南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
Since December 23, 2015

< 古文書-女筆,Edo Woman's Writings >

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古文書-女筆,Edo Woman's Writings

ここは古文書全体から女筆に関する文書だけを引き出して集合したものです。ほとんど江戸時代の女手紙です。女筆は比較的数が少ない文書で読み方も特殊なものがあり、集めて見易くしました。
なお僧侶が学習した女房言葉も掲載しています。ゆっくり楽しんで下さい。
Here are Edo woman's writings. Please enjoy reading the writings.

文書番号とタイトルの一覧

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション 続編
これは2階から1階へ段々降りてきてポスターを見ている像である。美しい中の画像はNew York Public Library所蔵のposterで感謝して使わせていただいた。
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●cssアニメーション
カンが回転しながら左右を移動する。画像の上のstartボタンをクリックして下さい。下のスクロールバーをスライドさせても動く。下は幅を広くして別の外枠の中を透明にして作ったものである、位置を動いて見ている形ですこし立体的にみえる。Román Cortés氏のcoke-canのアニメーションを改造したものである。
http://www.romancortes.com/blog/pure-css-coke-can/

 

●#929. 箏組曲菜蕗組 ふきといふも草
出羽国村山郡(現山形県)慈恩寺最上院駐在の武士軽部右馬助が1854年=嘉永7年頃に書写した記録。八橋検校作曲の箏組曲、菜蕗組(ふきぐみ)の歌詞を写したもの。7つの小曲より成る。地唄FANサイト「菜蕗」で地歌を聴ける。参考論文、西和子氏:秦箏語調の時代性 文教国文学 24:217-231,1989。

●#829. けふしは御里入遊し 限りなふ御めてたく
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。婚後礼の部屋見舞の手紙とその返事である。

●#785. 御婚礼御首尾よく御調あそはし 幾万歳もの
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。婚礼のお祝いの手紙とその返事である。

●#782. もちたるかたてをずぼりときれば あいたたとなんとした
地歌の「綱(つな)」で増補まつのこゑ(1809年刊、南竹所蔵本)から紹介する。羅生門で渡辺綱という侍が茨木童子という鬼の腕を切る所。起源が平家物語で1300年頃の物語。仮名で難解な箇所がある。箏唄及地唄全集(Googlebooks)を参照した。

●#777. 豊前様へ御書付御出し承り候 其御書付しはらく御まへ様え御預り
幕末頃に宮中の雑用職を勤めた非蔵人の井戸松尾家が所持した文書。中村歌より松尾豊前の妻おとわへの手紙。先日は御馳走になって長居して有難い。また中納言の事で周囲の人々が豊前への書付を提出したが、この書付はどうか豊前に披露しないで預かっておいて欲しい。以上の内容である。中村家は不明ながら松尾家同様非蔵人の家柄ではないだろうか。

●#775. くこんのすきな様に 扨々私事しんはいいたし候
幕末頃に宮中の雑用職を勤めた非蔵人の井戸松尾家が所持した文書。千代より松尾豊前の妻おとわへの短い手紙。#772のように千代は松尾家に日用品を調達する人であった。ここは豊前が酒好きなので、また馬に懸る金も必要であり心配であるとの手紙。#774には豊前の酒の覚があり。

●#771. 豊前様御出もむまもろともに 大あめにて大ぬれ
幕末頃に宮中の雑用職を勤めた非蔵人の井戸松尾家が所持した文書。千代よりおそらく松尾豊前の妻おとわへの手紙。千代は松尾家に日用品を調達する人であった。竹の子を貰った御礼。豊前が店に来たが雨で馬具や馬もびしょぬれになった。そこで着物など調達した事など書く。

●#755. 御顔直させられ 限りなふ御めてたく存まいらせ候
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。結納祝いの手紙と返事である。御嬢様の意味の「五もじ」がある。#224、#431、#646にも同じ意味で掲載があった。

●#744. 御酒錦にまかふ村菊品々をくり給り
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。旧暦9月、長月=菊月に菊を贈る手紙とその返事である。酒、越は稀な形の字が使われている。御酒錦、おささにしきは大酒錦という蓮花を指すと思う。散し書きは大きい字、右下、右上、上を左で標準的。

●#740. はれなる客おはしまし候 夫につき御無心の事候へ共
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。明日重要な客が来るので住吉八景を画いた屏風を借用したいという手紙とその返事である。現在住吉八景はほとんど知られていないので図中に記した。参考論文、国立環境研究所、青木陽二氏:「八景の分布と最近の研究動向」。

●#737. けふし吉日故御移徒遊し候よし 限なき御めてたさ
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。移徒の方へ遣す文とその返事である。 漢字や表現が勉強になる。

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●#736. 見え来まいらせ候まま 少しなから御めに懸まいらせ候
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。物を送る時に添える手紙とその返事である。

●#735. 愛さま美しき御事のよし いとも軽き御容体におはしまし
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。疱瘡の見舞状。そして暑気で体調を崩した母への見舞状に対する返事である。

●#734. 織女の御祝儀 いく秋かきりなき御岩井
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。七夕の手紙である。七夕は旧暦ではすでに秋に入っている。

●#733. 御神事皆々めしよ誓られ候半よし
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。祭礼の誘いの手紙である。誓(せい)を仮名の「せ」と読んでいる、この例は本など調べた範囲ではみられなかった。勢(せい)と同じ読みでの当字で使ったと思われ、この本の1762年(宝暦12年)初版から1843年重版の発刊までの頃にはこのような仮名の用法があった可能性が高い。

●#732. 扨は真瓜三頭 御めに懸まいらせ候
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。水無月、新暦7月の暑気見舞の手紙である。

●#731. 菖蒲の御祝儀 御目出たく祝入まいらせ候
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。菖蒲祝いの手紙と返事。菖蒲の祝いは古くは女性の節句であって端午の男児の節句と区別されていた。また本邦では和歌に菖蒲、長い根、長寿、引く手が関連して多く詠まれて来た。ちらし書きは大きい字、右下、右上、上を左にと読む。参考論文:星城大学、亀田夕佳氏「長寿の表現史-菖蒲・あやめ草をめぐって」。

●#725. 扨は此帋包一つ 御国もとへ御便おはし候せつ御届
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。相手が送る便に届け物を同じ便で送ってほしいという手紙。

●#724. なかなかの御留守にて さそさそ御淋敷候半と
1843年=天保14年の「女要四季の文箱」の重版より。留守見廻(舞)の手紙と返事である。念入にの意味の「念文字」が広辞苑にも大正時代の国語辞典にも掲載がないのには驚いた。

●#723. 御遊山なから上方へ 御登りあそはし候よし
最近ネット検索で内容は「女要四季の文箱」(1762年、宝暦12年)という本と同じとわかった。ただこの本は1843年=天保14年に女大学、女小学、百人一首と共に綴じられており、「女要四季の文箱」の部分は重版であるようだ。旅立の見立=見送りの手紙とそれへの返事である。

●#721. 御水茎くたされ 誠に御けむもしの心地
1843年=天保14年発刊の女筆本より、本の名は不明。久しく逢っていない方への手紙とその返事である。女筆に特有の合字「られ」は#659にも見られる。

●#720. 桧重一くみ御雛の 御祝儀のしるしまてに御目に懸
1843年=天保14年発刊の女筆本より、本の名は不明。桃の節句の手紙と返事である。

●#719. 明日はこなた嘉例のことく 節いたしまいらせ候
1843年=天保14年発刊の女筆本より、本の名は不明。節分で食事を振る舞うにつき誘う手紙とそれへの返事である。ここの「参」はかなり変則の形だと思う。

●#714. 長閑成空うち続 四方のはなも最中のよし
1843年=天保14年発刊の女筆本よりの手紙文。花見に誘う手紙とそれへの返事である。

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●#712. 御饗応いか計 辱そんしまいらせ候
1843年=天保14年発刊の女筆本よりの手紙文。昨日御馳走になったことへの御礼とそれへの返事である。

●#711. 五常なくんは人とは不可言 此道能々心得て違背の筋無
おそらく幕末頃の浅井つる女が書いた五常訓。仁義礼智信=五常を書写したもので、こんな男の儒教のための言葉を江戸時代の女子が学んでいるのに少し驚いた。調べると1729年=享保14年に既に「女五常訓倭織」という大部の本が発刊されており特に武家の女性はこのような内容を深く学んでいたようだ。この人はきれいな字で和歌の「へ」なども上手に書いており教養ある武家の女性だったと思う。

●#710. 春の御しうき幾千代かけて いはゐまいらせ候
1843年=天保14年発刊の女筆本、本の名は不明。ここから新春の挨拶のちらし書きの手紙文である。散し書の読み方は大きい字、右下、右上、上を左へ、中下、左下の順でやはり標準的である。

●#708. はつ午におはしまし候 稲荷へ御詣遊はし候はんや
1843年=天保14年発刊の女筆本より初午のちらし書である。節句の手紙文はよく見るが初午についての手紙は私は初めて見た。稲荷社のお祭りの日である。散し書の読み方は大きい字、右下、右上、中上、左上、中下、左下の順で標準的である。

●#707. 朝夕は殊之外寒しまいらせ候
1843年=天保14年発刊の女筆本、本の名は不明。ここから2通の手紙文を紹介する。末賦で「すそわけ」と読むのは難かしいと思う。

●#699. 地歌四、筆のあと 知るべのそのただをみれば くりかへしみの筆のあと
大和国の花街で安政年頃暮らした並河勝以が1855年=安政2年に書写した地歌集より。「筆のあと」である。今は離れた昔の恋人の直筆の手紙の跡が懐かしく、そっと繰り返し見る。以上の内容である。詞が五七調で大変よい本調子である。下は増補まつのこゑ(1809年刊、南竹所蔵本)のもので詞の異なるやや古い歌である。歌はウェブサイト、「地唄FAN」の「筆のあと」で聴く事ができる、よい調子なので是非御一聴を。

