南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
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< 年中用文章 ものはそろへ SEASON'S LETTERS, MONOHASOROE >

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年中用文章 ものはそろへ SEASON'S LETTERS, MONOHASOROE

ここは年中用文章、季節の挨拶と1862年=文久二年のものはそろへです。上から下の順です。ゆっくり楽しんで下さい。
Here are season's letters and Monohasoroe documents written at 1862. Please enjoy reading the writings.

文書番号とタイトルの一覧

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション 続編
これはズームと左右の動きでポスターを見ている像である。美しい中の画像はNew York Public Library所蔵のposterで感謝して使わせていただいた。上下と左右の動作の1MBの大作。
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●立ち位置を動いて対象を見るcssアニメーション
位置を動いて対象を見ている像なので、やや立体的にみえる。外枠は撮影して中央を透過にしたもの。上のstartボタンをクリックして下さい。下のスクロールバーをスライドさせても動く。有名なRomán Cortés氏のcoke-canのアニメーションから改造したもの。

 

●#963. 武家用文章 三 幸之連有之参宮仕度
丹後国与謝郡宮村の幸次郎が書写した武家用文章3通である。読み易い文章である。

●#962. 武家用文章 弐 御祝儀御酒一樽
丹後国与謝郡宮村の幸次郎が幕末頃書写した武家用文章4通である。御家流のきれいな字である。

●#961. 武家用文章 壱 卒爾之経営に候
丹後国与謝郡宮村の幸次郎が書写した武家用文章5通である。卒爾の「卒」が「年」に似る形で解読に時間が懸った。

●#715. 装束之事可有御恵之旨 乍不及似貴殿可申
武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれた筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。これは#713元服のお祝いの手紙への返事である。

●#713. 良辰直丸殿御元服之由 目出度奉存候
武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれた筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。これは武家の元服の祝いの手紙である。

●#754. 此度誰殿田舎へ有付被申候 御苦労相伴御出被成候
武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれていた筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。この度「誰殿」が退隠で田舎に住み着くのでお祝いの御馳走をするに友人に同席を依頼する手紙である。

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●#745. 詩文の達人連俳之上手申合可参候
武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれた筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。この頃は上巳の3月3日の桃の節句に武士たちが和歌や俳句を楽しんでいた事が判る。

●#742. 馬乗羽織麻上下帷子等仕立 御資申度候
武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれた筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。これは武家が乗馬で江戸に行くので馬乗羽織、麻上下、帷子の仕立を知人を通じて依頼している内容である。新しく仕立するので晴れやかな席への旅かも知れない。地方の武家にとって江戸屋敷勤務は嬉しい事だった、#114参照。

●#739. 貴前様能御枢機御座候由
筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。内容は武家の日用生活の手紙文、指南、日用語など書かれている。これは知恩院を見学したいので知り合いの人に紹介状を書いてもらいたいとの内容である。

●#738. 御普請嘸々御結構之程察入候
筆玉用文万宝鑑(1778年=安永7年刊)という本の一節である。内容は武家の日用生活の手紙文、指南、日用語などである。これは移徒、相手が吉日に新築屋敷に転入するのを祝う手紙。

●#383. 用文章その壱 七夕に遣す状 天河双星之祭願之糸梶葉之供物等世上賑敷
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その1は七夕である。「七夕の御祝詞御目出度いです。今晩は牽牛織女の会う時さぞ賑やかに手向け成されると存じます。よって微細なものですが乾麺1折を進上します。御喜びまで」。返事:「御手紙通り御祝事です。曬書(7月7日)夕方は双星の祭で願の糸(五色の糸)、供物(茄子やきゅうり)など世上は賑やかな時です。さてまた本願寺の籠花の見物にお越しとか私も御供したいです。すぐに参ります」。私の幼少時昭和30年代はまだ茄子やきゅうりの馬型を作った。この手紙からは七夕は素麺、野菜の供物、願いの糸、梶の葉に和歌、本願寺籠花見物、郝隆曬書、乞巧(巧夕)と関連する事柄が多い大変盛大な節句であったことがわかる。

●#417. 用文章その弐 八朔之慶賀にて御座候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その2は八朔である。上巳(桃の節句)、端午、七夕、重陽の節句と違い八朔は地味な慶賀の日である。旧暦8月朔日に農家で早稲(田の実)を贈る習慣があった、後に武家も「頼み」の人に贈り物をするようになった。特別な贈り物はない、五明(扇子)など贈った。ここは行器1つ贈っている。従:より。「互」と「楽」を示したが、文脈で判断が重要。

