南竹 Nanchiku
江戸時代の絵画、書、和歌、俳句、古文書
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< 遠江掛川山崎万右衛門,Manemon Yamazaki >

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遠江掛川山崎万右衛門,Manemon Yamazaki

ここは遠江掛川の豪商4代目山崎万右衛門の1800年前後の店卸し帳6冊と3代目山崎万右衛門の進物帳の記録をまとめたものです。上から下の順になっています。ゆっくり楽しんで下さい。
Here are documents of Manemon Yamazaki. Please enjoy reading the writings.
参考論文:「掛川市松ケ岡プロジェクトの背景と構想」。

文書番号とタイトルの一覧

●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション
Roman Cortes氏の遠近感あるcssアニメーション3D-Meninasを勉強し改変したものを作成した。中の画像はすべてNew York Public Library所蔵のposterで使用は許可されている、感謝して使わせていただいた。古い雑誌の表紙は大変美しい。
http://www.romancortes.com/blog/css-3d-meninas/
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●3D効果をマウス動作で見せるcssアニメーション 続々編
これはズームでポスターを見ている像である。美しい中の画像はNew York Public Library所蔵のposterで感謝して使わせていただいた。
New York Public Libraryのサイトはhttps://digitalcollections.nypl.org/collections


●立ち位置を動いて対象を見るcssアニメーション
位置を動いて対象を見ている像なので、やや立体的にみえる。外枠は撮影して中央を透過にしたもの。上のstartボタンをクリックして下さい。下のスクロールバーをスライドさせても動く。有名なRomán Cortés氏のcoke-canのアニメーションから改造したもの。

 

●#403. 山崎万右衛門 壱 身体取広け不申様 驕奢をはぶき家業無油断心掛け質素に暮し候事
遠江国掛川の豪商4代目山崎万右衛門(1773-1828)の店おろし帳(資産帳)6冊があるがこのうち1807年=文化4年だけ資産は前年より減少した、そしてこの年35歳の時のみ文章を書き残した。勿論4代目山崎万右衛門の自筆である。「右のように店おろし勘定で総金高は減少した。昨年は上様(掛川城主太田氏)へ上金もあり田地の買受もあった。総体も相応に大きくなった。今後金が増す事は好まない。堅く商いして特にはもうけようとせず総体を広げないことが大事。仮に総体が減っても、地道にして質素に倹約する事。金高が増えたら施しをする、親類の困窮の者、故郷の隣人の宜しい人などに平等に施しをする。心して「みやらもん」にならない事。驕りをはぶき油断なく質素にすれば「増し」は出るだろう。これは非常時の手当てにし貧窮の者を救うことである。万一凶年、飢饉があれば限りを尽して世人を救うこと。私は「仏参自性居士」を生きがいとするよう心掛ける」。さすがにすばらしい文章である。総資産は金6069両3分で前年正月より331両1分減少したと書かれている。身体(総体)は太い。辻:合計、結果。「辻」とは交差点で人の合流する所である、そして合計の意味に使われたとある(国立歴史民俗博物館研究報告google books)。また「高辻帳」とは江戸時代に村の石高合計を記した帳簿とあり同じ意味。つむじ(旋毛)は辻の語源であるが周囲の髪が合流している。様々な単語が勉強になる。 山崎家は元油商で4代目は大きな資産を持って掛川城主太田氏や横須賀城主西尾氏を援助した。8代目は明治時代の掛川町長で掛川銀行を設立した。資産は数字をかなで置き換えてあるが解読したので総資産など次回に紹介する。

●#404. 山崎万右衛門 弐 差引総資産にて御座候 すえひろのめでたさ丸にて御座候
遠江国掛川の豪商4代目山崎万右衛門の店おろし帳(資産帳)から暗号解読と年度別差引総資産の推移を記載した。これは最も分りやすい部分を示したが実際はもっと長いものが多い。1807年=文化4年だけ資産は前年より減少したが他の年は着実に資産が増加していることが明白である。

●#405. 山崎万右衛門進物帳 壱 主人繁吉若旦那参上 白砂糖素麺真綿は定番にて御座候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年の計13年間の進物の記録であり詳細に記されており大変興味深い。ここは進物した店の人名、進物品である。若旦那は4代目である。

●#406. 山崎万右衛門進物帳 弐 太田様、横須賀様、田中様御家中は御挨拶欠く間敷候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。弐は進物の御家中で遠江掛川藩、遠江横須賀藩、駿河田中藩の家老始め有力な武士への進物である。この3藩へは年末、暑中など年数回の贈答は毎年欠かさなかった。解説は図に加えた。三河吉田藩は1度だけの進物である。

●#407. 山崎万右衛門進物帳 三 年始は松平、内藤、奥平、西尾、太田の各様江戸屋敷へ進物に御座候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。三は年始の江戸屋敷への御挨拶である。進物帳の冒頭に書かれている。下の5軒に限られた。遠江横須賀藩、遠江掛川藩は主な仕事先である。摂津尼崎藩、日向延岡藩、豊前中津藩は遠方で直接の取引はないが、参勤交代など藩士が掛川に宿泊した時は挨拶していた。このように舟便で送って各江戸屋敷に葛粉を献上するがおそらく日本橋の遠州屋嘉兵衛を介したのであろう。仕事で交際が深かった藤枝田中藩がないのはなぜだろう。

