方役所が渡す品物とは何だろうか?参考ウェブサイト:レファレンス協同データベースにて「住吉屋」で検索。

●#148. 此間中上方より荷着仕候はば 惣々様御申越候
越中国砺波郡井波村上野屋清助より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。注文品7種を使者に渡して欲しいと書く。品で不明のもの多数あり。井波から金沢は大分離れているが使者を送っている。上方の品が人気があると書く。

●#147. 無地遣い五拾疋 七丈絹五拾疋にて御頼申上候
丸小より金沢小杉屋への商品送りの覚。布の売る値段も銀38-42匁と書いている、これは1疋か1反当りの値段であろう。

●#146. 流行仕人之心軽薄に押移り 難ケ敷時節柄に御座候
万作から金沢小杉屋常七への手紙。相場など世間の様子を書く。二朱金の相場が乱相場で上下が激しかったようで損した人があり、あなたの方は大丈夫かと心配している。又世上が軽薄で謀り商売も多いと書く。

●#145. 唯今丈を以 為御上候間絞り三本入置候
酒屋太四郎より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。先日御来訪時も会えずで絞りの商品3本をお見せする機会がなかったが、今持参してお見せしますとの手紙。元旦の手紙のようだ。

●#144. 昨日品物にて不用之品相返し申候
油長より金沢小杉屋松居店へ手紙。商品を見て手元置きの分以外のものを返すとする内容である。

●#143. 入日記 綿真田男帯九十六疋壱反 め七貫五百匁
金沢小杉屋番頭友七がおそらく京、上方で仕入れた品を店の部下に送った日記、入日記である。通し番号と荷の重量を記す。商品を送る日記では荷から盗まれて重量が減らないかが重要とわかる。1貫=3.75kg。

●#142. 御上京之節御引合被遊可被下候
卯兵衛より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。商品名が不明であるが、清水氏と藤生氏の買物の代金を清算することなど書かれる。

栞140 

上に戻る BACK TO TOP

●#141. 唯今廿貫目為御上候間 中勘御受取置被下候
酒屋太四郎から金沢小杉屋松居茂助への手紙。年が明け御年玉を貰った御礼と代銀20貫(75kg)を中勘(定)で差上げます。以上の内容である。すごい銀の重量である。

●#140. 御地之ふり合時々御申越し可被成候
小杉屋番頭の友七より同松居太兵衛への手紙。金巾や服連を仕入れて金沢に送っている。

●#139. 氷見勘定相済申候間 此段左様御承引可被下候
友七より小杉屋常七への手紙。友七は富山方面に出張中のようだ。今石動から前の手紙を出している、また氷見で勘定を受け取っている。

●#138. 右之通り相戻し申候間其着 御入消可被下候
番頭の松居友七より尊敬する先輩の松居常七への手紙である。仲間同士のうちでも帳面に付けたり消したり当然ながら行う。#97、#100、#127、#128には常七より友七への手紙を掲載。

●#137. 太物類随分上市之由大慶に存候 大和嶋京嶋類此度指送り申候
宛名部分がないが金沢小杉屋友七より福光店の忠七に宛てた手紙。#43はこの手紙への返事である。津幡油屋与三兵衛に過金を返すよう要請していることより間違ない。

●#136. 此度之分は余程宜敷品にて 花々敷御売捌き可被成候
番頭友七より金沢小杉屋の小助への手紙。上方の仕入先より留守中に店を取り仕切る米吉へ様々な商品を送るのでしっかり売り捌くように書いている。金巾は平織り薄地の綿織物。

●#135. 右人々は一通之応対には御渡し無之候間 こん気を尽し厳敷応対被成候
番頭友七より金沢小杉屋の米吉への手紙。上方の仕入先で風邪で養生中の忠七に代って店を取り仕切る米吉へ注意を促している。また得意先の人気ある商品を尋ねる、これは商品の仕入に大事であろう。

●#134. 風邪引篭り之由ひうくり致候得共 飛脚便にて案心仕候
番頭友七より金沢小杉屋の忠七への手紙。先便で「風邪で養生中」とありびっくりしましたとある。びっくりの意味で「ひうくり」と書くのは幕末、明治にあった用法らしい。例文:ひうくり返ヘしました。文面から信頼がみられ、忠七は次の番頭候補であろう。

●#133. 諸品追々指下し申候御入手被成 御都合能御売捌き被成候と奉察候
番頭友七より小杉屋小助への仕事の手紙。番頭として追々商品を仕入れて送るので、次々と売り捌くように何度も部下に書いている。「売捌」はこの手紙に5回も出ている。尚ここでは駄賃は先払いしている。

●#132. 下り駄賃之義はか様之高値 御払被成間敷候
番頭友七より小杉屋米吉への仕事の手紙。番頭の仕事は京、上方で商品を仕入れて金沢へ運ぶ事だけど駄賃がかかる事、着払いの駄賃を高く請求していると書かれる。

栞130 

上に戻る BACK TO TOP

●#131. 重て之商内も有之候間 是非の分引之御対応可然事に存候
番頭の友七より小杉屋松居忠七への手紙。友七は先輩の優秀な常七の後継で字がよく似る。仕入の出張先から部下に手紙を出す。商売の値引きの事を尋ねられ九分九厘を越えての値下げは痛いと書くが商売が「不参申」で不都合な時は考慮してと微妙に書いている。

●#130. 不義りなり仕合御用捨被遊可被下候
浅玉嘉兵衛より松居店への手紙。代金の支払いが遅れているのは今月5日迄に久兵衛氏から入る筈の入金が遅れているためで申し訳ないと書く。最後に注文していない柄が送られたようで欲しいのは紺の一目格子の布だと強調した。やや癖のある字で解読難であった。

●#129. 貴殿は此度余程之大役に候間 気を附万事無抜目御執計可被成候
続いて小杉屋番頭の常七より金沢小杉屋米吉らへの手紙。様々な仕事の重要事項が書かれる。忠七が病気のため店の三番手の米吉は店を任される、これは大役であると書く。常七さんの手紙は特異な字形もあるが総じて読みやすかった。

●#128. 壱朱御香儀御遣し可被成候 尤も当地より御悔状差遣し申候
続いて小杉屋番頭の常七より金沢小杉屋友七への手紙。様々な仕事の事と悔状の事が書かれる。越中の西半分の地名の富山、氷見、八尾があり金沢小杉屋の商売圏であった。加賀、越中、越前は浄土真宗の地域である。下のgoogle mapの黄印はすべて小杉屋の商売先の場所である。

●#127. 印判差上け申候間掛七通りに御認可被下候
小杉屋番頭の常七より金沢小杉屋友七への手紙。常七は友七に値段付けの為の認めの印鑑を送っている、友七を大変信頼され後に次代の番頭になる。北陸の人々を「親鸞聖人」と表現しているのが興味深い、まさに真宗の土地柄であるから。

●#126. 貴所何事も抜目なく 出精都合能御商内被成候
小杉屋番頭の常七より小杉屋松居小助への手紙。常七はおそらく京都に出て仕入をしている。手下に丁寧に注意する。親仕事とは商品の仕入の事と思う。この人の字は総合的に読み易い。

●#125. 御相談之上今般退役御免被下 仍て別商売可仕候
佐七郎より金沢小杉屋茂助常七への手紙。佐七郎の退職前の最後の手紙。退役の書状をこれまでの得意先へ届けるよう依頼している。また仕事を残らず片付するので協力を頼んでいる。佐七郎は小杉を名乗っている。また番頭甚助の上の京店の経営の中心の人だった、しかし退職するので主人ではなかったようだ。

●#124. 少子退役決断に付 少子掛り之分さつぱり片付申度候
佐七郎より金沢小杉屋茂助常七への手紙。佐七郎がここで近日中に退職することになった。次の手紙でわかるが円満退職である。有能な人であり衣料商人から大きな金を地域間で動かしてもうける商人になるらしい。現代のやりて株式トレーダーのような人である。

●#123. 金壱五両無事着慥に入手仕候 御安心可被下候
京店の佐七郎より金沢小杉屋番頭常七への手紙。15両が到着した事、仮出入帳の事、諸帳面を送った事、紙彦から金60両受け取ったので村久へ送ってほしい。以上の内容である。

●#122. 金子五百両為御登被下正に受取候様 京にて甚助殿より案内申来候
佐七郎より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。金子500両請取、帰村の途中出京の茂助と出合った事、木部御殿の事が書かれる。#101にも登場の伊地知右京という武士は五郎右衛門と懇意だったようだ。五郎右衛門は政七を解雇して親元へ返すらしい。佐七郎に命じて政七に退職金10両を渡すように言ったが、佐七郎はなんとか慈悲で再考を促している。

栞120 

上に戻る BACK TO TOP

●#121. 廿七日には是非木部へ御越可被下様御頼申上候 私壱人にては迚も行届き兼候
京近くの佐七郎より在所(東近江位田村)にいるおとみへの手紙。おとみの夫らしい小杉太郎右衛門に木部御殿に明日来て欲しいと書く。木部御殿は錦織寺で浄土真宗の大きな門跡寺院である、木部は在所と近い。衣料注文の御用で協力を求めた訳である。下の#66よりおとみは松居五郎右衛門の娘らしい、おとみの宛名の屋号は金沢小杉屋のものである。小杉太郎右衛門は#92、#86にも手紙があり不明の人であったが松居五郎右衛門に近いとわかる、娘婿かもしれない。

●#120. 手形引替無相違御渡し可被下候
佐七郎より金沢小杉屋主人、番頭常七への手紙。佐七郎は京都にいて金沢の小杉屋に200両の為替手形を越中国城端の池勘へ届け現金を受け取ることを依頼しているようだ。「長閑(のどか)」が長い間読めなかった、「七閑」「其閑」「貴閑」云々。

●#119. 油断難相成 誠におそろしき折柄に御座候
佐七郎より金沢小杉屋番頭常七への手紙。佐七郎は京都にいて金沢で調達した金を常七に送付してもらい京都で銀に売って利ざやを稼ぐことを提案している。#118と同様に佐七郎は商人として有能な人であり知恵で大きく稼ぐことが得意な型の人である。母の死去で香典を貰ったことも書いている。

●#118. 江戸値段時之成行一勝負に御座候
佐七郎より金沢小杉屋番頭常七への手紙。内容より佐七郎は上方、特に大坂に居て小杉屋の商品を受けそれを質入して調達した金を運用して利益を得る仕事である。油75樽を人づてに江戸へ送っている。しかし125樽は先方の好みの品ではないだろうから送らないと書く。

●#117. 利足別紙加入いたし指上申候間 御入手可被下候
湊屋佐太郎より金沢小杉屋番頭松居常七への手紙。佐太郎は常七に借金して綿を買い附け売ったが入金がない。そのうち綿の値段が下落して困ったようで借金の利足について相談している。金200両で月1両に付銀4分の利足を払う。また近日中にようやく売った綿の代金を常七に払えるようだ。

●#116. 呉服太物人気は殊に以 只今之所宜敷御座候
小杉屋米吉より出張中の友七への手紙。友七が仕入れて送付する様々な商品の事などが書かれている。

●#115. 竹之子の段相調不申候 甚以心外に御座候得共不得止事に御座候
嘉八より茂助への手紙。嘉八が京都から南へ伏見さらに大坂京橋に行くにつき一久に進物のよい竹ノ子の買入れが出来なかった。出発前に茂助より依頼されていた。そちらによい品があれば大坂に送ってほしいと書く。この時の茂助は京都勤めだったようだ。

●#114. 御香典預り御恵投に難有不浅奉存候 中陰無滞相勤忌明仕候
久平屋源次郎忰より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。御悔やみと香典に対する御礼の手紙。典型的な例文として通用する無駄のない手紙である。

●#113. 緋絞り之義は今日中に 丹さ殿よりをき出来可申候
京店甚助から金沢小杉屋番頭松居茂助らへの手紙。配送品など商売の事が書かれている。最後の数字は「金」は確かに金1両が銀何匁かを表す。「赤」、「中」、「日」は不明。他に暗号らしい箇所もある。

●#112. 羅紗差合四品 緋黒白花色 〆杉皮挟壱つ
京店より金沢小杉屋米吉へ商品送り状。越中屋治兵衛に送る商品らしい。羅紗、服連、奥州紬で全部で33.6貫=126kgの重量である。毛織物が多く丈夫な杉皮に挟んで送ったようだ。筌は竹籠のようなものと思う。「千百八六」などは送りの通し番号。

栞110 

上に戻る BACK TO TOP

●#111. 此度三度便りに差送り申候間 無事着之候節は御改御入帳
京店より金沢小杉屋米吉への手紙。年末の商品の送付である。前半は呉服方で絹織物、後半は太物で綿織物である。「め」は目方。布では納戸色、浅黄色がよくみられ高い人気であった、藍染での究極の紺色や藍色の前の色。1貫は3.75kg。

●#110. 今後左之通り差下し申候間 其着御入手可被下候
京店の甚助より金沢小杉屋松居茂助への手紙。送付する商品が書かれている。商品では不明の箇所あり。

●#109. 雪中之御道中も御無事に御着被成候哉と察居候
番頭の常七より小杉屋への長い手紙。特徴的な「も」からすぐこの人の筆跡とわかる。商売内容の詳細が続く手紙。飛色は鳶色と思う、古文書#637にも飛色があり。「不怪値段」とは「ごく普通の値段」の意味で面白い、強い購買の希望より大いに高値になるべき筈がごく普通の値段であるとの意味である。江戸時代は着物は大きな財産であった。最後2行位が切れている。

