南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
Since December 23, 2015

< 越路雁 Koshiji Kari>

文字入力
  検索クリック
検索クリック後、X-キーを押す。再検索は[文字入力]をクリック。

越路雁 Koshiji Kari

越前足羽郡の百姓が金銭に困り江戸表越前屋敷に奉公した、そして勤めた主人の剱術指南の侍、篠崎早太に不当に討ち殺された。そして妻もそれを悔やんで病死する。その農民の忰、友七が長い苦労をして終に親の敵を討ち、越前福井藩主に認められて武士になる。そして時の著名な遊女高尾と結婚し知行2100石と大出世する。大変痛切で感動的な物語で私は2日で一気に読んでしまった。文章は読むものに涙を催すものであり思わず「友七がんばれ」と叫びたくなる。また当時の武士の心情や手討ち、被雇用人の暇乞いの難しさなど生活ぶりの一端がよく書かれている。また江戸時代の単語や言い回しが大変勉強になった。
原作者は不明。出雲国意宇郡玉造村の長谷川庄太郎氏が1837年に本を書写した。長谷川庄太郎が作者の可能性はありうる。この本は稀な本で検索では個人所蔵の本が1件出るだけであり、まだ翻刻なされていないと思う。ゆっくり御覧下さい。
This is a successful story of a man who avenged his dead father. Shotaro Hasegawa wrote this book in 1837. An original author is unknown.

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●立ち位置を動いて対象を見るcssアニメーション
位置を動いて対象を見ている像なので、やや立体的にみえる。外枠は撮影して中央を透過にしたもの。上のstartボタンをクリックして下さい。下のスクロールバーをスライドさせても動く。有名なRomán Cortés氏のcoke-canのアニメーションから改造したもの。

 

●#1. 友右衛門江戸表え奉公に出る事 附り篠崎早太友右衛門を討つ事
主人公友七(幼名三吉)の父が殺される場面までである。1718年=享保3年のこと、父百姓友右衛門26歳と母おその21歳、その子三吉3歳が越前足羽郡中崎村に住んでいた。友右衛門はその父の病気と死去で金銭に困り、江戸表越前屋敷に住む剣術師範の篠崎早太(700石)の家に草履取りで奉公勤めをする。噂には篠崎早太は短気でこれまで多くの家来を手討にして来たと聞いた。友右衛門は早太に暇乞いを申上る。非常に立腹した早太は座敷に置いてあった刀で試し切りをと思う。友右衛門に白洲に廻れと指示し、そしてその刀を取り構えて一気にけさ斬りに一刀両断、真っ二つに斬り殺した。中崎村は架空の村。

●#2. 友右衛門女房一子三吉養育之事 附り三吉母病死之事
友右衛門が討たれた後より妻おそのが死去するまで書かれる。おそのの悲嘆は当然深かった、2年後三吉が5歳になり安楽寺へ出家させた。以後おそのは病気がちになり憑き物でおかしくなった。三吉は学問に精を出し博学能書の僧に成長した。三吉14歳になり母の病気が愈々重症となる。母は死の床で三吉に父友右衛門が江戸奉公先で剱術師範篠崎早太に手討にされたと涙に咽び告げ、32歳で暇乞となった。母の死後三吉は無念の思い骨髄に徹し復讐を誓う。

●#3. 三吉病気にて安楽寺を立退く事 附り越前御城下へ出兵法稽古之事
寺へ戻った三吉(14歳)は狂人となった振りをして安楽寺を暇乞いして在所へ戻る。そして桜井源左衛門(650石の武士)という剱術の名人の家の奥方の給仕として勤める。頭脳明晰で要領よく給仕をこなし好まれて稽古場へ出入を許され剱術の稽古に励む。3年修行後(17歳)敵討ちに江戸へ行くと暇乞を申出る。源左衛門に事情を話し、大いに同情を得た。源左衛門は2年修行をしなければ剱術師範の篠崎には勝てないと言う。そして2年後(19歳)には門弟400人中上位10人に入った。しかし源左衛門はもう2年修行が必要と言う。さて2年経過し21歳になると友七(三吉を改名)は剱術早業の名人となり、さらに源左衛門の試験にも合格し免許皆伝となる。源左衛門は即刻江戸へ登り、越前江戸屋敷の藤井金右衛門(600石武士)の宅へ行くように命じ、1差の脇差を餞別に贈呈した。友七は福井での合計7年間の剱術修行を免許皆伝の名人で修了し江戸表へいざ参る。