●#419. 用文章その三 重陽之節句 庭之菊花今盛に相成候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その3は重陽之節句9月9日である。読み易い字である。ここは手紙に柴栗を贈り、返事では酒一樽ありがたく御礼をと書き合わないが実際の手紙でなく手本なので構わない。重陽は菊酒、栗御飯がその季節の食物である。旧暦だから今の10月である。「臨」、「美」はやや非定型。

●#424. 用文章その四 端午之節句 餝甲并御肴一折進上之仕候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その4は端午之節句5月5日である。綺麗で読み易い。「慶応元(年)」は息子の金太郎が書いたもの。

●#426. 用文章その五 中元刺鯖十指呈上之仕候 些御祝儀可申上験迄
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その5は中元7月15日である。中元といえば荷飯、刺鯖が定番であった。最後の「面会でもって感謝申上ます」の所の漢字が不明。

●#429. 用文章その六 新年御吉慶 御重歳目出度御儀奉存候 次当方無異加年仕候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その6は新年の挨拶である。典型的なもので字は分明。この人の恙と忝は似ている。#200、#140には実際の新年の手紙、#386には新年の手紙への返事がある。また#387、#415は女筆の新年の挨拶である。

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●#436. 用文章その七 上巳之御祝詞目出度奉存候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その7は桃の節句である。読みやすい文章である。文章は3日読まなかったら調子が落ちるのは本当と思う。「三日不読書 語言無味」:三日読書をしなければ、語言に味が無くなる。関思恭(江戸後期-II)の作品にある言葉。継続は力なり。

●#440. 用文章その八 最早年内無余日候 随分寒気御厭可被成候
1850年=嘉永3年用文章を倉田茂惣次さんが書写したもの。その八は歳暮の挨拶である。これでこの一連は終了である。このように用文、季節の手紙を書写したものはよく見るが、どれも丁寧に練習している。我々と違って書くことが大事であったから。

●#610. 改年之御慶不可有際限御座候
五十川七五郎より大和国高市郡醍醐村の庄屋森村庄左衛門への手紙。新年の挨拶の典型的なものである。醍醐村は現奈良県橿原市醍醐町で 大和高取藩の支配である。森村庄左衛門は近辺10村余りの長で大庄屋であった。五十川七五郎は大坂の中井竹山の学問所、懐徳堂の塾生かもしれない。

●#598. 旅立之儀時分能候間 近々何日頃存立発足仕度候
手紙手本を書写して練習したものである。一緒に旅行に行くに付いての事項を書いている。特に荷物はよい人を雇って依頼してはどうかとする。字はきれいである。

●#584. 商人の短報 壱 乍御無心吸物椀十人前 膳共御恩借
商人の短い手紙を書写したもの。きれいに写している。文章はやや古風である。

●#585. 商人の短報 弐 買物之儀能便宜無御座 延引令迷惑候
商人の短い手紙を書写したもの。文章はやや古風である。「閙」と「とうがまえ」は#453に詳細に説明。

●#114. 御香典預り御恵投に難有不浅奉存候 中陰無滞相勤忌明仕候
久平屋源次郎忰より金沢小杉屋松居五郎右衛門への手紙。御悔やみと香典に対する御礼の手紙。典型的な例文として通用する無駄のない手紙である。

●#568. 松南氏用文章 壱 新春之御吉慶不可有際限御座目出度申納候
江屏庵松南という人の書いた季節の文書。大変きれいな御家流であり、松南氏はおそらく書家と思われる。正月の手紙と返事は典型的な標準的文章である。

●#573. 松南氏用文章 弐 上巳之御佳儀 端午之御祝義目出度申籠候
おそらく書家の江屏庵松南の書いた季節の文書で大変きれいな御家流。上巳と端午の節句の御祝の手紙である。表現及び字が典型的であり読み易い。

●#576. 松南氏用文章 参 七夕之佳節 八朔之嘉幸目出度申収候
おそらく書家の江屏庵松南の書いた季節の文書で大変きれいな御家流。七夕と八朔の御祝詞である。七夕では素麺が贈答品である、奈良県の三輪素麺は古い歴史を持つことがわかる。七夕は#383、八朔は#417に詳しく掲載。