●#108. 越浅黄義は一向不行由にて 未急には出来不申候此段宜敷
京店甚助から金沢小杉屋番頭松居常七らへの手紙。京店は小杉屋の京都店でここから金沢小杉屋へ商品が多く配送される。甚助はここの番頭で様々な商売の事が書かれている。最後の数字は「金」は金1両が銀何匁かを表すようだ。「赤」は運賃らしい、「中」、「日(?)」は不明。

●#107. 注文御頼申上候間 宜敷御働可被下候
志甫屋平五郎より小杉屋松居五郎右衛門への手紙。主に商品の注文の手紙。「御棚衆」はやや稀な語だけど「御店衆」はおたなしゅうと読むので理解できる。やや解読難の字もあるが文脈より何とか読めた。

●#106. 銀子拾七貫匁御渡被下慥受取申候
村井屋久左衛門より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。銀17貫匁(幕末にて金170両位)を受け取ったこと、残り3貫匁は手形でお渡しくださいと書く。さすがに金額が大きい。比較的読み易い手紙だけど17貫匁で以前滞っていた。

●#105. 御地近国大洪水之由 早々引水に相成候段御同慶奉願入候
支店の弥七より金沢小杉屋衆中への手紙。金沢付近で大洪水があり通行不能が1ヶ月もあった。金1両が両替屋で売りは銀123匁、買いは銀120匁とあるので1860年以後の頃らしい。他に商売の話しが続く。幕府は物価の値上がりを警戒して通貨量を絞り藩札もからんで商売もむつかしそうである。

●#104. 貴地絹類格外下値に相成候趣 左之品利口に御手取に御買入被下度候
小杉甚右衛門より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。そちらで絹類が格外に安値になったと京都店から聞きました。ついては花色の絹地を200疋買い入れてほしい。本家は近江五個荘、丸小は京店と思う。手紙より小杉甚右衛門は小杉五郎右衛門とは遠い親類と思われ、近江商人(平瀬光慶著)に記載のある「小杉甚右衛門」とは別人と思う。

●#103. 御約定之懸物御送り申上候 楽茶わん壱つ相添申候
太兵衛より小杉屋番頭常七への手紙。先日そちらに行った時御馳走になった事、その時約束の懸物と楽茶碗を送った事がかかれる。#62の手紙の続きである。

●#102. 誰屋四五軒引合申候所 金壱両値増被成下候はば年中に出来可仕候
玉屋佐兵衛から小杉屋松居五郎右衛門への手紙。大極上品の振袖が来るが問合せが多く値上がりがあり明日この値段で売ります。以上の内容である。商品の見本を見て希望者が多ければせりがあり値上がりする事がわかる。商品の説明で不明の所がある。

栞100 

上に戻る BACK TO TOP

●#101. 伊地知右京様より委く御咄申度義御座候
金沢小杉屋政七より主人、松居五郎右衛門への手紙。武士の伊知地右京から松居五郎右衛門へ話したいとの事です。この度右京が越前府中へ行くのでそこで御沙汰の話しをしたいとの希望にて一寸連絡します。以上の内容である。伊知地氏は薩摩に多い名字だが元は越前出であった。

●#100. 御商内も一入御都合克 上気能にて御売捌きと察入候
出張中の常七から小杉屋友七などへの手紙。活気よく商品を売捌き、掛金の取集めにも廻ってほしいと書く。

●#99. 尊家様糸織百廿両分私え荷物 日々待入申候然共今に参り不申候
仁左衛門より小杉屋松居常七への手紙。商売のことである。斎藤氏がそちらで買物した分での不足分は米沢織を以宛てたいとの事である。一方常七から仁左衛門への糸織120両分の荷がまだ到着しない。買物代金を別の品で支払う事が多かったようだ。

●#98. 御主人様より頃日棚颪之最中に御座候故御取込候
在所の番頭常七から金沢小杉屋松居茂助らへの手紙。商売の用事が丁寧に記されている。在所は近江国神崎郡位田村で出身地であろう。為替が多用されそれの調整が大切であった様子が窺える。幕末は流通の金銀が不足していたし幕府も貨幣を増やしてインフレが起こるのを大変警戒していた。棚颪=棚卸が判明して感動した、これが古文書読みの醍醐味。颪=おろし、知らなかったね。比叡颪:比叡山から吹き降ろす冷たい風。

●#97. 残り弐貫弐百九十匁は高岡より送り可申様に申居候
小杉屋番頭の常七より同店友七への身内の手紙。高岡へ出張で現銀で商売しているが銀6950匁(=金99両)の売掛け中4260匁を受け取ったが、2690匁は受取が未だない。しかしあなたが帰る迄には送るとする。常七さんは字は達筆で#33、#72のように部下に丁寧に指示を出す。一方#44で胃潰瘍らしい腹痛が症状にある。#82で部下が常七へ薬を送っている。他に「本茂」とあるのは#96の手紙の店のようである。

●#96. 当月晦日切迄無相違指送申候 不悪御承引可被下候
本茂忰茂九郎より小杉屋松居五郎右衛門等への手紙。先日御馳走になった御礼を述べ、以前買物していた分で約定違いの未払い分を一部銀子で残りは手形で払うと書く。別に今月晦日切の分銀2290匁も払うと言う。御馳走は実に金廻りをよくする。金1両=銀68匁の交換率であった。時は1860年頃であると思う。

●#95. 芸州三田屋様御注文之表具物 出来に付為持差上申候
木村治助より松居店茂助への手紙。芸州(安芸)の三田屋が注文の表具物が出来たのでこの手紙と品物、代金書をそちらに持参しますと書く。表具物は持参できる小さな物で布を使った掛軸と思われる。

●#94. 糸値段追々高値に相成 模様帯、博田帯誠に五歩方高値
誉田屋庄兵衛代理新七より小杉屋番頭松居茂助への手紙。新年の挨拶と旧冬同様に注文を願います。また嶋(縞)柄を取り合わせ送ります。ただ糸値段が高値で模様帯と博多帯が5分(5割)高値と書く。

●#93. 三代余玉川之義大いに延引仕 漸々此節出来仕候間御下し申上候
利兵衛から金沢小杉屋松居茂助らへの新年の手紙。注文を受けていた2つの商品ができたので送るとのことである。

●#92. 為替金之儀 此節鋳物師屋伊兵衛殿と申人上京被致候手都合
小杉太郎右衛門代理の治助より小杉屋番頭茂助への手紙。7月盆と七夕で帰国する時期である。帰国では体調やや不快にてそちらに立寄らない。「尾り屋」の為替をそちらに運ぶに鋳物師伊兵衛という人が上京するのに託す。そちらに持参する筈だが来なかったら宿まで尋ねてほしい。伏見嘉助殿の宿である。他江戸から両人が帰京するのでよろしく。以上の内容である。この小杉屋は金沢と異なり京都の店である、茂助はこの時京都店に勤務している。小杉太郎右衛門の手紙はこれのみで身内に違いないが詳細不明。御主人様とは京店にて11代小杉五郎右衛門の事かも知れない。

栞90 

上に戻る BACK TO TOP

●#91. 下拙不相応之損失打重り 御気毒には御座候得共御承知置
竹屋甚左衛門より松居五郎右衛門への返事の手紙。10月26日の支払い催促の手紙に11月1日に出したもの。甚左衛門は最近不相応の損失が重なり同業者に話が及びそうだ。申し訳ないですが来月には清算できそうですので御了承下さい。以上の内容である。

●#90. 小子とも過二日無事帰村仕候 乍恐御平意思召可被下候
弘三郎から松居五郎右衛門への手紙。様々な内容であるが4日前に無事帰宅したことが主である。弘三郎は小杉屋の支店の松居吉右衛門の店の手代であろう。全体に判読しやすい字で文は手本のように整っている。

●#89. 金高下にて取引六ケ鋪 受渡無御座奉困入候
仲間内の吉助より小杉屋松居五郎右衛門への手紙。金が高下があり取引が難しい。活発な取引がないと書く。これから両替店が開けば活発になるだろうとする。また手形の割引に大坂へもん太が行く。追伸は内容がわかりにくい。

●#88. 当年は暑中余程厳敷御座候様子故 御身之上御用心専一に申上候
甚兵衛より松居五郎右衛門への手紙。甚兵衛は小杉屋の支店である。10両の到着、関東方面熊谷、館林の呉服屋、高岡の荷物などが書かれている。甚兵衛は富山、高岡辺りにて出店を経営しているようだ。関東へ商品を大々的に送るのは商売が難しいことのようだ。

●#87. 御得意様大きく大きく延引相成候
理助より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。商品の布に関して書かれる。1つは白色で2反あり1反返すと書く。他方は紅色らしいが値段の教示と、もし1尺(30cm)70の値段で色がよければこの者に示してほしいとする。延引は困ると書いている。さて受けた松居五郎右衛門が裏書した、「この人はお得意様なのに大きく大きく延引してしまった」。なかなか商売もお互いに利益が絡み大変である。

●#86. 何連も御主人様御利腹之段 御わび之程偏に御頼申上候
彦根の宇兵衛より金沢の小杉太郎右衛門への手紙。他に小杉太郎右衛門の文書がないので詳細不明である。帳面と請取書を彦根近くの追分(中仙道と北国街道の分岐点)から金沢へ送った。布の染色が帰って来ないらしい。他御容赦と御立腹の語が多く並ぶ。小杉太郎右衛門と松居五郎右衛門の小杉屋金沢店との関係も不明。字は全体に読み易い。

●#85. 古持証文下し呉候得との御義御座候間 此段御左右御伺奉申上候
京店番頭甚助より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。最近の白綿屋から宇和嶋への証文(高は銀3940匁=金66両)がこちらに登って来たので預かっている。そして古証文(高は銀7045匁=金117両)を下してくれるように依頼があった。これにつきどうするか返事を松居五郎右衛門に尋ねている。とりあえずは御主人(松居五郎右衛門)は北国へ出張中と答えた。以上の内容である。小杉屋松居五郎右衛門が商売で関与した証文らしいが現物は京店にある。京店は小杉屋の本部で金沢小杉屋の大変多くの商品は京店から仕入れて送られている。また京店は先代の11代小杉五郎右衛門が晩年を送った所である。

●#84. 夏持之儀もたいふん出来仕居候間 近々之内御下向
田中屋善兵衛より小杉屋松居五郎右衛門への手紙。田中屋善兵衛は小杉屋の支店のようだ。夏からの商品も売れてきたので近々こちらに御下向下さいとする。また「至印」の安物は売れそうにないので今後どうするか決めたい。よって御尊来を乞う。以上の内容である。字は流れるような続け字でやや解読難の箇所がある。

●#83. 乍御気毒右品相返し可申候間 不怒御帳消可被成候
本河屋伊分より松居五郎右衛門、常七への手紙。先に筒井金観という布を注文した。その布を使う表具屋衆に見せた所、きずのある商品のため心折れて購買しないとのことであった。よってここに商品を返品するので帳面の取り消しを依頼した。近日中に伺って委細を申し上げると述べる。

●#82. 神農丸五十服御指上候 御受取可被下候
小杉屋の仲間同士の手紙。政七が常七のために薬を買い入れている。ここでは神農丸50服の送付と手数料の覚を記入。咸応丸、神農感應丸は万病の薬であったようだ。常七は金沢小杉屋に居て、政七は薬入手しやすい所に店があるようだ。

栞80 

上に戻る BACK TO TOP

●#81. 御文体之趣身に取て実太之大慶 筆紙難尽仕合に奉存候
升屋甚左衛門から松居五郎右衛門への返事の手紙。内容は亡き母への香典の御礼。さらに「面目を失い不都合な状態」となって代人山平と角足に話し、両人から松居五郎右衛門へ噺をしてもらった。それに対し五郎右衛門は升屋甚左衛門にとって実に大慶筆紙に尽くし難い幸せな内容の書状を送った。早々に御示談に行くべき所が年末押し詰り延引した。正月を迎えたので近日中に行くと書く。店の方は息子か他のだれかに相続して甚左衛門は隠退するようだ。現状で詳細は不明だが商売のことに違いない。

●#80. 悟一郎のど痛にて早々御帰村被下度候 扨くこも御願上まし
妻の益より京都に出張中の夫松居五郎右衛門への手紙4通目。ここでは子の悟一郎の喉の病と腫れと医師の奥村氏に相談を願うこと、喉薬「くこ」(枸杞)も購買、そして早期の帰宅を頼む。病気の悟一郎が「かわいいそふに」と2ヶ所にあるが、たしかに「かわいい」と「かわいそう」は同じ語源であった。さらに英語では"Pity is akin to love."と同意の表現がある。 早々御帰宅と#66に同じく書くが、松居五郎右衛門は芸者にはまっているのではないだろうか。おそらくこれで益の手紙は終わりと思う。

●#79. 大和物代中巾 金三拾両也 金子手廻り候分指上候
松屋久四郎から松居五郎右衛門への手紙。ここは金子を入手したので30両送る。前回に生金巾(キャラコ)を送られたが晒金巾を注文していたし日限も間に合わなかった。また別の商品が不在の本宅へ着いた、今度の買物には払わないとする。商人同士の取引は難しいようだ。#73、#74でも松屋久四郎の注文は多いし#70では印の有無で揉めている。おそらく仲違いになったと思う。これで松屋久四郎の手紙は一段落である。今回は解読にやや難があるが大筋は間違いなし。