●#698. 地歌三、かわつ たったひとこときいてたべが おやぢをからすにとられ
大和国の花街で安政年頃暮らした並河勝以が1855年=安政2年に書写した地歌集より。「かわつ(蛙)」である。これも作物で面白い。蛇に食べられそうになった蛙が巧みな言葉で難を逃れた話。仇討の話は人々の人気があったことがわかる。詞は「新成増補まつのこゑ(1809年刊)」に掲載されておりそれ以前の古い歌である。「たったひとこときいてたべが」、「もつたてもつたて」、ここにも当時のしゃべり言葉があり大変いきいきして面白い。また瓜を人間に例えている、顔が瓜二つ。ひやい=非愛で「危ない」の意味とは驚いた。歌はウェブでは聴けない。

●#697. 地歌弐、たにし なんぼはたたきしやるとも うのまにやなるまい
大和国の花街で安政年頃暮らした並河勝以が1855年=安政2年に書写した地歌集より。「たにし」である。作物と呼ばれ歌詞は大変面白い。この頃もからすはあまり好かれていなかったようだ。詞は「新成増補まつのこゑ(1809年刊)」に掲載されておりそれ以前の歌である。のふからすとのおんみのすがたよく見れば。ここでも当時のしゃべり言葉があり大変いきいきした歌となっている。だんぶと、すっとんとん、さんさ、むささ。庶民が使った擬音語なども面白いね。是非内容を読んで下さい。歌はウェブでは聴けないがまずまず有名な歌である。

●#696. 地歌壱、荒れ鼠 はぶしの達者なものどもは納戸へ入りたんすかぢるべし
大和国の花街で安政年頃暮らした並河勝以が1855年=安政2年に書写した地歌集より。「あれ鼠」である。歌詞は大変面白く、作物(さくもの)と呼ばれる滑稽な語り口である。鼠は幼少の頃我家の天井をよく走っていた。冷蔵庫が普及してから鼠の数が減ったと思う。詞は「新成増補まつのこゑ(1809年刊)」に掲載されておりそれ以前の歌である。なお当時のしゃべり言葉がわかるのも面白く新鮮である。手紙の文はしゃべり言葉ではないから。ねこのねの字はいやでそろ。あとはこりこりおそろしやへんじもはやくおちたまへ。ようこそはやくしらせたり。歌はウェブサイト、「地唄FAN」の中の「曲ねずみ」で聞く事ができる。別にYoutubeで「荒れ鼠」でも出る。

●#687. ことことかりそめに七月無てにて くらしまいらせ候
江戸女性の手紙断簡。何かを送って貰って喜んでいます。推察してください。これまで7ヶ月無しで暮しました。無くても暮らせるものはしょうゆ、みそや豆類だろうか。

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●池田出羽が主膳内より受けた手紙 A letter from Shuzen's wife to Dewa Ikeda.
女筆の古い手紙で新年の挨拶である。記載の人物に「栄光院」とあり。また「池田出羽」は備前国児嶋の天城陣屋、つまり天城池田家の当主の代名詞である。池田主膳に該当する人も居る。両者共に第2代備前岡山藩主池田綱政の子である。下に考察を加えた。「池田出羽」は池田政純と思う。また差出人の「主膳内」は池田軌隆(主膳)の妻と思う。

●#662. 籬ににほふしらきくに 初霜の何れをはなとわきかね
幕末頃の女性が書いた短い手紙文。「心」の形が独特である。他の字は大変読みやすい。

●#661. 亥の日にて此もちゐ一重いわひまいらせ候
幕末頃の女性が書いた散し書きの玄猪の御祝儀の手紙。読む順は右から左へ大きい字、右下、右上、上を左へ、下中、下左である。

●#660. あやめの御祝儀として 見事の一色おくりくだされ
幕末頃の女性が書いた散し書きのあやめの御祝儀の御礼のあいさつ。字は大変読みやすい。読む順は右から左へ大きい字、右下、右上、上を左へ、下中、下左で一般的である。難物の字の解読に苦労している時こういう字を見るとほっとする。

●#659. みなみな様御さかんに御年かさねられて 御にきにきしく御いわひ被成候
幕末頃の女性が書いた散し書きの新春のあいさつ。字は大変読みやすい。女筆特有の略字「られ」がある。これは「女筆」の「尾張藩主の受けた手紙」にもみえる。読む順は右から左へ大きい字、右下、右上、上を左へ、下中、下左で一般的である。

●#646. 御婚礼の御儀式残所なく相調候て 幾末永き千代万世の御めてたさ
1890年=明治23年川瀬益発刊の「女学用文章」という本からの例文、5回目。婚礼に関する手紙6通である。「蓬莱の島台」が武家の婚礼の贈り物として明治中期まで使用されていたことがわかる。「五もし様」は相手のお嬢様である。「五もし様」は掲載済の#431、#224にもあり江戸-明治時代に確かに使われていた。しかし意外にも辞典、ウェブ検索にてこの意味での掲載がない。「花帰り」にも2種類の意味の解釈があった、下に記載。これにて「女学用文章」からの例文は終了である。

●#645. 幾余ともなき年浪のせき留かたく いつしか暮に成まいらせ候
1890年=明治23年川瀬益発刊の「女学用文章」という本からの例文、4回目。歳末の御祝儀と返書、年忘れに招待する手紙と返書。合計4通である。なかなか味わい深い表現が多い、武家の女性が使っていた文章である。

●#644. 雪の今朝ほと詠候へは めつらかの木毎に花の咲候やうあやしまれ候
1890年=明治23年川瀬益発刊の「女学用文章」という本からの例文、3回目。雪が降ってきれいなのであなたに和歌を詠んでほしいとの手紙と返事。餅つきに招待する手紙と返事。そして年末に餅と塩鯛を贈る手紙と返事。合計6通である。

●#643. 山々の照葉色そひ 幾しほの詠と押はかられ候
1890年=明治23年川瀬益発刊の「女学用文章」という本からの例文、2回目。紅葉見物と雨の日の面談に誘う手紙4通である。1通目は我々の見慣れない単語が多い。

●#642. 明十六日の夕さりより御影待いたし候 宵之内より御噺に御出下され候
1890年=明治23年川瀬益発刊の「女学用文章」という本からの例文。日待と月見の手紙4通。女筆は明治後期から「まいらせ候」が「候」に変り漢字が増えて男と同様の文体になってゆく。しかし漢字の割合は40%以下であるのが男との違いにて女手紙と判る。また女手紙では明治30年代から「ます」、「ました」など口語体が一部で早くも登場する。ここの本は「まいらせ候」中心の最期の頃の手紙文である。叉手日待という行事を初めて知った。叉手=さて。川瀬益は京都高等女学校習字科の教授で士族であった人、別名川瀬白巌。この本はウェブ検索で出ない稀本らしい。

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●#627. 此たびうこん様御上りあそはし ほかよりあそはし候て
懇意の女性より上醍醐寺慈心院奉行岸本内記への手紙。下の方は剥がれて読みにくい。「あそはし」が多用される面白い手紙である。

●#625. 末吉様御たのみて下され候 おまいさま方よりほかにわはなしもなし
伊三郎の妻より坂本はるへの手紙。息子と思われる信次郎がそちらの末吉に話をしに行く。それをどうか聞いてやってくれと何度も書く。それは借金で抵当の家が取られるのを相手が先延ばしにしてくれる。そこではるの旦那末吉に金の工面を依頼しに行くのだと思う。明治の初期の手紙だろう。伊三郎の妻と坂本はるは姉妹と思われる。追伸にかき餅を送って欲しいと書いている。朴訥な手紙だけに印象に残るもので現代まで廃棄されずに残った。

●#618. 京都洛外散し書き 清水寺稲荷山鳥羽小塩山鞍馬寺岩倉大原
佐野つねさんが書いた長い散し書き。京都の洛外を東の清水寺から南へ東福寺、そして右回りに南西北、最後に北東の大原と地名を書く。1続きで区切りが不明、入手当初は読解力も弱く放置していた。最近見ると折帳5-6行分で1ブロックであった、そして合計8ブロック。この位の幅が書き易く読み易いわけである。大きい字を右から左へ読んで右下へそして上の小さい字を読む、さらに次ブロックに続く。大変読む調子がよいので声に出して読むとよい。私は京都に13年間住んでいたが懐かしい良い思い出ばかり。48年前の祇園祭り、宵山の四条通りの雑踏をある女性と歩いたことをまざまざと思い出す。

●#604. さば三本送り候間御入手被下度候らへば 難有そんしまいらせ候
茶乃内からはせ川氏への手紙。身内同士の手紙。貴方が上京から機嫌よく帰りよかった事、さば3本送ること、自分の家に「住み」か「澄み」になったらお越しください。長谷川氏は兵庫県揖東郡阿曽村の人。もじをもふし(じ)と書く地方であると思う。

●#600. なにぶんまわりかね五十銭だけ 今日おんかへりそふろふ
姫路のしなから播磨国阿曽村の長谷川おかしへの8月3日の手紙。先日の借金の内50銭だけ有り合わせ金として弁済する、残りは8月10日までにはかならず返すとの内容である。大変丁寧な手紙で時候から終りの挨拶、追伸まで訂正もなくきれいに書いている。相手は実家の母ではないかと思う。明治に入ってまもなくの女筆。

●#597. けふは禁裡より将軍家へきせ綿を下され 御酒宴ありとは
むら女さんが書いた長い散らし書である。重陽の九月九日の節句のお祝いを貰ったことに対する感謝と来訪を乞い語り合いましょうという返書である。菊の着せ綿とはなんとも優雅な行事である。七夕もそうだけど節句を祝うのは気持ちがよいね。散し書きは大きな字から右から左へ読む、そして左から右へ戻る時に文の続き具合と字の大きさを考えて読む。「うれしく」は#382に解説。