●#579. 松南氏用文章 四 玄猪之祝儀 重陽之祝儀
おそらく書家の江屏庵松南の書いた季節の文書で大変きれいな御家流。重陽と玄猪の御祝の手紙である。亥子餅は牡丹餅(ぼたもち)である。#419に重陽の文と説明がある。

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●#586. 松南氏用文章 五 任嘉例小鯛三拾枚進上仕候 歳暮御祝儀験迄に御座候
書家の江屏庵松南の書いた季節の文書。歳暮の御祝の手紙である。 松南氏は号珍尚できれいな印があり文人であったに違いない。字も文章も誠にきれいな草書であった。松南氏の文はこれで終りである。

●#622. 折帳の短報七報 奉公人ふつていにて迷惑仕候
かなり古い寛政以前と思われる折帳の短報と断簡である。当時の人はこのようにして書字を学習した。

●#631. 良久不懸御目候 不審無極候 抑依宿願之子細候 風月往来壱
折帳に書かれたやや古い型の手紙4通。武家同士のものである。後に判明したが「風月往来」という本の一節であった。

●#632. 新春之御慶賀重畳申籠候畢 抑子日御会難忘存候 風月往来弐
これは別の人が書写した風月往来から2報の手紙。子日祝言は「江戸後期II」豊岡尚資に和歌を掲載している。これで合計12通の風月往来の手紙の内6通の前半部分を学習したことになる。後半は私は所持していない。

●#640. 依て例年之通り歌賃子籠鮭塩引 寔に歳暮之験迄
別の文より浜松近辺の村松氏が江戸時代幕末に書写して練習したもの2つ。歳暮の贈り物の文に歌賃=かちんと記載があり餅=かちんの語源が平安時代の能因法師の逸話が由来の元かもしれないと驚いた、下に記載。他は借金依頼の文。

●#75. 文久二年ものはそろへ その壱 有そうて無ものは「二本さしの通人に揚屋の身上」
壬戌=1862年=文久2年に書かれた「ものは揃え」。沢山あるので分けて掲載します。よき風の吹くものは「御林の旦那に風見のからす」。御林:おはやし、江戸時代の幕藩の領主の管理下に属した山林。御林の旦那:幕藩から山林の管理に派遣された代官。山だから風通がよい意味か。屋根で風に吹かれるカラスはよき風。御苦労なものは「大問屋年行司に松ケ儀の番所詰」。問屋年行司:問屋仲間の調整役で1年交代。松ケ儀の番所詰:おそらく正月の番所での当直。有そうで無ものは「二本さしの通人に揚屋の身上」。武士の通人(粋な人、趣味に精通した人)や揚屋(客が花魁を呼んで遊んだ店)の財産は案外少なかったようだ。なさそうで有ものは「小町の袖の下に清僧の大黒」。芸者など美女(小町)が密かに金を貰うのはあったようだ。僧の大黒さん(僧の隠し妻)も案外多かったようだ。値の下ったものは「余座のOにセメンシーナ」。前半は不明。セメンシーナは回虫駆除の薬、ヨモギから造る。大きくなったものは「竹輪かまのまん中竹に又上身上」。竹輪かまは今の竹輪のことで中心の竹が大きくなったようだ。又上は腰廻りから股までの長さ、身上は体の表面または財産。わかり難いものもあるが面白い。

●#85. 文久二年ものはそろへ その弐 けんのんなものは「箱館の用立に松前行の早出帆」
壬戌=1862年=文久2年「ものは揃え」。その2回目。あつへものは「厳暑の演行に風下の火防」。あつへ:熱い。酷暑の舞台演技や火の風下は熱い。けんのんなものは「箱館の用立に松前行の早出帆」。けんのんな:剣呑な、危うい。津軽海峡は潮の流れが変化しやすく危険だった。箱館、松前共に蝦夷地。あふなえものは「火消のまとい持に古町仕送りの呉服屋」。まといに火が付くとあぶない。新潟古町(芸者街)の呉服屋と思うが、ここで服を誂えるのはなぜあぶないか不明。仕事がずぼらなのだろうか?俄にこまるものは「家根ふきの俄かぜに大晦日に金ぬすまれた人」。屋根を葺く時急な風が吹くと困る、大晦日に金がないと急に困る。尻が出てもかまわぬものは「金持の一人悴に入湯の人」。風呂では尻が出てもよい。金持ちの一人息子が尻が出るほど大借金をしてもお構いなしの意味だろうか。きのもめるものは「町役人に荷船の風待」。どちらも気が揉める仕事だろうね。