●#78. あなたさまにもおいおい御みもおもく相成候やと そんし居しんはい致し居候
は(はは)より松居五郎右衛門の妻ますへの手紙。やはりますは妊娠している。子供たちがはしかにかかったが軽くすんだ。「大地に」だいちにが大切にの当字であるがこの人特有である。下の手紙#77のばばさんはこの手紙の人と同じ人である、こちらが少し前のようだ。やはりすごく読み易い。

●#77. 小杦様御たようの中に御さんけい被下事 けつこうに御たむけいたたき御礼申上候
ばばより松居五郎右衛門の妻ますへの手紙。ばばの夫の7回忌に小杉様(松居五郎右衛門)は参会し、手向けした。それに対する御礼を述べる。きくという娘(?)が東京に居り夫清五郎と手向けに来た。坊さんの施餓鬼法要して丸山で宴会も考慮したけれど大仰になるのでとりやめた。またおますは妊娠している、#66にて悟一郎ととみの2人の子がいるのでどちらかのようだ。おそらく11代小杉五郎右衛門の7回忌法要であろう。11代小杉五郎右衛門は京店に住んでいた。建仁寺の僧が施餓鬼したらしい。ますは近江位田村に住んでいるはずである。他に清次郎、おきぬ、おもよ、西田と様々な人が書かれているが続柄は不明。甚助は小杉屋の京店の番頭である。栄助は下男らしい。#48ににしだ舟からますへの手紙あり、西田はばばさんの子らしい。このばばさんの手紙は大変読み易い。

●#76. 当借分拾両也今便に奉指上候 御記帳被遊被下候様御願上候
松屋久四郎より松居五郎右衛門への手紙。#75と同様の手紙である。10両差上げる。「残金は後便で差上げます」の意味の字が不明。

●#75. 金五両也約定之不足奉指上候 御入手可被下候
松屋久四郎より松居五郎右衛門への手紙。「先達ては参上し大いに御馳走になり御礼申上ます。この度約定の不足分5両差上げます。御入手下さい」。定型の御礼と送金の手紙である。比較的読み易い。

●#74. 高札物又不出来物色所々に不用物 不向物は御免可被下候
松屋久四郎から松居五郎右衛門への手紙。時候の挨拶の後御馳走になった礼を述べる。次に一部の金20両差上げる。呉服代は後に勘定する。絣の布を注文するが、様々な値段や柄があるが細かく指定する。亀甲模様や松川菱柄を少し注文。高値のものや不出来のものは不要。小杉屋は注文していない商品を少し混ぜて送っていたようだ。

●#73. 右日限よりおくれ候得は 当年中は入用無之左様御承知可被下候
松屋久四郎より松居五郎右衛門への11月末の手紙。挨拶の後御馳走に参上した御礼を述べる。9月迄の金を払う。品物を注文した、白唐布は急用の進物用らしい。紺色絣、茶色、薄無地も注文した。「日限迄急々」、「無相違」、「おくれ候得は当年中は入用無之左様御承知」と厳しく書いている。注文品の内容も細かく書かれている。なお1両=銀68匁の交換率であった、手紙は嘉永5年(1852)より前の頃のものであるようだ。#70で布に役所印のなかったことで揉めているがこれだけきつく上目線の手紙だと気持ちはよくないだろうね。

●#72. 右之通り夫々無怠慢御心得可被成候
京都に出張中の小杉屋番頭の常七より小杉屋金沢店の小助への手紙。内容は様々である。こちらから送る荷物、岩見屋の荷物、三度出し荷物などは到着次第売捌くように。政七に払いを留るように言ったが最早それには及ばない。他金の取付をする、荷物を届ける、払いをする。用事は多い、怠慢にしないようにと結ぶ。

栞70 

上に戻る BACK TO TOP

●#71. 三右衛門病気にて今日之処御不礼仕候 此段不悪御聞済可被下候
酒屋由右衛門より小杉屋番頭松居常七への手紙。「益々御清福御目出度いです。1昨日は来ていただき有難いです。私御不礼御免下さい。実家の三右衛門が貴家にゆき御頼みする筈でしたが病気重なり今日は行けません。明日御立ちにて不都合でしょうが御用捨下さい。後日おめにかかり御礼申上ます」。三右衛門が世話をお願いしに行く予定だったが、病気で行けなくなったという手紙。来る暮(12月末)までには行末を親と相談して決めるとあるので常七に世話を頼むのをやめますということである。

●#70. 此度は御算用場にて詮義決着被遊候 御沙汰に御座候
松屋久四郎より松居五郎右衛門らへの長い手紙。久四郎が売った商品につき検定判が無かったり消えたりしている布があった。また1反余分にあった。この代金は払って清算して終わっているが小杉屋では役所に申し出た。役所では久四郎を召出し様々吟味した。久四郎の言分を認めた。他に迷惑の人はいないので、久四郎が小杉屋の面々に説明して了解を得るようにとのことであった。この手紙で小杉屋の算用場の疑問に答えている。14反の無判は座布で判を受けてあとで判は流れて仕立た。晒布5疋は4反続きで2反ずつに切ったので判のないものができた。64反のはずが1反余分に入れてあった。越中屋伝兵衛という人を介しているのでそちらにも尋ねてほしいとしている。「御判もれ候品にては無御座候」とあるので「判」は役人の判で藩の認め印のようなものらしい。

●#69. 少しけしからぬ珍事御座候間 此ものと御同道にて一寸御入来
いぬゐ久左衛門より松居五郎右衛門への手紙。「きのうはおいで下さりありがたいです。折節不在で失礼でした。さて少しけしからぬ珍事がありますのでこの者と同道でちょっといらして下さい」。きさらき末の4日は2月24日と思う。脇付の「玉机下」は初めてみる。三木は加賀国の南の端であるが金沢とはやや距離があり、松居五郎右衛門は出張しているのだろう、手紙持参の者と同道できてほしいと書いている。大変親しい間柄のようだ。

●#68. 算返之様も御座候付 請取帳しらへ度候
よし次より松居五郎右衛門への手紙。昨日の御馳走への御礼と90匁で商品を差上げる件につき数え返ししたいので請取帳を調べたいのでこの者に渡してほしいとの小報である。

●#67. 御身御大切に御いとひ願上まいらせ候 早々御帰り被下まし
近江在住の妻益より京都に出張中の夫松居五郎右衛門への手紙3通目。「申越の品々お送りしました。貴地同様当地も暑いです。12日当村で踊り、15日えち川で大踊りです。あかね屋で買入れのとき悟一郎の着物1枚身計らって買ってやって下さい。あせ取などと子供着物地を行李に入れて下してください。御身大切にして早々お帰り下さい」。やはり出京は京都に出ることであろう。京都のあかね屋は品物がよいのだろう、息子の悟一郎の着物を頼んでいる。愛知川(えち川)は益の住居から近い。#66にもあるが五郎右衛門らは京都に家を買う予定のようだ。まだ悟一郎は9才で幼いが五郎右衛門は梁川星巌や貫名菘翁と京都で交際していたので若くても京都に家を購入したかったのだろう。夏旧暦7月15日頃(新暦8月)の盆踊りの少し前の手紙である。最後の追伸は四条通東辺祇園の茶屋の娼妓には見向き無用と書いているのではないかと思う。江州=近江、今の滋賀県。

●#66. 御あなた様十四日にはぜひ共御帰り被遊候よふ 御都合被下度候
益より旦那様、松居五郎右衛門への手紙、下に続いて2通目である。「昨日2名無事帰宅し御安心下さい。送り下さった品々受け取りました、御礼申上ます。こちら悟(悟一郎)ととみは気分よくない事です。14日には是非御帰宅下さい。私も20日出京したいですがそちらの家もまだ住めないと聞いています。丸吉様が来て裏庭の石を2個持ち帰りました。御承知下さい」。他日常の様々なことが書かれている。金沢に出店中の商家主人への近江在住の奥さんからの手紙である。松居五郎右衛門は京都に新しい住居を持ったようだ。隠居の義父小杉五郎右衛門も京都在住であった。

●#65. 初おこり後まもなくふりつづき 御ちふゐ御なし被下まし かげながら御あんじ居まし
近江のますより夫の松居五郎右衛門への手紙。京都に出張している松居五郎右衛門は元気だが同道の息子悟一郎がおこりで発熱があり心配と書く。しばらく雨降りが続きよくないので身を大切にと訴える。用事がすめば早くお帰りをとする。また#64の鍵吉、頼介が書附を持参した。松居五郎右衛門の店は金沢だが、仕入れは京都店で多く仕入れていた。妻のますは近江におり少し商売に関与していた。文の始めの追伸では悟一郎を医師の奥村氏にみてもらうように頼んでいる。「まし」に2種類あり注目される。「御ちふゐ御なし被下まし」は「ご注意下されませ」として相手の動作の丁寧な命令形。一方「しまゐ置まし」や「こまり居まし」は「しまっておきます」「こまります」と自分の動作の丁寧語「ます」として使われている。別に「まいらせ候」も使用している。幕末ころの手紙であり、現代語「ます」に移り変わる時期であり興味深い。

●#64. いわし壱苞此数百五十入御為作被下忝正に入手仕候
続いて松居頼介より松居五郎右衛門への手紙。「一筆啓上します。いまだ春寒の季節です。御安全に逗留され御目出度いです。年頭の祝儀丁寧にされありがたいです。昨年は御世話になりまた心添宜敷願います。干いわし150入この度作っていただき忝いです。御繁用中お気の毒でした。右代金は足代もいれて400匁は如何でしょうか。今後も亦遠慮なく申付け下さい。とりあえず御請取のご連絡まで。御厭い御加養下さい」。下と同様に丁寧な言葉が印象的である。日本独特の尊敬語が豊富に学習できる手紙である。

●#63. 何分万端宜敷御心添等御取執計候様 偏に奉希上候
松居頼介より松居五郎右衛門への手紙。「一筆啓上します。漸々春になりました。道中滞りなく御下向、御勇健に滞留され御目出度いです。私も無異にあり御安心下さい。さぞ忙しく御苦労と察します。すべて心添え願います。手抜かりないと思いますが、時候につき厭い御自愛下さい。尚当地への御用向ありましたらよろしくおっしゃって下さい」。#51にもあるが「時」がやや特異な形。「随分候時御厭」は時候柄体をいといくださいの意味と思う。おそらく頼介は同姓で同族であろう。最後は金1両=銀70.8匁であろうが、それ以外は意味不明。

●#62. 座主様之内御承知被成難御方も御座候て困入申候
越中今石動の太兵衛より小杉屋番頭常七への返事の手紙。通常の挨拶の後、座主様が御承知されず困った、内石動の東丈様だけが銀半分上納し、残りは10年賦にすると書く。返事の手紙なので内容が充分理解できないが、困った事とはこれまで寺院に販売してきた布の反物の売り上げ金を時期を区切って回収することと思う。上醍醐寺慈心院の文書にもあるが僧衣の布は重要で大寺には裁縫係が居た。そちら金沢に参ってお話ししますとする。他に手紙2通届け、高田へ山水画の掛け軸の依頼が済んだので出来たら送りますと書く。太兵衛は小杉屋の支店であり#28-31にも文書がある。

栞60 

上に戻る BACK TO TOP

●#61. 此間参上仕御馳走に相成り千万忝御礼 代呂物御送り被下慥に受取
油屋長より松居五郎右衛門への手紙。「春寒の季節、御家内揃って御勇健御目出度いです。先日は御馳走になり忝いです。さて見逃しの代呂物送っていただき受取ました。内14番は不向きでお返しします。総仕用書をこの者へお遣わし下さい」。御馳走は小杉屋には重要な接客の一部であった。油屋長は#50にも掲載、古物などを購入している。

●#60. 情々心配仕成丈け相働き差上申候
京都播磨屋卯兵衛代より金沢小杉屋の番頭松居常七への手紙。「前略、先日は生金印御注文有難く先便で手本2反御覧に入れました。しかし値段が高値になり難しく困りました。当方には持分はありません。御注文品にかれこれと申上るのはいかがかと存じますが何分益々高値です。御承引願います。是非とも入用でしたら情々心配りしますが130匁以下では出来ません。御勘考下さい」。商人同士の駆け引きである。需要があれば値は上がる。生金印は2反とあり着物地の商品に違いない。

●#59. 此度之紬六拾疋 直段とも得買物と押なし候
茂助より松居五郎右衛門への手紙。「一筆啓上します。甚寒の季節です。皆様御揃で御勇健で御目出度いです。さて先日は御立寄りくださって有難いです。その節にお話しました紬60疋送りました。ご入手下さい。値段から得な買物と思います。金子も早く送っていただけると思っています。先ずは愚札まで。追伸:この値段でよろしければ来春も御注文ください。その節油紙も送ってください」。常七は番頭、茂助は元小杉屋の番頭だった身内である。1疋=2反で着物2着分である。

●#58. 関東場所廻り方夫々相仕舞 当秋廻り候所二わり方商内よろしく御座候
甚兵衛より小杉屋番頭常七への年末の手紙。「前文御免下さい。さて(関東の)場所廻り方もお終いです。この秋は2割はよい商内でした。大太物の内で白奉書紬3疋、白友禅4疋が残り、丁子色縞3反、上下3、4本、幕地2疋が売れ残りでした。白奉書紬と友禅はそちらに持参します。夏物は関東に預け置きます。小倉袴3反も関東に残します。来る夏廻って売捌きます。かつ金子100両を絹布に入れ込んで差上げます。また正月帰宅して総勘定します。そのようにお会いするまでの手紙です」。年末に甚兵衛は関東廻りをして販売した売れ残りの品を列挙し、一部は送り返し一部は関東の宿に預け置く。そしてひとまず100両送ると書く。100両を絹布の中に入れてこの手紙に添えて送っているが大丈夫なのだろうか。