●#594. 御ほと様いよいよ御きけんよろしく御くらしあそはし候
女筆の手紙3通。用文集を筆写したものである。「御程様」は意外にも辞書に掲載されていないようであるが、確かに特に江戸時代1700年代によく使われている。

●#575. 旦那様わたくし一所にすまい致し候こと 心くるしきよし申され候
上醍醐寺慈心院駐在奉行岸本内記が受けた女性からの手紙。女性の境遇に関するものである。女性は一人住まいしている。「旦那」はおそらく商売で主に旅している、女性が「内」に入って一緒に暮らすことはどうかと尋ねると旦那はそれは世話や入用も多く心苦しいと言う。女性も深く思案している。後切れで残念。下半分は剥がしていて少し読みにくい。女性と岸本内記の関連は不明。

●#574. うれしき御事御仰下れ候 幾久しくねかい上まいらせ候
懇意の女性から上醍醐寺慈心院奉行岸本内記への手紙。屋敷に人が少なく気の毒な事です。それはやがて別れられず同居することになります。とよ次様をこちらにいるようにしていただきありがたい。母もうれしい事と言っております。私的な手紙で上が少し切れており理解が難しい点がある。

●#565. 昨日の時雨けふは雪気に替り
散し書の文章。雪が降りそうな気配の所に宵になってから向うの山に煙のようにたち登るものが見える。炭を焼いて言い争っているのだろうか。以上の内容である。番号順に読む。

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●#551. 短文六報 夫より後はとをとをしく存候
折本の手紙の短文6報である。女筆で佐野つねという人の筆である。とをとをしくの表現はやや稀かと思う。

●#549. 女筆の版本 拾一 はやはやとの御つかひ ことにうつくしき小袖一重
女筆の版本の最後は暮の贈り物に対する感謝の返事である。わかりやすい文章である。これをもって女筆の版本を一冊通して勉強したことになる。

●#547. 抑江戸の御城はいまた開けぬそのむかし
江戸についての散らし書。折帳に書いた物である。後があるかもしれないがこれで完結でもよいと思う。

●#537. 女筆の版本 拾 長閑なる年之くれにて 何かたも替る御事なくいわい入まいらせ候
冬入日から歳暮の挨拶である。肴が少し難くらいで字が読み易い所である。こぞりては「挙りて」と書くとは知らなかった、もろびとこぞりて。

●尾張藩主徳川茂徳(1831-1884)の受けた手紙 A letter from Tamino to Mochinaga Tokugawa.
たみのより尾張藩主徳川茂徳の受けた返事の手紙。養子の元千代様が機嫌よく食が進み御目出度い。あなたが大納言に昇進となりこれも御目出度い。この御祝儀をたみの様に申上られたことに御たみの様は満足であった。以上の内容である。筆は「袖」という「たみの」の祐筆で宛名は「花嶋」という徳川茂徳の側女らしい人である。下方に記載の姉小路より佐賀藩主鍋島直正への手紙のように女性から大名への手紙は祐筆から側近の女性宛に出すのが通例であったようだ。祐筆の字は女性ながら上手で漢字も適切である。さて「たみの」は徳川茂徳に極めて近かった人に違いない。徳川茂徳の親族、乳母、実母が考慮される。大納言昇進、養子元千代の記載より1860年から1863年の間の手紙である。

●#450. 平安時代頃までの数の数え方 ももちあまりいそぢをかきあつめ
狂歌師で国学者石川雅望(1754-1830)が和歌集や土佐日記などに記された「雅言」を集めて出版した「雅言集覧」という本(1826年発刊)を入手した。このなかに古い時代の数の数え方が掲載されており面白かったので掲載する。江戸時代後期には日常で大和詞は使用されてなく「ここのつ、とを」までであったろう、「とおあまりみつ」とは言わず「じゅうさん」と言ったに違いない。この本には「みそちあまりふたつの形=三十二相をいへり」とはっきり記載されている。よって1826年には32を「さんじゅうに」と呼んだのである。別に「みつももちむそぢ=三百六十也」との記載もある。よって1826年には360は「さんびゃくろくじゅう」と呼んだのである。文政のころは賀茂季鷹、本居宣長、香川景樹はじめ和歌、国学が殿上人に限らず一般人にも浸透してゆくので雅言集覧のような大和詞を集合した本には需要があった。やそ(耶蘇)より「ちとせやおはたちあまりむつ」(1826年)の本、優雅な大和の音感があるね。なお「明治以後」徳川茂承の和歌では「一本=ひともと」と詠んでいる。今でも「とお」までと「はたち、はつか」はよく使われ生きている。これは和歌関連にてここにも記載している。

●#489. 女筆の版本 九 紅葉も色を催し 高雄へ御伴ひ申度そんしまいらせ候
秋深き紅葉の季節の手紙。大きい黒字を順に読んでから最初に戻って小さい青字を読む。きれいな「候べく候」である。

●藤波季忠 Suetada Fujinami 1739-1813
公家藤波季忠の2作目。都林泉名勝図会(1799年=寛政11年刊、南竹所蔵本)の序文である。肉筆ではない。文末の水竹居主人は季忠の号である。教養豊かな人のかな中心の文で言葉遣い、かな、単語が大変勉強になる。序文の次に掲載の漢詩とその作者も掲載した。林泉とは庭のこと、本文は秋里籬島が京都の庭の名勝を著述した本である。これは女性の文ではないがかな中心の文にてここに掲載。 Suetada Fujunami was a kuge who belonged to the royals.

●#464. 女筆の版本 八 庭前の菊の花さきまいらせ候まま 二本おくりまいらせ候
重陽の節句の手紙である。 9月9日は菊花に関連した節句である。「お常様」の後の脇付は読みが違うかもしれない。返事の手紙の番号は黒字を読んだ後で番号順に読む。

●#457. きんきんに一度御こし下されますよふに くれくれもたのみます
女性よりおそらく伊勢国関町川北久右衛門への手紙。内容は先日の何かしてもらった事への御礼と近日中に来訪を乞うことである。最後の「たよりの者」との書き方などから深い知り合いの人に違いない。芸者か妾からの手紙ではないだろうか。

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●#80. 悟一郎のど痛にて早々御帰村被下度候 扨くこも御願上まし
妻の益より京都に出張中の夫松居五郎右衛門への手紙4通目。ここでは子の悟一郎の喉の病と腫れと医師の奥村氏に相談を願うこと、喉薬「くこ」(枸杞)も購買、そして早期の帰宅を頼む。病気の悟一郎が「かわいいそふに」と2ヶ所にあるが、たしかに「かわいい」と「かわいそう」は同じ語源であった。さらに英語では"Pity is akin to love."と同意の表現がある。 早々御帰宅と#66に同じく書くが、松居五郎右衛門は芸者にはまっているのではないだろうか。おそらくこれで益の手紙は終わりと思う。

●#453. 女筆の版本 七 盆のめてたさ 御娘子様御成人にておとりの御装束もうつくしく
盆のお祝いの手紙。安永ころは盆は成人の娘が着飾る時であったことがわかる。「鬧=閙」とさわがしい季節である。鬧と鬥(とうがまえ)を初めて知った、騒がしそうな字が多い。

●#78. あなたさまにもおいおい御みもおもく相成候やと そんし居しんはい致し居候
は(はは)より松居五郎右衛門の妻ますへの手紙。やはりますは妊娠している。子供たちがはしかにかかったが軽くすんだ。「大地に」だいちにが大切にの当字であるがこの人特有である。下の手紙#77のばばさんはこの手紙の人と同じ人である、こちらが少し前のようだ。やはりすごく読み易い。

●#77. 小杦様御たようの中に御さんけい被下事 けつこうに御たむけいたたき御礼申上候
ばばより松居五郎右衛門の妻ますへの手紙。ばばの夫の7回忌に小杉様(松居五郎右衛門)は参会し、手向けした。それに対する御礼を述べる。きくという娘(?)が東京に居り夫清五郎と手向けに来た。坊さんの施餓鬼法要して丸山で宴会も考慮したけれど大仰になるのでとりやめた。またおますは妊娠している、#66にて悟一郎ととみの2人の子がいるのでどちらかのようだ。おそらく11代小杉五郎右衛門の7回忌法要であろう。11代小杉五郎右衛門は京店に住んでいた。建仁寺の僧が施餓鬼したらしい。ますは近江位田村に住んでいるはずである。他に清次郎、おきぬ、おもよ、西田と様々な人が書かれているが続柄は不明。甚助は小杉屋の京店の番頭である。栄助は下男らしい。#48ににしだ舟からますへの手紙あり、西田はばばさんの子らしい。このばばさんの手紙は大変読み易い。

●#451. 女筆の版本 六 七夕の御祝義牽牛織女の御ちきり
七夕の御祝儀と来訪を願う手紙。

●#67. 御身御大切に御いとひ願上まいらせ候 早々御帰り被下まし
近江在住の妻益より京都に出張中の夫松居五郎右衛門への手紙3通目。「申越の品々お送りしました。貴地同様当地も暑いです。12日当村で踊り、15日えち川で大踊りです。あかね屋で買入れのとき悟一郎の着物1枚身計らって買ってやって下さい。あせ取などと子供着物地を行李に入れて下してください。御身大切にして早々お帰り下さい」。やはり出京は京都に出ることであろう。京都のあかね屋は品物がよいのだろう、息子の悟一郎の着物を頼んでいる。愛知川(えち川)は益の住居から近い。#66にもあるが五郎右衛門らは京都に家を買う予定のようだ。まだ悟一郎は9才で幼いが五郎右衛門は梁川星巌や貫名菘翁と京都で交際していたので若くても京都に家を購入したかったのだろう。夏旧暦7月15日頃(新暦8月)の盆踊りの少し前の手紙である。最後の追伸は四条通東辺祇園の茶屋の娼妓には見向き無用と書いているのではないかと思う。江州=近江、今の滋賀県。