●#408. 山崎万右衛門進物帳 四 お登り御下りの御武家様への献上にて御座候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。四は摂津尼崎藩、豊前中津藩、日向延岡藩、丹波国篠山藩の御家中の武士が掛川周辺に宿泊したらその武士に葛粉、袴地などを献上した。他に福井藩士や諸々の武士、江戸の遠州屋が通った時にも献上した。

●#409. 山崎万右衛門進物帳 五 旦那様色々御用向御座候て御苦労に御座候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。五は手代が書いた旦那様の藤枝、堀之内、相良、平川と長期(計8日間)に廻られたと書く。また掛川藩主など50名が立寄られた際の饗応の記述である。

●#410. 山崎万右衛門進物帳 六 受納も様々有之候処 尼崎斎田様より殊に珍重物頂戴致候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。六は受納品である。様々な品がある。ここの越州は確かに越前であった。

●#411. 山崎万右衛門進物帳 七 浜松様より受納は大きにも調達金は無利足にて御得意様にては有間敷候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。七は浜松藩よりの受納品である。計8回あり多かった。しかし4代目の卸し帳では無利息もあり調達金は年々減少した。大鶴や大鳥の記載が3度もあり鶴は食用とされていたことがわかる。あまりおいしくないので殿様への献上品を廻されたのではないだろうか。

●#412. 山崎万右衛門進物帳 八 井上様は月岡陣屋様にて茶を能被下置候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。八は月岡陣屋井上氏よりの受納品である。計6回茶の品があり多かった。井上氏は4000石の旗本で寄合であった幕臣である。

●#413. 山崎万右衛門進物帳 九 鍋嶋様は肥前小城藩の御殿様にて掛川を御通行被成候
遠江掛川の豪商山崎万右衛門3代目の進物帳。乙巳=1785年=天明5年から次の巳年=1797年=寛政9年までの計13年間の進物の記録。九は肥前小城藩主鍋島氏よりの受納品である。さらに4代目が鍋島氏に計300両の調達金をしていた。記載のように東海道を通行中に懇意になったに違いない。小城藩は7万4000石で現佐賀県小城市。

●#414. 山崎万右衛門 三 御上様への文化四年調達金にて御座候 貴公解読被成候哉
遠江国掛川の豪商4代目山崎万右衛門の店おろし帳(資産帳)の実例を掲載する。1807年=文化4年の掛川藩主への調達金の記載と計算を示した。金1473両であった。記載の暗号は計算に合致した。これは勿論4代目山崎万右衛門の自筆である。ここの永は利足を記入しているようだが、計算には計上していない。その他の村貸し、諸方漬込みなども同様式で記載されている。ここの市右衛門は遠江国佐野郡宮脇村(現掛川市宮脇)に住む人で万右衛門の掛川西町とは極めて近い。3代目山崎万右衛門のことは論文にも掲載がなく全く不詳である。だが進物帳の字は達筆で商人らしい分明な字でしっかりした人で手代などにも尊敬されていた。以上で4代目山崎万右衛門の店卸し帳と3代目山崎万右衛門の進物帳の掲載は終了である。私は大きに大きに広範な知識が勉強になった、3代目と4代目山崎万右衛門さんに万謝申し上げたい、おおきにおおきに。参考論文:「掛川市松ケ岡プロジェクトの背景と構想」。

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#403. 山崎万右衛門 壱 身体取広け不申様 驕奢をはぶき家業無油断心掛け質素に暮し候事
#404. 山崎万右衛門 弐 差引総資産にて御座候 すえひろのめでたさ丸にて御座候
#405. 山崎万右衛門進物帳 壱 主人繁吉若旦那参上 白砂糖素麺真綿は定番にて御座候
#406. 山崎万右衛門進物帳 弐 太田様、横須賀様、田中様御家中は御挨拶欠く間敷候
#407. 山崎万右衛門進物帳 三 年始は松平、内藤、奥平、西尾、太田の各様江戸屋敷へ進物に御座候
#408. 山崎万右衛門進物帳 四 お登り御下りの御武家様への献上にて御座候
#409. 山崎万右衛門進物帳 五 旦那様色々御用向御座候て御苦労に御座候 
#410. 山崎万右衛門進物帳 六 受納も様々有之候処 尼崎斎田様より殊に珍重物頂戴致候
#411. 山崎万右衛門進物帳 七 浜松様より受納は大きにも調達金は無利足にて御得意様にては有間敷候
#412. 山崎万右衛門進物帳 八 井上様は月岡陣屋様にて茶を能被下置候
#413. 山崎万右衛門進物帳 九 鍋嶋様は肥前小城藩の御殿様にて掛川を御通行被成候
#414. 山崎万右衛門 三 御上様への文化四年調達金にて御座候 貴公解読被成候哉

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