●#57. 小紋絹拾五疋無事御入手被遊被下置候哉
高辺藤兵衛より松居五郎右衛門への手紙。「一筆啓上します。春暖の季節です。皆様御壮栄で御目出度いです。旧冬は御用向有難いです。羽織地おおいに延引で御免ください。漸くこの便で差上げます、御入手下さい。先便の小紋絹15疋は入手されましたか。1疋丸小様分で計16口ですが、このことは丸小様へ連絡済です。代金は左です。相変わらず御用向下さい」。手代名より手紙は松居五郎右衛門宛に相違ないがここでは「小杉五郎右衛門」と書かれ「小杉」とも呼ばれていたことがわかる。計算は合っている。

●#56. 朱子衿地紫博田帯 右二口相返申候
梅嶋屋庄右衛門より松居五郎右衛門への手紙。身内の又三郎に馳走してもらった御礼と2商品の返品の内容。他の手紙より亥年は1851年か1839年と思う。

●#55. 右銀子御廻り合如何に御座候哉 只今此者へ御報相願上候
平屋小三郎より松居常七への手紙。「今も残暑厳しい所益々大寿です。此間下向されたのにあいさつせず御許し下さい。さて当5日迄に半納の銀子御廻しのことを親其へ尋ねられた聞きました。如何になりましたか。夜前に手代にそちらに尋ねさせた所、御他行でした。今此者へ貴方の御報をお願いしたいです。5日か6日頃迄の上納ですのでよろしく願上ます」。松居常七は小杉屋の番頭などしていた人である。比較的読み易い手紙である。「は=盤」は手紙ではやや稀。

●#54. 五九之分五五掛に致置可被下候 万一右値段に相成不申候得は無拠払戻し
あかしや弥吉より松居五郎右衛門への返事の手紙。「一連の服を39.5両で買入れを言われるがこれは格別安値でもない。37.5両より上ではとても買入れできません。どうか帳面をこれでお直し下さい。どうしても直せなければ送り返しますので気の毒ですが駄賃はそちらでお払い下さい。先の4貫4反の品は買入れしません。59掛の分は55掛に致して下さい。万一この値段にならなければ払い戻しします。よって売場で売りかねます。以上用向までお頼みします」。不明瞭な箇所もあるが大方以上の内容である。商売で利益を上げるのは容易ではない。下の#50では57掛に95掛の商品の記載がある。これらは定価を基準にその55%や57%で買い入れる意味であろうと思う。

●#53. 夏地ものは急度引下け候様 心得居何分宜敷奉希上候
問中屋善兵衛より小杉屋番頭近江屋茂助への手紙。「一筆啓上します。余寒厳しい時節御機嫌よくされ御目出度いです。さて毎度御用を仰せられ有難い幸せです。昨冬は松屋善兵衛殿が唐物を下され忝く拝見しました。来月来られるとうかがい有難いです。夏地ものは2月15日から入ります。なにぶん相変わらず御用を仰付けくださるよう願います。追伸:冬地物は誠に不都合で後になります、代呂物は今無いです。夏地はきっと引下げるよう心得て居りどうか宜敷願います」。小杉屋は出身より近江屋とも呼ばれた。

●#52. 貸金は〆千百四拾八両壱分弐朱銀五分にて御座候
米屋次兵衛から松居五郎右衛門への清算書。1148両の貸金である。さすがに金沢小杉屋の商売は大きい。1148両で商品を仕入れて、得意先の村久や平小などに売り捌いた。金は2朱金が使われた。金は直接得意先から米屋次兵衛に一部は動いていたことが記載より理解される。もちろん小杉屋店での支払い分もある。計算は正確で金1両は銀68匁であった。米屋次兵衛は事業者に資金を融通する昭和20-40年代の銀行のような存在である、戦後の本邦の復興によく貢献していた。

栞50 

上に戻る BACK TO TOP

●#51. 思召に寄このわた壱桶御恵み 好物にて深御礼申上候
松居頼介より松居茂助への新年の挨拶と御礼。「新暦之御喜び際限ありません。皆様御安康にて御超歳され御目出度いです。私も異常なくしています。御安心下さい。右年始の御祝詞申上ます。二白、未だ寒いです。昨年中はなにかと御世話になりました。当年も宜敷お頼み致します。尚昨冬はこのわた1桶下さり誠に痛み入ります。御在京中に面会御礼申すべき所、行違いで出来ませんでした。好物で長く味を楽しみました。尚春寒ですのでお体を厭い下さい」。ここの新暦は改暦と同じで単に新年になったの意味であろう。#333に「改暦」がある。松居茂助は小杉屋の番頭である。

●#50. 三疋之代銀為指上申候間 御改受取御入帳可被下候
油屋長より松居五郎右衛門への手紙。「いよいよ御安康なされ目出度く賀します。さて先日古悪物少々注文しましたが早速取り合わせ7疋送り下さり確かに受取ました。その内3疋買入れます。残り4疋は御返しします。改め御受取下さい。よって3疋の代銀左のように差上ます。改めて御入帳下さい」。1疋は2反で着物2着分。商品の下の記載は不明。計算は大方は合っているが小文字の率と少し違いがあるようだ。下に記載。

●#49. 奥嶋柄新市え向兼申候間 御返し申上候
万屋七三郎より松居五郎右衛門への手紙。「春冷の時です。御揃で御安静御目出度いです。この間は御馳走になり忝いです。さて御送りの品物確かに入帳しました。それに就いて奥嶋貴人2反は新市に向かないので御返しします。御入帳御願いします。右御礼かたがた当用まで。追伸、尚皆様へ宜敷御伝言下さい」。奥嶋:インド特に東岸のサン・トーマス港からオランダ船で出島に輸入された縦縞の布で1700年代流行った。貴人:生地ことか?布1反:幅37.5cm、長さ10.1mで着物1着分。万屋の商売には「奥嶋」は向かないものだったので返品した。飲食の御馳走には感謝を述べる。

●#48. 御気ほうやうのため御子さまかたつれまし ゆるゆる御こし下されまし
にしだ舟より小杉お万寿さんへの手紙。正月の新春の祝いの返事の手紙である。理解しやすい内容である。ふだふだがまわらずは札=金がまわらずの意味だろうと思う。この人の「上」は一般の「迄」によく似る。また「て」は「而」で丁寧に書かれてやや特異である。小杉お万寿は小杉五郎右衛門(13代)の妻である。にしだ舟は不明だがおばばさまによろしくと繰り返しているので小杉家の一員であったようで万寿とは義理の姉妹らしい。「か=加」がよく使用されており明治に入って間もないころの典型的な女筆である。

●#47. 此間罷出大きに預御馳走忝次第 御礼可申上候
橋爪屋甚右衛門より松居五郎右衛門への手紙。「一筆啓上します。春寒に戻る頃皆様お揃でますます御安康なされ御目出度いです。さてこの間は大いにご馳走になり忝いです。厚く御礼申し上げます。皆様に宜しく声かけ下さい。さてこの間余り置いた品々をこの者にお渡し下さい。右御礼かたがたこの如くです」。食事と酒に招待を受けた御礼状である。おそらく小杉屋で売れ残った品々を橋爪屋で売るのだと思う。橋爪屋甚右衛門は省略した「はし甚」と書く。寉来=鶴来(つるぎ)で金沢からはたいへん近い。#16、#30にもあるように食事と酒で馳走は商取引を非常にスムーズにする。

●#46. 大和縞乍延引御返し申上候 不悪御承引可被下候
万屋大三郎より松居五郎右衛門への手紙。「前文御免下さい。さて昨日大和縞の荷物届きましたので調べ確かに入帳しましたが、この品はあまりの高値にて新市へ向かないので差し返します。受取御入帳下さい。この度荷物到着が大いに延引し取調べる間に延引しました。遅いですがお返しします。悪しからず御承引下さい。大いに取込中にて当用まで」。十着:到着の意味と思う。返品の手紙である。

●#45. 帯、田葉粉入、夏地ばん、どうき等指送 御改御入手可被下候
金沢小杉屋より丸小印様へ衣類の商品の送り状。計30品になる。帯の数え方は「すじ」である。「田葉粉入」はたばこ入。地ばんは下着。胴着:上着と肌着の間に着る腰丈の着物。「単」はひとえ。袷:あわせ、裏地のある着物。羽織:着物の上にはおる着物。帷子:かたびら、夏用の麻か絹の着物。「はうち」:布製で足と数えるので足に履くものらしいが不明。従金沢:金沢より。丸小印屋は金沢小杉屋の支店であろう。#28には今石動の支店がある。

●#44. 今庄より小松泊り今晩にて拙者腹痛有 貴殿万事御気を附火の用心は第一
出張中の常七より小杉屋政七(松居店)への手紙。「御安全にされ御目出度いです。拙者も道中無事で今晩今庄に泊り終えましたので御安心下さい。次は小松泊りで私は少し腹痛で困りましたが、まあ厳しいことにならずまずまず無事に帰国します。さてそちら万事気を付けて火の用心第一です。時に村松久殿、中宇殿にて120疋余り買入れしました。代銀受取に行くと思います。中勘定としてお渡し下さい。おそらく金が差支えますが吉次、小川他の掛方(後日支払い分の掛金)があり情に頼んで集金して下さい。布新や鍵久印が100疋分取に来たら中勘定をお渡しください。次に急いで登り太物勘定ができるよう気をつけ書留めること。あなたの登りが延びれば太物勘定も延びるのでその積りで御帰国下さい。商いのことは小助に引き継いでください。住吉屋へ宜敷御伝言下さい」。今は越前の今庄から加賀の小松へ向かっている。掛金の集金を払って貰うのは難しいようでよく出張中の手紙に書いている。中勘定はおそらく金を半分位払うことだと思う。宛先に「住吉屋」と書き、「住吉屋へ宜敷御伝言」とあるので、小杉屋は尾張町の「住吉屋」内にあったに違いない(#11参照)。

●#43. おなじく品計困入候 別て当地は相紺之売捌方誠に六ケ敷御座候
松居忠七より松居店への手紙。「手紙有難く拝見しました。頼んだ太物今日9つ時に到着、入日記通りに確かに入手しました。しかし私が福光より御頼みしたものと違った代呂物で「相紺嶋黄棒」を沢山送られ「工風併惣併并併」の類は1つもなく困りました。色入の縞が太いもの外は適宜取り合わせるようにお頼みした品物申しましたが同じような品ばかりで困りました。当地は相紺は流行っていませんので売捌きが難しいです。しかし私の頼みが違っていたことは御免下さい。明日荷を開き情々売捌きます。さて津幡油屋与三兵衛様の太物代銀払いの過剰について私が帰ったら返すようにとのこと承知しています。私は代呂物代銀が少々集っていますのでそれで払い戻します。そのように承引して下さい。以上」。太物:木綿の布地。入日記:仕入れ日記。相紺嶋黄棒:おそらく紺の縞模様で黄色の棒模様が相(=交互)に入った布。工風併惣併并併:おそらく風合いがよく他と合せてもよい布地。忠七は福光などへ出張して販売しているが人気の品でなく販売に苦心しているようだ、当初は依頼の品が異なっていて謝罪している。福光、津幡共に金沢の尾張町からは近い地域である。

●#42. 河内島壱疋先方へ入貴覧候処 不用之由被申聞候
吉甫屋出五郎より松居五郎右衛門への手紙。「取込中にて前文御免下さい。毎々面倒な御願いで千万有難いです。過日もそちらに参りさぞ面倒の極で厚く有難いです。さて先便で送られました河内縞1疋先方へ見せましたが注文と違うとのことで不用とのことです。甚だ御気の毒ですが返します。御記帳下さい。伏して願います。尚大和千草織があれば中位を3疋送り下さい。大和織なければ、河内の織で安い処1疋、白河内の安い処2疋お送り下さい。取込中で外の多くは御免下さい。次回拝顔でお詫びします」。1疋:2反で着物2着分の布地。布1反:幅37.5cm、長さ10.1mで着物1着分。島=縞:縞模様。下の手紙によく出る通り大和織は加賀で人気が高かった。

栞40 

上に戻る BACK TO TOP

●#41. 正金之打銀に壱割損失 迷惑心痛至極
五兵衛さんより松居茂助への手紙。「鍵善七殿便りにつき一筆啓上します。春寒不退ですが御安静御目出度いです。市善出の白河内等10個河崎屋へ廻して御出荷有難う存ます。無事着岸しました。11個の内2番は柴平殿で盗まれ紛失で迷惑な事です。吟味中ですが柴平殿の無念です。京都、江戸町に御触れが出ていますが、世の中が穏やかになる様祈っています。よい事や悪いことがありますが、おっしゃって下さい。4番で申上の事御承引御執り計りください。大坂繰綿相場はいかがですか。不印商品の掛方が難しく正金が全く無いので、1両に銀1割増し必要です。何一つよいことはありません。正金の登らせ(流通)は一切なし。そちらも不融通で難題でしょうがそちらで周旋して執り計らいください。明日小松で絹少々買入れしますので送ります、銀札立替でできる時はまだよいです。城端でも中紅地7丈は利口で買入れしようかと思いますが、金に打銀1割余分で損失か、難物(代呂物)をつかんで1割損するか。勝負しますので御主人にも御伝声下さい。大いに迷惑なことです」。吟味:奉行が事件を調査。白河内:おそらく河内産の白布。無念:不注意。利口:利益の口、儲け口の商品。執計:とりはかり。く出し:下し。丸切:まるきり。克き:よき。代呂物:商品の中で安物、疵物。重畳:喜ばしいこと。幕府が金融を引き締め金が廻っていないので銀との両替で1割損失が出るのは大変だ、利益が出ない。荷物の盗難が出ているが、北前船の手紙からも幕末は運送中の盗難がよくあったようだ。記載通り世上が穏やかでなかったのだろう。このような1本の手紙からも世上がよく窺える。