●#66. 御あなた様十四日にはぜひ共御帰り被遊候よふ 御都合被下度候
益より旦那様、松居五郎右衛門への手紙、下に続いて2通目である。「昨日2名無事帰宅し御安心下さい。送り下さった品々受け取りました、御礼申上ます。こちら悟(悟一郎)ととみは気分よくない事です。14日には是非御帰宅下さい。私も20日出京したいですがそちらの家もまだ住めないと聞いています。丸吉様が来て裏庭の石を2個持ち帰りました。御承知下さい」。他日常の様々なことが書かれている。金沢に出店中の商家主人への近江在住の奥さんからの手紙である。松居五郎右衛門は京都に新しい住居を持ったようだ。隠居の義父小杉五郎右衛門も京都在住であった。

●#65. 初おこり後まもなくふりつづき 御ちふゐ御なし被下まし かげながら御あんじ居まし
近江のますより夫の松居五郎右衛門への手紙。京都に出張している松居五郎右衛門は元気だが同道の息子悟一郎がおこりで発熱があり心配と書く。しばらく雨降りが続きよくないので身を大切にと訴える。用事がすめば早くお帰りをとする。また#64の鍵吉、頼介が書附を持参した。松居五郎右衛門の店は金沢だが、仕入れは京都店で多く仕入れていた。妻のますは近江におり少し商売に関与していた。文の始めの追伸では悟一郎を医師の奥村氏にみてもらうように頼んでいる。「まし」に2種類あり注目される。「御ちふゐ御なし被下まし」は「ご注意下されませ」として相手の動作の丁寧な命令形。一方「しまゐ置まし」や「こまり居まし」は「しまっておきます」「こまります」と自分の動作の丁寧語「ます」として使われている。別に「まいらせ候」も使用している。幕末ころの手紙であり、現代語「ます」に移り変わる時期であり興味深い。

●#441. 浅草のり御地そうにいたし候様 御登し被下山々悦まいらせ候
彦根の母から彦根藩領世田谷代官所勤務の明塚半蔵への返事の手紙。長い手紙なので要点だけ記す。「当方元気です。金太郎もゆっくり歩くようになり達者です。金太郎へのかたびら(帷子)よい絣模様ですね。早く仕立てて着せたいです。お菓子のらくかん(落雁)に金太郎もたいへん喜びます。じばん、足袋、ねまき送るようにとのこと承知しました。最近は御地同様に蚊もめっきりと出るようになって困ります。金太郎の子守を下女にさせず私にとのこと承知しました。下女だと手荒くなりますから。尚浅草海苔御送りの品、御馳走になろうと喜んでいます、御礼申します。次第に暑くなります。御身体お厭いください」。「蚊もめきと出申候て」「めきと歩き」と「めきと」が2ヶ所出ている。「めきと」は現代の「めっきり」の原型である。「めく」の動詞が意味は「(変化して)らしくなる」である。例:春めく=(冬から変化して)春らしくなる。「蚊もめきと出申候て」は「(蚊は出てなかったのが変化して)蚊が出るようになり」であり、「めきとあるき」は「(歩けなかったのが変化して)歩くようになり」である。よって「めっきり」の語源もここの「めきと」と動詞「めく」に違いない。例:めっきり春らしくなる。なお大辞林(ウェブ:コトバンク)には「めきと」=「めっきりと」とはっきり掲載されていた、すばらしい。なお#250にも「めきと」が出ている。字は総体的に難字で充分解読出来ない所もあるが、要旨は間違いない。#418もこの母の手紙である。

●#439. 女筆の版本 五 端午の御祝儀めてたく申おさめ候 くす玉かさり粽菖蒲
端午の節句の手紙と返事である。二色とははっきりしないが二色の鯉幟(こいのぼり)のことと思う。この本は安永頃のものである。ここでは「かしく」ははっきり「か」を書いている。最後の脇付は「参る」は間違いないと思うが省略形であり違うかもしれない。

栞40 

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●#432. 女筆の版本 四 結構成ひいな一対おくり下され 浅からぬ御礼申あけ候
ひな祭りにお雛様を贈られてそれへのお礼の手紙。近々御面会に参りお礼を申上ますと書く。 けふに「気=け」を使用しているのはやや稀と思う。典型的な「候べく候:そうろうべくそうろう」が出ている。通常「かしく」は「か」の部分が小さくてもあるが、この版本はこのように「か」が全く無いものが多い。

●#431. 女筆の版本 三 五もしたち御ひいなあそひ賑々しさ 菱あも一折送りまいらせ候
桃の節句の御祝詞の手紙である。ここに「五もし」とあるが#224に御五もし様とあり、これがたしかに「御嬢様」の意味と確認できる。「菱あも」は「菱餅」のことである。古語辞典(小学館)に「あも」は小児語で「もち、餅」のことと掲載があった。また早稲田大学所蔵で1775年=安永4年刊の「物類称呼」に、餅を関西であもと呼ぶとある。すばらしい。この本は1780年頃の古い女筆本だから「あも」とある。ひいなあそひ:ひな遊び。

●#427. 御所鹿子 曙染 絞染 反古染 数もかきりもあらし吹品々持せ進しまいらせ候
染物屋がお得意様に様々な染色法を紹介しすすめたものを散らし書きにした、珍しい文章である。大変調子がよい文である。小さい文字のものは太字のあとで番号順に読む。

●#423. 女筆の版本 弐 七種の御しうき沢辺の若菜つみはやし候半と存じまいらせ候
本邦ではすでに万葉集のころから年の初め野に出て草を摘み取る「若菜摘み」が行われた。一方中国から伝わった七種類の野菜の「七草かゆ」を旧暦1月7日に食す習慣があり本邦でも広まった。この両者が合体した「7種の御祝儀」は人日(じんじつ)の節句ともいわれ節句の1つであり、また徳川幕府の公式行事で各江戸詰の大名が装束で登城した。一方恵方参りは元日に家より恵方に当たる社寺に参詣することである。この頃は7種の御祝儀と恵方参りは同じ時に行っていたことがわかる。候半と:候らわんと。

●#421. 女筆の版本 壱 みなみな様御そくもしの御ことふき 千とせまてもと祝入まいらせ候
女筆の版本その1。新春の挨拶とその返事である。書名、書家は不明。相当古い本で安永から天明ころの1780年ころのものと思う。きれいで読み易い字である。版本では長谷川妙躰という人の筆が有名。

●#418. 内股にしもつ出き又こうもんのきわにも出き 夫ゆへ西沢道安様へかけ申候所
彦根の母より彦根藩領世田谷代官所出張の武士明塚半蔵への長い手紙。「先便にて金子届きました、御礼申上ます。およしも内股に腫物(しゅもつ)ができ肛門のきわにも出たので西沢道安様にかかりましたが痔瘻というもので、内股は腫物(しゅもつ)ですとのこと。服薬、膏薬をもらいましたが同じく痛みます。大変困りました、近々には治らず長引きます。全身の気分が悪くないので心配はないとのこと。それで申上ませんでした。追伸:白砂糖を送っていただき重宝で悦びました。また毎月にしていただけば悦びます」。およしさんの痔のことが中心である。#351にも掲載の通り西沢道安(西沢道庵)は彦根瓦焼町の有名な医師であり現代に名が残る。およしは半蔵の弟の嫁らしい。半蔵の妻はきわである(#250参照)。本文の意味は把握できるが最後の細字部分は不明の部分がある。字は全体に個性のあるもので難字が多い。

●#415. 女筆手本その十 初はるの御寿めてたく候
女筆の手本その10。「江田小さい」の記述は初めて見た。自分は小さいとの謙譲語に違いない。御しうし:御祝詞。これで江田きしらが写した女筆手本は終了である。きれいで読み易い字であった。実際の手紙はこんなにきれいにわかりやすく書いてはくれない。別に女筆手本の本を所持するので追々掲載予定。

●#400. 女筆断簡 とよこまのあふらは きつうきつうからしきにて御さ候
女筆の断簡で文頭である。「からしき」という言葉が「からっきし」の意味で2ヶ所に使われているのが興味深い。語源では「から」=「からきし、からっきし」の一般に知られない用法があることが広辞苑でわかった。当初からし(辛し)かと思ったが、これは自分や人がつらいという意味で異なった。ここでは「とよこまのあぶら」が「きつうきつうからしき(から敷)で(だめだ)」と書いていてユーモアがある。匂いがよくないのだろうか。女性に「あなたはきつうきつうからしきにて御さ候」とは言われたくないものだ。あぶらは灯火以外に整髪料によく使用された。ともしさえ「からきし」とは整髪料としては全然なっていないの意味と思う。「さ」がややユニークな形。なおこれは1750年前後の京都の手紙である。

●#399. 女筆断簡 殿方様にも御しうき仰上られされましやう
女筆の断簡である。右は文末、左は追伸である。「文、仰、た、られ」など独特で参考になる。また「よりも、かしく、して、上れ」などを後で練習書きしている、矢印で示した。

●#395. 女筆手本その九 そそろうきたつはるけしき 山遊なといかか
女筆の手本その9。弥生の心浮き立つ春に山遊びはいかがでしょうかとの手紙である。図中に解説。

栞30 

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●#389. 女筆手本その八 庭の虫しの音々おもしろき 御子様かた御つれまし御入願まいらせ候
女筆の手本その8。夕暮れの虫の音で初秋の手紙。「音々」の当時の人の読み方は「ねね」だろうか、音が複数である。つれまし:御つれになりまして。書き方の練習に使われたもので字も文も分り易い。薄い小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。

●#387. 女筆手本その七 ははかりおふく候得とも お気もし思召被下へく候
女筆の手本その7。女筆の散し書きと呼ばれているものである。武家の妻青木波万という女性の筆である。まず太い大きな字を読む。次に番号順に上、下の小さな文字を読む。御寿き:おことぶき。千里もおなし事に:遠く離れていても同じように。御とりとりさま:御取々様、皆様。かはりなふ:変りなく。ははかりおふく:憚り多く。御気もし:御気もじ(文字)、気持ち。例文:御気もじ易思召被下候。文は「易」がないが同じ意味に違いない。2種類のまいらせ候が出ている。ここでも#382と同様に正月の挨拶に「若葉の春」がある。