●#97. 文久二年ものはそろへ その三 無てこまる者わ「金銀にうちのかか」
壬戌=1862年=文久2年「ものは揃え」。その3回目。わるそうでよへものは「去年の満し役に金持隠居のかこかき」。よへ:よい。満し役は不明。隠居した金持ちの籠かき、すなわち自家用車運転手はずるいことをしそうだが、よい人が多かったようだ。有て無益のものは「こつじきに門徒寺の子供衆」。こつじき:こじき。こじきは役にたちそうにない。寺の門徒の子供衆は金も出さないのに大きな顔で寺の中で暴れていたかもしれない。無てこまる者は「金銀にうちのかか」。わかりやすい。財産と家事をする人は必須である。噂ほとも無ものは「御台場の普請に八百八後家」。台場:異国船の見張りの高台。八百八後家:新潟古町周辺の私娼のこと。台場の普請は噂ほど大工事ではなかったようだ。八百八後家も噂ほどではないらしい。すげしそうでぬるへものは「御役宅の武芸に白山からのましん、産業の武器掛り、若隠居」。すげしは「ぬるい」の反対で「すごい」だろう。役宅:奉行役人の仕事場と一体の住宅。役宅での武芸はきつくなかった。白山からの麻疹(はしか)や産業の武器掛りは案外きつそうだが、きついものではなかったようだ。若隠居は金に困りきついかもしれないがやはりそうでもなかったようだ。大体は理解できるね。

●#204. 文久二年ものはそろへ その四 こわそうてこわくなへものは「御足軽の威光に古町の居声」
壬戌=1862年=文久2年「ものは揃え」。越後新潟で書かれたもの。その4回目。つまらぬものは「御廻りのすし詰に蟹番所」。鮨詰め:多くの物が詰めて入っている。意味は不明。せわしそうてひまのものは「仲番所の御役人に江戸逗留の小天狗」。番所で見張りの役人は忙しそうで暇もあったようだ。小天狗は伊庭八郎のことかもしれない。こわそうてこわくなへものは「御足軽の威光に古町の居声」。足軽は武士の下っ端である。古町は新潟の花街である。足軽の掛け声や花街の呼び込みの声もこわそうで案外こわくなかったのかもしれない。居声:「威勢」のようだ。早廻りするものは「一久の船のり廻りに貧ほう問屋之掛取」。船のり廻りは遊覧船で早く廻って次の客を乗せていたようだ。貧乏な問屋は早く金集めに回るだろう。ちへさくなったものは「仏前の花立に源八入道」。仏前の花立は小さくなったようだ、飾る花が少なくて済むから。源八入道は不明。すたつたものは「矢車錦袋圓に平沢の一眼」。すたった=すたれた。錦袋円:1664年からある江戸の勧学屋が売った丸薬で痛み止め、気付け、毒消しなど万病に用いられた、宝永年(1704-1711)よく売れた。文久年にはやや廃れていたようだ。平沢の一眼は不明。

●#266. 文久二年ものはそろへ その五 益の無ものは「揚屋の男に若後家の寺参り」
壬戌=1862年=文久2年「ものは揃え」。越後新潟で書かれたもの。その5回目。益の無いものは「揚屋の男に若後家の寺参り」。遊郭の揚屋にいる男は役に立たなかったようだ。若後家が寺参りするのも役に立たなかった。こわいけど面白いものは「満男にする塩、麦米」。満男は間男のようだ。「する塩、麦米」は不明。見てくれはよいが腹が汚いものは「たか店の商人に古町の花」。古町は新潟の繁華街でそこの遊女。たか店の商人は不明、高級そうだが安物を売っていたのだろうか。強いものは「加賀苧縄に山雀連助」。苧縄は苧麻という麻縄で強い。山雀連助はこれを書いた狂歌連中ではないか。弱きものは「越中傘に他門年行司」。仐=傘である、越中産は弱かったようだ。他門からの年行司は実地を知らないので物が言いつらいかも知れない。役に立ちそうで立たないものは「渡番所手代に捨読の三つ」。これは不明。