●#40. 内々相待申上候得共 何の御左右も無御座候に付
村井屋久左衛門さんより松居五郎右衛門への手紙。「春寒の季節です。御揃で御壮健、御目出度いです。さて先日御来駕を御待しましたが御決定が無いので、御手本を調えましたので差上げます。御一覧の上で御注文くださるようくれぐれもお願いします」。来駕:らいが、来るの尊敬語。左右:左か右かを決めること。呉々:くれぐれ。希:こいねがい。不備:文末の定句。御手本は見本のことである。この戌年は1850年だと思う。

●#39. 急束御よふす御しらせ可被下候
村井屋久左衛門さんより松居五郎右衛門への手紙。「春暖の季節です。御揃で御安康、御目出度いです。さてこの度片在を50疋仰られましたが、68金の40と言われます。この値段ではとても難しく44-45ならば上物を調えて差し上げます。早くこの様子をお知らせ下さい」。扨:さて。迚:とても。六ケ敷:難しく。急束:急速。68金は金1両=銀68匁の意味。40は1疋=銀40匁の意味。#3の記載では1疋=銀50匁位なので値は近い。1疋銀45匁位なら用意しますと書いている。1疋は2反で着物2着分の布地。布地の商品名片在が未解明。

●#38. 酒之かす御申附承知仕候 指上候間御受納
上屋六三郎さんより松居五郎右衛門への手紙。「御手紙下され拝見しました。仰せの如く春暖の時です。其御地の皆様御安康でお目出度です。当方も無事ですので御休意下さい。さて酒のかす御注文承知しました。差上げますので御受納下さい。当年は酒が上出来で亦かすも宜しいです。いつでも注文下さい。金2両買物代延引になっており御免下さい。ここに差上げますので改め請取下さい。又御下向と承りました。御苦労千万です。御手透きの時一夜当庵へ御越下さい。御待ちしています」。御休意:御安心。手透き:手が空いた時。松居五郎右衛門は酒粕を手紙で注文した。これはそれへの返書である。六三郎さんは酒屋だろう、以前2両の呉服の買物を小杉屋でした分を支払いする。

●#37. 利休形たはこ入等出来候故指上申候 値段大決着
早御門屋吉兵衛さんより松居五郎右衛門への手紙、覚。「右の通りできましたので差上げます。御入帳ください。値段は大決着ですのでさように御承引下さい」。商品は四種類、下に記載。糸葉は刻み煙草のようで煙草入の袋で縫製済の商品だろう。総金額は59.5匁であった。縫元と協議して値段は決着したらしい。利休形とは梅鉢模様のことである。申年は1860年か1848年だろうと思う。

●#36. 紅定殿為替之義は屋めに相成候
「最近29日にお話したことにちょっとお知らせします。〆天ナリ両の紅定殿の為替の話はやめになりました。このようにお断りします」。沙汰:決定を通知。この下の#35に紅定さんの為替の話が話題になっているが、やめに決定したようだ。仲間同士では厳しくせず期日まで待ってあげるのが普通に一般的であったようだ。手数料もかかるし。一方御馳走をして関係を築き融通する場合も多い。「天ナリ両」は暗号である。先に他の文書をもっと読めば暗号が解読できるかも知れない。#17に為替の話がある。

●#35. 代呂物面白き模様指下し 着次第早々売捌き可被下候
松居友七さんより出張先から店への手紙。「先便の手紙の各段御承引ください。又今回1個送りました、無事着いたら改めて早々売捌下さい。これらは代呂物で極安物であります。上深意様、中深意様、山吉、山二など各値段で売捌下さい。当座よいように値を引いたり足したりしてください。大和物は延引となっていますが利益をみて仕入れます。そちら皆さん変わりないですか。当地は争いが起こる噂でしたが、今は宜しき世情で呉服も人気です。掛け金も遅れず御集金ください。紅定様の為替のことは先ず先ずやめになりそうですから御承知ください。明後日から面白い模様の生地を送ります。着いたら早々売捌下さい。そちらの様子次第で仕入れも考慮しますので教えてください。しかし人気物が1日で2-3回も変わりますから難しいものです。代呂物は保持しないよう計らい下さい。万事気を付けるべきは帳面と火の用心で最も重要です」。深意様:深く理解を示す客。値段の所で数字の暗号がある。代呂物:商品で安物や疵物。無援月:月を延ばさず。最後に真田帯も送ったとある、これは男用の帯である。

●#34. 蔵六屋鉄瓶壱つ差送り申候
京店甚助さんから松居五郎右衛門への手紙。「春暖の所益々御安康で恐悦します。さて蔵六屋の鉄瓶1つ出来たので送ります。次4つ稲覚様分は当月中に出来ます。先ずは右申上ます」。京都の秦蔵六(1823-1890)の鉄瓶は現代でも評価は高い。幕末の金沢でも評価が高かったことがわかる。京店は小杉屋の京都店でここから金沢小杉屋へ商品が多く配送されている。甚助さんはここの番頭。またここには総大将の第11代小杉五郎右衛門が1854年まで住んで居た。

●#33. 京嶋小倉等御入用之方へ売捌 大和は其侭古蔵入置 火の用心第一
松居常七さんから松居米吉さんへの手紙。常七さんは金沢小杉屋番頭格で京都方面へ出張中で仕入れた物を送ったと知らせる。米吉さんは留守番役である。「春寒の季節いよいよ御壮栄で御目出度いことです。さて別紙のように送りましたので着いたら御入手ください。京嶋小倉などは入用の方へ売捌下さい。大和はそのまま古蔵へ置いてください。火の用心第一です。まず元の所申上ました」。愈:いよいよ。#25の如く京嶋、小倉帯、大和物は定番商品であった。大和物は夏物なので12月の販売に向かないので蔵へ貯留する。手紙に付属の金75匁8分は回収金と思われる、銀だが「金」の表示が注目され、かねと読むようだ。同常七の「同」は宛先の名字と同じの意味。

●#32. 紬相庭高値 御勘弁之上御用向可被下候
富屋茂助さんから松居五郎右衛門への手紙。「再度啓上します。毎度御用向有難き幸福です。さて紬の相場が3-4丁方高値ですが、御勘弁の上で御注文願い上ます」。相庭:相場。愚札:私の手紙、謙譲語。3-4丁方高値:1反当り銀3-4匁方値上がりと思う。

栞30 

上に戻る BACK TO TOP

●#31. 昨日大和物取合拾壱疋慥に入手 小もよ中もよ取合廿計入用
越中今石動の太兵衛さんから松居五郎右衛門への手紙、その4。「前書御高免下さい。昨日大和物取合せ11疋入手しました。大和物にあわせ小模様、中模様20ほど入用につき御送り下さい。追伸:左様につき模様9疋お願いします」。就夫:それにつき。併:あわせ。何連:いずれ。可然:しかるべく。1疋:着物2着分で2反。大和物:大和絣の夏物で#25に記載。太兵衛さんは表に色々書く人で不明のものがあるが大体解読できた。

●#30. 御面倒申上其上御地走に相成 此間之風呂物慥入手仕候 Thank you so much for the hospitality the other day. I would like to order four types of cloths today.
越中今石動の太兵衛さんから松居五郎右衛門への手紙、その3。「春寒の砌ですが御店中様御揃で御勇健で御目出度ことです。毎度御世話になり有難いです。そのうえご馳走になり忝御礼申上ます。この間風呂物御送りくだされ、到着し確かに入手しました。又々御面倒ですが左の品々御送りくださるよう善々御願します。以下4品」。当着:到着。風呂物:手拭、浴衣、及びそれらを包む風呂敷と思われる。はかた:博多織、博多に起源の堅地の織物、経糸を密にして緯糸を太い片撚りで織り,横うね状、博多帯など。なんきん:南京繻子、中国渡来の織物で縦に絹糸,横に綿糸の交ぜ織り。繻子:しゅす、布面が滑らかでつやがある織物。本紅:紅染の絹。立嶋:立じま(縞)。

●#29. 太物工風等白無地めんちり送可被下候 Please send me some cotton cloths and two units of white silk cloths.
越中今石動の太兵衛さんから松居五郎右衛門への手紙、その2。「御手紙拝見しました。御揃で御勇健御目出度いことです。太物工風等お送り下さい。御面倒ですが白無地めんちりの中から上を2反も御送りください。無ければその旨御知らせください」。太物:綿生地。めんちり:縮緬(ちりめん)のこと。縮緬:風呂敷などに見られる表面に凹凸のある絹織物。老婆のことを「めんちり」ということあり、逆に縮緬のことを「ばあちゃん」ということあり。めんちり=ちりめんなのである。通常1反は着物1着分で幅1尺(37.5cm)、長さ2.7丈(10.1m)。

●#28. 与分取合三拾疋計 御送り被成下様御願 Please send me the thirty units of cloths without delay.
越中今石動の太兵衛さんから金沢松居五郎右衛門への手紙、その1。「毎々お世話になっていて千万ありがたい幸せです。小模様など取り合わせ30疋お送りください。店が仕切りになるので急いでご送付願います。模様物で難しいようでしたら私がそちらに上ります。また銀1貫10匁差上げますので御入帳ください」。仕合:しあわせ。与分:余分。取合:取り合わせ。仕切:帳簿の決算をする。御さし:御察し。併し:しかし。両替率が金1両=銀68匁であるので、嘉永5年以前頃のようだ。越中今石動(いまいするぎ)から金沢は近い。

●#28. 見本指上申候間 地合等宜敷御見計可被下候 Please order some cloths. I am sending you the samples.
越中国氷見湖光の吉崎屋又吉さんより金沢の松居五郎右衛門への手紙。「余寒甚しい処です。皆様御揃愈々御安康で御目出度いです。毎度お願いですが見本差上げますので地合など身計の上この者にお渡し下さい。宜敷お頼み申上ます」。生地の見本を渡して注文を願う手紙である。湖光はこうこうと読む越中国の西北辺である、金沢とはさほど遠くない。

●#27. 切餅御意懸申候宜御笑納 私方へ例歳の通り塩鰤御賜り願申候 I am sending mochi as a gift. Would you please send me a salted yellowtail as usual?
浅店の隠居より松居常七(小杉屋番頭)への手紙。「寒気甚しい所、愈々御安康お目出度いです。軽少ですが切餅お送りしますので御笑納ください。今年は鳥は大変高値なので、私方へは例年の通り塩鰤を賜りくださるよう急ぎ御願します。右乱筆失礼で高免ください」。甚敷:はなはだしく。急束:急速、いそぎ。浅店の隠居は不明だが小杉屋と同系支店の隠居と思う。総親方であった小杉五郎右衛門の隠居は京店だったので違うと思う。1年の仕事が終り、年末の贈答の手紙である。

●#26. 右之通り無相違指上申候間御入帳 弐両三歩三朱と八分弐厘 I pay about three ryo of gold for the cloths.
山屋長兵衛さんより松居五郎右衛門への入金の覚。「残分の2両3歩3朱と8分2厘を差上げます。御入帳下さい。宮安殿の口入分5両まだ借りですが、これはお目に懸って御相談申上ます。そのように了解願います」。左様:さよう。思召:おぼしめし、思って。両替率が金1両=銀68匁であった。計算は正確である。亥年で幕末であるが、1851年=嘉永4年でよい。「嘉永5(1852)年までは公定レート1両=60匁に順じ1両=銀55~65匁、ペリー来航の嘉永6(1853)年以降に急激な銀貨安となった」-幕末・横浜洋銀相場の経済学、髙橋秀悦氏。幕末金1両=100-120匁の計算となるが、嘉永4年はまだ公定レート1両=60匁に近い訳である。覚の古文書は数字計算がぴったり合うと気持ちがよい。

●#25. 京しま小倉帯余り不申哉 明日罷出候故御返事可被下候 I would like to buy cloths of Kyoto striped patterns, Kokura kinomo obi and cloths of Yamato kasuri.
はし甚さんから松居五郎右衛門への手紙。「秋冷之刻です。皆様御安康で御目出度いことです。さて京縞、小倉帯の余りはないですか。お尋ねします。もしあれば明日参ります。御返事ください。外に大和物は有りますか。お尋ねします」。小倉織:豊前小倉藩の特産物、縦縞の丈夫な木綿布。大和絣:白木綿地に紺絣模様、浴衣地で江戸末期流行。京縞は藍染め地に白の幅の異なる縞模様の入った地らしい。旧暦6月末(新暦7月)で夏の着物地を仕入れたいようだ。はし甚さんは橋爪甚左衛門で加賀国石川郡鶴来(つるぎ)村(現石川県白山市鶴来)に店がある。金沢市から南に10kmの所の町である。

●#24. 置絹八拾九疋御仕入 忝仕合に奉存候 Thank you very much for purchasing eighty-nine units of silk cloths.
中嶋屋宇兵衛さんより松居五郎右衛門への手紙。「20日にも御手紙下され忝拝見しました。仰せの如く寒さも余程退きました。御壮健御目出度いです。さて先日そちらに差し置いた絹之うち89疋仕入いただき仕合です。残り50疋はこの者へ御渡し下さい。併せ早速ですが、代銀もこの男へ御渡し下さるようお願いします」。此丈:この丈夫、この男。中嶋屋宇兵衛は加賀、京町の印であるが、金沢市京町らしい、他に加賀大聖寺京町がある。可被下候と以上のZは典型的形。

●#23. 御難題申上置候一條 御返事日々待居候 I am waiting for your favorable reply.
加納屋彦左衛門さんより番頭常七への手紙。難題への返事の催促である。「余寒が退かない所です。其御地の主人様、皆様は御清福で御目出度いことです。下拙も無事ですので御安易ください。去る秋申し上げた御難題のこと帰国の節御主人様に取成し下さいましたか。師走は日々待っていました。そちらは作躰もよく諸商いもあり景気よろしく、うらやましいことです。工夫してこちらの希望を取持ちくださるようお願いします。余りは面会のうえ御話申上ます」。何れも様:いずれのかた様。下拙:自分、謙譲語。作躰:てい、事の有様。歟:か。浦山敷:うらやましく。卒:にわかに。咄:はなし。御主人様は松居五郎右衛門である。難題はおそらく支払い方法で手形、延期払いなどであろう。昨秋から師走を過ぎ2月でも返事が無いのは厳しい事のようだ。松居五郎右衛門は先代の小杉五郎右衛門より商才は劣るとも書物にあるが、実際は「如才ない」との手紙もあり商売にも気は抜いていない。さあこの後はどうなるだろうか?