●#382. 女筆手本その六 御とりどり様御機嫌よくはるを御迎させ遊はし おめでたくまいらせ候
女筆の手本その6。改し:あらたまりし。御寿:御ことぶき。申籠:もうしこめ。御とりどり様:皆様。御しうし:御祝詞(ごしゅうし)。おもしなから:乍憚(はばかりながら)、乍慮外の意味にちがいない、失礼ながら。睦月(むつき):旧暦1月、新暦2月で正月は初春、春の始まりとされる。ここの「若葉の春」はやや早いようだが、春への期待を込めて江戸時代はこのようなあいさつ文を使っていた。小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。ここの「へく候」と「まいらせ候」は違いが大変わかりやすいが形だけでなく文脈で理解すべきである。「うれしく」は女筆特有の難字の1つで下に解説した。

●#381. 女筆手本その五 月の夜もさそさそさやかに詠候はんと おしはかり参らせ候
女筆の手本その5。さやか:清か、明るい。詠候はんと:和歌を詠んでおられるだろうと。御けんに入る:御見に入る、お見せする。葉月:はづき、旧暦8月、新暦9月で秋の始まりとされた。薄い小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。

●#48. 御気ほうやうのため御子さまかたつれまし ゆるゆる御こし下されまし
にしだ舟より小杉お万寿さんへの手紙。正月の新春の祝いの返事の手紙である。理解しやすい内容である。ふだふだがまわらずは札=金がまわらずの意味だろうと思う。この人の「上」は一般の「迄」によく似る。また「て」は「而」で丁寧に書かれてやや特異である。小杉お万寿は小杉五郎右衛門(13代)の妻である。にしだ舟は不明だがおばばさまによろしくと繰り返しているので小杉家の一員であったようで万寿とは義理の姉妹らしい。「か=加」がよく使用されており明治に入って間もないころの典型的な女筆である。

●#368. 女筆手本その四 いく万年も御はんしやうの御事といわい入まいらせ候
女筆の手本その4。岩根の松:岩の根元に生えた松、幾年も不動。はんしやう:繁昌。御しうき:御祝儀。御てもし様が不明。そもじ(そなた)、おもじ(母親)、かもじ(母、妻)あたりが合うが字が違うようだ。てもじは非常に高位の人を指すようだ。「宇」にも似るがうもじは全く不明。家か商店を新築した祝いの手紙である。薄い小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。

●#367. 女筆手本その三 和歌に御心移なふ蛍を集め候よし 面白おはしまし候
女筆の手本その3。和歌に御心移なふ:和歌から他へ心が移らない。蛍を集めし意:熱心な意志。例文:蛍の光で本を読む:熱心に学習する。嘸と:さぞと、そうであろうと。はもし:は文字、はずかしい。ちと:ちょっと。喜し:きし、名前。番号を付けた薄い小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。

●#356. 女筆手本その弐 水菓子遣り下され 御とりとり様えよろしく御礼たのみ上まいらせ候
女筆の手本その2。暑中見舞いに水菓子を送った手紙とその礼状。「御見舞」を「御見廻」と書くのはよく見られる。まいらせ候、そんし、様、めてたくかしくがしっかり出ている。番号を付けた薄い小さい文字のものは太い大きな字の後に読む。

●#355. 女筆手本その壱 中元の御しうきまてに指上まいらせ候
女筆の手本その1。中元の御祝儀の手紙とその返事。文月:ふみつき、陰暦7月、新暦8月頃。習字の練習にした字なので読みやすい。

●姉小路 Anenokoji 1810-1880
大奥上臈御年寄の姉小路より鍋島直正肥前守への手紙であり典型的な女性手紙の好例である。「上様がた御機嫌よく成されおめでたいです。時節柄暑さ強いです。肥前守様もお変わりの事もなくおめでたく存じます。さてこの度御参府とのことでいつも親しくしていただき更紗1箱を姉小路へ送ってくださいました。大変忝いことです。美しいことが取柄の御品で長く万年も重宝します。たくさんかたじけないことで御挨拶申します。この鉢植えの杉、粗末ですがめでたくかしく(恐れ入ってかしこります)」。追伸(図の番号の部分)「肥前守様へ姉小路殿よりお会いしたいと申入です。よろしく申入成されください。かえすがえすめでたくかしく」。御参府:主に殿様の江戸参りに使われる言葉。返々:かえすがえす。取柄:とりえ、よい所。更紗:多色染めの厚手木綿の布。鍋島更紗:慶長年間に朝鮮から連れ帰った九山道青により始められた更紗で鍋島藩の保護を受け藩の御用として作られ、質的にも高い佐賀藩の特産御用品。姉小路が鍋島直正より鍋島更紗を頂戴してその御礼、この先の面会と杉の鉢植を差上げる内容の手紙。書いたのは代筆の大奥女性、嶋田と谷浦であり差出相手は鍋島直正の側近の磯浜などである。嶋田と谷浦は将軍徳川家斉の代参として水神へ参った人である、名字のような名前であるが大奥女性の名前である。磯浜は佐賀藩35万石藩主鍋島直正の乳母であった人であり、鍋島直正を力強く育てた女性として有名で現代に名が残る、いくつかの記載を引用させていただいた。鍋島直正:1814-1871、第9代藩主の子で1830年(17歳)に第10代肥前佐賀藩主となる。同年肥前守に任ぜられる、佐賀藩が新政府軍に入り、薩長土肥の一角を担うことに貢献、幕末期の名君とされる。正室は徳川家斉の18女である。姉小路は下に解説した。手紙は1837年から1841年頃と推定され、鍋島直正26歳、姉小路30歳前後である。参考論文:望月真澄氏、「江戸城大奥女性の代参について」。 This is a letter from Anenokoji to Naomasa Nabeshima. Anenokoji was a top of Edo Shogun's harem(Ooku). Naomasa Nabeshima was a governor of Saga, Hizen. This letter shows the gratitude for the gift of a Nabeshima sarasa which was the printed cotton cloth.

栞20 

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●#291. ほうそうかろくいたし候様 御きとう被成可被下候
醍醐寺慈心院関連の女手紙である。若い武士の妻から夫への返事の手紙。「手紙をいただき大変喜びました。郷の方へもお知らせ下さり忝いです。なお吉太郎の事を思うにかわいくなっています。御目に懸けたいです。少しずつ足もでて大変丈夫になりました。皆で喜んでいます。ここではほうそうが大変はやっています。あなたが遠所に暮していますのでそれを案じています。また御苦労ですが、ほうそうに懸っても軽く済むように御祈祷なさって下さい。呉々も頼みます。平三郎夫婦は毎度来ますが世話しています。御安心下さい」。いたいけ:かわいい。かすかす:多く、大変。ちゃうふ:丈夫。ここもと:此許、こちら。ほうそう:疱瘡、天然痘のことで近年撲滅されたが、江戸時代の種痘のない時代死亡率は20-50%と非常に高かった。ここでは御祈祷で疱瘡が軽くなるように夫に依頼している。かろく:軽く。例文:わろく(悪く)致し。平三郎ふうふは近所に住む夫の弟夫婦ではないか。ここの「も」は下が切れて「X}になる「も」である、かなの中でも「も」は変化が多い字である。

●#284. いよいよ御かりなく御入候や きかまほしく存候
女手紙でおそらく尼僧から上醍醐寺慈心院座主へのもの。「たよりに任せ一筆示します。暑さに向かいますがいよいよ御変りなくされていますか。お聞きしたいです。(私も)無事です。御安心下さい。さて7日、8日は上京です。11日は寺屋へ日(不明)で12日は月なみの日なので右の両日が済むまでは御上京」。きかまほしく:聞きたく。御かりなく:「御替りなく」の意味で口語調に「わ」を外したと思う。「一筆示し」の書式は勉強になった。紙の下方は貼ってあった別の紙を剥した後なので読みづらい。屏風の中張りになっていた手紙である。

●#282. 御寿何かたも同じ御よに御にきにきしく 祝納まいらせ候
女筆でお祝いの手紙、おそらく新春に若子が誕生したのだと思う。「仰せのように此間の御祝いに皆様同じ時代に賑やかにされ御目出度いです。まず皆様もお揃で御機嫌よく若々しい春は尽きることなきことです」。御にきにきしく:御賑々しく、華やかでよい。若生の:若々しい。尽しのふ:(佳いことが)尽きることなく。裏に字の練習をしてやや見づらい。女筆の様々なお祝い言葉が勉強になる。これは醍醐寺文書である。

●#264. うみ山御はなし申上候へと存まいらせ候
女手紙でおそらく上醍醐寺慈心院奉行岸本内記宛。「数限りない多くの事を申したいです。私たちは体調よい事推量して(思って)下さい。久々(の手紙)にてどのように申上ましょうか。海や山ほど深く多くのお話を申上ようとしますが、あちらこちらの事がありそうでもありまた夢のようでもあります。申上事は山々残っています。さて御のもしへ」。かすかぎりなき:数限りない。すもじ:推量、ここは「思召し」。海山:深く多く。あなたこなた:あちらこちら。さふらふ:あります。やまやま:多く。女手紙の中でも文字は大変優雅で難度の高い手紙だけど特に様々な単語が勉強になるね。最後の「御のもじ」は何だろうか、気になる。「御かもじ」なら妻だけど違うようだ。#216と同様に芸者さんからまた来てほしいとの手紙だと思う。

●#263. 御上様ますます御きけんよく御入遊はし 御めてたく存上まいらせ候
女手紙断片2つ。手紙1「お願い上ます。こちらへは思わしい便りもないままです。何とぞ御頼み申上ます。めでたくかしく」。差出人の左の脇付は「申上給へ」と思う。手紙2は番号の行は追伸で最後に読む「一筆申入ます。寒に入りひえびえしています。上様増々御機嫌よく遊ばし御目出度いです。さて。中断。追伸:御世話忝かたじけなく尚そなたよりよろしくお伝え頼みます」。そもじ:そなた、あなた。