最後 

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●#267. 文久二年ものはそろへ その六 強そうて弱きものは「入むこのりきみに亀田しま」
壬戌=1862年=文久2年「ものは揃え」。越後新潟で書かれたもの。その6回目。下をいぢめる者は「仲方の違見に御定廻り之手先」。「仲方」は新潟の町の商家と奉行の間に立つ人で下に記載。御定廻りは奉行が町を見廻ることで岡っ引などを連れていたがいばっていただろう。値段の下らぬものは「すはまの政所に門徒坊主」。すはまは州浜(河口の州)で新潟にあったか否か不明。門徒坊主は金を要求してうるさがられたようだ。強そうて弱きものは「入むこのりきみに亀田しま」。婿入りした男の力んだ発言は強そうにみえるが弱いかも。亀田縞は越後亀田(現新潟市江南区)特産の縞模様の織物である。以上で「文久二年ものはそろへ」は完結である。このような文書を見る機会は比較的稀で面白くそして貴重だと思う。

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#963. 武家用文章 三 幸之連有之参宮仕度
#962. 武家用文章 弐 御祝儀御酒一樽
#961. 武家用文章 壱 卒爾之経営に候
#715. 装束之事可有御恵之旨 乍不及似貴殿可申
#713. 良辰直丸殿御元服之由 目出度奉存候
#754. 此度誰殿田舎へ有付被申候 御苦労相伴御出被成候
#745. 詩文の達人連俳之上手申合可参候
#742. 馬乗羽織麻上下帷子等仕立 御資申度候
#739. 貴前様能御枢機御座候由
#738. 御普請嘸々御結構之程察入候
#383. 用文章その壱 七夕に遣す状 天河双星之祭願之糸梶葉之供物等世上賑敷
#417. 用文章その弐 八朔之慶賀にて御座候
#419. 用文章その三 重陽之節句 庭之菊花今盛に相成候
#424. 用文章その四 端午之節句 餝甲并御肴一折進上之仕候
#426. 用文章その五 中元刺鯖十指呈上之仕候 些御祝儀可申上験迄
#429. 用文章その六 新年御吉慶 御重歳目出度御儀奉存候 次当方無異加年仕候
#436. 用文章その七 上巳之御祝詞目出度奉存候
#440. 用文章その八 最早年内無余日候 随分寒気御厭可被成候
#610. 改年之御慶不可有際限御座候
#598. 旅立之儀時分能候間 近々何日頃存立発足仕度候
#584. 商人の短報 壱 乍御無心吸物椀十人前 膳共御恩借
#585. 商人の短報 弐 買物之儀能便宜無御座 延引令迷惑候
#114. 御香典預り御恵投に難有不浅奉存候 中陰無滞相勤忌明仕候
#568. 松南氏用文章 壱 新春之御吉慶不可有際限御座目出度申納候
#573. 松南氏用文章 弐 上巳之御佳儀 端午之御祝義目出度申籠候
#576. 松南氏用文章 参 七夕之佳節 八朔之嘉幸目出度申収候
#579. 松南氏用文章 四 玄猪之祝儀 重陽之祝儀
#586. 松南氏用文章 五 任嘉例小鯛三拾枚進上仕候 歳暮御祝儀験迄に御座候
#622. 折帳の短報七報 奉公人ふつていにて迷惑仕候
#631. 良久不懸御目候 不審無極候 抑依宿願之子細候 風月往来壱
#632. 新春之御慶賀重畳申籠候畢 抑子日御会難忘存候 風月往来弐
#640. 依て例年之通り歌賃子籠鮭塩引 寔に歳暮之験迄
#75. 文久二年ものはそろへ その壱 有そうて無ものは「二本さしの通人に揚屋の身上」
#85. 文久二年ものはそろへ その弐 けんのんなものは「箱館の用立に松前行の早出帆」
#97. 文久二年ものはそろへ その三 無てこまる者わ「金銀にうちのかか」
#204. 文久二年ものはそろへ その四 こわそうてこわくなへものは「御足軽の威光に古町の居声」
#266. 文久二年ものはそろへ その五 益の無ものは「揚屋の男に若後家の寺参り」
#267. 文久二年ものはそろへ その六 強そうて弱きものは「入むこのりきみに亀田しま」

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