●#22. 本紅絹弐疋に墨付分壱疋 何卒値段極々御働御渡 Please hand over two units of the red silk cloths and one unit of kasuri.
木屋藤蔵さんから小杉屋茂助への手紙。茂助さんは金沢小杉屋の手代だった人である。「一両日はよろしい天気です。御店益々御勇健でこちらも大変悦んでいます。昨日買った本紅絹2疋、他に墨付分1疋、何卒値段を極めまで働かせてこの者に御渡ください」。1疋=布2反。布1反:幅37.5cm、長さ10.1mで着物1着分。紅絹:もみ、緋紅色に染めた絹織物、別名本紅絹。墨付:糸に絣柄と同じ箇所に墨を付け、そこを括って防染して染め、あとで織る。つまり藍絣模様のことだろう。藤蔵さんの加州粟崎(あわがさき)は金沢市中心から5kmにある海岸の町である。現在は金沢市粟崎町。

栞20 

上に戻る BACK TO TOP

●#21. 茂助、与兵衛殿両人五日に供来 友七殿も昨六日上京 Please come to Kyoto because the end of the year comes soon.
京屋から金沢小杉屋番頭などへの手紙。年末で各支店の頭、番頭が上京して来ている。京屋は前頭領の小杉五郎右衛門(1785-1854)が在住していた京都の店でここから多くの呉服、太物が各店に送られた。「甚寒の時、御勇健と存じます。別紙のように越中屋佐六殿へ送りましたので無事着の節は御入手ください。茂助、与兵衛殿両人5日に供に来京、友七殿も昨6日上京。呉服の仕入れもあら方済み、近日集会が発足するのでそちらも不都合ない様に計りください。如才なく金の掛方や取付け成してください。追伸、太物は京都は高値にてなるべく御地の御得意様へ売り捌きください」。12月になると金の取付けの時期となり、その後支店の頭の集会が京都である。 This is a letter from a boss at Kyoto shop to the staffs at the Kanazawa branch shop.

●#20. 大きに不景気至極彼是延引 平に御用捨可被下候 I am sorry for the delayed payment because of the business recession.
南屋佐次兵衛さんより松居五郎右衛門への手紙。「改年御目出度い所です。御尊家皆様益々御機嫌よくされめでたいことです。此元も無異に加年しました。昨年はお世話になり有難いことです。銀子を年内に差上げる筈が不景気至極で延引しました。御用捨下さい。さて左のように銀を差上げますので御入帳ください。年始の御祝詞この如くです」。芽出度:めでたく。無異:異常なく。御安異:御安易、御安心。不相替:あいかわらず。希上:こいねがいあげ。用捨:容赦。延引:長引き。代呂物:しろもの、商品だがあなどっていう言葉、安物や疵物(きずもの)。

●#19. 夏物追々御取寄旨 おもしろき品参着払い申候 I want to buy the Summer clothes which show some interests.
平兵衛さんより松居五郎右衛門への手紙。「幸便にて啓上します。暖風の季節です。皆様益々お勤めで何よりです。夏物追々取寄せですが、参着払いはできますか。現在納戸色もの沢山仕入れあるようですが、おもしろい品があれば払金状態ですが、参着で買いますので。お願いします」。幸便:こうびん、人が持参する手紙。任:まかせて。当時:現在を意味する。納戸:青色の濃い色で武士に好まれた。払金:手持ちの金が出払って無い状態。参着:参り着く、ここでは参着払いのこと。参着払い:期限付き手形払い、つまり支払期日を指定している手形。現在金が無いが入金した期間に支払う約束手形。最後の「猶々」は追伸で右端に書かれている。「当時」今は「以前」として使い注意が必要。

●#18. 金ゆ相場格別高値困入候 少々別に御行之程宜敷願上候 I have difficulties due to the high prices at the financial market.
祖吉屋孫市さんより五郎右衛門への手紙。「前文略御免下さい。金ゆ相場格別高値で困っています。あなた様は如才ないのでしょう。余に高値の値段なので少しでも私には別の値段筋で行ってください。お願いします」。「金ゆ」はおそらく「金融」であろう。「望金ゆ」は「金融全体を望むと」の意味と思う。布地など商品の値段が全体に高値になったので、以前通りの値段で行ってほしいとの依頼である。如才ない:物事に手抜かりがない。江戸時代の商売もなかなか大変である。

●#17. 銀子入用に御座候間 五百両御加渡被下候様願申上候 I would like to get silver pieces instead of gold coins.
平屋小三郎さんから小杉屋常七さんへの手紙。「残暑の時砌です。益々御揃いでおめでたいことです。さて御無礼お許しください。こちらに金子での為替が来ており実は銀子が要用です。若し今日両替商にお廻りでしたら五百両加えて渡して下さい。若し今日お廻りでなかったら、5-6日後までにそのように宜しく願います。難題御聞き届けお願いいたします」。小三郎の許に500両の金為替(振り出しは別の商店)がある。しかし小三郎は銀が要用なので常七が商品の代金を銀為替で送るならそれに500両分加えた銀為替を送って欲しい。そしてこの後小三郎は両替商で銀為替を渡して商品代+銀の金500両相当分を受け取る。一方手持ちの500両の金為替(振り出しは別の商店)を常七に譲渡する。こうすれば小三郎は手元の金為替からそれと同額の銀が手に入る。両替屋に払う手数料は当然小三郎持であろう。これは懇意な取引関係の2人の間だからできることである。また金為替から銀を受け取る際の手数料は両替料が必要で高かったことがわかる。私が銀行でドル小切手を作ってもらい、米国の会社にそれを送ってドル立て送金したのを思い出した。この「小切手」が「ドル為替手形」となれば全く同じ道理である。下に江戸時代の為替の原理を書いた。短い手紙だが勉強になった。

●#16. 只今持合御座候間 入用之義も無御座御報申上候 Now I have enough products. I do not want to buy fabrics.
若村屋次平さんより松居五郎右衛門への返事の手紙。「貴札下され拝見しました。御安栄御目出度存じます。この間も参上しお願い申しました。さて私の一存の事ですが、只今持ち合わせがあり、他に入用もありません。お報せいたします。以後別値段になれば御相談申上ます」。貴報、貴札:あなたの手紙、脇付にも使う。壱存:一人の考え。この前に松居五郎右衛門より若村屋次平へ現在持合せの金が不足なら至急に送金し清算するという手紙があった。それに対し現在手持ち金はあるので急ぎませんよとの返事である。この間の参上はご馳走になった意味。商人では参上=ご馳走になるは重要な交際であった。ご馳走になったら厳しくは言えない。しかし金相場などが変動して値段が変ったら御相談しますと忘れない。

●#15. 御手すき之間御出被成下候様願上 御返事申上候 Please come to my house at the free time.
次兵衛さんから常七への手紙。常七は小杉屋の番頭だった人。「御安福御目出度いことです。昨日も御光来に御礼申上ます。それに付御返事申上ますので御手すきの間にいらして下さい。よろしくお願いします」。親密な商売の話合いのようだ。次兵衛さんは鍵丸の屋号、小杉屋は山に小の屋号。

●#14. 隣家出火之節為御尋御酒被下 悦入御奉申候 Thank you so much for giving the sake after the nearby fire.
蔵六兵衛さんよりの火事安否状と御酒の送りへの礼状である。「昨夕の隣家の出火では御状と御酒を下され悦び入ました。早速御挨拶に罷出るべき所、店の当番が毎日で当分御挨拶が遅れます。粗略ですが手紙で御礼を申します」。どうやら隣家の火事での被害は軽いようだ。江戸時代は火事は大変恐れられた。紙と木で家ができており無論耐熱材料はないので類焼は茶飯事であった。なお宛名は本文の右裏にある。

●#13. 大急用小袖五拾反與大和織上物五疋 値段御働き可被成下候 Please hand over the fifty units of kosode and five units of yamatoori.
服屋長左衛門さんより小袖地50反と大和織五疋の注文の手紙。「愈々御安康おめでたいことです。毎度御多用中にお願いしています。小袖地50反、値段を考慮してこの者へお渡しください。かつ大和織上物5,6疋あればお渡しください」。小袖:着物で袖口が狭い。愈々:いよいよ。己み:のみ。且:かつ。是又:これまた。ここも「住吉屋様にて」と松居五郎右衛門の宛先を書く。松居五郎右衛門の店はここに違いない。また「大急用」と表に記す。

●#12. 女帯地とふも気に入不申由 依て本人指上候 The customer does not like the kimono obi.
杉山五兵衛さんより松井五郎右衛門への手紙。「相変らず寒さ強い時、お変わりなくおめでたいことです。一昨日は参上いただき、昨日は女帯地を持たせて下さり忝いです。お得意様はこれらの品もどうも気に入らない由ですので、本人をそちらに指向けます。今一遍商品を御見せの上もし気に入りがなければ同系店にて好みの商品をお尋ねください。急ぎ必要にて申上ます」。不相替:あいかわらず。大切なお客様への対応の依頼で、商店の日常の様子が推察される。宛名は「住吉屋方にて」とあり#11同様で五郎右衛門の店は住吉屋の軒先にある。

栞10 

上に戻る BACK TO TOP

●#11. 金子五両指上可申候間 御入帳可被下候 I am sending this letter assiciated with the money of five ryo.
村屋佐兵衛さんが五郎右衛門に五両差し上げの手紙。せり紙2枚は不明だが、商品付属の値段票ではないか。非常に重要なのは表書き。「尾張町住吉屋方、松居五郎右衛門様」とあり。ここは石川県金沢市尾張町の元旅館住吉屋で明治にここに移転した老舗の油商「森忠商店」が現在ある場所。金沢の経済の中心地であった。おそらくここの軒を借りる形で松居五郎右衛門の店、小杉屋があったとみる。日付けには「出」と入れる。「津幡より」と地名をいれる。石川県河北郡津幡町は古くから栄えた土地で金沢は遠くない。印は「津幡村佐」=津幡の村屋佐兵衛の意味である。この時代金の支払いは総じて遅いものだが、ここでは賃金先払いである。松居五郎右衛門の店、小杉屋の正確な場所がほぼ判明した。なおここにも「可被下候」の定型と「以上」の「Z」がある。

●#10. 第六報 山舞紬二拾疋指上候所 御入用無之旨 A letter from Shinemon to Goroemon shows that Shinemon sent twenty units of silk cloths. Because these cloths were not ordered by Goroemon, the cloths would be sent back to Shinemon.
布市屋新右衛門さんより松居五郎右衛門への手紙、第6報。亥年=1863年=文久3年5月26日の手紙。「この度さほど高値ではない山舞紬を漸々入手した20疋差上げました所、要らないといわれる。今後は不要の品は1疋も差し上げません。中伏院与殿に荷を廻してください。中伏院与殿不要なら当方へ戻し、溜め置します」。漸々:ようよう、段々に。且又:かつまた。今回は山舞紬20疋は注文外の品だが、不要との返事であった。#2-#10と続いた布市屋新右衛門さんの手紙はこれで一段落である。字が大変読みやすい人であった。

●#9. 第五報 山舞紬、格子嶋柄二拾疋指上候 A letter from Shinemon to Goroemon shows that Shinemon sent twenty units of silk cloths which have a checked pattern.
布市屋新右衛門さんより松居五郎右衛門への手紙、第5報。亥年=1863年=文久3年5月16日の手紙。「注文の山舞紬格子嶋、仕切書通り二拾疋差上げました。商品が着きましたら改めて御入帳ください。値段等も成丈慎重に買入しました。代金の壱、二百目は今伝殿へ御渡し下さい」。順調に商売が成立しているようだ。前回の4月19日と同様の5月16日の手紙である。

●#8. 第四報 山舞紬、紬嶋柄二拾疋指上候 横遣かせ等高値尓相成候 A letter from Shinemon to Goroemon shows that Shinemon sent twenty units of silk cloths. Some types of the cloths become high price because of the false bids.
布市屋新右衛門さんより松居五郎右衛門への手紙、第4報。亥年=1863年=文久3年4月19日の手紙。「出来合の山舞紬、紬格子嶋柄合わせて二拾疋差上げました。商品が着きましたら改めて御入帳ください。山舞紬の相場が横やりやがせ入札で6-7分高くなりました。紬縞柄は具合宜敷あり、お送りしました」。薄暑:わずかな程度の暑さ。出来合:現在ある分。改める:ここでは「確認」。横遣:よこやり、妨害。かせ:がせ、偽の入札。訳合:わけあい、理由、事情。工合:具合。勘考:勘案。横やり入札やがせ入札で山舞紬の卸値が6-7割も上昇したとある。今でもありそうなことである。ただ新右衛門さんは注文以外の品、紬格子嶋柄の送付をしているようだ。

●#7. 第三報 長中紀地六拾疋 白はり地拾疋に御座候 A letter from Shinemon to Goroemon shows that Shinemon sent sixty units(hiki) of silk cloths and ten units of white cloths with the starch.
布市屋新右衛門さんより松居五郎右衛門への手紙、第3報。亥年=1863年=文久3年2月8日の手紙。「御注文の長中紀地取合わせ六拾疋差し上げます。御入帳下さい。白はり地は上絹拾疋取り混ぜ差し上げます。代銀は伏院與殿へお渡しください」。長中紀地(長いものと中位の生地)を混ぜて60疋送ると思われる。白はり地:しらはり、白張り、のりを張った白い布。こちらは10疋。伏院與殿は不明の人。1疋=布2反。布1反:幅37.5cm、長さ10.1m。 One hiki of the cloths means two tans of the cloths. One tan is 37.5cm in width and 10.1m in length. You can make a kimono from a tan of the cloth.