●#259. 御りよもしなから御心やすくおほしめしも遣候
女手紙舟からの手紙でおそらく手本の写し。「御機嫌よくされ万事目出度嬉しく存じます。次に私舟のことつつがなく暮し、慮外ですが安心してください。少し日が明きましたが五日に参じ御話し申し上ようと思っていましたが折悪く雨天にて参じ申しませんでした」。まんし:万事。つつがなく:恙なく、異状なく。御りよもし:御慮文字、「慮外」の意味で他所に使用例はあり。慮外:無礼。「乍慮外御安意下さい」で「御無礼ながら御安心下さい」の意味で定型で使う。他所の文に「御慮もじ樣乍御きもじ安く覚し召下されたく候」。「舟」という女性名はあった。くらしの「ら」は誤字かもしれない。

●#258. ぜひぜひちかのうち御はなしのみ いのりまいらせ候
女手紙の手本の写しである。番号の行は最後に戻って読む。「此間参りましたが御見もせず御(心)残り多く存じました。此間参りました節お顔を拝しましたが言葉を交わすことも人目の席が支障で出来ませんでしたので、是非近いうち長くゆっくり御話のみと思います。この文着き次第御返事聞きたくぞんじます。まずは筆を置きます。めでたくかしく。追伸:飛札申上御心の程よく御頼みします。様々に一日も早くゆっくり御話をとこれのみ祈っております」。さへられて:支障によって。さふ:障ふ、遮られる、blocked。例文:「一生は雑事に障(さ)へられて空く暮れなん」。ちかのうち:近い内。中らく:「長らく」の当字と思う。きかまほし:聞きたい。文は重複もあり手本を写して練習したものであろう。紙は屏風の中張りである。

●#250. とふそとふそ私に内々にて少々はかり 小使下しおかれ候やうにくれくれ御願上
武士の妻きわから夫明塚半蔵への手紙。「暖気に向かい御機嫌よく勤められ前と同然に有難いです。こちら御両親様もいつも御機嫌よく生活され有難く喜んでいます。金太郎は無事に暮し御安心下さらないようにしてください(文脈上は間違い)。襦袢と足袋は入用までに届きます。金太郎は健康で越後縞ちりめんを下されて大きに有難く着せて御礼申します。おびただしくされてゆっくりされたいのに有難いです。浅黄ちりめんは少し余計で結構で御礼申上ます。おおいにお気の毒ですがどうか台所入用の小遣いを次の便で少し遣して下さるように願上ます。それは内緒で急ぎはしませんので登りのついでの便で宜しく願います。どうか私に内緒で少々ばかり小遣いを下さるように呉々も願います。金太郎もこの頃は丈夫に歩きだしのらりくらりと付け歩きします。喜んでください。投簡毎々有難いです。またご返事下さい。めでたくかしく。返す返す仕舞に暑さに向かいます。随分体調よく暮らされるよう祈りあげます。かしく」。有難くは9回出るし「大きに大きに」「とふそとふそ」などが多く、また「御安心下さらないようにしてください」と文脈的な間違いもある。教養あふれた女性にはみえないが一所懸命に書いている、まだ若いからね。財布は夫が握っていたが、きわさんは歩き始めたばかりの1歳位の子がかわいいなどと上手に内緒でのお小遣を頼む。お小遣の下し置の依頼は重要で3度繰り返す。このように若い下級武士の奥さんの生活での手紙は文も全体に口語体が容易に想像できそうで興味深い。女性手紙特有の表現を最後に示した。この人の「れ」は最後が下に大きく伸びる特有なもの。時代は他の手紙より文政から幕末である。

●#242. 御出下され候もと入まいらせ候
女性からおそらく上醍醐寺慈心院の岸本内記への手紙。「ちょっと申上ます。未だことの外余寒強いですが、いよいよ揃って御機嫌よくされていますか、お聞きしたいです。そのように思いましてこの文を出しています。御世話ながら京都へ便りの節お届けください。なお段々暖かになってきますのでお出でくださればと思います。<中断>なおその内お目にかかりたいです。めでたくかしく」。先に大きい文字を読んで、最後に番号の付いたやや小さい行を初に返って読む。鳥渡:ちょっと。御せもじ:御世話。御めもじ:お目にかかる。ここの「おはしまし」や「ぞんじ」と「し」が上に上がって書かれるのにも慣れてきた。

●#224. 御日柄よろしく御五もし様御婚姻到候事 御めでたくまいらせ候
数が少なく貴重な女手紙である。番号の付いた細い文字は最後に元に戻って読む。「わざわざ文を登らせお喜び申し上ます。お日柄よろしく御娘様が御婚姻に到られ、首尾よく整われました。千鶴万歳御繁昌され幾久しく御めでたいことです。さぞ皆様歓びなさっておられる事と思います。(追伸)なお貴家賑やかになごやかになられることが将来尽きることなく御めでたいことです。皆様へ深く私共のお悦びを申上ください。めでたくかしく(恐れ入ってかしこります)」。御五もじ様は文脈から御娘様に違いない。態:わざわざ。千鶴万歳:千年も万年も。幾久敷:いくひさしく。嘸:さぞ。何も様:いずれも様。取々様:皆々様。尽しなふ:尽きることなく。ここにも重要な「まいらせ候」、「めでたくかしく」、「様」、「そんし」がすべて出る。そんしは「ん」の次の「し」が「ん」に重ねて書かれる。丁寧語が様々に異なり大変興味深いね。

栞10 

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●#216. 御きけんよくいついつ迄も相かわらす御出可被下候
女手紙でおそらく醍醐寺慈心院の奉行岸本内記へのもの。黒1-13の後最初に戻って赤1-10を読む。「この度はおいででしたが早々お帰りでした。奥様にならわしいよいよ御きげんよく遊ばされ御めでたいことです。それでしたらそのようになにか物語りしますのでいかがと思いました所、ご理解いただきかたじけないです。今後も心おきなく御出下さるよう御願上いたします」。「追伸。御機嫌よく御暮しになりいついつ迄も相変らず御出くださること、大きな御恩かたじけなく存じます。尚近日芝居見物のためゆるゆると御世話いたします」。御かもじ様:御奥様。おそらく芸者さんよりの手紙でこんな手紙を貰ったらまた置屋に通いたくなるに違いない。

●#212. とよ次事たんたん御世話とも忝存候 あらまし右近に御きき可被成候
おそらく醍醐寺慈心院の住持が尼僧へ出す手紙の下書き。文は女性ではないが、かなを多く使って書いている。「今日また手紙を出します。右近遣し一筆申上ます。まず余寒の節、いよいよ御変りなくなされ目出度いことです。こちらも無事の暮しです。御安心ください。さて先頃は右近に申し遣した豊次の事、まずだんだん御世話になり忝です。全体これは最初よりの訳、あらましを右近に聞いてください。詳しくは私が上京の時申入ます。ただ私も役をしており近日出京するので先に今日便りをして趣意をたいがい左に書き記します。御覧ください」。書き間違いをして別に書き直して書状を出したのでこの紙は下書きになった。その後屏風の下張りに使われた。御入之由:お暮しのようで。日外は「いつぞや」と読み「先頃」の意味。あらまし:大体のこと。

●#211. 御地御婚礼首尾よく御調遊しまし目出たく存まいらせ候
妙円から森村庄左衛門への手紙。江戸時代の女性の手紙解読に必須の「まいらせ候」、「さま」、「目出たくかしく」、「べく候」、「あらあら」がすべて出ている。「一筆差上げます。いまだ余寒厳しい時ですが皆様御機嫌よくされていること目出度いことです。さて婚礼順調に行き、昨日はお嫁さまを迎えられ目出度いことです。私共皆お招きいただきかたじけないです。手のかかることですが伊助を車夫(?)にお使い下さい。御酒一樽進上いたします。ご祝儀の印です」。少し不明の箇所もあるが、このような意味である。最後の4行は追伸で手紙の最初に小さい文字で書かれたもの。「尚々、憚ながらどなた様も宜しく御祝に行き寄られますように」。此もと:私共。かもじ:かか、妻、母。造作ながら:手のかかることですが。他の女性手紙と比較して大変読みやすい。「べく候」はここでは「へ具候」で読みやすいが「まいらせ候」と同じ形のも多い。森村庄左衛門は他の書類より大和国高市郡醍醐村の大庄屋で婚礼とは養子庄三郎の婚礼式である。

●#192. ゆほびかなる池に蓮のいとうるはしきか 目もあやに所せきまて咲出たり
今はなき巨椋池(おぐらいけ)から見た景色を色彩感覚鋭敏な女性が記した文章。明治8年のことである。江戸時代生まれの女性の文だがすでに「そうろう文」でなく、読み易い。大くらは巨椋だがこの池は大池ともいわれた。目川、東目川は巨椋池の東岸の村。一口(いもあらい)は西岸の村。いさなふ:誘ふ。寅の刻:午前4時。ほのめく:仄めく、かすかに見える。さしも:然しも、あれほど。ゆほびかなり:広々とした。せき:狭き。おもひきや:思っていただろうか、いや思わなかった。蓮の花の盛りの八月に一口村の老翁の舟で池を横断した。色彩感覚は鋭い、文章からして教養豊かな女史に違いない。