●#4. 三吉改号友七江戸表え参り奉公致す事 附り敵討之事
友七(三吉改め)は20歳、1835年8月越前江戸屋敷の藤井金右衛門宅へ着いた。金右衛門は友七を丁重に迎え若党としてここに奉公するように言う。受けた友七は頭脳明晰で要領よく給仕をこなし旦那、奥方、後室に好まれた。年は過ぎて正月13日は友七の敵、篠崎早太剱術師南の家で稽古始めである。藤井金右衛門は篠崎の弟子なので友七を召し連て稽古場に出る。門弟500人の前で1人目の弟子と篠崎が祝儀の稽古をした。その時友七が言った、「先生のあの様な師役では国元では童の動作である」。さて稽古も終了してお開きの後、篠崎の使者が藤井宅に来て「あの雑言は許せぬので友七を篠崎宅へ寄越せ」と言った。金右衛門は後で返事をするとした。友七に事情を話すと友七は涙を流して「天の与えてくれた機会」と喜ぶ。金右衛門は深い事情を察してその理由を尋ねた。友七は篠崎が17年前の討たれた親の仇である事を告げた。同情した金右衛門は餞別に名刀粟田口吉光を友七に贈った。友七は篠崎宅へと向かった。一方金右衛門は越前守兵部卿(城主)へ行き友七の事情を申上た。越前守は検使、目附役の他に足軽20人、同心20人を派遣させ一家中の者に見物許可とした。友七が篠崎に面会と同時に検使など諸士が入り「尋常に勝負せよ」と異儀を正した。そのうち篠崎の屋敷の四方、屋根、塀の上まで見物人でいっぱいになる。篠崎は管鎗という強力だが卑怯な武器をとる。戦いは2時間後も決しない、観衆は友七を天晴れ、篠崎殿危うしとささやく。篠崎は江戸越前屋敷の師範、友七は国許の剱術名人桜井氏より免許皆伝の腕前である。一瞬友七は松の木の根につまづいてこけた。篠崎チャンスと管鎗を繰り出しすばやく突く所を友七逆に名刀で篠崎を大袈裟切りでついに仕止めた。篠崎の門弟が師の敵と駆け寄る。そこで検使役が御上意にて友七に対し手向いならずと叫ぶ。以上友七の仇討のクライマックスである。

●#5. 友七立身之事 附り国元え立帰り事
友七は親の仇篠崎早太を討ち取った。越前藩主は藤井金右衛門を呼び友七は天晴れにて金右衛門の弟として100石の武士にし剣術指南に取り立てた、また藤井宅は旧篠崎宅となった。藤井宅では老母、奥方の大歓迎である。友七は藤井金六と改名となり越前の墓所参りと桜井氏への挨拶を希望した。藩主は藤井金六を300石に格上げした。これぞ名を揚げて越路に帰る「雁」である。

●#6. 藤井金六桜井源左衛門え対面之事 附り両親之跡を弔ふ事
藤井金六(友七を改名)は江戸表の越前屋敷の300石の武士兼剱術指南となって越前福井へ帰る。師匠の桜井源左衛門に感謝の挨拶をすれば、桜井氏「金六殿の名は師匠名とともに日本中に広く知られる」と大変喜ぶ。次に安楽寺和尚に会い身の上と敵討ちの話をし、300両の布施をして母の墓所の法事供養を懇に施行して貰った。そうして藤井金六は桜井源左衛門暇乞をして江戸へ戻る。

●#7. 藤井金六武郷え帰る事 附り侍輩共金六を謀る事
藤井金六は江戸表越前屋敷の勤めに戻った。文武両道に通じ剱術指南で藩主始め800人の弟子を持つ。藩主や他の譜代の思召は大きい。それを羨む武士たちが密談して金六を吉原に同道し女郎に愚弄させて面目を失わせ自滅させようと計画した。それを知った金六は吉原遊女の最高位の高尾太夫に面会し陰謀の事情と自分の身の上、敵討ちの話を詳細に語った。高尾は感動し自分の扇子を渡し金六の失敗(落度)が起こらぬようにすると約束する。今回は様々な当字など味わい深い単語は多い。

●#8. 藤井金六吉原え行女郎附合之事 附り高尾金六に願之事
藤井金六は越前屋敷の同輩井上、岡崎、松嶋、板垣、藤田が自分を吉原で自滅させようとの企みを知っている。予想通り今日5人と金六は芝明神へ参詣し、続いて吉原へ行く事になった。5人の馴染の女郎達は金六を寂しそうだの怒ったようだの田舎者だのさんざん嘲ける。そこで金六は高尾太夫への手紙と高尾の扇子を亭主に渡す。亭主はそれを見て驚き上下(かみしも)を着て高尾の元に急ぐ。女郎達は金六が高尾の馴染と知って悔いる。高尾が来ると知って亭主は自分の揚屋の格式が上がると大喜び。そこへ高尾が大勢の置屋の供を連れてやってきた。女郎達は後で吟味、亭主は閉門とした。そして金六と同輩たちは高尾のなじみの別の揚屋へ行き御馳走を食す。その後金六は金100両を包んで高尾の許へ御礼に行く。高尾は金が欲しくて仕事を受けたのではなくあなたの物語に感動して受けたのだ、そして自分にも金六への頼みがあると言う。金六は誓言と金打をして頼みを受けるとした。高尾は命を賭けてあなたに惚れたので妻になりたいと話す。そして2人は目出度婚礼、祝言をあげた。

●#9. 藤井金六高尾妻女に致す事 附り金六立身之事
高尾を妻とした藤井金六は越前屋敷の藩主、兵部卿に面会する。そして暇願を申上る。兵部卿は立腹し300石を不足としてどこに知行いくらの高で行くのかと尋ねる。金六は給料を不満としてでなく、あなたの許しなく遊女の高尾太夫と結婚した事が恐多いので暇乞を致すと申上る。それを聞いた兵部卿はそれならば問題なし。むしろ高尾太夫を妻にした事は手柄である。よって高尾太夫に釣り合うように500石加増、そして高尾の化粧割り500石を、さらに篠崎早太の知行であった800石も汝の分とするとした。次に篠崎の屋敷は焼き払いそこに金六の新宅を普請する。藤井金六は江戸越前屋敷の剱術師範として合計2100石の高となり高尾を妻として新宅に住み万々歳の御目出度いこととなった。これにてお終い。この本により大変多くの単語が勉強になった。

上に戻る BACK TO TOP

御覧いただきありがとうございました。Thanks for your visit.