●#6. 仕切書三 和紙小なり五百枚送申候 Shinemon sent Goroemon a letter showing the cost of five handred papers.
布引屋新右衛門さんの松居五郎右衛門への紙の販売の覚書。酉年=1861年=文久元年11月4日の手紙。和紙には大なり、小なりの語が使われる。これは小なりで500枚、13匁である。手数料は5.2匁で率は高い。駄賃は0.4匁だから、4.8匁である。たぶん紙の調達はお手伝いだったのだと思う。二白(追伸)では山舞紬が揃次第順次送る旨を述べた。山舞紬は金沢尾張町の小杉屋での主力商品に違いない。

●#5. 第二報 此度は指引奏候 山舞紬も只今取揃中 A letter from Shinemon to Goroemon. The prices of the cloths were reduced a little.
布市屋新右衛門さんより松居五郎右衛門への手紙。第2報。戌年=1862年=文久2年3月28日の手紙。商いが順調に進行中のようです。「此度は値を差引もうしあげました。御引合せください。相違が在りましたら申越ください。山舞紬(#4に記載の商品)も取揃え徐々に送ります。悪しからず御承引ください」。奏:もうし。戌年=1862年=文久2年と思う。常七さんは松居五郎右衛門の小杉屋の番頭だった人。新右衛門さんは字がきれいで読みやすい。

●#4. 仕切書弐 〆弐拾疋之格子縞之紬 割引率は三厘にて御座候 The invoice shows the total cost of delivering checked silk cloths.
酉年=1861年=文久元年11月28日。越中国城端の布市屋新右衛門さんより金沢の松居五郎右衛門への5回の納品のまとめと仕切書。①商品名は山舞印の紬で格子または縦縞入りである。やはり疋単位である。1疋=布2反。布1反:幅37.5cm、長さ10.1m。②下左は疋数、下右は単価(匁/疋)を示していた。単価に疋数を掛けたものを上に記入。単価は時価で微妙な変動があることがわかる。③割引とその他費用は#3と同様にある。#3と#4の商品などを比較した。#3の商品、黒無地絹織物(?)は単価(匁/疋)は#4の商品、格子縞紬絹織物の単価より極くわずか高値。良い黒染めは下に赤染めを要し手間が掛るので、縞柄入りと同じ価額になるのだと思う。口銭(問屋の取る手数料)は100疋単位で37匁と全く同額。駄賃(馬で荷を運ぶ運賃)は輸送1回当り4分で全く同額。割引額は請求総額の3厘で割引率はやはり同じ。以上割引率、口銭、駄賃の費用はすべて道理に合っている。下にまとめの表を示した。

●#3. 仕切書壱 〆百疋に御座候 駄賃は銀四分頂戴可仕候 The invoice shows the cost for eleven times of the cloth deliveries.
酉年=1861年=文久元年10月22日。#2の越中国城端の布市屋新右衛門さんより金沢の松居五郎右衛門への11回の納品のまとめと仕切書。これを観ると様々なことが解る。①商品名は不明だが最も普遍的な布で販売は疋単位。1疋=布2反。布1反:幅37.5cm、長さ10.1m。1回に5-10疋納入(各項目の下左に記載)。②正価(各項目の下中の値)に0.85-0.9(各項目の下右の数)を掛けたもの(各項目の上の値)を請求。③割引があり率は3厘(#4参照)。④口銭、紙代、駄賃は別計算で請求。口銭:こうせん、問屋の取る手数料。紙代:おそらく布を包む紙。駄賃:馬で荷を運ぶ運賃。計算は完壁で正確である。単位は銀重量である、1匁=3.75g、金1両=銀60匁。この普遍的な布は紋付などに使われる。黒無地の絹織物と思う。下にまとめの表を示した。同じ商品でも少しづつ値段が異なるのは時価が異なるためであろう。百姓の田の年貢率には100年間ほぼ変化がなかったのが対照的に異なる。この時代の布の卸販売(問屋から小売)の実態がよく解る。割引の「割」を「つ」に書くのはホームページ#7に在り。なお金沢迄太ちんは駄賃に違いないと思う。今後他の仕切書を読んで比較できる。

●#2. 第一報 御注文之七丈絹当座無数 四月末御調奉存候 The very long silk cloths are not available now. I shall get them for you by the end of the next month.
越中国城端町(じょうはなまち)の布屋新右衛門さんより金沢の松居五郎右衛門への手紙。第1報。戌年=1862年=文久2年3月21日の手紙。「春暖之刻です。御店中様益々御壮健にて何よりです。此度七丈絹御注文有難いですが、物が大きく当座ありません。四月末には御調達します。その間壱筋絹で五百匁のがありますが、これを取交ぜて差上げますがいかがでしょうか。一寸御尋ねします。そうしていただくと仕合せです。次の御席の時御返事下さい」。鯨尺で1丈=3.75m。七丈絹は長さ26.2mである。通常着物1着分(1反)は幅1尺(37.5cm)、長さ2.7丈(10.1m)。七丈絹は1反の2.6倍もありで相当大きい。一筋絹は500匁(1.8kg)としている。帯が1kgなので、帯よりもずっと大きいものである。商売上手な布屋さんのようである。この戌年は1862年=文久2年と思う。

栞 最後 

上に戻る BACK TO TOP

●#1. 麁品松露壱袋進上 御笑納可被下候 I would like to give you shoros, a kind of fungi.
店の主人より松居五郎右衛門への手紙。「未だ春寒い季節。御勇健でおめでたいことです。綸(綸子)の相場は相変らずですが、そちらはいかにされていますか?何卒御注文ください。麁品の松露1袋進上致します。御笑納下さい。先ずはお願い申上ます」。綸:りん、糸。綸子:りんず、模様を織り出した厚くてつやのある絹織物。松露:松の近くに生えるきのこで麝香やにんにくの味らしい。麁品:粗品。旁:かたがた。何様:いかよう。可被下候(くださるべくそうろう)はこの形でパターンが決まっている。右に点が2つのものもある。