●#163. 内記へ母より 飯米、炭、茶を御取寄被下候やうに願上候
1750年頃上醍醐寺の慈心院に住んだ醍醐寺とその塔頭、岳西院、密乗院、成身院などを管理する奉行の最上位は岸本内記であった。その人の母から内記への手紙である。「飯米2-3日の内に補充して増やしてください。炭も中頃には無くなるので申上ます。茶も少しも無いので10日過ぎに取寄せください。柔かい炭は火が付き易いと言われたのであなたが調えてくれれば1俵50文高値で目方も下であり気の毒ですが申上ます。みすみす損なことです。よくないですが、三俵ほど取寄せ下さい。段々に暖かになってくるのでこの春中に三俵あれば安心します。右申上ます」。みすみす=見す見す:解っていながら。最後の宛名の敬称は母からの手紙では「殿」が多いが、ここでは付けていない。力強い毅然としたお母さんである。炭には黒炭と白炭があって「柔かい炭」というのを初めて知った。確かに以前火鉢で見た炭は硬かった。焼肉の炭はたどんのように柔かく着火しやすい。炭1俵は15kg(4貫)で銀3匁=210文位だったらしい。ここでは1俵当り黒炭が白炭より50文高値であったと判る。女性のかな手紙は解読難が多いが、これはやや難はあるが大方読めた。

●#166. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その六
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉。かみそりは「おけたれ」。かみそりの女房言葉はけたれ(毛垂れ)またはおけたれ(広辞苑)。かみそりで髪の毛を削ぐと毛が垂れて落ちる意味だろう。ぼた餅は「萩の花」。ぼた餅(牡丹餅)はおはぎ(御萩)である。御萩は萩の花とも言われた。広辞苑では「萩の花:柔かい飯を盛って小豆の粉をかけて食べる物」とあった。いかきは「せきもり」。いかき(笊籬):竹で編んだ籠、ざる。古語辞典に「せきもり(関守)はいかきの女房詞」とある。「関守」は関所の番人で「人やものの通過を妨げるもの」の意味があり、ざるが水は通すが水以外を遮り掬い取るからだと思う。面白い発想である。せつかいは「うくいす」。せっかいはすりばちの擂った中のものを掬い取る道具、しゃもじを縦に半分に切ったような形、スプーン。 広辞苑にうぐいすは鶯でせっかい(狭匙)の女房詞とある。鶯は短いスプーンに形が似ているようだ。すり鉢は「らいぼん」。らいぼん(擂盆)はすりばち(擂鉢)のことと広辞苑。しかし女房詞とは認めていないようだ。擂盆を「すりぼん」と訓読みせず、「らいぼん」と音読みしたものであるから。水は「おひや」。おひやは御冷である。くきは「くもじ」。くもじとは「茎」から菜の茎の漬物の女房詞と広辞苑。だが逆に「くき」は漬物でなく単に「茎」のようだ。竹の子は「たけ」。竹は筍の女房詞である。うこきは「うのめ」。うこぎ(五加)は葉や芽が食用で根が強壮薬と広辞苑。うのめはうこぎの女房詞と古い本にあるが、古語辞典、広辞苑にはなかった。しかし春に芽を食用にしたので「め」は「芽」であろう。しるは「おつけ」。みそ汁はおつけ(御付)、おみおつけとある(広辞苑)。かずのこは「かずかず」。かずの子の女房言葉はかずかず(数数)(広辞苑)。くしらは「おさくり」。鯨はおさくりと「女房詞の系譜:杉本つとむ氏」に掲載があり存在は間違いない。そのおさくりの更なる意味の理解はできなかった。以上で女房言葉は終わりだけど、この勉強は楽しかった。広辞苑と古語辞典がなかったら、漢字は判らず深い意味はわからなかったことは確か。この女房言葉のかな文字を読んでいて、終戦後に小学校や文章一般で漢字を捨ててかなやローマ字だけにする案があったけどそうならなくて本当によかったと改めて思う。

●#165. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その五
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉。さけは「くこん」。酒の女房言葉はくこん(九献)である。語源は九献=杯に三回ずつ三度の計九度酒を差す、三三九度。献:酒を献ず。こめは「うちまき」。うちまきは「打ち撒き」で悪魔払いに米をまき散らすこと。後に御所で米一般を指すようになった。みそは「むし」。味噌の女房言葉は「蒸し」である。大豆を蒸して作ったから。あま酒:あまくこん。甘酒は「甘九献、あまくこん」。五斗みそは「ささぢん」。五斗味噌:①大豆、ぬか、米麴、酒粕、塩を一斗ずつ混ぜ熟成した味噌。②ぬかみそ。「ささじん」は糠味噌の女房詞と広辞苑に記載。古くは糠味噌を糂汰(じんだ)と言い、酒か酢を加えて食べた。古語辞典には「ささじん」が掲載され「酒糂」と漢字で宛てる。糂:じん、米の粉、ぬか。こぬか:まちかね。小糠=ぬかの女房言葉「まちかね(待兼)」は「来ぬか」から「待ち兼ね」となった。すごい転換である。もちは「かちん」。餅の女房言葉は「かちん」。かちいい(搗飯)から転換。搗:つく、かつ、もち米をついてこねる。ごほうは「ごん」。ごぼう(牛房)の女房詞はごんである、ごんぼうから転換。かうの物は「かうかう」。香の物の女房言葉は香香(こうこう、こうこ)。香の物とは漬物のことである。するめは「するする」。するめの女房詞は「するする」。さいは「おかつ」。菜は「おかず」。さい=そうざいで総菜である。おかずのほうが一般的である。白はしは「ねもじ」。葱の女房詞は「ねもじ」。白葱のことを関東以北で白はしと言っていたようだ、白端だろう。ねぎの端は白い。女房詞は単に優雅なだけでなく、御所の歴史があるんだね。

●#155. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その四
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉。そうめんは「そろ」。そうめん(索麺)は女房言葉ではそろである。広辞苑には「ぞろ」とある。あさづきは「あさあさ」。これはつけものの浅漬けであり、女房言葉であさあさである(広辞苑)。すしは「すもじ」。寿司はすもじ(す文字)。いがは「いもじ」。いか(烏賊)はいもじである。東北弁が入っているようだ。かつほは「かか」。鰹はかか。今は鰹節で削ったものをおかかというのは一般。ゑひは「ゑもじ」。海老は女房言葉でえもじである。たこは「たもじ」。 鮹(たこ)はたもじ。小鯛は「小ひら」。これは鯛一般のことをおひら(御平)と女房詞でいった(広辞苑)。かやは「かちやう」。かやは蚊帳(かちょう)。蚊帳は一般語になっている。めしは「ぐこ」。めしの女房詞はぐご(供御:広辞苑)である。供御は元は天皇の食事をいった。赤飯はこはぐごであった(その弐)。女房詞は広辞苑に随分助けられている。検索で不明だったものが補えて、そして漢字がわかるのがすごい。

●#142. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その三
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉。やき飯は「おしなめし」。おしな:押し菜、大根の間引き菜の糠漬。おしなめし:押菜飯、おしなと飯をまぜて焼いたもの。よめかはけが「よめな」。女房言葉の嫁菜のほうが一般的、よめがはぎは別名。嫁菜は野菊で食用になり「よめなめし」(嫁菜飯、嫁菜と飯を混ぜたもの)もある。写真では春菊と小松菜の中間のような葉である。のりは「のもじ」。のもじは糊である。海苔は京でも単に「のり」。ほしなは「ひば」。ほしな、干し菜の類語は「ひば、干葉」とある。おそらく菜の葉に塩をして(青菜に塩)干して揉んで飯のふりかけにする。大こんは「からもの」。大根は「辛物」で今より辛かったようだ、女房言葉で「おからもの」や「おだい」とも言ったようだ。大根をおろしてそのまま食べると辛いのがあるね。べには「おいろ」。おいろは御色で紅のこととある。歌かるたは「ついまつ」。ついまつは続松で「たいまつ」である。斎宮の上の句に在原業平がたいまつの消し炭で下の句を書いたという伊勢物語の故事がある。これから歌かるたをついまつと呼ぶようになった。以上は「古語辞典:小学館」の記載。これは奥深い語だね。すり木は「こがらし」。すりきはすりこぎのこと。こがらしは木枯しで初冬に吹く冷たい風、こがらしは女房詞ですりこぎのこと(一説にその音からの称)。以上は「広辞苑」の記載。これもなかなか奥深い。しやくしは「しやもじ」。杓子はしゃくしでしゃもじ(杓文字)のこと。今はしゃもじは一般的な語。おひは「おもじ」。おひはおび、帯で女房言葉はおもじ。多くの女房言葉が標準語になっているね。

●#139. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その弐
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉「御所大和言葉」。なすびは「なす」。だんごは女房言葉「いしいし」。いしは「おいしい」意味と広辞苑、古語辞典にある。赤飯は「こはぐこ」、現代も赤飯をおこわと言う。めしの女房言葉「ぐご(供御)」。ちまきは「まき」。ちまき(茅巻)の女房言葉はまき(巻き)と広辞苑。しんこ(新粉)の細工でねじったものをしんこまたはしんこ餅というが、やや長くねじったお菓子のことを女房言葉で「しらいと」、現代でも白糸餅という。しんこは現代の上新粉で米を粉末に挽いたもの。糝粉(しんこ)と書く。「糝」とは米の粉に水を加え煮立てたもの(雑炊)。とふまはとうふのことで女房言葉「おかべ」。おかべは御壁と広辞苑。とうふ(豆腐)は白壁に似ている。でんかくは「おでん」。田楽(でんがく)とは豆腐を縦長に切って串刺にし味噌をつけて火にあぶったものと古語辞典。今はおでんは一般語。ぼた餅は「やわやわ」。やわやわは柔柔である(広辞苑)。

栞 最後 

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●#138. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その壱
出羽国慈恩寺最上院の僧が弘化3年=1846年頃に書き留めた女房言葉「御所大和言葉」。記述は正確で現代でもほぼ追跡できた。小袖の「ごふく(御服)」は「おめし」とも言われる。御服は元は天皇の衣装をいった。わだ=わた、綿で「おなか」。おなかは御中と広辞苑。布団などの中に入れたから。「よるのもの」は夜着。どんすかやは「どんちょう:緞帳」、厚い織物の帳(とばり)。「にゃく」は蒟蒻(こんにゃく)。とふまかすはとうふを作った後のかすで「おから」のこと。ここの「おかべから」は「おから」に同じ。とうふは「おかべ(御壁)」。ゆのこは湯の子で茶の湯で懐石の終わりに出す釜底の焦げ飯を粥にしたもの、女房言葉で「おゆのした」。しょうゆの女房言葉「おしたち」は「御下地」である、現代のおひたしに名が残る、ゆで青菜に醬油とかつ節をかけたもの。広辞苑「下地:したじ、だし汁で特にしょうゆ」。

<文書番号とタイトルの一覧>       上に戻る BACK TO TOP
#929. 箏組曲菜蕗組 ふきといふも草
#829. けふしは御里入遊し 限りなふ御めてたく
#785. 御婚礼御首尾よく御調あそはし 幾万歳もの
#782. もちたるかたてをずぼりときれば あいたたとなんとした
#777. 豊前様へ御書付御出し承り候 其御書付しはらく御まへ様え御預り
#775. くこんのすきな様に 扨々私事しんはいいたし候
#771. 豊前様御出もむまもろともに 大あめにて大ぬれ
#755. 御顔直させられ 限りなふ御めてたく存まいらせ候
#744. 御酒錦にまかふ村菊品々をくり給り
#740. はれなる客おはしまし候 夫につき御無心の事候へ共
#737. けふし吉日故御移徒遊し候よし 限なき御めてたさ
#736. 見え来まいらせ候まま 少しなから御めに懸まいらせ候
#735. 愛さま美しき御事のよし いとも軽き御容体におはしまし
#734. 織女の御祝儀 いく秋かきりなき御岩井
#733. 御神事皆々めしよ誓られ候半よし
#732. 扨は真瓜三頭 御めに懸まいらせ候
#731. 菖蒲の御祝儀 御目出たく祝入まいらせ候
#725. 扨は此帋包一つ 御国もとへ御便おはし候せつ御届
#724. なかなかの御留守にて さそさそ御淋敷候半と
#723. 御遊山なから上方へ 御登りあそはし候よし
#721. 御水茎くたされ 誠に御けむもしの心地
#720. 桧重一くみ御雛の 御祝儀のしるしまてに御目に懸
#719. 明日はこなた嘉例のことく 節いたしまいらせ候
#714. 長閑成空うち続 四方のはなも最中のよし
#712. 御饗応いか計 辱そんしまいらせ候
#711. 五常なくんは人とは不可言 此道能々心得て違背の筋無
#710. 春の御しうき幾千代かけて いはゐまいらせ候
#708. はつ午におはしまし候 稲荷へ御詣遊はし候はんや
#707. 朝夕は殊之外寒しまいらせ候
#699. 地歌四、筆のあと 知るべのそのただをみれば くりかへしみの筆のあと
#698. 地歌三、かわつ たったひとこときいてたべが おやぢをからすにとられ
#697. 地歌弐、たにし なんぼはたたきしやるとも うのまにやなるまい
#696. 地歌壱、荒れ鼠 はぶしの達者なものどもは納戸へ入りたんすかぢるべし
#687. ことことかりそめに七月無てにて くらしまいらせ候
池田出羽が主膳内より受けた手紙
#662. 籬ににほふしらきくに 初霜の何れをはなとわきかね
#661. 亥の日にて此もちゐ一重いわひまいらせ候
#660. あやめの御祝儀として 見事の一色おくりくだされ
#659. みなみな様御さかんに御年かさねられて 御にきにきしく御いわひ被成候
#646. 御婚礼の御儀式残所なく相調候て 幾末永き千代万世の御めてたさ
#645. 幾余ともなき年浪のせき留かたく いつしか暮に成まいらせ候
#644. 雪の今朝ほと詠候へは めつらかの木毎に花の咲候やうあやしまれ候
#643. 山々の照葉色そひ 幾しほの詠と押はかられ候
#642. 明十六日の夕さりより御影待いたし候 宵之内より御噺に御出下され候
#627. 此たびうこん様御上りあそはし ほかよりあそはし候て
#625. 末吉様御たのみて下され候 おまいさま方よりほかにわはなしもなし
#618. 京都洛外散し書き 清水寺稲荷山鳥羽小塩山鞍馬寺岩倉大原
#604. さば三本送り候間御入手被下度候らへば 難有そんしまいらせ候
#600. なにぶんまわりかね五十銭だけ 今日おんかへりそふろふ
#597. けふは禁裡より将軍家へきせ綿を下され 御酒宴ありとは
#594. 御ほと様いよいよ御きけんよろしく御くらしあそはし候
#575. 旦那様わたくし一所にすまい致し候こと 心くるしきよし申され候
#574. うれしき御事御仰下れ候 幾久しくねかい上まいらせ候
#565. 昨日の時雨けふは雪気に替り
#551. 短文六報 夫より後はとをとをしく存候
#549. 女筆の版本 拾一 はやはやとの御つかひ ことにうつくしき小袖一重
#547. 抑江戸の御城はいまた開けぬそのむかし
#537. 女筆の版本 拾 長閑なる年之くれにて 何かたも替る御事なくいわい入まいらせ候
尾張藩主徳川茂徳(1831-1884)の受けた手紙
#450. 平安時代頃までの数の数え方 ももちあまりいそぢをかきあつめ
#489. 女筆の版本 九 紅葉も色を催し 高雄へ御伴ひ申度そんしまいらせ候
藤波季忠 Suetada Fujunami 1739-1813
#464. 女筆の版本 八 庭前の菊の花さきまいらせ候まま 二本おくりまいらせ候
#457. きんきんに一度御こし下されますよふに くれくれもたのみます
#80. 悟一郎のど痛にて早々御帰村被下度候 扨くこも御願上まし
#453. 女筆の版本 七 盆のめてたさ 御娘子様御成人にておとりの御装束もうつくしく
#78. あなたさまにもおいおい御みもおもく相成候やと そんし居しんはい致し居候
#77. 小杦様御たようの中に御さんけい被下事 けつこうに御たむけいたたき御礼申上候
#451. 女筆の版本 六 七夕の御祝義牽牛織女の御ちきり
#67. 御身御大切に御いとひ願上まいらせ候 早々御帰り被下まし
#66. 御あなた様十四日にはぜひ共御帰り被遊候よふ 御都合被下度候
#65. 初おこり後まもなくふりつづき 御ちふゐ御なし被下まし かげながら御あんじ居まし
#440. 浅草のり御地そうにいたし候様 御登し被下山々悦まいらせ候
#439. 女筆の版本 五 端午の御祝儀めてたく申おさめ候 くす玉かさり粽菖蒲
#432. 女筆の版本 四 結構成ひいな一対おくり下され 浅からぬ御礼申あけ候
#431. 女筆の版本 三 五もしたち御ひいなあそひ賑々しさ 菱あも一折送りまいらせ候
#427. 御所鹿子 曙染 絞染 反古染 数もかきりもあらし吹品々持せ進しまいらせ候
#423. 女筆の版本 弐 七種の御しうき沢辺の若菜つみはやし候半と存じまいらせ候
#421. 女筆の版本 壱 みなみな様御そくもしの御ことふき 千とせまてもと祝入まいらせ候
#418. 内股にしもつ出き又こうもんのきわにも出き 夫ゆへ西沢道安様へかけ申候所
#415. 女筆手本その十 初はるの御寿めてたく候
#400. 女筆断簡 とよこまのあふらは きつうきつうからしきにて御さ候
#399. 女筆断簡 殿方様にも御しうき仰上られされましやう
#395. 女筆手本その九 そそろうきたつはるけしき 山遊なといかか
#389. 女筆手本その八 庭の虫しの音々おもしろき 御子様かた御つれまし御入願まいらせ候
#387. 女筆手本その七 ははかりおふく候得とも お気もし思召被下へく候
#382. 女筆手本その六 御とりどり様御機嫌よくはるを御迎させ遊はし おめでたくまいらせ候
#381. 女筆手本その五 月の夜もさそさそさやかに詠候はんと おしはかり参らせ候
#48. 御気ほうやうのため御子さまかたつれまし ゆるゆる御こし下されまし
#368. 女筆手本その四 いく万年も御はんしやうの御事といわい入まいらせ候
#367. 女筆手本その三 和歌に御心移なふ蛍を集め候よし 面白おはしまし候
#356. 女筆手本その弐 水菓子遣り下され 御とりとり様えよろしく御礼たのみ上まいらせ候
#355. 女筆手本その壱 中元の御しうきまてに指上まいらせ候
姉小路 Anenokoji 1810-1880       
#291. ほうそうかろくいたし候様 御きとう被成可被下候
#284. いよいよ御かりなく御入候や きかまほしく存候
#282. 御寿何かたも同じ御よに御にきにきしく 祝納まいらせ候
#264. うみ山御はなし申上候へと存まいらせ候
#263. 御上様ますます御きけんよく御入遊はし 御めてたく存上まいらせ候
#259. 御りよもしなから御心やすくおほしめしも遣候
#258. ぜひぜひちかのうち御はなしのみ いのりまいらせ候
#250. とふそとふそ私に内々にて少々はかり 小使下しおかれ候やうにくれくれ御願上
#242. 御出下され候もと入まいらせ候
#224. 御日柄よろしく御五もし様御婚姻到候事 御めでたくまいらせ候
#216. 御きけんよくいついつ迄も相かわらす御出可被下候
#212. とよ次事たんたん御世話とも忝存候 あらまし右近に御きき可被成候
#211. 御地御婚礼首尾よく御調遊しまし目出たく存まいらせ候
#192. ゆほびかなる池に蓮のいとうるはしきか 目もあやに所せきまて咲出たり
#163. 内記へ母より 飯米、炭、茶を御取寄被下候やうに願上候
#166. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その六
#165. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その五
#155. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その四
#142. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その三
#139. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その弐
#138. 出羽の僧侶も女房言葉を学習 その壱

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