<文書番号とタイトルの一覧>       上に戻る BACK TO TOP
#1. 麁品松露壱袋進上 御笑納可被下候
#2. 第一報 御注文之七丈絹当座無数 四月末御調奉存候
#3. 仕切書壱 〆百疋に御座候 駄賃は銀四分頂戴可仕候
#4. 仕切書弐 〆弐拾疋之格子縞之紬 割引率は三厘にて御座候
#5. 第二報 此度は指引奏候 山舞紬も只今取揃中
#6. 仕切書三 和紙小なり五百枚送申候
#7. 第三報 長中紀地六拾疋 白はり地拾疋に御座候
#8. 第四報 山舞紬、紬嶋柄二拾疋指上候 横遣かせ等高値尓相成候
#9. 第五報 山舞紬、格子嶋柄二拾疋指上候
#10. 第六報 山舞紬二拾疋指上候所 御入用無之旨
#11. 金子五両指上可申候間 御入帳可被下候
#12. 女帯地とふも気に入不申由 依て本人指上候
#13. 大急用小袖五拾反與大和織上物五疋 値段御働き可被成下候
#14. 隣家出火之節為御尋御酒被下 悦入御奉申候
#15. 御手すき之間御出被成下候様願上 御返事申上候
#16. 只今持合御座候間 入用之義も無御座御報申上候
#17. 銀子入用に御座候間 五百両御加渡被下候様願申上候
#18. 金ゆ相場格別高値困入候 少々別に御行之程宜敷願上候
#19. 夏物追々御取寄旨 おもしろき品参着払い申候
#20. 大きに不景気至極彼是延引 平に御用捨可被下候
#21. 茂助、与兵衛殿両人五日に供来 友七殿も昨六日上京
#22. 本紅絹弐疋に墨付分壱疋 何卒値段極々御働御渡
#23. 御難題申上置候一條 御返事日々待居候
#24. 置絹八拾九疋御仕入 忝仕合に奉存候
#25. 京しま小倉帯余り不申哉 明日罷出候故御返事可被下候
#26. 右之通り無相違指上申候間御入帳 弐両三歩三朱と八分弐厘
#27. 切餅御意懸申候宜御笑納 私方へ例歳の通り塩鰤御賜り願申候
#28. 見本指上申候間 地合等宜敷御見計可被下候
#28. 与分取合三拾疋計 御送り被成下様御願
#29. 太物工風等白無地めんちり送可被下候
#30. 御面倒申上其上御地走に相成 此間之風呂物慥入手仕候
#31. 昨日大和物取合拾壱疋慥に入手 小もよ中もよ取合廿計入用
#32. 紬相庭高値 御勘弁之上御用向可被下候
#33. 京嶋小倉等御入用之方へ売捌 大和は其侭古蔵入置 火の用心第一
#34. 蔵六屋鉄瓶壱つ差送り申候
#35. 代呂物面白き模様指下し 着次第早々売捌き可被下候
#36. 紅定殿為替之義は屋めに相成候
#37. 利休形たはこ入等出来候故指上申候 値段大決着
#38. 酒之かす御申附承知仕候 指上候間御受納
#39. 急束御よふす御しらせ可被下候
#40. 内々相待申上候得共 何の御左右も無御座候に付
#41. 正金之打銀に壱割損失 迷惑心痛至極
#42. 河内島壱疋先方へ入貴覧候処 不用之由被申聞候
#43. おなじく品計困入候 別て当地は相紺之売捌方誠に六ケ敷御座候
#44. 今庄より小松泊り今晩にて拙者腹痛有 貴殿万事御気を附火の用心は第一
#45. 帯、田葉粉入、夏地ばん、どうき等指送 御改御入手可被下候
#46. 大和縞乍延引御返し申上候 不悪御承引可被下候
#47. 此間罷出大き預御馳走に忝次第 御礼可申上候
#48. 御気ほうやうのため御子さまかたつれまし ゆるゆる御こし下されまし
#49. 奥嶋柄新市え向兼申候間 御返し申上候
#50. 三疋之代銀為指上申候間 御改受取御入帳可被下候
#51. 思召に寄このわた壱桶御恵み 好物にて深御礼申上候
#52. 貸金は〆千百四拾八両壱分弐朱銀五分にて御座候
#53. 夏地ものは急度引下け候様 心得居何分宜敷奉希上候
#54. 五九之分五五掛に致置可被下候 万一右値段に相成不申候得は無拠払戻し
#55. 右銀子御廻り合如何に御座候哉 只今此者へ御報相願上候
#56. 朱子衿地紫博田帯 右二口相返申候
#57. 小紋絹拾五疋無事御入手被遊被下置候哉
#58. 関東場所廻り方夫々相仕舞 当秋廻り候所二わり方商内よろしく御座候
#59. 此度之紬六拾疋 直段とも得買物と押なし候
#60. 情々心配仕成丈け相働き差上申候
#61. 此間参上仕御馳走に相成り千万忝御礼 代呂物御送り被下慥に受取
#62. 座主様之内御承知被成難御方も御座候て困入申候
#63. 何分万端宜敷御心添等御取執計候様 偏に奉希上候
#64. いわし壱苞此数百五十入御為作被下忝正に入手仕候
#65. 初おこり後まもなくふりつづき 御ちふゐ御なし被下まし かげながら御あんじ居まし
#66. 御あなた様十四日にはぜひ共御帰り被遊候よふ 御都合被下度候
#67. 御身御大切に御いとひ願上まいらせ候 早々御帰り被下まし
#68. 算返之様も御座候付 請取帳しらへ度候
#69. 少しけしからぬ珍事御座候間 此ものと御同道にて一寸御入来
#70. 此度は御算用場にて詮義決着被遊候 御沙汰に御座候
#71. 三右衛門病気にて今日之処御不礼仕候 此段不悪御聞済可被下候
#72. 右之通り夫々無怠慢御心得可被成候
#73. 右日限よりおくれ候得は 当年中は入用無之左様御承知可被下候
#74. 高札物又不出来物色所々に不用物 不向物は御免可被下候
#75. 金五両也約定之不足奉指上候 御入手可被下候
#76. 当借分拾両也今便に奉指上候 御記帳被遊被下候様御願上候
#77. 小杦様御たようの中に御さんけい被下事 けつこうに御たむけいたたき御礼申上候
#78. あなたさまにもおいおい御みもおもく相成候やと そんし居しんはい致し居候
#79. 大和物代中巾 金三拾両也 金子手廻り候分指上候
#80. 悟一郎のど痛にて早々御帰村被下度候 扨くこも御願上まし
#81. 御文体之趣身に取て実太之大慶 筆紙難尽仕合に奉存候
#82. 神農丸五十服御指上候 御受取可被下候
#83. 乍御気毒右品相返し可申候間 不怒御帳消可被成候
#84. 夏持之儀もたいふん出来仕居候間 近々之内御下向
#85. 古持証文下し呉候得との御義御座候間 此段御左右御伺奉申上候
#86. 何連も御主人様御利腹之段 御わび之程偏に御頼申上候
#87. 御得意様大きく大きく延引相成候
#88. 当年は暑中余程厳敷御座候様子故 御身之上御用心専一に申上候
#89. 金高下にて取引六ケ鋪 受渡無御座奉困入候
#90. 小子とも過二日無事帰村仕候 乍恐御平意思召可被下候
#91. 下拙不相応之損失打重り 御気毒には御座候得共御承知置
#92. 為替金之儀 此節鋳物師屋伊兵衛殿と申人上京被致候手都合
#93. 三代余玉川之義大いに延引仕 漸々此節出来仕候間御下し申上候
#94. 糸値段追々高値に相成 模様帯、博田帯誠に五歩方高値
#95. 芸州三田屋様御注文之表具物 出来に付為持差上申候
#96. 当月晦日切迄無相違指送申候 不悪御承引可被下候
#97. 残り弐貫弐百九十匁は高岡より送り可申様に申居候
#98. 御主人様より頃日棚颪之最中に御座候故御取込候
#99. 尊家様糸織百廿両分私え荷物 日々待入申候然共今に参り不申候
#100. 御商内も一入御都合克 上気能にて御売捌きと察入候
#101. 伊地知右京様より委く御咄申度義御座候
#102. 誰屋四五軒引合申候所 金壱両値増被成下候はば年中に出来可仕候
#103. 御約定之懸物御送り申上候 楽茶わん壱つ相添申候
#104. 貴地絹類格外下値に相成候趣 左之品利口に御手取に御買入被下度候
#105. 御地近国大洪水之由 早々引水に相成候段御同慶奉願入候
#106. 銀子拾七貫匁御渡被下慥受取申候
#107. 注文御頼申上候間 宜敷御働可被下候
#108. 越浅黄義は一向不行由にて 未急には出来不申候此段宜敷
#109. 雪中之御道中も御無事に御着被成候哉と察居候
#110. 今後左之通り差下し申候間 其着御入手可被下候
#111. 此度三度便りに差送り申候間 無事着之候節は御改御入帳
#112. 羅紗差合四品 緋黒白花色 〆杉皮挟壱つ
#113. 緋絞り之義は今日中に 丹さ殿よりをき出来可申候
#114. 御香典預り御恵投に難有不浅奉存候 中陰無滞相勤忌明仕候
#115. 竹之子の段相調不申候 甚以心外に御座候得共不得止事に御座候
#116. 呉服太物人気は殊に以 只今之所宜敷御座候
#117. 利足別紙加入いたし指上申候間 御入手可被下候
#118. 江戸値段時之成行一勝負に御座候
#119. 油断難相成 誠におそろしき折柄に御座候
#120. 手形引替無相違御渡し可被下候
#121. 廿七日には是非木部へ御越可被下様御頼申上候 私壱人にては迚も行届き兼候
#122. 金子五百両為御登被下正に受取候様 京にて甚助殿より案内申来候
#123. 金壱五両無事着慥に入手仕候 御安心可被下候
#124. 少子退役決断に付 少子掛り之分さつぱり片付申度候
#125. 御相談之上今般退役御免被下 仍て別商売可仕候
#126. 貴所何事も抜目なく 出精都合能御商内被成候
#127. 印判差上け申候間掛七通りに御認可被下候
#128. 壱朱御香儀御遣し可被成候 尤も当地より御悔状差遣し申候
#129. 貴殿は此度余程之大役に候間 気を附万事無抜目御執計可被成候
#130. 不義りなり仕合御用捨被遊可被下候
#131. 重て之商内も有之候間 是非の分引之御対応可然事に存候
#132. 下り駄賃之義はか様之高値 御払被成間敷候
#133. 諸品追々指下し申候御入手被成 御都合能御売捌き被成候と奉察候
#134. 風邪引篭り之由ひうくり致候得共 飛脚便にて案心仕候
#135. 右人々は一通之応対には御渡し無之候間 こん気を尽し厳敷応対被成候
#136. 此度之分は余程宜敷品にて 花々敷御売捌き可被成候
#137. 太物類随分上市之由大慶に存候 大和嶋京嶋類此度指送り申候
#138. 右之通り相戻し申候間其着 御入消可被下候
#139. 氷見勘定相済申候間 此段左様御承引可被下候
#140. 御地之ふり合時々御申越し可被成候
#141. 唯今廿貫目為御上候間 中勘御受取置被下候
#142. 御上京之節御引合被遊可被下候
#143. 入日記 綿真田男帯九十六疋壱反 め七貫五百匁
#144. 昨日品物にて不用之品相返し申候
#145. 唯今丈を以 為御上候間絞り三本入置候
#146. 流行仕人之心軽薄に押移り 難ケ敷時節柄に御座候
#147. 無地遣い五拾疋 七丈絹五拾疋にて御頼申上候
#148. 此間中上方より荷着仕候はば 惣々様御申越候
#149. 相渡候品有之 此間申遣置候得共御越無之
#150. 右之通り指上申候間御改 御入帳被遊可被下候
#151. め〆四拾弐貫弐百目 右之通り今便差下し申候
#152. 当年は何連不景気大不廻りにて誠に以心痛仕候
#153. 百両哉百五拾両にて過上 いせ源殿へ御渡可被下候
#154. 当年は悉く仕入方値上りに付 金高不足にて困入申候
#155. 世帯道具は皆々焼失仕候故 誠に誠に困入申候
#156. 諸道具其外不用之品不残売払 下女等に至迄出し棚かり出店同様
#157. 覚 右御請可被下候
#158. 当月十日頃より甚騒敷候て 商売丸休み之由逃支度而已
#159. 御尊君様北国表より御機嫌克 当期之御帰宅被遊候
#160. 御取揃三拾反計成ても 吟味之侭指送可被下候
#161. 第一火之用心御気を付可被下候
#162. 万事無御手抜御取計御頼申上候
#163. 織手丸で無之綿綛も此頃少々高値に相成候
#164. 摂河和綿作先日和州へ罷越候節は 十一二分之作柄に御座候
#165. 値段も盆前とは 壱弐匁は大丈夫高値に御座候
#166. 相返し相味そからし 当月下旬に出来可申候間先方へ
#167. 吉治様奉書紬中形壱疋
#168. 右八日迄出来之分 不残差下し申上候
#169. 値札入致度候得共 左候ては出荷延引仕候
#170. 昨年備後表にて為替金取組 段々延引に相成居候
#171. 晦日為登金千両也 無相違御登せ被下候由承知仕候
#172. 金千両也御登し被下 昨廿七日朝無事着慥に入手仕候
#173. 赤存外飛上り申候得共 成行如何難計御座候
#174. 紋付五所之所間違 三所紋に相成当惑
#175. 結き何分貴地品切之事故 彼地参り是非買入可申候
#176. 為替取組金子慥に受取申候 日限無相違手形引替御渡し
#177. 此度は大延引に付貴殿 格別に御骨折之御儀一入御察
#178. 為替金弐百両手当出来申候はば残り之分 右両家へ御渡し
#179. 乍憚となた様へも宜敷 御鳳声被下度
#180. 大和紺惣絣織色等四百疋計 太兵衛下しに差下し可申候
#181. 生金巾は大払底にて只今百拾弐三にて 買手沢山に御座候
#182. 此度弐分判七両也 右呉服代主人さまへ
#183. 近日御下向御座候様子ならは 其砌御貴覧可被下候
#184. 緋ちり面無地拾疋御注文申上候所 荷物着不仕候
#185. 廿日に一集に御かし渡可被下 奉希上候
#186. 莫大之喰違にて驚入申上候
#187. 為替取組金子慥に受取申候 此書状着次第早速に平小殿へ御渡し
#188. 金四百七十五両金五拾六両 慥に入手仕候
#189. 百両の外は御尊君様え相談可仕候旨 被仰下候
#190. 御得意様へ売内仕候物 御数申上申候
#191. 頭痛八巻致し心痛に罷在候間 御風邪御快方急々御出京
#192. 明晦日限天両 来二日迄相待呉候様申聞候
#193. 京嶋ホ天九反御注文之処 先日出荷之嶋柄相除
#194. 五ケ小厚紙五百枚計極上もの 布新殿へ注文
#195. 村久殿より金弐百廿両請取 手形相問候はば無相違御渡
#196. 金巾類至て不印にて売し不申 多少御帰し申候
#197. 都合ノ天メりサ反 右之通り御座候
#198. 京嶋生仕立五十七反 京嶋相見甚十九反に御座候
#199. 金巾紺中形拾八疋などと文庫紙にて御座候
#200. 頼助様へこのわた壱桶干鰯壱つと 慥に相届け申候
#201. 重緋縮面五疋廿九日出に差下し可申候
#202. 御為替方三家 井光夷屋三つ井にて候
#203. 右差下し有之候 此分は右御申越之品にては無御座候哉
#204. 二白小彦様御染地出来候に付 別紙之通り差下し申上候
#205. 古帳并にゆいた用古文庫 急々為御登可被下候
#206. 小倉袴地百三十九反 京嶋生仕立弐百十八反
#207. 紋真田女帯七十弐本 杉皮〆壱箇
#208. 奉書紬六拾八疋札引 〆板〆壱箇り
#209. 南京織厚弐反 京立嶋三反
#210. 短報二つ 申年之差引帳壱冊
#211. 筆末乍憚何も様方へ宜 ふして御鶴声可被下候
#212. 萌黄すすし四反 黒ヘルト壱筌
#213. 右之通り差下し申上候 縮面黒相入六疋
#214. 二月五日渡為替 日限無相違御渡し可被下候
#215. 干いわし大百到来仕候 乍憚御礼可被下候
#216. 真田子供帯九丸 〆渋紙包壱つ
#217. 右通り差下し申候 定て無事着御入手
#218. 京江屋次兵衛殿持 入日記
#219. 金巾中紅抜廿四疋 金巾絣染廿六疋
#220. 九百目御跡様なから 御請取可被下候
#221. 金子壱両 御名前聞違にて尊家様へ指送リ誠に失念
#222. 三疋たけ御返し申上候間 御帳消可被成下候様御頼
#223. 右之通御座候得は 双方出入無御座候
#224. 新春之御吉慶不可有際限 買物代銀壱貫百四拾目指上
#225. 御替銀之事故実は相忘居申候
#226. 御旦那様より御腹薬弐貼 御預り候処
#227. 唐〆手本少々持参候御様子 此度は仕入も相見合候
#228. 紅梅〆ちりめん弐疋 弐百目ヨリ弐拾目迄
#229. 緋縮面弐疋 此分値段被御知可被下候
#230. 右は御涼所ぬれ縁 御算用相済申候
#231. 此金拾壱両弐朱兌 右通り指上候間
#232. 絶筆驚筆大不向に奉存候 大坂表も所々炮焼
#233. 覚三通 御帳合可被成下候
#234. 全当方不行届当方の不調法に御座候
#235. 覚四通 小白男帯四筋
#236. 備前備中売物大不印にて丸て売不申候に付 讃州丸亀へ
#237. 其節卓丈短冊御無心申上
#238. 貴家様当廿日頃御上京之由 下拙義夫迄当地へ相待居候
#239. 四疋之内弐疋は仕入に仕候間 残り弐疋貴家様御入帳
#240. 源七指引一件荒方相調へ 本人出世証文之義是非相認可申様
#241. 当春は下店北国方えは下向不仕候間 宜御頼申上候
#242. 百拾両ならて無御座候 此段篤と御しらべ可被下候
#243. 金巾紫麻形五疋 若次様へ差送り申候
#244. 言葉尻をとられぬ様に御取計可被下候
#245. 尚々前文之通り兼て一条 此度申上度存居候へ共
#246. 伏見表大火 一印会印大坂より押寄八ケ所火之手
#247. 才川浅の川両条川町 遊女相立繁昌成事に御座候
#248. 奉書紬紫中形十四疋
#249. 其節利足銀之義承り候処
#250. 為替に取組右藤生氏より申来り候事
#251. 御繁用之御中恐入奉存候へ共 宜敷御頼申上候
#252. 当卅日之金子 太七様へ御願申上候処
#253. 右之通相渡り申候間 御地之都合如何
#254. 当年は私方店屋番にて 頓て代人思わ敷無之

上に戻る BACK TO TOP

御覧いただきありがとうございました。Thanks for your visit.